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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Sniper 邦題:山猫は眠らない
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6話 愛別離苦



 日の出前の空は濃い青色に染まっている。世に言うブルーアワー。短くも幻想的な時間帯だ。

 夜の暗さや、明け方夕方の赤さ、昼間の青い空、そのどれとも違う濃い青色の空気がなんとも言えない独特の雰囲気を町に漂わせている。これは大気のレイリー散乱やオゾンの吸収スペクトルなどが要因なのだが、色々理屈をこねるのも無粋でしかない。

 ただ素直に夜明け前の瑠璃色の空気を感じたい。旅立ちにはとても良いロケーションなのだから。


「今日も晴れか」

「それはそうでしょう。今は6月、雨が降るのは10月からですよ。雨期はまだ先、これから9月までは行楽に良いシーズンです」

「そんなシーズンに戦争とは。確かに行軍もしやすそうだけど」


 二週間近くお世話になったホテルの前で空を見上げている。ここには自分以外に使い魔のジンと、クリストフの代理として見送りに来たというエカテリーナの三者しかいない。

 瑠璃色の空には雲は少なく、雨が降る気配は微塵もない。エカテリーナも言うように行楽するには良いシーズンだし、同時に軍隊を動かすにも良い時期だ。帝国が今の時期を選んで侵攻してきたのもこの辺り無関係ではないはず。

 天候は申し分ないと分かったので、視線を下げて自分の隣に停車している車に目を向ける。これが昨日クリストフが用立てると言っていた車で、エカテリーナがここまで乗って来てくれた。昨日の今日でこのレスポンスの早さ、フットワークの軽さに驚くばかりだ。

 すでに一通り点検は済ませて、現金一括で支払いも済ませている。一緒に持ち込まれた登録書にもサインも済ませてこれで納車、この車はすでに自分のものだ。


「……それにしても、パオか」

「ええ。アードラーライヒ帝国の国民車計画で開発されたタイプ1、PAOですね。我が国にも相当数輸入されていましたけど、今回の帝国侵攻でイメージダウンを恐れた多くのオーナーが手放したそうです。これもその内の一台で同胞の一人が顔役のクリス様に下取りの仲介をお願いしたものになります」

「なるほど……」


 上下開きのバックドア、開閉式の三角窓、外ヒンジのドア、パイプ状のバンパーなどなど、全体的にレトロ色が濃いこの車がこれからの愛車になる車、パオだ。

 地球でなら一九八九年に日産が期間限定で生産していた車種だけど、この世界では帝国が国民車として開発、生産して大々的に発表したものらしい。話だけ聞くとまるでドイツのフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)みたいな経歴だ。

 何かとレトロな雰囲気を感じるこの世界にあって、レトロ調のパオは違和感なく溶け込んでいる。日産製ではラインナップに無かった黒いカラーリングもシックな感じで悪くない。外見から分かる決定的に違う点は、こちらの交通法規上左ハンドルのところか。

 ともあれ、総じて趣あるものなので見た早々に気に入った。


「ルナ様、これに乗っていると帝国に反感を持つ良からぬ輩に謂われのない暴力を受ける可能性があります。どうかご注意を」

「分かった。もうそろそろ行くから」

「はい、道中ご無事で」


 さっそく運転席に乗り込み出発だ。

 荷物のほとんどはバッグのお陰で場所を取らずに収まっているし、残りも後ろのスペースで充分足りている。ジンも助手席で丸くなっており、以前の轍を踏まないよう燃料も確認して満タンにしてある。目的地までの地理も問題ない。頭に入っているし、地図も用意されている。不備は全く無く、道も早朝ということでガラガラに空いて順調なドライブが見込めるだろう。

 キーを回してエンジンに点火。プラグやバッテリーに問題はないので、あっさりとエンジンは目覚めの鳴き声をあげた。基本大衆車なのでスポーツカーに比べると排気音は大人しい。けれどエンジン音にも排気音にも異音や異常はないので良しとした。

 ヘッドライトを点けてギアをニュートラルからローへ、サイドブレーキを解除、これで何時でも走り出せる。


「ついたら連絡を入れます。確か電話は引いてあったとか?」

「ええ。ですけど、電気はありませんし、水は井戸、ガスはボンベにある分だけです。万が一別邸の電話が使えなくても近くに公衆電話があるのでそれで」

「分かった」

「それではしばしのお別――」

「ちょぉぉぉっっと、待っっっったぁぁぁ!!」


 準備完了、いざ出発する段になった時、夜明け前の時間帯をまったく考えない大音量の声が轟く。ホテルの正面玄関の扉が大きく弾けて、その向こうから大柄な体の人影がこっちに向って飛びだしてきた。

 どう見てもそれはマサヨシ君である。昨日はあれから一言も話さないほどに落ち込んでいたのに、今はピンピンした様子だ。元気なのは喜ばしいが、このタイミングで現れたのは実に喜ばしくない。出来れば彼には出発するまでベッドで寝こけて欲しかった。

 マサヨシ君は車の正面、道の真ん中に立つと、通せんぼするように腕を大きく広げて立ち塞がるポーズを取った。


「お早うマサヨシ君。ところで、君がそこにいると車が出せない。どいてくれない?」

「嫌っす。どくと町を出て行くんでしょう? だったら通せませんし、通さないっす」

「……バレてるか」


 駄目もとでとぼけてみせたが無駄だった。溜め息をひとつ吐いて、車を降りてマサヨシ君と正対する。

 大柄な彼の顔を見上げる形で合わせる。昔から自分は人と顔を合せて話をするのが苦手だったが、これはとびきり苦手な話になりそうな予感が今からしていた。

 顔を合せてもお互い口を開かない時間が流れて数秒。こちらは言い出す言葉が見つからない中、マサヨシ君から口を開いた。


「さっき起き抜けでオッサンから話を聞いたっす。なんで出て行くんすか」

「レイモンドから聞いていない? この土地がもう安全じゃなくなったからだ」

「聞いているっす。ライアさんの幻獣楽団のところに行くんすよね。でも、なんでルナさんは一緒じゃないんっすかっ!」

「逆に聞くけど、私が一緒じゃないといけない理由は?」

「――え?」


 こちらの質問にマサヨシ君は不意を打たれたように目を見開いた。

 軽く息を吐いて、唇を軽く舌で舐めて湿らせる。長い台詞を口にする習慣はないので口が乾く。


「私達はジアトーからここまで安全地帯を目標にして行動してきた。でも、前提がもう違うのは昨日の事で理解したはず。安全地帯は探すのではなく、自ら確保するものになった。ライアさんと一緒に行動すればその確保も出来るようになるはずだ。ただ、私は一緒に行動するつもりはないけど」

「だから、なんでなんすか。一緒じゃダメなんすか」

「人が多いのは苦手だ。そしてこれは私の我が儘なのも自覚している。だからさっさと姿を消すつもりだった」

「マジで我が儘っすね」

「これについては返す言葉もない。でも、だからと言って止めるつもりもないよ。話は終わりだ、私は行く」

「ちょ、ちょっと待った」


 会話は終わりのつもりでマサヨシ君と合った視線を切って車のドアを開けた。そこを彼の大きな手がドアを押えて閉めるのを妨害してきた。大柄な体に相応しい膂力をもって抑えられたドアはピクリとも動かない。

 ドアを開ける姿勢のまま首を回してマサヨシ君に向き直る。その表情は誰が見ても固い意思が見て取れるだろう。「行かせたくない」マサヨシ君の表情は言葉以上に物語っていた。


「ルナさん、どうしても行くんすか」

「ああ」

「みんなと一緒じゃダメって、大勢の人が苦手ってだけでですか」

「マサヨシ君、君は『だけ』って言うけど、私にとっては大人数の人間に囲まれる環境は結構苦痛なんだよ」

「あ、そうなんすか。で、でも……オレは行くなら行くで一言欲しかったっす」

「……」


 さすがに黙って出て行くことは義理を欠いており反省するべき点だ。これは別れる別れないという事でゴタゴタがあるのを避けたかったがための行動だったけど、こうしてバレるとより面倒になってしまう。なにより、この感情が湧き立って体の芯が締めつけられるような感触はやった事を後悔するには充分な気分の悪さだ。


「そこは素直にすまないと思っている」

「だったら!」

「でも、出立は止めない。マサヨシ君、手を離して」


 すでに運転席に座ってシートベルトも締めている。後はドアを閉めればいいのだけど、マサヨシ君がそれをさせない。こちらでドアを引いてもビクともしない辺り、彼の腕力は相当なものだ。

 助手席ではジンが今にも動く気配を見せている。自分の命があればすぐにでも彼を触腕で叩き落とすだろう。しかし別離は自分の手でするものだ。その考えがあるのでジンに命ずるつもりはない。

 それにしても、何がマサヨシ君をここまで突き動かすのだろうか。他人である自分一人程度どこに行こうと構うものじゃないのに。


「マサヨシ君、さっきも聞いたけど君には私が一緒じゃないと駄目な理由があるの?」

「そ、それは……」


 気になって単刀直入に聞いてみたけど、彼の反応はしどろもどろだ。鳶色の目を明後日の方向に向けて全力で言葉を探している。

 しばらくして何かに思い至ったのか驚いたような顔をして私を見る。そしてそのまましばらくマサヨシ君の動きが固まって時間だけが流れる。車のエンジン音だけがこの場に目立つ音をたてる。

 この膠着状態を見かねたのか、傍で見ていたエカテリーナが口を開いた。


「ルナ様、そろそろ日が出てくる頃合いです。出立はお早めに」

「そうだね。マサヨシ君、いい加減手を離して」

「――あ、う」


 声をかけると彼は、さっきまでの頑固さが嘘のようにドアから手を離した。それなりに勢いをつけて閉められたドアは、しっかりとロックされて閉じた。

 開いた窓からマサヨシ君を見上げるが、まだ呆けているように立っている。あの一瞬で彼の中で何があったのかは分からない。けれど、あれほど強く自分の出立を止めていた態度が崩れるほど強烈な変化があったのだろう。どこまでいっても他人の推測に過ぎないが。

 今度こそ出発だ。ギアを入れ、クラッチを入れ、アクセルを踏むとエンジンの音を高鳴らせてパオはゆっくりと発進した。


「じゃあエカテリーナさん、ここまで色々とありがとうございました。現地に着いたら連絡します」

「はい、道中お気をつけて。夜明け前にいうのもなんですが、貴女に夜の加護があらんことを祈ります」

「あ、ありがとう?」


 次いでジンに顔を向けると、彼は無言で頷いて出発を促してきた。それにはこちらも無言で頷きを返して車の速度に拍車をかけた。

 その直前、固まった姿勢で棒立ちだったマサヨシ君が再起動する。すでに後ろの窓の向こうの姿になった彼は、バックミラーの中で大きく声を張り上げる体勢になった。


「ルナさんっ! 絶対また会うっすよ! オレは! ルナさんを――」


 日の出前の早朝とは思えない大音量の声が後ろから追いかけてきた。内容は再会の約束。わざわざ大声で言わずとも念会話で済ませれば良いものなのに彼は生の声で伝えてきた。

 おそらく念会話に思い至らなかっただけなんだろうが、それでも聞こえてくる生の声は念会話よりも訴えてくる何かがある。こうなると後半部分が聞き取れなかったのが少し惜しいと思ってしまうくらいだ。

 そうしてそのまま手を振るなどと気の利いた真似など出来る訳もなく、バックミラーの中で小さくなっていくマサヨシ君の姿を見ていた。


「名残惜しいのか?」


 車が角を曲がってミラーからマサヨシ君の姿が消えたところで助手席のジンが声をかけてきた。

 この問いかけも批難や指摘といった響きは感じられず、ただ純粋に自分の表情を見たために聞いてきた風に思われる。

 薄々気付いていたが、彼は時としてこういう『鏡』のような性質を持っていた。自分の気持ちを映す鏡面、普段だったら苦手な性質なのになぜかジンだと受け入れられる。彼の問いに答えることで自分の気持ちを振り返ることができた。


「そうだね。もしかしたら私達はこのままずっとパーティを組んでやっていくのかも、と考えていた部分があるのは否定できないよ。でも同時に何時かは別れると思っていた」

「その何時かが今と?」

「時期としても潮時だったと思う」


 自分の答えにジンは一度大げさに金色の目を瞬かせると、次に目を細めた。やはり猫顔からは心情など推し量れないけれど、返ってきた声に不満の響きはなかった。


「そうか、主がそう決断したならばこの身から言う事はない。さて、到着まで時間はかかるのだろう? 少し休ませてもらう」

「ああ。お休み」


 丸くなって静かに目を閉じたジンを視界の端に見てハンドルを握る。小さな町なだけにパオはすでに市街地を出ていた。

 そう、今が潮時なのだ。争乱や現地人の排斥機運のただ中であのままの生活ができるはずもない。いずれ何処かで大きく動く必要があり、その時にマサヨシ君や水鈴さんと一緒に行動できるかと考えると難しい。

 多人数の集団で動くのが苦手になっている自分はきっと精神的苦痛の余り逃げるだろう。今のような少人数なら問題無いがそれが十人、二十人となればよほど居心地が良い環境でないと長続きしない。

 だからこうなる未来は結構前から予見できていたので、感情面で大きく動くものはなかった。ただ、マサヨシ君の大声には思うところはある。


「また、か」


 再会できる保証はどこにもない。むしろ争乱に向う情勢下では難易度は跳ね上がる。しかし、それでも不思議とネガティブな想定は浮かんでこない。これが単なる楽観思考なのか未来予想なのかは分からないが、どちらであっても今は構わなかった。

 ギアをさらに上げてトップにしてさらに車を加速させると、窓から見える風景も流れる速度を増していく。風景の色は時間が経つごとに青味が抜けていき、明るさをましていく。

 そして東の空に燦然と輝く太陽が顔を出して朝がやって来た。


 月詠人としての身体が黄金の陽の光で重苦を感じるようになっていく中、自分は馴染み始めた港町を後にした。遠くなっていく町並み。それを見てここまで過ごしてきた日々を思う。

 随分長いこと感じていなかった生の人との触れ合いは、自分にとって存外悪くない代物だったのだと認識させてくれた。そう、それは宝石箱の様なとまではいかないけれど、温かい日だまりのような日々だった。

 だからこそ触れ難い、だからこそ離れたくなるのだった。



 ◆



 ルナ・ルクスがアストーイアの町を出たのと同じ日、北の地ジアトーでは帝国軍の占領に抵抗するレジスタンスの活動拠点が一つ潰されようとしていた。

 アードラーライヒ帝国軍が侵攻、占領してからしばらくするとジアトーの各所で活動を始めた抵抗運動がレジスタンスになる。彼らは街を帝国軍から奪取しようとゲリラ活動を展開し、進軍する帝国軍の後背地を脅かしていた。

 当然として帝国軍もこれに対処するべく街のパトロールは頻繁に行われ、重要施設の警備は厳重なものになった。それでもレジスタンスの活動は終息することなく続いているのは構成員のほとんどが元プレイヤーのためだ。

 プレイヤー達の保有する能力は現地の軍人の能力を大きく上回っているため、局所的な個人戦に持ち込めばレジスタンス側に軍配が上がるのだ。

 これに対する帝国軍はさらなる対処としてレジスタンス側と拮抗するだけの能力を持つ集団と契約を結び、傭兵として雇い入れた。それが現在のチーム『Mr.So・And・So』の立ち位置だ。


「リーダー、全員配置についたぞ」

「ああ。それじゃあ、何時ものとおりにいくか」


 ジアトー市街地、水産加工の工場が立ち並ぶ地区の一画でS・A・Sのリーダー、ストライフはチームメンバーの報告に大きく頷いて行動を開始しようといた。

 彼らの目標は目の前にある古ぼけた缶詰工場だ。レンガ造りで年季の入った風合いの工場建屋は日本だと文化財に指定されそうだ。この工場がレジスタンスの拠点の一つだというのはすでに調べがついており、今から彼らは突入を仕掛けるのだ。

 ストライフは背中に手を回して大剣の柄を握って抜き出す。彼の身長ほどもある長大な両刃の剣身が姿を現わし、日の光を受けて鈍い輝きを周囲に放つ。


 傍にいたメンバーも手にサブマシンガンを持って念会話で周囲に展開している他のメンバーへ突入の連絡を送った。それを合図にして周囲に潜んでいるメンバー達も各々の武器を手に突入に備える。

 帝国軍に雇われ、すでに何回ものレジスタンス制圧作戦に従事してきたS・A・S。彼らの一連の動きは手慣れたものになっていた。


 大剣を手にしたストライフはおもむろに足を進め、歩行はすぐに走行、走行はさらに加速されて疾走になる。

 彼が突っ込む先は工場の搬入口、トラックや機材が出入りする場所に据えられた金属の扉は大きく重い。本来は油圧などで開閉する仕組みになっているその大扉にストライフは文字通り切り込んでいった。


「はぁぁぁっ!」


 裂帛の気合いの声。それと共に振りかぶられた大剣は大扉に盛大な大音量を上げて振り落とされた。

 金属のひしゃげる音、金属が裁断され擦れ合う音と一緒に火花が散る。そして大音量を上げて重量感たっぷりの大扉は両断されてしまった。ストライフはその扉に足を乗せ、内部へと倒れる扉と一緒に工場に踏み込む。

 大扉が倒れた風圧で土煙やホコリが舞い上がりストライフの視界はふさがる。照明は消されており、窓からの明かりがあっても工場内部は薄暗く見通せない。

 暗順応で暗闇に彼の目が馴れるその前に暗闇の向こうから無数の銃弾、さらには攻撃魔法が飛んできた。


 連続する銃声、暗闇で幾つも光るマズルフラッシュ、暗闇に線を描く曳光弾トレーサーの灯り、銃の作動音も多数鳴り響き、これに加えて次々と着弾する攻撃魔法の破壊音が辺り一帯に鳴り響く。

 人を対象とするなら明らかに過剰殺傷オーバーキル確定の飽和攻撃をストライフは大剣一本で捌ききってみせる。

 最小の動作で飛来物を回避して、避けきれないものは剣で弾く、飛んでくる魔法も剣で斬り捨てて霧散させ、それらの動きを高速の体捌きで次々とこなしで飽和攻撃を凌いでいく。その最中、ストライフの口元はわずかに笑みの形に歪む。


 時間にして約十秒で銃弾と魔法の集中豪雨は始まった時と同じく唐突に止んだ。弾切れ、魔力切れで攻撃側もこれ以上の攻撃は続かなかったのだろう。

 そして攻撃を一身に浴びていたストライフはというと、かすり傷と少しばかりの着衣の損傷以外に目立った被害はなかった。彼は大量の弾丸と魔法を体術と剣技のみでほぼ無傷に防ぎきったのだ。

 防御が終われば今度は攻撃のターン。ストライフは大剣をその場で大きく一回転させて構え直し、工場の中を見渡した。

 製造機や柱の物影、あるいは天井近くのキャットウォーク、フォークリフトに積まれたコンテナ、上手く隠れているつもりだろうが彼の目は誤魔化せない。

 散歩するような足取りで無造作に一歩を踏みだして、続く二歩目からは残像も残さない高速の踏み込みに切り替わった。

 コンクリートの床が履いている靴の形に砕けるほどの跳躍。破砕音すら置き去りにするはやさでストライフの体を弾き飛ばす。反撃の始まりだ。


 工場にいたレジスタンス達の目にはコマ落しにしか見えない高速移動。踏み込みの音が工場の中で反響する時には、最初の犠牲者ができていた。

 二回目のコンクリートが砕ける音が鳴ってレジスタンス達が慌ててそちらに顔を向ければ、コンクリートの柱の裏に隠れていたメンバーを柱ごと斬り倒す敵の姿が見えた。

 体を上下に切り分けられ、血と内臓をこぼしながら倒れる仲間の姿にレジスタンス達は思わず動きを止めてしまう。ストライフはそんな彼らのひるみを見逃さずに突く。


 まずは近くに居た魔法使い装備の男に一足で近寄り、横薙ぎに首を刎ねる。斬り飛ばされた首から血が噴き出す前にさらに一足跳びに移動、そこにあった製造機に剣を突き入れて物影にいた女ガンナーの胸板もろとも突き壊す。心肺機能を破壊された女ガンナーが血反吐を吐く前にさらに動く。無造作に大剣を引っこ抜き、そのすぐ横で呆然としている男性に向って剣を振り上げる。


「――あ」


 ようやく呆然とした状態から抜け出せた男性だったが、今度は目の前にいる敵の姿に固まってしまった。もちろんストライフはそんな相手に気遣うはずもない。振り上げられた大剣は凄惨に打ち落とされた。


「四人か。少ないけど、まあいい」


 突入後三十秒、反撃に転じてからはわずか五秒で成したスコアにストライフは若干不満気味だ。バトンのように手の内の動きだけで大剣を縦に一回転、剣先から血が振り飛ばされる。その下には凄まじい圧力でプレスされて平たい肉塊になった男の死体が血溜まりに沈んでいた。

 もう一度彼は工場の内を見渡す。突入の際の一瞬のひるみを見逃さなかったのはリーダー一人だけではなかった。外で待機していたS・A・Sのチームメンバー達もストライフに続いて次々と突入して、工場の各所で戦闘が起こっていた。

 あちこちで鳴り渡る銃声は耳を聾するレベルにまでなり、悲鳴や怒号がこれに混じる。建屋内の臭いも缶詰工場らしい食品の匂いから血生臭いものへと変化していた。狭い空間で巻き起こる戦闘は短い時間で激化していく。


「ストライフぅぅっ!」

「うん?」


 自身を呼ぶ声に振り返れば、重機関銃を無理矢理抱えた若い男がよろけながら歩いてきていた。彼の表情は怒りの一色のみで、目はストライフしか見えていない。どう見ても敵のレジスタンスだ。

 男が手に持つ重機関銃は現代の軍隊から見たら骨董品の水冷式機関銃、ヴィッカースだ。陣地に据え置く運用で作られているため本体だけでも一〇㎏以上、これに弾薬と冷却用の水も含めれば相当な重量のはずだ。男の足元がよろけるのも当然、と思いきや別の原因があった。

 彼の足を伝って床に血が流れている。しかもその量は明らかに致死量で、常人を超える身体能力を持ったプレイヤーの肉体を持ってしても死を免れないほど。この戦闘の中でS・A・Sの誰かにやられたのだろう。余命あと数秒、それでも目の前の敵を道連れにしようと男は足掻いている。

 敵に鬼気迫る表情を向けられたストライフの反応はしかし、突入直後のものから一転して冷めたものになっていた。


「やれやれ、誰だ仕留め損なった奴は。しっかり止めを刺せと言っているのに」

「ふ……ふざけるな。その余裕ぶった顔、蜂の巣にしてやる」


 腰だめに構えられた機関銃の銃口がストライフに向けられ、給弾口からぶら下がる弾薬ベルトが男のふらつきに合わせて左右に揺れる。トリガーにはもう指がかかっていて、後は指先の力だけでヴィッカースは火を吹く。

 だというのにストライフは目の前の男に対して興味はなかった。ただの銃弾程度は問題無く捌けるだけの能力はあるし、放って置いてもすぐに死ぬ相手だ。

 関心がない態度を見せられて今にも激高で機関銃を乱射しかねない男の後ろ、音もなく素早い速度で近寄ってきた人影。それが男の死神だった。


「死――あ、れ?」


 惨殺は戦闘音が鳴り渡る中にあってとても静かで恐ろしく速やかだった。

 後ろから頸部を切断、両方の肩の関節にも刃が通って寸断、引き金にかかっていた指は手ごと関節に沿って解体とここまでにかかった時間はわずかに一秒未満。

 支える腕が切り落とされて機関銃が床に重い音をたてて転がった時には、首と腕のない死体が立ったままの姿勢で固まって奇妙なトルソーになっていた。

 その生々しいトルソーも三秒後には自身の死をようやく思い出したのか、切断面から血を噴きながら床に転がった。


「死兵とはな。つまらんものを斬った」

「震電か。もしかして仕留め損なったのはお前?」

「まさか。こいつは遊び好きのユージの仕業だ。あとでそちらから言ってやれ。あと、ここはもうほとんど片付いた。後は掃除みたいなもの故、某は帰る。それだけを伝えに来た」

「自由だな、お前ら」

「無論。遊興こそが我らの原動力みたいなものだからなあ」


 倒れた死体のすぐ後ろに幽鬼のように現れた侍スタイルの男、この一ヶ月でチーム内屈指の戦闘狂となった震電だ。

 斬り捨てた相手には目もくれず、悪びれもせず、むしろ戦闘の空気を堪能し終えたような表情をしている震電は手に持った刀を鞘に納めると、満足そうな表情のまま工場の出入り口へ去っていった。宣言通りにチームの本拠地へ帰るみたいだ。

 彼は人を斬る事にしか興味は無く、それ以外の略奪や陵辱といったものは視界に入らない。すでに戦闘から略奪に場の空気が変わり始めたここは震電にしてみれば用の済んだ場所らしい。

 この震電に代表されるように、S・A・Sは一癖も二癖もあるメンバーばかりのチームだ。さらにここ一ヶ月の暴動と混乱による戦闘は、チームを狼の群れに仕立て上げている。最近では雇っている帝国軍からも遠ざけられるくらいに嫌われていた。


「事を起こすならそろそろ頃合いか。元々短い付き合いと思っていたけど一ヶ月程度とはな」


 震電を見送ったストライフは自分だけに聞こえる声で呟く。

 彼には彼で計画はある。参謀役のリーよりアイディアと助言を貰い、チームで肉付けをしていく計画。そのために街一つと大勢のプレイヤーを生け贄にして、その上で今度は帝国軍さえ餌食にする必要がある。今はその時期を見計らう時だった。

 視線を震電の去った出入り口から工場内部に戻すと、チームのメンバー達がめいめい好き勝手に暴れ始めていた。彼らは当初の作戦目標はすでに達せられたら後は好きにして良いと言われているので、その行動は過熱していく。


 レジスタンスのメンバー達を銃や魔法の的にしてリンチ、女性メンバーを大勢で囲んで陵辱、自身のスキルの実験台、といった数々の陰惨な真似ぐらいは当たり前に行われており、その過程で出来た死体は召喚術で喚んだ獣のエサになっていた。

 ストライフの見える中で物珍しいものは、捕らえたレジスタンスのメンバー同士を殺し合わせる遊興で、どちらが勝つか賭けまでされていた。漏れ聞こえる声を拾ってみれば、対戦者の二人は親しい友人同士だとか。お互いに躊躇い泣きながら傷付け合う様子は観客達に大いに受けていた。

 やがて決着がつけば観客は賭けに勝った負けたと騒ぎ、その騒ぎの中で勝った側も殺されて処分された。チームの一人がおもむろに呆然としている勝者を後ろから拳銃で一発。その様子はストライフが昔見た家畜の屠殺場面よりあっけない。そしてその光景をS・A・Sの誰も気に留めなかった。


「……後はリーの合流を待って準備を整えるか」


 南に作戦のため出張っているリーの冷徹で合理的な意見を取り入れてから事は起こしたい。慎重派なストライフはこれからについて思考をまとめると、また視線を出入り口に向け直した。

 日没前に作戦を始めて、日没直後に作戦が終わった。彼が見上げる空は太陽の残照も去り、濃く青い夜空未満のブルーアワーになっていた。

 日の入り後の空を見上げつつ、ストライフは緩やかに激動へと向う情勢を夢想する。それはきっと彼の後ろで繰り広げられている悲惨な現場よりも血生臭く、より暴力的、なによりとても素晴らしく楽しい世界だろう。

 元の地球ではできない夢想の実現。ストライフはその野望に向けて今日も一歩、歩みを進めたと実感していた。




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