3話 壱火とレイモンド
期間が開いてしまいました。スミマセン。
服を脱いで真っ裸になって、シャワーの前に出てバルブを勢い良く捻る。全身に降りかかってくる冷水にボクの体は一気に目が覚めた。
「あううぅぅぅ・・・・・・」
身が締まる程の冷たさに口からは悲鳴ともうめきとも言える声が出てくる。それでも構わずボイラーからお湯が来るまでの間、ボクは全身を冷たい雨に晒し続けた。
濡れた髪が額に貼り付いて顔に垂れてくる。背中を伝う水の感触が心地良い。そうこうしていると冷水が温水に変わって、程良く暖かいお湯が肌を叩くようになった。
「はううぅぅ・・・・・・」
今度は暖かいお湯が降りかかる心地良さに声が漏れた。
朝に目覚めて一番のシャワーは結構気持ち良い。窓から差し込む朝日といい、今の寝起きの心境といい、朝の雰囲気は百点満点。親父がとったホテルでの生活はそれなりに快適だった。
あのスタジアムで狙撃事件があった日から三日が経っている。あの事件やその後の出来事があった割には静かな三日間だったけど、嵐の前のなんとやらなのかもしれない。
お湯に眠気と疲労を溶かして流すようにボクはこのままシャワーを浴び続けた。
シャワーを五分ぐらい浴びてサッパリしたところで、備品のバスタオルで体を拭きつつシャワールームを出た。
部屋ではとっくに起きている親父がジャージ姿でソファに座って新聞を読んでいる。そばのテーブルの上には牛乳のビン。これだけなら以前の親父と変わらないけど、今はリザードマンの姿でやっているので新鮮に見える。
ボクサーの現役が終わっても親父は朝の運動を欠かしていない。それで、運動から戻ると牛乳か野菜ジュースを片手に新聞を読みつつ母さんの朝食を待つのが日課だった。その習慣はこっちに来てからも変わりが無いみたいだ。
「おはよ、父さん」
「ああ、おは・・・・・・ぶふっ!」
「どうしたの!?」
ボクが挨拶して親父がこっちに顔を向けた途端、口にしていた牛乳を噴いた。一体何があったのだ?
「お前何て格好だ。服着ろっ、服。パンツ一丁で歩き回るな」
「あ、なるほど。でも前はこんな事言わなかったけど」
「今のお前は女子だろ。ちょっとはその辺意識しろ!」
「むぅ、分かったよ」
怒られてしまった。風呂上がりは基本的にパンツだけで過ごす以前とは違うらしい。違うんだろうな。バスルームの鏡に映る『壱火』の姿は本来の『勝又総司』とは違うのだから。
裸の女の子がこうして目の前にいるのはドキドキする出来事だ。けど、これがボク自身だと分かっていると急激に気が萎えてしまう。
試しにちょっとポーズをとってみる。グラビアアイドルとかがしそうな腕で胸を挟むような格好でキメてみた。
「・・・・・・ダメだな。やっぱボクだって分かると盛り上がらないや。犬っ娘ってストライクゾーンのハズだったんだけどな」
空しくなってきたのでさっさと服を着よう。脳内再生するリズムに乗せて頭の上の耳をピコピコ動かし、尻尾をハタハタ動かし服を身につける。
野外を彷徨っていた時はノミとかが居たせいで痒かった記憶がある。それもこうして身綺麗にして充分に乾かせばフカフカのモフモフになるのだ。
ボクは今の身体に欲情はしない。でもこの身体が可愛く見えたり綺麗に見えたりするのは嬉しい。これはゲームのマイキャラを丹精込めて育てている気分と似ていた。
落ち着いてみると、こっちの世界に来てからのボクは結構変わっていたのだと気が付いた。
これがよく入れ替わりや憑依モノを扱ったマンガとかに出てくる肉体の影響を精神が受けた、とかだろうか? こっちに来る前と今とでは違う心の持ち方。それでもボクは『総司』だし『壱火』でもある。そう思えるのだ。
「親父も外見以外に変わったところがあったりするのかな」
我ながら朝から難しい事を考えながら服を着て、鏡の前でまた決めポーズ。
よし、今度はキッチリ決まった。さあ、もう一回親父に朝の挨拶っと。
「今度こそ、おはよう父さん」
「おう、おはよう。じゃあ、飯に行こうか」
◆
ホテルの食堂は朝というのもあって結構混んでいる。ビュッフェ形式で出される料理に沢山の人が取り皿片手に集まっていた。
『あの』新地区長の就任挨拶と宣言のせいで、祭が終わった後でも多くの人が街に残っている。あれから外からやって来た人達は、危機感を感じて早々に街を出て行くか街に残って事態を見ているかに別れていた。
この二つの内、前者はこの世界の原住民の人が多く後者は元プレイヤーの人が多い。さらに元々ここに住んでいた人でも危険を感じて街を出て行った人もいた。
そうなるとこの街、ゲアゴジャのプレイヤー人口は上がっていくんだろう。まだ三日しか経っていないのにコレだ。この世界の人達は行動力が半端無い。
ここの食堂にいる人達も多くはプレイヤーだった人達が多く、聞こえてくる言葉にはプレイヤーならではの単語もあって分かりやすい。
「よっと、はい持ってきたよ。量はこれで良い?」
「ああ、充分だ。ありがとう」
席を確保してくれた親父のところに取り皿を乗せたトレイを二人分持ってきた。盛り方は二つとも大盛り、飲み物はグレープフルーツジュース、焼きたてのパンも添えた充実の内容だ。
確保した席は食堂の隅のテーブル席で、ボクは親父と向かい合う形で食事する事になった。
トレイをテーブルに置いて席に着いた。もう親父は食事を始めているのでこっちも早速手を付けた。
ちなみに食事時に「いただきます」と言う習慣は我が家には無い。料理に手を付け始めるとボクも親父もしばらく無言になった。
「それで、もう三日も経っているし、休養も充分とっただろうからいい加減決めようと思うんだが」
「うん。大事な話だよね」
ある程度食事が進んだ辺りで親父が話を切り出してきた。こっちも予定通りなので頷く。頷きながら堅焼きのベーコンにフォークを刺して口に入れる。ん、ちょっと塩辛いなコレ。
「ああ、母さんはいないが勝又家の家族会議。この世界に来た記念すべき第一回だ」
「どうでもいい事だけど、名字が勝又のままでいいのかな?」
「こっちじゃレイモンド・グレイだから、グレイ家か? 自分で付けておいて何だが、いま一つな気がするな」
「そうなるとボクは壱火・グレイ? わぁ、これもイマイチ」
話が脇道に逸れちゃったけど、本題はいちいち口に出さなくても周りに居る人達が話している。
少し耳を傾けるだけで「参戦」やら「ジアトーの奪還」とかの言葉が出て、食堂の中では熱の篭もった話が盛んにされていた。
ボク達がこれから相談するのもソレだ。帝国軍に占領されたジアトーを攻めて奪還する作戦がもうすぐ始まる。それに参戦する人が広く募集されているから応募しようかどうか、なのである。
話の始まりはやっぱりクリストフ・フェーヤ地区長のスピーチからになる。
――アードラーライヒ帝国に立ち向かい、ジアトーを取ろうと思う者達を広く募る。『プレイヤー』という言葉に心当たりがある者にその資格がある。
彼はあのスタジアムでこんな言葉をのたまった。それは明らかにプレイヤーに向けられた言葉だった。
少年の姿でも大勢の聴衆を前にして堂々と言葉を放つクリストフの姿は、人の上に立つ者がどういうものかと知らしめているようだ。
――ジアトーの奪取は時間との勝負だ。四日後に行動を起こす。我こそはと思うものは、四日後の早朝までに我々の下に集まって欲しい。
細かな点は追って通達する、と言い残し彼は壇上を後にした。ただ連絡事項を話しているだけなのに不思議とカリスマみたいなものも感じた。後には知らされた内容に困惑したり、興奮したりする聴衆の騒がしさが残った。
そんな出来事から三日の時が経っていて、ボクも親父もいよいよ今後の進退を決めなくてはいけない。
他のプレイヤーだった人達は早々に参戦を決めた人とか、争いを嫌って街を去るとかを決めてしまった人も多く、ボク達は若干出遅れた感がある。
親父が試合の後の休養が無かったらもう少し早くに進退が決まっていたかもだけど、元の世界で試合後のボクサーというものを知るボクとしては親父のせいにするのは論外だった。
だから今日までの三日間は必要な時間として割り切って、さあ明日はどうしようと相談を始めるボク達親子だった。
「これからはお前もこの世界で自活していかなきゃならないし・・・・・・手に職を付けられたら潰しも利くんだがなぁ」
「やっぱりフェイスオフだけじゃ食べていけない?」
「まあな。ボクサーの時よりは金払いは良いけど、親子二人を養うには足りない。これまではこっちの世界に持ち越した金を切り崩してきたが、これからを考えるとそうもいかないだろうな」
「うん」
相談の初っぱなからお金の話が出てきてちょっと世知辛い話になってきた。
ジアトーの戦いに参加しないで平穏に暮らそうと思えば出来るだろう。むしろこっちの方が普通だと思う。だけどこの選択をするには、ボク達プレイヤーは余りにも異邦人過ぎるとも思うのだ。
お金がある内はこの世界の住人はニコニコしてくれるだろう。大切な『お客様』なのだから。だけど、これが『住人』とか『隣人』とかになると話が変わってくると思う。誰だって得体の知れない力を持った人間が隣に住んでいるのは良い気がしない。
この問題に対する解決策は思いつく限りでは二通り。プレイヤーだった事を隠して人目を忍んでコソコソと生活するか、プレイヤーだったとしても問題の無い場所に行くかだ。
「で、俺はコソコソするのは正直言って性に合わない!」
「うん、ボクも同じく」
「おし、親子らしく意見が一致したな。となれば残る選択は一つ、問題のない場所に行く、この場合は場所を作るで正解だろう。その土地を奪還する作戦に参加するって事でいいな?」
「うんっ! 明日、頑張ろう」
「・・・・・・」
「――?」
勝又家の血なのか、コソコソするのは性に合わないのは親父もボクも一緒だったりする。だったら結論はひとつ、今回の作戦に参加してジアトーに居場所を作ってしまうのだ。
会議時間十分もかからずに結論が出てしまった。元から議論の余地もなかったとも言う。
会議終了、後は明日の戦いに向けて英気を養うだけになったはず。けれど親父は急に黙り込んでしまって、グレープフルーツジュースの入っていた空のグラスに目を落としてしまった。何かいきなり話しかけにくい雰囲気になったぞ。
「父さん?」
「本音を言えば父さんな、戦いの場にお前を行かせたくない。スポーツのボクシングのリングだって怖いところだった。それが本物の戦場だ。本当に命のやり取りするところに子供をやりたいと思うわけがないだろう?」
「え、ええっと・・・・・・」
「けれどな、こんな厳しい中で少しでも良い環境を作りたいというのも親心だ。だから、うん、父さん頑張るぞ」
「そ、そうだね、うん」
握り拳なんか作って決意を新たにしているよ親父。この辺りの気持ちがボクにはいまひとつ分からない。こういうのが親の気持ち子知らずって言うのかも。
確かにさ、マジな戦場は怖いってことは想像が付く。ここまで帝国軍とか魔獣とかと遭った経験から考えると大変な場所に行くだろう。
だけど、すごく不謹慎な言い方をすると少しだけワクワクしてたりする。お祭りを前にした高揚感というか、嵐を前にした不思議な盛り上がりとか、そんな気分が胸に燻っていたのだ。
さあ、明日はどんな事が起こるんだろう。
◆◆
ゲアゴジャの街は今まで見た中で一番の熱気が湧き上がっている。これは先日の祭の時よりも過熱している塩梅で、空気がピリピリとヒリついていやがる。
試合を前にした時の空気に似ているが、熱の加減が段違いに高い。やはり命のやり取りが有ると無いとでは違うのだろう。
太陽はほぼ真上から差している。正午を少し過ぎた時間帯で一番気温が高く、そして道行くプレイヤー達で熱気は増していた。
「灼けるな、これは」
見上げた太陽に手をかざして、口からポツリと独り言が漏れる。そう独り言だ。今ここには壱火の姿はない。息子・・・・・・ああいや、今となっては娘と訂正した方が良いかもしれない。とにかく我が子は現在別行動をしている。
視線を太陽から下ろして横に。通り沿いにある一件の商店に目を向けると、そこには壱火の姿があった。
少し視線を上げて、目は商店の看板に。歴史あるヨーロッパとかの街並みにぶら下がっていそうなくらいに瀟洒な金属細工の看板には、『婦人服・ピエール』と刻まれている。でもって我が子が今やっているのは着替え用の下着を買っているところだった。
当然だが、男の出る幕ではない。出来る事といったら、精々荷物持ち位だろう。そう、現在の俺は明日に向けた買い出しの荷物運搬係なのだ。
「にしても、やっぱり肌の露出が多いだろう。もうちょっと、何とかならないものか」
娘となった元息子の後ろ姿を見てまたも独り言が口から出てくる。いや、これはもう愚痴だな。
店員に対して値引き交渉なんて、以前だったら絶対やりそうにない事をやっている娘の後ろ姿は、ジャケットで隠れてはいても露出の多い服装をしている。ジャケットの裾から出ているスラリとした脚が男の目には毒だ。
あいつは元からそうだったが、人目というのを気にしない方だ。だから朝の時もシャワーを浴びた後、すぐに裸で部屋に出てくるなんて真似をするのだ。
これは今後時間が取れたら一から教育した方が良いかもしれない。しかしそうなると、男親じゃマズイよな。
「おうおう、いい年したおじさんが女の子のお尻をガン見していますよ奥さん。お巡りさん呼ばれるかもね」
とか感傷に耽っていたら、後ろから威勢の良い声と一緒に背中に張り手をかまされた。
「うおっ! ――って、クララか。お前こっちに来ていたのか」
「そうですよ、クララさんですよ。久しぶりだねレイ」
「そうだな。まだそう時間は経っていないはずだけど、久しぶりって言葉が似合う気がする」
振り返って見れば相手は見知った顔、アストーイアでガンスミスをしているクララだ。犬人族の特徴あるフサフサの尻尾を振って、こちらを見上げてくる姿は何やらムク犬を連想させた。
細かに見ればやっぱり髪や尻尾の毛がボサついていて、目の下に薄くクマがある。この少女とはよくよく徹夜後の姿と出会うものだ。
クララは一度俺から目を外して、俺の足元にある紙袋を見る。そして次に店の中にいる壱火を見やって一言。
「荷物持ち?」
「そうだ」
次いでまだ店にいる壱火に視線を送って一言。
「彼女?」
「違う。俺が探していた息子、現娘だ」
「ほぇぇ・・・・・・あの娘がそうなんだ。へぇぇ」
俺が娘だと言った途端クララは目を丸くして、次に感心したように俺と壱火を何回も見比べだした。好奇心で輝いている目が何往復もする。
「娘さん、母親に似ている方?」
「ああ、元から妻に似ていたが、こっちに来て女子になったせいかますます似ている」
「良かったね、父親似じゃなくて」
「おい」
もしかしてクララの奴、寝不足のせいで断眠ハイになっているかもしれん。最初からテンションが高めだ。
するとここまで店員と話をしていた壱火が会計を済ませてこっちに戻って来た。手には紙袋、俺が持つ荷物がまた一つ増えるわけだ。
「お待たせ、父さん。って、どなた?」
「どうも、初めまして。あたしはクララ、こっちでお父さんとは仲良くさせて貰ってます」
「……仲良くって、え、まさか」
「総司、じゃなかった壱火、お前が考えているような事は一切無いぞ。で、クララなんなんだ? 親子仲に亀裂入れたいのか」
「別に。仲良くしているのは事実でしょ」
そうのたまってニヤリとした笑みを浮かべるクララ。一瞬だけこの女に壱火の今後の教育をお願いしようかと考えていたが、どうも気の迷いだった。
クララに教育された日には娘がどんなカッとんだ性格になるか分かったものじゃない。
「父さん」
「あ、ああ。こっちに来てからの顔見知りだ。アストーイアでナイフと銃のカスタムショップをしている人で、プレイヤーだった」
「そうだよ、レイは店に来ないからいまいちピンと来ないみたいだけど、これでも腕はある方と自負しているよ」
「へぇ、職人の人か。じゃあ、ボクの銃とか見て欲しいんだけど大丈夫?」
「ん、応相談かな。レイとのよしみもあるし料金は安くしておくよ」
「わお、何事も言ってみるもんだ。じゃあ、ちょっと部屋に戻って銃を用意して待っているから! 父さん、荷物よろしく!」
「おいっ」
手に持った紙袋をこっちに押し付けて、我が娘は駆け足でホテルへと帰ってしまった。呼び止める暇もないほどの俊足ぶりだ。
残されたのは中身の詰まった紙袋が四つに、荷物よりも扱いが難しそうな女が一人。昼過ぎの雑踏の中でこれらと格闘するのは世界チャンプとて苦戦を強いられる。
「活発な娘を持つと大変だね、お父さん」
「元々はあんな性格じゃなかったんだ。引っ込み思案だったし、まともに顔を合わせてこない。出てくる声だって小声だ。それがなんだってああなっているんだ」
クララのからかう声に頭を抱えそうだ。前の息子と今の娘、そのギャップの大きさに親としては戸惑うばかりだ。
確かに暗かった性格が突き抜けるように明るく活発になったのは嬉しい。だが、あの変貌ぶりは向こうが何を考えているのか分からず不安になってくる。こういうのを子の気持ち親知らずと言うんだったか? いや、違うのか? よく分からん。
意識せずに落ちていた肩をクララが叩いてきた。「がんばれパパ」などと無責任に言いながら。全くこいつは。
「それで、クララは何でこっちに来ている? アストーイアの店はどうした」
「畳んできた。閉店」
「なんだと?」
「だって、もっと商売になりそうな土地があたしを待っているんだもの。ビジネスチャンスは逃したくない」
「ジアトーに店でも構えるのか」
「そのつもり。一応蓄えと稼ぎはあるし、商売道具はバッグでみんな持ってこれる。新天地で新しい店を開く条件は出来ているの」
そう言って彼女は傍に置いた大きな鞄を軽く叩いてみせた。底に車輪が付いている旅行鞄のタイプだ。
ゲームでの設定が生きているならこの大きさで店一件分の容量は余裕だったはずだ。さらには結構お高く、それだけ稼いでいたという証拠でもあった。
そんなバッグ一つを相棒に新しい土地を求めて明日の戦いに支援役として参戦する、それがクララの腹積もりのようだ。
――戦闘は何も前線で戦うのが全てじゃない。その後ろでは前線以上に忙しい後方支援の働きがある。人、物、金、情報といった戦場に必要なものを絶え間なく運用して消費し、前線を支える必要がある。派手さは無いけどそれも一種の戦場だ。ホテルへ戻る道中でクララはそう語って力説する。
クララが参加するつもりの部署は武器の運用に携わるところだ。弾薬を用意して前線へ運び出す。武器の破損に備えて予備を用意する。大型の兵器も整備して戦場へ送り出す。そんな部署になるそうだ。
「ま、あっちこっちから参戦を名乗り出て集まったのを一まとめにしただけの急造チームなんだけどね。お陰さまで荷物を置く暇もなく職人全員で会議、そのまま完徹コースよ。本当にこんなヤッツケ仕事で作戦が成功するのかしら」
「徹夜明けだろうと思っていたが、そんな理由があったのか。それで壱火の頼み聞いて大丈夫なのか?」
「大丈夫。バックアップ組は今が忙しい時期だけど、ようやく時間を作って荷物を持って帰るとこ、今ココって感じ。壱火ちゃんの銃の面倒はついでよ、ついで」
「すまんな。料金はこっちからも出して弾むよ。それとも何か奢る方が良いか?」
「じゃあ、壱火ちゃんと一日デート」
「却下だ」
「ちぇー、何か色々と無防備そうだったから色々と女の子のアレコレ教えてあげようと思ったのに」
「お前は娘をどうする気だ」
我が子の今後に不安材料が出来そうな話を交えながらクララと並んで大通りの雑踏を歩いた。
押し付けられた荷物はそれほど重荷ではないので紙袋四つ全部まとめて片手で持てる。袋の口から中身がチラリと見えても見なかった事にするのが大人の男のマナーだ。
ただ、親としては見なかったでは済まない。一瞬だけ見えたものには派手な色使いの下着が見えて複雑な気分を味わう。どうしたものか。
道を歩きながらポケットからタバコの箱、オイルライターを取り出す。クララにも「吸っていいか」と目だけで尋ねると了解の頷きが返ってきたので、さっそく一本口に咥えて火を点けた。
元の世界のように嫌煙ブームになっていないのがココでは幸いして、歩きタバコを堂々と出来る。吸い込むと喉が燻す感触がして、鼻の奥が緩やかに鈍る。煙を吐き出すとその鈍りが一気に抜けて、スッキリした錯覚を覚えた。
空に昇っていく煙を追って視線は上へ。乾季に入りかけと聞く空は雲の少ない突き抜ける青空だ。こっちに来てから雨なんて片手で数える程度しか見たことがない。この分だと明日も晴れることだろう。
「いずれにせよ、決戦は明日か」
「まあね。あたしにとっては今日が修羅場だけど。あ、宿がこっちだから、じゃあまた後で」
「ああ、明日頑張ろうな」
「…………そうだね」
クララとの別れ際、何となく俺が口にした「明日」という単語。彼女はそこに何か感じるものがあったのか少しの間を挟んだ。
見慣れるほどではない、けれど気楽そうな表情で手を振って街路の向こうへ姿を消したクララ。この目が節穴じゃなければその表情に少しだけ影が差していた。
これまでプレイヤーが絡む事件や戦闘は毎回いきなりだった。それが今回は準備と告知がある。時間があると人は物事を悪い方向へ考えがちだ。クララもそこは例外じゃなかったのだ。
短くなったタバコを携帯灰皿に放り込み、もう一度空を仰いだ。すると空から落ちてきたみたいに言葉が頭から湧いてきた。これはまさに今の俺を表す言葉だ。
「賽は投げられたな」
もう決めてしまったのだ。ここであれこれ思い煩ってもしょうがない。明日の戦いに全力を出す、そして我が子と一緒に居場所を掴み取る。今はそれだけを考えれば充分だ。サイコロの出目は後からついてくるさ。
そんな風にお気楽な結論を出した俺はホテルへの道を再び歩き出した。そう全ては明日、それが激しい戦いだとしてもだ。