01 OLと副社長ラブ
「部署移動ですか?」
移動願いを申し出た記憶は無い。
ホワイトボードの前に立ち、響子は過去の勤務内容を頭の中で考えていた。
「明日には秘書課に行ってもらう。なに、そんなに難しい事をさせることはないって、上からの指示だから」
ひしゃげた声が耳に響いてうっとおしい。
横に並び立つ男性の禿げ頭にはじっとりと汗が浮き出て暑そうだ。シャツのボタンを外して唸っている。
むあんと漂う男臭さに少しばかり顔を引き攣かせれば、メタボナウな上司が今日最後の仕事をデスクの上に置いてった。それプラス・すぐに引き継ぎをとせっつかれ、リゾート株主・顧客リストのデータを先輩へとバックアップデータを送り付ける。
寒さへっちゃらな老夫婦には氷雪・夢の国リゾートで舞踏会並みのお持て成しを。エキゾチック大好きな女性には南国リゾートでアジアン堪能。
カタカナの付く、俳優大好き奥様集団にはお隣韓国へ行ってらっしゃいと、リゾート画像にツアーパックなどのご案内を盛り込んだマニュアルなどを、パソコンで明細していく。
顧客からの信頼と実績も勝ち取って、バリバリのキャリアウーマンになる予定だったのに
「――私、何かしたかなぁ……」
いつもと同じ業務をこなし、サービスを兼ねての宣伝をまんべんなく振るわせていただけだ。周りの同期や後輩と作業してる内容は変わらないはず……と、コーヒー片手に画面を睨みつける。
外で幅を利かせてる営業マンと肩を張っているわけではない。下から数えて万年ワースト3位の自分など取るに足らない存在のはず。
「先輩、私じゃなくちゃダメなんですか?」
今の仕事、けっこう気に入ってるんですけどと言葉を濁す。顧客の信頼を得るのに何度、挫折と成功を繰り返しただろう。
電話アポだって、ソツなくこなせるようになるには2カ月ほど掛ったのだ。その達成感に比べれば、秘書課など華々しい舞台は自分には不向きだと思っている。
電話片手にパソコン画面に入力するやり手の女性・奥井幹江に、つい愚痴ってしまった。
「はい、はい、ありがとうございます! では、後ほどパンフレットを送付しますのでお読みください。いつもわが社をご利用頂き、ありがとうございます。では、失礼いたします――」
ふぅ、と息を吐いてこちらを見ている。
髪の毛を頭の上で団子にしている先輩女性が、響子を見て苦笑いした。
「“ワキヌマ”は広いから、見聞がてらに行って来ればいいの。大丈夫、あなたは意外と聡いから」
「それって、褒め言葉と取っても良いのでしょうか?」
苦笑いされて、背中を叩かれた。
力強すぎないか、じんじんして痛い。
「あなたの実績はワースト3位に入るけど、実績だけが全てじゃないのよ。良いから行ってきなさい」
はい、と頷いたのが運のつき。
響子はこれから、違う舞台で戦うのだった。
***
「えっと、12階……」
秘書課に行くのが先だと思ったけれど現実は違う。
響子が出社してすぐに、最上階の副社長室へ行くようにと男性に言われたのだ。
「副社長って社長の息子なんだっけ。はぁ~、何か粗相をしないか心配だわ」
チーンと音が鳴り、最上階に着く。
目の前には社長室がある。その横には副社長室だ。どちらも重厚な扉があって、圧迫感が半端ない。
「ド、ドキドキするなぁ……」
広々とした廊下にはお洒落を感じさせる絵画やシャンデリアがある。下の階層よりも格が違うことを意味していた。
「お、お待ちしてました、奥さ……あ、河合響子さん、副社長がお呼びです!」
部屋内から男性が飛び出してきた。背が高くイケメンだ。この人は確か、部署でナンバー1、2を争うイケメン社員だった気がする。
腰を低くして案内するエリート社員が、響子みたいな平凡社員をエスコートする。悪くは無いが、何が起こっているのか不思議だった。
「副社長、入ります。河合響子さんお連れしました」
「あぁ。通してくれ」
「では、ごゆっくり」
都心を一望できる展望室のような広々とした部屋だ。遥か遠い先には海まで見える。響子がじっと見入っていると、いつの間にか男性が目前に来ていた。
「では、こちらへ」
「へっ? はっ、あ、はい!」
煌びやかなオーラを纏った男性が普通の社員ではない事を悟る。導かれるままに近くのソファに座ろうとするが体がよろけてしまった。床に落ちそうになったところを男性が抱きとめられ、膝の上に乗せられる。
眼鏡越しの理知的な瞳に、肉食的な雰囲気が垣間見える。服の上から撫でる仕草にゾワゾワと体を何かが駆け巡った。
「あの、す、みませんっ」
甘いうずきが体中を駆け巡る。響子が体を押しやるまで、ずっと触れているつもりだったのか。男性の反応を窺うと、少しだけ落胆していた。
「いいよ、このままでも構わないから。さて、河合響子さん?」
「は、はい」
何が何だか分からないが、ともかく自分は彼の話を聞かなければと集中する。どうしてか真剣に見つめあうものだから、目元や口元に目が行ってしまう。どうやら怒らせてはいないらしい。少しだけ安堵するも、まだ体を離してもらえないので緊張したままだった。
「俺の名前は脇沼東吾。ワキヌマリゾートの副社長で、君はこれから俺の秘書兼・補佐共に奥さんしてもらいます」
「はい! 私はこれから秘書と補佐、奥さんしま……す?」
サイドテールにした自分の髪の毛は特に艶やかでもないのに、男性が愛おしそうにキスをしている事実に卒倒しそうだった。
「響子、これからよろしく」
銀縁眼鏡を取って、まだ分からない? とこちらを見据えてくる。その仕草を以前にも見た事があって、合点がいった。
「へっ? えっ? あーー!」
過去にした、見合い男性の一人ではないか。彼とは一度きりで、こちらから返事をノーと返していた。副社長という職歴をお見合い席で告げられて、響子が腰を低くしたのだ。
平凡な自分とのフィルターを掛けて、彼の話を半分聞き流してもいた。どうせ、この見合いは成立しないだろうと軽んじて――
第三者から見ると、どちらが酷いかよく分かる。彼の必死のアプローチを尻目にして、家に帰ると即効でゲームしていたのだから。
「あわわ、あのときの……イケメンさん」
メールも電話も居留守を使い、貰った服も宝石もそのままだ。換金まではしなかったが、プレゼント攻撃が止まなくて半ば自暴自棄に陥っていた。まさか、目の前に居る男性が副社長で、再び逢おうとは誰が思うだろう。
冷や汗を流して彼から距離を取ろうとすると、力強い手で体を寄せられる。
「イケメンとは思ってくれてたんだ? ならどうして、デートに誘っても来てくれなかったの」
もう石化したい。とはいっても、ここで意識を飛ばせば色んな意味で危ない気がすると、危険信号が発していた。
「わ、わき、ぬまさん……あの、その、そんなわけでは」
「東吾と言ってくれ。じきに妻として向かい入れるからそのつもりで」
叫ばずにはいられなかったが、唇を塞がれる。隣の社長室には聴こえないように防音を施していると言われて、密着度も際立った。
離してくれたのは夕刻で、夕陽が部屋内を照らして鳩時計まで鳴っている。あぁ、家に帰ってゲームしたいと脳内逃亡していれば、低い声で現実に連れ戻された。
「この後レストランに行こうか。フレンチでも中華でも、君の好きな所で食べよう」
食欲が無いのですがと断ろうとしても、固い胸板に阻まれる。キスだけで腰が砕けたが、副社長に横抱きにされてエレベーターを降りた。出向かれたリムジンに案内され、後部座席に強制的に座らされると、またしてもスキンシップされる。
「ふ、副社長、お願いですからここでは止めてください……!」
「東吾って言ってくれれば止めてあげてもいいかな」
「言います、言います! と、と、とう、ごさん」
体を固くしていると、耳元に向けて可愛いと囁かれた。
「う、うー……!」
「分かった、今日はもうしない。で、響子は何を食べたい? それとも俺「ラーメンです」
副社長のくせにお決まりなあのセリフを言われたらと思うと、気が気ではない。慌てて遮り、庶民の食べ物ラーメンと口走っていた。
この私に付き合うのだ、ラーメンでも食べて庶民との差に苦しめば良いとほくそ笑む。
「ラーメンね。良いよ。どこの店にする?」
「親父屋のラーメンで。あそこの醤油ラーメンが食べたいです」
ふふん、良いとこの坊ちゃんには辛かろうと、響子は思った。運転している執事さんには悪いが、庶民との差を知らしめるチャンスである。最初が肝心、見合いのことは今日で諦めてもらおうと企んだ。
「東吾様、親父屋に着きました」
「ご苦労。パーキングのある場所で待っててもらえないか」
ワンコインではなく千円のパーキング所だ。
響子はくらりと眩暈がした。
「分かりました。くれぐれも、彼女の機嫌を損ねないようお願い申し上げます。では響子さま、ごゆっくりどうぞ」
ごゆっくりしませんと言いかけたが、キラキラ笑顔の副社長の前で素直に言えるはずもなく。口を引き攣らせたまま、二人は暖簾をくぐった。
彼の物腰、佇まいに驚く平凡サラリーマン達に凝視される。ざわついていた音が一瞬止み、箸まで落とす脂ぎった親父達がいた。これは何、イケメンの魔力はここでも通用するわけ。オヤジ達までときめいてないか。ドキドキそわそわしてるのは気のせいなのか
心の中で盛大に突っ込んで、大盛況な店内を見渡した。テーブル席は空いてないけど、ぽつぽつとまばらに席は空いているなら、単独で座れば良いだろうとほくそ笑むーーが。
「お待たせ」
「!」
「ここのお客さん達は見かけによらず優しいな」
北極圏を背景としたブリザードが響子を包み込む。
なにその、無駄なイケメンパワー。普通ならおめーがどけと罵られても良いはずだ、この親父屋では。
聴こえないように舌打ちすると、これまた綺麗な笑顔で擦り寄ってきた。
「響子の好きな食べ物を把握しないとな。ラーメン好きなのか。俺も好きなんだ」
太ももを撫でられる。
ペシリと手を叩いて、会話を続行させた。
「そ、そうなんですか。意外ですね……」
「全国のラーメンを取り寄せてもいいな。ジェット機で」
ヴフォッと水を吹き出したら、口元にハンカチを当てられて拭われる。喉元から下へと行き、名残惜しそうに離れられた。無駄にエロい仕草は止めて欲しいとこれまた体を固くするうちに、注文した醤油ラーメンと、とんこつラーメンが来た。
「頂きます」
親父店主よ。親指立てて、グッジョブやめてくれと言いたい。
「いた、いただきます」
ふぅ、ふぅと息を吹きかけて麺を口にする。もちろん下品な音付きで。これなら幻滅するだろうと横を見ると、愛おしそうな顔の彼が目に映る。
「あの、食べないんですか」
「あぁ、食べるよ。ただ、響子の食べっぷりが可愛くて」
する、すると音無しで彼が食べるもんだから面白くない。フンだと思って無視して食べると、彼が口ずさんだ。
「俺はどこに出しても恥ずかしくないように教育されてるから。音無しでも気にしないで」
気にするわと言いたかったが、押し黙った。
響子は彼の顔を見ずに、親父店主とイエーイとビール生を乾杯する。何に乾杯とは関係ないが、その場のノリでするのだ。親父屋とはそういうものである。
「枝豆もください」
「あいよっ、隣のにーちゃんにもな」
「ありがとうございます」
キラキライケメンの表情が崩れない。ラーメン食べても品があるなんて初めて知った。もっと距離を取りたくなる。
ビール生をジョッキで追加して、彼を泥酔させればサヨナラだ。ドロドロに酔った彼をリムジンまで運び、運転手さんに渡せば響子の日常は普通に戻る。
慣れない秘書課でも、前居た部署に戻るのも良い。ただ、女子の笑い物にされるくらいならまだ軽いと思うのだ。嫌がらせでもない、ただの噂話なら全然構わない。
「響子、そんなに飲んで大丈夫なのか」
「はい、らいじょうぶれすよ~」
目の前の美丈夫はまだ崩れないのか。
ビールジョッキを4杯飲んだ時点で自分はこんなにヘロヘロなのに。彼は6杯飲んでもザルである。
「店主、会計してくれ」
「え~、まだいけるもん」
体を抱きしめられながらレジまで行くと、彼の財布の中が見えた。ゴールド、ブラックなどのカードが見える。札束、何枚あるのと凝視してしまった。
かなり無礼に眺め見たが、彼は全然気にしてなかった。それなのにもっと見て良いよとまで言われる。
「ありがとさん! 嬢ちゃん、彼氏さんは優しいね~」
ヒュウヒュウとはやし立てられて、彼は気を良くしていた。財布の中から諭吉さんを追加して渡している。お釣りは要らないとまで言って、そのままリムジンにまで足を運んだ。
「はにゃ~~」
「このまま連れ帰りたいのだが」
「東吾様、行けません。ともかく、響子さまのご自宅まで届けられて、ご両親に東吾様の存在を露わしてはどうでしょう」
「それいいな。よし、響子の家まで行ってくれ」
生き生きとした彼の返事が聴こえて、響子は夢の中へ突入した。次の日、母のおはよう目ざましで目覚めた響子は、昨日の男性について根ほり葉ほり聞かれる羽目になる。
「え、今日は休んで良いから、明日から来てくれって?」
「そうなのよ。すっごいイケメンじゃない! 彼はお見合い相手だったけど、振られて悲しいですって嘆いてたわよ! それに、絶対に諦めませんだなんて! 超良い子じゃない」
「うぐぅ……おかーさんうるさいなぁ」
大きな母の声が頭に響く。
二日酔いに効く錠剤と、お水を飲んでベッドで寝入った。
「あんなイケメン御曹司があんたを希望しておられるんだから、絶対モノにしなさいよ!」
「え~、やだよ」
「どうせ、デートやらなんやらで、ゲームが出来なくなったらとか思ってんでしょ! このおバカッ!」
あの副社長、母にしっかりとお見合い相手だと告げていきやがった。しかも、母のポイント高しで味方まで付けて。これからどうなるのだと、ゲーム本体を見つめてしまった。
本編の東吾さんは警察官ですが、パラレルでは職もほとんど違って出すかもしれません~。ノリと勢いで書いたシリーズ物でやっていこうかと思います。更新は超不定期ですのであしからず。何が出来るか、作者にも分かりませんし、突発的な話が出来上がるやもしれません。。
本編が「ゾンビと逃亡・今度こそラブ」の二人からでした。