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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
3:10 to Yuma 邦題:3時10分、決断のとき
81/83

13話 ルナ Ⅴ




 曇り一つ無いグラスに液体が注がれる。白ワインを思わせる金色の液体はグラスに移った途端、気持ちを落ち着かせる豊かな香りが部屋中に広がった。

 滑らかな手つきでグラスを持ったリーは、広がる香りを嗅いで細い目をさらに細めて、ゆっくりと中の液体を飲み始めた。どんな味がしたのか、彼は二、三回小さく頷いて納得したような顔をする。

 飲んで頷き、また飲んで頷く。そんな事を三回やるとグラスが空になり、一杯飲み干していた。


「どうです、一杯飲みますか?」

「要らない。それよりも、もう離脱するの? 逃げてくる人はまだ居そうだけど」

「ええ、もう充分でしょう。戦いの大勢は決しました。留まる理由はありません」


 テーブルを挟んで向かいに座ったアルトリーゼと言葉を交しながら、リーは近くの丸窓に目をやった。先程までいたキャビンと違い、いかにも船室といった内装の部屋からはジアトーの様子を見ることは適わない。窓の外には雲と青い空が見えるだけだ。

 一見変化はないように思えるが、室内に聞こえる機関音は音量を増し、アルトの言うように飛行船はジアトー上空の空域を離脱しようとしていた。

 見えなくてもリーには分かる。太陽は中天から傾いて午後の光になっており、朝から始まったジアトーの戦いは終わろうとしている。もうここは彼にとって用の済んだ土地だ。

 大勢の人が死に、同時に多数の逃げ場を求める人も出ていた。その中でチーム『S・A・S』に所属するメンバー達の離脱先の一つがこの飛行船だった。


「転移魔法で離脱してきた人の数は分かりますか?」

「使い魔の目を借りて見る限りだと、ざっと百人くらい。メンバーだけじゃないね、離脱を誘われた人も一緒に転移してきたみたい」

「この船の兵員室はそれほど広くないのに良く入りましたね」


 感心した声を出して空になったグラスを手の中で弄るリーの姿は、今のアルトの視界には映らない。その目は自身の使い魔の視界と同期しており、兵員室ですし詰めになっている脱出組の様子を映していた。

 兵員室と言えば聞こえは良いが、実際は貨物室に毛が生えた程度の住環境でしかない。壁際に折り畳める長椅子、人が過ごせる程度の与圧、人を配慮した部分はこの二つ程度で後は何もない。そもそもこの兵員室は、降下する兵士の待機場所なので殺風景なのも当然だった。

 そんな部屋に百人前後のプレイヤー達がひしめいている。大して広くもない部屋に押し込められた彼らは、プライベート空間ゼロの環境で隣の人間と肩をくっつけて耐えていた。

 座るぐらいなら出来るが、赤の他人と体を寄せ合うのはストレスが溜まる環境だ。異性相手なら尚更で女性陣は別個に固まろうとしている様子だったが、そのせいで少ないスペースが潰れてしまい男性陣の不満が溜まっている。

 敗北、敗走、敵に負けて逃げている最中に、こんな環境は最悪だ。使い魔越しでもみんなの様子が苛立っているのがアルトには分かった。狙ってやったのだとしたら相当なものである。

 視界を使い魔から自前に戻すと、リーは変わらず窓の外に視線を彷徨わせているらしい。細い目のせいで今一つ彼の視線が読めない。


「それにしても、リーダーの暴れぶりが予想より大人し過ぎますね。あれだけ強化した上に理性を剥いだのですから、市街地の一画くらいは更地になっていると思ったのですけど」

「ここから見える限りだと、飛行艇を一隻落としたぐらいだもんね。あの大斬撃、リーダーのでしょ?」

「ええ、ビルぐらいは輪切りに出来る火力があるはずなのですけど……どうしたのでしょう」


 二人とも自身のチームリーダーを狂戦士に仕立てた実行犯だが、全く悪びれる様子もなく不思議そうな顔をしている。

 ストライフを縛り上げて魔法と薬で改造したのがリーなら、程良いタイミングで野獣になった彼を解き放ったのはアルトだった。敵味方関係なく暴れ回るストライフがジアトーの戦いを引っかき回してくれるだろうと期待してした。

 ところが結果は先の通り、目立つ戦果は船を一隻落としたぐらい。アルトは割とどうでもいいと思っているが、リーは強化に幾らか手持ちの薬品を使ったため、成果が出ないのは損をした気分にさせられる。


「誰かに倒されてしまいましたかね。それならそれで仕方ありません」

「あっさりしているね、軍師」

「ええ、まあ。作戦行動中は一つのことに拘って身動きが取れないのは馬鹿みたいですから」


 ですので次の行動に移ります。静かな口調でそう言った彼は、テーブルの上にあった通信機を手に取って短く指示を飛ばした。


「何をしたの?」

「それは、もう一度兵員室の使い魔の目を使えば分かります」

「? 分かった――って、何これ」


 言われるままにアルトが兵員室に置いた使い魔の視界に接続すると、さっき見た光景がほんのわずかな時間で激変していた。

 部屋にひしめいていたプレイヤー達は軒並み倒れていて、折り重なるように平らになっていた。よく見ると胸の辺りも上下に動いていて呼吸はしている。気絶、あるいは寝ている様子だ。

 兵員室に押し込められたプレイヤー達が全員ピクリとも動かないほど深く眠っている。いや、眠らされていると言った方がより正確だろう。

 部屋全体が霧の中のように曇っている。アルトはすぐにガスか何かだと察した。部屋にガスを注入してプレイヤー達が眠らされているのだ。


「軍師、あんた何したの」


 思わず座っていた椅子から腰が浮いて、手は横に置いたギターを握れる位置に滑る。アルトの思考は身の危険を感じて反射的に戦闘用のものへと切り替わっていた。

 使い魔は無事、通常の生き物とは別物らしくガスは効いていない。兵員室に一羽、飛行船の外壁にもう一羽、飛行船をギターの音で包むには充分。一度弦を掻き鳴らせば、文字通り音速で攻撃が標的に突き刺さる。

 毛を逆立てたネコの様な彼女の様子に対しリーは、手にしたグラスから一口液体を飲むと余裕の態度で応えた。


「その様子だと無事に効き目が出たようですね。見ての通りです。手持ちの薬品を帝国の技術でガスにしまして、それを部屋に注入しました」

「なんで、そんなことを」

「それは口で説明するより、実際に体験した方が早いでしょう」

「え? ……あ、体が、変?」


 リーを問い詰めようとしたアルトの視界が唐突に歪んだ。頭の芯から重くなるような激しい眠気に襲われ、急速に目蓋が重くなりだした。体からも力が抜けていって、ギターのネックもまともに握れないほどになる。真紅のギターが床に落ちた直後に彼女のヒザも床に落ちた。

 これは兵員室のプレイヤー達と同じ、この部屋にもガスが流し込まれているのだと瞬時に悟った。

 すぐに対策を考えようとしても頭は回らなくなってしまい、逃げようにも体はもう不自由、せめて何か一言口にしようにも喉さえ休眠してしまった。意識はあっという間に彼方へと飛んでしまう。

 とうとう全身にも力が入らなくなり、床へと体が崩れ落ちる。どこかで見切りをつけようとしていたアルトは、こうして先手を打たれる形で見切りをつけられてしまった。


「おやすみなさい、目が覚めたら新しい生活が待っていますよ」


 崩れ落ちたアルトを見下ろすリーの細目、そこには柔らかい物言いとは裏腹に帝国軍の少将を始末した時と同じ熱のない色合いが浮かんでいた。

 手にしたグラスに目を落とす。「予防効果もあるとは便利だね」などと呟きつつ、残った液体を飲み干した。この液体もゲーム時代からの持ち越し品であり、状態異常を治療する効果のある薬品だった。さらにはこうして事前に飲むことで予防効果さえあると確認されている。

 空になったグラスをテーブルに置き、倒れたアルトをそのままに部屋を出て行く。リーが扉の前に立ったタイミングで扉が開き、向こう側からガスマスクを着けた軍服姿の人間が三人入ってきた。

 彼らはリーがここでやる事をあらかじめ知らされていた帝国兵で、眠らされたプレイヤー達を回収する役目を持っていた。


「後はよろしくお願いします」

「……了解」


 短くやりとりを交した後、軍人達はリーと入れ違いになるように部屋に侵入する。船室を後にして廊下へ出たリーは、手近な丸窓から下界の様子に目を落とす。

 プレイヤーとしての優れた感覚は地上にある街から立ち昇る戦火が下火になったと感じる。吹き出ている煙の数も減ったようにも思えた。戦いはもう間もなく終わりだ。

 リーの口元が笑みの形に曲がり、喉からは押し殺した笑いがこみ上げてきた。


「クク……ハハッ、これでようやくスタートラインに立てた。待っていろよ――、必ず一泡吹かせてやる」


 何だかんだと予想外の出来事がありながら、それでも状況は彼の望んだ形になった。くらい悦びが胸に満ちて、それが溢れる形で声が口から出てくる。

 通りかかった兵士が不気味そうな顔をしていたのも構わず、リーはそのまましばらく嗤っていた。



 ◆



 理性が破壊され、思考が闘争一色になっているストライフは、重くなった体を引きずって最上階に足を踏み入れた。

 体のあちこちから止めどなく血が流れて、来ている衣服もズタズタになっている。それはそのまま黒ヒョウ姿の使い魔との戦いがいかに激しかったかを物語っているが、理性のない彼は当然のように頓着していない。

 ジンが最後の力で打ち込んだ毒は神経毒と出血毒の混合だ。流れている血は固まらず、体のあちこちは酷い麻痺としびれを引き起こしている。普通の人間だったら死んでいないとおかしいレベルだが、プレイヤーとしての肉体に加えてリーの投与した薬物による強化のせいで命が保たれていた。

 まともな思考を持った人間ならすぐさま手当ての方策を考えて逃げる。獣の思考でも生存本能で逃走を選ぶだろう。ストライフはどちらでもなく、思考が闘争の炎で炙られた狂戦士だ。ただただ肉体が壊れるまで戦いを求めて動くだけである。

 ジンの体を潰した大剣で床をこすりながら歩き、最上階のフロアに辿り着いた。これより上は屋上しかない。


 血走った目でフロアのあちらこちらに視線を飛ばす。狂戦士の感覚がこの部屋に敵がいると教えている。ストライフはその直感だけに従っていた。

 彼の目はフロアの長い廊下を映している。地下から出て来たときに一度最上階まで『敵』を掃討して回ったため、廊下のところどころにはS・A・Sのメンバーと思わしき死体が転がっている。さらに列車砲の砲撃を受けたのか、廊下の右側の部屋は無くなっており大穴を開けて風が吹き込んでいた。

 高層階ならではの強風がストライフの体に吹きつける。彼の表情は何も変化なく、滴り落ちる血が風で乾いていくだけだ。


 目がぎょろりと動き、ある一点を睨む。廊下の曲がり角、十m程先にある中央階段への角から銃口が飛び出てくる。それがジンとルナが仕掛けたトラップの起点だった。

 間髪入れずに銃口が火を噴く。狙いもない完全なめくら撃ちだ。それでも数発撃った中で、銃弾三発ほどがストライフの体に直撃するコースをとった。当たり前の出来事のようにストライフは大剣を一振りして弾を弾き、続く二振り目は斬撃を飛ばす飛び道具だ。

 飛んできた衝撃で廊下の壁が破壊されて、内装の石膏ボード、コンクリートや壁紙が飛び散る。それらに混じり、粉砕されてバラバラになるモーゼル拳銃があった。そこに人影は無い。


 それに戸惑う理性のないストライフは、後ろから聞こえてきた空気を切る音に反応した。これにも大剣で応える。

 銃弾よりも遅く、しかし質量のある金属音が鳴る。長さ一五㎝ほどの刃のない投擲に特化したスローイングナイフだ。それが四本、大剣に弾かれて床に転がる。

 濁った目でナイフの射出場所を見極めようと後ろの空間を睨むが、人の居る気配はやはり感じなかった。

 戸惑う思考がない狂戦士ではあるが、警戒という防御の考えがここにきて初めて浮かんできていた。


 その警戒に火を着けるかのようにストライフのすぐ近くの足元が爆発した。爆ぜる床材、その向こうに人影を認めた狂戦士は横一閃でその影を薙ぎ払った。

 上下に分断される影の正体はすぐに判明した。ここまで追いかけてきた『敵』ではない。分断された首が転がるが、その顔はS・A・Sのメンバーのものだ。

 最初から死んでいたのか、首が切られても噴き出す血の勢いは弱い。そこまで状況を理解したところで今度は直上の天井から大きな物音がした。

 タイミングは狂戦士とって最悪。横薙ぎした体はまだ戻っておらず、ここまで全周囲に向けられた注意も散漫になっていた。上に気を向けるのはどうしても遅くなる。加えてジンの打ち込んだ毒が動きを鈍らせて、さらに数拍分遅くさせた。

 それでも視界の端に天井の様子を捉える。狂戦士の目には天井のダクトから降ってくる人影が映る。ジャケットを翻し、大振りのナイフを両手で構えてこちらに落ちてくる黒い少女の姿が。その切っ先の狙いは首。

 狂戦士にとっては最悪、黒い少女にとっては最高のタイミングで一撃が決まるまで、後コンマ数秒。



 ◆◆



 ジンに準備させたトラップは万全だった。彼に渡したモーゼル拳銃は所定の位置に固定され、床にも適当なデコイが仕込まれていた。こちらがやったのは確認とスローイングナイフを相手の見えない位置に仕込むだけだった。

 天井のダクトに入り、狂戦士がフロアに踏み込んだタイミングでトラップを『念動』で遠隔起動させる。面白いように相手が引っかかる様子をダクトから窺い、ここだと思う瞬間を見てトレンチナイフを手に襲いかかった。

 った。そう確信できるタイミングだった。切っ先は狙い通りにうつむき気味になった狂戦士の延髄に向い、一撃で即死させる。


 思惑が外れたのは直後だった。回避も防御も間に合わないはずの狂戦士だったが、身を捻るだけの余裕はわずかでもあった。コンマ数秒で切っ先が刺さるポイントが変わってしまった。

 回避でも防御でもなく、急所をズラされた。

 手に伝わる肉を突き刺す感触。ナイフの刃が骨に当たった硬い手応えが返り、失敗を瞬時に悟った。刺さった場所は狙いが逸らされて鎖骨付近。刃は肺まで達して充分致命傷になりえるが即死には届かない。

 さらに言えば相手は狂戦士、中途半端に傷を負わせたのはまずかった。


「――っ!」


 大きく口を開けて絶叫し、四肢をやたらめったらと振り回して暴れだす狂戦士。振り回された大剣がフロアのあちこちに幾つも爪痕を作る。

 間合いを開けてしまうとこの暴風に巻き込まれる。だから刺したナイフの柄に捕まったまま、狂戦士の体に貼り付くようにぶら下がってやり過ごした。まるでロデオだ。傷口から噴き出す血と振り回される自分の軽い体が気分を悪くする。

 床材、壁材が弾け飛び、大穴が次々と作られる。遠心力と作用反作用に逆らって敵の体に密着するのは至難の技で、何かを仕込む余裕など欠片もない。

 しばらく暴れて、ようやく原因部分を摘めばいいと考えが行き着いたらしい。血塗れの手が自分に伸ばされる。

 敵の手を逃れるためナイフを手放して床に着地。これでまた一つ武器を喪失した。決着がつかなかったばかりにこれだ。トラップを用意してくれたジンに申し訳がない。

 だけどこれで懐に入って、余裕も出来た。残ったナイフ、カランビットに手を伸ばして大剣の間合いの内側で仕留める。


 でもこんな思惑は見破られていた、もしくは嗅ぎつけられていた。視界にはどアップで拳が迫って見える。反応する間もほとんどなく、衝撃が体を突き抜けた。

 嫌な浮遊感と飛翔感がして、またも全身に衝撃が走った。床に叩きつけられたらしい。一瞬上下の感覚が失われ、意識が猛烈な勢いで遠のこうとする。

 暗転しかかる意識、それを強引に呼び戻した。ここで意識を失ったら確実に死ぬ。全身を襲う激痛、動けるか?


 ――拳はとっさに動いて避けられた。けれど腕が当たったらしい。手足は動く、当たった箇所の胸はあばらが三本ヒビが入ったか。だけど動ける。

 床にうつ伏せに倒れていた姿勢を把握。床を叩いて反動をつけて起き上がる。ヒビの入った骨が痛みの警告を出す。もちろん無視。敵を視界に捉え、見据える。

 掴みに来た手とは反対の手、握っていた大剣を手放して殴りにきたのが今の攻撃のようだ。敵は床に落ちた大剣を拾い、上体を起こしたところ。己の武器を拾う程度の知性はあるみたいだ。これが素手のまま攻撃を続行されていたら拙かった。

 自分にある悪運に一瞬だけ感謝して、腰のホルスターに手をやる。二挺あったモーゼル拳銃の片割れ、グリップを握りこみボルトを引いて装填、手に馴染んだ感触が感覚のギアを一段上へとシフトさせた。


 当初の策が失敗したなら仕切り直しだ。正面切って戦っても勝ち目が薄い相手に馬鹿正直に付き合う道理はない。

 もう自分に以外に関心が向かない様子なので、このまま屋上に場所を移しても敵は余所へは行かないだろう。まずは戦場を移して自分に有利な状況を再度作り直すところからだ。

 軽く周囲を見渡す。自分の立っている場所が中央の階段のすぐ傍だと分かると、再び悪運の強さに感謝したくなる。ただ、下へ向う階段は外からの攻撃に巻き込まれたのか崩れ落ちている。やはり活路は上にしかなさそうだ。

 身を翻して上への階段に足をかけて、その時に一瞬だけ後ろを見た。敵の血走った眼と視線が絡まった。殺害思考以外は一切無い、純粋な殺意が自分の体を縛ろうとしている。猛獣と対峙している方がまだマシと思える濃厚な気配だ。


 知らず体を硬直させていたのが拙かった。スタートダッシュにかかる時間がこんなミス一つで浪費してしまった。

 体勢を戻した狂戦士は大剣を手に上体を沈めて、突進してきた。肩にナイフは刺さったまま、片腕は殺したがそんなのお構いなしだ。突進の勢いに大剣の重量を考えれば威力が減った内に入らない。

 数mの距離など無いに等しい。一足跳びで間合いが詰められて大剣が振るわれる。数多くの血を吸って赤黒く染まった鋼の刃が視界を塞ぐ。


「く……っそ!」


 身を仰け反らして刃から逃れ、階段の上へと飛び退く。着地、すかさず牽制の射撃。近距離で放たれた弾丸は非常識な速度で振り戻された大剣で防がれる。

 そして大剣を盾にして突っ込んできた。委細構わず間合いを喰ってくる敵に自分は押され、階段をさらに上へ。

 屋上への階段は大した長さもなく、外への鉄扉を蹴り開ければ外の風が強く吹き込んできた。太陽の光が一瞬眼を灼く。目が眩むのを恐れて慌てて手をかざし、後ろを振り向いた。


「――っ!」


 目が眩んで足が止まったのが悪かった。振り向いた先、数センチのところに大剣の腹が迫っていた。

 咄嗟に体を横に倒しても遅い。二度目の衝撃が体を襲い、またも床を転がる。うつ伏せに倒れて、顔に太陽で熱せられた床が当たる。酷く熱い。

 手からモーゼル拳銃が弾かれて、武器喪失。これで残る武器はカランビットとバックアップのリボルバーだけだ。いよいよ追い詰められてきた。でも、諦めるつもりは無い。これでも自分は生き汚い方だ。

 可能な限り素早く立ち上がる。口の中に血の味が広がっている。いくらこの身体が吸血鬼でも自分の血を飲む気にはなれず、吐き捨てた。

 ケガは……ヒビの入ったアバラが完全に折れた。その上追加で骨数本にヒビ。内臓は無事。車にはねられたような感覚だった割に軽傷だ。まだ戦闘は可能と断じる。


 ここまでを体感時間十秒ほどで終わらせ、敵の姿を探す。反撃にしても回避、防御にしても敵を捉えないと始まらない。

 不意に太陽の陽が遮られた。床に落ちた影を見て、体ごと後ろに振り返る。目に捉えた狂戦士はすでに攻撃モーションだ。大剣を片手で持ち、大上段の構えから今まさに打ち落とさんとしていた。

 思考に許される時間はコンマ数秒。手持ちの武器で実現可能な手段を拾捨選択、検証の思考も挟まずに即座に実行!


 腰に手を伸ばし、カランビットの柄を握る。足を踏み出す先は前、打ち落とされる大剣へ身を乗り出すように踏み込んだ。

 後ろへ跳び退いても敵の突進力を考えると無理、左右にかわしても剣の軌道を曲げるくらいはしてきそうだ。ならば死中に活を求めて前へ踏み込むしかない。

 獣のアゴが閉じるように大剣が振り落とされる。懐に飛び込んで一刺し、は剣速が速くて出来ない。でも防御なら間に合う。

 重い金属音が鳴り、火花が散った。特大の重量物が身体にのしかかる。真っ二つにならなかったと言うことは、防御成功だ。


 振り落とされた大剣の根元部分に抜き出したカランビットの刃を当て、敵の刃を肩で担ぐようにして重量に耐える。ヒザを床に着け、上からかかる力に潰されないよう抵抗する。思わず口から漏れる息が詰まった。

 剣のような刃物は根元部分が一番攻撃力がない。そこを狙って刃を合わせれば重量のある大剣もカランビットで防げると踏んだが、賭に勝ったようだ。

 欲を言えば剣を持った手を狙って武器を落し、攻撃力を奪ってから止めを刺す流れにしたかった。けれどそれをするには狂戦士の剣速が余りにも速すぎた。


 こうして膠着状態が生まれた。剣を押し込んで切り捨てようとする狂戦士、剣を押し返して反撃に転じたい自分の力が均衡を生んでしまう。

 お互いの吐息がかかるぐらいの距離で睨み合う。血走った敵の目が間近にあって、吐く息の荒さに今更のように敵の生を実感した。こいつを殺さなければ自分の生は無い。

 こちらの分は悪い。押し込まれる力は化け物じみて、カランビットを握る手が肉に食い込む。刃が肩にも食い込み、鈍痛が走る。カランビットの刃にも食い込み、亀裂が入る。


「……ぐっ」


 生じた均衡は一分と持つか持たないか、稼いだ時間でどう逆転の手を掴んでいくかで思考が回る。考える、考える、考えるのを止めた時が死ぬ時だ。

 歯をかみ締めて押し付けられる大剣の重みに耐える目に、逆転の手が飛び込んできた。見えたのは屋上の床に転がったモーゼル拳銃。次に思い浮かべたのは、壱火の手を使わず銃を扱う手法。そのタネは『念動』による銃の遠隔操作だと教わった。

 彼女のように複数じゃなくていい、あの一挺だけだ。動けと力を込めて思念で命じた。


 ふわっと床からわずかに浮き上がる拳銃。後ろから狂戦士の背中に銃口が向けられた。狙いなんか付ける暇はない。完全なめくら撃ちで銃に撃発を命じた。

 破裂する火薬の音、弾倉に残っていた全弾を二秒で撃ち放つ。発砲の反動で銃は屋上から落ちて、敵には弾丸が数発当たる。着ている防具でダメージがどこまで通ったかは分からない。だが、体にかけられた重圧はなくなった。

 二度目の好機。今度こそ仕留めきる。


 大剣からカランビットを引き出し、一挙動で立ち上がる。この瞬間に手の内を動かす。カランビットのグリップから手を離し、リングに指をかけて半回転させ握り直す。これでグリップの分だけリーチが伸びた。

 狙うのは一箇所、後ろから虚を突かれて無防備をさらしている首。そこ目がけてカランビットを振るった。

 刃が風を切る鋭い音がして、目に映ったのは身を仰け反らせた敵の姿。首には赤い血のラインが引かれた。吹き出た血の量は微量、逆転の一閃は皮を切るだけに留まった。

 が、敵の体勢は完全に崩れた。この瞬間、こいつは全くの無防備だ。ここで最後の一手を打った。


 カランビットを振るった勢いのまま、刃を握っていない反対の手を狂戦士に突き出す。手には立ち上がる時にカランビットと一緒に抜き出した小型のリボルバーがあった。

 『S&W ボディガード』。手に収まる小型銃に.38口径弾が五発。主人の号令を待つ忠実な猟犬のように撃発の時を待っていた。

 対する敵の表情に変化は無い。驚愕に染まるでもなく、憎らしげに睨むでもなく、ただこちらを殺害する以外の意思を感じ取れない。他人の機微に何かと疎い自分が言えたものではないが、この敵は殺意以外の全部を無くしている。そう思えた。

 殺意だけの顔めがけて引き金を引いた。一気呵成に五発全弾、外しようのない至近距離、号令を出された猟犬は狙いを外さず全て敵に食らいついた。


 至近で撃ったせいで返り血が少しかかった。敵の体が後ろによろめくと同時に顔から血があふれ出て、血の匂いが広がる。

 戦闘の興奮もあってか、血の匂いに一瞬だけ陶然となった。花の香りを嗅ぐのとはまた違う、好物の珈琲の香りを楽しむような感じが近い。すぐに戦闘中だと正気づくが、一秒くらい時間が経ってしまった。普通だったら致命的な隙だ。

 この体の特性も良し悪しだ、と思いつつ自省は後回しにして戦果確認。今度こそ殺したと思うが相手はプレイヤーだと思わしき敵、どんな隠し球があるか分からない。

 現に普通なら脳幹辺りを破壊されて即死、その場で崩れ落ちているはずなのにヨロヨロと後ずさりをしている。


 顔を五発の弾丸で潰され、血塗れになりながら屋上の縁まで後退した狂戦士。ここからさらにまだ手があるのだろうか? それとも流石に逃げるのか?

 敵の動向に気を張って、手は手早くリボルバーの再装填を済ませていた。.38口径弾はバックアップ用なので弾薬はこれで最後だ。これで駄目なら逃げ出すつもりでいる。

 頭では敵の次の手を警戒して思考を回し、目は敵の動きを見逃さないよう見開いている。


「……あ……」


 敵の血塗れの口が開き、一言音を発した。口にも弾が当たったので歯は弾けてノドも破れている。空気が漏れる音も耳に入った。


「…あ、り……がとう……」


 ありがとう。およそ敵対する相手にかける言葉じゃない台詞を言った狂戦士。片目は弾丸で潰されたが、残った目はもう血走っていない。憑き物が落ちて嬉しそうに細めた目は、鈍い自分でも分かるほど安らいでいた。

 あれほどに感じた殺意はなくなって、狂戦士から狂気が抜けたように見える。もう彼はただの青年といった風だ。

 そして、彼の体はさらに一歩後ろに引いた。市庁舎の屋上に柵はない、縁から足を踏み外せば数十m下の地面まで一直線だ。いくらプレイヤーでも対策無しでは死ぬ高さだ。

 狂戦士だった彼の体は重力に引かれて、屋上から消えた。まるで舞台から奈落へと退場する俳優みたいだ。


 狂戦士の退場を見送った自分は、一気に押し寄せる疲労感に耐えなくてはいけなかった。

 ヒザが折れて床にへたり込みそうな体を叱咤し、武器を落としそうな手に活を入れる。まだ戦闘中だ。気を抜いたところを撃たれるなんてベタな展開は望んでいない。

 でもここまで色々と無視して押さえつけていた激痛もぶり返してきて、意思に反して体が床に転がった。

 受け身はとれたけど、勢いよく転がったので背中が痛い。息をする度に胸の辺りも痛む。アバラが本格的に拙いかもしれない。肺に刺さらなかっただけまだマシか。後、今気付いたがモーゼルのめくら撃ちが自分にも当たっている。右腕が痛むし、出血が心配だ。

 体のダメージをつらつらと考え、うんざりしてきた。これ以上戦うのは厳しいかもしれない。


「空が、青い」


 いつの間にか昼を過ぎたらしく、照りつける日は午後のもの。仰向けで見ている空は乾燥したこの地域らしい雲のない抜けるような青い空だ。

 痛いし、疲れているし、武器もほとんど無くなった。でも僕はまだ生きている。生きていこうと思える。最初の日にジンに言ったように生き抜く力はまだ充分に残っている。

 ただ、少し疲れていて異様に眠い。この眠気に逆らう気力はなく、素直に目蓋を閉じた。

 意識が眠りへと潜る。そよと吹く風が不思議なほど穏やかだった。




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