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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Sniper 邦題:山猫は眠らない
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16話 絢爛舞踏 Ⅰ




 ゲアゴジャは水運にも利用されるコラッド河の支流によって街が東西に分れている。東側はビジネス街や工場といった商工業が盛んな地域、西側は緑豊かな住宅街が広がっている結構あざとい構造をしていた。

 祭期間中は商業地区が賑わうのはもちろん、住宅地域でもパーティーで盛り上がる。とりわけ日が暮れてからの夜のパーティーは特別だ。貧富の区別無くそれぞれの流儀で飲んで食べて騒いで楽しむ。乾期を前にして騒ごうと始まったこの辺りの風習は、今や国中から人を集めるイベントとなっていた。

 さすがに現在は帝国の侵攻を受けて戦時中、自粛ムードが漂って例年より静かな雰囲気になっている。それでもこの世界の住人達はたくましいもので、自粛ムードながらも楽しむ方向で祭を盛り上げていた。


 時刻は午後の八時、日の照る時間が長くなっていく季節でもすっかり夜になる時間帯。その夜闇を待ちかねたかのようにゲアゴジャ西岸にある城館でパーティーが始まろうとしている。

 緑の多い西岸地区でも森の中にひっそりと建つこの城館は、地球視点でも現代的な建物が目立つゲアゴジャにあって古色蒼然とした様式だ。まるでそこだけ時間の流れから取り残された風に錯覚してしまう。

 普段は静かな佇まいをそのままに穏やかに街の中に存在しているけれど、今日ばかりはパーティー会場として華やかな空気に包まれていた。


 庭木と芝は綺麗に整えられて電飾で飾り立てられライトアップされる。正面入り口の通路には赤い絨毯が敷かれ、その上を礼服に身を包んだ招待客達が立ち並びパーティの開幕を待っていた。

 正門前には会場に訪れた招待客の車が次々とやって来て、ボーイに迎えられる。招待客達の表情は一様ににこやかで、これから始まるパーティーに思いをはせているのだろう。

 この城館で行われる宴は、ゲアゴジャを含む周辺地域一帯の地区長を選出する会議を前にしたパフォーマンスも兼ねている。ホストは月詠人の顔役クリストフの他、地区長会議に名前を連ねるメンバー数名だ。今夜は政治と社交が入り交じる華やかな夜になりそうだ。


 準備済ませて招待客の入りも上々、もう間もなくパーティーが始まる城館の正門にまた一台、黒塗りの高級車が到着した。

 出迎えたボーイが後ろのドアを丁寧に開ければ、黒いパンプスとストッキングに包まれた足がするりと出て地面に降りる。黒いドレスが布ずれの音と一緒に車から躍り出る。ドアを開けたボーイが降り立った人物の覚めるような美貌に息を飲む。

 クリストフの招待に応じたルナ・ルクスが華やかな夜に鮮やかに現れた。



 ◆



 エカテリーナさんの運転する車を降りた瞬間から一斉に視線が浴びせられた。

 当たり前だが、こんなにも人の視線を集めた経験など皆無だ。思わず一歩引いてしまった自分は悪くない。

 車のドアを開けてくれたボーイ、正門前に立つ警備員、門の前に並んで入場を順番待ちしている客達、およそ目が届く範囲にいる人間の衆目を集めている。視線に質量などないはずだが、ここまで数が集まれば体が重たく感じる。

 あえて良かった探しをすれば、ここはオスカー賞のレッドカーペットではないし、フラッシュを焚きまくる記者の姿はない点か。ここで人の注目を集めたところで明日の朝刊に写真が掲載され無いのが数少ない救いだ。

 人目を集めてしまう時点でアウトなのだが。穏やかでひっそりとした生活が願望にある自分としては、願望と正反対の状況に気が重くなる一方だ。


「ちょっとルナ、そんなところに突っ立ってないでどいてくれ。それだとボクは出られない」

「あ、済まない」


 後ろからの壱火の声に一歩横にズレて場所を譲る。またも集まる視線とどよめきの声。地面に敷かれた絨毯の色よりも鮮明な赤色が現れた周囲の反応がこれだ。

 壱火の着ているドレスは肌の露出面積は大きく、でもいやらしさよりも健康的な色気が前面に出ている。本人の資質もあってか、夜なのに日向にいるような陽気な空気が彼女からは放たれていた。

 しかも周囲へのサービスなのか、こっちに目を向けてくる男性陣に対して愛想良く手を振ってみせて「どーもー、どーもー」などと楽しそうだ。

 置かれている環境は一緒なのに、どうしてこうも自分と彼女は正反対なのやら。


「お二方、用意はよろしいでしょうか?」

「うん、いーよー」

「ええ、大丈夫」

「それでは案内いたします。君、車をお願い」

「了解しました」


 運転席から降りてきたエカテリーナさんは車のキーをボーイに預けると、周囲の視線を一顧だにせず先頭を歩いて案内を始めた。クリスという要人の秘書役からくる場慣れもあるのだろうが、ダークスーツに身を包んで先導する彼女の姿は堂々として凛々しい。

 その凛々しい背中に頼もしさを覚えつつ、自分達は会場の正面入り口へと歩き出した。実はここからすでに次の試練が始まっていた。


「うわ、カカト低いはずなのに歩きにくいや。おまけスカートも巻き付いてくる感じで動きにくいぞ、これ」

「気をつけて。下手するとスカートの『裏側』が見える」

「おっと、いけね」


 横で壱火がパンプスとスカートの合わせ技に愚痴をこぼしながら歩いていて、自分もその意見には概ね賛成の意を表したい。

 転移からこっち着る機会が一番多かった戦闘衣装もワンピースの形状ではあるものの、裾は短く足の動きは阻害しない。足元も頑丈なコンバットブーツで固められていたし、今履いているパンプスの様に頼りなさはどこにもない。

 何が言いたいかというと、着慣れない衣装の上に見栄え重視のデザインが酷く心許なかった。壱火はどうか知れないが、自分は不安さが足の動きを鈍くしている。これでは会場で何かあった場合、動きが遅れてしまうだろう。

 一瞬の遅れでも鉄火場では生死を分けるのは良く聞く話だ。特に今夜は『何か』が起こる公算が高いと言われている。未来の不安まで憂鬱の種になってしまうとは、自分はすでに重病だ。理想的な思考形態、慎重なる楽観からは程遠い。


 着慣れない服、履き慣れない靴でややよろめきながらも自分達は正門前に着いた。門の両脇にはスーツを着た男が二人。外から見ても分かる屈強さと暴力に慣れている空気を纏っていることから会場の警備に雇われた用心棒だろう。

 二人ともジャケットの前が開いていて、脇が少し膨らんで見えた。まず間違いなく銃を装備している。正面玄関の警備だからか威圧的な顔はしていないけど、好意的な顔もしていない。さしずめ神社の狛犬か仏閣の明王辺りか。有り難みはまったく無いが、その分現実的な効力はあった。

 エカテリーナさんを先頭とした自分達一行は、並んで待っている客を余所に正面から門に近付く。並んでいる客達とは違って、こちらは『特別』な客であるお陰で優先的に会場入りが許されているのだとか聞いている。少しだけ罪悪感がにじみ出るけど無視、考える事柄はもっと他にあるのだ。


「地区長会議メンバー、クリストフ様の従者エカテリーナ・フェーヤ。主人の求めに応じてゲストを案内している。すぐに中に入れなさい」

「話は聞いている。所持品チェックもフリーという話だったな。後はそっちのお客様が招待状を見せてくれればOKだ」

「ルナ様、招待状を」

「分かった……これ」


 促されて腕に下げたハンドバッグ――ゲームでのバッグではなく、この世界での高級バッグ――から招待状を出して男に渡す。男はむっつりと表情を変えずに受け取って、封筒に書かれているサインを確認すると無言で頷いてから返してきた。

 次に男は門の反対側にいた相棒に手を軽く振って合図すると、相棒は門の脇に設けられている通用口を開いた。


「本格的な開場はまだ先なので通用口でお願いします。ようこそルナ・ルクス様」

「あ、ありがとうございます」


 無表情ながらもうやうやしく頭を下げる門番二人にどもりつつ礼を言って、門を潜ればもうそこは別世界だ。


「うわ、スゴ……完全にセレブの世界だよ。なに? 今日の主旨って舞踏会とか」

「そうですね。立食式の会食が主ですが、町の楽団に依頼して音楽隊も用意されていますのでダンスも行われるでしょう。ですが、今夜の主旨はやはり地区長選出の前哨戦、いえ、根回しの観点で言えばここが本戦会場です。地区長にはクリス様が選出されるのは確実ですが、後一押しが欲しいのです」

「そこを私がクリスと一緒にアピールして一押しにすると」

「その通りです。早い理解感謝します」


 目の前にそびえ立つ城館を目にして、自分達三人は足を止めていた。もしくは城館の威容に足を留められたのかもしれない。

 西洋のお城と聞いて大半の日本人がイメージするような石造りの白亜の城、それをコンパクトに館サイズに縮めれば目の前の建物になる。フランスのユッセ城、ドイツのノイシュヴァンタイン城などを代表とした近世に造られた華美を謳うような造りをしていて、周囲の整えられた庭園を額縁にして一幅の絵画となっていた。

 正門から正面玄関を繋ぐ道には、瀟洒なデザインの街路灯が明かりを灯している。よく見ると電灯ではなくガス灯だ。電球では真似のできない柔らかな火の光が目に優しく映った。

 街路灯は何本も列を成し、やって来た自分達を招くように城館へと続いている。


「では、参りましょう。クリス様が首を長くして待っています」


 自分達は街路灯の無言の招きに応じて城館へと足を踏み出した。

 一歩進むごとに夢の世界に迷い込んだ錯覚が強くなる。城館のある風景が自分の知る世界とは余りにもかけ離れていて、今一つ現実味を感じないのだ。

 魔法使いならぬ吸血鬼に連れられ、ドレスを着てお城の舞踏会に参加する。まるでシンデレラではないか。このことに気付き、思わず笑ってしまいそうだった。

 ただし、童話と違ってガラスのクツはないし、ドレスの下には物騒な物が隠れている。


「それにしても、ボディチェックをスルー出来るなんてなぁ。ボクはあの厳ついオッちゃん二人に睨まれた時、終わったかと思ったよ」

「話は着いていますので何の心配もない、とここに来る前にお伝えましたが」

「そうだけどさ、やっぱり本番になると緊張しちゃって」


 壱火は歩きにくそうにして道を歩いているけれど、ドレスやクツだけのせいじゃない。スカートの裾に隠れた両の太ももにはタウラスPT92が一挺づつ、何をどうやったのか分からないけど上半身にもCz52を二挺、対応する弾倉は弾薬をフルに詰めてスカートの裏地に収まっていた。

 こちらも壱火ほどぶっ飛んだ真似はしていないが腰にストックホルスターを付けてモーゼルを一挺入れており、ナイフも一本隠し持っている。そのためドレスの腰回りは大きめのリボンでゆったりとしたデザインになっていてカモフラージュになっていた。

 この様に自分達は武装している。それというのもクリスの要求があったからだ。


「クリスは一体どういうつもりで私達に武装を許したの?」

「そうですね……クリス様は今夜ここで何かあると予感していらっしゃるのかもしれません。警戒しているのです」

「そのクリスっていう人、未来予知とか出来る人だったり」

「そういう力はありません。他人より勘が鋭く、情報が集まりやすい地位にいる方です。今夜を警戒しているのも本能と経験から由来しているのでしょう」


 ホテルで本格的に衣装替えをしていた時だった。電話でクリスは今夜この会場で騒動が起こる可能性があるから武装を隠し持つよう勧めてきた。

 少し詳しく聞いてみると、政敵が何か無茶な真似をしようとしているのだとか。自分の脳裏に浮かんだのは、スタジアムの一幕でクリスから注意人物と言われた高級スーツを着ていた男性だ。

 直後のリーの一件で印象はかなり薄くなっているものの、まだ一日も経っていないので流石に覚えている。話の流れからしてその男性がクリスに対して何かしらの攻撃を仕掛けるのかもしれない、とこう言いたいのだろう。

 言葉として出てきたのは護身用の武器を持った方が良いよ、といったアドバイスだったけれど、彼の真意としては上手い具合に敵を撃退してくれたら良いな、といったものだろう。少なくとも自分はそう受け取った。

 戦闘の可能性が準備段階で高まる中、戦闘を補佐してくれる使い魔の存在が欲しい。スタジアムの時と同じ様にパーティ会場にもジンの同行をと言ってみた。

 その結果はアウト。


「私個人としてはジンも居てくれた方が心強かったのだけど、やはり駄目か」

「申し訳ありません。いくら使い魔でも獣の類は会場に入れないかと」

「いえ、車で待機させて貰えるだけありがたい」


 食品が出てくる会場で動物を持ち込むのはよろしくない。たとえそれが主人の命をよく聞く使い魔であっても、衛生上の観点からよい顔をしない人が大勢だ。

 仕方無しにジンには車で待機してもらって、非常時には追加の武装を持って飛び込んでもらう態勢になってもらった。彼をのけ者にしてしまった罪悪感で胸の中がチクリと痛む。

 ここのところ怒濤の展開が多くてジンにも負担をかけている。前から考えてはいるけど、これは本格的に何らかの形で報いる必要があるな。

 ひとまずは、食べ物だろうか。


「後でタッパーとか容器を用意してくれませんか。ジンに食べ物をあげたい」

「あ、それならボクもお願い。親父にセレブメシを食べさせたいし」

「分かりました。厨房に連絡を入れて幾らか持ち帰り用に包んで貰えるよう手配します」


「見目麗しい女性が揃って色気より食い気とは。華がないものだね」


 ――っ! こちらの会話に混ざり込むようにして男性の声が耳に入った。声の主は正面ですぐ近く。城館の入り口に立っている青年だった。

 端正なマスクをセットされた金髪で縁取り、透明感のある紫色の瞳は自分達を歓迎するような意思が込められている。距離があっても分かる長身痩躯を黒いテールコートと白い蝶ネクタイといった礼服で包み、にこやかにこちらへ向けて手を振っていた。

 まとめると、少し非現実的なくらいの美青年である。見た目の年齢は二〇代半ばくらいだろうか。そして、彼について自分は知らない。壱火を見ても知らないという反応しか返ってこない。誰だ?


「お待たせして申し訳ありませんクリス様。ルナ・ルクス様と同行者の壱火様の二名をお連れしました」

「うん、待たせる事については構わないよ。着飾る女性は時間をかけたがるものだし、それを待つのも男の度量だと思うし。じゃあ改めて、ようこそルナ」

「……ああ、今晩は。クリスで良いんだよね?」

「そうだよ。ああ、この姿? 僕のちょっとした特技だよ。肉体を賦活させて外見年齢を嵩増ししているのさ。子供の姿だと外向きでは不都合が多くてね、こういう公の場面だとこの姿になるんだ」


 特技で片付けていいものなのか。クリスの余りの変わりように少し言葉が出てこない。

 ゲーム『エバーエーアデ』の中にもこういったスキルやら能力の存在は一切出てはいなかった。ここがゲームの世界とは違うのだと理解していても頭の隅ではまだゲーム基準で物事を考えている。だからクリスのこの『特技』とやらには不意打ちされたような驚きがあった。

 自分が驚きで動きが固まっている中、クリスは長いコンパスの足で一歩前に踏み込んできた。対するのは壱火。


「君とは初めましてだったね。僕はこのパーティのホストの一人で、ルナを招待した者だ。クリストフ・フェーヤ、クリスでいい」

「う、うん。初めまして、壱火だよ。ルナから話だけは聞いていたけど、凄いお偉いさんだってな。でさ、ここまで来ておいて今更だけど、ボクのようなのが来て本当に良かったのか?」

「ええ、もちろん。パーティに華が増えるのを厭う人はいませんよ。心から歓迎しますよミス・壱火」

「そっか、なら遠慮なく楽しませてもらうよ」


 クリスの歓迎の言葉に壱火はあっさりと応じていた。もう神経が太いとかそんなレベルの話じゃない。ここまで絢爛な会場の中にあっても彼女は一切自身のペースを乱していないのだ。

 ここまでくると天晴れなマイペース振りを見せる壱火。クリスも不快な様子はまったく見受けられない。二人とも社交性は抜群に高く、コミュニケーション能力の高さもあってすぐに馴染みだしていた。人と仲良くなるのが上手いものだ。

 壱火とクリスが初対面から良い関係を築きはじめようとする時、城館の扉の向こうから音楽が聞こえだした。複数の弦楽器と管楽器が協奏するゆったりとした曲は、聞く者を城館へと誘う歓迎の印だ。


「おや、もう時間が迫っていたか。さあ行こう、パーティータイムだ」


 クリスから自分へと手が差し出された。エスコートのお誘いだろう。男のものとしては細い手だが、今の自分の手よりは確実に頑強だ。

 彼を正面から見据える。白皙の美貌と表現されるべき顔が微笑んでいる。その表情の真意は、人心を察する力が低い自分には知り得ないものだ。どこまでが企みでどこからが誠意なのかは彼だけが知る胸の内だろう。

 何にせよ、こうして招待を受けてしまった以上は拒否したところで意味はない。諦めに似た感情から軽く吐息を吐いた。

 そして、差し出されたクリスの手に自分の手を乗せるようにして伸ばす。きゅっと手が繋がれて、ごく自然に彼のもとに体を引き寄せられた。


「今夜は楽しい宴になりそうです。今からワクワクしてきました」

「そう。楽しそうだね」

「ええ、楽しいですよ。とても、とても充実しています」


 流れる音楽に誘い込まれるようにクリスは城館へ足を進め、手を繋いでいる自分もそれにつられて一緒に館へと踏み込んでいく。楽しい宴になると言った彼の発言を思い返すのはそれから間もなくの事だった。



 ◆◆



 城館から庭園を見下ろすテラスに三つの人影があった。三人とも夜会に合わせてテールコートと蝶ネクタイの礼服に身を包んでおり、先程まで正門から入ってきたルナ達を観察していた。

 一人は赤毛と細目が特徴的な男リー。次の一人はたくわえた髭をそり落として身綺麗な姿になったスタン。そして最後の一人は三人の中でも一番高級な仕立ての服に袖を通していて外見からも分かりやすい金満ぶりを見せていた。ジアトー近辺の地区長を務めていたベンジャミン・ノースロップというのが彼の名前である。

 三人は城館に入るルナ達一行を三者三様の表情で見下ろしていた。ほどなく観察対象が玄関ホールへと消えていくと、真っ先にアクションを起こしたのはスタンだった。


「リー、標的と手を繋いでいる黒いドレスの女の子の事だが、名前知っているか」

「ええ。一度顔を合せていますので。ルナ・ルクス、孤月のルナと言えばそれなりに知られた名前だったはずです」

「やっぱりか」


 ホールへと消えたルナについてリーへと問いかけたスタンは、返ってきた答えに短く呟いて頷く。それはまるで分かり切った答えを確認するような様子だ。


「お知り合いですか?」

「……まあな」

「それは初耳ですね」

「言ってないからな。それにチームに入る前の話だ」


 ぶっきらぼうな態度でリーの知り得なかった新情報を口にしたスタンは、次の瞬間には言った事を後悔するような表情で目をあさっての方向へと逸らした。

 対してリーは手に入った思わぬ新情報に一瞬だけ目を見開くも、次の瞬間には面白いものを見聞きできた嬉しさから細い目を一層細める。すぐさま状況を面白くするにはどんな手を打つべきなのか、彼の頭が素早く計算の図式を描く。


「でしたらどうです? このままテラスで無聊を慰めるよりも会って来ては。ああ、私がここにいるのは内緒ですよ。どうも嫌われたみたいで」

「そりゃあな。お前みたいに人を支配したがる奴は、ルナにとっては蛇蝎みたいなもんだ。人の上にも下にも着きたくない人だ」

「そんな言葉も言われました。なるほど、仲が良かったみたいですね。尚更会っておくべきでは?」

「……乗せられているみたいで気に食わないが行ってやるさ。どうせ後はそこのエルフと腹黒い話でもするんだろ? 気が滅入るから避難している」


 踵を返したスタンは足早にテラスから館内に戻り、残されたのは二人。すぐに反応があったのは『そこのエルフ』と呼ばれたベンジャミンだった。

 エルフならではの端正な顔をしかめてスタンの立ち去った跡を見やって口を開く。


「リー君、こちらの計画を邪魔する気かね。襲撃をかける予定の相手の近くに手の者を飛ばすとは」

「そんなつもりは無いのですが、彼はこちらとしても扱いの難しいメンバーでして。ノースロップさんの今夜の計画は知らせていません」

「……何を企んでいるのかは知らんが、クリストフを葬るのは私だ。君の計画は予備的なものだと言ったはずだが?」

「承知していますよ。貴方との関係を蔑ろにする気はありません。スタンが邪魔でしたら実力で排除しても構いませんから」

「その言葉、後になっても記憶していたまえよ?」

「大丈夫です。これでも記憶力には自信がありますので」


 帝国の侵攻時にジアトーの街を丸ごと投げうって保身に走ったベンジャミンは、もう一度地区長に返り咲こうと機会を窺っていた。帝国とのパイプ作りもS・A・Sという怪しげな武装組織との付き合いも全て自身の権威のため。

 高級な礼服が嫌味にならない程度に端正な面差しの裏には黒い政治業者の顔を持っている。リーはベンジャミンと繋がりをもって数週間でそんな結論を出していた。


「ああ、そうだ。もしよろしかったらコレをどうぞ」

「なんだね、これは?」

「ちょっとした『保険』です。もしノースロップさんの計画が失敗しそうな時とか、ダメ押しが欲しい時にはコレを使って下さい。地面に叩き付けると割れて、中から強力な援軍が出てくる仕組みになっていますから」

「君ら転移者お得意の妙なアイテムの一つか」

「ええ。ノースロップさんには帝国と繋がりを持つときにお世話になりましたし、贈り物と思って頂ければ」

「まあ、いいだろう。献金は断らない主義だし、貰える物は貰っておくつもりだ。受け取っておくよ。では、こちらはそろそろホールに行ってくる。君はどうするかね?」

「もうしばらくここで夜風に当たっています。今夜は河から良い風が吹いてますし」

「そうかね。まあいい、計画本番中にホールには近付くなよ。流れ弾に当たっても文句は受け付けないからな」


 リーから手の平に収まる『何か』を受け取ったベンジャミンは、テールコートを翻してテラスを去って行った。おそらくは襲撃をかける実行部隊に顔を出しに行ったのだろう。どんな時でも強さを外にアピールしたがるのが彼の政治屋としての性分らしい。力強い足取りで歩いていった。

 ベンジャミンの背中を見送ったリーはテラスに独り残った。テラスに吹く夜風は城館外縁に茂る木々を揺らして、葉擦れの音が波のようにさざめく。ホールから聞こえる音楽よりもリーにとってはこちらが好ましい。セットした赤毛が乱れるのも構わず、目を細めて風に当たった。


「無防備ですね、ベンジャミンさん。大胆さと無防備は別物ですよ」


 自身にだけ聞こえる声量でリーは呟いて、口元を浅く笑みの形に歪めた。それは付き合いがあるというだけで疑問に思わず贈り物を受け取ったベンジャミンを嘲笑うものだった。

 はき違えた剛胆さと大胆さをアピールするため無防備なところを見せる彼が、その勘違いに気付くのはもうすぐかもしれない。


「あるいは、気付けず終いかもしれないな」


 くっくっくっ、と喉に物が詰まったような声でリーは嗤った。

 時間が経つにつれ夜は深まっていく。流れる音楽の曲が変わると同時に正門が開かれ、招待客達がゆったりとした足取りで入場してきた。ガス灯の並ぶ道を歩く紳士淑女の姿は火の光で影絵めいている。

 嗤ったままその光景を見下ろすリーは、これから始まるパーティーに思いをはせて笑みを深める。口元は深く歪み三日月を描いた。




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