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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Sniper 邦題:山猫は眠らない
54/83

10話 疾風迅雷

 7月15日に今章を改訂しました。なので以前のバージョンを見てから今話を見ると違和感があります。

 前話、前々話を見てからの閲覧をお勧めします。





 アストーイアとゲアゴジャ二つの町を結ぶ幹線道路ルート30号は、プレイヤー達がこの世界に転移してきた前後に出現した『放浪樹海』によって被害を受け、復旧の目処も立たないまま放置されていた。

 放浪樹海の影響で周辺の草木は急成長、舗装された路面を突き破って草が生え、木の根が道路をうねらせる。道路を横断して太い枝が伸び、急成長する灌木が路面を覆っていく。これらを刈り取ろうにも樹海から流れて来た魔獣の存在が人を遠ざけてしまう。結果二つの町の役人達はどうする事も出来ずに現在にまで至っていた。

 緑の侵略を受けて道路としての機能を失おうとしているルート30号。そのような荒れ果てた道を一台の車が走っていた。


 黒い一台のハッチバックタイプの乗用車。三角窓にパイプ状のバンパーとレトロなデザインをしているその車は、荒れた道路を難儀しつつも進んでいた。

 デコボコな路面を上手く乗りこなし、邪魔な灌木を避け、前を塞ぐ枝を強引に突破して道を突き進む。

 その車のハンドルを握るのは黒ずくめの格好が印象に残る少女、ルナだ。


「うわぁっ! ごあっ! な、なあ、ルナ」

「何?」

「もう少し穏便にいかないのか? 運転荒すぎ!」

「無理」


 助手席に座る同じ年頃に見える外見の狼少女、壱火の悲鳴も無視してルナは車のハンドルを大きく切って路面に出来たくぼみを回避する。またも上がる悲鳴。

 別段ルナは好き好んで荒い運転をしている訳ではない。ある程度速度を維持していなければ大衆車仕様の車ではタイヤを地面に捕らわれてしまい、行動不能になってしまうからだ。

 だけど壱火も悲鳴を上げるだけあって酷い有様である。シートベルトを締めているお陰でシートから振り落とされはしないが、その分車の揺れをもろに感じてしまい、体は上下左右にシェイクされてしまう。それは彼女の内臓も同様で、気を抜くと朝の食事を戻してしまいそうな程に追い詰められていた。


 ルナが荒れた道路で車を走らせている理由は二つ。隣に座る壱火をレイモンドの元に送る事と、ルナが現在何かとお世話になっている人物のクリストフ・フェーヤから招待を受けたからだ。

 この二つの用を果たすために向う先はアストーイアではなく、河川都市ゲアゴジャの方。

 そこでは今、周辺地域の未来を占う重要なイベントが行われようとしていた。アストーイア、ゲアゴジャを含む地区の代表者、行政の長を決める選出会議が開かれるのだ。帝国との戦争の最中での選出。ルナが聞いた話では庶民からの注目も高いイベントだという。

 クリストフはルナをそのイベントへと招待していた。



 ◆



 大きく揺れるパオの車内、ハンドルを切って灌木やくぼみを回避するたびに車体が軋んで隣では壱火が騒ぐ。

 正直に言えばレイモンドの息子――いや今となっては娘か? ――でなければ気絶させるなり眠らせるなりして静かにさせていたかもしれない。それ以前にこうして車に乗せてもいないだろう。

 道路の状態は酷い有様だったが、出発当初に比べればまだマシで幾分余裕が持てる。その余裕分を使い、今回のゲアゴジャ行きの経緯を振り返ってみた。


 始まりは昨日の深夜、元侵入者の壱火に夜食を食べさせていた時からだった。

 よほど空腹だったらしくがっついて夜食を食べる彼女を横目にして、向いの席に座った自分は淹れたコーヒーを片手にくつろいでいた。食事中の話題としてすでにある程度お互いの事情を話しており、壱火がレイモンド(勝又太一)の探している息子だと確信を深めていた。

 何口かコーヒーを飲んでいると、廊下からベルの音が聞こえてくる。

 電子化が進む昨今の日本では聞くことが稀になった機械的なベルの音。昔々の黒電話そっくりの音だ。

 すぐにどこから聞こえる何の音か分かった。一階の螺旋階段の下にある『電話室』に置かれたロウソク型電話が立てている呼び出し音だった。


 ジンと壱火に断って席を立ち、足早に食堂から電話室へ。辿り着くまでに電話は切れずにベルは鳴り続けていた。

 受話器を手に取る前、少し相手について考える。次にポケットから懐中時計を出して見る。午後十一時半を回ったところ。一般的には非常識な時間帯だ。

 ただし、電話相手と今の自分がどんな存在かと考えれば「この位の時間は普通か?」と思えた。何にしろ電話に出ない選択は無く、受話器を手に取って本体にある送話器に口を近づけた。


「こんばんは、クリストフ」

『こんばんはルナ、良い夜を送っているかな? 連絡が来なかったからこちらからかけてみたよ』

「すまない。腰を落ち着けるのに精一杯で考えが回らなかった」

『まあ、良いけどね。こんな時間に電話したのもちょっと嫌がらせ込みだったし……おっと』

「……」


 どうやら月詠人であっても深夜の電話は好まれないようだ。それが分かっていて彼は電話してきたらしい。さすが一族の顔役はやることが違うな。

 電話の相手は案に違わずクリストフだった。彼はこちらからの連絡が来ないので手始めに電話してきたというのだ。確かに別荘地へ向う道路の劣悪さを考えれば遭難を心配されても無理はない。どうやら要らぬ心配をかけたようだ。

 昔から人間関係が苦手な自分は気を利かせるとか、マメな連絡とかは大の苦手科目だった。今回は別荘地に腰を落ち着けるのに夢中で連絡を忘れたのが原因だ。

 話をしていく中で改めて謝罪する自分だったが、クリストフは余り気にしていないようで軽く流してくれた。これが本当に気にしていないのか、密かに根に持っているかは分からない。受話器から聞こえる彼の少年ボイスは軽い調子で変わらなかった。

 一通り話が一段落すると次の話題、近況に切り替わる。普通は二、三日町を離れた程度では変化が無いものだけど今は戦時下、急激な情勢の変化はあり得る。それに自分も壱火という大きな変化があったばかりだ。報告はしておいた。


『ふんふん、帝国から逃げてきたのかその壱火って子は。それに君と付き合いのあるリザードマンの関係者の線が濃いので引き合わせたい、と』

「そう。できれば早い内にそうする予定。そちらは町に何か変化などは?」

『町には取り立てて無いよ。警察に要請出して、僕の私兵も使っているから少なくとも表面上だけは静かだよ。ただ、僕個人では変化はあるかな』

「それは?」

『うん、今まで僕は裏方をやってきたけど、帝国の侵攻やら魔獣、だっけ? ソレの出現や君のご同輩にも迷惑な人が居るし、このままじゃマズイなぁ、と思ってさ。そこで今度ゲアゴジャで地区長選出の会議が開かれるんだけど、そこに出席することにしたんだ』

「地区長選出」

『ああ、こっちの政治体制はまだ知らないか。分かりやすく言うと、アストーイアとゲアゴジャ、その他周辺地域の行政を担う長を決める会議』

「大体分かった。クリストフはそこに出席すると」

『うん、ついでに地区長の座にも就任する予定』


 どうもクリストフが話す地区長選出の会議は、日本人が考える選挙とは別物らしい。会議室で議員達によって選出されるものだとか。その議員もクリストフがすでに根回し済みで、地区長就任は確実と彼は言った。

 改めてクリストフが少年なのは外見だけだと思い知らされた。まるで老獪な政治家のようだ。

 どういう事情があっても彼を敵に回したくはないな。電話機本体の送話部分を手で押え、相手に聞こえないようにして溜息を吐いた。


『でさ、その地区長選出会議の前後の日は会場のゲアゴジャはフェスティバルが開かれる。戦時下だけに自粛ムードだけど、それなりに人が来るよ』

「このあいだもアストーイアでなかった? 祭」

『元々はこの辺りの地域でやっていた乾期を前にした景気付けの祭だったんだ。だから時期が重なるのは当たり前さ。規模もゲアゴジャの方が上だよ。そこででもフェイスオフの試合が開かれる予定でね、知り合いのリザードマンもそこにエントリーしているよ』

「なるほど、会うならゲアゴジャへ、か」

『そうそう』


 レイモンドが試合に向けて調整を行っていたのは何度か見かけたが、その試合がゲアゴジャのフェスティバル中のイベントとは初めて聞いた。

 となると、壱火とレイモンドを会わせるならゲアゴジャへ向った方が早いだろう。電話室から食堂の様子を窺ってみれば、壱火は夜食に出したウサギの唐揚げとディアナ風カツレツを平らげていて自前で淹れたコーヒーを堪能している。その表情は実に満足そうだった。

 それだけを確認すると電話機に向き直る。祭の開催期間などを聞いておきたかった。自分はこの手のイベントには関心が薄いせいでフェスティバルの存在自体も初耳だったのだ。


『フェス自体なら明日から始まるよ。僕も君を招待したいのだけど、どう?』

「……急な話だけど、拒否は出来る状態ではないから受けます」

『酷いな、その言い方だと僕が悪人みたいだ』

「善人でもないでしょう」

『ふふふっ、言えてる。で、来る?』



 ◆◆



 こうして、壱火の用件とクリストフの招待もあって自分はゲアゴジャへと車を走らせていた。

 当初はアストーイアから船でゲアゴジャを目指す計画だったが、先日の魔獣襲撃事件で港が少なくない被害を受けたため船の運航が不定期になっている。飛行船は空路が確立していない。クリストフをこれ以上頼るのも怖いとあって、消去法で陸路が選択として残った。

 翌朝には慌ただしく準備を済ませて別荘地を出発。もう少し落ち着いていたかったというのが自分の本音だが、転がり込んできた壱火という案件を早く解決してしまいたいのも本音だ。

 手早く終わらせて早々に戻って来よう。それが自分の出した結論だった。


 パオを走らせることさらに一時間。道は穏やかなものに変わっていて、ゲアゴジャに向う道行きは順調なものになっていた。

 あれほど生い茂っていた草木は道の端で留まっていて、路面も平らかになっている。この辺りになると樹海の被害もまだ及んでいないらしい。道を挟んで片側に森、反対には荒野といった対象的な景色の中をパオは走っていた。

 この辺りは『放浪樹海』の影響で出来た森林の(へり)の部分のようだ。本来なら乾燥に強い灌木や草がまだらに生える荒野があるべき姿で、乾期を前にした今の時期は空気から水気が失われつつある。

 車の窓は全開、森からの瑞々しい風と荒野からの乾いた風の二つの異なる風が左右から吹き込んできていた。太陽もそろそろ一番高い位置に昇る時間帯で、二種類の風の違いは体感温度にも出ていた。


「はぁ、一時は朝食べたものをゲロるかと思った。せっかくまともなご飯が食べられたんだし、もったいない真似はしたくないよな」

「吐くなら外でしてくれよ。車内が吐瀉物で汚れるのは見ていて辛い」

「大丈夫、もう気分いいし」


 後部座席に黒猫形態で座るジンと壱火の間では森を抜けた辺りから会話が弾んでいた。自分が口数の少ない分、ジンがそれを補うように壱火と会話してくれているようにも思える。

 その会話の中で壱火は、昨夜話してくれた彼女自身に起こったここまでの事情を掘り進んで話してくれた。傍で聞いているとジンがそのように誘導しているようだ。バックミラーで後ろの彼を見やると、彼の方でも視線を鏡越しに投げかけていて「壱火から話を聞き出すので吟味してくれ」と念会話が飛んできた訳でもないのにそう感じられた。

 道路が平坦になって走行に余裕がより出てきた。事情聴取の吟味役ぐらいはこなせる。


 昨夜は簡単に身の上話を聞いた程度で終わってしまったがこうして改めて話を聞いていると、親であるレイモンドから聞いた息子像とのギャップを感じる。

 レイモンドは自身の息子を「大人しく真面目な優等生」と評して、自身とは正反対に育ってしまったと寂しそうな表情で語っていた。しかし、その息子(現娘)であるはずの壱火の性格は父親の評から大きく外れており、明るく活発でざっくばらん、マサヨシ君に近い性分を持っていた。


「――と、まあこんな具合でボクの話は簡単にしたけど、そっちはどうんだ? 何か色々あったぽい感じはするけど」

「君の父親に会わせるまでは黙秘する。私は身の上話を饒舌に話す方じゃないから」

「うわ、ズルイな。でも父さん……じゃなかった親父もやっぱりこっちに来ていたのか。まあ、何だかんだ言っても元ボクサーでタフなオヤジだもんな、簡単にやられたりはしないか」


 壱火が父親の事を話すぎこちなさからすると、普段はあまり顔を合わせていないのだろう。でも、『父さん』に『親父』か……自分は中学以降使ったことがない言葉だ。だからか、彼女から聞く話はやけに新鮮に思えた。


 壱火はここより北、帝国を中心に活動していたプレイヤーだった。ゲームでは種族による隔離や差別などなかったが、こちらに転移してから情勢が急速に変わってしまった。

 アードラーライヒ帝国が掲げる人種族の優位主義よって他の種族が迫害を受けるただ中に放り込まれたのだ。

 例えるなら、現代のネイティブアメリカンの人が西部開拓時代にタイムスリップしたとか、同じく現代のユダヤ人の人がナチスドイツ占領下のポーランドに転移したとかだ。その心は、気が付いたら最悪な情勢下の真っ直中にいるである。

 転移間もなくロクに状況も掴めないまま他のプレイヤー達と一緒に右往左往していたら、帝国の兵隊達によって次々とプレイヤー達が連行されていき、抵抗する者は容赦なく射殺された。壱火はそれらを目にして一目散に逃げを打ったという。

 悪くない判断だ。この場合最悪なのは、判断できずに動きを止めてしまうことだ。

 そしてそのまま帝国にあるはずのホームを放棄して、南へと歩きで逃避行を始めて今に至っている。空き家や小屋で雨風をしのぎ、川や湖で水を、草や木の実、鳥や獣を狩って飢えをしのいできたという。

 不運なことに壱火が通ってきたルートは、人家が全く無い荒野や森を突っ切るコースばかりだったので、別荘地に着くまでは文明的な生活を送れなかったとか。


「だからまともな食事はこの世界に来て始めてなんだよ。マジでありがとうルナ、大感謝」

「む、むぎゅ」


 いきなり抱きつかれた。そのせいでハンドルがふらついてパオの挙動も左右に揺れる。後、顔の位置に大きなサイズの胸が当たって若干息苦しい。

 水着よりは厚手だが、それでも布一枚越しに大きめの乳房が顔に当たる状況。普通の男子であったなら喜びそうなシチュエーションかもしれないが、やはりリアルな女性には気持ちが揺らがない。加えて今は自分自身が女性だ。

 むしろハンドル操作が乱れた方に気が向いた。


「運転中に抱きつかないで。操作ミスする」

「悪い悪い、つい嬉しくて。あー……でも、確かに抱きつくのは無いよな。男の時だったら抱きつくなんてしなかったはずなのに」

「それは精神が肉体に引っ張られているからだろうな。肉体に合わせ精神は変調する。より相応しい形態へな」


 ジンの言っている言葉は、よく性転換ものや変身ものを題材としている物語で取り上げられてきたものだ。

 肉体が変われば精神もそれに合わせて変わろうとする。獣に変身すれば心も獣に、機械の体になれば心も機械じみ、女性に変われば心も女性じみてくる。今の自分だって、自覚がないだけで男性だった頃より精神が変調しているのかもしれない。

 一年や二年ではこれまで積み重ねた歳月もあって簡単に変わったりはしないだろう。しかしこれが十年や二十年、いや自分が月詠人であるなら百年や二百年の時間の経過も肉体はものともしないはずだ。そうなると、もう自分は自分ではなくなっているような気がする。

 ――いかんな。壱火の事情を聞いていたはずが、いつの間にか性転換の悩みについて話が変わっている。それに未来の話なんかしても今は無意味だ。

 脱線した話を戻そうと口を開いたが、こちらより早くジンが言葉を発した。それも緊急の警告を。


「主っ! 森から敵だ。スピードを上げてくれ」


 バックミラーで見るジンは顔を森の方向に向けて、シートから立ち上がっている。彼の声からも緊急性が高いと見て、自分はアクセルを踏み込んで車を加速させた。

 すると程なくジンが見詰める森からはパキパキと枝を折る様な音が幾つも聞こえてきて、その音が大きくなるに連れて森からは土煙が舞い上がっているのが見て取れた。何か尋常ではないものが近付いてきている。


「敵?」

「そうだ。森の中を突っ切って来ている。速いな、もうすぐこっちに来る」


 自分の呟きにも律儀にジンは言葉を返してくれた。どうもジンには相手が何だか分かっている様子だ。距離があるのと、森の木が邪魔して姿が見えない対象を彼は捉えている感じだ。


「戦いの準備はしておかないと」

「壱火、戦闘経験は? ゲームじゃなくて、こちらの世界で」

「軍隊狼とか巨大鳥ロックとかだったら」

「充分。こちらは運転に集中するからガンナー役はお願い」


 急な場の変化に緊張しながらも、壱火は各所に付けたホルスターからハードボーラーを二挺抜き出して戦いに備えだした。

 帝国からここまでの彼女の旅路は無駄ではなかった。魔獣との戦闘経験、最低限のサバイバル経験などを実地で学べたのは大きい。緊張はしていても動きが鈍るほどのものではない。こちらの要請にも素直に頷き、窓から身を乗り出して周囲を見渡せる体勢になった。


「来るぞ! 道に出てきた」

「うわ、なんだよアレ」


 ジンと壱火の声と同時に森から聞こえてくる音は最大音量に達し、枝を折るような音は大木を一瞬でへし折るものに変わって、パオが通過した後に折れた木々が落ちる。土煙と一緒に枝や石を巻き上げて、その巨体をパオの後方約五〇mに現わした。

 多脚を展開して路面に立ち、長い尻尾の先には針の代わりに砲身、頭部には幾つもの単眼の目。サソリそっくりのフォルムだけどサイズと極悪さが大違い。

 そういえば、『放浪樹海』といえばアレがいても不思議ではないか。


「戦車サソリ《タンクスコーピオ》だ。初めて見た」



 ◆◆◆



「気をつけろ、まだ奴の射程内だ」

「尻尾が!」


 戦車サソリの尻尾がゆらり動いて、こちらに針代わりに付いている砲口が向けられた。ここまでをバックミラーで見て取った自分は、ハンドルを回してパオの車体を大きく振り回した。

 車が横に振り終わって間もなく、運転席のすぐ横を高速で掠めていった何かが道路の先へと飛んでいった。それが何かと思うより早く、急激な風圧が開いた窓から入って髪を大きく揺らして同時に聞こえる発砲音と着弾音。進路方向にあった木が数本まとめてへし折れて土砂が舞い上がった。

 戦車サソリの砲撃だ。戦車という名前の割に主砲は小口径だが、装甲のないパオでは一発でも喰らえばおしまいだ。


「このぉっ!」


 壱火が車から身を乗り出した姿勢から箱乗りの体勢になって、二挺のハードボーラーを撃ち始めた。

 .45口径ならではの重めの銃声が鳴って、大きな的の戦車サソリに次々と命中する。しかし全く通用した様子はない。弾が当たっても金属を叩くキンキンとした音がするばかりで、標的の動きを止めるには完全に威力不足だ。


「バカか、この距離と相手の装甲の厚さを見れば拳銃など豆鉄砲だぞ」

「バカじゃない! ネコに言われたくないよ。それにやってみなければ分からないだろ」

「常識的に考えれば拳銃で装甲目標を撃破するのが難しいぐらい分かるだろう。こういうのを何というのだったか? 確か、JKとかか」

「喋るネコに常識を語られた!」


 現在敵の絶賛襲撃中だというのに、大きく揺れる車内でジンと壱火が言い合いを始めた。暢気なものだ。

 ジンの言う通りで、ハンドガン程度の火力では装甲車ほどの大きさと硬さをもつ魔獣を真っ向から相手にするのは不可能事。アレを正面から撃破するにはロケット弾ぐらいは欲しいところだ。

 そしてロケット弾なんてもっておらず、専門ではない魔法は威力にも疑問が残っている。となれば他の手段をとる必要に迫られていた。

 砲撃を終えた戦車サソリは虫ならではの硬質な脚を忙しなく動かして追いかけてきている。一体こちらの何がアレの逆鱗に触れたのか分からないが、向こうは自分達を逃がすつもりはなさそうだ。

 速度はこっちのパオが上、けれど突き放せないとなれば砲撃を喰らう危険が増してしまう。ここで自分は戦車サソリの撃退ないし撃滅を決めて腹を括った。

 再び持ち上がる戦車サソリの尻尾。先端の砲口はしっかりとこちらを指向している。こちらも再度急ハンドルを切った。


「だわぁっ! ふぐっ!」

「おおぉぉっ!?」


 壱火とジンの悲鳴が上がっても黙殺。砲弾が当たったら悲鳴さえも上げられないのだから我慢してもらおう。

 一秒前に車のあった空間を高速で飛行物体が突き抜けていく。そしてまた一瞬遅れて着弾の轟音、土砂が地面から噴き上がってフロントガラスを叩いた。走りながらの砲撃だったせいか、精度は落ちていたみたいだ。

 恐怖はあるが顔にも体にも表れない。自分は恐怖を御して、冷徹に次に取るべき行動と対策に思考を割り振る。怖さで騒いでいても敵は消えてはくれないのだから。


「壱火、こちらが速度を緩めて向こうと間合いを詰める。尻尾の砲口を狙える?」

「ふぉうこう? ああ、なるふぉど……にじゅうメートル以内なら何とか」

「拳銃でその距離なら充分。後、この車は天井が開くようになっている。姿勢を取りやすくするならそれが良いと思う」

「ふぁ、早く言ってくれよ」


 さっきの急ハンドルで舌でも噛んだのか発音がおかしくなった壱火に銃撃のポイントを指示する。彼女はそれだけで意図を理解したらしく、弾切れになってスライドオープンになっているハードボーラーをしまい、次の二挺オートマグを手に持った。

 弾切れになった銃があればすぐに次の銃を引き抜いて戦闘を続行する。それはまるで先込め式ピストルの時代みたいな戦い方だ。効率が良いのか悪いのか微妙なところだけど、それが彼女に合っているのなら余程のことでもなければ文句は控える。

 キャンバストップのルーフを乱暴に開けて、シートの背もたれに足をのせて立ち上がった壱火は後ろへオートマグの銃口を向けた。まだ発砲の距離ではない。

 開いたルーフからも風が吹き込んで車内の気温が下がったはずなのに、戦闘の熱気はその気温を簡単に超えていた。


「距離を詰める。それまで撃たないで」


 そう言って釘を刺しておき、アクセルを緩めて減速する。急停止してからの奇襲も考えたけれど、これだど再発進に手間取って戦車サソリに追突されてしまう。向こうの方がパオよりも大きいため、そうなったら一瞬で潰れてしまうだろう。

 役割は単純、自分が車の操作に専念するドライバーで、壱火が射撃専門のガンナーだ。ジンはこの距離で対処する手段に乏しいので観測手を願う。バックで相手と距離を詰めるので、見張りの目は多い方が良い。

 火力を考えれば自分のタイプ・14ライフルを貸すのが良いように思えるけれど、使い慣れない得物では壱火ガンナーの負担が増えるだけなので武器に関しては何も言わなかった。


 戦車サソリの多脚がヒビの入った路面に突き立ち、石の砕けるような音が連続して聞こえる。これが敵の足音だ。絶え間なく聞こえる足音は繋がって聞こえ、砕石機めいた音を鳴らしていた。

 すぐに敵との距離が四〇mを切って、三〇mを切ろうとする。向こうもそれなりに足が速いので距離が詰まるのに時間はかからない。

 前方の障害に気を払いつつ、後ろの敵の動きに気を配り車を走らせる。そんな神経を使う運転に加えて、今度は敵と接近する恐怖も制御しなくてはいけない。中々にしんどいものだ。


 再び戦車サソリの尻尾が上がって主砲の発射が来るかと思いきや、ワンパターンが嫌なのか今度はハサミ型のアゴを開き、口を大きく開けてきた。

 この距離で主砲以外に戦車サソリがする攻撃手段。それに思い当たると三度ハンドルを大きく切った。

 主砲発砲の時よりもさらに大きく、横転覚悟でパオを射線上から急いで外した。タイヤが悲鳴めいたスキール音を立てて、車体が大きく傾く。間に合うか?


 発砲音。今度は尻尾からではなくサソリの口から。弾丸の速度は主砲よりもはるかに遅く、今の自分の反射神経なら発射を見てからでも回避を間に合わせられる。そんな遅い弾でも、複数まとめて飛んでくる散弾になってくると避け難い代物に変わってしまう。

 サソリの口から広がるように飛んでくる無数の粒状の散弾。それから逃れようとハンドルに加えてサイドブレーキを引き、アクセルワークと合わせて車を横へと滑らせる。より派手に鳴るタイヤの悲鳴。

 掠めて飛ぶ散弾。飛翔音が車を横切ったので、今度も回避に成功したと内心で喜んだ。

 直後、頭上で連続した発砲音がする。.45口径よりもさらに野太く大音量。ハンドキャノンクラスの銃から出る銃声だ。


「壱火、まだだ!」

「でも、効いている」


 彼女の声にバックミラーを見やれば、苦しそうにして足を止めた戦車サソリの姿が見えた。散弾を吐き出したばかりの口からは体液を流している。

 そうか、装甲車なみの防御力を持っていても生物なら口の中までは防御しきれない。壱火が狙ったのは散弾を吐き出した直後の開いた口の中だったのだ。咄嗟に口の中を撃とうと思いつき、それを実行してしまえるとは戦闘センスも銃の腕もかなり良いものを持っている。

 自分の中で壱火に対する評価を上方修正しつつ、サソリの様子を窺うと痛みからくるひるみ状態から復帰していた。そして遠目にだが、黒かった単眼の色が真っ赤に染まったのを確認した。ゲームでいうところの『怒り状態』だ。


 さっきよりも動きが激しくなって、尻尾を立てて盛んに振っている。もちろん犬のように嬉しさから振っているはずもなく、威圧や威嚇といった目的で体を大きく見せている。ただでさえ巨体なのに尻尾を立てると本当に大きく見える。

 主砲の発砲も頻度が高くなる。砲身から次々とサソリの体内で成形された砲弾が撃ち出される。砲弾の材料は口から食べた岩石や土砂。推進剤は火薬ではなく大量に吸い込んだ空気を高圧縮した圧縮空気。つまり戦車サソリは砲弾数実質無限なためドンドン撃てるのだ。

 撃ち出される砲弾には狙いも無く、サソリは辺り構わず撃ちまくっている。まさにサソリが怒り狂って暴れている。だからこそ、これが狙い目なのだ。


 一見すると主砲を撃ちまくって暴れている様子は危険極まりない。でも、さっきのようにこちらに狙いをつける事なんかしていない。自分としては乱射よりも狙いすました精密な一発がよほど恐ろしいもので、怒り状態になったサソリはもう怖くない。好機到来だ。


「あっちこっち砲口が振れている。いける?」

「この距離なら、大丈夫っ」


 距離は二〇mを切った。壱火が狙える距離と言った間合いになっているが、標的の砲口があちこちに向いているので難易度は上がっているはずだ。これで本当に大丈夫か?

 乱れ撃ちする主砲の砲弾が車の横に着弾して土を吹き上げる。本物の戦車砲弾みたく榴弾が無くて良かった。爆風と一緒に飛んでくる砲弾の破片は、少し前の戦争だと兵士の死亡理由ワーストテンに入るくらいマズイ代物になる。これが無いだけでも心理的に余裕が持てた。

 死角になっているせいで壱火の表情は見えないが、想像はできる。至近弾の風圧で顔が強張っているのは間違いないはずだ。


 射撃間近になると、壱火が手に持った二挺のオートマグの内一挺を車内に放り捨てる。それが偶然ジンに当たって「ぐおっ」などと声が漏れ出るも、彼女はそれを無視して射撃に集中する。

 一挺になったオートマグを両手で握り、両肘は伸ばして上体は標的に対して正面を向く。射撃スタンスの一つで、もっとも射手側の条件に左右されにくいアイソセレス・スタンスだ。これをごく自然にやってみせるとは、地球にいた時でも全くの素人ではないらしい。


「狙い……撃つ!」


 二度目のマグナムの銃声は一発分のみ。でも、この一発が突発的に始まったへんてこカーチェイスを終わらせた。

 .44マグナムの銃声の直後、直近で腹に響く爆発音が轟いた。至近距離で見上げる打ち上げ花火と良い勝負の爆音。耳を塞ぎたくなる衝動を堪えてハンドル操作に集中して目だけでバックミラーを確認する。

 横長のミラーの中では尻尾全体が破裂して、体液と肉を飛び散らせて体を大きく傾けた戦車サソリの姿が映った。砲口から入った銃弾は尻尾の中にある圧縮空気を詰め込む器官に穴を開けた。これはパンパンに膨らんだ風船に針を刺すようなものだ。これで敵の遠距離での主武器は潰れて、火力は半減した。

 この弱点はゲームの時と変わりが無いようで安心した。難易度はアーマーアングラーより上がるが、的確に弱点を突けば戦車サソリはそれほどの脅威ではない。

 脚をよろめかせ、破裂して無くなった尻尾の付け根から大量の体液を吹き出し、それでもサソリは生きている。このまま逃げに移れば確実に逃げ切れるだろうが、手負いの獣が手に負えなくなるのはどこの世界でも共通事項、後顧の憂いを断つためここで確実にトドメを刺す。

 サソリが重症を受けたと見てブレーキペダルを踏んづける。走行から急停止して、慣性の法則で前のめりになる体を腕の力で強引に押さえつけ、上にいる壱火に向って声を上げた。


「トドメを!」

「分かっているっ! 再装填リロード


 いつ拾ったのか、両手に二挺を構え直した壱火はスキルを発動させる。彼女の宣言の直後、彼女の手にあるオートマグと撃ち終わってホルスターに収まっていたハードボーラーから金属の擦れる音が連続して鳴る。大抵の人には馴染みの無い音だけど、自分にはその音が何か解った。弾倉に弾薬が入る音だ。しかもローダー(弾込め用の器具)を使って全弾一気に押し込んだ音に近い。

 充填チャージ――ゲームでは近接戦闘者が力を溜めて攻撃をするときや、魔法の効果を上げるときに力を溜めるスキルだった。それを壱火は銃弾のリロードにも応用して使えるなんて新発見をしている。方法は分からないが、おそらくバッグの中に入れている弾薬を転送しているはずだ。

 再装填をスキルで一瞬にして済ませた壱火は、ルーフから跳び出てパオの車体を蹴って高く跳んだ。その高さは人類の限界を通り越している。プレイヤー達の身体能力は転送される直前の自キャラに準拠するのはこれまで見てきた通り。だとすると壱火の能力もかなりのものだ。


 狙いは分かった。多分それで戦車サソリは倒せる。自分は急にやることが無くなったが、囮役ぐらいは務めておこうと思う。散弾銃を片手に車から降りて、戦車サソリの前に出る。距離は二〇mを切って十五mほどだろうか。口からの散弾を警戒しつつ余裕を持って回避できる距離としてはまずまずの位置取りだ。

 素早く片膝を着いて膝撃ちの姿勢になる。手早くウィンチェスターを構えて、トリガー。使用弾薬は12番ゲージのフレシェット、貫通力を高めるために弾がダーツのような形状をしている弾種だけど、やはり戦車サソリの正面装甲には力不足だった。軽く装甲をヘコませた程度で大した損害は与えられない。

 とはいえ、予想通りなので気にせずレバーを動かして排莢、次弾もその次も撃つ。


 大したダメージでは無いが鬱陶しいようで、サソリは体の向きを変えて自分と正対した。赤く濁る単眼はクモのように複数顔にあって、その全てがこちらを見ていた。複数の目の複数の視線を感じる。

 両のハサミを振りかざし、大きく口が開かれる。二度目の散弾発砲か。でも、それを撃つことは出来そうにない。


「はぁぁぁっ!」


 高く跳んだ壱火が降ってきた。落着する先は戦車サソリの背中の上、サソリを覆っている装甲の中でも一番薄い箇所だ。通常の戦車でも弱点になる真上からの攻撃、トップアタックを壱火は敢行した。


「これがボクのとっておき!」


 空中で手に持った二挺のオートマグの銃口がサソリの背中をマークする。さらに体の各所にあるホルスターから残る八挺の拳銃がひとりでに抜け、彼女の周囲に展開される。まるで見えない腕があるかのように拳銃のスライドは動いて初弾は装填される。

 全ての銃口はサソリを指向、後は壱火の号令ひとつで火を噴く。


「『オーケストラ』だぁっ!」


 空間を埋めつくさんと五種類十挺の拳銃が一斉に銃火と銃声を噴きだした。空薬莢と弾丸を撒き散らし、戦車サソリの背中部分を打ちのめしていく。

 五種類の銃で、三種類の口径を使っているだけに銃声はそれぞれに違う。銃声を楽器に見立て、壱火はそれら銃の指揮者。それだからオーケストラか。初見では一体どんなスキルの応用か詳しくは分からないけど、火力特化なのは間違いない。


 そして戦車サソリにトドメが刺された。

 いくら拳銃弾とはいえ、弱点を突かれてあれだけの集中攻撃を浴びたらひとたまりもない。戦車サソリという名称でも、本物の戦車ほどに硬くはなかった。やはり対処さえ確りしていれば苦戦する敵じゃなかったのだ。

 サソリの背中に着地した壱火は撃ち尽くした銃をしまって、空いた手から柄付きの手榴弾を放っていた。ダメ押しの念押し。追撃までしっかりやるところは、戦闘に手慣れている証拠だ。

 手榴弾をサソリの背中に置くと、また跳躍して背中から飛び降りる。程なく爆発。多脚が傾いて胴体が地面に崩れ落ちた。こちらに視線を向けた幾つもの単眼も色を失って、もう視線を感じなくなる。間違いなく死んだ。戦車サソリの撃滅に成功したのだ。


「ほっ、と」


 高い跳躍から着地へ。自分のすぐ傍にかけ声一つで軽やかに降り立った壱火は、こちらの視線を感じたのか目を合わせてきた。

 一瞬だけ合う自分の金目と彼女の栗色の目。すぐに彼女の目が弧を描いた。


「ぶいっ! 勝利」


 誇らしげにVサインを自分に突き出してニッカリと笑った。

 どこかで見たことあると思ったが、テレビ中継でみた『勝又太一』の試合後の姿と重なっているのを感じた。こんな所も親子なんだな。


「ご苦労様。車に戻って、すぐに出す」


 感心事は感心事として後で時間を作って話をしようと思い、今は置いておく。まずは目的を完遂しよう。パオに戻って運転席に座り、急停止でエンストしたエンジンを再稼働させた。

 壱火は手をVサインの形のまましばらく顔をしかめていたけど、やがて諦めたのか助手席に戻って来た。シートに座りベルトを締める。


「はいはい、じゃあ出発」

「うん」


 何故かなげやり気味になった壱火の声に答えてパオを再出発させた。

 道もだいぶ整ったものになってきたし、ゲアゴジャまでもう少しのところまで来ている。やがて道は森の端を離れて荒野の中へ、その向こうに一度離れた河川都市ゲアゴジャはある。

 そこでやる事は色々できたけど、まずはクリスの招待に間に合うようパオを飛ばそう。エンジンはアクセルを踏んだ運転者の意に応え、穏やかながらも音高く加速する。

 窓や開いたままのルーフから吹き込む風にはいつの間にか水の匂いがするようになっていた。




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