18話 絢爛舞踏 Ⅲ
城館で巻き起こった戦闘は開始一分とせずに優劣が決まろうとしていた。優勢側はホールの中心で踊るように弾丸をばら撒く壱火、劣勢側はそんな出鱈目な相手を敵に回した襲撃者達だ。
マシンガンで武装して単純な火力だったら間違いなく襲撃者側の方が有利なはずなのに、壱火の持つ二挺拳銃はそんな常識を鼻で笑っていた。
すでに大半の招待客達が逃げ出していて、ホールにいるのは逃げ遅れた者か戦闘に参加している者ぐらいと限られている。数分前までは大勢の人々で華やいだ城館のホールも銃弾飛び交う戦場になっていた。
壱火はその危険極まりない戦場の中心で銃声をバックミュージックに踊っていた。
「Yaaaaっhaaaaaっ!」
何かのタガが外れたように奇声を上げて戦場のど真ん中で赤いドレスを翻して戦う壱火の姿は、この場に残った人達の目を引き付けてやまない。
彼女の視界に映る正面、テーブルをひっくり返して盾にした黒服二人がサブマシンガンを撃ってくる。さらに視界の端、横にある物陰から飛び出してくる黒服は手に大型のナイフを持って襲い掛かって来る。壱火はそれに慌てる様子もなく対処してみせた。
正面で銃撃をしてくる二人は無視、銃弾が当たる気がしないので警戒だけに留めた。最初に対処するのはナイフを手に襲い来る敵から。
「だから、スロー過ぎるんだって」
「――っ!」
死角から襲ったはずなのに反応され、敵の強面の顔は驚きで固まる。ナイフでの急所への刺突が軽く体を傾けただけで避けられて逆に腕を取られた。
壱火はナイフを繰り出してきた敵の腕を脇の下で挟み込むように抑え、さらに懐に潜って強引に方向転換、銃撃を加えてくる敵の方へ向けて盾にした。次の瞬間、飛んで来た弾丸が数発盾にされた敵の背中に当たってうめき声が壱火の耳に入る。
味方を撃ってしまった動揺からか敵の銃撃が一瞬緩む。その隙を壱火は見逃さない。
「飛んでけっ!」
「がっふぉぉっ!?」
片足をコンパクトに畳み体の捻りで繰り出す蹴撃は、密着している敵を吹き飛ばしてバリケードになっていたテーブルにぶつかる。蹴りの威力は余程凄まじいようで、重厚なテーブルが敵と一緒に床を転がった。
余りといえばあんまりな方法で盾をはがされた敵二人は、呆然とする間も与えられずに壱火の二挺拳銃の餌食になった。
この二人を倒したところで壱火の手にするタウルスが二挺ともスライドを後退させたまま止まった。ホールドオープン。ちょうど弾切れになった。
周囲にはまだ敵はいるけど十数秒の余裕はある。彼女はどこまでも慌てない姿勢を貫いていた。
それどころか余裕はたっぷりにホールドオープンしたままのタウルスのトリガーガードに指を引っかけてクルクルとスピン。まるで西部劇のヒーローよろしくガンスピンに興じるほどだ。
相手の余裕ぶった態度が腹に立ったのか、敵の第二波は人数を増してやってくる。壱火はそれでも慌てず、むしろ不敵な笑みを口元に浮かべてタウルスを太もものホルスターに戻して代わりに背中に手を回す。
次に彼女が手にするのはタウルスよりも武骨で軍用スタイルを前面に押し出した拳銃。Cz52が次の楽器になった。
両手に持った二挺拳銃を武器にクルクルと華やかで過激に踊る壱火。それを離れた位置からクリストフ・フェーヤは興味深く観察する。先程の敵を真似たのか頑丈なテーブルを倒して盾代わりにして、その陰から壱火の活躍ぶりを見詰めていた。
彼の身体は青年のものから少年のものへ戻っている。青年の姿は社交用の外向けのもので、こういう非常時には小回りが利く本来の少年姿の方がクリスにとっては都合が良い。
元の少年サイズに戻った彼には青年用の礼服一式は大き過ぎ、袖と裾を余らせて引きずる格好になっていた。それでも気にする事無く一連の戦闘を見ている。
「あの調子なら問題ないな。それにしても非常識な戦闘スタイルだ。あれで何人も相手取れるのは肉体的なスペックも非常識なせいだろうね。何にせよ、襲撃を押さえ込んでくれるなら万々歳だ。
敵は警備に紛れ込んでいるところから、間違いなく警備担当のベンが裏にいる。でもここまで短絡思考な奴だったけ? まだ黒幕が居そうな気もしてきた。参った、考えることが増えた」
クリスの頭脳は周辺の情報を拾いつつ、この襲撃の目的をすぐさま自身にあると気付いた。この周辺地域の長たる地区長に就任する事がほぼ確定している彼は、現在進行形で敵を作っている。そういった連中が警備を無視して襲撃をかけるには、警備を消すか味方に引き込むか。
クリスの政敵にあたるベンジャミンがこのパーティーの警備担当で、警備員を揃えるための裁量はあった。状況証拠は十分、物的証拠もその内押さえられるだろう。
ただ、解せないのはクリスの政敵になれるほどの人物がこうも短絡的な行動に出てしまえるのか。まだ一枚二枚は裏があるような気がしてならない。
銃弾飛び交う戦闘の場にあって、クリストフ・フェーヤという男は思考を止めない。彼が人の上に立つための能力はひとえに思考能力にあり、それを本人も自覚していた。
「っと、余りのんびりもできないか」
壱火の主戦場から外れた位置からも黒スーツに身を包み、武器を手にした敵がやって来る。あの服装はこの会場の警備員に支給されるスーツだったが、今では敵味方を区別する軍服じみた服装になっていた。
手強い相手を避けて回り込んで動き、一気に標的のクリスを仕留めようという魂胆だろう。壱火と向かい合っている敵も回りこんだ別働隊を援護するためか、一層銃火の密度を上げて壱火を足止めしようとしている。粗暴そうな面相に反して彼らの連携はとれているようだ。
クリスのいる位置は知られている。射程内に入れば制圧射撃で逃げられないよう足止めされ、距離を詰められて殺されるだろう。戦いの心得は修めているものの、クリスの本業は戦闘ではない。数で来られると敵わないのだ。
だからこそ、戦いを本業とする部下がいる。
二発の銃声が鳴り、クリスに近づく敵の一人が倒れた。
驚きで足を止める敵の残りにも更なる銃撃が襲いかかって、さらに数人の敵が倒れる。銃弾の飛んでくる方向を見やれば、敵とは別に招待客としての礼服に身を包んだ男女数名が手に武器を持ってクリスに近づいてきた。
中でもスーツ姿の女性、エカテリーナは心底心配だったという表情を隠しもせずにクリスのところへ真っ先に駆けつける。
「ご無事ですかクリス様!」
「うん、この通り無事だよ。壱火君のお陰だね。後で礼をしておかないと」
「そうですね。では、まずはここから離脱を――あっ」
「なんと!?」
クリスと話していたエカテリーナは一瞬驚きの顔になったかと思えば、いきなりクリスに抱きつく。いや、これは彼を身を挺して庇ったのだ。一瞬で目まぐるしく動く視界の中で、クリスは後ろから近づいてきた敵の姿を見た。
黒服一色だった敵とは違い、逃げ遅れた招待客に紛れるようなイブニングドレスを着た女性。手には女性の手にも収まる小型の拳銃を持って、銃口をクリスに向けている。距離は数mとない。このまま撃たれれば小型拳銃程度の威力で月詠人が相手であっても命に関わる怪我を負うだろう。
敵はこの一瞬を上手く突いてきて、反応できたのはエカテリーナ一人だけ。他の部下達は間に合わない。
間に合ったのはこの場で一人だけ。
銃声が別方向から鳴り、クリスに銃を向けた女性は横合いから飛んで来た銃弾に頭を撃ち抜かれた。頭からパッと血の花が散る。
致命打を受けて横に倒れる敵の身体へさらに二発、体幹部分に追い討ちの弾丸が命中した。結局敵は一発の弾丸も撃つことなく崩れるように倒れて死ぬ。
射線を追って射手の姿を探ってみれば案の定、クリスの思った通りの人物が射手だった。
「何かとおいしい場面を持っていきますね、彼女は」
「そうだね。そういう運に恵まれているんだと僕は思うよ。それが幸運か不運かまでは知らないけど」
クリスの視線の先、二十mは離れたところで片膝をついて銃を構えているルナの姿があった。
壱火のバレットダンスで幕を開けた戦闘は、参加人数を増やして早くも佳境になろうとしていた。
◆
「ふぅ……間に合った。我ながら良く当たったものだ」
軽く息を吐きつつ構えた銃の筒先を下ろした。視線の先ではたった今仕留めた敵が倒れている。頭に一発、背骨に沿った体幹部分に二発命中させて、これでほぼ即死のはずだ。
普通はこれぐらいの距離を拳銃で精密に当てるのは難しく、『ルナ』の身体だからこそ難易度が下がったのだ。念を入れてストックを取り付け肩付けで撃ったけど必要なかったかもしれない。
慣れもあるのか、もう人に手を下す事に後悔も躊躇いもない。それよりも助けようと伸ばした手が間に合った安堵の気持ちが強かった。クリスがこっちに手を振っている姿を見て、こちらも小さく手を振って返した。本当に間に合って良かった。
気を抜く暇もなく、背後から物音と押し潰してくるような圧迫感が襲ってくる。同時にクリスとエカテリーナさんの表情が強張ったものに変わって、その視線は自分の後ろに向っている。
「師匠! 後ろだっ」
襲いかかる圧迫感よりもさらに後ろからスタンの声が聞こえてくる。もちろん、言われるまでもなく対処する。
片膝を立てた膝射の姿勢から体を後ろへ回して圧迫感の源に対峙する。目に映ったのは案の定、敵。しかも仕掛ける瞬間まで気配を殺して近付いており、お互いの距離は二mもない。
そして腕は大きく振りかぶって、手には小ぶりながらも重量感のある手斧を握っている。薪割りよろしく今まさに振り下ろされようとしていた。
間違いなく自分を殺すのに充分な威力がそこにはある。普通の人だったら為す術もなく頭をかち割られる。心得のある人でも避けるぐらいが精一杯のタイミングだろう。
でもこうして冷静に思考が出来る程度に自分は落ち着いていた。過大も過小も抜きに自分を評価して、この攻撃は充分に対応できると判断できるからだ。
振り下ろされる手斧の刃。確実に相手を殺そうという意思の表れなのか、それは大げさなくらいのモーションで振られている。だからこちらは余裕を持って対処出来てしまう。
振り向いた勢いで立ち上がり、自然に生まれた体の捻りを活かしてモーゼルを持った腕を繰り出した。肘打ちの要領で手に持ったモーゼルのストックを突き出す。標的は手斧を持っている敵の手首だ。
同時進行で反対の手も腰の後ろに回り、次の得物のグリップを握る。ナックルガードに覆われた太めの柄がこの瞬間は頼もしく思える。
突き出したストックが敵の手首にヒット、グリップ越しに骨が砕ける感触がした。敵の振り下ろす勢いとこちらの突き上げる勢いで敵の手首を破壊する。
「がっ!?」
手首を破壊された激痛で敵の顔が大きく歪む。相手の動きが固まっている間隙に敵の懐に潜り込み、ナイフを抜き出した。そして――
「ご、ほっ」
喉を下から突き上げた。戦闘を想定した大振りなトレンチナイフの刃が皮を破って肉に埋まり、幾つもの太い血管や神経を寸断していく。手応えとしては固めの豆腐に刃を入れた程度でしかなかったが、人一人の命を摘み取るには充分だ。
最後は突き刺したナイフの柄を持ったまま動きを止めた敵の後ろに回り込み、刃を横に引きながら喉から抜いた。ナイフが栓になって留められていた血が一気に吹き出る。放血された血が床にばら撒かれて、遅れて敵の体が血溜まりに突っ込むように崩れ落ちた。
後ろに回り込んだお陰で血を浴びずに済んだが、それでもナイフを持った手は血塗れだ。黒いグローブで血の色は目立たないと思いきや、『ルナ』の指の白さのせいで血の赤色が際立っている。
何より鼻に入る血の匂いがいけない。この身体になって以来、血の匂いは自分にとって香しいものになっていた。
「……ん」
思わず出た吐息は自分のものとは考えられないほど艶がかる。
手に付いた血を舐めてみたい衝動を意思の力で我慢して、ナイフを鞘に戻した。血を口にすることへの抵抗感がまだ自分にはあるし、並行してこの程度の連中の血を飲みたくないという奇妙な自尊心も芽生えている。こういう考えが不意に湧いてくるとは、月詠人はグルメなのだろうか?
思考が脱線しかかっている自分は本当に隙だらけ。血の匂いで思考が乱されたせいだけど、戦闘の場では言い訳や理由付けなんて何の意味もない。
「ルナっ!」
「あ、しま……」
再びかけられた声で我に返っても遅い。後ろからこっちに突進してくる敵の姿を視界に入れた時には、回避できるタイミングを逸していた。棒立ちになっている自分こそが悪い。
会場の裏方役だったのか、敵は作業服を着ている男。手には大型の刃物を持ってそれを腰だめに構えて突進してくる。防御も回避も二の太刀も考えない神風アタックだ。隙だらけの自分にとっては最悪の代物でもある。
対処する時間がない。このタイミングでとれる方法を考えても保身を考えない敵の突進は止められそうにない。
最悪でも致命傷は避けようと体を動かす。一瞬の判断で後ろから体幹部分を狙っているならせめて致命傷を避けてズラしたい。
後は刺される痛みに耐えて反撃に備えるだけ、と覚悟を完了させ……る前に救いの手は間に合った。
耳に銃声が入り、撃ち出された銃弾はもう目的を遂げている。突進してきた敵はつんのめるように前へ倒れて、手にした刃物は銃弾が当たって折れている。他にも脚、手、頭と的確な場所に銃弾が撃ち込まれていて射手の高い射撃能力を示している。
これだけの精度と銃声が一つに聞こえるくらいの連射を両立してみせる技は、後ろから慌てた様子で駆け寄ってきた知人の手によるものだった。
「ルナっ、じゃない師匠無事か?」
「ルナでいいよ。ああ、無事だ。助かった、ありがとう」
人を助けた直後に人から助けられる皮肉に内心苦笑しきりだ。それと自分の危機に駆けつけてくれたスタンには心から感謝の言葉を言いたい。地球でもこっちでも口下手なのは変わりなく、なかなか想いは言葉に乗りにくいけどそれでも感謝は素直に口にしたかった。
スタンの手にあるのは彼の得物として見慣れた『FN・ハイパワー』、地球だと世界で最も生産された自動拳銃だ。ある程度のカスタマイズは加えられてはいても、あれだけの射撃をやってしまえるのは腕があるからだ。こちらの世界に来ても腕は鈍っていない様子で、この分だと彼の本領の狙撃も相当なものだろう。
感心半分、寂しさ半分、嫉妬少々の割合でスタンを見上げて、すぐにこの場が戦場だったのを思い出した。そうだった、呆けている場合ではない。
クリスの様子を見るとエカテリーナさんとその部下に護られていて、すでにこの場からの撤収を始めようとしていた。
彼の予想は見事的中、配置した部下と招待した自分達に武装させた事は充分に活かされた。この状況がクリスにとってどれだけ想定の範囲内だったかは分からないけど、自身の政治的な立場を強化させるのに今夜のこの出来事を有効活用していくのだろう。
彼は気遣うような視線を飛ばしてきたので、軽くサムズアップしてみせて無事を伝えた。一応はこれで今夜の義理は果たしたと見ていいだろう。この土地の有力者には顔見せしたし、襲撃の釣りにも付き合った。このまま帰っても文句は出ないはずだ。
後は――
「後は彼女の援護だな」
「付き合うよ。今夜は暴れたい気分だ」
「ありがとう」
「礼は終わってからにしてくれ」
撤退を始めるクリス達一行のさらに後ろ、何人もの敵を相手に単身暴れまくっている壱火を連れ帰れば今夜のイベントは終了だ。
サブマシンガンと拳銃、複数人数と単独と不利な条件が揃っているはずなのに壱火は襲撃者達を完封している。誰もクリスの所へは近付けないし、撃つ弾丸も壱火には当たらない。まるっきりハリウッドのアクション映画みたいな派手で理不尽な光景がそこにはあった。
このまま放って置いても敵を撃退しそうな勢いだけど、レイモンドとの関係を考えれば放置はダメ。いくら優勢でも少しの油断であっという間に死に至るのが戦闘だ。ついさっきの自分が良い例である。
さっさと戦闘を終わらせて、これ以上周りを巻き込ませない。そのためにはこちらも人員を増やすのが一番だ。性分から壱火のようなバレットダンスは踊れないが、正確な射撃には自信がある。これを武器に彼女の援護に回ろう。それに自分にはまだ一枚切れる札が残っている。
◆◆
『ジン、出番。私の得物を持って、援軍に来て欲しい』
『承知っ!』
主の念会話での命令が下った瞬間、ジンは力強い返事と一緒に待機していた高級車から外へ飛び出した。
パーティー会場ではジンのような獣の存在は原則入れない。だから車内でパーティーが終わるのを待っていた。今まで彼は車を駐車場に持ってきたボーイや駐車場の警備員の目から隠れ、車内のシートで丸くなって目を閉じていたのだ。
このまま何事もなければ休憩タイムで終わったはずだったが、会場から聞こえる銃声や悲鳴、駐車場に逃げ惑う招待客が現れるようになると警戒のレベルを一つ上げた。非常時になってはいるが、主の求めもなく勝手に行動はしない。使い魔としてある程度感覚も繋がっているので主人の状態も問題無いと把握している。だから求めに何時でも応えられるように備えていた。
そうしてやって来た主人の出撃命令。求められれば必ず応えるのが使い魔、本分発揮とばかりにジンは力を爆発させた。
触腕で車内にあったルナのウィンチェスター散弾銃を持ち、別の触腕で車のドアを開け放つと飛び跳ねるように外へと駆ける。
最初の跳躍の間に体を戦闘用の黒ヒョウサイズにまで巨大化させ、着地と同時に主人のいる城館へと走り出す。駐車場にはまだ逃げてきた招待客が残っていて、いきなり現れたジンに驚きと恐怖の声を出した。人間達のそんな慌てふためく姿など興味なく、それらを一切無視して使い魔の走りは疾走になって一陣の黒い颶風になった。
『敵に奇襲をかけたい。指示する窓を破って中へ侵入を』
『了解した。それで、どこから?』
『場所は――』
ルナの指示に従い、指定された場所へと急ぐ。その間にも城館からは断続的に銃声が鳴り、窓ガラスが割れる音も聞こえる。主であるルナとともに何度も戦いの場に身を投じたジンは、音程度で動きを緩めるはずもない。むしろより急ぐ意思をもって疾走は速さを増していく。
急ぐ気持ちの中ではしばらくの時間、実際には車から飛び出して一分とせずに指定の位置を視界に収める。窓の向こうにはサブマシンガンを撃っている黒服の姿も捉えた。一瞬でこれを敵と判断したジンは躊躇なく窓へ、その向こうの敵へと飛びかかった。
窓ガラスが割れ、窓枠も吹き飛ばし城館の中へと突入。同時に手近にいた黒服へと前足の爪を突き立てた。
肉が裂ける感触と一緒に血が噴き出し、まともな反応すら許されずに黒服の男は崩れ落ちてジンの下敷きになった。周りにいる他の敵達はジンの登場に驚きの表情を見せ、次いで慌てて銃口を向けようとする。そんなわずかな時間さえ黒ヒョウ型の使い魔にとっては隙でしかない。
仕留めた敵の上から横方向へ一気に跳躍、着地と同時に疾走して敵との間合いをゼロに縮めた。相手にしてみると消えたかと思えば突然目の前に現れたように見えるだろう。碌な行動も出来ずにジンの牙で喉ぶえを食い破られて絶命した。
それと同時にジンは銃を保持していていない方の触腕を振るい、噛みついた敵の横にいた別の標的にも攻撃の手を伸ばしていた。振るわれた触腕は杭のように鋭く尖って標的の胸に突き刺さる。胸板のほぼ中心、間違いなく致命傷だ。何があったのか分からないという表情で固まった敵は、そのまま床に倒れた。
一瞬で三人の敵を仕留めたジンは、これによって出来た隙を使ってルナの元へと駆けつけた。ルナがジンに最初の号令をかけてから二分少々、極めて迅速な出撃だった。
「待たせた主」
「いえ、とても早かった」
ジンからウィンチェスターを渡されたルナは習慣的な手つきで作動と状態を確認してからレバーを前後に動かす。これで弾倉の12番ゲージショットシェルが薬室に送り込まれて初弾が装填された。
ルナが敵を見やれば、残敵数は十人に満たない。細かくカウントはしていないけど壱火とルナの二人だけでも同数の十人以上の敵を倒している。最後まで油断は出来ないが普通なら撤退を考えるくらいにはなっているはずだ。
そんなこちらの思考を読んだ訳ではないだろうが、敵は明かな不利を悟り始めて及び腰になっていた。撃ってくる銃撃も散発的になっていく。
ルナがモーゼル拳銃をしまいショットガンで撃ち返しだした時には、敵の一人がその場から逃げ出し、それに釣られて二人三人、最後には全員が戦場になったホールから逃走を始めてしまった。
「ん? もしかして、おしまい?」
「潜んでいる敵も居るかもしれないが、山場は終わっただろうね」
「むぅ、もっと暴れたかったなぁ。何か物足りないような、消化不足のような」
「戦闘は早期終結が一番」
ルナの近くで敵の逃走する姿を見て、ようやく戦闘の終わりを知った壱火が不満の声をこぼす。両手に持ったCz52はすでに二回の弾倉交換をしていて、その間に撃った弾丸と空薬莢はそこらじゅうに散らばっていた。ルナの目から見るととんだトリガーハッピー娘である。
戦闘も終わりという気配が漂っている中、ルナは周囲を確認するため辺りを見渡す。
ホールには戦闘直後で硝煙と血の匂いが濃く、さっきまであった料理の匂いや香水、コロンの臭いを塗り替えていた。壁や天井、床など場所を問わず弾痕が刻まれてテーブルや料理と一緒に人も倒れている。
倒れている人の中にはまだ息があるらしく、呻く声も聞こえてきている。とはいえ自身を冷淡と評するルナは積極的に人助けをする気はなかった。まだ本当に戦闘が終わったのか確証が持てないからだ。人を助けている間に襲撃されたら目も当てられない。
クリスの姿はもうホールにはなく、無事に脱出が終わった様子だ。ルナの中では今夜の義理は充分果たしたと思っている。後は壱火をレイモンドのところまで連れ帰れば終了だった。――ルナの危惧したとおりに事態は新しい展開を迎えるまでは。
最初に聞こえたのは敵が逃げ去った方向から聞こえた複数の悲鳴と怒号、それと銃声に獣の咆吼だった。
咆吼。あまりにも大音量で響いた雄叫びは、最初は音と認識できないくらいに物理的衝撃を周囲に与えた。窓ガラスが震え、銃弾を受けて弱っていた部分から砕ける。テーブルの上に不安定に載っていたグラスや皿も落ちて割れる。果ては銃撃戦で弾でも受けたのか天井のシャンデリアも咆吼の振動で落ちた。普通だったらシャンデリアが落ちるのは大事で注目を集めてしまうが、この場は誰もが咆吼の元が気になって注意が向けられない。
唐突に聞こえていた悲鳴と怒号、銃声がパッタリと止む。それからしばらく、咆吼の主がホールへとゆったりとした足取りで現れた。
「ウィップティーゲル……なんでこんなところに」
「さあ」
「さあって、気が無いにも程があるんだけど」
「そんな訳ない」
シャンデリアが一つ落ちて明かりが減ったホールにトラックサイズの魔獣がのっそりと足を進めてきて、ホールに残った人々に銃撃戦とは違う緊迫感を与えた。
全体的なシルエットは大型猫科動物のトラを思わせ、その肩口には長くしなやかな二本の触腕。床を踏みしめる脚はがっしりとしており、その巨体を支えるのに相応しい説得力をもっていた。
体全体はトラの名前通りに縞模様の毛皮に覆われており、今はその縞柄に血の斑模様を加えていた。さっき逃げた敵達にこの魔獣は襲いかかったのだ。その証拠に魔獣の口からは人の手が覗いていて、今もなお口を動かして食事中だ。肉や骨が潰れる生々しい音、それと一緒に魔獣の口へと消えていく人の手。
ほどなく魔獣の食べ歩きは終わって口にあった人の手も胃袋に収めたそれは、視線を近くにいたルナ達に向けた。猫科ならではの縦長の瞳孔をした黄金色の目は三人と一匹を見据えて触腕をゆらりと持ち上げる。それは捕食対象を認めた動作だ。
これにいち早く反応はルナだ。手早くバッグから散弾を取り出すとショットガンに給弾してすぐにでも始まる戦闘に備える。その意識を感じ取ったのか使い魔もすぐに身を低くして戦闘態勢をとった。
壱火も二挺拳銃を握り直して戦闘に備えるものの、顔色はルナに比べて悪く額には先程までは見られなかった脂汗が浮かんでいた。
元の世界では基本ゲーマーだった壱火にとって、ゲームでの知識が目の前の魔獣と重なり、さらにはリアリティを伴った脅威も相まって気圧されていた。
「なあルナ、あれとマジで戦うの? ヤバイだろ、ウィップティーゲルを今の火力でなんて」
「でも、逃がしてくれそうにないけど」
「でもさ……」
「やるしかあるまい。だろ?」
ここで今までずっと口を開いていなかったスタンが一歩魔獣へと足を向けて戦う姿勢を見せた。手にあるハイパワーに新しい弾倉を入れて、トラの目に対抗するかのように見詰め返した。
戦闘になると無口になって、淡々と標的を射貫く狙撃手になる。そのことを知っているルナは、今の彼が相当に本気なのだと知った。ある程度の安全マージンをとり、常に撤退を視野に入れているルナとは違う必殺の意気込みがそこにはある。
この魔獣を生きて外に出してはならない。でなければゲアゴジャの市街地はエサ場と化す。意気込む理由としてはスタンにとってこれで充分だった。
別段ルナはそんな正義感に感化されたつもりはないが、戦闘意欲を固める分には有効だ。そして壱火は盛大に感化された。
「おっしゃ! やったるぜ。腐れトラなんて目じゃないってこと教えてやる」
「あ、ああ」
「盛り上がっているところ悪いが、そろそろ来るぞ」
ジンの警告が飛び、同時にウィップティーゲルが身を屈めた。獲物に飛びかかる前兆。次の瞬間には巨体に似合わない俊敏さで宙へと跳んでいた。三人と一匹はこれを迎え撃つ。
城館で巻き起こった戦闘は、魔獣の襲撃によって終章へと突入した。