13話 泰山鳴動?
遠くから聞こえる歓声と怒号は、コンクリートの壁や分厚いスチールの扉を通しても僕の耳には届いていた。
選手の名前を何回も叫ぶ声、不甲斐ない試合をする選手を野次る声、ただ試合に熱狂して上げる絶叫、扉の向こう側はかなり熱い事になっていた。
そういった声は目の前のリザードマンにも聞こえているはず。でも、彼はパイプ椅子に座って淡々とバンテージを巻いていく作業に没頭していた。
彼――レイモンド――僕の親父のそういった姿はかなり久しぶりで、懐かしい気持ちにさせてくれる。
「すごい歓声だね、父さん」
「そうだな。まあ、客は大いに超した事はない。盛り上がるからな」
僕の声にも親父はやっぱり淡々とバンテージを巻いている。返事も物静かで、まるで外の事なんか関心が無いように反応が薄い。こんなところも親父の昔の姿と重なる。
試合前の親父はよく無口になっていて、控え室で一人になっていたのを覚えている。今もそうだ。ボクシングがフェイスオフに変わって、世界が変わって、体が変わっても親父は親父だ。
こんな彼の様子を見て、僕は目の前のリザードマンがやっぱり自分の父親なんだと確認させられる。
このフェイスオフ試合会場の選手控え室にいるのは僕と親父だけ。コンクリートの壁に囲まれたここには窓の一つも無い。だからか、部屋全体に圧迫感があって重苦しい空気が漂っている。それが親父の緊張を増幅しているような気さえしてきた。
ここは一つ、僕が気を紛らわす軽口なんかを叩いてみようかと思う。
「そんな風に冷静にしているけど、緊張しているんだよね父さん。ほれ、愛娘の抱擁などいかが、とかやってみる」
「ん……むぅ」
おふざけ半分で親父の背中に抱きついてみた。椅子が軋む音がしても気にしない。
その背中は大きく広く、子供の頃におんぶされた時を思い出しそうだ。肌触りは鱗でゴツゴツしていて筋肉でデコボコしているけれど、人肌の暖かさは確かに存在している。なんか安心できる背中だ。
抱きつかれている肝心の親父は唸り声しか出していない。ちょっと悪ノリが過ぎてしまっただろうか? でも、子供の頃には出来なかった事をしてみたかったという想いがあって、こうして機会がある。やらない道理はなかった。
「総司、もう少し今の身体がどういうのものかよく考えてから行動しなさい。第一、いつ言おうか考えていたがその服装からして問題あるぞ。そんなコートに水着みたいな格好だと、今のご時世男に襲われても文句言えないぞ」
「うわ、ノリが悪いよ父さん。ここはホラ、若い娘に抱きつかれてお得とか思っておかなきゃ」
「はははっ、お前が父親のことをどう思っているか分かった気がするな。あと、お得感を言うなら色気が足りない。それに家族に邪な気持ちを持つほど爛れてはいないつもりだ」
親父の背中にくっついたまま、指摘を受けた服装を思い返してみる。
一言で言うと赤系統のビキニアーマー。水着のビキニよりは若干布面積は多いし、これの下にはしっかり下着も着ているのだけど肌の露出はかなり多めだ。ルナからのアドバイスで街に入ってからは予備で持っていたコートを羽織って露出を減らしているけれど大胆な服装に変わりはなかったりする。
こちらに来てからほとんど服装の変更は無い。『浄化』の呪紋が風呂いらず洗濯いらずの便利な代物になっているのを知って、着替えることもなく過ごしてきた。これまでずっと殺伐とした毎日だったからそんな時間さえ無かったのもの正直なところ。
それにしても、これで色気無いと言うのか親父。考えてみれば中学校に入ってからはあまり会話しなかったから、彼の好みとかストライクゾーンとか知る機会は無かったなぁ。第一、親子でわい談なんてする奴はいないか。
こんな風に話をする時間なんて何時以来なんだろう? 久しぶり過ぎるくらいなのに僕も親父も違和感なく会話のキャッチボールが出来ている。それが何となく嬉しい気分にさせてくれる。
「ふーん、おりゃおりゃ」
「おい、頭こするな。タダでさえツルツルなのに」
「でも触り心地結構イイよ。鱗のツルツルした感じがヘビみたい。そういえば、ヘビに触ったのは父さんに動物園に連れて行かれた時だったけ?」
「ああ、そういえばそんな事もあったな。もう好きにしろ」
「うーい、へへへっ」
嬉しい気分に任せてじゃれついてみた。親父のツルツルになった頭を撫で回してみたり、肩に手をかけて軽くマッサージもどきをしてみたり、以前の僕では絶対にやりそうにないスキンシップをしている。
不思議だ。何が不思議かって、こんな風に自然にスキンシップをしようとか考える現在の僕が一番のミステリーだ。オカルトだ。前の僕だったら親父とは距離を置いていたはずなのに、何なのだろうこの積極性。どこから来るのだろうか。
はしゃぐ僕自身を不思議に思いながら、それでも不愉快ではなかった。
控え室の扉が開いたのはそんなひっ付いているタイミングだった。人狼族の身体になって耳が良く聞こえるようになっているはずなのに、熱中していたせいで扉が開かれるまで人が来る音を聞き取れなかった。
「おいレイ、出番が近いぞ! そろそろリングへ……えー……すまん、お取り込み中だったか。また後にするわ」
扉を開いた会場の係員らしき人が僕達の様子を見るなり出ていこうとする。うん、絶対勘違いしているよな。むしろ誤解すること請け合いだし。
「待った待った、時間なんだろ? 行くから、俺行くから。総司そろそろ離れろ、試合があるから」
「うーい。行ってらっしゃい」
僕が背中から離れるなり親父は慌てて係員を追いかけていく。扉は開きっぱなしで放置だ。途中廊下から「おかしい……俺の息子は大人しい方だったはずなのに」とか言う呟きが鋭い耳に捉えられた。ごめん親父、何かこっちに来てから被っていた猫が剥がれたみたいなんだ。
親父は係員にすぐ追いついて、準備が出来ているのですぐに出られるとか言っている。対して係員の少し強面なお兄さんは、僕を親父が連れ込んだ女だと思い込んだままだ。もう少し時間はあるからゆっくりしても良いとか気を利かせているっぽい。
「だからアイツは息子、じゃない娘なんだよ。お前が見たのは親子のスキンシップみたいなもんだ」
「いや、リザードマンの親に人狼族の娘って無理ないか? 邪魔したこっちが言うのも何だが、言い訳にしては苦しいぞ」
「そうだが、少し込み入った事情があって……」
なーんか、親父と僕の仲を疑われるのも気分が良くない。ここは一つ僕から声を出してみようじゃないか。
開けっ放しの扉を潜って廊下に出て息を大きく吸い込んで、親父の背中に声をぶつけた。
「父さんっ!」
廊下に反響する大声に親父は驚いた顔で振り向いた。暗い緑色の鱗をしたリザードマンの姿にごく自然に元の世界の親父が重なる。
その姿へ向けて拳を握るポーズをとって見せる。そういえば小さい時に一度だけ試合に向う背中に向けて声をかけた記憶があった。なら、今はその時と一緒だ。
「ぶっとばしちゃえ」
「……ああっ!」
昨日再会したばかりの僕と親父だったけど、なんだ、思ったほど心配する事なんて無かったな。
握った拳をこっちに向けて笑う親父を見て、胸にストンと落ち着く気持ちがあった。この世界に来て今まで逃げたりサバイバルしたりの連続で落ち着く居場所が無かった。それがようやく見つかったんだと理屈抜きで実感できた。
歓声に包まれながら親父はリングに向う。昔に見た親父が輝いていた時期、それを僕はもう一度見ていた。
◆
フェイスオフの試合会場は、ゲアゴジャの街中を流れるコラッド河の西岸地域にあるスタジアムで盛大に行われていた。
国民的スポーツもあってかトーナメント序盤だというのにスタジアムには観客が詰めかけている。あるいは今が戦時下だからかもしれない。戦争は一種のハレの日、そこにお祭り行事が加われば高揚した時勢で盛り上がりやすい。戦争を遂行する政治家達も古来からその辺りを心得ていたようで、戦時下のイベントは平時よりも開催されやすかった。
そして世界が変わっても人間が考える事に変わりは無いようで、このイベントにも政治が僅かながら絡んでいた。
「招待状はございますか?」
「これで」
「…………確認しました。ようこそルナ・ルクス様、すぐに案内の者を付けますのでお待ちを」
入り口で睨みを利かせていた警備員に招待状を渡し、招待客の名簿と照合して程なく入り口は開かれた。さらには案内役まで付いてくると言う。
スタジアムの一画、一般の客席から離れた場所には周囲の喧噪から隔離されたいわゆるVIP席と呼ばれる貴賓のための場所があった。
出入り口にはダークスーツに身を包んだ警備員がおり、一般客が迷い込もうなら即座に閉め出せるようになっている。ここに入れるのはごく限られた人々だけ、エカテリーナさん経由でクリストフから招待状を貰っている自分もその内の一人になっていた。
「お待たせしました、ルナ様。私がクリストフ様のところまでご案内いたします」
「あ、よろしくエカテリーナさん」
「はい」
それほど待たずに案内役はやって来た。来たのはやはりと言うべきなのか招待状を渡してくれたエカテリーナさんだ。昨日見せた砕けた態度は消えてノリが利いたスーツを着こなし、従僕としての態度を前面に出している。ただ、やっぱり猛獣の雰囲気は残っているが。
さっそく彼女の案内でVIP席へ。自分には何時ものようにすぐ後ろにジンが付き従い、腰には二挺のモーゼルとナイフが下がったままだ。使い魔ならともかく、銃については何か言われるのではないかと思っていた。けれどエカテリーナさんも警備員も言及してこなかった。
何かあったらすぐに対処できる自信があるのか、あるいは貴賓の持ち物に口出しするのは失礼だからか、あるいはその両方か。
ともあれ、ここまでの戦いで腰にかかる重みが安心になるほどになっている自分にはありがたい処置だ。向こうから何も言わないならこちらも素知らぬふりで通すとした。
「クリス様。ルナ様をご案内しました」
「ああ、ご苦労リーナ。やあルナ、まずは隣の席にどうぞ」
「ありがとう」
エカテリーナさんの案内ですぐにクリストフのもとに辿り着いた。
上映前の映画館のように薄暗い室内。三方は防音効果が高い壁で、残る一面は前面ガラス張りになっている。等間隔に並べられた席があって、ガラス張りの壁面に揃っている辺りは映画館を思わせた。
ただし、VIP席らしく一席一席の間隔は広く開いていて、席そのものも贅沢な作りをしている。
クリストフに勧められて座った席の座り心地はかなり良いもので、革と布が張られた席は自分の体をどこまでも優しく受け止めている。おまけに床にも絨毯が敷かれて、傍にいるジンも口には出さないが足から伝わる感触に戸惑っている様子だった。
「何か飲み物は? ああ、スナックもあるけど」
「車で来ているからアルコール以外で」
「分かった。君の好物のコーヒーを出させよう。そろそろ暑くなってくる季節だし、アイスがいいかな」
「お願いします」
「うん、お願いされた。リーナ」
「畏まりました」
飲み物も勧められるままに頼んだ。ここで断るのも失礼だろうと判断したからだ。以前飲んだコーヒーから考えると、アイスもハズレではないだろう。
それよりも気になったのは、クリストフ以外の人々だった。VIP席にはクリストフ以外にも何人か座っており、くつろいだ様子でスタジアムの試合を見ていた。それが自分の存在を認めるなり一様に驚いた顔をして、次には試合よりもこちらを見るようになっていた。
今も気のせいでなければ複数人の視線を感じており、上から下までジロジロ見られている感触もあって居心地が急速に悪くなってきていた。
早くもクリストフの招待を受けたことに後悔し始めた。なるほど、後から悔いるから後悔なんだな。今更のように噛みしめる実感だ。
「気にしなくても大丈夫だよ。みんな君の事が珍しいだけさ」
「気にするなと言われても、無理がある」
「そこは耐えてくれないかな? この場は今夜の晩餐会の前哨戦だから。貴種の金眼をチラリと見せて、僕との関わりを見せるのが目的だから」
「私は政治の道具?」
「もの凄く言い方を悪くするとね。でも、道具であっても念入りに手入れしたり、愛着を持ったりするだろ? 君を無碍にはしないよ」
お互い近い距離でしか通らない程度に声を落として会話は始まった。
クリストフの言葉から判断すると、現在の自分の立ち位置は彼の付属品に近い。色々と願った対価だと思えば不満はないし、この世界での足場を固めるためには悪くない位置にいると思う。ただ、独り静かになる環境までは少し遠い気がするが。
取りあえずこの場の主旨は飲み込めた。おそらくこの部屋にいる人々はほとんど月詠人で、金眼の自分に対して畏れみたいな感情を持っている。クリストフはそこを利用して自身の立場を強固にしようとしているみたいだ。
なら自分が取るべき態度はクリストフとそこそこ話をして、周囲に二人は親しいと印象付けることか。とは言え感覚的には同性の相手に恋人じみた真似をするつもりなどない。良くて友人だろうか。もっとも、ここ十年リアルで友人などいないが。
「見捨てられない程度にはする」
「ありがたい。話が早いのは良い事だよ。悪いようにはしないし、させない。どこぞの姫のように自由を奪ったりもしない。ただ、僕からのお願いを可能な範囲で聞いてくれると嬉しいな。差し当たっては、今夜開かれる晩餐会にも出席して欲しい。ドレスコードはあるけど、それはこっちが用意するよ」
「それが本戦?」
「そうだ。それが上手くいくと僕はゲアゴジャとアストーイアを含むこの辺り一帯の長になる。これは君にとっても、君の友人達にとっても良い話になるよ」
口数が多くなって乾いたのか、クリストフは脇に置いたグラスに口をつけて湿らせる程度に飲む。アルコールの匂いはしない。アイスティーみたいだ。
試合そっちのけでクリストフと話し、彼の目的を知る時間にした。スタジアムの中央に設置されたリングでは予選から熱闘が行われて、歓声がひっきりなしにあがってVIP席まで響いてくる。それでも見るべき試合はレイモンドの試合だけなので無視して問題はない。
「アイスコーヒーです」
「ありがとう」
欲しいと思ったタイミングで飲み物が来た。秘書なのにわざわざ持ってきてくれたエカテリーナさんに感謝をして一口。
アイスコーヒーならではの後味がスッキリした苦味と酸味が口の中を通り過ぎていく。水出しで丁寧に淹れたのかコーヒーの味も濃厚だ。ハズレは無いと思っていたけど、期待以上の味に口元がほころんだ。ここまで美味しいと添えられているシロップやミルクは無粋だ。ブラックで楽しもう。
美味しいコーヒーのお陰で疲れ気味の頭にも活力が戻った気がしてくる。ジアトーの脱出、アストーイアの魔獣襲撃とここ一、二ヶ月の間に二回も大きな戦闘に巻き込まれたせいで、肉体以上に精神が疲弊している自覚はあった。
それでもこの世界で生きていくのは確定、疲弊している暇はそうない。コーヒーの力を借りて疲れを強引に振り払った。
「では、今は夜に向けて偵察か相談でも?」
「そんなところ。ああ、ここに入るときに見せた招待状あったよね。それは晩餐会でも使うからそのまま取っておいて。晩餐会には同行者も認められているから誰か友達でも呼んでくると良い。その人の分の服も用意しよう。会場の場所は書いてあるけど、どこか分かる?」
「一応は。分かった、心当たりに声をかけてみる」
同行者はレイモンドか壱火に頼もうか。今日はスタジアムに入るまで一緒に行動していた自分達だったが、レイモンドと壱火は選手とその家族で、自分は大会に呼ばれた賓客と立場が違っている。
だからスタジアムに入った段階で別れた。そのまま二度と会うこともない可能性すら考えていたけど、彼らとの縁はまだ途切れてはいないみたいだ。後ほど念会話で声をかけようと心の中で決めた。
「それと、これは偵察の話だけど君から見て右斜め後ろの席にいる男性、彼の顔を覚えてほしい」
言われてその方向に目だけ向けてみた。相手に悟られないよう背もたれを壁にしてこちらの様子を悟らせない工夫をした上でだ。
そこにいるのは二人の男性。赤毛で細い目が特徴的な以外は服も体格も平均的な青年、もう一人は青年よりも一回りは年上の男性で、整った顔と高級そうなスーツがよく目立っていた。二人は並んで席に座って、試合観戦をしながら楽しげに話をしている様子だった。
クリストフが示したのは高級スーツの男だ。彼はスーツの男を見やり、普段より声のトーンが下がった話し方をし始めた。
「あんな奴の名前は別に覚えなくてもいいけど、顔ぐらいは覚えて。あいつはね、ジアトー一帯の元地区長だった人だよ。帝国の侵攻の時、市長を見捨てて真っ先に逃げに走った奴で、ついでに言えばジアトーを帝国に売った疑いもある」
「売国奴?」
「まだ証拠もない疑いのみだけどね。でも、出来過ぎとは思わない? いくら転移者の暴走があっても帝国軍があそこまですんなりと町に入れたのが」
つまり日本で無理矢理例えると、県知事が侵攻してきた敵に対して民間人を見捨てて逃げ、その上敵に有力な情報を売ったようなものだ。
クリストフの声のトーンが落ちるのも納得がいく。彼は静かに怒っていた。確かにあの時の帝国軍は振り返って見ればスムーズ過ぎた。内応を疑うのはごく当然で、あの男にはその疑いがあるのだ。
「隣の赤毛の男性は?」
「ん? 見ない顔だ。アイツの隣でお喋りしているから関係者なのは確かだろうけど。要は、僕が言いたいのは晩餐会では彼に要注意ってこと。何か言われても軽く流して欲しいかな」
「分かった。クリストフには借りがあるし、貴方の方針に従う」
「クリスって呼んで欲しいな。君とは永い付き合いになるだろうし。っと、第一試合がいつの間にか終わっていたな。次は君の関係者のリザードマンの試合か」
細かい話は後ほど詰めていこう、そう言ってクリストフ――いや、彼の求めに応じてクリスと呼ぼう――はこちらに向けていた紫色の目をガラスの向こう側へと転じた。自分も彼に同意して、コーヒーを一口味わう。こうして招待に応じている以上、当面は彼の方針に従っていくしかないな。
コーヒーを飲み込んだ後、一息吐く。周囲の人からの視線には胸の奥が沈むような思いをさせられる。人付き合いが苦手な自分にはこの手のことは鬼門と言っていい。クリスの要求も割合ハードルが高く、借りは割と大きいものだった。
またも湧き出る後悔の念を押さえ込み、気を紛らわせようと自分もリングへ目を向けた。
そこでは一試合が終わり、次の試合が行われるまでの合間の時間にイベントが開かれている。
リングの上にスタッフの手でドラムセットとアンプが手早く置かれ、ベースとギター、ドラム用のスティックを持った数人がリングに駆け上がる。音楽ライブがインターバルのイベントのようだ。
リングに上がったミュージシャン達は短い時間を無駄にしないよう素早く楽器のセッティングをこなす。観客も急に始まった音楽ライブに戸惑い気味の気配だったけど、期待している声も聞こえてきている。
セッティングはすぐに終わり、真紅のギターを持った人物がピックで弦を掻き鳴らして会場に音を響かせた。
「あのギタリスト」
「主、あの者アストーイアで」
伏せていた顔が上がって、彼女のピンクブロンドの髪が翻る。観客を前にしたその顔は満面の笑みが零れている。
ずっと黙っていたジンも思わず声に出して立ち上がった。自分もあのギタリストの姿には腰を浮かせていた。その女性ギタリストは見間違いで無ければ魔獣襲撃の際に戦った相手、確か名前はアルトリーゼといったはずだ。
彼女がどうやって? 何故? 数秒に満たないはずの時間の間に幾つも疑問と推測が浮かんでは消えて明滅する。当然体の動きは止まってしまい、外からの働きかけに反応が遅れる。
相手はその隙を見計らったのかもしれない。いきなり自分の肩に手が置かれた。
「――っ!」
このタイミングで肩に置かれる手に驚き、跳ね上がる心臓の勢いに任せて首を回し、手の主に顔を向けた。
赤毛と細目が印象的だが、それ以外は極めて没個性な容姿の男性がそこにいた。さっきクリスに要注意とされた人物と話していた赤毛の男、いくら印象に残りにくいとはいえ一分前に見た顔は忘れない。
その彼は驚いた顔をしているはずの自分に向け、にこやかな表情を作ってから口を開いた。
「こんにちは、ルナ・ルクス。連れが君にご執心だから一度会って見たかった」
彼のいきなりの言葉。それと合わせるようにしてアルトリーゼの曲が始まった。
◆◆
貨物用の内装をほぼそのままにした車内でスタンは請け負った仕事の準備に入っていた。
走行中の列車が出す振動と音が若干彼の機嫌を悪くしているが、作業そのものに支障はないレベルに留まっている。窓一つとしてない車内で、魔法によって灯した明かりだけが光源だった。
閃光呪紋の術式を改良して照明用とした魔法がスタンの手元を照らす。そこにあるのは作業台に据え付けられた手動式のプレス装置に似た器具だ。その周りにあるのは空薬莢に雷管、使用前の弾丸に容器に入った火薬だ。
スタンはプレス機に似たその器具に空薬莢を取り付け、雷管、火薬、弾丸をそれぞれ取り付けてレバーを押し下げる。ガキンと金属音がして何かが噛み合う。レバーを上げれば、そこには一発の弾薬が出来上がっていた。
スタンがしている作業はリロードと呼ばれるもので、使用済みの空薬莢に雷管、火薬、弾丸を充填して再利用するものだった。
このリロードは地球では銃器の文化が発展しているアメリカで盛んに行われているもので、射撃を趣味としているなら一台はこのプレス機に似た器具、リロードマシンを持っているだろう。スタンの手にしているこのマシンも彼の自前で、長らくバッグの中で眠っていたものだ。
このリロード作業、やる利点は二つほどある。まず一つは弾薬費が安くあがる。店で普通に弾薬を買うより、それぞれをバラで買って薬莢を再利用すれば安く上がるのだ。浮く金額は少ないが、それも何百発分にもなれば馬鹿にならない差額を生む。節約したいシューター向けでもある。
もう一つは使う弾丸、火薬、雷管をそれぞれ好みの量、ブランドに変える事ができる点だ。むしろこちらの方が重要で、銃弾一発に全てを賭けるスナイパーなら状況に合わせてオリジナルの弾薬を作る機会は多い。
この作業の目的も今回の仕事用にオリジナルの弾薬を用意することとだった。
本来なら出発する前までに弾薬を用意するのが普通だが、いかんせんスケジュールの関係で準備に時間がかけられなかった。そのせいでスタンは車内での作業を余儀なくされていた。目的地まではまだしばらく列車の旅が続く、彼は弾薬作りにいそしんでいた。
先ほどのでちょうど十発目の弾薬が完成した。彼がゲーム『エバーエーアデ』で愛用して、ジアトーでも使用していたライフル『ボーイズ対戦車ライフル』用の弾薬は通常の歩兵用ライフルのサイズよりもはるかに巨大だ。オリジナルでは口径13.9ミリ薬莢長99ミリとあり、火薬が燃焼する際の圧力に耐えるためか薬莢の底が肉厚になったベルティッドタイプのものを使っている。
だが、スタンの使用するボーイズは対戦車用から遠距離狙撃用にカスタマイズが加えられており、使用する弾薬もそれに合わせたものになっていた。
まず火薬は燃焼効率の良いヘキサニトロヘキサアザイソウルチタン(HINW)を使用して雷管もそれに合わせたものにしている。弾丸もタングステンとニッケルの合金を鋭く削り出したもので、オリジナルの口径13.9ミリからネックダウンして10.5ミリに口径を変えていた。
そういった改良の結果、オリジナルの弾薬よりも初速は格段に上がった。なおこれらの改造には一切の魔法的な処置はされていない。純粋な技術でのスペックアップだった。
薬莢をセットして雷管を取り付ける。さらに規定量を定めたHINW火薬を充填。最後に蓋をするようにして削り出し弾丸をセットする。そしてプレス。アームが上がった後には完成した弾薬がまた一発現れていた。
そうして最終的には三十発の弾薬が完成した。カスタマイズしたとはいっても装弾数までは手を入れてない。ボーイズは箱型の着脱式弾倉に五発の弾を入れるようになっている。
狙撃任務で弾薬の消費はそれほど多くないのが大抵のケースだ。三十発もあれば十分とスタンは判断して作業を終えた。
「三十発どころか一弾倉≪ワンカートリッジ≫も使う機会があるのやら……」
作業台の上に整列した三十発のカスタム弾薬。魔法の光を反射して輝く弾丸を見つめるスタンの表情はずっと凍えたように無表情で固まっている。皮肉げな独り言を口にしても、顔には自嘲も苦笑も浮かんでこなかった。
彼はリーからの仕事を受けてずっとこうなっていた。ジアトーで生身の身体を持ち、生身の人間を撃ち抜いた過去、そのツケを払わされているような気分だった。
元々はサバイバルゲームで射撃が上手い軍事オタの大学生だった。ゲームも好きで、講義をさぼってゲームするくらいには不良だった。そんなどこにでもいそうな男だった。
それがあの転移で様変わりしてしまった。非常時の事もあって、周りに流されるままに動き、気が付けばライフルで人を撃っていた。趣味でやっていたサバゲの知識が戦闘に僅かなりでも役にたち、射撃の上手さに育てたゲームキャラの能力が現在の身体に加わった。お陰で無事に騒動を切り抜けられたが、人を殺した後悔の念、自責の念、何よりスコープ越しに見た射殺された人達の顔が忘れられなかった。
手を汚した恐ろしさからスタンは森に引きこもった。S・A・Sは大人数のチームだ。一人ぐらい抜けたって誰も気に留めないだろう。そういう目算もあったのだが、皮肉なことに彼の狙撃能力はチームの参謀の目に留まっていた。
もうこうなれば速やかに仕事を終わらせてしまおう。そう結論したスタンは自らを任務を遂行する機械と捉えて動くようになった。
弾薬のリロードが終わってしばらくすると、レールと車輪の間にあったリズムが唐突に変わった。減速によるブレーキ。レールと車輪はこすり合わさり長く尾を引く金属の軋む音が響いた。
そろそろ到着と察したスタンは、完成した弾薬とリロードマシンを雑嚢型のバッグに詰め込み、口紐を閉めて肩から背負った。揺れる車内でも彼はスムーズに動けるので手早く身支度を済ませた。
尾を引いた金属音は止み、列車は止まる。しばらくするとスタンの居る貨物車の扉が外から開かれた。まず入り込んできたのは眩しい日光、次に乾いた荒野の風だ。彼は久しぶりに見た日光に目を細める。
「おい、ここでお前を降ろすよう上から言われている。大丈夫か?」
「大丈夫だ。本当にここが指定された場所なら問題はない」
「そうかい。じゃ、ここでお別れだ」
声を掛けてきたのは機関車の助手らしく、若い青年の顔や服に石炭の黒ずみが付いていた。スタンは声をかけてきた彼を一瞥しただけで貨物車から飛び降り、周囲を見渡した。
そこは駅でもなければ給水地でもない。人工物はレールだけ、見渡す限りの荒野が広がっていた。水気のない乾いた風がスタンの肌を撫でて、足元にあったタンブルウィードが風で転がっていく。遠く近くには浸食で大地が削れた地形、メサも見える。まるで西部劇の舞台に迷い込んだ気分だ。
ここからゲアゴジャまでは歩きでの移動だ。肩にかけた雑嚢を背負い直すとスタンは陽の光も強烈な荒野に足を踏み出した。もう用のない青年や列車には目もくれなかった。それで青年が内心どれだけ不機嫌になろうと関係はない。もう二度と会うつもりはないのだから。
荒野の乾いた土を踏み、低木の間を縫って進むスタン。彼の頭にはもう押し付けられた厄介事を早く終わらせる以外の思考はなかった。これが彼の良くも悪くもある特性ある思考なのだが、えてしてこういうものは、本人にその自覚は無かったりするのだった。




