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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
3:10 to Yuma 邦題:3時10分、決断のとき
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1話 ルナ Ⅰ




 元ジアトー市庁舎にして、現在は帝国陸軍が司令部を置いているその建物の中は、夜になっても慌しい空気が流れていた。

 廊下を武装した帝国兵士が何人も足早に通って、設置されている通信機には常に人が張り付いている。机には数々の書類の山が出来上がっていき、事務の人間が幾らさばいても無くなる気配はなかった。

 帝国がジアトーを占拠して以来忙しくない日など無かったが、今日は今までに倍するものがあった。彼らの顔には疲労や不満と同レベルで焦燥感と恐怖が浮かんでいる。

 兵士達はあるラジオ放送を聞いて不安になっている。それは、就任したばかりの首長国地区長によるジアトー奪還宣言だ。


 狙撃事件があったにも関わらず、新地区長になったクリストフ・フェーヤは市民への演説を止めなかった。それどころか狙撃事件も帝国の攻撃の一つだと言い、不屈の精神を市民に説いた。

 戦時下で強い指導者を求めていた市民達は、この頼もしい演説をぶつ指導者に大いに湧いたのは想像に難くない。スピーカーが壊れるのではというほどの大音量での喝采がラジオから流れた時、兵士達が忌々しそうな顔をしたのも簡単に想像できるだろう。この放送の中でクリストフはジアトーの奪還を国任せにせず、自分達でも奪還に向けて動こうと呼びかけたのだ。

 街中でのレジスタンス活動に頭を悩ませていたら、今度は外からも敵が来る。帝国軍が慌てふためくのも無理がなかった。


 身近に迫る新しい危機に帝国陸軍が戦々恐々していても、市庁舎の上層階は静かなままだ。

 帝国に傭兵という形で身を寄せいているプレイヤーチーム『Mr So and So』の拠点もこの市庁舎にあり、そこだけがこの慌しい空気とは無縁となっている。

 メンバーの大半が街へ繰り出して欲求のはけ口を探しており、残る者もあてがわれた部屋で酒に酔って寝ているか、女に溺れているかとなっている。

 彼らにしてみれば、例え帝国軍が負けたとしても幾らでも動きようがあるし、プレイヤーの身体能力とスキル、武器やアイテムを持ってすればこの世界に敵はいないと思っていた。だから帝国軍の慌てようは他人事なのだ。

 ――その考えが思い込まされた甘い幻想だとは、果たして彼らが気付くのはどの辺りだろうか。


「軍が動いたのはあの放送から丸一日か、遅いな。あんなふうにわざわざラジオで宣伝したのは向こうの仕込みが終わったからで、放送直後に反攻が始まってもおかしくなかったというのに暢気だな」


 チームリーダーに与えられた執務室の窓から街の帝国兵達の様子を見ていて、その感想がこれだった。夜闇の中で慌しく動き回る彼らはまるで玩具の兵隊だ。

 自侭に動き回るチームメンバーが多い中で、ストライフはメンバーの手綱を上手いこと操って街中の『掃除』をこれまでしてきた。外向きの折衝はリーに任せ、彼はまず足元を固めるところから手をつけた。

 反抗的なプレイヤー達を処分して、従う者はチームに組み入れて人員を拡大する。古典的だが確実な手段でチームは勢力を伸ばしている。ここ最近では街に駐留する帝国軍よりも大きな勢力となっており、チームの軍内での発言権も同様になっていた。


 ストライフが目指す最終的な目的は、彼自身のチームを中核にしてのジアトー代表の立場だ。

 帝国の庇護の下、この世界にやって来た多数のプレイヤーを受け入れる場所を作る。そしてストライフはプレイヤー達を主導する都市の長となる。そういう計画だったのだ。

 混乱を起こしたのも帝国の介入で一度街をリセットするため。レジスタンスを潰しているのは新しい体制を作るのに邪魔だからだ。

 成果も上がってきている。だから今、こういう場面で奪還されるのはストライフにとってかなりの痛手になる。

 他のメンバーが能天気な中、彼一人だけが現状を憂うのはこのような理由だった。


 ストライフは元市長の椅子に深く腰掛けて、窓を見る姿勢のまま今後について独り思いを巡らせる。すると、彼の意識に引っかかる気配を感じ取った。

 ごく近くに気配を発するものがいきなり現れた。その唐突さは彼には馴染んだものである。

 顔を窓の外にある夜の街から照明で明るくなっている室内に向けた。彼の視線の先には予想通りの人物が応接セットのソファーに腰掛けていた。赤毛と細い目以外特徴に薄い男、リーが一切の前触れを抜きにしてそこにいた。


「ただいま戻りましたリーダー」

「結果はラジオで聞いている。失敗か」

「ええ」

「この街の奪還作戦は近いんだろうな。ああやってラジオで宣言するのは準備万端って事だろう?」

「でしょうね。来ますよ彼らは。となると、我々の今後の身の振りを考えないといけませんか」


 細い目にどんな感情を隠しているのか、ストライフでも今ひとつ読めないリーの顔色は平静そのもので声も静かだ。

 度胸があるのか、危機に陥っているのが実感としてないのか、どちらにしても焦燥感で胸の奥が焼け付いている己よりはマシだろう、とストライフは内心だけリーを羨んだ。

 チームを作った当初からリーはストライフにとっての相方であり、信頼が置ける人だと思ってきた。ゲームじみた世界に転移などというドンデモな出来事があっても、リーと二人組めば怖いもの無しとも思っている。

 実際リーの発案で実行されてきた様々な企ては、S・A・Sがこの世界で地盤を築くために役立ってきており、チームの頭脳担当という地位を確固なものとしてきた。


 ――だから次の彼の言葉に、ストライフは自身の耳を疑う。


「そうですね、例えば……我々S・A・Sのメンバーほぼ全員が揃って攻め込んで来る人達の敵役になって、揃って打ち倒されてみんなの礎になるとか」

「ははっ、やけに具体的だけど冗談なんだよな?」

「いいえ。少なくとも私の中では大真面目ですよ。ちなみに、今回の暗殺失敗は個人的には作戦成功です。これで怒りに燃えた人達が揃ってここにやって来る」

「おいリー、何を言っている?」

「何って、今後の私達の身の振り方ですよ。いいじゃないですか、西海岸でも屈指のチームが派手に散って行く様は奪還しに来る人にとっては最高のパフォーマンスです。礎になる甲斐があろうものですよね。ここまで手をかけてきた苦労が報われそうで嬉しいよ」

「……マジで何を、言っているんだ、リー」


 朗らかな調子でリーはこう言っている。チーム揃ってこの街で玉砕しろと。

 何時もの変わらぬ表情で、変わらぬ口調でチームメンバー全員に死ねと言っている。さらに状況がそうなるよう動いてきたというのも匂わせていた。それがストライフには信じられず、思考が止まってしまった。

 この部屋には二人以外に人は無く、防音もしっかりしている。それだけに沈黙が重苦しい。耳鳴りがやけに大きく聞こえる。

 それでも何とかストライフは口を開いて、この状況を否定しにかかった。


「いやいや、僕達が目指す目標違うだろ。帝国の連中を招き入れて、その下でプレイヤーの自治する街を作るって予定じゃないか」

「それはリーダー、貴方の予定でしょう。私のは違います」

「初耳だ」

「言っていませんから。第一、不自然だとは思わなかったのですか?」

「何をだ?」


 リーがにこやかな表情のまま投げかける問いに嫌な予感を覚える。それでも聞き出さずにはいられない。


「いくら人間の理性が脆くても、今のメンバーのように簡単に吹き飛んでしまう代物でしたっけ? それこそ元の世界ではサイコキラーやシリアルキラーめいた真似を平然とやれるとでも? この世界が現実で身体能力が優れていようと、死ぬときはあっさりと死ぬと分かっても人殺しに邁進できるのでしょうか? ね、うちのチーム割と命に無頓着で不自然ですよね? 誰かに操られているみたいに」

「まさか」

「はい。そのまさかです」


 リーはまるでとっておきの悪戯が成功した子供のような無邪気な声で、邪気にまみれた話を口にした。信頼の置ける相方と思っていたストライフにはそのギャップがあまりにも酷く見え、胃が締めつけられて吐き気すら催していた。耳鳴りがより酷くなる。

 ストライフの顔色が悪くなっているのはお見通しのはずだろうに、リーは嬉々として話を続ける。


「このチームの大方の人事は私の担当でした。だからゲーム中に問題を起こしている人に限らず、生活環境や人間関係などで問題を抱えているプレイヤーを優先して引き込んでみたんですよ。傾向として理性のタガが外れやすい人間を集めたのです。

 その上で転移してからは食事にちょこちょこと薬物も混ぜました。ほら、例のベルセルク・ミストもその一つです。

 後は上手く煽って、自分達が無敵なんだと思わせればしめたもの。背中を押すだけで街一つがあっという間に壊滅という塩梅です。

 どうです? これが分かりやすい敵役の作り方です」

「……そういうお前も、分かりやすい黒幕だな」

「ああ、確かに。こうやってベラベラと企みを喋っているのなんて如何にもって感じですね。でも問題はありません」


 ここでリーがソファーから立ち上がってストライフに向き直った。

 何か仕掛けてくる。そう直感したストライフも慌てて立ち上がろうとするが、身体は意に反してピクリとも動かなかった。


「っ! うごか、動かない」

「このフロアには人がほとんどいませんけど、あまり騒がれるのも面倒なので一工夫させてもらいました」


 首から下、指一本も動かせない身体にストライフはどうにか動かそうと足掻く。それがダメなら魔法やスキルを使って状況を打破できないか試みる。そのどちらも結局は徒労だった。

 相手が何も出来ないと分かっているためか、リーはゆったりとした足取りでソファーからストライフの所へと移動する。

 さらに執務室の扉が外から開いて、人影が中へと入ってきた。ストライフにとって見覚えのある顔だ。


「アルトリーゼ、お前も共犯か」

「二ヶ月近く一緒に行動して、意見の一致をみたんだ。ちなみにリーダーの身体を固めているのはあたし。普通の人の耳には聞こえない音域で演奏しているんだよ。防音されていても浸透するの」


 現れたアルトリーゼが手にしている真っ赤なギターを示して、物憂げな顔をしていた。彼女の言うように弦はピックで弾かれているのに、音はミュート設定されているみたいに聞こえない。だが弦がつま弾かれるたびにストライフの耳鳴りは強くなっている。

 体が動かない原因は音、さらにまだ何か仕掛けがありそうな気配がする。

 混乱する頭脳をそれでも強引に冷静にさせたストライフは、ひとまず状況を把握して機会を窺うところから始めた。首から上は自由が利いている。ここからどうにかして脱出を図らなくては。

 そこまで思考を回復させてリーに目を向ける。しかし、さっきまで居た場所に姿はなくなっていた。


「流石です。もう脱出の機会を窺おうとしている。もっとも、そのぐらいのバイタリティとメンタリティがないとリーダーは務まりませんしね」


 リーの声が聞こえたのはストライフのすぐそば、耳元と言って良い距離だ。

 首を回すと息がかかりそうな位の至近距離に特徴の薄い顔があった。アルトリーゼに気を取られていたほんの数秒の内に距離を詰められたのだ。

 何か言葉にしようと口を開く、その前に首筋に針のような鋭いものが刺さった感触がした。


「リーダーには色々と借りがあるので今後について事細かく説明したいんですが、貴方の場合この状態でも脱出してしまいそうです。ですから、早々に終わらせて貰いました。借りを踏み倒す結果になってすいません」

「あ……あ、あ、お」


 視界の隅に注射器のガラス管が見え、体の中に得体の知れない液体が注入された。首を振って回避する暇も与えてくれない早業だ。

 注入されたもの効き目が即効性なのか、もうストライフはまともに口がきけなくなる。さらに脳髄の奥から強烈な眠気が湧き出て、彼の意識を沈めようとしていた。

 この土壇場で参謀格のリーがまさかの裏切り。この想定外の出来事を他のメンバーに伝えようと、ストライフは残った気力で念会話を飛ばそうとする。せめて誰か一人でも念会話を聞いて、リーに対して警戒をしてくれるだけでも御の字だ。

 しかしそれすら果たせない。念会話を飛ばそうとすると、さっきから耳の奥に聞こえていた耳鳴りが我慢できないくらいに強烈になって発信を妨害する。動きを察したアルトリーゼの無音演奏のせいだろう。


「では、お休みなさいませ。次に目を覚ましたらきっと世界は変わっています。いえ、私が変えて見せましょう」


 リーは細い目を見開き、ストライフと目を合わせる。その瞳にはどうしてか真摯な訴えかけをする光がある。人というものを見る環境に恵まれたストライフはすぐにそれに気付き、戸惑い不思議に思う。

 なぜ彼はこんな場面で悲しそうな顔をしているのだろうか? 愉悦でも歓喜でもなく悲しみ。一瞬だけ見せたリーの表情がこの期に及んで気になった。

 そんなストライフの思考も急速な速度で落ちてきた意識の暗闇という幕に覆われて、間もなく何も感じなくなった。


 新地区長クリストフの暗殺未遂から数時間後、ジアトーではS・A・Sのリーダーが姿を消した。代わって帰還したばかりのサブリーダーのリーが指揮を執り、やがてやって来る首長国とプレイヤー達に備える体制になる。

 チームメンバー達はリーダーがどうなったか知るはずも無く、来襲する敵との戦いに気を昂ぶらせていた。

 ただ一人、全ての事情を知るアルトリーゼはその光景を静かに見つめるだけ。何を想うかは本人でさえ曖昧だった。



 ◆



 ライフルを手にその場に伏せてからそろそろ三十分の時間が過ぎようとしている。太陽は大きく西へ傾いて赤みがかり、森の中は風で揺れる草木と時折聞こえる獣の声以外は静かだった。自分はただ銃を構えて時が来るのを待つ。

 軽く呼吸するだけで濃い土と緑の匂いが鼻に入る。朝方に降った雨のせいで地面がまだ濡れていて、伏せているとむせ返るほどに濃い青臭さを感じる。

 スコープの向こうには枝ぶりが見事な大きな樹がある。野鳥が寝床として好みそうな樹で、実際狙っている獲物もここを寝床にしているのを確認している。今も何羽か野鳥が集まっているけれど、狙っている獲物ではなかった。

 目的の獲物が来るまで辛抱強く待ちに徹する。心境的には魚釣りと何ら変わらない。釣り竿の代わりに銃を構えて静かに時が来るのを待っているのだ。


 あれから三日の時間が過ぎていた。クリスのジアトー奪還宣言でゲアゴジャの街が沸いているのを他所にして、自分は別荘地に戻っていた。

 スタンの遺骸はやって来た地元警察が回収してしまい、こちらの身柄も一時的に拘束された。だけどそれもその日のうちに留置所にやって来たクリスの口利きで解放されている。結局簡単な調書をとられたのと数時間の留置所おためし体験で自由の身になれた。

 この時にはスタンとの撃ち合いで額に負った傷も塞がって、身体的には被害は無い。あれほどの腕を持った射手を相手に無傷なのは幸運と言って良いだろう。

 ただ、心情的に負った傷はまだ残っているように思えた。


 程なく寝床に戻って来た獲物がスコープに映った。ハトだ。数羽の編隊を組んで飛んできたハトが目を付けていた枝に次々と止まる。ここが彼らの寝床だと昨日の探索で知っていたので待ち伏せしていた。

 十字線はすでにハトの頭部を捉えている。.30口径のライフル弾は普通の鳥を撃つには過剰火力だ。たぶん頭を吹っ飛ばす結果になるだろう。

 でもそれが躊躇う理由にはならない。調理してしまえば何ら変わらない。今日の夕食と今後に備えて三羽ほど仕留めよう。

 そう気負うことなく、トリガーに指をかけて作業のように発砲した。


 銃声が辺り一帯に轟き、樹に止まっていた鳥が一斉に飛び立つ。かなりの数の鳥がいるので羽根音も盛大だ。

 そして逃げた鳥の中には自分が狙っていた獲物も含まれていた。


「……この距離で外したのは何年ぶりだっけ? 平気だと思っていても存外キていたかな」


 身を隠していた藪から立ち上がって鳥のいなくなった樹を見やった。あそこまでの距離はざっと五〇m。普段なら外さない距離だし、小口径ならハトの目も狙える自信が今の自分にはある。

 だけど外してしまった。銃というのはメンタルに左右される武器だ。射手が動揺しているいると当たる弾も当たらなくなる。

 銃の手入れは欠かさず万全で、となると問題は射手側。今の自分は心情的に相当乱れている事になる。

 吐く溜息も深くなろうというものだ。スタンを手にかけたのが自分でも思ってみない程に強く心に残っていて、それが尾を引いている。


「猟果はゼロ、これも久しぶりだ。ジンには悪いけど今夜は前に獲ったウサギの余りかな」


 日が大分長くなってきているけど日没も近くなってきて、戻る道も考えるとそろそろ帰らないといけない。

 シューティンググローブに包まれた手で、空薬莢を拾って帰り支度を始めた。この世界に来た直後よりも髪が伸びているのが時の流れを実感させる。

 この世界に転移させられて二ヶ月近く。友人を手にかけたのを機会に自分は、自分自身を見つめ直す必要があるのかもしれない。

 今回の一件以来多くなった溜息を吐いて屋敷への帰り道についた。夕焼けに染まりだした空を見上げると、銃声で飛び散った鳥がもう寝床へと戻って来ていた。



 ◆◆



 暦の上では日本だと初夏の時期、この世界この辺りの地域では乾期に差しかかるのが今の気候だ。日を追う事に大気から湿り気が失せていき、大地からは緑が無くなっていく。そんな渇きの季節がやって来ようとしていた。

 日中はギラついた陽の光が地上を灼いているのだが、対して夜は気温が急激に下がってひんやりとした冷風が辺りに吹きつけていた。

 暑い昼間の間隠れていた夜行性の生き物の数々がこの時間に活動を始める。窓の外からはそれら大小の気配を感じても、彼ら夜の住人は静けさを壊さない。とても心地よい静かな夜の時間だ。


 夜の冷気をしのぐため部屋のストーブには火を入れている。弱めに調整した暖かい空気が部屋の中に広がって眠気を誘う温度になっていた。

 さらにいえば今夜も自分は夕食を終えて晩酌をしていた。以前獲ったツノウサギをジャーキーにした物を肴にしてグラス片手にぼんやりしている。

 想うこと考えることは脳内の泉から湧き出ては溢れて消えていく。今夜は本の文字さえ追う気になれない。


「主、酒量が多いのではないか? そろそろ寝床に入ってはどうか」

「……そうだね。あと一杯で寝るよ。だからもう少しこうさせて」

「スタン・カイルの事を気にしているのか。敵を撃ったのは初めてではないはずなのに」


 向いの席で丸くなっているジンが心配したような声をかけてきた。主人の酒量にまで気をかけてくれるとは優秀な使い魔である。

 さらに自分の気にかけている相手の事も聞いてきてくる。普通だったら鬱陶しい気分を味わうのが自分だけど、ジン相手には奇妙なほど素直になれる。やはり術者の分身という使い魔の存在がこんな気分の原因だと思われる。

 今では顔の輪郭も曖昧になっている両親よりも、ジンに対する気持ちは身近になっていた。

 色々な意味で自分の分身。彼が口にした言葉を思い返して問い直してみた。


 確かに『敵』を撃ったのはこの世界に来る以前から経験がある。でも、『友人』を撃ったのはこれが初めてだ。

 あの場面で迷っていたら死んでいたのは自分だった。生き残りを目標としている以上は他人よりも自己の生存に重きを置くのも当たり前。だから撃ったこと自体には後悔はあまりない。でも反省はある。もう少し上手く出来なかったものかと。そして殺してしまうこともなかったのでは、と。

 自分を友人と思ってくれた相手にあげる見返りが銃弾で、結末があんなものだとするなら、それは余りにもあんまりというものだ。

 己を冷静に見るなら、前の世界から知り合った友人を手にかけたのを悔やんで酒を飲み、悲しさを薄めようとしている。悲しさが濃いなら薄めるには量が必要なのも道理なのかもしれない。


 でも、酒に溺れる趣味は無いし持ちたくない。その上この『ルナ』の身体では痛飲にも無理がある。本当にこの一杯を飲んだら寝よう。そして明日からどうするかは、改めて考えれば良い。

 人間いつまでも悲しんではいられない。一つの感情が永続する訳もない。これまでも色々あったけど、時間が良くも悪くもそれらを押し流してきた。きっとこの件も時間の流れが感情を持っていくはずだ。


「……友へ」


 それが何時になるかは分からないけど、出来るだけ早くに来て欲しい。そう願って最後の一杯を友人への献杯にして飲み干した。


 選んだ酒精はグラッパ。ワインを作るときの絞り滓を元にした蒸留酒だそうだ。欧州だとイタリアで作られた物しかグラッパの名前を名乗れないそうだが、この世界では関係なく普通にボトルに表示されている。

 無色透明な液体から微かにブドウの香りがする。口に入れれば強いアルコールがノドを通り抜けて、そのまま液本体もノドの奥へと消えていく。食後のお酒としては理想だと聞いたことがあるから選んだが、確かに口当たりが良いせいで何杯も空けてしまいそうになる。

 これは明日の朝は頭痛になるかな? と思いつつ最後の一口をノドに流し入れて一息吐き、酒精の余韻に浸った。


「――主」

「うん、感じた。酷いタイミングだ」


 晩酌終了とほぼ同時、肌に感じる圧迫感じみた感触を感じ取った。ジンもこれを感知したなら酔って妄想している訳ではないようだ。

 お互いお喋りではないが、何を言いたいのか充分に伝わる。全く、この世界は余韻に浸る権利さえ実力で守らなくてはいけないのか。無粋な上に世知辛い。

 前回の壱火の時といい、今回といいこの屋敷には人を招き寄せる何かがあるのだろうか? 下の階から感じ取れる人の気配にウンザリとした気持ちを噛みしめた。静かに生きたい自分にはこの世界は賑やかに過ぎる。

 こんな人気のない土地にわざわざやって来る輩だ。壱火の時みたいなのは例外と見なして良いはず。人のテリトリーに無断で侵入する手合いは銃口向けても文句は出ないはずだ。

 ここまでを思考を十秒かけてまとめ、次に自分自身に『浄化』をかけて強引に酔いを覚ましてソファから立ち上がった。


「――あ、っと」

「主、しっかり」

「ごめん」


 『浄化』をかけてもアルコールが残っていたらしく、足がもつれて転びそうになったところをジンが支えてくれた。

 彼の触腕が柔らかくしっかりと体に触れ、倒れるのを防いでくれている。感触は猫の尻尾みたいだ。初めて触れるこの感触に思わずフニフニと揉む。うん、返ってくる手応えも猫の体みたいだ。


「あー、主。スキンシップは結構なんだが、後にしないか?」

「あ、ごめん。頭にも酔いが回っていたみたい」


 ジンに謝ってキチンと体勢を立て直した。ずっと呆けていたせいで急な切り換えに体が追いつかないみたいだ。思わず頭を振った。

 すぐに気持ちを切り換えて、考えるのは侵入者、手元の武器、対処法と頭に考えるべき項目がすぐに浮かぶ。

 侵入者は一階に存在を感じる気配。気配を感じたのは唐突で一体相手が何なのかは不明だ。

 テーブルの横に広げたシートに目を落とす。そこには今日の猟で使ったスプリングフィールドが整備のためにバラされた状態で広げられている。当然、使えるはずもない。使えるのはショットガンとハンドガンの二種類か。

 肝心の対処法は、まずは一階に下りて侵入者を確認しないと始まらない。酔いを振り切って壁にかけたガンベルトを手にした。


 手早くベルトを装着し、ホルスターから拳銃を抜いて状態を確認。次に手近に立て掛けたショットガンも手にして同じく状態を確認する。作動は良好、弾もしっかりある。

 装備を整えて、この屋敷に来た二人目の来訪者を迎えるべく部屋を出た。

 明かりのない夜中の廊下は自分の視界にも薄暗く、物音は聞こえないのに何かがいる気配は伝わってくる。

 屋敷に侵入されている時点で立て籠もる選択肢は無い。得体の知れないプレッシャーを感じる暗闇にそっと足を踏み出した。


 木製の床材とブーツが合わさって生まれる硬い足音。微かに軋む床。十中八九相手もこっちの存在を感知している。

 後はどれだけ早く相手を確認して、向こうより素早く動けるかにかかっている。こういう点では月詠人の能力が非常に役立つ。夜間戦で無類の行動力を持てるのは我が身体ながら頼もしい限りだ。

 ジンの手も借りて二階の異常確認を素早く済ませて、次は本命の一階に移動する。

 下に降りる螺旋階段へ足を向けた辺り、そのタイミングで下の気配が急激な変化をみせた。


「――っ」


 何か言葉を発する間もない。そんな暇があるなら臨戦態勢になっている。

 下の侵入者の気配が急激に増大、さらに急スピードで移動を始めた。一階のリビング辺りから廊下、廊下から階段、そして階段を使わず二階へと飛び上がってきた。ここまでに僅か三秒の神速ぶりだ。

 自分が構えたショットガンの銃口を階段の方向へとやったと同時、二階に飛び込んできた影が一瞬だけ見えた。だけど本当に一瞬、人影だとしか分からない。飛び込んできた侵入者はすぐに床を蹴って、壁を走り、天井を跳ねた。

 目で追うのがやっとで姿を捉えられない。動きの素早い相手を捉えるのがショットガンの本領ではあっても、ここで無駄弾を撃てば致命的な隙だ。下手を打てば近くいるジンまで誤射してしまう。

 頭に浮かんだ対処法を条件反射のように素早く実行。無駄弾が嫌なら相手を引きつけて攻撃に移る瞬間に撃てばいい。


「ジン、下がって」


 ジンに一声かけている間にぶれる人影は天井から床に着地。そこはこちらの背後、絶好の死角に潜り込んだようだ。

 感覚だけで確信は薄いが相手とは一mもなく、手を伸ばせば届く距離だ。

 相手が何かする前に先制攻撃。構えていたショットガンの銃床を肩から外し、後ろへ向けてバックストックを突き出す。硬い木製の銃床は鈍器としても優れており、まともに当たれば鍛えた人間でも悶絶できる一撃だ。

 でも銃床が突いたのは何もない空間で、気配は背後に貼り付いたまま。こちらの体の捻りに合わせて回り込まれた。

 攻撃した方向とは反対の暗闇から反撃はやってくる。室内のわずかな明かりの中で金属の硬質な物体が高速で繰り出されてきた。ほぼ間違いなくナイフに類する刃物での攻撃。


 最適解を最速で思考。すぐさま実行する。

 捻った体を強引に戻し、両手に持ったショットガンを片手ですくい上げるように振るった。

 向こうの攻撃とこちらの強引な再攻撃がぶつかって金属同士の擦れる音が鳴る。防御は成功、だけど銃の損傷が心配になる結果になってしまった。

 ショットガンの銃床に噛みつくように食い込んでいるのは予想通りナイフの刃で、そのグリップを握っているのが侵入者だ。

 いや、この場合は彼女を侵入者と見ていいのだろうか?


「何をやっているんですか? エカテリーナさん」

「素晴らしい反応です。しかもすでに反撃の用意までされている」


 何故かここにやって来て、何故か自分に攻撃を仕掛けてきたエカテリーナさんは、こっちの言葉に応えないで視線を下に向けて感心した声を上げる。

 ショットガンを振り上げた手とは反対の手でモーゼルを抜き出して相手の腹にポイントしている。

 こちらは振り上げる動作と同時に空いた手で拳銃も抜いていた。追い討ちのためにやったこの動きがエカテリーナさんの興味を引いたようだ。


「何故攻撃を?」


 モーゼルの銃口はまだ下げない。いくら顔見知りであっても、こうして攻撃してきた理由が分かるまでは気を緩められない。控えていたジンも自分の意思を汲み取ったらしく、触腕をゆらりと持ち上げて臨戦姿勢をとった。

 こんなこちらの態度に対してエカテリーナさんには余裕があった。あれほど鋭い攻撃を仕掛けてきたのに戦意も敵意も窺えない。まるで練習試合をしましたという風だ。

 やはり自分の問いかけには答えず、素早く滑らかな動作でナイフを収めると軽く頭を下げて一歩身を引く。答えるのは己ではないと態度が語っている。

 ここで鈍い自分にもようやく察しがついた。


「それは僕が命じたから。目的は腕が鈍っていないか軽く腕試しでどう?」


 聞き覚えのある声に自分は今度こそ銃を下ろして、ジンにも臨戦姿勢を解かせる。もう戦闘の場ではないと分かったからだ。

 エカテリーナさんと同じく螺旋階段から彼が現れた。先日の青年の姿ではなく少年の姿で、しかし幼さよりも高い気品を見る人に感じさせる。地区長に就任したばかりで忙しいはずなのに、何でこんな場所に現れるのかがまず不思議だった。

 体を回して正対する。電灯が一つも点いていない暗い廊下にあってもクリストフ・フェーヤはごく普通の足取りでこちらに近寄ってくる。目の錯覚でなければ彼の紫色の瞳が微かに光っているように見えた。


 自分の気持ちを時間の流れに委ねようと決めた直後、計ったようにクリストフはやって来た。

 能力や魔法を使わなくても予感できる。これが自分の次の戦いが始まる合図なのだ。




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