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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Sniper 邦題:山猫は眠らない
56/83

12話 大山鳴動?



 色とりどりの酒瓶と一緒の棚に並んでいる古めかしいラジオは、店内の人々が一様に黙り込んでも音を流し続けていた。


『――さて、次にお送りする曲はお隣の王国で新ジャンルとして確立しつつあるロックミュージックからファンクな一曲。元々は帝国のクラシック曲を王国で人気のバンド、キャノンズがロック調にアレンジしたナンバー。お聞き下さい、“ソードダンサー”……』


 店長が空気を読んでラジオのチャンネルは変わっている。どこかで聞いた覚えがある声でアップテンポのアナウンスをしていたスポーツ番組から、市内の放送局で放送している音楽中心のチャンネルへ。DJの静かな語りが終わるとスピーカーからエレキのギターとベース、ドラムの唸る音が流れ出てきた。

 元の曲が分からないので、どこまでがこのキャノンズ某のアレンジかは分からない。だけどエレキサウンドの割に抑えた、それでいてパワフルな曲は今居る店、『バー・マグナム』の静かな雰囲気を崩すことはなかった。

 サックスが吹き鳴らされボーカルの歌声が響く店内、ラジオからロックが絶え間なく鳴り渡っているはずなのに静けさを感じてしまう。

 コーヒーカップに砂糖を入れてスプーンで掻き回す音も、マスターが食器を拭く音も、振り子時計から聞こえる規則的な機械音も、静かさを破ることなく店の空気に溶けてしまう。

 この奇妙な現象の中心に目を向ける。店の奥、ボックス席で向かい合う二つの人影がこの状態の原因だ。二人がここまでロクに言葉を発していないせいで、店内は変な緊張感が漂っている。


「……」

「……」


 リザードマンのレイモンドと人狼族の壱火。地球では親子だった二人は、偶然の助けもあってこうして再会を果たしている。場の空気を読んだ店主の計らいで店の中でも取り分け静かなボックス席に案内され、テーブルにはサービスで飲み物も出されている。

 そうして、三〇分余りの時間が経過した。時計を見ていたので間違いはないだろう。その間、二人の間に一言も無い。

 仲が悪いのか? と思うが、二人の表情は顔色を見ることが下手な自分でもそうではないと分かる。両者ともに言い出すきっかけが掴めないのだ。

 レイモンドにしてみればあれほどに探していた息子が娘になっているし、壱火から見れば人間をやめてトカゲになってしまった父親にどんな言葉を使えば良いか分からないのかもしれない。

 どこまで行っても傍で見ている他人の推測止まりだけど、そう的外れなものではないだろう。

 自分はそんな二人を横目に珈琲をすする。偶然こんな場面に居合わせてしまった立場だが、二人とも見知らぬ他人ではないので成り行きは見ておきたい。


「主、そうジロジロ見るものではないと思うが。視線を感じて二人とも困ると思う」

「……あ、見過ぎたか。分かった気をつける。それとマスター、珈琲に合うもので何か軽くつまめる物とかは?」

「今朝焼いたスコーンがある。出そう」

「ありがとう」


 隣のスツールに丸まって座るジンの忠告に従い二人から視線を外した。どうも自覚無しに見入っていたらしい。

 マスターが出したドライフルーツ入りのスコーンを摘み、耳だけで様子を窺うことに留める。口に入れたスコーンはしっとりした口当たりで、混ぜ込んだドライフルーツがカリカリで結構美味しい。スコーンは紅茶のイメージが強いけど、珈琲にも充分合っていた。甘味が強めのスコーンに濃いめに淹れた珈琲の組み合わせは自分の舌には好ましかった。


「これはサイフォンとは違う淹れ方ですね」

「分かるか、良い舌を持っているね。コーヒープレスで淹れたヤツだ」

「なるほど。量は飲めないけどお代わりが欲しくなります」


 紅茶で使うフレンチプレスという器具は、珈琲にも使われている。珈琲を濃く淹れる事が可能で、豆の風味を楽しみたい人なら好んで使う。

 聞けばマスターは使う豆ごとに淹れ方も変えていると言う。タンガリーシャツが似合うこのマスターは実に芸の細かい人だった。もし次に引っ越す機会があれば、近所に住居を置こうかと真剣に考えてしまった。

 美味しい珈琲が歩いて行ける距離で飲める住まい。前の自宅は近所に良い店が無かったので、余計に憧れる。

 そんな風に珈琲の薫りでリラックスしながら想像を巡らせ、流れる時間に身を任せた。


 コッチコッチと振り子時計が時間を一振り一振り刻んでいき、コーヒーカップを満たす珈琲の量は少しずつ減って熱を失う。皿の上にあったスコーンはわずかなカスを残して姿を消す。それだけの時間が流れたのにボックス席の二人からは声が聞こえてこなかった。

 半地下にある店内にも窓はあって、そこから陽の光が差し込んできた。それだけ太陽が傾いているらしい。日は長くなってくる季節でももう少しで夕方になりそうだった。


『――続いてのリクエストは少し変わっていますね。番組宛てに曲の入ったテープが届きまして、出来れば流して欲しいと手紙がありました。当番組の協議の結果、面白い試みと言うことで放送となります。ではお聞き下さい“ホーム”――』

「あ、これって」

「ああ、こっちに来た連中が出したリクエストだな……良く聞いたもんだ。でもコピバンか」

「父さん、このグループの曲が好きだったよね。車のコンポで流す曲ほとんどこのグループだろ」

「いいだろう別に。お前だってノっていた時があったろう」

「む。小っちゃいときから聞かされていたから体に染み込んでいるのかな」


 ラジオから流れてきた音楽をきっかけに二人の会話がようやく始まった。

 ギターサウンドの合間に隠れるように言葉が聞こえてきて、ボーカルの歌声に重なって内容はあまり聞き取れない。もちろん自分は盗み聞きの趣味はないので様子を窺う程度に留めている。

 流れている曲は日本国内で有名なミュージックグループのものでファンの層も男女問わず厚い。レイモンドがこのグループのファンらしいと聞こえたのだが、意外とは思わなかった。

 それと、さっきからジンが普段以上に静かだと思って見れば、目を閉じて音楽に聞き入っていた。立てた尻尾が小刻みに左右に振られリズムをとっていて、耳を澄ませば小さな鼻歌も聞こえている。どうもこの曲を気に入ったようだ。


「ジン、この曲気に入った?」

「そうだな、端的に言えば気に入った。この歌には強い意志が込められている。それが上手いぐらいに曲にのっているから聞いていて気分が高揚する」

「使い魔君に同じく。これほど良い曲なら他でも聞いていそうなものだが、初めて聞いた曲だ。レイは聞いたことがある様子だけどお嬢さんはどうなんだい?」

「耳に挟む程度なら」


 なにしろ一時期日本中を席巻したムーブメントを作ったグループだ。今でもテレビや街頭で流されているところがある。だからファンでもない自分であっても耳にした記憶はある。

 しかしこちらの世界では無名の曲、聞いたこと事が無い音楽についてあれこれ聞かされても白けるだけだ。だから一言返す程度の返答で済ませた。

 それに今流れているこの曲は、有名グループが歌っているものではなかった。そのグループは男性のボーカルだったけど、今聞こえるのは女声。おそらくは熱烈なファンがコピーバンドでも結成して録音したテープを番組宛に送ったのだろう。素人評価だけどかなり上手い。


 一度会話が始まればお互い積もる話があり、レイモンドと壱火の間で交される言葉は多くなっていく。

 何回かこちらに目をやるところがあるのは、自分についての話題が出てきたのだろう。それでもこちらは反応しない。気恥ずかしさに対人能力の低さもあって、二人の会話に参加するつもりは無い。何よりレイモンドが探していた息子さんとの思わぬ再会だ。自分が参加して水を差すのも野暮でしかない。

 二人の歓談が順調に進むようになって、さらに時間は進む。その間にレイモンドから飲み物のお代わりを求める注文が出て、自分も珈琲を二杯飲んで、ジンがミルクを求めた。

 ラジオから流れる曲も何曲か変わっていき、番組も変わった辺りでマスターは一度時計を確認してから口を開いた。


「もう良い時間だ。ディナーの注文があるなら受け付けるが、どうする?」

「あ、そうですね。ディナーを食べてホテルに戻ります。何が出ます?」

「最近物資の統制も厳しいからな、ロクなものは出せないぞ。ペンネのアラビアータとスープだ」

「充分です、それで。ジンは?」

「異議はない。それでお願いする」

「了解だ。あっちの二人の分もまとめて作ろう」


 マスターが夕食の話を切り出してきた。時計を見ると五時を回っていて、窓から差し込んでくる西日は今一番強くなっていた。茜色のキツめの光が店内を照らして影を濃くさせる。思った以上にこの店に長居してしまったようだ。

 この街にはクリストフの誘いで来ている。壱火の一件はイレギュラーであって、本来ならクリストフの方を優先するべきだった。でも、自分がファンだった勝又太一レイモンドには何かと気をかけてしまうのも仕方無い。特に捜索中の息子との再会なんて重要な案件はスルーできない。自分にとってこの一件は重要だったのだ。

 後から電話の一本でもかけて招待主に連絡を入れて置けば問題はないはずだ。食後に店の電話を借りよう。マスターが調理を始めるのを見ながら、つらつらと今後の行動を考えていた。

 新しい来客はそのタイミングで現れた。


「マスター、こんばんわ……何か適当に食べられるものと、パンチのあるお酒ちょうだい」


 ドアベルが鳴って扉が開くなり、外から来た人物は勝手知ったる仕草でカウンターのスツールに一直線に足を運ぶ。そして座るといきなりうな垂れてカウンターに突っ伏してしまった。

 間を置かず出てきた大きな溜息。よほど疲労が溜まっているのか、そのまま動く気配がない。

 この世界に来てから知った顔だ。しかし何時も引き締まって見えていた服装と姿勢は、今は見事に崩れきっている。あまりにもギャップがあったせいで数秒は誰だか分からなかったほどだ。

 しかも彼女はこちらに気付いた様子もない。声をかけようかしばらく悩み、向こうが気付くまで待つ結論が出た。疲れているなら気付かないままでも良いと思えるからだ。


「ああ、ちょうどそこのお嬢さん方にペンネのアラビアータを作ろうとしていたところだ。同じ物になるが、良いか?」

「構わないよ、私のは唐辛子を多めに入れて辛口にお願い。お隣さんも構わな……あ」

「ああ、構わない。マスター、私のも辛口にお願いします。それと一日振りですエカテリーナさん」

「ルナ様っ!?」


 クリストフの秘書みたいな役回りをしているエカテリーナさんは思ったより早くこちらに気付いた。凛々しく獰猛な獣を連想させる印象があるのが彼女だったけど、今はどう見ても仕事に疲れたサラリーマンにしか見えない。

 いつも着こなしている女性もののスーツとブラウスにはシワが寄って、心なしか目元にはクマがあるようにも見える。もしかして最後に別れてから寝ていないとか? もしくは月詠人らしく日光に当たり過ぎたとかもありえる。


「し、失礼しました。まさかルナ様がここに来ているとは思わず」

「リーナ、お嬢さんとは知り合いか?」

「ええ、まあ、その、クリス様関係で」

「ほぉっ! あのお偉いさんとか」


 慌てて姿勢を正すエカテリーナさんの言葉にマスターは感心したような声を出して視線をこちらに向けてきた。この町でもクリストフの影響は大きいらしく、彼と交友がある自分が物珍しく映っているようだった。

 マスターは会話をしつつも手は休めず、コンロに大きな鍋をかけて湯を沸かし、別のコンロでソース作りを始めた。人数がそれなりに多くなったせいでソースの量も多くなっている。加熱されたトマトと数種類のハーブの香りが早くも漂いだした。

 薫る匂いにボックス席にいた二人も話を中断させてキッチンへ視線を注いでいる。この場に居る全員の視線を集めて調理を進めるマスターの手際はとても滑らかだ。マスターの手が進むと、ペン先の形状が特徴的なペンネが湯気の立つ鍋に入り、トマトソースが豊かな匂いを出していく。熟達した料理人の姿がそこにあった。

 こういうのを傍で見ていると気分が良くなる。きっと職人の技に感じ入って気分が盛り上がるのだろう。


「時にリーナ、お前さんがこっちに来たのはお偉いさん関係?」

「……ええ、警護で朝からあっちこっちを行ったり来たり。陽の光は苦手なのにクリス様は無茶振りしてくれますよ。はぁ……あ、お酒だけどキープしていたボトルがあったよね? どこだっけ」

「そこの棚だ」

「あー……あったあった。グラスも持っていくよ」

「ああ、好きにしろ」


 勝手知ったる馴染みの店らしく、エカテリーナさんは酒瓶の並んだ棚からボトルキープした一本を取りだしてきた。その姿はどう見ても飲み屋の常連客にしか見えない。馴染みの店の中だからなのか、彼女の使う言葉が砕けたものになっていたのも気付いた。

 ボトルの栓が抜かれると、強いアルコールの匂いが漂ってくる。香りから察するにメスカルのようだ。この世界にも竜舌蘭があるのだろう。もしかしたらテキーラみたいな代物もあるのかもしれない。グラスに注がれると強烈で個性の強い香りがさらに広がる。

 エカテリーナさんは広がる香りを楽しんだ後、一気にノドに流し込んだ。コレには驚く。テキーラに代表されるこの手のお酒はかなりのアルコール度数のはずだからだ。大丈夫だろうか?


「くぅぅぅ……灼けるぅぅ、効くぅぅぅ。やっぱり、仕事あがりの一杯は良い。このまま一瓶空けたいくらい」

「警護の人間がそれでいいのか?」

「……駄目です。はぁ、切ないわ」


 日中、よほど辛いことがあったみたいだ。エカテリーナさんは痛飲したい気分を押し殺して「この一杯で止めておきましょう」と名残惜しそうにグラスに二杯目を注ぐ。確かに警護の人間が酔っぱらうのは論外だ。マスターの言っている事は全く正しい。

 今度はちびちび舐めるようにグラスを傾け始めたエカテリーナさん。ここまでの様子はアストーイアで会った彼女とは思えないほど砕けた調子だ。レイモンドも凛々しい姿を知っているので、少し目を見開いているのがここからでも窺えた。

 落ち着ける馴染みの店で地をさらしている、のだろう。すっかりくつろいだ様子の月詠人の女性。着崩したスーツが自分の男性的な部分の視点でも艶めかしいと認識できる。ただし、良く見るとスーツの下にはナイフのグリップが見えて、腰の後ろには小型拳銃を収めた革のホルスターものぞいている。仮にこの場にちょっかいを出す男が居たらたちまちに撃退されるだろう。

 そんな僅かながらも剣呑な雰囲気を常時発しているクリストフの秘書さんだったが、二杯目のグラスを空けたところで思い出した事があったらしく「あ」と声を出してスーツの内懐に手を入れた。

 ナイフのある位置とは反対、内ポケットから何かを出してこちらに差し出してきた。それは、一通の封書だ。


「危うく忘れるところでした。ルナ様、これをどうぞ。クリス様からの招待状です」

「招待状。彼、私を本気でここに招くつもりだったんだ」


 手渡された封書は質の良い紙で出来ており、綺麗な筆跡でクリストフの名前と宛先である自分の名前が書かれている。さらには封蝋されて印まで押されている形式で日本ではちょっとお目にかかれないタイプだ。


「町に来たら連絡を頂けるという話でしたので、その後にでもお届けしようと思っていました。でも立ち寄った先で会えるとは僥倖です」

「本当にそうですね。招待状の中身は後で見ます。今は――」

「ペンネのアラビアータ、バー・マグナム風、辛口ホットロードだ」


 今はディナーだ。マスターの手でカウンターに現れた白い皿にのった赤い料理。辛口の言葉通りスパイスが強く利いているのが匂いだけでも分かるほどだ。なるほど強装弾ホットロードの言葉通りパウダーが多め、さらに薬味にケッパーまで入っている。

 香味の強い香りは食欲を刺激して、料理の赤い色すら視覚から美味しさを訴えてくる。さっきまで大して食欲があった訳でもないのに料理が現れた途端、胃袋は空腹を知らせてくる。この身体は実に現金なものだ。

 隣を見ればエカテリーナさんは早速フォークを片手に食べ始めている。やはり日中に何か辛いことがあって、その反動でテンションが上がっているのかもしれない。クリストフは人使いが荒い印象があるし、彼の元で秘書みたいな仕事をするのは気苦労が多そうだ。


 そしてボックス席の二人。マスターの手で運ばれてきた料理を前に歓声を上げるレイモンドと壱火の様子は似通った部分があり、なるほど二人は親子なんだと奇妙な部分で納得した。

 感動の再会を果たした二人を前にすれば自分などは脇役に過ぎない。ここは大人しくマスター手製の料理を味わっていよう。

 心の中でレイモンドと壱火の再会を祝福しつつ、自分はフォークを手にして料理に向って最初の一突きを繰り出した。


「ぐほっ、辛っ。主、これは辛いな」


 約一匹辛い物が苦手と発覚した使い魔がいたが、全くの余談である。



 ◆



 停まっている列車の影から駅舎の様子を窺うと、ぱっと見る限り十人近くの帝国兵が警備をしていた。他の位置から同じ駅を探っている使役獣のロクからは、五〇人近くの兵隊がこの駅に腰を据えている連絡が入っていた。

 乾燥する土地柄、昼間がどんなに暑くても夜になれば一気に冷え込む。日本とは違って熱帯夜にはなりようがない。暗闇の中、列車の影から出そうになる尻尾を押えながらの偵察は少ししんどい。

 ジアトーの駅がある場所は街外れで、夜半を過ぎてからは人気も絶えてしまう。だというのに、これまで十人前後が普通だった駅の警備が一気に増えていた。その原因には二つ思い当たる事がある。


 一つは私が所属する幻獣楽団が中心となったジアトーのレジスタンス組織が、連日帝国軍の施設や補給に打撃を与えているからだ。前線に送るはずだった物資が毎度ボカボカやられているのだ、彼らだってバカじゃない。警備を増やしたり、楽団や協力組織の拠点を潰したりしている。こちらも逃げたり、逆に反撃したりとイタチごっこじみてきているのが最近の情勢になっている。

 そしてもう一つ。私がここにいる上で重要なポイントで、近日中にこの駅から『特別便』が出発するという情報が入ってきていた。詳細は不明、駅員から伝え聞いた話だったり、兵隊から盗み聞いた話だったりと頼りない情報源が主だったものだった。

 それでも帝国軍の動きは逐一掴んでおきたいのがチームリーダーのライアの心情で、だけど幻獣楽団も何かと忙しい時期で不確かな情報では人数は割けない。

 そんな中、都合良く手が空いていて単独でもそれなりに動ける私、水鈴にお鉢が回ってきたのであった。


 こんな割といい加減な経緯で始まった潜入調査作戦。こういうとメタルでギアなゲームみたいだけど、難易度そのものは割とイージーだったりする。

 まず私の目となり手となる使役獣は駅外観を見張るロク、先行して内部に入ってガイド役をするサブ、そしてすぐ傍でサポート役をするハチの三匹。直立した狐の外見をした三匹はもう位置についている。後は私が号令をかければ良いだけ。


「ハチ、行こう」

「合点承知」

透過ステルスシフト――オン」


 術式を起動すると間もなく私の体は周囲の風景と同化し、透過する。ゲームでは一定時間敵から姿を隠してエンカウントを無くすだけの魔法が、この世界では驚きの光学迷彩に化けていた。肩に乗ったハチも魔法の効果範囲に入っているから同じく透明になっている。目には見えにくく、重さだけが感じられるのが少し不思議だ。

 これが難易度をイージーにしている理由その二。透明人間になってしまえばどんなに警備の人間が多くても実質ザルになっちゃうのだ。楽団でもこの魔法は重宝されていて、レジスタンス活動で大いに活用されている。

 帝国軍にしてみれば悪夢みたいな話である。どんなに警備していても透明になったり空を飛んできたりと意味をなさなくなるのだから。


 虫の声に紛れるようにそろそろと足音を殺し、列車の影から出て駅舎へ向う。レールの敷石を踏んで音を出さないように気をつけつつ慎重にホームへ上がる。この手の透明化のお約束なのか音までは無くならないし、魔法の併用ができないので音を消す魔法も使えない。慎重に動くしか対処方法はない。

 帝国軍の兵隊がホームのあちこちに立っていて、見回りなのか何人か歩き回っている人もいる。その服装は戦争映画とかで見た第二次大戦中のドイツ軍に似ていて、その肩からはライフルやらマシンガンが下がっている。

 万が一見つかってしまった場合はこれら沢山の鉄砲が私に向けられる。あまりぞっとしない想像になってしまう。


『水鈴、聞こえる? こちらは位置についた。水鈴の位置はマーカーで探知出来ている』

『あ、はい聞こえるよ。トージョーさん、今回はよろしくお願いします』

『まかせてくれ。万が一の事があっても俺のライフルが狙い撃つぜ』


 緊張で一時的に存在を忘れていたけど、この作戦の参加人員は私だけではない。トージョーさんがロクと同じ場所で遠距離からのサポート要員として一緒する事になった。

 彼曰く、ロクをスポッターにしてスカウトスナイパーを決め込むと言っていた。軍事用語はよく分からないけど、意気込みはかなりある人っぽい。

 男の人は苦手だけど流石にここまで距離があれば苦手意識が出てこなくなる。トージョーさんとの念会話はスムーズに進められた。

 使役獣三匹にサポートのトージョーさん一人が私の味方。対するは駅内にいる帝国軍の兵隊五〇人。これらの目をかいくぐって目標の真偽を確かめるのがこの作戦だった。


 幾つか停車中の列車の前を通り過ぎてホームから駅舎に足を進める。目指す場所は駅員の詰める部屋。『特別便』とか言うなら臨時に列車が運行がされるはずで、その運行表や通知書とかが見つかるかもしれない。出来るなら『特別便』の内容まで分かれば最高なのだけど、そこまでは高望みだね。

 日本の田舎の駅舎を大規模にしたらこうなるという雰囲気がある木造の駅舎。板張りの床という踏むと鳴りやすい天然の防犯ブザーみたいな地雷原をまたも慎重に進んで駅員の詰め所の表札を発見する。木の引き戸になっていて、これまた田舎の学校校舎みたいだ。

 扉は……やっぱり鍵がかかっているか。


『サブ、今どこにいる?』

『へい、ちょうどお嬢の向う駅員の詰め所に忍び込んだところでさぁ』

『その台詞はこっちが言うべきものだったみたい。ちょうど良いわ、今扉の外に居るのだけど、中から空けてくれる?』

『合点承知』


 先行しているサブに頼んで中から鍵を開けてもらった。金属が擦れる音がして鍵が外れるなり、扉が横にスライドする。中からサブが空けてくれたのだ。


「さ、どうぞ」

「ありがとう――って、人が来る。急いでっ」

「へいっ」


 床を踏む音が聞こえてきて耳が動く。駅舎の中も警備の兵隊が見回っているみたいだ。こっちは透過状態でも扉が開いているのは誰でも分かってしまう。急いで詰め所に入って素早く、しかし静かに扉を閉めた。

 すぐに間近に聞こえてきた靴音。どうやらこっちにやって来るみたいだ。靴音からして人数は二人くらいだろうか。閉めた扉に貼り付いて様子を窺うと、話し声も聞こえてくる。

 どちらも若い男性、話す調子からして愚痴混じりの仲間内の会話だ。


「ったく。いきなり今夜の警備に回されるとはツイてないぜ。なあ、何か聞いてないか?」

「そうだな、何でも今夜S・A・Sの連中が特別に列車を用立てるんだとか。オレらはその警備に駆り出されているって事らしい」

「ケッ! なんだよアイツら、SOSだかSMSだか知らないが傭兵風情のクセにお偉いもんだぜ。こっちをアゴで使いやがって」

「他の人間が通る場所で滅多なことは言わない方がいいぞ。お前が前線送りにされても巻き添えはゴメンだ」

「ヒデぇなオイ。まあ、どうせ後三時間の辛抱だ。これが終われば非番だし、どっか飲みに行くか?」

「いいな。パイオニアスクエアで良いビアーの店を見つけたんだ。行くか」

「いいねえ、大賛成。そんでちょっとイイ女が居れば最高なんだけどよ」

「レジスタンスの件もある。引っかけた女が実は釣り針でしたなんて事にならなければいいな」

「はっ! その程度にめげるオレじゃないぜ。オレはな――」


 賑やかに二人組の兵隊が扉の前を通り過ぎていくのを確認して、やっと一息つけた。足元ではサブとハチも安堵の吐息を吐いている。

 ヒヤリとした場面だったけど、彼らが都合良く色々と愚痴ってくれた話で『特別便』があるのは確実だと分かった。しかもあのS・A・Sが関わっている件らしい。

 いい加減で割とテキトーな経緯で始まったこの偵察作戦だったけど、『当たり』を引いてしまったかもしれない。

 もう少し確定的な情報が欲しいな。そのために駅員の詰め所に忍び込んでいる訳だし、まずは当初の目的を達成させよう。

 夜中で照明も点けていない室内は真っ暗になるのが普通だ。でも、今の私の目にはどこに何があるのかクリアに見えていた。流石に文章が読めるほどではないけど、床に落ちた何かに足を取られて転ぶなんて事は無い。

 詰め所と表にも表示されているけど、実際は事務所兼駅員休憩所が正解な内装をしている。日本にもありそうなスチールの事務机が並んで、壁には今月の予定が書き込まれた黒板、近くのテーブルには吸い殻が沢山詰め込まれた灰皿があった。どこかの零細企業の事務所と言われても違和感のない部屋だ。


「事務所っぽいから何かの書類とか見つけてみようか」

「へいっ、ソレっぽい奴を見繕いやす。サブ、やるぞ」

「合点です」


 使役獣二匹と一緒に早速探査を始める。やることは空き巣と変わりなく、机の引き出しや棚の中身を探ってめぼしい物を見つける行為は泥棒と大差なかった。

 音を立てないように慎重に、でも手早く机を漁り、棚をかき回す……なんて事をする必要はなく、目的の書類は机の上に無造作に放り出されていた。

 この不用心さ、何かの罠かと思って周囲に目を向けても変わったところはない。ごく普通の夜中の詰め所があるだけ。兵隊達にも気付かれた様子はなかった。


「まあ、いいか。考えるだけなら後でも出来るし。二人は引き続き探索をお願い。私はこれを読んでいるから」

「へいっ」


 何枚かの紙をホッチキスで束ねた簡単な書類。表には暗闇でも見えた大きな文字で『特別便輸送計画書 部外秘』と書かれている。『部外秘』の部分は赤いハンコでスタンプされていて、無造作な扱いに反してそれなりに重要らしいのが分かる。

 まずは内容を確認しないと何とも言えない。魔法で明かりを採ると併用が利かない透過の効果が切れるのでここは普通にペンライトを使う。

 ライトの明かりに照らされたのは紙の上には見積書や発送届けみたいな事務手続き上必要な書面だ。それらを斜め読みにしていって、『特別便』の中身を書いた部分で私の目が止まった。


「輸送人員たったの一人? それと大型個人携行兵器……ボーイズ対戦車ライフル一式。これだけ?」


 確かめるよう言われてた噂の内容、それが余りにも規模の小さなものだったので拍子抜けした気分になってくる。でもすぐに疑問が浮上してきた。なぜたった一人の人間を移動させるのに列車を用立てる必要があるのか。しかも書類の内容では丸々一編成貸し切りだ。

 侵略側の帝国軍だけど、その内部は結構お寒い懐事情だったりする。元は陸軍の一将校の暴走から始まったらしい今回の侵略は、補給を蔑ろにしてまで進撃する帝国軍を徐々に苦しめていた。レジスタンスとして彼らを見てきたからそれがハッキリと分かってしまう。

 今の帝国軍は削れるところはとことん削る傾向があるはずだ。なのに人一人のために列車とは、よほどの何かがあるとしか思えない。


「確かめる必要が出てきたかな。えっと、これの出発は……今日!? しかももうすぐ時間――『トージョーさん!』」

『どうした、何かあったか?』

『そこから出発しそうな列車が無いか見えませんか?』

『あー……あ、見つけた。三番線だ。だけど妙だな。こんな夜遅くに出発するし、機関車が牽いているのも一両だけだ。あれが例の『特別便』か?』


 トージョーさんから返ってきた念会話に、私は思わず詰め所の窓に駆け寄ってホームを見る。

 ――あれだ。確かに機関車が牽いているのは一両だけだし、いくら軍が接収したといってもこんな夜中に運行するのは不自然だ。『特別便』がアレなのはまず間違いない。問題はその中身が人一人とライフル一挺だけらしい点だったりする。偽装とかだろうか?

 機関車が牽いている車両は貨物車で窓は一つもなく、外から中の様子は窺えない。中身を確かめるなら直接近付いて確かめるのが一番手っ取り早い。

 さっそく行動に移そうと思ったけど、そうもいかなくなった。


「あ、まず」

「あ、おいおい何でこんなところに」


 窓に貼り付くようにしたのが拙かった。詰め所の外にいた兵士と目が合って、驚きの表情を向けられている。都合の悪いことに透過の効果はすでに切れていて、この兵士の目にもバッチリ私の姿は見えていた。

 シンキングタイム一秒、すぐに次の行動に移る。この反応速度には自画自賛だ。


「二人とも反対の窓から外に出て! 見つかった」

「合点承知! サブ、オレが窓を開けるから先鋒をやれ」

「へいっ!」


 使役獣の二匹が素早く外に繋がる窓へ駆け寄る。一匹が窓を開け、もう一匹が先頭を切って安全を確認。私も二匹の後に続く。


「こっちは大丈夫だ」

「分かった。お嬢、お早く」

「うん――っ!」


 嫌な感触が背筋を一瞬で巡った。この感触に条件反射で従い、体を伏せる。すると直後に私の上半身があった位置に弾丸が飛んできた。窓ガラスが弾で盛大な音を立てて割れ、銃声が幾つも連続して室内に響く。闇の中では鉄砲から出る火は酷く眩しい。

 これも半ば反射的行動で防御呪紋を編んでシールドを展開。続く弾丸を防いで、開いた窓に足をかけた。


「レジスタンスだ! 殺せ!」

「連中の防御は固いぞ、とにかく弾をブチ込め」


 無警告で発砲してきた上にこんな事を言っている。連日の抵抗活動に兵隊達も気が立っているんだろうな。切羽詰まった事態になったのにこんな事を考えられるなんて我ながら余裕があるわ。

 でも余裕はあっても慢心は無いつもりだ。このままシールドの効果が切れる前に逃げないと蜂の巣にされてしまう。


「ハチ、行こう」

「合点。後ろはお任せくだせぇ」

「うん!」


 銃弾がシールドを叩く澄んだ音を聞きつつ私は窓の外へ飛び出した。詰め所があるのは一階。跳躍から接地まではせいぜい二秒。そこでは先行していたサブが待ってくれていた。殿のハチもすぐに飛び出してきて合流、私達は揃って駅から逃げ出した。

 そのすぐ後を追いかけるようにして銃弾が飛んでくる。空気を切るようなぴゅんぴゅんとした音がすぐ横を通り過ぎていく。それでも足は止めない。そんなことをしたらいい的になってしまう。不本意ながら撃たれるのは慣れているので足がすくむような事もなく、さらなる加速のために呪紋を編みあげる。


「脚力増強! 二人とも逃げ切るよ」

「へいっ!」

「合点承知!」


 ブーストを全員分かけて走る速さをさらに上乗せ。夜の空気が耳元で風を吹くようになる。足が熱を持って際限のなく前へ前へと走れてしまう。

 すぐ横ではハチとサブが四本足で本来の獣の走りを見せて併走してくれていた。走る速さは彼らの方が早いはずだけど、主人である私を守るために傍にいてくれている。こんなところを取っても健気さが伝わってきた。

 疾走は本格的になり、こうなれば普通は追いかけてこれない。あと心配なのは背中に銃弾が当たらないかだけだ。


『援護する! そのまま走り続けてくれ』


 トージョーさんの念会話が飛んできてすぐ、前の方向から別の銃声が聞こえてきた。後ろの兵隊達も浮き足立つ様子になって、彼の狙撃が上手くいっているのだと実感できる。少し余裕が無くなってきているので返答はなし、心の中で感謝をしつつ足を動かしていく。

 それでも後ろから聞こえてきた汽笛の音に思わず振り返った。

 音の出所は駅の三番ホーム。あの一両だけ貨物車を牽いた機関車がゆっくりとレールの上を走り始め、ホームから顔を出してきたのが見えた。


 ここから魔法を撃って止める? 無理ね。今でもトージョーさんの援護があるけど銃撃は止まない。こんな中で列車を止めるほどの魔法を撃つだけの時間と余裕は無い。そんな暇があるなら逃げに力を注いだ方が良いに決まっている。

 だから振り返ったものの、後はジアトーの街中まで全力疾走で駆け抜けていく。路地が多い街中に入ってしまえばこちらのものだ。兵隊達を撒くのに不自由はしない。

 手には詰め所から持ってきたあの輸送計画の書類がある。今回の収穫物はこれだけ。それでも無いよりはマシだと己に言い聞かせ、今度はもう少し落ち着いて行動しようと反省する。


 最後にもう一度だけ振り返る。あの列車にはどうも嫌な予感がしてしまう。不吉な何かが積んであるように思えてしまうのだ。

 レールの上を順調に走り出して速度を上げる『特別便』の列車。夜中の闇に汽笛を長く響かせて遠ざかっていく様子はまるで幽霊列車みたいだった。




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