23話 孤軍奮闘
スタンこと涼介が『彼』と初めて顔を合せたのは高校に入ってしばらくの頃だった。
当時から興味があったサバイバルゲームの地元チームに入った時、チームの片隅でひっそりと籍を置いていたのが『彼』だった。
口数が少ないせいで、最初は顔を合せても会釈する程度の付き合いしかなかった人物だったが、ゲーム『エバーエーアデ』をお互いプレイしていると知った事をきっかけとして年の差を超えた付き合いが始まった。
学生の涼介と、その時点ですでに自由人生活を始めていた『彼』。時間なら何時でもとれ、オンオフ問わずに一緒に行動する事が自然と多くなった。
それなりの年齢差があるはずなのに、涼介は『彼』に年上の人間に対する遠慮は無かった。正確には持てなかった。
童顔で大人の人間らしい雰囲気が微塵もない『彼』はその見た目を幼く見せていた。これでは遠慮のしようがないというもの。タメ口でも相手が気にしていないのも手伝い、ほとんど同年代との付き合いと変わりがない間柄になっていた。
こうして付き合いは長く続いていき、涼介が大学に進学してからも変わりがなかった。涼介が車やバイクの免許を取ったことで行動が広がって、長期休みにツーリングへ出かけるイベントなどはあったが、お互いの距離感はそれほど変わった訳ではなかった。
涼介としてはこのままの距離感でずっと『彼』と友人付き合いが続いていくのだろうな、などと漠然と考えていた。
だから、そのずっとが突然に終わるとは思ってもみなかった。
『――スタジアムでは閉会式が進行しています。地区の役員の入場が終わりまして、間もなく先日就任されたクリストフ・フェーヤ地区長のスピーチが始まろうとしています』
傍に置いた安物の携帯ラジオから聞こえる音声に涼介は、意識を浮上させて『スタン・カイル』のものに切り換えた。
伏射姿勢のまま銃を手に、少しの時間だけ眠っていたみたいだ。ラジオの声はもう少しでその瞬間がやって来るとを知らせている。改めて銃を握り直して狙撃姿勢をとった。
銃床を肩の骨に当てて頬をつけ、銃床に付属しているグリップを握って引き寄せて銃と身体を密着させる。本体横に取り付けたスコープを覗き込めば、遙か遠距離の風景が目に飛び込んでくる。
呼吸をするたびにスコープの中の風景が揺れる。呼吸を整えて少しでも揺れを抑えて身体のブレを銃に伝えないようにしていく。
これらの銃の構え方は、ルナを名乗るようになった『彼』から教わったものだ。教わった技術で人を殺す事実に今更ながら申し訳なさが込み上げてくるが飲み込む。半端な気持ちを抱えては狙撃なんて成功しないからだ。
「――っ!」
呼吸を整えたところで軽く気合いを入れてボルトを動かし、弾薬を薬室へと装填する。
金属の擦れる音をたてて本体上部にある弾倉から弾薬が降りてきて、ボルトを戻せば薬室へと装填される。後は引き金を引くだけで、スタンが手ずからリロードしたカスタムカートリッジが撃ち出されるのだ。
ラジオに耳を澄ませて機を窺う。呼吸は整えても今度は心臓の鼓動がやけに大きくなってきて、それが銃を揺らしている気がしてきた。ゆっくりと吐く息が妙に震える。
『――今回のフェスティバルでは戦時下であることや、アストーイアの事件、我が街でも魔獣の来襲といった事件もあり、開催が危ぶまれていましたが――』
横に転がしているラジオは相変わらず放送を垂れ流している。仲間や使い魔を使った間接照準が出来ない中、唯一標的の様子を知る手段がこのラジオだ。
スコープの中、照準の中心に映っているのは昨日設置した『リフレクター』だ。この狙撃は標的を直接狙わない。警護する人間の死角を突いて、あらぬ角度から銃弾を対象に届かせる反射狙撃。スタンがこれからしようとしているのは、そんな離れ業であった。
リーからこの暗殺命令を下された時からプランはあった。出発前にはゲームと現実のギャップを埋めるために訓練もして、ライフルやリフレクターの反射具合などの感触も確かめている。ただ、どれだけ弾を消費しても充分という気分にはなれなかった。
ライフル、弾薬、リフレクター、気象条件、スタンを囲む狙撃の条件は整っているはずなのに、己の条件だけが満たされているとは彼自身には思えないでいた。
泣こうが喚こうが時間はやって来てしまう。ラジオから流れる音声はその時を告げた。
『それでは、今回の地区会議で地区長に就任されたクリストフ・フェーヤ氏の演説です』
アナウンスの直後からラジオから拍手の音が聞こえてくる。きっと会場のスタジアムでは何百、何千人の人が集まって標的の登壇に対して拍手を送っているのだろう。
まずは息を整えて相手がマイクの前に立つ瞬間を待つ。用意したリフレクターは標的がマイクの前に立つ位置に合せて角度を調整しているのだ。まずは第一声を聞いてから狙撃体勢に入る。
脳裏に用意したリフレクター全てを待機状態から起動状態に移行させる。スコープに映る透明なアクリル板に見える魔法も虚像から実像を結び、術者の魔力で実体を得る。これで物理的に干渉可能になる。
気持ちの上ではどんなに迷っても、体は決めた動作をこなす。心と行動の切り離し。『彼』から教わった心構えが、こんな場面で実践するとはスタン自身も思いも寄らなかった。
『皆さんこんにちは。様々な情勢の中にあっても今回のフェスにお越し頂き、先ずはありがとうございます』
ラジオから標的の声がした。想像しているより幼い気もするが、こんなスピーチを始めるのは間違いなく標的だ。
最終確認。ライフル良し、弾薬良し、各リフレクター角度調整良し、風は河からの微風で狙撃に問題無し、気温湿度共に火薬に影響するほどでは無く、条件は全て揃ってしまった。
軽く息を止めて、銃の僅かなブレさえ止める。そうして最後の最後、引き金に指をかける。
狙撃用にトリガーはとても軽く調整していた。羽根が触れれば、という程ではなくとも軽く指を引いただけで撃てるよう軽くなっている。なのに今のスタンにはその引き金が固く重く感じられた。
引き金を引いている時間がやけに長く感じる。一体何秒の時間がここまでで経っているのか分からない。
実際には一瞬にも満たないその時間。スタンには重苦しく感じた僅かで永い時間の後、撃発と衝撃が轟いた。
高性能火薬によって蹴り出され、高精度の銃身によって加速された銃弾。高精度に削り出されたそれは、空気の抵抗を可能な限り減らして飛翔を始めた。
秒に満たない時間で銃弾はリフレクターの半透明な板に命中する。ここから銃弾は通常の弾道力学の法則から解き放たれる。
シールドの呪紋を改変されたそれは、当たった弾丸のエネルギーを一切消費することなくベクトルを設定した方向へと改竄する文字通り魔法の産物だ。
リフレクターによって進行方向をスタンの狙う標的へと変えた弾丸は、この瞬間に魔弾へと化けた。
進行方向を変えた銃弾は次の半秒で第二のリフレクターに命中、さらに進行方向を変えてさらに次のリフレクターへ。魔弾は空中を通過し、会場周辺を警備する人員の頭上を嘲笑うかのように飛翔する。
六つ用意されたリフレクターの内、四つのリフレクターで魔弾はスタンの望む場所へ誘導される。
そうして標的――クリストフの頭部へと吸い込まれるようにして弾丸は、
『わぁっ! い、いきなりマイクが爆発しました! フェーヤ氏は『無事』のようですが、会場が騒然としております!』
「外した!?」
命中しなかった。スタンは思わずラジオを睨みつけるが、聞こえてくるのは混乱する会場の騒音ばかり。アナウンサーもこの混乱で職務を一時的に放棄している有様だ。
混乱するのはスタンも同じだ。昨日の内に散々リフレクターの角度を確認して、弾丸が最終的には標的の頭部に当たるように調整したはず。だというのに、弾丸が貫いたのはマイクのみらしい。
一体これはどういう事だ? 撤退も次弾装填も忘れてスタンは思わず失敗原因を考えてしまう。
『皆さん、落ち着いて下さい。どうか騒ぎを大きくしないで。私クリストフ・フェーヤはこの通り怪我一つありません。この姿は私の普段の姿を皆さんに知って頂こうとしての事。誓って代役などではありません。子供みたいな姿ですけど、職務の時はキチンと応対しますのでご安心を』
ラジオから聞こえる幼い声にスタンは徐々に失敗の原因を悟った。
標的クリストフ・フェーヤは外向きの青年形態とプライベートの少年形態の二つの姿があるのはスタンは知っている。それらはリーからの情報提供だったり、標的の住居を外から観察したりして見知っていた。
それでも観衆に向けて演説をするのだ。当然外向きの形態を取るはずだと見当をつけていて、その形態の標的の身長体格に合わせてリフレクターは調整されていた。
しかし、相手は少年形態で壇上に上がってきた。そうなると必殺のはずの弾丸は標的の頭上を飛び越えてしまう。二つの形態にはそれだけの身長差があるのだ。
あまりと言えばあんまりな失敗原因にスタンはしばらく呆然と固まっていた。
――――――待て、挽回のチャンスはまだあるはず。思考硬直から復帰したスタンは手を動かし、ボルトを操作する。
空薬莢が本体の下から排出されて床を転がる。ボルトを戻し、次弾を装填。次に意識をリフレクターへと向ける。
角度を微修正して標的へと向うコースを再度算出する。頭部に当たらなくても体幹部分に命中さえすれば、大口径のライフル弾は致命傷を与える。標的がまだマイクの前から動いていないなら狙撃の機会はまだ残っているはずだ。
ただでさえ気持ちの糸が切れがちなのに、失敗のせいでズタズタなメンタル。それを必死に立て直してスタンはスコープに目をやろうとした。
そんな彼に次の精神的な衝撃が襲ったのはすぐ後だった。それは脳裏にあった呪紋が次々と破壊される感触だ。
予備を含めて複数用意して、街の各所に設置したリフレクター。その術式はスタンの脳裏に存在して、彼はそれを通して角度の調整を行える。その術式が一つ、また一つと脳裏から消えていくのだ。
「い、一体何が? あ、三番も消えた。予備の六番も……何なんだ一体全体」
予想外な事が続けざまに起きて思わず考えている事が口を突いて出る。スタン自身、もうこれは悲鳴だと思う。
スコープの中に映っていたリフレクターにも異変が起こる。リフレクターの板が一瞬ブレたかと思うとヒビが入って砕け、魔力で作られた物質は空気に溶けて消えた。脳裏からも術式が消えて破壊されたのだと、遅れて理解した。
リフレクターが砕けてしばらく、連続した銃声が耳に入る。これが銃撃で破壊されたのだと分かったスタンは銃弾の行方を辿ってライフルの銃口を巡らせる。
リフレクターといっても元は防御用呪紋のシールドを改変した魔法である。一定以上のダメージを受ければ壊れるし、シールドの裏側にいたっては耐久力など全く無いと言っていい。反射面の裏側から攻撃を受ければ脆いのがこの呪紋の弱点と言えた。
リフレクターを裏側から壊せる角度は限られている。スタンは頭の中にゲアゴジャの地図を思い描き、その限られた範囲へと銃口を向けた。
そして、スコープに相手を捉える。
「……はぁ……何となく、こうなる予感はしてたんだけどな」
いざ現実になってみると溜息しか出てこない。スタンはスコープの向こうに見えた相手の姿に深く息を吐いた。
「だろう? 師匠」
スコープの向こう側、ライフルを向けてくるルナの姿に彼はやるせない気持ちを深めた。
◆
「主、クリストフ氏は無事だ。間に合ったようだ」
「分かった。こっちも狙える範囲のリフレクターは壊した。これで狙撃コースはほとんど潰したはず」
後ろに止めたパオの中でカーラジオを聞いていたジンからの報告に応え、自分はスコープの中で消えていくリフレクターを見届けた。
ここは河に程近い立体駐車場の四階。敵狙撃手が潜伏している範囲を見渡せてリフレクターもある程度壊せる都合の良い場所を探して目星をつけたのがここだ。
こんなにも簡単に範囲が絞れたのも、やはり相手スナイパーが本職ではなかった部分が大きい。反射狙撃という非常識な技はあっても、本格的な狙撃手のノウハウは彼には無かった。
車でここまで乗り込んで大急ぎで射撃体勢に入った時、銃声が聞こえてカーラジオから騒然とした音声が聞こえた。間に合わなかったと思ってしまったが、どうやらクリスの方で機転を利かせたみたいだ。
駐車場のコンクリートの床に直接伏せて、二脚を広げたスプリングフィールドを構え直す。すでに四つ見える範囲でのリフレクターを壊しており、床には壊した数の三倍分の空薬莢が転がっている。一基あたり三発撃った計算だ。
起動状態になってしまえば破壊できるようになる。スコープで実体化を確認次第端から撃ち壊して、たった今狙える範囲の四つのリフレクターを壊したところだった。
さらにスプリングフィールドの銃口を水平に滑らせる。スコープに見えるのは河岸に連なって係留されている幾つもの船。
橋の下を通ることも想定されてた設計だからか、どれも全体的に平たい船体構造をしているそれらの一つに敵狙撃手の姿を確認する。
その敵は自分の想像を裏切らず友人の姿をしていた。
「やはり君なんだな、涼介君。いや、スタン・カイル」
「主、こちらの守りは?」
「いらない。多分だけど……」
多分だが、決着は一瞬で着く。だから視界が塞がるジンの援護防御はかえって邪魔になってしまう。今は盾より一瞬の機会を見逃さない目が欲しい。
弾倉に残る弾薬数は後六発。人一人と撃ち合うには充分な弾数のはずだ。向こうのボーイズの弾数は、転移してから手を加えていなければオリジナルのまま残り四発。ただし、威力や射程は向こうが上で勝っているのは弾数と連射能力ぐらいか。
ここから向こうまでの距離は目算で六〇〇mと少し。近くの民家にある洗濯物で風の様子を見れば、河から風が吹いていて向かい風だ。
スタンもこちらをスコープで捉えている。気のせいか彼の射貫くような視線を感じる。長距離を隔てて自分と彼は対峙して、機を窺っていた。
まるで西部劇の決闘みたいに銃を手に睨み合っている。違うところはお互いの距離ぐらい。
光学スコープの向こうでじっと動かず船の床に伏せて銃を構えているスタンの表情は、向こうの大型スコープで顔の大半が隠れて窺えない。
この瞬間だけ、彼を敵として撃つと決めた。己の利益のために。もしかしたら他の誰かのために。だから自分に躊躇はない。
トリガーは思った以上に簡単に引けて、そして軽かった。
発砲の反動でブレるスコープの向こう側で、スタンからも発砲炎が出ているのが見えた。これはほぼ同時の発砲か?
そんな思考が脳を巡った次の時点で結果がやって来る。空気を擦る音が耳元で鳴って、目の前で何かが弾けた。
視力がこの身体になったためか、すぐに何があったか分かる。伏せた自分の顔の横、一〇㎝もない床に敵の弾が当たったのだ。弾けたのはコンクリート床で、当たった場所にはクレーターが作られていた。
さらには額から液体らしいものが垂れてきて痛みだしている。おそらくは弾けたコンクリート片で怪我でもしたのだろう。
「主っ!」
「まだ来るな」
後ろでジンの声が出ても抑える。痛みはまだ無視できる。戦闘はまだ続行中、怪我の一つや二つで集中を切らすと命取りだ。それよりこちらが撃った弾の行方をスコープで追う。
見えた。やはり外れている。弾が当たったのはスタンの横、何か小さなラジオみたいな物に着弾して壊すだけになっていた。
あの撃った瞬間、お互いの弾がかすったのを知覚できたから外れは確定していたが、想定より大きくズレている。照準の修正がすぐにでも必要だ。
スタンの動きは? ボルトを操作して再装填中か。なら、こちらの勝ちだ。
額から血が垂れて片目が塞がってもスコープ側ではないので黙殺。今一度射撃を行うための精密機械となる。
手動操作のボーイズよりも自動小銃のこちらが繋ぎの一手が早い。残酷だが、武器の差は埋めようがないほどに明らかだった。
そうして自分は引き金を引いた。
◆◆
「主、クリストフの従者のエカテリーナに連絡をとって来た。会場の混乱もあるだろうから、十五分程はかかるとの事だ」
「分かった、ありがとう」
「それと怪我の治療は?」
「消毒と止血だけで良い」
クリスへの連絡を頼んだジンが帰ってきた時には、目の前のスタンはほぼ虫の息になっていた。
彼は回復呪紋での治療を拒み、このまま死ぬ事を望んだからだ。そのため、こちらが撃った三発の弾丸は確実に彼の命を奪おうとしている。
ここでの自分の立場は友人として彼の死を看取る見届け人でしかない。引き籠もり気味だった自分の数少ない知人、いや友人である彼に対して自分が出来る事は余りにも少なかった。
撃ち合いの後、すぐに彼のいる場所へと車を飛ばした。直線では六〇〇m程であっても、道を使えば数㎞に距離は伸びる。その時間が酷くもどかしかった。
移動の間にジンが血を拭ってくれたり、軽くファーストエイドめいた事をしてくれた記憶があるけど、スタンへの思いで他へ気が回らなかったせいで余り覚えてはいない。
河岸の桟橋にある船の一つ、スタンの狙撃地点に着いて、念会話を飛ばしても彼からの返答はない。意を決して入ってみると、こうなったスタンの姿があった。
「……こっちに遠慮しているんなら、別にいいって。回復受ければどうさ。せっかく可愛くなっているのに、顔に傷が付いちゃマズイだろ」
「涼介君。三〇過ぎた人に対して可愛いはないと思うんだが。それにコレは遠慮なんかじゃない、私なりの戒めかな」
「そうかよ……なら、こっちがとやかく言うものじゃないな……ぐっ、痛ぅ……」
平船の甲板に大の字に寝そべって太陽の光を浴びているスタン。自分はそのすぐ横に座り、彼を見下ろしていた。
ここだけ見れば陽気な日光浴に見えないこともない。でも、すぐ傍にはスコープが壊れてレシーバーにも弾丸がめり込んだボーイズライフルが転がっていて、スタンの腹が血に染まっているのを見れば戦闘の後だとしっかり認識できるだろう。
血の色を見れば肝臓などの主要臓器がやられて、動脈も切れているのが判断できる。出血も相当な量になっており、回復呪紋であっても血を戻すのは無理な話だった。
「しつこいようだけど、本当に回復はいらない? そのままだと――」
「死ぬんだろ、知っているよ。もういいんだ、疲れたんだ。本当ならもっと早くに自殺でもしてればよかったものを、そんな気になれなかったばかりに迷惑かけたんだ。死ぬなら潔くが、カッコ良く思わないか?」
「自分自身で言っていたら世話はない。でも分かった、もう聞かない」
「頼むよ、もう一回聞かれたらグラつく。一般ピーポーとしては、死に向うって怖えんだから」
スタンの願いを聞いた自分は、もう回復について問わないとした。これが人の機微を察するのが苦手な自分でも強がりなのが分かるほど苦しい台詞であっても、友人として精一杯の強がりに付き合ってあげたい。
だったら後聞きたいのは一点、動機だ。
「涼介君、君はどうしてこんな真似を? クリスを暗殺しようとしていたみたいだけど、君はこの世界の政治と関わりはないはず。それがどうして?」
「俺にはなくても、チームにはあっただけさ。しがらみ振り切ろうとして、足を洗おうと思ったらこんな仕事を命令された、ただそれだけだ」
「チーム……まさか、S・A・S?」
「正解……今思えば、なんでここまで義理立てしているんだか、そう思うよ」
後ろで糸を引いていたのがあのチームとは、予想を外れないものだ。何を考えているか分からない連中には、怒りよりも先に呆れかえる。
数日前に出会ったリーという男の顔が思い浮かんで、なるほど伏線はだいぶ前からあったのだと納得する。彼らの思惑が一体どこにあるのか、実行された部分しか見えていない身としては推測も難しい。だが、今はそんな事よりスタン、涼介君だ。
出す言葉はさっきから掠れ気味で、息が荒い。出血がここまで酷くなっても死なないのはプレイヤーの肉体ならではの頑丈さだろう。
そんな命の火も間もなく消えようとしている。他でもない自分が吹き消したのだから。手を下した身として彼の最期を看取る。
「なあ、タバコとかあったりしないか? あったら一本くれよ」
「……あ、そういえば、あった。でも、君未成年じゃなかった?」
「高校の時から、ちょこちょこ、な」
「不良め。ほら、一本」
タバコを要求されたので、ジアトー脱出からバッグに入れっぱなしになっていた物を取り出して、一本を口に咥えさせオイルライターで火を着けた。
紙巻きが焼けて紫煙が上がる。スタンの胸がゆっくりと上下してタバコを吸っているのが分かる。彼の目は煙を追ってぼんやりと空を眺めてから、不意にこちらに向けられた。
視線が向けられたのは自分の手、持っているタバコの箱だ。
「見たことないパケだけど、こっちの世界の銘柄、か?」
「ラッキーストライク。これは戦前のパッケージカラーだけど元の世界と同じ物かは知らない」
「――くっくっ、皮肉が利いている、な。ラッキーに、ストライクとかって……狙ってやったか?」
「まさか、偶然持ち合わせがコレなだけ」
タバコの銘柄からくる皮肉めいた偶然にスタンは喉を詰まらせたように苦笑した。その口から血がこぼれて、咳き込む。気管にも血が入り込んでしまったみたいだ。
咳き込んだ拍子にタバコが彼の口から落ちて甲板を転がった。
出血量も普通だったらもう致死の領域だ。咳き込んだ後の彼の顔は苦痛に歪む。死ににくいプレイヤーの身体がこの場では少し憎らしいと思えた。
自分の考えが伝わった訳ではないだろうが、咳が収まったスタンは縋るような声で頼みを口にしてきた。
「師匠、迷惑ついでだけどトドメ、頼むわ……もう痛すぎて、キツい。これ以上だと、みっともないトコ見せそうで、嫌だ」
「ああ、そうくるか。やはり」
「わりぃ」
「謝らないで、頼むから」
一度スタンから視線を切って、周囲を見やった。ゲアゴジャの街でのフェスティバルは今日で終わり。祭の終わりを前にして街は最後の賑わいを見せている。ただ、この桟橋には人影は皆無、賑わいもかなり遠い。
賑わいが遠い分、さっきまであんな撃ち合いがあったとは思えない静けさが船の上には漂っていた。あるのは残った硝煙の臭いと血の匂いだけ。
また人に対して手を下す。しかも友人に対して。抵抗はあるのだが、躊躇はしないともう決めている。
軽く息を吐いてから腰のホルスターに手を伸ばす。馴染んだモーゼル拳銃のグリップがいつものようにそこにあった。それを握って抜き出す。スチールの表面が陽の光を浴びて鈍く輝き、目に焼き付く。
すでに手に馴染んだ動きでボルトを引く。整備を欠かさないモーゼルは滑らかに作動して初弾を装填した。躊躇を捨てた自分は速やかに握り慣れた銃の銃口をスタンへと向ける。
彼は有り難いことに目を閉じてくれていた。目を見てしまっては撃てそうにないのを察してくれたのだろうか。
引き金に指をかけた。残る作業は指を引くだけだ。
「では、ね」
「……ああ、じゃあ、な」
シンプルな言葉だけを最期に言い合って、引き金を引いた。その感触はやっぱり軽いままだった。
銃声と手に伝わる反動は都合五回。確実に冷徹に、なにより下手に息があって苦しまないように胸に三発、頭に二発撃って止めを刺した。
銃声の余韻が消えると耳には奇妙なくらいの静けさ。血の匂いがさっきより濃くなった。
静けさは好むはずなのに、重苦しくなるだけの無音が酷くわずらわしい。
だから、今度は銃を空に向けて撃つ。略式もいいところだが、弔銃の意味を込めて撃つ。静けさを避けるように撃った。見上げる空は人の気持ちなどどこ吹く風で青々としていた。それが憎らしく思えてまた撃つ。最後の一発も空に撃って、硝煙で血の匂いを消そうとした。
空がにじんで見える。きっと火薬やタバコの煙が目にしみたのだ。そう思うとした。
耳は遠くから近付いてくるサイレンの音を拾っている。もうすぐ警察が来るらしい。だったら、あと少しでいい。あと少しだけ独りにさせて欲しい。