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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
3:10 to Yuma 邦題:3時10分、決断のとき
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11話 ルナ Ⅲ




 市庁舎のフロアの一つにストライフは佇んでいた。その目は狂気に濁り、体は地下からここまで斬り捨ててきたチームメンバー達の血で赤黒く染められている。

 彼は割れた窓から階下の様子を窺っている。彼自身の手で『斬り落とした』飛行艇から市庁舎へと跳び移ってきた侵入者、それに対応するべく動くメンバーの気配も察知していた。

 リーの手で理性を破壊されて狂乱に濁る思考は戦いのみを求めて動く。窓際から踵を返すと、さっそく下へと移動しようとした。


 それを阻むようにしてフロアに入ってきた数人のチームメンバー。

 彼らはしばらく行方不明だったリーダーが地下から現れたのを喜び、次に狂戦士となったストライフに誰彼構わず斬られて混乱し、どうにか反撃しようと体勢を整えたところにレジスタンスの反攻作戦が重なった不幸な経緯を持っていた。

 混乱の中で市庁舎にも侵入者、S・A・Sもいよいよ進退窮まっており、ストライフと対峙する彼らの顔にかつての余裕はない。


「やっぱリーダーイカれてやがる。おい、早いとこやっちまって逃げようぜ」

「侵入者はいいのかよ?」

「どうせこの街はおしまいだ。チームに義理立てする必要もないだろ、巻き上げた金を持ってずらかるのが一番賢い方法さ」


 やってきたメンバーは四人。彼らはチームの中堅どころで、同時にこの世界に転移してから一番野放図に動いたメンバーでもあった。前の生活がよほどストレスだったのか反動で思う存分人を殺し、犯し、奪ってきた連中だ。

 寄りかかる場所が無くなろうとしていると感じた彼らは、奪った金品を持って逃げようと考えていた。そのためには暴走するストライフの存在は邪魔になる。誰でも逃げる後ろから斬られたいと思わないだろう。

 後顧の憂いを断つため、四人はそれぞれ手にした銃をストライフに向けた。全ての銃は装填済み、後は指先ひとつで弾丸がバラ撒かれる。対してストライフは手にした血塗れの大剣をだらりと下げたまま。濁った目は茫洋と向けられる銃口を見ていた。


「おら、くたばれ!」


 かつてのリーダーに向けるものとは思えない言葉と一緒に弾丸が吐き出された。

 サブマシンガン二挺、ショットガン、バトルライフルの四つの銃口から撃ち出される銃弾は一秒未満で標的に到達してその肉体を引きちぎる予定だ。ただ予定は未定、狂乱に沈んでもストライフの技は健在だった。

 銃撃をする側の目には発砲した瞬間にその姿が霞のようにかき消え、それに驚いた時には仲間が一人殺されている。

 床が震える重い音と肉が潰れる音、その音源に彼らが目を向けると仲間の一人が振り下ろされた大剣で押し潰されミンチになっていた。その凄惨さに呆然としている間にさらに一人、横薙ぎに振るわれた鉄塊で体が上下に分断、床や壁が飛び散った血で赤く塗装される。

 生き残った二人は慌てて銃を向けようとするが、ストライフはどこまでも先手を取り続ける。分断した敵の体がまだ空中にある内に掴み、無造作に銃口を向けようとする一人に投げつけた。重量数十キロの肉の塊が狂戦士の容赦ない力で剛速球と化す。ぶつけられた相手は悲鳴も上げられずにフロアの壁に轟音とともに衝突して血のシミを部屋に増やした。


「ち、畜生!」


 最後の一人は悲鳴に似た叫びを上げ、ほとんど一瞬で行われた殺戮劇を理解出来ないままサブマシンガンの引き金を引く。

 軽快に作動する銃から撃ち出される銃弾。ストライフは素早く横方向にランダムにステップを踏んで回避、的を絞らせない。程なくサブマシンガンの銃声が止んだ。

 弾切れ。高い連射速度をもった銃ほど弾薬はすぐに使い切ってしまう。思考の濁っているストライフがそれを狙ったか怪しいものだが、やってきた好機を彼は見逃さなかった。

 横方向のランダムステップは間合いを一息で詰める縦の動きに変わり、絶望的な顔をした敵の体に大剣の切っ先がねじ込まれた。防具で守っているはずの体を剣はやすやすと貫通、血と臓物は撒き散らされ死体が増える結末となった。


「――――」


 床に転がる死体をストライフは感情がなくなった目で見下ろす。ここまでリーの手によって肉体改造を施された彼の精神は完全に破壊されている。人らしい感情は死んで、ただただ闘争本能に動かされ目の前の対象を攻撃し続けるだけの機械に成り果てていた。

 リーが彼に望んだのは攪乱と陽動を兼ねたバーサーカーだ。用済みになった相手を狂戦士にして場に解き放ち、その間に自身は逃げおおせる。人を人と思わない非道な処置である。


 階下から爆音と軽い揺れが起こり、銃声と悲鳴がストライフの耳に入る。ゆらりと体を揺らし、彼は最初の予定通りに下へと足を向けた。

 彼に残された闘争本能のセンサー、それにかかった相手の所へ向う。そうすれば『終わる』ことが出来ると感じたから。



 ◆



 この日一番の不幸を被っているのは言うまでもなくチーム『S・A・S』のメンバー達だった。

 不幸の内容は単純だ。ここまで野放図に暴れて好き勝手していた毎日が唐突に終わってしまっただけ、正しく因果応報としか言い様がないものだった。

 サブリーダー・リーの指示で迎撃の体勢だけは出来ていたが、基本的に素人集団のチームが緊張感を維持できるはずがなかった。すぐに緊張の糸は切れて、元の無法状態に戻っていた。

 彼らはその日もいつものように略奪品で飲み食いし、街からさらってきた女性を犯すという山賊のような日常を送っていた。女性陣も略奪品の貴金属や化粧品に夢中で肉欲もそれなりに満たし、その享楽度合は男性陣と大差ない。

 市庁舎は彼らのねぐらの一つ。ひとしきり騒いだ後の朝もあって彼らは微睡んでいた。そこを首長国の軍隊とレジスタンスの一大反攻である。メンバー達にしてみるとたまったものではない。

 下では帝国軍が右往左往に騒ぎ立て、街のあちこちでは転移初日以上の爆音と銃声が響き、仲間からの念会話は悲鳴ばかり。その上指示を出すはずのリーダーは不在とくる。ここまで一方的な殺戮の経験はあっても、戦闘の経験は浅い彼らにとって混乱するには充分な状況だった。


 街のあちこちから仲間の悲鳴が念会話で聞こえる中とりあえずねぐらの市庁舎を守ろうとするが、狂戦士化したリーダー・ストライフという新しい不幸に見舞われる羽目になった。

 暴れ回るストライフにチームメンバーは最後まで付き合う義理はない。我先にと逃げ出すメンバーが続出した。だが、周辺の事態は彼らが逃げ出すにはすでに遅すぎた。

 侵入者。墜落する飛行艇から市庁舎へダイブなどとアクション映画ばりのシーンを目撃した人間は実は結構な数いた。下にいた帝国軍と上にいたS・A・S、どちらの思惑であっても自分達の領域に突貫してくる人間は排除すべき敵だと認識されるのは当然の結果だった。

 帝国軍は階下から上へ、背後を突かれないよう兵を送る。S・A・Sは逃げるのに邪魔になりそうだと考えたチーム内のメンバーの一部が下へと向う。両者が顔を合せたフロアが侵入者の突入してきた地点だった。


 ジアトー占拠からずっとお互い無視し合ってきた帝国軍とS・A・S。こんな時でも両者は最低限の言葉以外は口にせず、まとまって侵入者に対するという発想は出てこない。

 動きは素人でも強烈な能力を持っているS・A・Sメンバー、個々の能力は低くても訓練を受けて一定以上の練度をもった帝国軍、連携できれば強力な集団になれるはずだが、それぞれ持っている自尊心がそうさせなかった。敵対こそなかったが、内心相手の事を軽蔑し合っていたのだ。

 こんなヤバイ場面でもそんな内情をさらけ出している有様。チーム『S・A・S』では珍しくなった女性メンバーの一人、キャロルは両陣営のそんな内心が透けて見える光景に溜息をついた。


「どうした、溜息なんて吐いて。つーか、そんな暇があったら備えろよ」

「もう備えている。溜息の方は見ていなかったことにしなさいよ。それより、侵入者がいるのはここで間違いないの?」

「あの派手な突入を見た奴がここだって言っていたぞ。出てきた様子もないしまだ中にいるんだろ」

「ふーん」


 フロアの長い廊下、侵入者がいると思われる部屋を前にしてチームメイトとお喋りをしながら手にした短槍を手慰みにもてあそぶキャロル。

 短い槍と言っても一六〇センチはある彼女の身長と同じ長さはあって、横幅の狭い廊下で振り回すのは本来なら迷惑行為だ。けれど、チームのメンバー達に振り回した槍に当たる間抜けはいないので問題とされていない。

 チーム内での接近戦闘能力が上位と位置づけられ、時折臨時で作られる班の班長を任される彼女はこの時もリーダー役になっていた。逃げ道確保のために侵入者を排除しようと彼女を含め五人のメンツがここに送られてきていた。対して背後の守りのために帝国軍からは一個分隊、十人の兵が送られてきていた。

 フロアの狭い廊下に十五人の人間が息を潜めいている様は傍から見ればさぞかし滑稽だろう。そんな他人事のような考えが浮かんだキャロルは少し可笑しくなって笑いを堪えた。

 とりあえず少し笑えたおかげで憂鬱な気分が晴れた。逃げ道確保のために一働きしようかと思っていると、帝国軍の方が先に動きを見せた。

 彼らはいかにも訓練を受けたプロっぽい動きで銃を構えて部屋の扉の前に陣取る。一番前にいる兵士の手には柄付きの手榴弾。扉を破って手榴弾を放り込み、反撃する余地を与えずに突入して制圧といった流れなのだろう。何度かレジスタンスの拠点を潰す作戦に帝国兵と一緒に行動した経験があるキャロルはそうあたりをつけた。


「こっちは帝国兵の連中が突入するのを見てからにしようか。変に張り切ってケガをするのも馬鹿らしいし」

「だな。んじゃ、あいつらの頑張りに期待するか」


 帝国兵に突入は任せ、こちらは後詰めでもやっていれば良し。キャロルはその様子を見てそんな判断を下した。

 もともと逃げ道確保のための保険的行動、ケガや人死には馬鹿らしい。自らの欲求に忠実過ぎるチームだからこそ我が身はかわいいのだ。他のメンバーからも異論は出なかった。

 程なく扉の前に陣取った兵士が前蹴りで豪快にドアを蹴破って、別の兵士が手にした手榴弾を投げ込もうと腕を振りかぶる。

 彼らの突入プロセスが崩れたのはこの直後だった。蹴破られたドアの向こうから爆風が飛んできて、扉の前の二人を吹き飛ばしてしまった。さらに兵士の手にあった手榴弾も床に転がり落ちて、近くにいた人間は帝国軍、S・A・S関係なく逃げ出す。

 床に落ちた手榴弾が爆発、さらにドアの向こうから今度は濃厚な白い煙が出てきた。こちらの目をふさぐ濃厚な煙幕、煙に巻かれた兵士が混乱した声を上げる。

 突入してきた侵入者は相当戦い慣れた奴だとキャロルは直感した。


「これはマズイね。煙に巻かれない内に逃げようよ――って、みんな!?」

「わりぃ、爆弾から逃げていたら巻き込まれた。キャロル、どこだ」


 気が付けば彼女の仲間も煙に巻かれていた。手榴弾の爆発で慌てていたのがまずかったらしい。


「仕方ないなぁ、声のする方に歩いてきて。こっちはまだ煙きてないから」

「おう……おげっ!」

「ニッパ? どうしたの?」


 煙の向こう、仲間の男性が奇声を上げて直後に床に倒れるような音がした。呼びかけても返答はない。それどころか奇声と悲鳴は煙の中から連続して聞こえ、さらには銃声まで。室内での銃声はよく響き、キャロルは銃声に押さえつけられるように素早く床へ身を伏せた。

 銃声で混乱した兵士がサブマシンガンでも乱射したのか、連続して銃声が鳴って床や壁に次々と弾痕を作る。それを別の銃声が一発で黙らせ、金属が擦れる音を煙の向こうで響かせる。

 床に伏せつつ短槍を体に引き寄せたキャロルは敵の武装を推測する。銃声が無いときも悲鳴が上がっているからナイフとかも持っているかも。接近戦を得手とする彼女が必殺を期するならチャンスはそこだろう。

 煙の向こうから漂う臭いに硝煙と血の臭いが混じってきた。どのくらいの時間が経ったのか、しばらくすると悲鳴と奇声は聞こえなくなって銃声も止んだ。

 十人以上いた面子がもうやられた。煙の向こう側はまだ窺い知れないけど、こういう時の己の直感はキャロルは信じている。そして次は自分だ。

 やらなければやられる。彼女の手が槍の柄を強く握った。


 床を踏む小さい音。軽く、そして足音を極力殺そうとしているのが分かる足音だ。煙の向こうからまず現れたのは音源たる足。編み上げの黒く無骨なブーツが静かに床に着くのが見え、そこから脚全体、下肢、上半身と煙の向こうから姿が現れた。

 黒い少女。キャロルが思った第一印象は見たままの感想だった。黒いブーツにソックス、小柄な体を包むワンピースまで黒く、髪も黒い。ジャケットが例外的に茶色だけど、それが黒の印象を強めていた。

 手には長物。西部劇で見るような古めかしいデザインの銃だが、銃器知識に乏しいキャロルにはどんな銃かは分からない。けれどどんな銃でも間合いをどうにかしないといけないのは変わらない。お互いの距離を測り、上手く間合いを喰って槍を突き入れてやる。

 彼女は体を若干持ち上げ、伏せた姿勢から槍を片手に手足を折り畳む。その姿は人と言うより四本脚の獣のそれだ。四肢をたわませすぐにでも飛びかかれる姿勢になっていた。


 一歩、黒い少女が足を踏み出したのがキャロルにとっての号砲だった。たわめた四肢を弾ませ、一〇mはあった距離を一息、二息で詰める。

 かつての世界では考えられない脚力が生み出す爆発的ロケットダッシュ。敵の視界にはコマ落しのように見えてしまう神速の踏み込みが彼女の武器だ。

 例え銃器で武装しても所詮直線的な攻撃しか出来ないのが銃弾、速さで相手の反応を上回ればいくらでも対処できる。槍の間合いに入れば勝ち、キャロルはそう確信していた。

 この世界でやっていくには確信が必要だと彼女は信奉している。元の世界では出来ないあれこれがこちらの世界では可能になる。これまでの常識を超えた身体能力、異世界法則そのものの魔法、それらを飲み込むには確信が必要とされ飲み込めない人間から死んでいく。鉄火場を経験したキャロルにとって確信は生きるための必須スキルだった。

 瞬きすら許さない瞬時の踏み込みで槍の間合いに入った。上体を起こし、槍を持つ手が後ろへと引き絞られる。期するは最速で最短距離の刺突、それも頭、胸、腹を狙った全弾必殺の三連刺突だ。


「――シャっ!」


 鋭い吐息と共に槍を繰り出す。黒い少女はまだ銃を片手に棒立ち、ったとキャロルは確信した。

 その確信が裏切られたのは槍が金属音を立てて少女から逸れた時だ。手に返ってきた妙な手応えと一緒に槍の軌道が狙いから逸れて矛先が虚空を突いた。

 どんなに速い連続刺突でも最初の一撃はただの突きでしかない。黒い少女は二歩目を踏み出すと同時に、手にした銃を剣のように振って突き出された槍を捌く。キャロルはすぐさま槍を引き戻すなり横に薙ぎ払うなりすれば対処できただろうが、敵は対応する時間を与えてはくれなかった。

 槍の刺突を捌かれたキャロルが懐に入り込まれたのを自覚したのはこの段階だった。しかしすでにどんな対応も間に合わない。黒い少女は三歩目を踏み出し、同時に銃を持った手とは反対の手が彼女へ向けて繰り出された。

 空いていた手には黒い大型拳銃が手品のように握られている。鋭さはないが獲物に忍び寄る蛇のような滑らかさで、銃はキャロルのアゴの下にそっと押し当てられた。


「……っ」


 硬く冷たい感触に思わず息を飲んだ。余りにもあっけなくやって来た死の予感にキャロルはどんな反応をすれば良いのか分からなかった。

 今まで敵に与えてきた死、それが己に降ってきた時なんて彼女は考えることも無かった。確信は砕け、経験は反映されず、思考は空回り。

 黒い少女と目が合った。その金色の瞳は宝石のように硬質で、どこまでも冷ややかにキャロルを見据えている。それは美しいと思えるほど。


 ――あ、キレ……


 綺麗と脳から思考が浮かぶ前に銃弾は無慈悲に撃ち込まれる。痛いとも熱いとも感じる前に、テレビのスイッチを切るよりもあっさりとキャロルの意識は永遠に消え去った。

 こうしてジアトーの戦いでの戦死者がまた一人増えた。だが、この大きな行為の前には人一人の命は所詮数字でしかない。



 ◆◆



 槍を振るってきた女性を始末し終え、崩れ落ちる敵の体から視線を切ると周囲の確認。同時に手は拳銃をホルスターにしまい、空になったショットガンに弾を込めていく。

 装弾数の五発が詰め終わったところで、薄れてきた煙幕の向こうからジンの姿が現れる。黒ヒョウの毛皮と触腕に返り血を浴びているが、本人にケガはない様子だ。


「ケガは?」

「無い。戦闘に支障もない。主、ここからどうする?」

「下に降りて帝国軍に抵抗している連中と合流する」


 レバーを前後に。金属の擦過音がしてショットシェルが薬室に入るのが感触として分かる。

 図らずも敵の拠点に突入してしまったが、もちろん単独で制圧なんて映画の中だけの話だ。早々に脱出して首長国の軍か、味方陣営のプレイヤーと合流するのが正解。さっそく移動を開始する、その前に忘れ物を回収だ。

 薄れた煙幕の中、床に十数人分の敵の死体が転がっている。自分とジンとで殺した結果だ。その内の一つに歩み寄る。プレイヤーらしく自己主張が激しい服装の青年の額にはトレンチナイフが深く突き刺さっていた。

 煙幕の中の戦闘で自分が咄嗟に投げつけたものだ。せいぜい牽制程度になればと思っての行動だったが、まさか頭に突き刺さるとは。そのせいで最後の敵を仕留めるのに弾薬を使ってしまった。ライフル弾と同様に拳銃弾も残り弾数が気になる頃合いだというのに。

 ナックルダスター状の柄を掴んで敵の死体から引っこ抜き、付いた血は敵の服で拭って鞘に入れる。時間が無いので点検は後回しだ。


「……う、うぅ……」

「……」


 息のある人がいた。しまったばかりのモーゼル拳銃を再度抜き出し、その敵に向ける。


「……た、たすけ――」


 みなまで言わせず引き金を二回引いて止めを刺した。敵の体を見れば散弾を胸に受けていて、致命傷なのが分かる。だがプレイヤーに限らず人間は意外と死ににくい。思わぬ反撃を受けないよう確実に無力化しないと駄目だ。

 作業のように――事実作業でしかない――息のあった敵に止めを刺し終え、他にそんな敵がいないか確認。ついでに敵が持っていた手榴弾を使って嫌がらせのトラップを手早く仕込むとした。

 敵が持っていた手榴弾のピンを抜き、レバーが外れないように慎重に敵の死体と床の間に差し込んだ。こうすればやって来た敵が戦死者を確認しようと死体を動かし、弾みでレバーが外れた手榴弾が敵の前に転がり出る寸法になっている。世界大戦の頃から行われている古典的ブービートラップだ。

 他にも三つほど仕込み、ふと時刻が気になって懐中時計を取り出して確認する。時計の針はお昼頃を指していた。道理で空腹を覚えるわけだ。


「ジン、安全な場所を確保したい。カロリーの補給が必要だ」

「承知した。といっても、今居るこのフロアがしばしの安全地帯のようだ。上からも下からも人が来る様子はない。もう五分程度は人は来ないな」

「分かった、じゃあここでブレイクタイム」


 ブレイクタイム宣言して壁に背中を預けて大きく息を吐いた。床の死体からは血臭と一緒にすでに軽く腐敗臭までしてくる。煙幕を張るのに魔法を使って良かったと思う。そうでなければ焚いた煙幕の臭いまでこれに混じるのだから。

 腰のバッグからブロック型の携帯糧食を取り出して包装を口で破る。チーズ味特有の匂いが至近距離で鼻をくすぐる。


「ほら、ジンも」

「感謝。ありがたく頂戴する」


 ジンの口にブロックを一個入れてあげ自分の分に齧りつく。周囲に警戒の目を向けて、銃を片手に携帯糧食でランチタイム。今なら床に出来たての死体がオプションで付いてくる。いやはや、殺伐さも極まったものだ。

 もそもそと咀嚼して、口の中が乾いたら水筒に詰めた水を飲む。包装二個目を破り、またジンに一個自分に一個。腹は膨れないけど活動に必要なカロリーだけはこれで補給できただろう。

 包装を握り潰して行儀悪くポイ捨て。余分なゴミは持ちたくない自分は空薬莢も放置している上にこれだ。我ながらこちらに来てからマナーが悪くなったな。

 ちょうど良いタイミングで視界が完全に晴れて、煙幕の濃霧は破られた窓の向こう側。敵影は無いが時間の問題だろう。補給兼休憩終了。移動はすみやかに行われるべき。


「行こう」

「承知」


 お互い言葉少なく行動を再開した。ジンを前衛にして自分は後衛。まずは下のフロアへ行くため階段を目指す。

 探すまでもなく廊下の半ばに建物を上下に貫く階段があった。折り返し階段が上から下へ。市庁舎らしく清潔感ある鋼材の手すりは自分が突入してきたせいで煤けていた。

 そして聞こえてくる足音は上下両方からだ。プロの軍隊らしく下から来る帝国兵の方が若干早くこちらに辿り着きそうだ。対して上から来るS・A・Sの連中は足音の他にも無駄口が多く、色々と喚く声が階段一帯に響いている。戦闘力は脅威的でも中身はまだまだ素人、帝国軍と比べてとっさの対応に差が出ていた。

 トラップを仕掛けるなら相手に合わせたものが良いだろう。


『ジン、少し下に行ってマイン・スペルを幾つか仕掛けて欲しい。こっちは上に行って別口の罠を仕掛けてくる』

『合流は?』

『この階で。後でエレベーターと非常階段に向う』


 ジンを下に行かせて魔法の罠を張り、自分は上で物理的で古典的な罠を仕掛ける。それぞれ敵が察知しにくいだろう罠を仕掛けて足を鈍らせるのが目的だ。

 手短に念会話でやり取りを済ませ、自分は上にジンは下へ静かに駆け出した。こういうときジンの存在がありがたく感じる。こちらの意図をある程度汲み取ってくれる個人は、意思疎通できない集団よりもよっぽど有用だ。

 上の連中はまだ数階上らしい。三階ほど上がって、踊り場付近の足元に注意が向かないところにまず一個。手榴弾とテグスでやる簡単な代物だ。同じ物を今度は階段の折り返し部分の上の空間に設置する。平均的身長を持った人間なら額の辺りにラインが引っかかる。一個目で足元に意識を集中させ、二個目で上にも意識を持っていかせ、さらに三個目は魔法のマイン・スペルを壁に設置。下、上と来て横の作戦だ。

 S・A・Sの連中はあと二フロアといったところまで来ている。ドタバタと騒がしいので非常に分かりやすい。もうワンセット設置したいけど時間が無い。これでも充分出鼻はくじけるので良しとした。

 素早く静かに元のフロアに戻る。ちょうど下からジンも戻って来たので、そのままの勢いで今度はエレベーターのところまで向う。


『首尾は?』

『二つ下の踊り場、一つ下の踊り場近辺にマイン・スペルを各二つ』

『分かった、今度はエレベーターを制圧』


 走りながらジンの報告を聞いて内心苦笑した。自分と似たような罠の仕掛け方をするからだ。主従は似ると聞くが、こんなところまで似るものとは。

 階段から走って三十秒、フロアの端にあるエレベーターホールに到着。エレベーターは二基、扉の上にある階数表示には何者かが上がってくる様子があった。

 下へ行くボタンを押して、準備にとりかかる。エレベーターの速度を考えると制限時間は一分とない。ジンに簡単に作戦を説明して配置につかせ、自分も準備に取りかかる。

 この時、階段のある方向から爆発と振動が伝わってきた。さっそく誰かがトラップにかかったらしい。


「と、なるとますます時間がない」


 独り言をつぶやきつつ、エレベーターの扉に手をかけて上によじ登る。幸いにして突起物が多いデザインなので階数表示板の上に足を乗せられた。ただ、ショットガンは振り回せないのでモーゼル拳銃に持ち替えた。

 ジンはエレベーターの扉正面、置かれたオブジェに身を潜める。これで準備終了、エレベーターの到着を告げるベルが鳴って扉が開いた。


『標的は帝国兵、数は四』

『うん、最初はこちらが仕掛けるから止めを』

『承知』


 正面に隠れるジンから敵数を報告してもらう。充分対応できる数だ。真下にあるエレベーターから慎重な足取りで帝国兵が小銃やサブマシンガンを手に降りてきた。四方を警戒しているが、その顔も銃口もこちらを向いていない。好機。

 両手に持った二挺の拳銃が標的を捉えて銃弾を吐いた。左右各五発撃ったところで帝国兵は全員床に崩れ落ちる。物影からジンが出てきて、打ち合わせ通りに息のある敵に触腕で止めを刺した。

 床に降りた自分もすぐさま次の作業に移る。階段ではまたも爆発音が聞こえてきた。許された時間は残り少ない。


 倒した敵の死体をエレベーターの中へ戻し、ついでにさっきやった手榴弾でのブービートラップを仕掛ける。出来ればもう少し威力のある爆薬が欲しいところだが仕方ない。最後に行き先ボタンで一階を押して、死体を乗せたエレベーターを下へと向わせた。

 見届け終わったところでエレベーターホールの横にある扉に向う。表示板には『非常階段』とある。使い古された手だけど、脱出の本命はこちらだ。

 自分がどこにいるのか分からない様トラップで攪乱し、敵が右往左往している間に本人はすたこらと逃げていく。説明だけなら簡単だけど仕掛けられる方は大変だし、仕掛ける方も忙しくて大変な策だったりするのだ。

 扉の向こうに敵はいないと確認してから非常階段に出て、まずは数階上に上がって、そこでもう一基のエレベーターを拾って下へ、一階手前の階で降りて後は窓から飛び降りるなりすれば良い。これが一応のプランだ。


 フロア内にあった階段と違い、サビの目立つ鋼材の階段を駆け上がって四階ほど上へ。非常階段に敵はなかったが、警戒を怠ることなく扉を開けて足を踏み入れた。

 扉を開けた途端、むわりと重い空気の壁が襲ってきた。いや、匂いの塊が鼻腔を殴りつけるように刺激したのだ。もう何度も嗅いで馴染んだ匂いだ。濃厚な血の臭いがこのフロアに漂っている。

 床には手足が不揃いのバラバラ死体が幾つも血の海に浮かんでいる。どう見ても凄惨な殺人現場でしかない。


『主、言う必要はないでしょうが警戒を』

『ああ』


 このまま回れ右して非常階段に引き返し、別のフロアから侵入した方が良いか? という考えが浮かぶけど……それを実行するには少し遅かったようだ。

 まず廊下に現れたのは血塗れの巨大な剣身。そしてその持ち主も血塗れで部屋から廊下に出てきた。長身で金髪の男性。端正な容姿に涼しげな目元もあって美男といっていい人物だったのだろう。過去形で語るのは今はそれが全部台無しになっているからだ。

 長身は猫背になって丸まり、金髪はくすんでざんばら、目はどう見ても正気じゃないし、口からはヨダレまで垂らしている。正気を失った獣、そう表現するべき人物が目の前に現れたのだ。


「話が通じる相手に見えないな」


 目が合っても自分の姿が見えているのか疑問なくらい茫洋としている目つきだ。ショットガンの銃口を向けても敵意とか恐怖とかが感じられない。

 この手のビルは各フロアの構造は基本的に一緒だ。下で非常階段近くにエレベーターがあれば上でも同じ、すぐ近くにエレベーターホールがある。だが果たして目の前の狂人はこちらを見逃してくれるだろうか? ちなみに非常階段へ行こうと背中を向けるのはもっと駄目。獣は背中を見せた獲物に飛びかかるだろう。

 銃を構えたまま数歩エレベーターの方向へ歩く。男の目はこちらを追って、ゆっくりを首を巡らす。場の雰囲気は猛獣に遭遇したハンターといったところだ。

 けれど襲い来る様子はなくエレベーターの扉の前に着いて、もしかしたらこのまま逃げられる? と思ったが甘い認識だった。

 唐突に口を大きく開いて息を吸った獣は、


「―――――っっ!!」


 フロア中に響く咆吼を上げて跳躍、一足跳びで襲いかかって来た。


「やはりこうなったか!」


 躊躇なくウィンチェスターの引き金を引いて発砲。発砲炎が吹き出してダブルオーバックの散弾が男に向って飛び出す。

 これがジアトーの戦いにおける自分の最後の戦闘、その第一射だった。




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