02 秘書お披露目
副社長・脇沼東吾とラーメン屋で親睦を深めたあと、響子は自宅で二日酔いと格闘していた。錠剤を飲んで痛みを和らげ、やっと回復したのはその日の夜だった。
秘書課で働くまでに完治して良かったのかどうか、自分ではまだ分からない。治らなければもう一日休めたのにとかぐうたらな事まで考える。
うんうん悩むと、今度は胃がキリキリしてきた。とはいっても、まだ仕事内容までは明確にされていないのだから今から悩むと体と心に負担が掛かってしまう。
若くして胃に穴が空き、頭のてっぺんがハゲたりしたら、あのイケメン上司に幾らかふんだくってやると意気込んだ。
「はぁ……いってきまーす」
母にお弁当を持って励まされる。あんたは昔から変態な人に好かれるから大丈夫だと、意味が分からない事を言われた。
こういうのには訳がある。副社長の秘書になったと観念して喋らされたら、張り切られてしまったのだ。どうしてこう、母は積極的なのだろう。
いつまで経っても嫁に行かないからって、金持ちなら誰でも良いとか思ってるのではないだろうかと、本気で自分の将来を嘆いた。
「ふぐっ!」
玄関の扉を開けてすぐ、誰かにぶつかった。後ろにひっくり返りそうになったが、逞しい腕で背中と腰を抱き寄せられる。
「ふぁっ?」
「おはよう、響子」
超絶イケメン副社長、脇沼東吾本人だ。笑顔キラキラで今日も眩しい。眠気眼には厳しくて、何度も目を瞬く。瞼を開け閉じしていると、隙をついて頬にキスされてしまった。
「はぎゃ~~!」
乙女にあるまじきはしたない声を出しても、彼は全然気にしていない。口をパクパクと開けて、彼から距離を取ろうとしても腕の力を全然弱めてくれない。
私と副社長の攻防を聞き入れた母が、後ろから勢いよく走ってきた。私を突き飛ばしてはしゃいでいる。
「うぎゃっ!」
壁にぶつかりそうになったが、ここも彼に腕を引っ張られて難を逃れる。母強すぎで、副社長も驚いていた。大丈夫かと問われて、カクカクと頷くと安心される。母より副社長に心配されるとは、本当に世の中分からない。
「まぁまぁ、脇沼さん!」
母の甲高い声に、思わず身内かと問いたくなった。
「おはようございます、響子さん、お義母様」
「きゃ~~! おかあさまですって! 響子、聞いてるの? 響子ってば。あんたも早く挨拶しなさいよ。あんたはいつでもトロいんだから」
はいはい、聞いてますよと彼の腕の中で恨みがましく二人を見つめる。私のちっぽけな眼力など怖くもないと、母があごを上げて高らかに見つめ返してきた。母怖い。
対する副社長はやはりキラキラした瞳で見つめてきた……胡散くさすぎて信用できない。
「お、おは、おはようございます」
小さく舌打ちした母が怖いので、副社長にも挨拶を返す。とろとろに惚けそうな笑顔を返され、思わず背中が泡立った。おかしい、この悪寒はなんだ。
動物的本能が働くなど、自分はどうにかしてしまったのだろうかと、ほっぺをキュッと抓ってみる。どこもおかしくはない、はず――
「うふふ、響子は昔から変なとこが多くて。ごめんなさいね、こんな子が相手で――」
おべっか使うな母よ。
というか、実の娘に対してひど過ぎる。
「いえ、響子さんの全てが可愛いらしいので、全然構いませんよ」
「嘘つけ」
ぽそりと小さく呟けば、抱き寄せられた腕の力が強まっていく。うげ、地味に痛い。いてて、どんどん強さが増してくんですが。
「では、今日の業務があるので響子さんをお借りしますね。行こう、響子」
「ひぃっ!」
耳元で囁かれて声が漏れた。
母はうっとりした顔で見送るし、もうどうにでもなれと黒塗りのリムジンに乗った。
「おはようございます、響子様」
「おはようございます」
「響子、運転手の清水だ。二日前にも会っただろう?」
あぁ、ラーメン店の親父屋に行くときに運転してくれた人だ。年を取っているためか、目元にはシワがあるが古さや疲れを感じさせない。白髪交じりの頭髪も清潔に保たれて、どちらかというと好みである。
「その、ナイスミドルですね」
副社長と初めて乗せられたときは、委縮しすぎて顔まで吟味する暇など無かったのだ。
「はは、お褒めにあずかり光栄です。ありがとうございます、響子様」
後部座席から清水さんを眺めていると、副社長に顔を寄せられてキスされた。舌まで出し入れされて酸素が足りない。はふはふと、鼻で息をしてるとようやく解放してくれた。
「響子にはこれから調教……ごほん、教えていくから。えー、会社では東吾さんで」
何故だ。
普通、こういうのは包み隠すものだろうと文句を言ってみる。
「響子は俺のモノっていう風に知らしめたいだけだよ。ダメ?」
「可愛く首を傾けてもダメです……副社長で」
「東吾」
「……脇沼さん。これ以上は譲歩しません」
会社で副社長を東吾さんだなんて絶対無理です喋れませんと言うと、渋々だが了承してもらえた。慣れたら東吾さんでよろしくと言われたが、たぶん私には無理だろう。
住宅街を抜けて、線路伝いに車は走る。都心にあるワキヌマ支部に着き、リムジンから降りようとしたが。
「あれ、開かない?」
高級車の事を忘れてて、鍵を開けるのに手間取る。
自然な動作で扉が開くと、運転手の清水さんがいつの間にか扉の外で手を差し出されていた。
「響子様どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
清水さんの白い手袋越しに手を取って立ちあがる。次いで副社長にと体を預けられてしまい、先に出社する隙を逃してしまった。
「あの、副社長」
「脇沼さん」
「あう、脇沼さん、私は秘書課に行くのでは?」
おずおずと聞いてみた。
「響子には秘書をやってもらうけど、秘書課には行かなくていいよ」
「え」
「俺の専属秘書。補佐といっても、スケジュールのほとんどは清水を筆頭に管理してくれてるから心配要らない。むしろ、俺の相手して――」
「うひゃぁっ!」
耳たぶを噛まれて力が抜けた。
このエロ副社長と一緒にいたら、キスだけで孕んでしまうのではないかと心配になってしまう。
「えぇ、あのっ、ふぐぅ……」
「秘書課には目通りだけしておくか」
颯爽と通路を歩く、副社長の後ろに着いていく。
それを不服と感じたのか、腰を抱かれて歩かされた。まて、それでは何のために距離を置こうと考えてるのか分かりゃしないと、全力で腕をつっぱねても無駄に終わる。腕の筋肉マジで強い。金持ちのボンボンのくせに強いだなんて何それ無双だ。
秘書課に着き、副社長の顔を見た部長、係長が頭を低くして挨拶している。何やらこちらを見て、会話をしているではないか。普通に紹介してくれれば恩の字なのだが。
「響子、こちらへ」
「あ、はい」
どうして名前呼び……秘書課の綺麗なお姉さま方が凄い目付きで睨んでいるではないか。ひぃと、声を出せば副社長の体にこれでもかと寄せられる。やめれ、あんたとは上司と部下の関係でしかないとアピールする。
「秘書課の皆さんに挨拶を」
「あ、河合響子と申します。ワキヌマ支部・サポート係から秘書課に配属されてきました。これからよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げた。いつまで経っても頭を上げない私を心配して、副社長が頭を上げさせる。やめれ、触らないでと距離を取ろうとしたら、即効で体を引き寄せられた。
「秘書課といっても、彼女には副社長専属秘書をやってもらうのでこちらには直接通わないから、そのつもりで」
「そうでしたか、あの、差しでがましいですが、河合さんと副社長とはどのようなご関係で――?」
皆が一番聞きたい事を聞いてのけた係長に、響子は内心で悲鳴を上げた。やめれ、喋るなと副社長に目力で訴えれば何を悟ったか。頬を撫でられ、心配するなと呟かれた。
……何も心配してないですからぁぁぁと、ムンクの叫びを全身でやってみる。
「彼女、河合響子は俺のフィアンセとして」
あ。
「秘書共に花嫁修業させるからそのつもりで接してほしい」
何のために副社長と呼んでるのか分からない。どうして隠してくれないのか。口を尖らせていると頭を撫でられた。
「副社長、どーしてくれるんですか」
しょっぱなから暴露したよこの人! といきり立つ。握り拳を震わせていると、副社長に抱き寄せられた。ここはまだエレベーターの中なのに。
「愛してる。響子……」
「んむぅぅ」
ねっとりした重いキスが、私の全部を浸食する。食べられてしまうんじゃないかと思ったころには、副社長室に辿りついていた。
「響子が皆に見つめられてて、震えて怖がってると思ったから話したんだ」
「まぁ、ガン見されてアガってたのは当たってますけど、あそこで暴露されると、私の今後が大丈夫ですか? みたいな。むしろ、ケンカ別れした後のフォローをどうしてくれるんですか、みたいな……」
別れる前提で喋ったら、ソファに押し倒された。イケメンは何しても絵になるとかやめれ、です。
「なに、響子は俺と別れるとか思ってんの?」
「は、い、だって……いつかは飽きられるのでは?」
それからは大変だった。
花嫁修業するまえに手を出されて結婚前に汚されるとかおかしーだろと、言いたくなる。ともかく、ここではイヤだと散々鳴き喚くと、名残惜しく離してくれた。
副社長は涙に弱いのか。今度から何かあれば、泣いてやると心に誓う。そのかわり、キスが雨のように降ったのは言うまでもない――
ラブコメになるかなーと思ってます。この二人でどこまでいけるか考え中