14話 不倶戴天
男を見た瞬間、一切の理屈を抜きにして認識した。これは『僕』の敵なのだと。
「こんにちは、ルナ・ルクス。連れが君にご執心だから一度会って見たかった」
赤い髪を短く切り揃え、細く開けられた目蓋の奥から視線が投げかけられている。着ているスーツ、それを包む体は平均的な印象しかなく、こうしてかけられる声も特徴的なものはない。普通普遍といった言葉が似合いそうな雰囲気を持ち、群衆の中に紛れてしまえば目立たない男だ。
だというのに、何故だ? なぜ自分は目の前の男性を敵と思ったのか。
そう考えていた時間は実際には極めて短かっただろう。でも男はまたもその隙を縫ったようなタイミングで自分から距離を置いた。
「おっと、いきなり女性の肩を掴むのはマナー違反だった。銃から手を離してくれると嬉しい」
「――っ」
戯けた調子で両手を挙げる男の言葉に今の自分が何をしようとしたか気付いた。掴まれていた肩とは反対の左手が腰のモーゼルを握っている。親指が撃鉄を起し、安全装置を解除、後は引き金を引けば弾が出る。
気付いてすぐに撃鉄を戻しグリップから手を離した。若干慌てる。いくら貴賓扱いでここに招待されてはいても銃を抜くような真似は許されるものではない。
意識せずに動いていた体に活を入れ、目の前の男性に悟られない範囲で息をゆっくり整えて、努めて意識をして浮いていた腰を椅子へと戻した。
こちらの様子に戦意無しと見たらしく、男は開けた距離を再び縮めてきた。
「失礼。私はリー、リー・クリーフと申します。そちらはミスター・クリストフ・フェーヤでよろしいですか?」
「そうだけど。君、アレの知り合い?」
「ええ、まあ、ビジネス上の付き合いと申しましょうか、そんなところです。ミスターには思う所などはありませんよ」
「なら、いいけど」
リー・クリーフと名乗るこの男、細目で目の奥を窺わせないスタイルのようだ。自らの真意を包み隠したままクリスにも声をかけて、微笑を浮かべている。対する月詠人の少年も外面上は気の抜けた声で対応している。
クリスとしては、さっき注意をした後ろの席にいる男性と話をしていたリーに対し探りを入れたいのが本音のはず。でも少年の姿なのは見た目だけ、彼はがっつく様子もなく軽く言葉を投げただけで用件を済ませてしまった。
二人の会話に早々と区切りがつくなり、リーはこちらに顔を向けてきた。彼の本命はどうやら自分のようだ。
「隣、座っても良いでしょうか?」
「……どうぞ」
『ありがとう。そして少し焦った。話には聞いていたけど、敏感な反応だ』
『やはり、プレイヤーか』
『こちらの呼び方だと転移者という呼び方が一般的になろうとしているよ。今後はそっちの方が通りがいい』
直接頭に響いてくるこの声の感触は間違いなく念会話だ。元がゲームでのチャット機能だったためか、この世界で念会話を使える人間はプレイヤーに限られていると思われる。少なくともこの世界の住人達が念会話を使っている場面を見かけたことはない。薄々は勘付いていたけど、このリーという男性はプレイヤーだ。
耳に聞こえる声としては「感謝するよ、よいしょ」と口にしていてクリスとは反対の席に座った。念会話と声を別々に出すとは器用な真似をしている。
給仕にやって来た使用人にアイスティーを頼み、ソファーに深々を座る彼の様子には敵意とかは見られない。武器も持っている様子はないし、魔法を使う気配は無い。この男、完全にくつろいでいる。
『まあ、そう殺気立たずに。ほら、リングで演っているライブでも聴きましょうよ。今日のアルトの演奏は相当にクールです』
『彼女の名前を知っていて、私の名前を知っている。S・A・Sの関係者か?』
『そうです。ああ、変な気は起こさないで下さい。こちらの合図ひとつでアルトの演奏曲目がロックからデスメタルになる』
『……』
この男性に何かあればスタジアムに集まった観客達はアルトリーゼの撃ち出す魔法の餌食になってしまう、そう言いたいのか。これは人質なんだろうな。
個人としては見知らぬ誰かが何人死のうと一向に構わない。でも、人としての道徳はこの場でアルトリーゼが暴れるのを良しとしない。さらに言えば、このリーという男の話を聞いてみようという興味も湧いていた。
頭の中で選択の天秤が『静観』に大きく傾いた。足元に目をやり、そこにいたジンに一度だけ目配せをする。万が一の時は彼にも動いて欲しい意味を込めた。果たして黒猫の使い魔はこちらの意思を汲み取ったようで、視界の端で静かに体勢を変えるのが見える。こちらも一声かければリーに飛びかかってくれそうだ。
これで見えない武器をお互いに向け合う状況となった。リングからはエレキサウンドの激しい曲と歓声がVIP席まで届いてきた。
顔をリング方向に向けると、アルトリーゼがバンドの先頭に立ってギターを弾いて張り上げるような声で歌っている。生憎と自分は音楽に関しては明るい方ではない門外漢だ。でも、この曲が観客たちを湧かせるに足りるだけのものを持っているのは分かった。
バンドの編成はアルトリーゼを入れてわずか三人。ドラム、ベース、そして彼女のギター兼ボーカル。ドラムとベースが下地になるリズムを作って、その上にギターとボーカルが曲を刻んでいく。
アルトリーゼの曲は奔放で気ままそして激しく攻撃的、なのになぜか悪感情は浮かばない。リーが彼女の曲を端的にクールだと評したけど、なるほど分かりやすい言葉だと思えた。
『それで、S・A・Sの方が何の御用です? ジアトーの時みたくここを攻める算段でも立てているとかですか』
『いいえ。あ、いや、大局的はそうなるか。まあ、良いでしょう。魔獣の襲撃が失敗で終わったとあってはこの辺り一帯に再攻撃を仕掛けるのも面白くありません。今は潜入調査です』
『あの襲撃事件はそちらの仕業か。あっさりと認めたね』
『隠すような事ではありませんから。貴女の事を知ったのもその一件からでして、アルトが随分と執心を見せていましたよ。お陰で私も貴女のことを知りたくなりまして、伝手を使ってここまで来ました』
傍目には自分とリーは、並んでアルトリーゼの曲を鑑賞しているようにしか見えない。でも耳には聞こえない思念のやり取りは交わされている。
ジアトーが帝国に占領された一因になったチームのメンバーがここにいる意味、それを考え、振り払うべき火の粉を予想する。
横目でリーの顔を窺っても、細目の奥にある瞳は見えない。あるいは彼の細目も相手に真意を探らせない処世術に思えた。
まったく、実に面倒な事態になってしまった。ただでさえ人付き合いに苦手意識と面倒臭さを感じているのに、他人の腹を探るなんて上級レベルの芸当を要求されている。神は本気で理不尽な無茶振りをしてくるものだ。
こういうやり取りに必要なのは、粘り強さと察しのよさ、同時にふてぶてしさ、総じて精神的なタフさが求められる。対人関係に限れば自分はそういう方面では無理だと諦めている。
なので、こちらが打てる手は下手な小細工は抜きで単刀直入に聞き出すだけしかなかった。
『聞く限り、そちらの目的は私にあるように聞こえる』
『ええ、そうです。そう言っていますから。実際、こうして対面して分かった。この世界の有力者を背景にとることの重要さはお互い理解している。ひょっとすると、その気になれば一勢力を築くかもしれない』
『冗談。人の上にも下にも付きたくない。指図されるのも嫌いなら指図するのも嫌いな私に勢力なんてありえない』
「……これは失礼。ですが、見た目以上に面白い。アルトが興味を持つのも分かる気がする」
会話の最後を小声ながら口に出したリーは顔をこちらに向けてきた。彼の顔に邪気は見受けられない。あるのは純粋な興味、それだけだった。
だからこそ自分は戸惑ってしまう。あれだけの騒動を引き起こし、大勢の死人を出しておきながらこんな顔が出来てしまう相手に。得体の知れなさが気味の悪さになって背中をなでる。
この男の態度は普通だ。人に対してごく普通の対応、ごく普通の受け答え、普通の仕草。本来ならもっと緊迫感があって当然の状況下であるはずなのに、リーの話す調子はまるでゲームで対戦者との会話を楽しんでいるかのようだ。そう、もしかすると彼はゲーム時代の感覚をそのままにしてこの世界にやってきているのかもしれない。
短いやり取りの中で自分がリー・クリーフに感じた印象は、この世界をまだゲームの中であるかのように俯瞰している人物だと感じた点だった。
「――さて」
話したいこと聞きたいことはもう終わりだ。りーの口から出てきた言葉にはそんな意味が込められているようだった。彼は突然席から立ち上がり、同時に彼が立つ床に魔法陣が小さく淡く展開された。
魔法の使用という突然の事態にVIP席にいる面々から動揺の声が上がる。すぐ近くにいるクリスはそれでも事の成り行きを見守るつもりらしく、チラリと隣を一瞥した限りでは移動する気配もない。その代わり近くに居たエカテリーナさんがボディガードとしてクリスの前に立っていた。
床の魔法陣は燐光を帯び、光の粒子を細かく飛ばし、時間が経つにつれて量を増やす。
「名残は惜しいですが何かと多忙なので、今回は挨拶だけでおいとまさせて貰いますよ。ルナ・ルクス、有意義な時間をありがとう。面白かったよ、機会があればまた会おう」
リーが言葉を締めくくるのと同タイミングで光の粒子は彼の姿を隠し、すぐに吹き消されるようにリーの姿と一緒に霧散した。高位の魔法の一つ転移のようだ。指定したポイントまで距離を無視して一瞬で移動できるこの方法は、リアルな視点で見ると相当に強烈な印象に残る。
周囲の動揺がさらに広がる中、自分は席に座ったままリーがいた空間を見ていた。影も形もなくなったのに頭は彼の輪郭を思いだそうとしている。まるで敵の姿を記憶しようとしているかのようだ。
理性とは別に、本能めいた感覚がリーを拒絶しているとでも言うのだろうか? この世界に来てからというもの異常な性格的傾向が見られる人物に興味を持たれる事が度々あったが、こんなケースは初めてだ。上手く言葉に出来ないせいでどうにももどかしい。
「あの男、結局最後まで笑っていたな」
「うん……」
足元から聞こえたジンの声にも上の空でしか答えられない。そうだった。彼は自分と話している間中、ずっと口元を笑いの形にしていた。それは一体何を笑ったものなのか余人である自分には知る由もない。
そしてリングから聞こえていたエレキサウンドもいつの間にか残響を引いて終わっていた。スタジアムに轟く歓声に演奏者の三人は手を振って応えている。観客達は自身が人質にされていた事も知らずに音楽を楽しんでいたようだった。
そしてバンドのギタリスト、アルトリーゼは観客の声に応えながら顔をこちら、VIP席に向けて軽い仕草でキスを飛ばすポーズをしてみせた。見えていた、のだろうか。
観客つめかけるゲアゴジャのスタジアム。自分は今日、初めて『敵』に遭遇した。
◆
ジアトーの市街地の一画に幻獣楽団の拠点はあった。市内で帝国を相手にゲリラ活動を展開する彼の拠点は複数箇所に分散しており、ここにある拠点もその内の一つに過ぎない。
転移から暴動、そこから帝国軍の侵攻と立て続けに不幸に見舞われる元プレイヤー達だったが、一ヶ月以上の時間が経過した今では余裕のある表情が出来る者も多くなってきていた。これは当初の混乱から完全に脱したものだと団長のライアは判断した。
さて、混乱から脱したなら今度は反撃だ。今までのゲリラ活動がボクシングでいうところのボディブローなら、いよいよ必殺のストレートを打ち出す時が来ようとしていた。情報も物資も政治方面での根回しだって順調に進んでいる。
しかし、現在ライアが目を通している書類には気がかりなものがあり、最悪の予想が当たった場合は反攻作戦が瓦解してしまう内容だった。
「……でも、今は人手不足。この重要な時期に人を派遣できない。それでも無視するには気がかりな内容か」
まるで喉に刺さった小骨のようだ。無視できないが手は出せない。そんなもどかしさにライアは軽く自身の手の爪を噛んだ。
彼女の手にある書類は、昨日の夜に水鈴とトージョーのコンビが謎の輸送計画を探りに郊外の駅へ出かけた際の成果物だ。帝国軍に発見され、目標と思われる列車も出発したし、成果は駅舎にあった書類だけと少々寂しい結果ではあった。ただ、その成果が問題だった。
書類の内容はたった一名の人物の輸送、そのためだけに帝国軍は列車を用立てていた。戦線を進めすぎて補給線が伸びきり、ゲリラの活動もあって最近は物資が乏しくなりだしている帝国軍にこんな酔狂な真似をする余裕なんて本来なら無い。必ず何かある。
その『何か』についてもライアは心当たりがあったりする。彼女は書類が山と盛られた机の上から目当ての書類を抜き出して水鈴が持ち帰ったものと並べた。
ここは拠点にあるライアの私室なのだが、同時に執務室兼寝室になっていてゲリラ活動で得た情報や過去の作戦をまとめた書類があちこちに積まれている。これでもきちんと整理されていて、どこに何があるのかライアは把握しているのだが他人が見たら掃除できない女の部屋と印象付けてしまう。
半ば『汚部屋』と化していてもライアは実用性重視で気にしない。むしろ今のように様々に考え事をするにはこのくらいの方が落ち着く性分だ。
並べられた書類はそれぞれ別の方面から寄せられた情報で、それらを統合して考えるとある大きな事件が起こる可能性が考えられた。
「この輸送されている人物はゲアゴジャで誰かを狙撃で暗殺しようとしている、か」
何回か書類を見直して考え直してもこの推測はライアの中から消えない。むしろ確信は深まるばかりだ。
まずは資金の流れ。ゲアゴジャからここジアトーに対してお金を流れいている情報があった。しかも送金相手は帝国軍ではなく、S・A・S。あのチームを資金面で援助する人物がいるのだ。名前はベンジャミン・ノースロップ、どうやらジアトー周辺の元地区長らしい。
この元地区長からS・A・Sへは帝国軍を経由して資金が流れており、表向きにはこのノースロップ氏は首長国の裏切り者という事になっている。あのチームから見たらパトロン兼いざという時のスケープゴートみたいだ。
次に時期。現在ゲアゴジャでは地区長を決める会議とそれに付随するお祭りが開催されている。侵攻してくる帝国軍に対抗する強いリーダーを国民は求めている中で、有力な候補の名前が挙がっている。その候補はノースロップ氏とは古くから敵対関係にあった情報も寄せられている。
さらに今回作戦に参加したトージョーからの報告。彼はゲーム時代ではフリーであちこちのチームを渡り歩くスナイパーだった。その中でS・A・Sに助っ人として参加したこともある。チームカラーとして突撃思考の人間が多かったあのチームでは地味な役割であるスナイパーは慢性的に不足していたからだ。
その助っ人期間中、彼はチーム内の数少ないスナイパー役の人物と知り合いになった。その人物が今回輸送された人員である可能性が高いとトージョーは作戦後に報告してきた。
根拠は輸送品目の『ボーイズ対戦車ライフル』。トージョーの知り合いはこの規格外に巨大なライフルを狙撃に愛用しており、数多くの戦果を上げていた。
他にも寄せられる細かな情報をライアは頭の中で組み上げていく。こうして指し示されるものはゲアゴジャでの狙撃事件が起こる可能性だ。標的はほぼ間違いなくこのノースロップ氏の政敵、表向きの黒幕もノースロップ氏だろう。
そしてその人物はクリストフ・フェーヤ。ライアが交渉し、援助を貰える相手だ。彼女は脳裏に少年姿のクリストフを思い浮かべつつ、苦い想いに囚われる。
ここまで危機を予見していながら、ライアに打てる手は余りにも少ないのだ。
「……もどかしい」
再び爪を噛む。今度は強めに噛まれ爪が欠ける。
幻獣楽団は間近に迫った反撃作戦に向けて人員と物資を整えている重要な時期を迎えている。この期間中は活動を休止していて、戦力や物資の温存に務めなくてはいけない。つまり外に出す人員は一人もいない。
ライアが出来る事はせいぜいクリストフに注意をするよう連絡を入れる程度だろう。ただ、この推測をどこまで聞き入れられるかは不明だ。
彼女は書類から目を離して、部屋の壁に掛けられた黒板に視線を飛ばす。その黒板はチームの予定表になっていて、今後のスケジュールが書き込まれるものになっていた。
以前までは何処を誰が襲撃する予定、必要な物資、調達された補給などの書き込みがびっしりと埋まっていた黒板。それが今は一言だけしか書き込まれていない。そこには『Dデー全メンバー全力出撃』とあった。
ジアトーの私室でライアは遠くで起こるだろう事件を予見し、手が出せない現状にもどかしさと苛立ちを感じていた。その時は刻一刻と近付き、彼女の中では不安が募る。それでも時間は人の感情の一切を無視して進んでいた。