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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Sniper 邦題:山猫は眠らない
49/83

5話 燎原之火



 出会って間もない二人の無惨な死を間近で見て、少しの時間が経っていた。

 広場から逃げてきた自分達はそのまま仮宿にしているホテルへと帰り、その場で自然に解散した。その後自分はジンを伴って、ホテルの中で静かな場所を探してふらふらと散歩をしている。

 宿泊客が少ないせいで静かな廊下をゆっくりとした速さで歩きつつ考える。ブリットさん、ペトラさんの両名の死には思う所が多少なりともあるからだ。顔見知りの死は過去何回もあったが、繰り返してみたいものではない。


「……」

「――」


 廊下をジンと連れだって歩く。互いに言葉はなく、時折漏れる息づかいだけが互いの耳に入るだけだ。

 視線を窓へ向けると町から立ち昇る煙が目に映る。その煙は二人分の人体を燃やす炎から出たもので、あの後事態を収束に来た人々が死体の処理に困ってその場で焼却処理をしたらしい。あれから時間もそれなりに経っているから、遺体も骨になっていることだろう。

 それと、広場にいた群衆の注目がペトラさん達に集まっていたお陰で注目を集めず抜け出すことが出来たのは幸いだ。焼却処分の瞬間を見ないで良かったと思う。そうなっていたらみんなの間にある空気は二倍は重くなっているはずだ。

 とはいえ、間近で人間の死体がさらし者にされるのは誰しも気持ちの良いものではなかった。


 水鈴さんは屋上に行くと言い、クララさんもお茶を求めて食堂へ。マサヨシ君とレイモンドは部屋に戻ると言葉少なに口にして立ち去っている。ライアさんとココットさんの二人も既に戻っている事だろう。

 示し合わせた訳でもないのに自分達はタイミング良くその場で解散していた。水鈴さんとクララさんはエレベーターホール、マサヨシ君とレイモンドは階段で自室、そして自分とジンはそのまま廊下を歩き出した。

 カーペットが敷かれた床は無骨なブーツを柔らかく受け止めて足音は静かで、ジンの足音は全く無い。こうして静かなホテルを静かに歩いていく。


 シングルルームのあるこの階は、各部屋の扉が長い廊下の両壁に等間隔で並んでいる少し変わった光景になっていた。

 その廊下を自分は出来るだけゆったりと歩く。そしてジンはその数歩後ろに気配だけを感じさせてついて来ていた。

 静かだ。魔獣の襲撃で他に宿泊客が居ないせいもあるけど、この耳が痛くなるほどの静けさは町全体が静かじゃないと生まれそうにない。人気のない廊下も相まって、洞窟を歩いている気分になってきた。

 少し顔を上げて先を見ると、その洞窟に空けた場所があった。各階に設けられた休憩スペースだ。ソファと灰皿、缶飲料の自販機も置かれている。

 ゆっくりと思索に耽るには都合の良さそうな場所だ。ここでしばらく時間を潰し、自分の中で渦巻く考えをまとめよう。


「ふぅ……」

「主、飲み物はいるかね?」

「お願いする。これでそこの缶コーヒーを」

「承知した」


 ソファに座るなり大きな溜め息が意識せずに出てきた。それだけ精神的に疲労が溜まっていたのだろう。一気に体が重くなった気分だ。

 ジンに硬貨を渡して自販機の缶コーヒーを頼むと、さらに脱力する。普段だったらこの程度の事は自分でやるけど、今は能動的な行動が全て億劫だった。

 缶コーヒーが来るまで天井をぼんやりと見上げる。この間頭はまったく働かない。ただホテルの天井パネルの色だけが目に染みる。頭の思考速度が鈍り、ひどくバカになっていくのが自覚できた。

 魔獣襲撃、いやもっともっと前、この世界に転移して来て以降、考えるべきことが多すぎた。自分の頭脳は今猛烈に休憩を欲しがっていた。


「主、コーヒーだ。これを飲んで一息入れるといい」

「うん、ありがとう」


 ジンが缶コーヒーを買ってきてくれた。横から触腕が静かに差し出され、包むように保持された缶コーヒーが自分の手に収まる。ひんやりと冷えた缶の冷たさが手の平を刺激する。旧式の分離型プルトップを引いてフタを開ければコーヒーの香りが鼻に入った。

 ゲアゴジャのバーで味わったコーヒーからは大きく見劣りする香りではあるけど、呆ける頭脳にはちょうど良い具合かもしれない。

 口をつけて缶を傾ければ、苦味混じりの甘い飲料が口内に注ぎ込まれていく。以前に水鈴さんに語ったようにこれは『缶コーヒー』というコーヒーとは別個の飲み物だと自分は考えている。こんな甘いアイスコーヒーはあり得ない。

 蛇足だが、千葉や茨城で販売されているマックスコーヒーは個人的には論外だ。あれは缶コーヒーの枠内であっても考えられない代物である。


「――はぁぁぁ……」


 一口飲んだあとの溜め息は、前の物よりも深く重く長い。上を向いていた顔が今度は床に向いて、頭の重さをそのままに下へと垂れた。

 自然と目蓋が閉じて、暗くなる視界。その暗がりの中で、転移してからの三週間近くの記憶が巡る。

 硝煙と鋼、獣と血、荒野と乾いた空、日本では感じる機会の少ない光景が五感と一緒に思い出される。そしてそれらの光景には必ずといっていいほど旅の仲間の姿があった。

 獲ってきた野ウサギを調理した時のマサヨシ君は、最初は恐る恐るだったのが異様なほどの食い付きでガツガツ食べていた記憶がある。

 水鈴さんとはジアトーのマンションの屋上で一晩中話をしていたのを思い出す。この世界に来る以前も含めて他人とあそこまで話をした経験は無かった。

 この町へ来るきっかけとなったレイモンドも印象深い。元プロボクサー、しかも自分がファンだった人がこの世界で一緒に行動しているのは今でも感慨深い。

 他にも沢山の人の顔が簡単に思い浮かぶ。クララさん、雪さん、ライアさん、アルトゥーロさん、山田、などなど人の名前や顔をそれほど覚えないはずの自分が、驚くくらいに記憶している。半ば家に引き篭もっていた十年間では考えられない人との交流がこの三週間にあったのだ。

 こうして振り返ってみてようやく分かった。


「そうか……僕ははしゃぎ過ぎていたんだな」


 人とまともに交流したのも十年ぶりだ。だからはしゃいでしまい、本来の距離感を見失い近付きすぎたのだ。

 この距離感は改めなければいけない。それも人間関係による様々な弊害が深刻なものになる前に距離をとるべきだ。

 自分は我が儘極まりない人間である自覚はあった。これ以上他人に振り回されるのが嫌で、人間としての弱みを増やしたくないがために彼らと別れるつもりなのだから。

 この町が安全ではなくなった以上、別の場所に拠点を移す必要がある。けれどそこへはマサヨシ君や水鈴さんと一緒に行くつもりはない。この世界に来る以前と同じ様に独りで生きていくつもりだ。その方策もアフターケアを勘案にいれてすでに脳内で組み上がりだしていた。


 ぬるくなりかけた缶コーヒーを片手に自分の頭の中では今の臨時パーティ解散の方針を固めた。後は具体的な方法を考えていると、廊下の向こうから近付いてくる人の気配を感じた。

 目を向けてみると、さっき別れたばかりの水鈴さんがこちらに来ていた。


「あ、良かった。すぐ見つかった」

「何かありました?」

「ううん、大した事じゃないの。クララとお茶しようとしたんだけど、ルナも誘おうって思って」

「そう。でも悪いけど、これから用事がある」

「え? 用事」

「ああ」


 嘘ではない。パーティ解散するならするで手続きと引き継ぎは大切だ。自分にはこれから話をつける人物ができた。

 具体的な方法を考えてまず話をつけるべき人物に思い至ると、さっそく行動に移るべくソファから体を起こして立ち上がった。

 立つと水鈴さんとの間に二mも距離はなかった。改めて思い返すと、以前ならこの位の間合いに他人が居れば気にかかり精神的に緊張していた。それが今では気安ささえ感じてしまう位になっている。これが親しみを覚えるという感情なのだろう。

 だけど、その親しみが自分にとって避けたいものだった。冷徹に切り捨てるべき時に切り捨てられなくなる。反対に拒絶された時の喪失感も大きくなってしまう。今ならまだ精神的負荷も少なくて済む。色々あって時機を逸したが、この臨時パーティも潮時だ。


「ちょっと下のロビーで電話をかけてくる。あ、この缶コーヒーだけど良ければあげる。一口しか飲まなかったから勿体なくて。いらなければ捨てて」

「あ、うん、分かった。ありがとう」


 水鈴さんに一口しか飲まなかった缶コーヒーを手渡して休憩スペースを後にした。後ろから「あれ? これってルナとの間接キスになるんじゃ……」とか何とか聞こえてくるが深刻な響きの声ではないので聞き流す。電話のある一階のロビーにジンを引き連れて足を向けた。

 解散を考えていると伝えようか思ったが口には出てこなかった。反論されるのは目に見ているし、きっと全員から色々な感情をぶつけられる。そんな予測が口を閉じさせたのだ。

 我ながら酷い人間だ。人付き合いの苦手意識から煩わしさを感じ、水鈴さんやマサヨシ君に何も言わずにいなくなる予定を立てているなんて。


「ジン、交渉次第だけど明日にも私はここを発つ。これは他の人には言わなくていいから」

「……承知した」


 ジンの返答には少しの間があった。これは驚きなのか批難なのかはポーカーフェイスの猫顔を見ていても分からない。ただ、簡潔に言葉を返してくれたのは嬉しかった。

 廊下から階段へ向い、このまま一階のロビーを目指す。その途中、階段の大きな窓の向こうに町から立ち昇る煙が見えた。燔祭の火は生け贄をまだ燃やしているようだった。広場にまだ残っている人々が発する熱気がここまで伝わって来る幻覚さえ感じ。

 与えられた時間は案外少ないのかもしれない。そう感じ取った自分は階段を下りる足を速めた。



 ◆



 アストーイアとゲアゴジャ一帯の事実上の支配者といえる人物、クリストフ・フェーヤ。少年の姿を留める月詠人は現在応接間のソファに身を沈めていた。

 彼の向いに座っているのは軍服を身に纏った壮年の男性だ。トラウザースにタンカージャケットを羽織った姿は年季が入ったベテラン軍人そのもので、少年の姿とはいえ町の支配者を前に動じる様子はなく余裕のある風格を持っていた。

 襟元に縫い付けられている階級章が示すこの男性の階級は准将。二つの町に跨って広大な駐屯地を置いているデナリ陸軍第666独立混成旅団、通称ハードパンチャーズの長を務めている高級軍人だ。

 ちなみに魔獣襲撃の時、クリストフに要請されて駆けつけたのもこの部隊である。


「それで逆撃作戦なんですが、可能ですか?」

「可能性だけならゼロじゃない。だがなオーナー、今襲撃をかけると兵の犠牲が多く出てくる。それをゼロに近づけるのが指揮官の役割なんだが、もう少し捻りが欲しいところだ」


 二人が話し合っているのは他でもない、ジアトーの奪還作戦だ。帝国の侵攻、占領から三週間近くの時間が経ち、首長国も反攻の準備を整えている最中だと連絡も来ている。

 そこにフライングして二人はハードパンチャーズと『転移者』のみで町を奪還しようと作戦を考えているのだ。先日のライアとの会談で、ジアトーを独立都市とするのに本国の介入前の奪還が必要だと結論が出ていたのだ。

 これは言うならば一つの都市を丸ごと本国から横取りする悪巧みであった。


「捻りね……そっちの飛行中隊にあったジャガーノートはどう?」

「あれか。だが、降下作戦が出来る人員はウチの部隊には少ないぞ」

「そこは『転移者』が増員分に入ってくれそうだよ。彼らの能力なら降下作戦も問題ないはずだよ」

「『転移者』、か……正直言って戦争に素人が混じるのは気に食わないのだがな」

「まあまあ、今回の作戦は彼らあってのものですから」


 タンカージャケットのポケットからタバコを取り出してマッチで火を着けた准将は、深々と紫煙を吸い込むと空中に向けて煙を放つ。眉間に刻まれたシワがより深くなって、彼の表情は渋いものになっていた。軍人の作戦に素人が参加するのがよほどお気に召さないようだ。

 けれどこの准将率いる旅団だけでは一つの都市を占領は出来ても運営していくことは難しい。それも理解しているから積極的に反対はせずに「気に食わない」だけで留めているのだった。

 話が一区切りついて一度途切れた。まるでそのタイミングを見計らったように応接間の隅、サイドテーブルに置かれたアンティーク調の電話がベルを鳴らした。

 クリストフは准将に断って席を立って電話に出た。相手は秘書のエカテリーナだ。


「会談中に失礼します。ルナ様からお電話を頂きまして、クリス様に相談したいことが出来たと言っています。いかがしますか?」

「そうだね……」


 一度准将の様子を見る。タバコの煙を上げてくつろいでいる様子の彼はクリストフの視線に気付くと、手を軽く振って『気にするな』のジェスチャーを送ってきた。

 准将とは共犯による信用の置ける間柄なので、問題はなし。そう判断したクリストフは電話の向こうの秘書に電話を繋ぐよう命じた。通話が切り替わる通話音がして、彼の耳にはエカテリーナの声に代わって幼くハスキーな声が届いた。


『あ、切り替わったのか。クリス?』

「ええ、代わりました。パーティ以来ですね、お元気でしたか?」

『ええ、取り立てて異常はありません。久しぶりです』

「ふふっ、会話が苦手そうなのは相変わらずですね。貴女相手に色々と長い挨拶は無用ですか」


 ともすればぶつ切りになりかねない話し方をするルナをクリストフは微笑ましく思う。人慣れない雰囲気が声だけでも伝わり、それでも懸命に会話しようとする様が簡単に想像できてしまっていじらしささえ覚える。

 このままのらりくらりと迂遠な会話でルナを弄びたい衝動が湧いてくるクリストフだったが、TPOは弁えているので挨拶は短く切り上げて本題を尋ねるとした。


「それで、今日は何の御用でしょうか?」

『二件ほど用があります。一つは以前に私をそちらの血盟に入れたがっていましたよね。あれは今でも有効ですか?』

「っ! おや、意外ですね。仲間と共に今後やっていくものと思っていましたが」

『…………状況が変わったので。それと、私が人の上に立つのは嫌なのは変わりはありませんが』

「いえいえ、血盟に入って頂くだけでも喜ばしい事です。歓迎いたしますよ」


 出てきた本題はクリストフにとって本当に朗報だった。まさかこんな短期間で心変わりがあるとは思わなかったのだ。

 心変わりの原因について思い当たるものはあるけど、何が決定的になったのかは本人のみぞ知るだろう。常から顔に浮かべている彼の微笑みはより一層強いものになっていた。

 人の上に立つつもりがなくても構わない。月詠人にとって金眼は特別な存在だ。特に旧い伝統に固執する連中には良い目眩ましになるだろう。今のところ彼女は手近に居てくれるだけでも充分意味がある。王として祭り上げるのは充分時間をかけてからでも遅くない。

 クリストフは素早く思考をまとめて結論を下した。予定は前倒しになったが、ルナを受け入れるのは今でも充分だ。むしろ町で巻き起こっている『転移者狩り』に巻き込まれない内に早く保護してしまいたい。


「では、町は物騒になっていますし、こちらから迎えを送ろうかと思います」

『あ、いえ。その前に二つ目なんですが、人気の少ない場所に住居とかありますか? あったら現在の騒動が収まるまで間借りできませんか』

「なるほど、セーフハウスですね。いいでしょう、訳あって人が寄りつかない場所に僕の別邸があります。格安でお貸しますよ」

『それと移動に使う足も。今使っているのは向こうに譲るつもりだから』

「それも承った。適当なものを見繕うよ。希望があればこちらはある程度聞けますよ?」

『出来るだけ出費は抑えたい。頑丈で走行に問題なければ何でも構わない』

「うん。ちょうど持ち主が今回の事件で手放した車がありましてね、それなら明日にもお渡しできますよ」

『ではそれを。この後、その車を見に行っても?』

「ええ。リーナに、ああエカテリーナを案内に付けるよ」


 こちらの手配した保護を断り、ルナは自分で安全を確保することを選択するようだ。自分の身の安全は自身で確認しないと気が済まないのかも知れない。クリストフの脳内では、ルナは警戒心の強い黒猫のイメージで固まろうとしていた。

 おずおずと近寄ってくる黒猫を愛でるように招く気分を味わいつつ、クリストフはルナとの会話を楽しむようになっていた。ただ、彼の視界の隅に准将の姿があるのを考えると楽しんでばかりもいられない。

 適当なところで切り上げ、この後の訪問を歓迎する旨を伝えると通話を終えた。受話器をフックに戻し、准将に向き直る。


「お待たせしました。さて、続きとしましょう」

「うむ。それは構わないが、電話の相手は君の意中の人物かね?」

「――准将、なぜにそんな発想になるんです」

「いや、君の顔が本当に嬉しそうなものだった。漏れ聞こえる相手の声も女性のもので、そう邪推もしたくなる」


 はて、そんな顔をしていただろうか? 手近にある壁掛けの鏡にクリストフは自分の顔を映してみて、首を傾げたくなる。

 常から微笑みの仮面を被っている自覚はある。顔色を相手に窺わせないメリットは何かと多いのだ。それが准将の言葉では本当に笑っていたらしい。

 自己分析するに、ルナの猫じみた警戒心が微笑ましくなって愉悦心が湧き上がっていたのかもしれない。いじらしい小動物を愛でつつ、弄りまわしたいのがクリストフのルナに対する本音のひとつなのだから。


「楽しみの時間はまた後で。この作戦ですが、本国が前線を突破して逆撃に出る前に実施しないと意味はありません。その辺りどうです?」

「定期的に南に逃げた臨時政府と軍本部との連絡はついている。帝国の前線にはもう勢いはなくなっているそうだ。補給線も伸びきり物資もロクに届かないとも聞いている。程なく前線は瓦解しそうだな。それに合わせて軍は反撃を行うそうだ。それが二週間後」

「二週間ですか。こちらは向こうに合わせて行動に移さないといけませんね。あれこれ勘案に入れると時間はありませんね。大規模な作戦であると考えればギリギリですか」

「そうだ。だからウチの駐屯地はすでに準備に入らせている。オーナーには事後報告になるが、構わんよな」

「ええ、ここはその拙速を尊ぶ部分を評価しますよ。こちらも作戦開始までには町の混乱を終息させます。ゲアゴジャは大変ですが、この町は生け贄が出たことで収束も容易いでしょう」

「まさかとは思うが、あの哀れな犠牲者はお前の手引きじゃないよな」

「それこそまさかですよ」


 ソファに戻り、准将との悪巧みを再開するクリストフの顔にも笑みはある。けれどやはりルナと通話していた時のものとは異なっていた。その差は作り物か否かの差だろうか。

 二人は悪巧みの開始を二週間後の総反攻の時期と見積もる。そのための準備を今は着実に積み重ねていく時だった。


 クリストフは不意に窓の外を見やる。そこには太陽の降り注ぐ昼下がりのアストーイアの光景が眼下に広がっている。

 月詠人である彼にとっては太陽光線は不快感を覚える代物だが、客人の准将は人間だ。陽の光の下にあった方が落ち着くのが人間の性で、それに合わせるのがホスト役の気遣いだと思っている。

 その眼下の町からは薄く細く一条の煙が昇るのが見えた。すでに勢いの無くなった炎の名残が空へと消えていく様子は見る者に何かを訴えているようだ。少なくともクリストフはそう見えた。


「……すまない。僕が至らないばかりに」


 自身だけに聞こえる声量で彼は静かに見知らぬ相手を悼んだ。



 ◆◆



 それからさらに幾らかの時間が過ぎた。

 河口の向こう、海の向こうへと沈んでいく紅い太陽に照らされた空は、鮮やかなあかね色に染まって白かった雲も橙色ににじんで空にグラディエーションを描いていた。

 ホテルの屋上から見下ろす光景に遮るものは無い。ひたすらに広がるあかね色の情景を自分は無心に見詰めていた。

 時間の経過はもう分からない。この姿勢のまま風景を眺めて一〇分が過ぎたのか、三〇分が過ぎたのか。水面に一滴の雫が落ちるようにポツリと声がした。


「主、出立を誰にも言わなくても良いのか?」


 聞こえた声に隣に佇んでいたジンを見やる。こちらを見上げる彼の表情は窺えないが声に批難する調子はなく、ただ問いかけるような口ぶりだ。だからか自分は思ったままの言葉が出せる。

 ジンに向けた視線を沈む夕日に戻して思った言葉を口にする。


「隠すつもりはないけど、言うつもりもない。もうここは安全な場所とは言えないし、住み処を移す必要がある。マサヨシ君と水鈴さんはライアさんと話をつけてもう問題はない。別れ時だし、このパーティは解散だ」

「そうか。主がそう考えているならこちらからは何もない。ただ、悔いのないようにと思ってな」

「悔いか」


 確かに一言も別れを言わずに消えるのは義理を欠いているし、ここまで鉄火場を潜り抜けてきた仲間だけに気持ちの上では離れがたい部分がある。

 だけど同時に近付きすぎる心の距離に拒否感も湧いていた。仲間から友人に友人からより親身な間柄にとなっていくと、弱みが増えていくだろう自分を予測できてしまう。独りでは下せていた冷徹な決断も下せなくなってしまう。

 やっぱり、今までの自分はどこかはしゃいで浮かれていた所があったのだ。今後は自省して自分の安全を確保する目的をより明確化していこう。

 夕日を眺めて今後に思いをはせていると、ドアを開く音がして聞き慣れた声が自分を呼んだ。


「おう、ルナの嬢ちゃん。こんな所にいたのか、夕食時だぞ」

「レイモンド。まさかわざわざ探しに」

「ついでさ。俺は夕飯を早めに済ませて一服するところだ」


 やって来たレイモンドはそう言うなり、スラックスのポケットからタバコとライターを取り出して慣れた手付きで火を着けて吸い始めた。彼も夕日を眺めていて、それほど離れていない距離で自分達は横に並んで夕暮れ時の町並みを見ている。

 一通りの会話が終わればまた屋上に静けさが戻る。ただし、人一人分の気配と風に乗ってタバコの臭いが加わっているが。

 このままレイモンドがタバコを吸い終わるまで沈黙が続くのかと思われたが、彼は思ったよりも多弁な方だった。


「明日にでも出て行くのか。しかもボウズ達には黙って」

「どこかで聞きました?」

「ああ。嬢ちゃんがライアと相談しているところを少し。断っておくが盗み聞きのつもりはなかったぞ」

「別に責めるつもりはありません。こちらも不義理だと思うところはあるので」


 ライアと相談した場所は自分の部屋のある階の休憩スペースだ。聞く気になれば幾らでも耳に入るオープンな場所だし、レイモンドもたまたま耳に入っただけなのだろう。


「何故って聞いてもいいか」

「ええ。端的に言うと潮時と思ったからです。この地域一帯は戦争と転移者狩りで安全ではなくなった。こうなると私はマサヨシ君や水鈴さんの身の安全に気を回せなくなります。どこに行っても危険に変わりがないなら彼らは一度ジアトーのライアさんのところに身を置いた方が安全だと考えたまでです」

「嬢ちゃんは一緒じゃダメか」

「ダメですね。私は人が多いのは苦手です。ライアさんの幻獣楽団も今はかなりの数に膨れあがっていると聞きましたし、多人数の中にいるのは正直辛い」


 大人数でワイワイやるのは苦手分野だ。自衛隊時代の嫌な記憶を思い出してしまう。このせいでゲーム時代の集団戦にさえ参加していなかった。

 自分の言葉にレイモンドは「難儀なヤツだね、嬢ちゃんは」と呟いて煙を吐き出す。言葉もない。あれこれ言っても、解散の理由を単純化してしまうと自分の我が儘と言っても良いほどになる。


「レイモンドは町に残るので?」

「ああ。息子を捜さなくちゃならないし、試合もあるしな。つまり明日にはみんなバラバラだな」

「……ですね」


 レイモンドも責める風ではない口ぶりだ。普通は一言ぐらい毒づきそうなものなのに。むしろその優しさがひねくれ者の自分には辛い。


「夕食、とってきます」

「おう。今日のメニューはポトフがいけるぞ」

「情報ありがとう」


 だから逃げるように屋上を後にした。ジンは影のように何も言わず、振り返った先にあるレイモンドのスーツ姿の背中も無言だ。

 ジンが聞いたような悔いは自分には無い。けれど、臨時のつもりがいつの間にか離れがたくなっていて、いざ別れ時になると胸が痛むぐらいの感傷はあった。

 眺めていた夕日の情景に背を向けて、ホテルの食堂へ足を向けた。その途中で、そういえばもう町から昇る煙は止んでいたのを思い出した。

 たった一日だけ銃の手ほどきをした人相手に思い入れは少ない。少ないのだけど、少ないなりに記憶に留めておく。それが自分なりの哀悼だった。


「主?」

「なんでもない。行こう」


 ペトラさんとブリットさんの顔を数秒だけ思い返して記憶に留め、後は気持ちを切り換えて動く。薄情だがこれが自分の精一杯だ。

 それと明日は朝早くに動こう。色々とあるだろうけど、これだけは今決めた。




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