4話 ライア×ストライフ
太陽が西の空へ沈んでいく。ジアトーの深い入り江の水面に夕日が反射して、ここからだと街全体が輝いて見える。燃えるような綺麗な日暮れだ。
こんな思わずため息を吐いてしまいそうな風景を目にしていながら、私の心は素直に夕焼けを楽しめない。この街が置かれている状況もそうだけど、それよりも深く思い煩う出来事が私の胸のうちを焦燥感で一杯にしている。
明日の朝には未来を賭けた決戦が始まるというのに、私――ライアはいまだに身の内に抱える悩みに苦しんでいた。
「おい、弾薬の数が合わないぞ。.30口径のライフル弾が十ケースも足りない」
「えーっと……あ、ほんとだ」
「あ、ほんとだ、じゃないっ! 戦闘中に弾切れなんて笑えないにも程があるぞ。その十ケース分が足りないばかりに全滅なんてのも有り得るんだからな。もう少し緊張感持ってくれ、明日なんだぞ明日」
「うーい、じゃあ足りない分を帝国軍の物資集積所からちょっぱって来まーす」
「……静かにやる分には好きにしろ。あ、でも盗んでくるなら機関銃も頼めないか? 制圧火力は幾つあっても足りないくらいだからな」
『ライア』の持つ性能の良い耳が下の会話を拾い上げる。これは補給部隊の人達の声だ。決戦を前に方々から武器弾薬をかき集めるよう指令を出したけど、まさか決戦前日にも帝国軍から略奪をするとは。
行き当たりばったり、ほとんど勢いだけの内情に頭が痛くなる。
ま、まあ、帝国には何時もの略奪、盗みと思わせて油断させられるかもしれない。どうにかなるよね。
「やっぱりナイフは良いよね、ナイフは。ってことで、素敵なナイフくださいなっと」
「待て、それは俺の……」
「お前の物はオレの物、オレの物はオレの物、そんな言葉が君達にはあったよね。素敵過ぎな名言だ」
「それなんてジャイアニズムだよっ」
別の会話も聞こえる。同じ方向からは追いかけっこでもしているようなバタバタした足音が耳に入ってくる。
先日水鈴とマサヨシ君が物資調達から戻ってきた時、一緒に付いて来た現地人の青年の声だ。アルフレッドと言う名前の彼は、自らを殺人鬼と言い出し、さらにはレジスタンスに参加させてくれと言ってきた。
猫の手でも借りたいから多少エキセントトリックな人物でも構わないと参加させたけど、下の様子を聞くに早まったかもしれない。
「だから作戦までは待機だって。そう、スナイパーストリートは本日休業、誰も撃つな。……一発だけなら誤射? よし、お前明日激戦区に放り込む」
連絡役の人が通話機に向かって話している声も拾えた。相手は街中に散らばって抵抗運動として帝国兵を狙撃しているスナイパーの一人だろう。聞く限り、通話相手はかなりの撃ちたがりみたいだ。誰だろう、ウチにそんなトリガーハッピーな人がいたっけ?
すぐには顔が思い浮かばない位にこのチーム『幻獣楽団』の規模は大きくなった。そして私はそれだけの人数を率いる責任を負った。皆が安心して暮らせる場所を作るという願いのために。
だから事態がここまで進んでいるなら、私一人が悩んでいても関係は無い。関係なくイベントは進行していって、弟と対決してしまう。それが私の誰にも言えない悩みだ。
「ストライフ、楽団の敵対チーム『S・A・S』のチームリーダー。ゲーム時代から知ってはいたけど、まさか宏明だったなんてね。どれだけ皮肉なのよ」
夕日を眺めながら確認の意味で独りつぶやいた。何故か出てくる笑い声は乾ききっている。こんな気分じゃあせっかくの綺麗な夕焼けも台無しだ。
このジアトーの街に北方の敵対国家、アードラーライヒ帝国を呼び込んで街を占領させ、その占領下で好き勝手に暴れる暴徒集団筆頭のようなチーム。激動の時勢にあって安息を求めるのではなく、さらなる動乱を求める連中。それが楽団のメンバーの大半がS・A・Sというチームに持っている印象だった。
明日の戦いでは帝国軍よりも警戒するべき相手だとして、作戦会議にも取り上げられた。実際、あのチームの大多数が上級プレイヤーだった人達だ。個々の戦闘能力では楽団よりも高いのは間違いない。個人戦に持ち込まれたら圧倒的に不利だろう。
その危険で強いチームを率いるリーダーがストライフ、私の弟の宏明だ。
こちらの世界に転移して体が変わっても基本的な顔立ち、雰囲気、その人がその人だというベーシックな部分は変わっていない。家族や親しい友達、恋人ぐらいに身近な人ならきっと認識できるくらいに印象が濃く残っている。それが私達の今の肉体だ。
だからこちらの世界でストライフを初めて見たときから確信していた。その後も暇を見つけて調べていけば、その度に彼が私の弟だと確信は深まるばかり。
この確信はまだ誰にも打ち明けていない。まさか敵対チームのリーダーが、自分達のリーダーの弟だなんて言えるはずもない。間違いなく士気に関わる大問題に発展する。決戦を明日に控えているなら尚更だ。
チームのメンバーを騙しているような罪悪感。明日には宏明と戦うかもしれない恐怖。だというのに何も打てる手が無い焦燥感。私の胸の裡はそんな気持ちに嬲られていた。
こんな風に宏明の事が頭から離れずにあれこれと思い悩んでいたのを人に見られ、疲れているからだと勘違いされてしまい、今日はゆっくりと休んで欲しいと何人ものメンバーからお願いされているのが現在の私だった。
幻獣楽団は戦力を増強させている。頭も手足も足りていてもう私がいなくても充分回るくらいに人が足りている。こうなると私の役割は単純な旗振り役、周りががんばったお陰で今日のスケジュールは真っ白に空いていた。みんな私に仕事をさせないつもりだ。
「でもそうね。こんな状態じゃ明日に差し障るし、打てる手がないなら皆の言葉に甘えるのもアリか」
こっちに来て以来、数え切れない程に吐いた深い溜息をまた一度吐いた。もうすっかりクセになってしまったみたい。ゆっくり休めと言われたけどこの場所、ジアトー港湾部にある工場の中では中々落ち着けるものじゃない。
ジアトーの周辺は乾燥した荒野がある一方で少し足を伸ばせば豊富な木材が取れる山林も点在している。その木材を使った製紙業もジアトーの産業の一つだった。ここはそんな製紙工場の一つだ。
暴動と帝国の占領で設備を動かす人が逃げ出してしまい操業は停止。無人で放棄されていたこの工場を楽団が拠点として使っている。
大型の設備には武器弾薬を隠せるし、社員食堂や休憩所、医務室に応接間もあって大人数が寝起きする事も出来た。それでもやはり元は工場、大型の各種作業機械などが立ち並ぶ環境はそこに居る人の心を圧迫する。
でもそれで良い。完全に休むと間違いなく緊張の糸が切れてしまいそれこそ明日に差し障る。
緊張を保ちながら身体を休める。そんな器用な真似を模索した結果が今のボーっと夕日を見ている私だった。
工場の屋上で柵に頬杖をついて沈む夕日を眺める。西日はいよいよ空の向こうへ沈もうとしていて、残照で空は一層赤く照らされる。
太陽を人の一生に例える考えがふと頭に浮かぶ。太陽がもっとも印象的に見えるのは、一日の始まりの日の出――誕生――と、一日の終わりの日の入り――死――だと思う。どんな凡人も偉人もその生まれと死は周囲の人の記憶に深く刻まれる。
そうなると、明日はどれほどの数の日没を見送らなくてはいけないのだろうか。
太陽が沈みきり、残照も消え、夜の帳が下りる。日本の空よりも良く見える星の数々。それが私の目には眩しく感じられた。
◆
夜になってもジアトーの市庁舎から人気が無くなることは無い。帝国軍侵攻部隊の暫定的な指令本部が置かれているこの建物は昼夜を問わず人が出入りしていて、屋上に設置されたサーチライトが夜の暗さを切り裂くように右へ左へと光を投げていた。
元々からして街の行政の中心であるため通信や交通の利便性は高く、居を構えた帝国軍の後方部隊にとっては快適な環境だった。
市民が訪れていた受付ホールには軍服を着た帝国軍人が行き交って、最前線の兵達に命令の伝達と補給物資の輸送、さらには占領地であるこの街を一日も早く掌握しようと躍起になっていた。
彼らの顔色はハッキリ言って相当に悪い。徹夜三日目の曹長がデスクにかじりついている隣では、レジスタンスの狙撃に遭って腕を負傷したまま事務仕事をしている兵長がいるなど、ホールに詰めている軍人たちのほとんどが疲労と負傷でダウン寸前だった。
もう一介の兵士だって理解している。帝国の今回の侵攻は失敗、自分たちはもうすぐ負けるのだと。
それでも現場を投げ出さずに仕事をこなす兵士達。彼らには彼らなりのプロフィッショナルとしてのプライドがあった。
兵士達がそれぞれの役目をこなそうと邁進している市庁舎。その地下二階を進む人物が居た。
帝国の軍服を着こなしているが、彼は軍人ではない。帝国軍に協力している軍属としての立場を持ち、その証拠に軍服の襟にある階級章は無く、左腕には軍属を示す腕章が巻かれている。腕章は赤地に白く『S・A・S』と書かれていた。
地下を規則正しい歩調で歩く軍属の人間。チーム『S・A・S』のサブリーダー、リーである。
軍帽の下にある細い目が捉えるのは歩く先にある一枚の扉。プレートには倉庫としか表示されていないが、ここは昨日から別の役目を持つ部屋になっていた。
扉の前に立ったリーは一度周囲を確認するように後ろを振り返った。
昼夜問わずに市庁舎を出入りして動く帝国軍だったが流石にここまで人が詰めているはずもなく、ガランとした人気の無い廊下が電灯に照らされているだけだ。
ここに帝国軍がやって来たのは侵攻時の一回だけ。何も無いフロアだと分かるとそれ以降は完全に放置していた。リーもそれを良く承知していたけど、今は少し事情が変わっている。用心するのにやり過ぎは無い。
完全に人気が無いのを確認したリーはさっそく扉を開けにかかった。金属製の観音開きの重い扉、手をかける左右の取っ手には鎖が何重にも巻かれた上に丈夫な鍵までかけられている。これは外からの侵入より、中からの脱出を阻むためだ。
鍵を外して巻かれた鎖を解いて床に捨てる。鎖が擦れ合う音が無人の廊下の隅々まで響くが、一階にいる帝国軍兵士達の耳にまでは届かない。リーはそれを考えた上でこんな場所を選んでいるからだ。
鍵も鎖も外した扉に手をかけて押し開く。錆びた蝶番が悲鳴のような不快な音を立てて扉が開けば、部屋の中は真っ暗だった。
廊下からの明かりを頼りに部屋の電灯を点ける。プレートに表示されているように部屋は倉庫として使われており、中の物が無い今はコンクリートむき出しの非常に殺風景な部屋になっている。
そんな部屋でもリーにとっては便利に使える手近な部屋だった。人を監禁するのに窓の無い部屋はうってつけなのだ。
部屋のほぼ中央の床、そこには『S・A・S』のリーダー、ストライフが全身に鎖を巻かれ、天井の金具から吊るされている。その様子はまるで不恰好な蓑虫を思わせた。
「こんばんは、リーダー」
ストライフをここに監禁している犯人だというのにリーの口調や雰囲気は普段となんら変わらない。対して裏切られたストライフは、全身を縛る鎖に加えて目隠しと猿ぐつわ、大型のヘッドフォン型も付けられて大音量でラジオを強制的に聞かされている。
身動きもままならないので排泄も垂れ流しで、リーの鼻にはそれらのすえた臭いも嗅ぎ取れた。それでも彼は一切表情を変えず常にある薄い微笑みを浮かべたまま、ストライフの様子を窺うように顔を近づけた。
ストライフはベルセルク・ミストを数本分濃縮させた液体を体の中に直接注射されており、さらに全身を縛られて目をふさがれ大きな音を聞かされ続ける環境に一日以上の時間放り込まれている。体力はまだあっても、気力の面では相当にズタボロにされていた。だから人の気配を感じても消耗しきったストライフは身動き一つ出来なかった。
「……ぅ……ぁ……」
猿ぐつわを噛まされた口から聞こえるのは僅かなうめき声だけだ。
その姿はジアトーの街を壊滅させ、多数のプレイヤーの命を奪った悪党とは思えないほど悲惨だ。しかしこれを目にしているリーはまるで頓着せず、拘束が充分だと確認するとさっさと作業を始めた。
軍服のポケットから小さな金属ケースを取り出してふたを開ける。中にはガラス瓶に入った薬品アンプルが何本かと注射器が納まっていた。
何度もやっている内に手馴れており、手早く注射器にアンプルの中身を移す。シリンダーの中には緑の蛍光色の液体が詰まっていき、いかにも人体に悪影響がありそうだ。
これはゲーム内でも幾つかある能力をブーストする薬品である。普通は口から飲むものらしいが、リーは体内に直接投与すると効果が上がる事を知っていた。だからこそ薬品をアンプルに詰めている。
充分な量を注射器に入れ、またも馴れた手つきでストライフの首筋に注射針を刺してシリンダーを押し込んだ。
最後までしっかりと薬品を注入し終えると、手早く針を抜いて回復魔法で傷をふさぐ。そしてすぐにストライフの身体から距離を置いた。
「――っ! がぁっ! あが! ――っ!」
突然ストライフが暴れ始め、蓑虫になった体を激しくくねらせ吊るしている鎖を鳴らして暴れだした。
口からは大量のよだれと一緒にくぐもった叫び声が出て、もし口が自由なら絶叫しているはずだと思わせた。
リーがストライフに施しているのは一種の人体改造だ。肉体を鍛えて体質を変える健全なものとは違い、これは数多くの薬品でドーピングして無理矢理に体を作り変える危険なチート行為だ。
文字通り体を作り変えているので、麻酔抜きで外科手術しているような激痛が全身を襲う。普通の人だったら投与一回目で激痛の余りにショック死するのがリーの分析だ。
これにストライフの体は十回耐えた。これもリーの想定内だ。彼の計算では今回の十一回目まではもち、それでストライフの改造は終わる予定になっている。
改造が終わるまでは後三十分はかかる。リーはそれを待たずに電灯を消して部屋を出た。彼は今日明日、やる事が数多く出来ていた。
「忙しくなりますね」
頭の中のスケジュール表はビッシリと予定が詰まっている。その忙しさを楽しんでリーは微笑みを深くした。
血気にはやった暴走気味な将校に率いられた哀れな帝国軍は、大した準備も無しで侵攻を始めてしまった。暴徒のせいで無茶苦茶になったジアトーを難なく攻略、占領した勢いを駆って一気に首都へと機甲部隊で攻め上がったまでは良かったが、補給線が伸びきり一ヶ月と持たずに息切れした。
首長国の懸命な防御は前線の侵攻を食い止め、レジスタンスの活動で後方からの補給は滞る。南方に進撃している帝国の前線部隊は物資がほとんどなくなり、早晩干上がるのは確実だ。
今もここに帝国軍がいるのはひとえに率いている将校の諦めの悪さに他ならない。リーが今回の件に引き込んだ帝国の少将がその人になる。その少将は軍内部でも過激派として知られ、上層部からはうるさく思われていた。だからきっと今回の暴走気味な進軍は彼ら上層の人々には頭痛ものだったはずだ。その証拠に帝国本土から大規模な援軍が来る様子は無い。
首長国を上手く引っ掻き回してくれれば上等、どこかで戦死しても一部の将校の暴走で片付けられるだろう。帝国侵攻部隊を率いる少将はそんな一種のスケープゴートになりつつあるのを本人は自覚しているだろうか?
疲弊しきった帝国軍、対して間もなく反撃を始めるレジスタンス。リーにとっての舞台は整った。
「開幕は朝方……仕込みは上々、首尾は滞りなく、さらに天候は快晴と。いい日和になりそうです」
部屋を出たリーは鎖や鍵どころか扉も開けっ放しで放っておき、そのまま上の『S・A・S』メンバーが集まっているフロアへと戻っていった。
軍帽のツバに隠された表情は、これからジアトーが戦場になるのを自分だけが知っている優越感、描いたシナリオが上手く進んでいる達成感、何よりヒシヒシと迫る戦いの気配に感じる高揚感で笑みの形になっていた。
その笑みはとても深く、まるで底なしの沼のようだ。声を出さず肩だけを震わせてリーは地下を後にする。
後に残されたストライフはまだ続く人体改造の痛みにのたうち、鎖が鳴る音とうめき声が地下に響く。それを聞きつける人は居なくなり、やがて廊下の電灯も消されてフロア全体が暗闇になっても止むことはなかった。