19話 絢爛舞踏 Ⅳ
――その少し前、城館の廊下をよろめき歩く人影があった。人影の名前はベンジャミン・ノースロップ、エルフの政治家であり資産家だ。しかし今の彼の姿を見て、そう思う人はいないだろう。
「くそ、なぜこうなった? ……化け物め、護衛を考えて数を用意したというのに……」
身にまとっているパーティー用の高級テイルコートは血とホコリで汚れてボロボロに破けている。さらに足や肩に深い怪我を負ったらしく、足を引きずって血がにじんだ肩には手が当てられていた。吐く息も荒くて深刻なダメージの様子が窺える。
つい二時間前までは優雅な雰囲気をまとっていた美丈夫なベンジャミンは、己の失策で今や身を滅ぼす寸前になっていた。
ホールからどうにか逃げ出した彼は身を繕うことも忘れて逃げ出し、自らの失策に対して毒づきだしていた。
「……大体だ、あの青二才が渡してきたアレがあんなにとんでもない物だなんて」
彼がここまでの言葉を口にして不意に後ろを振り返った。誰もいない無人の廊下、その向こうから幾つもの銃声と獣の唸り声が響いてきていた。
それらの音がこちらに来る様子がないのを確認してから移動を再開する。ベンジャミンの思考の多くはこの場からの離脱という考えに支配されていた。この唸り声の元、ウィップティーゲルという魔獣がこの場に現れた原因が他ならない彼だ。
自身が権威を握るのに障害となるクリストフ。これを暗殺という形で始末しようして、雇い入れた傭兵たちを警備に紛れさせて襲撃をかけたまでは良かった。
計算外だったのは、その場に居合わせた転移者たちがベンジャミンの予想を遥かに超えた戦闘能力を持っていた点で、ほぼその一点を見誤ったせいで襲撃は失敗してしまった。
これで諦めて後日に仕切りなおしといけば良かったのだが、諦めが悪かったベンジャミンは自分の手にある『協力者から貰ったアイテム』の存在を思い出してしまった。
それはプレイヤーだったらすぐに分かるゲーム時代のアイテム『シルクケージ』。敵を捕獲するためのアイテムで、ベンジャミンが渡されたのは中身入り。その中身が後ろからか聞こえる咆哮の主だ。
無防備にケージを床に叩きつけて割ったベンジャミンは、次の瞬間伸びてきた触腕によって叩きのめされ吹き飛ばされていた。対策もなしに解き放たれた魔獣は何の制御も受けずに外に飛び出してきたのだ。
「しかもなんなのだ。私を無視して、傭兵連中の方に行くとは。くそっくそっくそっ! ケダモノにすらコケにされた」
幸運なことにベンジャミンは触腕で吹き飛ばされただけで済んだ。確かに肩や足に怪我を負ってしまったが、魔獣に頭からまるかじりされなかっただけ運が良い。
だが、自尊心が妙な方向に高い彼にとっては屈辱的だった。獣のくせに自分を無視して通り過ぎたことが許せなかった。
ベンジャミンの胸の内では恐怖から転換した怒りが渦を巻き始めていた。その対象はこの原因を作ったそもそもの始まりに向けられる。
「それもこれも、あの青二才に関わったばかりに……」
「はい、呼びました? どうでもいいですけど、悪運だけは本当に強いですね」
「うわっ!」
噂をすれば影、ではないが何の前触れもなく唐突にベンジャミンの目前に怒りの対象が現れた。これには政治活動で色々と胆力をつけているベンジャミンであっても驚く。
赤毛と細い目の特徴を除けば目立たない、没個性な風情の男、リーだ。いつの間にか着替えたのか、彼の服装はパーティー用の礼服からジャケットとスラックスというサラリーマン風の服装をしていた。
そして顔に浮かぶ表情は、ベンジャミンの知る限りこれ一種類しかないのか? と思えるほど変化のない微笑。こんな酷い鉄火場にあってもそれは崩れてはいなかった。
「なん……くっ! 貴様、話が違うだろう。何が『援軍』だ! それになんだあの転移者という連中は、あんな出鱈目な化け物とは聞いていないぞ。貴様は今夜が仕掛け時みたいな事を抜かして、嘘でも吐いたのか」
「ええ、嘘を吐きましたよ。貴方では転移者をどうこうすることは無理です。それに守られたクリストフを殺害するのも無理。それがどうかしましたか?」
「……」
虚偽を糾弾しようとしたら、あっさりと認められてベンジャミンは呆気にとられてしまった。呆気にとられたせいか怒りに振れたゲージが反対方向に振れ、ベンジャミンの頭は急速に冷却して冷静な考えが浮かんでくる。
二ヶ月ほど前に接触して以来、このどこの馬の骨ともつかない男を自分はなぜ信用してきたのだ? 帝国と顔を繋いであげたり、個人的なコネクションを色々と紹介してやったりと便宜を図ってやる謂れも本来ならないはず。なぜこんな男に無条件で?
そしてようやく彼の思考は現在に戻る。個人的な人脈、財産取得の方法まで伝授してしまった自分は一体どうなる? ――考えるまでもない、用済みは処分されるだけだ。
「ひっ、ううぅ……」
「どうかしましたか、嘘を吐かれたのがそんなにショックですか? ……いや、どうやら私が仕掛けた洗脳が解けてしまったようですね」
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ」
リーの決定的な言葉を聞いて、ベンジャミンは感情を爆発させた。洗脳! そんな真似までしてこちらを取り込んできた事実に彼は衝撃を受け、半ば反射的に自衛行動を体に命じていた。
手がテイルコートの下へ潜って、その下にある彫金された小型拳銃を掴み出す。それを怒りに任せて構えて引き金を引いた。
いくら超人な転移者といえどダメージは負うし、致命傷を負えば生死に関わる。常人よりも耐久性や回復力が高いだけで、死ぬときにはキッチリ死んでしまう。ベンジャミンはそういった話を聞いていたので、不意打ちの近距離攻撃なら殺せるのではという淡い目論みが頭の隅にはあった。
だけど彼はこの『転移者でもあっさり死ぬ』という情報を誰から貰ったかすっかり忘れていた。そして教えた相手はしっかり備えていた。
「ぁぁ……あ? なんでだ、なぜ撃てない?」
引き金を引いたはずなのに発砲できない。不発とか銃の作動不良なのか、指を動かしているはずなのに銃はうんともすんとも言わない。
突きつけた武器が役に立たないと分かり、恐慌状態になろうとしているベンジャミン。リーは口元に微笑みを残したまま、今起こっている事を優しい声音で告げてあげた。
「それは、引き金を引く指が無ければ撃てませんから」
「なに? え、な……」
言われて初めて気が付いた。慌てて手元を見れば、銃を握っている手の人差し指が根元から断ち切られていた。不思議と痛みはない。でも切断された場所からは血が出ていて、床には切り落とされた指が転がっている。
視界を下にやったことでリーの手にナイフが握られているのを初めて知った。いつ斬られたのかも分からない。知らない間に指が落とされていた。
認識が追いつくにつれて腹の奥から恐怖が全身へと広がっていく。背筋が悪寒に襲われ、手足が固まり、冷静になったはずの頭がまた思考を放棄してしまった。
「ひっ……やめ、やめて」
「すいませんけど、さようなら」
首長国の政界に隠然とした影響を与えるベンジャミン・ノースロップの最期は、こんな風にあっさりとしたものだった。
手際よく心臓を突き破られ、ロクな悲鳴も出せずに廊下に崩れ落ちる。赤いカーペットが敷かれて目立たないが、崩れ落ちた体からは血が大量に出てベンジャミンの死を確実にしていく。仮にまだ息があっても程なく出血死だ。
ベンジャミンを手にかけたリーはというと、胸ポケットからハンカチを出して血で汚れた手とナイフを拭いて、血に染まったハンカチはその場にポイ捨てした。それらの手つきは作業的で、人を殺した後とは思えないほど淡々としている。
後はベンジャミンの死体には目もくれず、リーはここでの用は済んだとばかりに足早にその場を離れていく。その口元には最後まで笑みが浮かんだまま、本心も本音も笑顔の裏に隠してリーは立ち去った。
背後からはウィップティーゲルの咆吼と銃声がまだ聞こえている。一回だけ立ち止まってそれを確認した彼は、一層笑みを深くして今度こそ城館を後にした。
◆
敵の死角からの攻撃を試みようと物影を盾にしてウィンチェスターを構える。銃口がウィップティーゲルの顔面部分に狙いを定め、でも果たせない。
「――っ!」
魔獣の肩口から生える触腕が閃いた。危険を感じ取って慌てて体を反らすと、さっきまで頭があった場所を触腕が貫いている。ここまでの距離は目算でざっと十五m、ウィップティーゲルの射程距離は自分が考えていたものより長かったみたいだ。
槍のように突き出された触腕は、繰り出した時と同じだけの速度で引き戻される。魔獣と目が合う。こっちを押し潰さんとするプレッシャーが一段増した。
もう一度物影に隠れて、居場所を特定されないように物影から物影へと移動する。触腕の槍が移動した後を追いかけるように突き出されて、テーブルや柱、壁に大穴の列が出来る。まるで機関銃の掃射みたいで頭が上げられない。
逃げながら思考をまとめ、同時にジリ貧気味な現状に顔をしかめる。
ウィンチェスターは所詮散弾銃、これ以上距離が開けば命中精度や威力も落ちてしまう。一粒弾のスラッグでもライフルほどの貫通力は見込めず、これら弾丸は非常識にぶ厚い毛皮を貫けない。
ライフルを持ってくるのだった。そんな後悔の念が一瞬だけ浮かんだが、すぐに打ち消す。意味のない事に思考を割り振っている余裕なんてないからだ。
「師匠、さっきの大丈夫か」
「うん、怪我はない。だけどスタン、そっちの残弾は? こちらは弾倉二本分にショットシェル五発」
「節約して撃っているが、ウィップティーゲル相手だと心許ないな。今入れている弾倉には五発、予備の弾倉は一個だ」
「ボクの方もタウルス、Czどっちも残りは少ないよ。もっと持ってくるんだった」
「そりゃ、あれだけパンパカ撃てばそうなるだろう。しかしどうする? ゲームだとそんなに強くなかったはずだけど、倒すには弾数が少ないぞ」
ホールを見下ろす二階部分のテラスに集合した自分達三人とジンは、下のホールを我が物顔で占拠している巨大な魔獣の意外な強さに手こずっていた。
ウィップティーゲルの出現からもう五分近くの時間が経っている。ゲームでは完封勝利が出来るくらいの相手だったはずなのに、未だに決定的なダメージを与えられないでいる。
強さとしては上級者がソロでコンスタンスに狩れる程度だったはず。やはりゲームと現実では大違いなのだろう。
なんにせよ、今は倒しきるのに弾数が少ない。ここは一度撤退して仕切りなおそうか。さっそく提案してみる。
「一度撤退して態勢を整えてから仕切りなおそう」
「はぁ、それも止む無しか」
「主の理性的判断だな」
「……」
スタンはやや沈んだ顔で、ジンは落ち着いた調子で頷いた。二人とも護身程度しか想定していなかった装備での戦闘に不利を感じているようだ。ただ一人、壱火だけは不満そうな顔をしてこちらを見返している。
視線を向けて話を促してみた。すると彼女の口を突いて出てきたのは否定の言葉だった。
「ダメ、却下。アレはここで倒したい」
「おいおい、壱火君。現状の戦力は分かっているだろ、倒しきるのは無理だ。それに戦って分かったが、あのウィップは多分『特異種』だ」
「む、それは本当か?」
「ゲームのように外見から分かる特徴とかは無いが、弾を撃ち込んだ感触からしてな。こっちがいくら拳銃でも効かな過ぎる」
特異種か。そうなるとライフルを持ち込まなかったのがますます悔やまれる。
『特異種』とは、名前からも想像できるように同種の魔獣の中でも特異な変化が見られる種類、個体を指したゲーム内での名称だった。通常の個体よりも強かったり、通常種にはない能力を保有していたりする。
見下ろしているウィップティーゲルが本当に特異種なら、この五分間で感じた手強さも納得できる。通常種よりも触腕の射程は長く、物理攻撃に対してある程度の耐性も持っているのが特徴だからだ。これに対抗するには、貫通力の高い攻撃を当てるか魔法を使うかが一般的な攻略方法になる。
ゲームでは通常種と特異種とでは色が異なるなど差異があったけど、こちらにはそういった特徴は見られない。あくまでゲーム内での演出で、現実にはカラーヒヨコみたいに色違いみたいなものは無いというのだろう。
撤退を視野に入れる線はさらに濃厚になってきた。だというのに壱火は頑固だ。
「でも、ここで倒さないと魔獣が外に出てしまう。特異種でも関係ないよ、倒そう」
「けどな、この世界は現実なんだぞ。死んでしまえばアウトだ。蘇生魔法なんてないし、リスポーンもない。HPなんてあって無いようなものだし、急所に攻撃を受ければ一撃で死ぬ。転んで打ち所が悪くて死ぬ事だってある。安全マージンなんて幾らとっても充分じゃない。暴れたいだけなら他所でやってくれ」
「誰が暴れたいだけだよっ、あれ外に出たら親父がいる街まで出ちゃうじゃないか。放っておけるか」
壱火の吼える様な叫びにこの場の空気が止まった。
「……マジか」
スタンは確認を取るように自分に目を向けてきたので頷いてみせた。そうか、壱火が頑固なのはレイモンドを守りたいからか。元自衛官にあるまじき話だけど、そんな感情を抱いた試しは自分にはなかった。
壱火の言葉に驚いた様子を見せるスタンだけど、それは自分も同じ。顔にこそ出さなかったが、そこまで考えが至らなかった自分にも悪い意味で驚いた。同時に少しだけ羨ましく思う。そんな風に大切に思える相手がいる事に。
冷静な自分はここで撤退を推奨してくる。一方で好戦的な自分は現状の戦力で戦う方法を模索している。壱火から出てきた言葉は、天秤の上に載った二つの思考の一方を大きく傾けた。
「よし、やろうか」
「え、ホント?」
「主っ!?」
「わぁ、珍しくやる気になっているよ師匠」
前言を撤回したのがそんなに意外なのか、全員目を丸くしている。大方、一番この手のことを言いそうにないと思われているのだろう。
確かに冷徹でドライなくらいが実践の場ではちょうど良い。でも、自分だって人間だ。感じ入るものがあれば入れ込む事だってある。レイモンドを守るために無茶を言う壱火に共感を覚えたのかもしれない。
ひとまず自分の動機としては、レイモンド、ボクサーの勝又太一ファンとして応援する対象を守りたいからにしよう。
残るはスタンとジンの反応だが、下に目をやると待っている時間がなくなったのだと分かった。
「みんな、向こうに気付かれた。一度バラけて」
「っ! おぁ!」
当前だけどこっちの都合など向こうはお構いなし。警告を飛ばした直後にウィップティーゲルはその特徴的な触腕を伸ばして、テラスの上にいる自分たちをなぎ払いにきた。
体を沈めてテラスの床に顔を付ければ、頭上を凄い勢いで触腕が建材を巻き込みながら通過していった。これはもうムチというより大剣。直撃すればこの世界の人なら真っ二つに体が分かれる。
自分の無事を確保したら仲間の様子が気になって、頭だけを動かして周囲を窺う。ジンはすぐ隣で伏せている。スタンはテラスの壁側に身を寄せてやり過ごしたようだ。残るは壱火だけど、姿が見えない。
どこだろうか、ともう一度見渡そうとする前に居場所を主張するような銃声が鳴った。
「おりゃおりゃおりゃ!」
銃声と一緒に壱火の気合の入った声も聞こえ、その方向に目をやると銃撃戦でも無事だったシャンデリアの上に乗っている姿が見えた。
まるでB級アクション映画の主人公みたく、触腕のなぎ払いを跳んでかわし、天井から吊るされたシャンデリアに飛び移って上から魔獣に攻撃を開始した、といったところか。よくもまあアグレッシブに動けるものだ。自分の半分以下の年齢とレイモンドから聞かされているし、これが若さなのかもしれない。
二挺のタウルスの銃弾を浴びたウィップティーゲルは、うるさいハエをはたくように触腕をシャンデリアへ伸ばした。やはり普通に拳銃弾で攻撃しても大したダメージになってはいない。
唸りを上げて繰り出された触腕を壱火は避けて、隣のシャンデリアに飛び乗る。獲物を捉え損ねた触腕はそのままシャンデリアを打ち落としてしまい、ホール中に大音量を響かせた。でも今更シャンデリアの一個や二個が壊れても大差無いぐらいにホールは荒れ放題、会場を用意した人にしてみると自分達は疫病神なのは間違いない。
ともあれウィップティーゲルの目は壱火に向い、こっちは動ける隙が出来た。この機を利用しない手はない。
「ジン、壱火と一緒に魔獣の気を引いて欲しい。彼女一人だと無茶をしそうだ」
「承知した。目付役か」
「そうだ。彼女には無事にこの局面を乗り切ってもらいたい」
「分かった。それが主の望みならこの身は万難を排しても応えよう」
こっちの頼みにジンは快諾とばかりに頷いて、すっくと立ち上がって跳ぶ。そのままテラスからホールに飛び降りて魔獣へと向っていった。
何と言おうか、こう毎回大仰な言葉を返されると影響されてこっちも変な言葉を使いそうだ。イメージとしては姫君とその忠臣といったところか。
「それで、弟子としては何をやれば良い?」
「あ、済まない。スタンにはコレを使って二人のダイレクトカノンサポートを頼む」
横道に逸れた思考を戻してくれたスタンにも役割を振った。自分の愛銃モーゼルをストック付で渡す。おまけに今なら弾倉も一本サービス。
ダイレクト『カノン』サポートというには火力が貧弱だ。でも使用している.30口径弾はスタンのハイパワーよりは威力がある。急所に撃ち込めればダメージが見込め、正確な射撃が出来る人間にこそ任せたい役割だろう。ウィンチェスターは散弾しか残っていため狙撃向きではない。これは自分持ちだ。
押し付けるようにモーゼルを渡されたスタンは驚いた顔をして、すぐに引き締まった表情になって渡された銃のグリップを握った。
「任せろ、狙い撃ってやる。それで、師匠は?」
「アイツを確実に仕留める一撃を作りに行く」
「――作る?」
「作る」
テラスはスタンに任せ、自分は正規ルートでホールへ走る。ただ敵には気取られないよう足音を殺して。今気取られたら策を一から練らなくてはいけない。慎重に、けれど迅速に事を運ぼう。
壱火とジンは敵を攪乱させつつ足止め役、スタンはあちこちに動きつつ急所狙いの弾を撃つ遊撃手、そして自分が必殺の一発を作る仕掛け人。現状確認できたスキルや魔法を総動員させないとウィップティーゲル特異種は仕留められない。そして仕留め切れないと自分達どころか街も危ないとくる。
この世界に来て以来、何度目になるか数えるのも止めた危機。冷静な自分はうんざりだと言っているのに、どうした訳かもう一方は割と喜んでいた。
色々と人間失格な自分でも、気炎を上げる一人の言葉に応えたいと思う程度の感情はあったのだ。それが今は少し喜ばしかった。
銃声を咆吼を横に聞いて城館を走りだす。ドレスであるとか、化粧が落ちているとかは最初から気にしていない。今夜のトリがこの魔獣なら、キチンと始末をつけてパーティーに幕を引いてやる。『僕』の思考は敵を倒すこと一点に集中した。
◆◆
ヒップ、ホップ、スッテプ、ジャンプ。一瞬の滞空の後でボクの足は次の足場を捉えた。
直前まで居た足場は魔獣が伸ばす触しゅ、じゃなく触腕で叩き落とされて床に落ちる。これで落とされるシャンデリアは都合三個目、シャンデリアが落ちる度にホール全体が暗くなっていく。
着地と同時に両手に持ったタウルスをぶっ放す。何度も撃って耳慣れた銃声がして、手に軽く振動が来る。もうお馴染みになった射撃の感覚が全身を震わせる。
でもお馴染みになったから分かる。これじゃ敵は倒せないと。だって、全く堪えた様子がないのだから。
一応ダメージは与えられてはいるけど、傷を深くするより弾切れが先に来てしまう。
「だからって――」
だからと言って諦めるつもりはない。接近戦だとこちらが不利、ムチだけなら対応できる。なら銃の間合いで遠くからチクチク攻撃して足止めしてやる。そうすればコイツは外には出ないし、その間にルナ達が何とかしてくれるという打算もある。
空薬莢を飛び散らせて、次のシャンデリアの足場に飛び乗る。すぐ後ろでまたシャンデリアが砕ける音して暗さが増す。
着地すると同時にドレスの裾をめくって、裏地に仕込んだ弾倉を取り出して再装填。きっと傍目にはスカートの中身が見えてエライことになっていると思う。気にしている余裕なんて微塵もないけど、ちょっと恥ずかしいかもだ。
再装填にかかった時間は十秒もない。そんな隙でも敵は容赦なく突いてくる。触腕だったらすぐに対応は出来るんだけど――なんか様子が違う。
トラの口が大きく開いて、口内に光が灯った。こんなモーションは普通のウィップティーゲルだと見たことが無い。やっぱり特異種なのはマジっぽい。
近くに飛び移れるシャンデリアはもうない。後は思い切って飛び降りる。
風を切る音が耳に入って、落下する感覚。目には数m下に見えるホールの床。落下に備えて体勢を整えようとする背中を叩き押されて、焼けるような熱を背中に感じた。
攻撃が当たった? 違う、衝撃とか風圧にあおられたんだ。轟音が塊になって背中を叩いた。でもって、体勢を取り損なった。着地姿勢を取れないまま、床に落ちるのはマズイよな――死んだ?
「全く。主の周りには無鉄砲な人間でも集まる法則でも働いているのか? ほれ、大丈夫か」
「あー、うん。足を掴まれて吊り上げられているのは理解できるくらいには大丈夫」
黒ヒョウサイズに大きくなったルナの使い魔に助けられた。敵と同じく肩から生えている触腕で足首を掴まれて逆さにぶら下げられているボク。赤いスカートが盛大にめくれ上がって、レースの派手な下着も丸見えだ。普通の女の子だったらキャーキャー言う場面なんだろうなぁ。
「スタンが時間を稼いでいる隙に早く立ち直ってくれ」
「スタンさん? おお、撃ってる撃ってる」
「暢気な。今あと少しで死んでいたんだぞ」
逆さになった視界では、テラスから銃撃を加えて敵の気を逸らしているスタンさんの姿が見えた。テラスから敵まで二十mぐらいの距離はあるのにさっきから頭のみに当てている。ボクじゃこうはいかない。
すごいなー、と思いながら使い魔に優しく床に下ろしてもらった。いやいや、ホントにあとちょっとで死んじゃうところだった。スリルが半端無く、もう笑っちゃうくらいだ。
「無事だな。なら立ち上がってこれから指示場所に敵を誘い込んでくれ。主の策だ」
使い魔の渋い声に頷いて行動を始める。ルナは期待通りに何かをしてくれるみたいだ。だったら指示通りに動こう。
ルナから伝えられた指示を一通り聞いて、後の細かい部分は念会話で指示を貰おう。
スタンに念会話を飛ばして一端射撃を止めてもらい、こっちで銃撃を再開してタゲ取り、囮として走り回り指示された場所へ向う。
走って振り返り撃つ。飛んでくる攻撃はひらりと回避、まともな防具なんて着ていないから避けるしか手はなかったり。
ウィップティーゲルは多少のダメージを無視して突っ込んでくる。うわ、ボクのタウルスなんて豆鉄砲じゃん。ルナ、こいつを仕留められる手はあるよね?
突進してくる敵の巨体を闘牛士よろしくオーレ、と横に避けてさらに追撃。使い魔からはここはとにかく怒らせて煽れと指示されている。
煽れるだけ煽って、逃げる。大迫力で突進してくるのを避けてチクチク反撃、そしてまた逃げる。
「あそこだな――お、ルナ」
「来い!」
指示された場所、そこは広いホールの一画で騒動で散乱していたテーブルやお亡くなりになった人とかを隅に寄せて場所を空けられていた。
ルナはそこで銃を片手に片膝を立ててしゃがんでいた。準備万端って雰囲気がある。鋭い声でボク呼ぶ声を信じて彼女のところへ駆け寄った。
「私の後ろに」
「おうっ」
「あと出来れば体を伏せて」
言われるままにルナの後ろに回ってうつ伏せになる。すぐ近くにはウィップティーゲルが駆け寄ってくるのが目に大写しになる。大迫力~
こんな風に軽いボクも大概だけど、ルナも表情ひとつ変えていない。全て予定通りと言わんばかりだ。
ボクが散々煽って怒り狂った敵は真っ直ぐボクら目がけて突進してくる。対するルナの顔は距離を冷静に測っている狩人そのもの。どっちに勝ちフラグが立つかは言うまでもない。
「いい加減、今日は寝たい。これで終わりだ」
片手で床を軽く叩く。すると、敵の巨体が何もない場所で何かにぶつかって急停止した。よく見るとガラスのような透明な壁がトラを囲んでいる。設置型に改造したシールドだなコレ。身を守るんじゃなくて、捕獲用にするなんて珍しい使い方をする。
透明なシールドの檻に衝突して敵が仰け反って混乱している間に、ルナは更なる罠を発動させた。
「地雷呪紋、起動」
一瞬でシールドの檻の中が地獄になった。打ち上げ花火を近距離で見た時の腹に響く轟音がして、檻の中が真っ赤になった。
えぐい、えぐ過ぎるよルナ。密閉した相手を爆殺するなんて、なんて恐ろしい手法を考えつくのやら。
爆発を耐えたシールドは役目を終えて消える。シールドに付いていた血とか肉片が床にべちゃっと生々しい音を立てて落ちた。血の臭いもバカになりかけている鼻でも分かるぐらいに濃くなった。
もう死んでんじゃね? と普通は考えるところだけど、ルナは片膝のまま銃を構えてさらに追撃するつもりだ。
「原型は残っている。二、三発撃ち込んで反応を見よう」
「オーケーボス、アンタがナンバーワンだ」
ルナに言われてボクも銃を構えるけど、ん? 視界の隅に何か見えた。あ、これ触腕。
「ルナ、下! 足!」
「え……がっ」
ヘビのように床を高速で這い進んできた敵の触腕。トラ本体はピクリとも動かないのに、触腕だけが不気味なくらいに元気に動いてルナを足元から強襲、巻き付いた。
巻き付かれたルナも反応良く、動いてナイフを抜き出して触腕を斬ろうとするも触腕はそれより早く腕にも絡みついて動きを封じる。本当に早い。一秒ぐらいでルナは触腕にグルグル巻きになってしまった。なんか、出来の良いCGを見ているみたいだ。
「主っ!」
「師匠! まずい、特異種ならこの後こいつ自爆する!」
「え、そうなの?」
駆けつけた使い魔とスタンさんが慌てた様子でルナを助けようとする。でも別の触腕がこっちを捕らえようと鎌首を上げているので迂闊に動けない。
でも自爆するまでの時間は知らないけど、余裕はないんだろ? だったら行くしかない。
一歩足を踏み出す。けど足の感触が変。見下ろすと激しい運動で履いていたクツが壊れている。これじゃあダメだと脱ぎ捨てて、ついでに足を包んでいるストッキングも脱いで裸足になる。よしOK、走るのに問題はない。
「って、無茶な真似を」
「おいおい」
何か聞こえても無視、触腕に捕らわれているルナ目がけて一直線だ。
触腕が襲ってきても不意打ちじゃないから恐ろしくない。二発銃弾をお見舞いして退ける。距離なんてそうあるわけがないのでルナのところにはすぐ辿り着く。
「ルナ、ちょっと我慢してて」
「……分かった」
なんだか複雑そうな顔をしているルナが印象的だ。ともかく早くルナを助けてこの場を離れよう。
触腕を解いてやるには時間が足りないと思うし、ここは一番手っ取り早く銃で触腕の一部を切って、ルナをグルグル巻き状態のまま担いで逃げる方向でいこう。
触腕そのものは本体よりも柔らかい。銃弾で簡単に穴があく。ルナに当たらないように一弾倉分使い切れば触腕の分離に成功だ。
触腕に巻かれたままのルナは床に落ちる前にスタンが抱えて、ちょうどお姫様抱っこの格好になった。ルナの表情がさらに複雑化している。
「よっしゃ、ずらかるぜ」
「合点承知!」
「ジン、どうしよう。この二人のノリが分からない」
「案ずるな、この身も意味不明だ」
自爆が本当ならもうそれほどの時間も残っていないはず。だったらこれまた一番手っ取り早く手近な窓から外へと脱出だ。
手近な窓に銃を向けて残った弾をありったけ撃つ。スタンさんもこっちの意図を理解して、銃で窓を割りながら走る。そして割った窓へ体を飛び込ませた。
別段高層ビルから飛び降りた訳ではないのですぐに地面に到着。ゴロゴロと転がって衝撃を和らげていると、爆発が起こった。
起き上がると一番最初に見えたのは爆発で黒い煙を上げている城館だった。さっきまでいたホール部分から火が出てきて、赤い火の手が広がりだしていた。間一髪、ハリウッドばりのアクションを体験してしまった。
「スタン、悪いが私の腹から顔を出してくれ。少しくすぐったい」
「ふぉっ! すまん、ラッキースケベした」
「不可抗力なのは分かっている。だから離れて」
スタンとルナ、使い魔のジンも無事に脱出できている。爆発のせいで面白い事になっているけど、やっぱり面白いのでスルーする。
近付いてくる人の気配するので、そちらを見るとあの秘書っぽいエカテリーナさんを先頭に武器を持った人達がこっちに向ってきている。救出っぽい感じがするので、手を振ってみたら振り返してくれた。やって来るスピードも上がる。
これが映画だったらエンドロールが流れる場面だろうな。そう思って、ちょっと疲れた体を地面に預けて横になった。土の臭いと焼ける臭いが鼻に入る。
沢山の人が死んでいる中で不謹慎だけど、このスリルは元の世界じゃ味わえない。イカれているのは承知の上、今夜はとても楽しかった。
「ああ――いい夜だった」
これが、今夜の出来事みんなひっくるめたボクの感想だった。




