21話 閑話休題・下
「親父、そんな話をルナにしてたのか。ボクの前だったら絶対弱気なところなんか見せないのに」
「男なんてそんなものですよ、お嬢さん。格好悪いところを見られたくないから見栄を張ったり、気張ったりで。父親なら尚更だ。はい、注文のラム肉のハンバーグ」
「あ、サンクス、マスター。うわ、旨そう」
レイモンドが店を出て行ってしばらくすると、入れ違いで彼の元息子、現娘の壱火がやってきた。
空腹で目を覚まし、念会話でこちらの場所を聞き出すと食べ物に釣られて飛んできたのだ。夕食時のこの時間帯、壱火は今日初めての食事になる。
その側に一緒にいるはずの黒猫の姿はない。壱火の話ではホテルを出るときまでは一緒だったのだが、何か何もない空中を見て『気になるものを見つけた先に帰ってくれ』とか言ってきて別れたのだそうだ。
念会話でジンにコンタクトを取ると『危険なマネはしない。きちんと戻って来る』といった答えが申し訳なさそうに返ってきたので、深くは聞かない事にした。
彼にも独りになりたい時があっていいはずだし、マスターだからといって無理強いするのも良くない。そう考えた自分は、何かあったら連絡して欲しいとだけ伝えてこちらは壱火の相手を務めるとした。
話を戻す。ホテルからここまでは徒歩二十分の距離、それを壱火は十分で来たと言えば彼女の釣られ具合が分かるだろう。
どれだけ急いで支度したのか、髪は寝癖であちこちがはねているし、例の寒そうな服装も少しズレて危ない状態だ。マスターに視線をやると、「貴女が指摘して下さい」と察しの悪い自分でも分かるレベルで目が語っている。
店に来た客達の中にはチラチラと壱火を見やる人もいて、落ち着いた店の空気が徐々に破壊されていくのが分かった。
これではコーヒーも満足に楽しめない。マスターの要請に応えよう。
「壱火、食べる前に身なりを整えて欲しい。その、服がズレている」
「お、おお。急いでいたから分からなかったよ。サンキュ」
「ここじゃなくて、トイレとかで」
「おうっ」
指摘すると無頓着にその場で服に手をかけようとするので、犬に「ハウス」と言い聞かせる要領でトイレへと追いやった。
出された料理を無念そうに見ながらトイレの扉の向こうへ壱火の姿が消えると、店内は元の落ち着いたバーの空気を取り戻した。配合割合は惜しい残念と思うのが三割、ようやく落ち着けるという安堵が七割。安堵の割合が高いのは店内の年齢層が全体的に高いからだろう。
自分も後者の安堵組だ。壱火を見送ると軽く息を吐いて、マスターにコーヒーのお代わりを注文しようとした。だがその前に、マスターが自分に新しいコーヒーカップでお代わりを差し出してきた。
「ありがとう。男の身じゃ女子の身だしなみにアレコレと言い難いからね。お礼として少し高い豆を奢ってあげよう」
「わざわざすいません。ご馳走になります」
高い豆を使っているとからなのか、カップも上質な品だ。濃い琥珀色の液面には油脂が浮かび、濃厚な香りが湯気と一緒に上がってくる。抽出方法もネルドリップと凝っていた。これは『少し』ではなく確実にお高いコーヒーだ。
普通だったら遠慮するが、淹れた後で断るのもコーヒーに対する侮辱、マスターには「どういたしまして」という気持ちでありがたく頂いた。
「――おぉ、これは……」
一口飲んで広がるフレーバーに目を細める。ネルならではの濃厚でとろっとした味に背筋に電気が走る。今まで色々と飲んできたけど、ここまで美味しいものは数える程度だ。というのも腕の良いバリスタが身近にいなかったせいだ。
こんなに美味しいコーヒーが飲めるなら今後もここに通って常連になるのも良いな。
真剣に店の常連を目指すことを考えている最中、店は新しい来客を迎えた。
「ん? あ……」
「――あ」
新しい来客は記憶に新しい顔だった。昨夜に会ったばかりのスタン、ゲームでの名前をそのまま継いでスタン・カイルと名乗っている旧知の知人は顔を合せるなり大げさな位に驚いた表情を顔に浮かべていた。
それを少し不思議に思いつつ、偶然に再会できた知人に声をかけた。
「こんばんは。早い再会だったね」
「あ、ああ。……隣、良い?」
「どうぞ」
自分の隣に誘うとスタンは戸惑ったような顔で近付いてきて、壱火の席にある料理を見てから反対の隣席に腰を下ろした。
「誰かと一緒に来ているか?」
「壱火と。昨日一緒に戦った人狼族の」
「あぁ、彼女か。今はトイレ?」
「そう」
「そっか。――マスター、食事を頼む。コレと同じ物を。で、酒も頼む」
スタンは壱火が注文したハンバーグが気になったのか同じ物を注文して、同時にグラスに一杯の酒も注文した。
ウォッカをストレート、酒量はグラスの底から指二本分のダブル、チェイサーの水は無し、などとかなりキツイ飲み方だ。
食事よりも先に来たグラスを手に取るなり何の躊躇もなく一口目を口にした。口にしてからすぐにスタンの表情が変わる。キツイ酒精にむせて眉が寄って、額にシワができる。
無理もない。スタンは元の世界だとまだ二十歳になっていない未成年だったはずだ。サバイバルゲームを通して知り合った年下の知人、それが彼なのだ。
「無茶な飲み方をする。酒の経験は?」
「……大学のサークルで先輩に勧められた時ぐらい。ビールとチューハイ」
「それでいきなりウォッカをストレートは無謀じゃないか」
「まあ、そうだけど」
「何か飲まなければならない事情でも?」
「…………」
聞き方が悪かったらしく、尋ねるなりスタンは黙り込んでしまった。テーブルに肘を着いて、グラスのウォッカを舐めるように飲んで言葉は出さない。
それなりに付き合いはある相手だ。だから店に来てからの態度で何かあったのは確実だけど、それを口にするつもりは無いようだった。
こちらにまで匂うウォッカの強い酒精を横に置いて、自分も若干冷めたコーヒーを飲む。気のせいかさっきよりも味気ない。
お互いにお喋りな方ではなく、二人顔を合せても黙っている場面などは良くあった。それでも沈黙は重苦しいものではなかったし、静かさを共有している気分は割合に心地よかったように思えていた。でも今は沈黙が重い。言うべき言葉が口から出てこなかった。
何時もより重苦しく感じる沈黙が続いていると、服装を整えた壱火がトイレから戻ってきた。肌の露出が多い服装なのは変わりなくても、見れる姿になっていたのは良い事だ。
「ただいまー。っと、そっちは昨日一緒に戦った人じゃん。どもっ!」
「あ、ああ……お邪魔しているよ」
「いいっていいって、人が多ければそれだけ楽しいから。――お、このハンバーグちょっと冷めても美味しい」
ここからは壱火の快進撃ペースだった。スタンも自分も相手に会話のペースを譲ってしまうタイプに対して、壱火はグイグイと引っ張るタイプ。だから沈黙していても遠慮無く話題を出して会話に切り込んでくるし、自ら話を膨らませてペースを作ってしまう。要するにとても話が上手くて、こちらを乗せるのも上手なのだ。
ハンバーグの刺さったフォークを片手に壱火は食事時のお喋りを大いに満喫している。それに年上二人は振り回されているのがこの場の構図になった。三人の中でも一番の年長者として正直どうなの? と思いはする。でも口の上手さではどうやっても勝てそうになかった。
「で、あの時初めてリアルお姫様だっこを見たわけですが、感想は?」
「いや、爆発から逃げるのに必死で感想が持てるほど覚えちゃいないな」
「……人命救助をされる側だったと思うようにしている」
昨夜のパーティの一件は話の種の宝庫だ。こちらとしては複雑な気分だったお姫様だっこの件も壱火は平気で話に出してくる上、感想まで聞いてくる。
かと思えば――
「なあなあ、スタンってハイパワー以外に武器何か使ってない? ハンドガンでオススメとかある?」
「特に無いが。ライフルがメインだからハンドガンはサブに使っているだけだ」
「スタン、彼女の戦闘スタイルは昨日も見たはず。何か言ってあげた方が良いと思う」
この様に使っている武器を話題にして盛り上がる。ころころと話題が変わってせわしないはずなのに、壱火の出す雰囲気がそうさせるのか嫌な気分にはならない。店内の他の客から聞こえるさざめきと混じって落ち着いた気分になってきた。
酒棚に置かれた大きなラジオからはどこか懐かしい曲調の音楽が聞こえる。ギターとサックスをメインに落ち着いたトーンの曲が店中に流れる中で、壱火の話題はまたまた転がって少し思わぬ方向に行った。
「そういえば、二人はどんな風に知り合ったんだ? リア友なのは分かるけど……」
壱火の目が自分とスタンを交互に見ている。この世界に転移したことでゲームのキャラクターの肉体を持ってしまった自分達だけど、顔の造作などは元の印象を残している。壱火はそれを見比べて次の言葉を出してきた。
「どうやって知り合ったのか想像するのが少し難しいコンビだから気になった」
「そんな軽い感じに聞かれても。しかも、友って友達か」
「え? 二人は友達じゃないの? まさかリアル恋人……」
「恋人じゃない。スタン、同意を」
友達とか恋人とか、自分のこれまでの人生に無縁だった単語が壱火の口から出てきて戸惑ってしまい、ついスタンに話を振ってしまった。
でも話を振ってもスタンからの声が無かった。無反応なのが気になって、彼に顔を向けてみると俯いた姿があった。出されたハンバーグをナイフとフォークで切り刻み、一口サイズからさらに細かく元の挽き肉に戻りかけている。ぼーっとしていて手だけが動いていた。
「スタン……涼介君?」
「う!? あ、な、なに?」
元の呼び方をしたらすぐに我に返った。本名で耳慣れた呼び方なら反応があるかもしれない。そう思って呼びかけたら案の定だ。
一体彼は何を思い詰めているのか自分には分からない。聞き出すべきなのか、聞かずそっとしておくべきなのかも分からない。こんな場面の選択は何時だって決まっている。藪を突かず、静かに放置する一択だ。
それは逃げだと言われれば、その通りでしかない。でも、自分にはこういう処世術しか身につかなかった。
慌てた状態になったスタンにさっき話に出た『友達か恋人か』という話題を振ってみると、慌てた様子から今度はショックを受けているような顔になった。
「恋人じゃないのは同意だけどさ、こっちは友達と思っていたぞ。師匠、違うのか? かなりショックなんだが」
「いや、その、何と言ったら良いか。友達の定義が分からなくて」
「何、その定義って」
「どこまでの関係なら友達と言えるのかと考えてしまって、言葉に詰まってしまった」
本当に戸惑う。人付き合いの悪さは物心ついた時からと言っても過言ではないので、自分の周囲に人は少なかった。両親が亡くなってからはそれがより顕著になって、独りが当たり前になっていた。
だからだから何をしたら『友達』と言えるのか自分にはさっぱりだ。
こっちのこんな反応を見た壱火は「うわぁ……」と呆れとも感嘆ともつかない声を出して口をあんぐりと開けている。スタンは「ずっとぼっちだったとは聞いていたけど、こんなに酷いものなのか」と呟いて頭を抱えている。かなりマズイ答え方をしてしまったらしい。
「ねえルナ、スタンとは一緒に何かやった? 元の世界で」
「そうだな。サバゲで知り合って、やっているゲームも一緒だと知ってからは何回もパーティを組んだし、オフでも顔を合せて色々やったな。バイクでツーリングもしたな」
「ああ、去年はカキ祭で松島だったな。その前は水沢うどん食べに渋川だったけ」
「そこまでいけば友達どころかマブダチじゃない! なにソレ!? それで定義が分からんって、ルナの方が分からないよ」
「……そうか……うん、そうなんだ」
元の世界でのスタン――本名・筒井涼介――との付き合いを話してみると、壱火が悲鳴のような声で叫んだ。同時に店内にいる客達が何事かと視線を集める。
「あ。あはは、すいません、お騒がせしました」などと壱火が笑って誤魔化すようにして周りに謝っている最中、自分は彼女に言われた内容を噛みしめていた。
友達、か。縁遠いものだとばかり思っていたら、いつの間にか手にしていたなんて思ってもみなかった。しかもそれをこんな激動の情勢下で知るなんて数奇にもほどがある。
奇妙な運の巡り合わせを思い、スタンに視線を向ける。彼は自分が何を言いたいのか察して一度頷いてみせた。
「やっぱダチだろ? 俺達」
「そう、だね」
頷き返すとスタンは親指を立てて見せた。今の彼の容貌だと下手な映画俳優よりポーズが決まってしまう。
こうして自分が人生で初めて『友人』というものに価値を見出した時、ラジオから流れていた曲が変わった。ギターとサックスの穏やかな曲から激しいドラムとエレキギターサウンドの激しい曲調に。それを合図に店内にいた客達の様子も変わる。穏やかに夕食時の団らんだった空気が一転、賭場めいた欲望と暴力の色が噴き出る。
いや、もっと穏当か。例えるなら優勝がかかっているスポーツの試合をテレビ観戦するサポーターの皆さんといったところだ。
そうだった、スタンの来店で頭から離れていたけど、自分が壱火と一緒にここに残った理由はコレだった。
『はぁーい、血に飢えたラジオ前のファンのみんな、元気ぃー? 今夜もシェリルがゲアゴジャの会場から生中継しちゃうよー』
ラジオのスピーカーから聞こえる若い女性の声。これがレイモンドが参加しているフェイスオフが開催される号砲だ。シェリルという女子アナウンサーの声に一区切りつくたびに客から歓声が出るようになっている。
あれほど静かだった店内もすぐさま賑やかな客達であっという間に染まってしまった。
昨日のように貴賓席どころか普通の観客席に座れる機会も無かったので、今日はここで娘さんと一緒にレイモンドを観戦だ。
「壱火、お父さんが参加するの始まった」
「おうっ、もうなのか」
ラジオの声をもっと聞こうとテーブル席にいた客の何人かがこっちのカウンターに来て、周囲の賑やかさがいきなり増した。マスターは店の様子を察してラジオのつまみを回して音量を上げて、アナウンサーの女性の声がスピーカーから響く。
ここで不意に視線を感じて、そちらに振り返るとスタンの顔がある。察しの悪い自分では確証はないけど、彼のその顔は思い詰めている表情をしていた。
「スタン、どうした?」
「……何でもないよ師匠。何でもない」
またサムズアップで応えるスタン。自分が声をかけるともう思い詰めた表情は無くなっていた。
彼との友情を確認して、友達だと思える相手が自分にもいた。喜ばしい出来事のはずなのに、どうしてだろうかこの表情ひとつで不安が体の内からにじみ出てくる。
賑やかな店内、賑やかな人達、昨日とは打って変わって平穏なはずの光景なのに自分は何故か戦闘を前にした気分になっていた。
『さぁ、今夜一発目の対戦カードといってみよう。ここまで二つの拳のみで並み居る強豪を殴り倒してきたダイナマイトハードパンチャー、レイモンド・グレイっ! 対するは――』
◆
やって来て欲しくない時ほど早くやってくる。人の感じる時間感覚として良くある話だが、それはスタン・カイルにも当てはまっていた。
明けて欲しくない夜は明けてしまい、太陽は東の大地から顔を出している。緊張と圧迫感から昨日よりも睡眠時間が短かったがやはり全く眠たくなかった。これから戦いに向うと思えば気が昂ぶって体が眠りを忘れてしまったのだろう。スタンはそう感じていた。
昨日の朝と同じ様に夜明け前からベッドの上で呆としている彼の腕には、今日の仕事に使う愛銃が抱かれていた。自身の手でカスタマイズしたボーイズ対戦車ライフルの硬質なボディの手触り。それが不安を和らげてくれる気がしたのだ。
「――」
不意に腕に抱いた愛銃を構える。ボーイズの様な特大サイズのライフルは通常二脚や土嚢などに据えて撃つもので、普通のライフルのように取り回すのは大きさと重量の点からして難易度が高い。
しかしそんな常識はスタンの肉体が持つポテンシャルでどうとでもなる。今の彼には重量16㎏超のボーイズも使い慣れたオモチャぐらいの感覚で振り回せてしまう。
銃の本体上部に弾倉があるため、照準を付けるスコープは本体左側面に横付けされている。1㎞以上先の目標を狙うためスコープも大型の物になっていて、覗きこめば窓の外に広がるゲアゴジャの街が間近に見て取れた。
銃を横にずらせば見える物も横へとスライドする。スタンは展望台に設置された有料の望遠鏡で街を見下ろしている気分になってきた。
ゲアゴジャに建つひとつひとつの建物をレティクルの十字線に捉えて、やがてひとつの建造物でスライドが止まった。十字線の中央にはゲアゴジャのスタジアムが入っている。
今日、あの建物で演説する予定の人間をスタンは手にしている銃で殺す。
「やれる。ジアトーの時だってやれた。だったら今でもやれる。もう何人も殺してしまったんだ、今更一人増えたところで変わりはしない」
他の誰でもない、自分自身に言い聞かせる。この世界に来て間もなく、人を殺してしまった自覚も薄い中だったジアトーとは違う。でも、そう言い聞かせないと引き金が引けそうになかった。
特に今はレティクルの向こうに『友人』の姿さえ幻視してしまい、撃とうという気持ちさえ萎える。あの現在はやけに可愛らしい姿になってしまった年上の友人にスタンは隠し事をしている。後ろめたさが銃を持つ手を鈍らせていた。
手近な時計を見やれば時刻は朝の七時、そろそろ行動を始めないとスケジュールが危なくなる。
銃を下ろしてベッドから起き上がり身支度を整え、いつもの服装、いつもの装備になった。姿見の中にはこの世界に来てから見慣れた『スタン』が映る。
雑嚢型のバッグに銃を入れて、弾薬を詰めたマガジンも慎重な手つきで差し入れる。必要なものは他に無い。準備は全部終わってしまい、後は実行あるのみになってしまった。
これが終われば自由の身、それだけを心のよりどころにして彼は部屋を後にした。