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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Sniper 邦題:山猫は眠らない
53/83

9話 喪家之狗



 ジアトーの街から西へおよそ三〇㎞。街が面している入り江を挟んで対岸にあたる一帯の半島状の土地は、地球ではオリンピック国立公園と呼ばれる自然保護地域になっており、世界的にも珍しい自然環境であることからユネスコの世界自然遺産にも登録されている場所にあたる。

 この世界では自然遺産どころか国立公園にもなっていない土地だったが、自然豊かな場所であるのは共通していた。

 海から吹き込む湿った風が山にぶつかり、ジアトー対岸一帯の半島を大量の雨が降る温帯雨林の気候に仕立てている。

 緑がこれでもかとばかりに生い茂る連山。そこに一人の狩人が世捨て人のように暮らしていた。


 狩人である人物は若い男である。ただ、たくわえた髭とかもし出す疲れたような雰囲気が見た目の年齢をずっと上へと押し上げていた。

 実際彼は疲れている。この一、二ヶ月で見知らぬ世界にやって来て、その後に起こった命のやり取りが彼の精神を急速に摩耗させていった。現在はどうにか静かな暮らしを得ることが出来、すり減った心を癒している最中だった。

 森の入り口にあった丸太小屋を購入し、狩猟と採取を頼みとした自給自足の生活。現代日本の都市部の暮らしに浸かりきった肉体には極めて過酷な暮らしだったが一ヶ月もすると慣れ、生活が軌道に乗ると独り暮しの気ままさが精神の安寧へと繋がっていた。

 願わくばこのまま何事もなく生きていけたら。そう思い、地球から転移してきた男は今日も日々の糧を得るための労働に勤しんでいた。


 今日の男の目的は狩人らしく山鳥の狩猟だ。

 どうもこの世界では狩猟に関係する法律がまだ整備されておらず、監視員やレンジャーといった不法な狩猟を摘発する人間はいないし、狩りをするのに許可証も不要らしかった。だからこそ男のような流れ者が狩人としてやっていけるのだ。その辺りの無法さ加減は彼が密かに感謝している点だ。

 朝食を取り終え、準備を済ませると早速狩りへと出かける。現場までは道が狭いため歩きでの移動だ。


 装備一式を詰めたリュック型のバッグを背負い、肩には狩猟に使うボルトアクションライフル『レミントン・タイプ700』を担いで山道を往く。

 このレミントンは男がゲーム時代から持ち越した武器の一つだったが、狩猟生活を始めるにあたって使用弾薬を変えていた。以前は大型の魔獣を仕留められる30-06スプリングフィールド弾だったが、今後の狩猟生活ではそんなものを相手にする機会はないため.22口径へと変更している。実際、山鳥やウサギ、キツネなどを仕留めるにはそれで充分だ。

 もしこの銃で仕留められない相手が出てきたら逃げに徹すればよい。だからどんなに荷物を詰め込んでも重さが変わらないバッグの存在はありがたいのだ。


 温帯雨林ならではの湿気の多い森の中、苔むしたトウヒやモミの木の横をすり抜けつつ歩くこと三時間。目的地の猟場に着いた。

 そこは小さな池が広がる森の中の水場だ。連山に降った雨が川を作り、海へと流れ込むまでにこうした池や湖がいくつも形成される。ジアトーが面している入り江もそうして出来たものの一つだ。

 男は以前からここを猟場としており、鳥や獣に警戒されないよう池のほとりには狩猟小屋まで建てていた。周囲に溶け込むように建てられた小屋から銃を突き出して狩りを行うのだ。


 獲物に気取られないよう静かに狩猟小屋に入り、中を軽く点検する。何しろ素人があり合せの建材で作った掘っ立て小屋である。少し目を離している間にどんなガタがきているか分かったものではない。

 中に家具や調度は一切無い。狩猟のために姿を隠し、雨風を凌ぐためだけの小屋であるからだ。備品として非常用の缶詰、銃を撃つときに伏射体勢をとった時に使うマット、後は予備の寝袋があるぐらいだ。

 建物にも備品にも異常はない。そう確認すると男は早速狩猟の準備に取りかかった。


 まずはライフルの上部に付属しているスコープから保護用のカバーを剥がして軽く点検。銃本体含めて各部異常はないようだ。

 次にバッグから弾の詰まった箱を取り出してライフルに一発ずつ小指サイズの弾を入れていく。男が持っているレミントンは固定式の弾倉になっており、弾の補充には手で一発ずつが基本だった。戦闘用ならともかく狩猟用ならこれで充分、男はそう割り切っている。

 小屋の唯一の窓で、射撃をするための銃眼にもなっている細い横長の窓から外を窺えば、水場には早くも獲物が集まり出していた。


 今日明日で当面の食料分を確保する予定だ。それなりの数を仕留めておこう。男の頭には当面必要な山鳥の数と手持ちの弾薬の数が浮かんで、仕留められる現実的な数を割り出していた。

 この世界で山暮しを初めて約一ヶ月、彼はプレイヤーとしての超人的な身体能力に助けられながらも逞しく狩人生活を営んでいた。

 だけど、差し込む影は唐突なものだ。当人には知覚できない前触れをもっていきなり目の前に現れるらしい。



 ◆



 狩人の本日の成果は上々だった。午前中だけで陸ガモ三羽、ヤマドリ二羽と大猟だ。それら獲物はすでに血抜きを済ませて小屋の天井に吊している。最初はグロさから戸惑いを覚えた血抜きや解体も今の彼には手慣れたものだ。

 バッグから取り出した弁当でランチを済ませると、狩猟午後の部を始める準備に取りかかる。いや、取りかかろうとしたら思わぬ訪問者が彼の狩猟小屋にやって来た。


「スタン・カイルさん。中にいますか? 私ですよ、リーです」

「っ!!」


 小屋の外からノックと一緒に聞こえた人の声に、弾込め中だった手から弾薬が零れ落ちた。床にぶつかり澄んだ金属音を立てる5.56㎜のライフル弾。この音は当然外にも聞こえている事だろう。つまり居留守は使えない。己の迂闊さを男、スタンは舌打ちして呪った。

 このまま黙っているのも都合が悪く、かといって簡単に迎え入れて良い相手でもない。一ヶ月前にチームを離れたスタンの元に、今になってサブリーダーとも言えるリーがわざわざ訪問する。良い予感が欠片も浮かばない。

 どうするか? しばし板挟みの考えに囚われていたが、やがて諦めたように声を出した。


「入りたければ勝手に入れ、鍵なんて上等なものはないぞ」

「では、失礼しますね」


 素人大工で立て付けの悪い扉が軋みを上げて開く。もうこれらの声と音で周囲の獲物は逃げ散っただろう。少なくとも今日の狩りはお開きだ。

 声に違わず、小屋に入ってきた人物はスタンの知るチームの参謀格リーだ。

 赤毛と細くなっている目以外は特徴の無い容姿は相変わらず。周囲に紛れ込める能力は参謀と言うより暗殺者の方が近いとスタンは思っている。彼は何を考えてか帝国陸軍の軍服を着ており、それが偉く様になっている。何も知らなければ帝国陸軍の士官と言われても不審に思わないほどだ。


「やあ、久しぶりですね。スタン」

「お前のせいで今日の獲物はもう来ないだろう。それを補って充分な話があるんだろうな?」

「鳥を五羽も狩れば充分と思うんですけどね。まあ、腕を鈍らせていないようで何よりです」


 元々細い目をさらに細めて笑顔を作るリーに、スタンは不機嫌に応じる。当然お茶も出さないつもりであり、歓迎する気はさらさら無かった。

 リーはスタンが午前中に狩って天井に吊した鳥を見やり、どこか値踏みするような空気を持って訪問相手を見る。スタンもそれが分かっているから歓迎する気持ちは微塵もなかった。

 微笑の仮面の裏で幾つもの策謀を巡らす。そんなリーをスタンはゲーム時代から反りが合わない人間と見なしていた。その考えはゲームから現実になっても変わらない、どころか一層強くなっている。


「ハンターは射撃が命だ、腕が鈍る余地はない。それより本題は何だ? まさか世間話をしに態々山の中まで来たのか」

「せっかちですね。会話を楽しもうとか思わないんですか? はいはい、本題にいきましょう。貴方好みに手短に言うと、人一人殺して下さい。お得意の狙撃で」

「なん!?」


 殺人の依頼だというのにリーはにこやかに指を一本立てて殺す人数を示す。

 それにスタンは驚き、だが同時に奇妙なくらいに納得した。リーという人物を少しでも知っているなら、こういう真似ぐらいはやってしまうだろうと思わせる部分があるからだ。

 リーはにこやかな顔のまま、聞かれてもいないのに狙撃する標的の話をしていく。町の有力者を殺害して事態を混乱させようとする発想もさることながら、それを顔色一つ変えずに口にしてしまえる精神がスタンには信じられない。


 そう、表には決して出さないがスタンはリーを恐れていた。

 恐れる相手との付き合い方はそう多くない。できるだけ距離を置くか、不興を買わないように従うか。こうして目の前に相手が来てしまった以上、スタンには後者しか残されていなかった。


 こうして水面下の企みは余人の知り得ないところで血肉を得て、いよいよ動き出そうとしていた。



 ◆◆



 覗き込むスコープには遠く三〇〇m先の標的が映っている。見た目は野ウサギだがサイズが異なり、体長二mはある。加えて額の位置から一本の角が生えており、かの有名なRPGゲームに出てくる雑魚モンスターを彷彿とさせる外見だ。

 名前も単純、ツノウサギ。余りにもかのモンスターに似ていたので一時話題にもなった。そしてこの世界でも魔獣であり、今日の食料候補だった。


 ツノウサギはゲームだと序盤に出現する雑魚扱いであるが、ドロップする角がそれなりに高値で売れ、調合や鍛冶にも使えるおいしい相手だった。

 ただし兎の外見は伊達ではないらしく、警戒心がとても強い。常に耳を動かして周囲を警戒し、プレイヤーが近付いた途端文字通り脱兎のごとく逃げ出す。巨大な図体に似合わずその動きは素早く、逃げに徹したツノウサギを捕まえられるプレイヤーはそうはいない。

 なので対ツノウサギの方法としては事前に通り道を探してそこにトラップを仕掛けるか、そうでなければ今の自分の様に相手の探知範囲外からのロングキルを狙ってみるのが上策とされている。

 スコープの中ではツノウサギが周囲を警戒しつつ遅めのランチを食べている。大きな体で立ち上がり、木になっている小ぶりな実を食べていた。獲物の食事時は狩猟側としての絶好の狙い時だ。


 一度スコープから目を離し、隣に控えているジンに目をやる。彼はこちらの視線を受けて軽く頷く。『いつでもどうぞ』という意は充分伝わってきた。

 獲物までの正確な距離は三二〇mといったところ。そこまでは射撃の妨げになる蔦や下草は弾道上に無い。風も良し、頃合いや良し。

 膝撃ちの姿勢で構えるスプリングフィールド・タイプ14に不備は無い。前日に整備は済ませたし、出発前には点検も済ませた。気になる点は仮にも魔獣であるツノウサギが7.62㎜のライフル弾で倒れてくれるかだ。その場合はすぐさま二発目を撃ち込むと決めた。連射が早いのがセミオートライフルの強み、そこを活かす。


 レティクルに捉えたツノウサギを前に自分は呼吸を整えて射撃に入る。

 吸って吐いて。昼間の森の青臭い空気が肺を出入りして、その動きだけでスコープが軽くブレる。ウサギは相変わらず木の実を食べることに忙しい様子。

 吸って、気持ち半分だけ息を吐き出して止める。するとブレが止まり、レティクルはしっかりとウサギの急所、心臓を中心にしたバイタル部分を捉えてロック。

 すかさず引き金を引く。基本セオリー通りにまっすぐ、ソフトに。そして銃声が耳を叩いた。


 銃の反動でブレるスコープの中でツノウサギは狙い通りの場所から血を飛び散らせ、身体を硬直させて地面に倒れた。

 ほぼ思い描いていた通りの射撃に内心大きく頷いた。膝立ちの姿勢から立ち上がり、仕留めたウサギの方向へ軽く感謝の念を飛ばす。


「ミット・リーベ(愛を込めて)」


 愛を込めて弾丸を撃ち、愛を込めてお前を食そう。真摯な気持ちでこの森での狩猟初日を終えた。

 今回は森に慣れる意味合いが強くて獲物を仕留るつもりは無かった。けれどこうして美味しい獲物が現れたとあっては話が変わる。

 別荘地に来て二日目。近場になった放浪樹海でのハンティングはこのようにして上首尾で終えることができた。自分の独り暮しもジンを交えつつではあっても順調な滑り出しだと思っている。

 今夜はこのウサギ肉でどんな料理を作ろうか。献立を考えながら帰る足は、少しだけ弾んでいた。



 ◆◆◆



 仕留めたその場でツノウサギを血抜きワタ抜きしてから解体し、手際よく獲物を『お肉』へと変える。その際に出る内臓やら皮やら骨やらは森の住人達へ進呈、こちらは『お肉』になったツノウサギをクーラーボックスに入れて屋敷へ戻った。

 流石に体長が二mもあるだけに肉の量もかなりのものだ。これでしばらく食いつなぐ事が出来るだろう。

 さっそく今日の夕食よりこの肉を使い始めた。本来なら数日は熟成させないと美味しくならないのがお肉の特性だけど、量が量のため今日の段階から使っていかないと腐らせてしまう。


 夕食の献立については割愛。持ち込んだダッチオーブンで作る取り立てて珍しくもない(元)男料理でしかない。今はその夕食から時間も経っていて、日が長くなった季節でも外はすっかり夜になっている時間だった。

 別荘地には他の住人はいないので、ここから見える別荘には一つの灯りも見えない。それはこの屋敷でも当てはまり、自分は暗くなってもランプやロウソクを使わなかった。いや、使う必要がなかった。

 月詠人としての視界は暗闇でも良好で、外から差し込む少しの光でも日中のような視界が望める。外を見れば、半分になった月が樹の隙間から顔をのぞかせている。

 満月から一週間程で下弦の半月。どうやら月の満ち欠けは地球と同じのようだ。そんなところで奇妙な安心感を覚えた。


 サロンは名士の屋敷らしく、置かれているソファやテーブルは素人目にも上質。普通は庶民らしく気後れしそうな場面だろうが、自分の場合はいちいち気にしても始まらないと割り切って、深々とソファに腰を下ろした。ジンもテーブルを挟んで向かいのソファに丸くなって座る。うん、自分よりも様になっている。

 ハードカバーの本を開いて、グラスには屋敷で見つけた酒を注ぐ。度数の高い酒ならではの香り高い香りが鼻をくすぐる。後はこのまま酒を伴に読書と洒落込むつもりだ。

 グラスに口を付けて一口、灼けるような刺激が舌に乗って口の中をドライにしていく。染み入るような酒精がノドを過ぎていくまでを楽しむ。その間目はずっと本の内容を追っている。本はアストーイアの書店で買ったものの、読む機会に恵まれずにいた詩集だ。


「てろてろと月から流れる光の河、か。変わった表現」


 サロンの窓は大きく取られ、軽く目を上げるだけで今日の月を見ることが出来た。この詩集の作者はこの月光がとろけるものに見えるらしい。自分にはソリッドで鋭いものに感じられる。この違いは中々に興味深い。そんな風に面白く思いつつまたグラスを傾けて酒で喉を灼いた。

 静かな夜を静かに過ごす。これはとても自分の性根に合致した時間の過ごし方。今夜はこのまま夜明けまでこうしていようか、などと思えるくらいに居心地が良い空間だった。

 やはり色々とあっても独りの方が心地良い。そう何度目かの再確認をする時間が流れていった。


 ――そうして……さて、そうして時間がどれくらいたったのか。あんなにソリッドに見えた月明かりが柔らかく緩やかに見えるようになっていた。なるほど、あの詩人はこういう感じに世界が見えていたのかもしれない。納得だ。


「主、ほろ酔い気分のところ済まないが一階から気配を感じた。侵入者だ」

「ん。軽く寝ていたか」


 ジンの声に呼び戻されて視界が焦点を結ぶ。手に持っていた詩集はいつの間にか床に落ちていて、グラスはテーブルの上で空になっていた。うたた寝ぐらいはしていたのだろう。

 鈍る頭のまま、ジンの言葉を反芻してみる。しんにゅうしゃ、新入者、侵入者、つまり敵か。脳内変換に時間がかかる頭を振って息を吐けば、鼻が嫌な酒臭さを嗅ぎつけた。思いの外深酒になってしまったらしい。


「そう言えば、『ルナ』の身体だった。忘れていた」


 身体が違うのに元のペースで飲んだせいで自覚無しに酔いが深くなっていたみたいだ。どうやら『ルナ』の肉体はアルコールにも弱いようだ。

 酔いが回っている手で銃は握りたくはない。でも敵は待ってはくれない。こういう時には、確か『浄化』が効くような話を聞いたことがある。

 酩酊状態も状態異常の一つ、ならそれを解消する呪紋が有効。――ああ、思い出した。あの河川敷でのパーティーの時にエカテリーナさんから聞いた話だった。勧められた酒が断り切れなかった時に酔い潰れないテクニックとして教えて貰った記憶がある。

 ――色々と便利な魔法に化けたものだ。

 『浄化』に対してそんな感想が浮かぶ。酔っている脳は雑多な思考が混ざり合って余計な考えまで回ってしまう。これでは戦闘なんて論外で、一刻も早く正常に戻らなくては。

 酔いで今一つ巡りが悪くなっている頭に術式を呼び出し、手に『浄化』の淡い光が宿る。それをそのまま顔を洗うようにして顔に当てる。すると頭にかかった靄が炭酸の泡のように弾けて消えていく。


「――ふぅ。確かに凄い効果」


 数秒も経てば酒精はすっかり抜け落ちていた。思考もクリアになり、酔いは欠片もなくなっている。

 酔いを楽しみたい時には味気ない代物だけど、今のような緊急時には便利極まりない。酔いが抜けたのを確かめると素早く行動に移る。


『待たせた。行こう』

『了解だ。向こうも動いた気配はない』


 脇に立て掛けていたウィンチェスターを手に取って、立ち上がるのと同時にサロンから駆け出した。もちろん足音は極力殺して静かに速く。ジンも自分より遙かに静かに追従してきている。

 二階廊下から階段、階段から一階廊下へ。フローリングの音の出やすい床の上を神経使い侵入者のいる場所まで足を進める。ここまで来るとジンの言う気配うんぬんよりも、相手の立てる物音が聞こえてきていた。

 場所はキッチン、何やら食器が擦れ合う音や鍋のフタが開く音など物色している音が耳に入ってきた。


 気取られないようキッチンに忍び寄って、音源とは扉一枚を隔てる距離まで接近する。

 極力音を立てないようウィンチェスターのレバーをゆっくり操作して初弾を装填。向こう側では何かを漁っている音が止まることなく続いている。この音がワナでない限りは気付かれた様子はない。

 距離は五mもない。散弾銃なら制圧力を発揮できる間合いだ。このまま突入しても勝ち目はありそうだけど、念を入れてもう一工夫。


『ジン、こちらが銃を向けたら相手に閃光呪紋をしかけて欲しい。指向性と持続性と光量を上げた上で』

『承知した。敵の目を眩ませるのだな』

『そう。反撃も考えられるから照らすときは小さい状態で』


 強力な光を相手の目に当てて目を眩ませて動きを制する。警官辺りがマグライトでやっている手法の真似だ。

 ジンとの示し合わせも済んでついに突入。彼を見やれば軽く頷いてくる。また『いつでもどうぞ』という意味だ。

 扉のノブを回して音を立てないよう静かに開く。向こうもこちらと同じく夜目が利くのか明かりをつけてはいない。光での奇襲にはもってこいだ。

 薄く開けた扉からキッチンを窺うと、奥の方で人影がうずくまった姿勢でいる。魔獣の線は消えたが警戒は緩めない。魔獣よりも人の方が何倍も恐ろしい時が往々にしてあるからだ。


『仕掛けるタイミングは任せて欲しい』

『分かった』

『じゃあ…………今!』


 軽く機を窺って、素早く行動に移った。

 扉を大きく押し開け、同時に足をキッチンに踏み入れてウィンチェスターを構える。この間五秒未満。

 流石にここまですればこちらの存在を知られてしまい、向こうも動きを見せる。それを良いタイミングで閃光呪紋を放って制したのがジンだ。

 強力な照明で顔を照らされた相手は眩しさから動きを縛られてしまう。狙い通りに奇襲は成功した。


「動くなっ!」

「もふっ!?」


 念会話から口での音声に切り替えて、警告を叫ぶ。

 ジンの投げつける光に照らされた相手は、眩しそうに目を細めている女の子だ。見た目は『ルナ』の外見年齢に近く、床に座り込んでいるので今ひとつハッキリしないが身長は彼女のほうが高そうだ。

 顔立ちは整っている分類に入る。人付き合いの苦手な自分が容姿の審美眼など備えてないが、それでも目を惹きつけるものがある。綺麗というよりは可愛い区分だろう。

 左右二つに結っている明るい色の髪に瞳、そして頭頂部には特徴的な三角形の栗毛の耳が生えている。さらに彼女の後ろでは同色の尻尾も揺れている。ゲーム内では人狼族と呼ばれている種族だ。獣人系ではリザードマンを除いて随一のパワー&スピードタイプになる。


 そして服装はというとコメントに困る。内心で少女の服装について一言で言い表すなら『寒そう』だ。

 ゲーム内で『エロ装備』やら『露出強』やらと話題に出ていた装備の一種を彼女は身につけている。ほとんどタンキニタイプの水着と変わらないデザインと露出度で、背中もざっくり出している。その上に拳銃を収めるためのガンベルトやホルスターをあちこちに付けていた。

 二次元や文字列にしか性的興味が湧かない自分だからこの程度の感想で終わっているけれど、これが例えばマサヨシ君のような青春真っ盛りの男子だったら目の毒でしかないはずだ。目のやり場に困ってまともに姿が見られない彼の様子が簡単にイメージできる。


 そんな少女が手に持っているのは右手にスプーン、左手には自分が屋敷に持ち込んだダッチオーブンがあって中身は夕食で作った余り。明日の朝食には別の料理に作り直して食べる予定だった。

 次に彼女の顔、特に口元を見れば食事中だったのか頬を膨らませて食べ物を詰め込んでいるし、唇には使ったトマトソースが付いている。

 どう見ても盗み食いが発覚したイタズラ小僧の図にしか見えない。この光景だけで緊張感が四割ほど持っていかれた気分だ。思わず銃口を下げそうになる。


「もご、ふごごいで。もごふご」

「口の中のもの全部食べてから言って」

「――――んぐ。……殺さないでくれよ、ボクはただお腹が空いて、この家から良い匂いがしたから……」

「だからといって他人の住処に忍び込んで良いものではあるまい。撃ち殺されても文句は言えんな。主、この者をどうする?」

「まずは武装解除」

「そうだな。ではこの身がチェックするので妙な動きを見せたら構わず撃ってくれ」

「了解」

「うううぅぅ。使い魔とはいえ猫にボディチェックされる僕って……うわぁ! 触手!? どこのエロゲだよ」


 ジンが少女に近づき、展開した触腕で彼女の武装を外していく。もちろん閃光呪紋も維持しており、相手が光に慣れる前に解除を終わらせるつもりのようだ。自分も散弾銃を構えなおして少女の頭に銃口をポイントする。怪しい挙動があれば一発で仕留められるようにだ。


「スプーンと鍋は床に置いて。手は頭の後ろに」

「まるっきり犯罪者扱い」

「住居不法侵入の立派な犯罪者じゃないか。しかもこんな武器を持っていれば武装強盗として扱われるな」

「それはゲームの時から持っていたもんだし、身を守るには必要だったし」

「身を守るにしてもハンドガンばかり十挺も持ち歩く必要があるのか? ここまでするぐらいなら素直にサブマシンガン持てばいいものを」

「格好イイじゃないか、ビリー・コノリーみたいで」

「あれは六挺拳銃。増量すれば良いってものじゃない」

「おおっ! 分かるわけないって思って言ったのに」

「……何か疲れてくる」


 こちらの指示に従って大人しくしてくれる少女だったが、口は大人しくなかった。お喋りはあまり好まない手合いの自分には、こういう少女は少し苦手なためほとんどの対応はジンがしてくれた。

 武装解除も無事終わり、自分の足元には少女の武器だった十挺もの拳銃が転がっている。


 まずは有名なベレッタ92のライセンス生産モデル、ブラジルはタウルス社のPT92がモデル元の『タウルス92』。オーストリアのステアー社が1981年に開発したステアーGBがモデルの『ステアーGB18』。チェコスロバキア軍が1952年に制式採用した軍用拳銃Cz52がモデルの『Cz52』。アメリカのAMT社が開発したガバメントのクローンで有名映画にも出ていたAMTハードボーラーがモデルの『ハードボーラー』。最後は同じくアメリカのAM社が開発した世界初のマグナムオートで一世を風靡したオートマグがモデルになった『オートマグ.44』。

 以上五種類を二挺ずつ、合計十挺の拳銃を目の前の少女は持ち歩いていたのだ。昔のB級アクション映画の影響を受けているらしいが、よくこんなお馬鹿装備で生き残れたものだと思ってしまう。


 そして話を聞いてすぐ分かったが、ゲーム『エバーエーアデ』でプレイヤーだったのはほぼ確実だ。銃口を向けた時の反応からして戦闘に関しては素人と推測できるが、身体能力や保有スキルを勘案すれば脅威度は高い。

 この少女がジアトーの暴徒達のような思考回路の持ち主だったり、この瞬間にでも襲ってくる事があれば殺害による無力化も考えなければいけない。

 手にある散弾銃以外に腰のモーゼル拳銃、ナイフにもすぐ抜ける位置にあって意識を割り振っている。


「それで、お前は何者だ? 主と同じ元プレイヤーなのは理解できるが、何でこんな人気のない土地までやって来た? 目的は」

「ボクは単にお腹を空かせてあちこちフラフラして来ただけなんだよ。目的も何も……って、話しながらロープで縛るなっ!」

「動くな。でなければ撃つ」


 拘束のため、ジンが荷物にあったザイルで少女を縛ろうとする。当然ながら彼女は抵抗しようとするが、これを自分が銃口で黙らせる。

 出来る限り低く抑えた声を意識したお陰で声による恫喝も効果があったかもしれない。少女はすぐに大人しくなった。


「大人しくして助かる。ああ、基本的な事を聞きそびれていた。お前、名前は?」

「……壱火」


 おや? 少女の名前を聞いた途端、脳裏に引っかかりを覚えた。自分は前にもこの名前を聞いた覚えがあるみたいだ。だけどどこで?

 ジンと壱火と名乗った少女のやり取りを横に自分は記憶を手繰り寄せる。

 少なくともこの世界に来てからで……割と最近……身近にいた人物にとっての重要な手がかり――あ。


「思い出したっ」

「え?」

「どうかしたのか主。急に声を出して」

「ジン、拘束は取り止め。町の警察にでも届けだそうと思ったけど、それも取り止め」

「何、どういう事だ。この少女は主にとって重要な何かなのか?」

「そう」


 そう、この少女は重要な人物になる。少なくとも今もアストーイアの町で息子の行方を捜しているレイモンドにとっては。

 壱火。それはレイモンドが捜している息子のゲーム上の名前だ。基本『エバーエーアデ』ではプレイヤーの名前は重複しないようになっているからこの可能性高い。

 ここで壱火を殺してしまうのは論外、敵意を持たれるのも悪手だ。

 ここで向けていた銃口を初めて下ろし、手近にあったランプに火を灯した。アルコールを吸い上げた芯が焼けて火を上げるランプは、さっきまでジンが灯していた閃光呪紋よりも暗くて柔らかい明かりを周囲に投げかけている。

 この間にジンの手で拘束が解かれた壱火は、納得がいかない顔で床から立ち上がった。やはり自分よりも背は高い。


「ちゃんとした食事の用意をしよう。話は食べながらでいい?」

「あ、ああ。てか、何? この変化の急激さ」

「ジン、一応は彼女を見張っていて。ここで逃げ出されても話がややこしくなる」

「む、承知した。説明はあるのだな?」

「ある」


 壱火が床に置いたダッチオーブンの中身を再利用して、朝食に予定していたものを作ろうか。彼女が空腹なのは確かなので、食事で釘付けにしつつ話をしていこう。

 つらつらと頭は考えをまとめていき、唐突に始まってしまったこのアクシデントに対応する方法を模索する。体はキッチンに向かい、壱火に与える夜食を作ろうと手先を躍らせた。

 途中一度だけジンと壱火には聞こえないようにして大きく溜息を吐く。自分が愛する静かな暮らしは二日しか続かなかった。これにどんな感情を向ければ良いか分からず、ただ胸の奥に溜まった無形のしこりを吐き出したく溜息が出ていたみたいだ。


「何がともあれありがたや、かな? マジ感謝だよ。そういえば、あんたの名前聞いてないんだけど」

「私はルナ、ルナ・ルクス。こっちは使い魔のジン」

「うん、よろしく」


 現金なもので食事の匂いが濃くなった辺りで壱火は元気になっていた。

 静かに暮らしていけるはずの日々はわずか二日で終了。もう一度取り戻せるかは自分次第だ。溜息を吐きつつも諦めるにはまだ早い。早速明日から行動を始めよう。

 ひとまず前向きな考えが持てたところで手にしたダッチオーブンを火にかけ、夜食作りを始めるのだった。




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