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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Sniper 邦題:山猫は眠らない
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11話 合縁奇縁




 全ての技術は基礎から始まって、基礎こそが全てだとスタン・カイルは人から教わった。それは射撃についても言えた。

 基本通りの伏せ撃ちの姿勢から長大なライフルを構えてスコープをのぞく。手にあるライフルは遠距離の目標を撃ち抜くための機能が凝縮されたようなデザインをしており、昔ながらの鉄と木からなっていた姿からかけ離れたものになっていた。

 射撃のために徹底的に肉を削いだようなシルエットは、機能美と同居して人とは相容れない異質さをもった異形だ。

 スタンが狙うのはスコープで拡大されている向こう側、河岸に並んで置かれているビールの大瓶。


 ――― ―――


 教わった通りに息をゆっくり吸い、吐く。伏せた地面からは少し湿った土の臭いと草の青臭さがする。昨夜に降った雨で地面がまだ濡れていた。

 再び息を吸って、肺の中に半量空気を残した辺りで息を止めて、狙いをつける。大瓶の近くに置かれている紙製の旗が大きく動いている。風による修正、気温湿度もクリアすると、後は引き金を静かにしっかりと引いた。

 スタンの体を襲う激烈な衝撃、銃声、反動、銃火。それらは彼の経験にあったエアガンはもちろんのこと、普通の銃器の何倍にもなっていた。それら衝撃の大半はライフルの銃口に付いている大型のマズルブレーキやショックアブソーバーなどが解消、吸収している。しかし残った衝撃だけでも通常のライフルよりは大きく、スタンはそれを身一つで押さえ込んでいた。


 そして弾丸は目標に向って飛ぶ。標的であるビール瓶に着弾するまでの時間は一秒弱、発砲から一拍の間を持って、結果が出た。


「――命中」


 スタンがのぞくスコープの中、さっきまで河岸に立てられていた瓶は粉々に砕けていた。

 弾丸はほぼスタンが思い描いた通りに飛び、思惑通りに標的に命中した。『慣らし』としては中々に上首尾な結果を出せている。

 この結果の先に待つのは人一人の命を奪う行為だと分かってはいても、射撃は夢中になれる事だった。スタンは趣味でもあった射撃に没頭することで現実から目を逸らそうとしていた。

 でも、かけられた声が逃避を許してくれない。


「素晴らしい。これほどの距離、しかも河から吹く風も強いはずなのに難なく命中させるとは。スナイパーとは凄まじいな」

「一度この手の凄さは体感してるけど、改めて見ると言葉もないや」


 スタンの後ろで今まで静かに見ていた二人の人物が、撃ち終わった途端に口を開いてそれぞれに感想を吐いた。

 一人は赤毛と細目以外は特徴の少ない男性、リー。彼は今日も帝国軍の軍服を着ている。そのせいではないが、チーム内ではすでに彼は軍オタという認識で通っていた。

 もう一人はピンクブロンドの髪と白を基調とした装いの少女アルトリーゼ、通称アルト。彼女の方はリーよりも物見遊山の傾向が強く、手にはオヤツのチョコバーが握られている。

 二人とも片手に双眼鏡やオペラグラスを持って遠方の標的だったビール瓶の様子を見ている。


 暢気な調子が伝わってきそうなリーとアルトの様子。それでも二人の存在があることでスタンは監視されている気分になっていた。

 もちろん顔には不満を出さず、しかしライフルのボルトを少しだけ乱暴に操作して音を出して二人のお喋りに牽制を加えた。


「おっと。アルト、少し静かにしよう」

「うわ、スタンってリアルだとこんなに神経質な人なんだ」


 スタンの意図を察したリーがアルトに注意を促して周囲に再び静けさが戻る。

 ボルトを操作して次弾を装填。吐き出された空薬莢は栄養ドリンクの小瓶サイズはあろうかという巨大な代物で、湿った地面に落ちて音もなく転がる。それを一瞥してからスコープに視線を戻す。スコープのレティクルはすでに次の標的に狙いを定めてた。

 そして発砲、装填、発砲と続けざまに連射。撃った次の瞬間にはボルトを素早く動かして排莢、装填、再照準を済ませている。エアガンだとこうはいかないな、と撃ちながらスタンは思う。

 五発撃ったところで弾倉が空になった。そこにあった弾丸は全て彼方にある五つのビール瓶を粉砕する成果を出しており、射手はもちろん観戦者も満足のいく結果だった。


「充分満足いく結果です。これが本番でも上手くいけば良いですね」

「もちろんだ」


 リーの評価にむっつりと答えたスタンは伏せ撃ち姿勢から立ち上がり、ライフルをケースに入れるなどして帰り支度を始める。

 この射撃会はスタンがゲームでも使っていた『勝負用』のライフルの調子を見るために行われたもので、元々は彼が独りで始めていたところにリーがアルトをお伴にして現れたのだ。始めたのがスタンなら終わらせるのもスタンの自由、結果を見せたのならこれ以上付き合う義理は彼には無かった。

 お前らと話すことなど何もないと態度で語ったスタンはそのまま二人には目もくれず、河岸のこちら側にある森へと立ち去っていった。


 スタン達のいる森の端からフッド運河を挟んで向こう岸にあるビール瓶までの距離は実に二㎞。その距離での連射。高精度の狙撃用ライフルを持ってしても難度の高い技術を彼はやっていたのだ。

 リーはもう一度手にした双眼鏡で向こう岸にある砕け散ったビール瓶を見やった。


「計画はまあまあ順調ですね」


 気楽そうにそう言った彼の口元は、確かな笑みの形になっていた。



 ◆



「素朴で今更な疑問なんだけどさ、聞いて良いかな?」

「何ですか、いきなり」


 森から街へ戻る車の中。ハンドルを握るアルトが、助手席で書類を読んでいるリーに声をかけた。

 リーに同行してこれまで何度も車を運転する機会があったアルトは、ドライブ技術がかなり向上している。今こうして走らせている車もハンドリングやシフト操作がスムーズにこなせるようになって挙動が安定していた。ただし、やはりスピード狂の気はあるためスピードメーターの針が指している数字はかなり高めになっているが。

 窓の外を流れる風景は急流の川のように流れる。他に走っている車両は無く、あるのは横から後ろへと過ぎ去っていく森の緑だけだ。道はそれなりに整備されていて同時刻別の場所を走っているルナとは違い、快適なドライブをアルトは楽しめていた。

 そんな街までの数十分の道のりをアルトは無言で過ごすつもりはなかった。


「いや、リーダーや軍師ってさプレイヤー連中の数を減らす計画を進めているのは分かるんだけど、何でそんな事をするのかなーって思って」

「本当に今更な疑問ですね」

「うん。だって、あたしは今まで暴れたり曲を弾いたりするだけで満足できたし」


 アルトは良くも悪くも自身の興味に忠実だ。興味が無ければ一切労力をかけなくなるし、興味が湧けば手間を惜しまない。今までは戦いと音楽があればそれだけで満足できたので、なぜ戦うのかなどといった当然の疑問すら彼女は脇に置いていた。

 それが何の気まぐれか、スタンの『射撃会』の後で聞いてくる。何か意図しているものがあるのでは? リーは一瞬そんなことを思ったが、次の瞬間にはそれを打ち消した。ゲーム時代でもこの世界に転移してからもアルトの行動は気分で決まる。ただそれだけなのだ。

 よって身構える必要は無く、リーは自身の行動を語ってみせた。これはアルトに語る形をとることで自分自身の行動を振り返って反省する意味が大きい。


「――そうですね。プレイヤーの数を減らしているのは事実ですが、結果としてそうなっているというのがこちらの言い分です。分かりやすく言うと、『ふるいにかけている』のです」

「ふるい、ねぇ。つまり、試練みたいなヤツ?」

「ええ、いくら私達の身体能力がこの世界の人間の枠を超えたものであってもその精神は常人のままです。なにしろ、元はクーラーの効いた部屋でコーラ飲みながらゲームパッドを弄っていた廃人ゲーマーな人達が大半でしょうから」

「あたしはコーラじゃなくてドクペ派だけどね。あと廃人まではいっていない」

「例えですよ例え。ですけど、そんな普通の人間がこの試練の中で見せる輝きには価値があると思いませんか? それがどんな形であっても戦い、生き抜こうと行動する。素晴らしいと思いませんか?」

「んー、軍師の言いたいことは何となくだけど分かるかな」


 ハンドルを握りながらアルトはアストーイアで戦ったルナ・ルクスと名乗った少女を思い浮かべた。

 こちらの魔法の弾幕を掻い潜り、怯むことなく銃弾を撃ってきた敵。彼女が戦いの中で見せたあの表情はアルトの心に響くものがあった。ソソられたのだ、高揚したのだ。

 これまでアルトがこの世界で行ってきた戦いといえば蹂躙がほとんどになる。ロクな反抗や抵抗も無くあっさりと倒れてしまう『的』には飽きが来ていた。つまるところ、アルトリーゼ・ルジツカはこの世界にやって来てから一種の戦闘狂バトルジャンキーになっていたのだ。

 敵と殺し殺される環境で血に酔う。人が倒れる様に得も言えぬ高揚感を覚える。その傾向は特にS・A・Sのチームメンバーに多く見られる。だからこそリーにとっては今のチームは非常に都合が良いのだ。


「地球の昔の軍隊では、兵隊の構成員に犯罪者を使うことが多かったと文献で読んだことがあります。なぜなら、人は殺されることより殺してしまうことを恐れる。例え銃口を向けられても、殺さなければ殺される状況下であっても。だから人殺しに抵抗感が少ない犯罪者を使っていた訳です。現在では技術の進歩、心理学からのアプローチもあって質の高い兵を育成しているところも多いですけどね。

 実際、私達がジアトーを制圧するときだってまともに反撃せずに殺されたプレイヤーは山ほどいましたよね。これからこの世界で生き抜くあたっては、そんな連中は不要です。むしろ積極的に死んで貰いたいですね。この世界で生きるのが嫌なら頭を撃ち抜いて自殺でもすればいい。

 私は『誰かを殺してでも自分が生き残る』と選択した人達こそが欲しい。これは言わば淘汰なんです」

「そのトウタってやつをするのにチームを使っているんだ」

「リーダーもこの方針には概ね賛成してます。むしろあの人はあの人で積極的に推し進めていますし」

「ふぅん……」


 正直に言ってアルトはリーが考える構想の半分も理解してはいないし理解する気もあまり無かった。小難しい理屈をこねるよりも今日の愉しみが重要と思っている。

 ただ、愉しみのために手間を惜しむつもりはない。小難しい理屈がその手間の内だと考えているからアルトはリーと行動を共にしている。そしてS・A・Sのチームメンバーの多くも傾向や程度の差こそあれ、彼女と似たようなものだった。


「でもさ、今日会ったスタンはこの場合どうなの? なんか戦いが嫌って感じでジアトーの件が終わってから森に引き篭もっちゃったけど」

「そうですね。君は街で暴れるのに夢中だったから分からなかったでしょうが、彼はジアトーで支援攻撃の仕事をやってくれてました。これも分かりやすく言うと、君のような暴れたがりの後ろからチームの脅威になりそうな標的を見つけて狙撃で排除していたのです。彼のような人がいてくれたお陰で前衛の人は好きなように暴れられるという寸法です。

 だけど――これは本からの受け売りなのですが――狙撃は撃った標的の顔が良く見えてしまうから一般兵よりも受ける心理的ショックは大きいと聞きます。スタンもジアトーの件がよほど堪えたのでしょうね。彼はチームの中でも大人しい分類ですし、どこか神経質なところもある。人を撃つのが嫌になったのかもしれません」

「じゃあ軍師の作戦に使えないじゃない。大丈夫なの?」

「大丈夫かって言われると、本音を言えば不安は残りますね。ですけど、スタンの狙撃の腕はチームでもナンバーワンなのはアルトも知っての通りです。今回の計画にある条件で狙撃ができるメンバーは彼だけですし」

「ウチのチームって突撃バカが多いもんね。スナイパーなんて地味目な役をしたがる人はほとんどいないか」

「ええ、このチームカラーがアダになりました」


 スタンに任せられたクリストフ暗殺の仕事。そこに付きまとう不安要素は考えれば考えるほど湧き上がってくる。

 スタンの精神はもう殺人向きじゃないのかもしれない。『生き抜く』ための強欲さがリーの目には無くなっているように映っていた。

 けれど――


「けれど、この計画は成功しようと失敗しようと実行した段階で目的は達成されたようなものですしね。少なくとも私にとっては」

「ん? 軍師、今何かボソボソと呟かなかった?」

「いいえ、何も。少し寝ますので街に着いたら教えて下さい」

「うーい」


 この暗殺計画を実行した段階でリーにとっては目標達成だ。ただし、これが他の人にとっても目的達成になるかどうかは別の話になるが。

 そんな秘めた考えを自分だけに聞こえるように呟いたのリーだが、耳の良いアルトに聞かれたようだ。もっともハッキリと聞き取られた訳でもないし、さして興味も持たれなかったので聞き流されたのは幸いだった。

 助手席の背もたれを倒し、帝国軍の制帽を目深に被ってアイマスクにする。街までの数十分、少しでも疲れをとろうと仮眠の体勢をとった。

 リーが意識を眠りの方向へ緩める中、口元には微かに笑みが零れる。隣のアルトはそれに気付かず、車はジアトーへの帰路に着いた。



 ◆◆



 酒瓶と一緒の棚に置かれた古めかしい型のラジオは電源がつけっぱなしになっていて、スピーカーからはノイズ混じりの音声が流れ続けていた。


『――モンスター来襲の影響が懸念されていた今回のフェイスオフ・ゲアゴジャ大会ですが、無事に開催できたのがとても喜ばしいことです。かく言う私、シェリルもアストーイアでの放送中にモンスターに襲われまして、助けが無ければこうしてアナウンサーをしてはいなかったでしょう。開会の冒頭で一分間の黙祷が行われたのも印象深いイベントでした。今一度今回の事件で亡くなったゲアゴジャ、アストーイア両都市の方々にご冥福をお祈りします。

 さて、当然ながらアストーイアでのフェイスオフも中止になってしまったので、今回の大会には選手の皆さんの情熱が集中しています。参加選手の数は例年の倍近くにのぼり、大会委員ではトーナメント作りに苦労したことでしょう。そして観客の数は例年の三倍になろうかという人の多さです。

 聞こえるでしょうか? 実況席にいても騒がしいほどの観客の声を。入場ゲートでは入場者をカウントしていますが、係員の話では――』


 若くハキハキした女声がさっきから流れている。聞き覚えのある声で魔獣襲撃事件の時にも現場にいたらしい。もしかしたら顔を合せた人かもしれない。

 炭酸水の入ったグラスを片手にラジオを聞いて、俺はそんな風に考え事をしていた。ランチを食べた直後の腹が膨れて満ち足りた感覚が全身に行きわたり、一度口の中をリセットするため炭酸水を飲もうとするのを躊躇ってしまいそうだ。

 けれど次には店のマスター、アルが自信をもって淹れる食後のコーヒーがやって来る。これを楽しむにはガーリックの利いたランチの臭いは少し邪魔だ。今もアルはコーヒーサイフォンの準備を始めていて、コーヒー豆の匂いが早くも鼻に入ってきている。


 試合に出場するためにアストーイアからゲアゴジャに渡って真っ先にやって来たのがここ、『バー・マグナム』だ。この町も魔獣の襲撃を受けたと聞いていたので、アルや店の様子が気になってフェイスオフ大会本部で登録が終わると真っ直ぐにここへ足を運んだ。

 幸いなことに店もマスターも傷ひとつなかった。街そのものの被害はそれなりにあったみたいだが、行きつけの店が無事なのは嬉しいことだ。

 棚に置かれたラジオから流れる音声をBGMにしてのランチと洒落込んでいたが、俺がこれから出場する予定の試合会場が思ったよりも盛り上がっているのには予想外の驚きがあった。

 ラジオのアナウンス嬢が実況で口にしているフェイスオフの試合場。アナウンサーの声に混じって聞こえる歓声の声は大きく、それだけ会場が盛況だと示していた。


「レイモンド、お前さんは行かなくて良いのか?」

「ああ、登録はもう終わった。俺の試合は明日の二日目になっている。ラジオでも言っているけど、出場人数が多すぎて一回戦を二日に分ける必要があるのだそうだ」

「ふむん、じゃあ今日はのんびりと英気を養うのか」

「そうだな」


 ボクサーやその他格闘技とは違って、フェイスオフには体重制限は無く事前の測定などは不要だった。出場する選手はフェイスオフの選手だと証明するライセンスを大会本部に提示して、簡単に日程と報酬を相談すれば後は試合当日までする事は無い。そんな凄まじく大らかなシステムになっていた。

 試合前の減量などで苦しい思いをした記憶がある身としては、フェイスオフのこういったアバウトさに驚かされると同時に複雑な気分を抱いてしまう。

 減量する必要もなく万全の体調で試合に臨める。現役時代には久しくなかった状態だ。


 炭酸水を口にして、タバコを吸おうとポケットまで手が伸びたが止めた。普段ならともかく大きな試合がある前には酒とタバコは体に入れたくない。現役時代は一切の酒とタバコは口にしなかったところから来る一種の験担ぎみたいなものだ。その代わりにアルの淹れるコーヒーを楽しみにしよう。

 見ればフラスコにはロートがすでにセットされて、気圧でお湯がコーヒーの入ったロートに昇っている。アルが木べらでロートを混ぜてコーヒーと湯を馴染ませる度にコーヒーの香りが濃くなって店内に広がっていく。


 半地下の薄暗い喫茶店兼酒場。抑えられた照明に浮かんで鈍い輝きを照り返す木目調の内装は視界にあるだけでも和む。古き良き時代の懐かしい風景を切り取って詰め込めばこういう場所になるのかもしれない。

 それだけこの店は俺にとっては落ち着ける場所だった。


「そうだ。レイモンド、探し人についてだが切り口を変えたらあっさり情報が出てきた」

「――っ! 本当か」


 場の空気に一滴の水を落とすようにアルの声が波紋を広げた。彼は加圧による上昇から転じて減圧による下降を始めたロートの中身に視線をやったまま、情報屋として報酬分の情報を口にしていく。


「最近話題になっている転移者関係に当たりがあった。帝国の辺りにいるらしいが現在の状況は不明だ。なにしろ戦争中で、転移者については本当に最近の話しだしな。

 壱火、ファミリーネームはない。種族は人狼族だな。何を職業にしている奴かは不明だし、写真もない。ただ、幾つかそいつに関して逸話みたいなものがあって――」


 以前から情報屋としてのアルに息子の捜索依頼を出していたが、こんな場面で聞けるとは思ってもみなかった。てっきりもう少し改まった場が用意されると思っていたが、彼は普段通り喫茶店のマスターの作業をこなしながら調査結果を話している。

 つまりアルにとってそれだけいつも通りの出来事なのだろう。情報屋としての顔も喫茶店のマスターとしての顔も無く、いつも通りのアルトゥーロがいるというだけだ。

 そんな常から変わらぬアルの様子に俺も冷静さを取り戻すことができ、出されたコーヒーの香りを感じるだけの余裕はあった。気付けのつもりでカップに口をつければ、苦味酸味渋味が絶妙に織り込まれたコーヒーの味が舌の上でステップを踏む。


 俺以外に客がいない中、アルはフラスコに残ったコーヒーを自分用のカップに入れて飲みだし料金分の情報を淡々と口にしていく。舌と鼻を刺激するコーヒーの香りと味が思考を回すのに幾分か役に立ったらしく、俺はアルからの話を上手く整理できるようになっていた。

 今回アルが壱火の情報を得た情報源は詳しくは伏せられたが、間違いなく俺と同じプレイヤー、こちらの世界では転移者と呼ばれる様になってきた人々の内の何人かだろう。複数の人から聞いて情報の精度を高めたらしいがそれでも曖昧な部分は多く、確たる情報ではないので疑う余地は残して欲しいとアルは前置きした。

 それによれば、かなり過激な性格の人物らしい。バトルジャンキーな上にトリガーハッピーで、幾つもの拳銃を振り回して辺り構わず撃ちまくるらしい。色々と場の空気を読まない傍若無人なところがある一方で、助けを求められたら必ず応じる気の良い奴だとか。

 付いたあだ名は『射的屋』『ぶっ放し屋』『トリガートリッパー』と帝国の周辺にいるプレイヤーの間ではそれなりに知られた名のようだ。

 そしてそれらは、俺の考える息子のイメージからはかけ離れたものだった。


「……何と言うか、どこの戦争屋の話を聞いているのかと思うほど硝煙臭いぞ」

「全くだ。レイモンド、お前さんがこの壱火という人物とどういう関係かは情報屋のマナーとして聞かないが、個人的には不思議に思うな」

「……だろうな。俺も不思議だ」

「ふむ。コーヒー、お代わりは?」

「頂こう」


 再度カップに注がれたコーヒーから湯気と一緒に立ち昇る香りに目を細め、壱火と息子『勝又総司』を脳内で比べてみた。

 俺とは似ず物静かで、本やゲームと向かい合っているか勉強で机と向かい合っている背中を見かける機会が多かった息子。怒ったところなど見た覚えは無く、いつも大人しそうな雰囲気を纏っていた。だからこそこんな物騒な世界に転移してきただろう息子の身を心配して探していた。

 それなのにぶっ放し屋やらトリガートリッパーなどと、どこのリングネームだと聞きたいぐらいのあだ名が付けられている。果たして本当に壱火=息子なのだろうか? 唯一の手がかりが駄目だったらと不安になってくる。

 頭の中で渦を巻き始めた考えを落ち着かせようと二杯目のコーヒーを手にした時、来店者を告げるドアのベルが鳴った。

 アルがドアへと顔を向けるのにつられて、俺も開いたドアに顔が向う。そこには知った顔があった。


「よう、随分早い再会だったなルナの嬢ちゃん」

「本来だったらここに来る予定は無かった。でも、レイモンドに用があったから。ここなら会えるかと思って」

「俺に用?」


 顔を見せたルナは相変わらず変化の少ない表情と言葉で声を返してくる。まあ、一日二日で変わる方がむしろ怖いか。

 俺に用があってこの店に来たと言ったが、一体何の用件だろうか? そんなこっちの考えが読まれた訳でもないだろうが、ルナは不意に体を横にずらして後ろにいる誰かに道を譲った。

 半地下のこの店に降りる石の階段は足音が良く聞こえる。体重が軽いのか降りてきた人物の足音も軽い。

 ほどなく姿を現わしたのは、外見はルナと同い年ぐらいに見える少女だ。少し露出が多い格好で、外に羽織っているロングコートが無ければほとんどビーチにいるような出で立ちだ。頭の上にある三角形の犬みたいな耳に、腰元に見えるフサフサした尻尾も印象に残る。

 そして顔。何故かは知らないがやけに緊張した表情で俺のことを見詰めている。その顔立ちにはなぜか既視感を覚えた。


 はて、この見覚えがありそうな少女とはどこで会ったのか? 顔を合せて十秒ほどの時間をそんな考えに使ってしまった。

 だけどそんな時間は必要無かった。俺が無言でいたから会話のバトンを渡されたと思ったらしく、ルナは少女の紹介を始めた。


「彼女は壱火。多分、レイモンドが探している人と同じだと思う」

「――――――――――え」

「じゃ、じゃあ……このリザードマンが親父、じゃなくて父さん?」


 いきなりの出来事に一瞬何を言われたのか分からなかった。ルナの言葉が耳を素通りして脳みそが理解出来なかったのだ。

 けれど過ぎ去った言葉を思い返して、内容を読み込んで言葉の意味が浸透するとようやく理解できた。


「……総司?」

「やっぱり父さん、なんだよね」


 理解は出来たが、納得はできていないって顔をしている。多分、俺も似たような顔をしているのだろう。

 それでも壱火と呼ばれた少女の表情の変化は息子のソレで、やっぱり息子の総司なのだと確信が深まってしまった。


「立ち話もなんだ、二人とも入ってくると良い。レイ、テーブル席を用意した方が良いか?」

「ああ、頼む」


 気を利かせてきたアルの言葉に頷いて、俺はカウンター席のスツールから立ち上がった。壱火はアルの案内でテーブル席に座ろうとしていて、俺もそこへ向う。

 ルナと後から来た黒猫のジンはまた別だ。二人とも気を遣っているのか一緒の席に座るつもりは無い。

 壱火の顔は緊張で一杯になっているようで、強張っているのが外見でも分かるほどだ。きっと俺の顔もこうなっているだろうな。

 今ひとつ纏まりきらない頭を抱えて、唐突な息子との再会に戸惑う俺。この後の展開を予想できず、今はただただ固まるばかりだった。




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