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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Sniper 邦題:山猫は眠らない
47/83

3話 百鬼夜行

 注意:今話には残酷な描写があります。苦手な方はご注意を。





 投射機から勢い良く射出されたオレンジ色の円盤が空を飛ぶ。晴れ渡った青い空に三つ橙色はよく目立った。

 円盤の未来位置を予測しながら銃口を向けて、撃つ。灼ける火薬、肩をキックする反動、轟く銃声はもう馴染んだもの。手早く手元のレバーを操作して次弾を装填。銃口を滑らせて宙を飛ぶもう一つの円盤に狙いを変えて二発目。さらに銃口を滑らしつつレバーを操作、撃ちガラが排莢口から弾け飛ぶのも構わず三発目を撃ち放つ。

 結果は全弾命中ヒット。目標のクレーピジョン三枚は撃った散弾で粉々に砕けて、パラパラと破片が河川敷に舞い散った。

 ここまで二十四枚、全弾ヒット。正式なクレー射撃競技ではないけど悪くない成績が出たと思える。


「ふぅー……クララさん、いいカスタマイズです。余計なものが付いているはずなのに前と同じ感覚で扱えます」

「ありがと。いやぁ、こっちも良い気分転換になったよ。なにせずっとAKばかり弄っていたから飽きてたんだ」

「結局あれは、クリストフの所の注文?」

「そうそ、大口でこれからお得意様になる人のところだから文句はいいたくないけどね」


 射撃が終わったので弾倉から弾を抜いて即席の射座から離れた。すぐ後ろで射撃の様子を見ていたクララさんも自身が手がけた作品の出来映えに満足している様子だった。

 手にしている銃は、ここ最近使う機会が多かったウィンチェスター・タイプ87。さっきまでの射撃で硝煙の臭いも濃い散弾銃は、クララの手によって姿を変えていた。

 ウィンチェスターのレバーアクション銃に共通するシルエットを隠すように金属の細い骨組みと黒い布が銃を覆っている。その姿はまさしく『傘』。銃をシャフトにして石突の位置から銃口をのぞかせた『GUNブレラ』とでも言うべき改造銃に仕上がっていた。

 この改造銃は前回の戦闘を踏まえた上でクララさんに原材料と一緒に依頼を出したもので、今朝になって完成したと連絡を受けて河川敷のレンジで試射をしているところだった。


 銃声から耳を保護するヘッドホン型の保護具を外して、所定のカゴに戻す。射撃をしていく上で耳の保護は重要だ。今はレンジの備品を使っているけど、そのうち自前の保護具を買っておきたい。

 つらつらとそんな考え事をしながらGUNブレラになったウィンチェスターの銃口を上に上げて傘を開く。日中の鋭い日光が遮られて幾らか身体にかかる負担が軽くなったような気がする。月詠人の身体にとって日光を遮れる傘の存在はありがたい。

 この『傘』の用途その一、日傘兼雨傘だ。傘を通してもギラついて見える太陽を見上げ、充分な遮蔽効果に満足する。日傘を差すなんて人生初だけど、必要な物と思えば不思議な気分はすぐに消えた。


「うん、これも良い感じ」

「傘布の素材はそっちが提供してくれた月光狼の革をベースに、骨は在庫で余っていた鋼材を使用しているの。防刃、防弾、防魔の盾としても使える耐久性はあるよ。注文通りにね」

「防弾はどの位のクラスまで?」

「そうね……拳銃弾ならほぼ確実に。ライフル弾なら八㎜口径以内なら結構防ぐ。十二㎜は流石に無理よ」

「それでも充分」


 『傘』の用途その二は盾だ。あの対戦車戦闘の時、魔法以外で展開できる盾があれば少しは結果が変わっていたかもしれない。そんな思いから今回のGUNブレラの発想が出ていた。

 それなりに貴重な素材アイテムとクララさんの腕前も相乗効果をもたらし、ウィンチェスター散弾銃は装いも新たに生まれ変わったのだ。

 ゲーム時代から新装備を手にすると気持ちが昂ぶってくるけど、今の自分が感じている嬉しさはそれに近い。控えめに弾む気分で日傘を差して、クララさんより後ろにいるギャラリーの反応を窺ってみた。


 すぐ後ろにはレジャーシートが敷かれていて、四人のギャラリーが自分の射撃を見物している。

 一番前の位置でこちらを見ていたのはマサヨシ君。彼はクレー射撃自体が物珍しいみたいで、射撃中は一言もなくじっと食い入るように見ていた。目が合うと、素早く顔を横に向けて視線が逸らされてしまい、表情はどこか気まずいという風。マサヨシ君が何を思ってここに居るのかは分からないけど、追い払う理由や気持ちもないので特に何も言っていない。

 次に一番後ろ、シートの端に腰掛けて射撃には関心ないという態度で新聞を読んでいるリザードマン、レイモンドだ。彼がここにいる理由は休憩である。

 近々ゲアゴジャでフェイスオフの試合が行われるそうで、それに参戦するレイモンドはそれに向けてトレーニングをしている最中だ。紺色のトレーニングウェアを着込んで首にタオルをかけている彼の姿は、まさに自主練習に励むスポーツ選手の姿そのものだ。本人によると走り込みの最中に寄っただけで、適当に休憩したらホテルに帰ると言っていた。

 最後に二人、いや一組のカップルがマサヨシ君にも劣らない熱心さで自分の射撃風景を見ていた。特に女性の方が熱心で、小さく歓声みたいなものも聞こえる程に熱が篭もっていた。おそらくは彼女の使用武器が銃器だからだろう。

 男性の方は先日パーティで会ったブリットさんで、今回この女性の付き添いでここにいる。その彼女に声をかけた。


「じゃあペトラさん、こちらの用事は終わったのでさっそく始めよう」

「あ、はい! よろしくお願いします」


 魔獣の襲撃より一週間が経ったこの日、自分は人生で初めて人に物を教える立場になった。

 教える科目は射撃、生徒はブリットさんの恋人のペトラさん。森精族エルフの見目麗しい女性である。

 こちらが声をかけると、彼女は実に日本人的に頭を下げて元気良く声を出してきた。新米教官初日で、実を言えば少し緊張していた自分もこの元気の良さに少し引っ張られる。

 ブリットさんに目を向けると「よろしくしてやってくれ」と言ってこちらも軽く頭を下げる。目を横に転じれば、こちらの考えを読んだのかクララさんも「頼むね」と口にして軽く手を合わせた。

 こちらもブリットさんとクララさんには色々と借りや貰い物があるのだし、それらがレッスン料と考えれば気を入れて取り組まなくてはいけない。心の中で見えないハチマキを頭に締めると、新米教官によるシューティングレッスンを開始した。



 ◆



 今回のこのレッスンをする発端はいたって単純、クララさんを介してブリットさんが依頼を出してきたからになる。

 ゲーム時代で蓄積した武器の習熟度はそのまま、この世界の武器の得手不得手に繋がるようだ。『エバーエーアデ』で得意だった武器を持てば効率の良い使用方法が出来、動きに無駄が無くなる。剣だったら運剣がスムーズになり、銃だったら命中する腕が上がるといった具合だ。

 ただし、ここに一つの落とし穴がある。習熟度で影響があるのは『武器を振るう時』だけである。武器というのは振るうだけではなく、普段からの取り扱いも心得なければいけない道具だ。その辺り、分かっていないと思わぬ事故に繋がるのだ。

 そういった前提が元プレイヤー達にあった。武器の扱い方が『偏っている』のだ。普通は武器に限らず道具は扱っていく内に総合的な経験を積んでいき、熟練の技になっていく。ところがプレイヤー達はその経験がゼロのくせに武技ばかりが良い動きをする歪なスタイルになっていた。


 ブリットさんもその辺りを察してか、恋人のペトラさんに武器を持たせたくはなかった。しかし武器が無ければこの世界で身を守れない。

 だったら銃器を扱ったことがある人に教えてもらおう。そう彼は考えて知り合いのクララを頼り、彼女は自分に白羽の矢を立てた。こちらとしてもクララさんには借りがあるし、ブリットさんからもレッスン料は貰っている。断るつもりは無かった。

 長々と経緯を振り返ってみたが、発端と同じで経緯も簡単なものだ。ブリットさんが恋人の教官役を探していて、クララがそれを紹介、その人物がたまたま先日会ったばかりの自分だったのだ。


 こうして始まったレッスン。今回ペトラさんに教える内容は先の習熟度に関係して、技術面よりも基本にして絶対の鉄則を教える事からになっていた。


「まず、銃を使用する上での四つの安全ルールは必ず守る事。全ての銃は装填状態にあると考え、そのように取り扱う。壊したくないもの、貴重なもの、特に味方の人間には銃口は絶対に向けない。照準を合わせるまで引き金には指はかけない。標的の周囲には何があるかは常に把握しておく。この四つ」

「えっと、銃は装填状態、銃口は味方に向けない、引き金……ルナ先生、もう一度」

「うん」


 基本中の基本を指折り教えると、ペトラさんは取り出したメモ帳に講習内容を書き込んですっかり生徒気分だ。そして自分を先生呼ばわり。雰囲気は自動車の教習所だろうか。少なくともマンツーマンで実践的な教習という点では合っている。


「このルールは常に頭に入れて置いて、無意識レベルで注意できるようになればシューターの仲間入り」

「おぉ。でも、ここに来る前にゲアゴジャで鉄砲振り回しているプレイヤーの人がいたけど、あれは?」

「それはただの銃を持っている馬鹿。銃は手軽に殺傷能力を持てる道具だけど、使いこなせるかは別の話」

「そっかぁ……」

「私は口でものを伝えるのは苦手。だから実際に銃を手にしてルールを体に覚えさせよう」

「分かりました、ルナ先生!」


 ここのレンジはアメリカで見たようなしっかりとした造りの射座はない。長くて頑丈なテーブルと標的、流れ弾防止の土塁があるくらいでクレーの投射機があるのが不思議なほどだ。

 備品のヘッドホン型保護具を耳に付け、テーブルの上に用意したペトラさん用の銃を前にした。これはゲームからペトラさんが持ち越した武器で、正真正銘彼女の持ち物だ。銃器の種別で言えばハンドガンが大小二挺、小銃が一挺の計三挺。ゲーム知識では中堅どころの手堅い構成だと分かる。


「今回は護身が目的だからハンドガン、拳銃を中心に使っていこう」

「はいっ」


 終始こんな具合。明るく素直でハキハキした調子のペトラさんは手のかからない非常に良くできた生徒で、新米教官の自分でも問題無くレッスンを進めることが出来た。少々物足りない気がしたが、新米の分際で贅沢は言うものではない。

 諸注意をした上で射撃、撃ち始めと撃ち終わりでのチェック、初弾や残弾の確認方法といった射撃の基礎の基礎をこうして生徒に教えていく。こういうのは繰り返し反復して覚えるもので、一回のレッスンでそう簡単に身につくものではない。それでも、作動不良を起こした銃の銃口を覗き込むような真似はしなくなるだろう。そんな馬鹿な事で死んだ人間を自分は見たことがある。あれは本当に笑えない。

 自分の中ではこのレッスンは事故防止の安全講習と捉えていた。ペトラさんと恋人のブリットさんの安全のためにこのレッスンをやっているんだ、そう思うようになっていた。


 ペトラさんが撃つ拳銃の銃声が鳴る中、シートで新聞を読んでいたレイモンドが立ち上がった。休憩は終わりらしい。手にした新聞を折り畳んでズボンのウエストに挟み込み、こちらに手を挙げて一声かけてきた。


「じゃあ、俺は一足先に戻っている。何か買って欲しいものとかあれば途中で店に寄るが、何かあるか?」

「いえ、何も。それより、帰り道は気をつけて」

「あ? ……ああ、新聞にも載っているからな。物騒になってきたものだ。忠告痛み入るよ」


 彼がズボンに挟み込んだ新聞を手で叩く。ここから見える一面の記事には、こちらの世界に来たプレイヤー達に関するものが書かれている。

 あの魔獣の襲撃の日からから今日まで連日新聞にはプレイヤーについての情報が載り続けていて、『転移者』という言葉でこちらと向こうを区別し始めていた。記事の内容は『転移者』の驚異的な能力や外見からは区別が付かない事、その能力が犯罪に使われ出している事を書いており、この区別が差別になるのは時間の問題だった。

 特に今日の新聞には、数日前にゲアゴジャで起こった銀行強盗の犯人が転移者だったと警察から発表があった。明らかに情報が操作されている。こんな片田舎でも居心地が悪くなる出来事が起こりそうな予感さえしてくる。

 その予感に背中を押され、ついレイモンドの身を案じる言葉が口を突いて出ていた。二週間以上も身近にいるせいでレイモンドを赤の他人として割り切る感情はすでに薄くなっていた。久しぶりに働く仲間意識。顔には出していないつもりだけど、気持ちは少し戸惑い気味だった。


「あ、オッサン、オレも帰る。ルナさん、お先に」

「うん」


 レイモンドに同調するかのうようにマサヨシ君も帰る気になったらしい。彼にとって射撃練習風景は想像以上に退屈なものだったようだ。少し慌てて、顔も気まずい表情になっているのが気にかかるが、口に出さないのだから大した理由ではないだろう。

 レイモンドとマサヨシ君が連れ立ってレンジを去って、静けさが増した河川敷。この世界のカレンダーでは初夏に差し掛かる平日で、時刻は昼を過ぎた辺り。当然ながら、普通の勤め人はこんな場所にやって来ない。周囲の人気は自分達だけだ。

 この人気の無さが胸の内に不安を少しだけ生む。いつもだったら静けさに穏やかさと安心感を感じるはずなのに。


「あ、あの~……続き……」

「すまない。続き、しましょう」


 遠慮がちに声をかけてきたペトラさんの声で物思いを断ち切った。これからどんな事があるとしても人は目の前の事しか出来ない。思い煩うのも程々にしないとロクに前へ進めなくなってしまう。

 ペトラさんに促されて物思いに耽る人から新米教官に戻った自分は教習を再開した。この後、銃声と硝煙の臭いに考えを沈めて不安を誤魔化していた。普段だったら服に付く硝煙の臭いは好きじゃないのに、不安を感じる時に限って安心感を覚える。

 弾の備蓄ストックに余裕はある。だからこのまま日が暮れるまで銃と共に居よう。そう思った。



 ◆◆



「はぁぁぁぁ……情っさけないぜ、オレ」


 河川敷の射撃場を後にして数分、オレはルナさんとまともに話せなかった不甲斐なさを絶賛後悔中だった。口からは大きく溜め息が吐き出される。

 レッスンをしていた彼女とはまともに目も合わせられないし、射撃の知識なんかないので口も出せない。結局見ているだけしか出来ない居たたまれなさに逃げ出したようなものだった。


 後ろに小さく聞こえる銃声を背に、ホテルへ戻る帰り道をオッサンと連れだって歩いて行く。町中は魔獣襲撃からの復興であちこちから工事中の大きな音がしていて、道行く人のほとんどが土建屋のガタイの良いお兄さんか、治安活動に駆り出された警察官、軍人といったゴツイ風体の人達ばかりだ。

 何となく場違いな気分を味わってしまう。町の住人と余所者、この世界の住人と転移者、ここ数日でそんな区分けがされたような空気が町には漂っている。


「まぁ、なんだな、ボウズはもう少しアピールすることを覚えた方がいいだろう。金魚のフンのように付いて回ったって好意を気付いて貰えなければ意味がない、どころか迷惑になってしまう」

「え、いや……好意って」


 横からオレの溜め息を聞いていたオッサンが不意を突くような話を振ってきた。反応が出来ないこっちを置いてけぼりに向こうは話を続ける。


「違うのか? ここ最近はルナの嬢ちゃんに付いていく事が多かったし、嬢ちゃんを意識しているのが丸分かりだったぞ。それで好意がないってのはないだろ」

「あー……そう、なるっすね」


 オッサンの言葉でここ最近で心の中に持つようになった気持ちに今更のように気付かされた。それと同時に見抜かれた気恥ずかしさが込み上げてくる。それは、オレがルナさんの事が気になって仕方ないという気持ちだ。

 ここまでずっと一緒にいた影響なのか、何気なく視線がルナさんを追って、行動を共にしていないと少し不安だった。特に魔獣襲撃の時を境にそんな感情が強くなった気がする。なんか、ストーカーじみていて嫌ものだ。

 これがオッサンが言うように好意なのは確かだろうけど、ライクなのかラブなのかまでは不明だったりする。オレはオレ自身の気持ちが今一番分からないでいる。それがもどかしい。


「あああっ! もやもやする! これからどうしたらいいか分かんねーっ」


 頭をガシガシと両手で掻き回し、同時に頭を抱えて叫ぶ。叫びと一緒に胸に支えているもやもやした気分を口から吐き出せたらどんなに爽快だろうか。

 ルナさんの件もそうだけど、漠然とした未来への不安がどんどん積み上がっているのが今のオレの状況。当初の目的だった安全な場所への避難は、ここに来て見直さなくてはいけない。けれどこれからどうしたら良いのかが分からない。そんな不安がオレを叫ばせる。

 オレの叫び声に通行人は驚いた顔をしてこっちを見ているが、そんなものは知ったことじゃない。


「悩め悩め、それも青春だ。若者の特権だぞ」

「オッサン……」


 暗緑色のウロコに覆われた手を軽く振って、気楽なエールを送るリザードマンにテンションはさらに落ち込んだ。叫んだ後だけに余計に。

 年長の人間の『若いんだから』とか、『青春』だとかいう言葉にはオレは少し反発心を覚えている。聞いているとまるで未熟さを指摘されているような気分になってくるのだ。もちろん励ましてくれているのは分かるので口には出さないけどテンションは落ちる。

 肩を落としたまま歩き、程なくホテルに着いた。もう今日はこのまま部屋で不貞寝しようか。不健康な思いつきだけど、今は睡眠が魅力的に思えてくる。


「お帰りなさいませグレイ様、マサヨシ様。今日はこのままお部屋へお戻りになりますか?」

「いや、俺は屋上でまだトレーニングしておきたい。試合が近いしな」

「こっちは戻るっす。鍵下さい」

「畏まりました」


 受付で対応してくれたホテルマンから預けた鍵を貰って、オレ達は揃ってエレベーターに向う。オッサンは屋上、オレは自室のある階までだ。

 こうして何気なく目に入るロビーも、魔獣の襲撃時はバリケードを張るために物が持ち出されがら空きだった。それが今では襲撃前の姿にキチンと元通りになっている。これはホテルの従業員が頑張った成果なのだ。

 こんな些細なことに深い感慨を覚えていると、横から耳慣れた声をかけられた。


「マサヨシ、それにレイモンドさん。一緒に帰ってきたの?」


 ロビーのソファには狐の尻尾を振っている水鈴の姿があった。三角形の耳も動いてこっちを向いていて、こういう所がホント獣っぽい。

 水鈴は今日用事があると言って河川敷には来なかったけど、どうやらまだ用事の最中みたいだ。彼女とテーブルを挟んで向かい合わせに座っている犬人族の女性がこちらの様子を静かに見詰めている。人と会う用事ってこの事みたいだ。


「お、水鈴の嬢ちゃんか。それと、失礼だがそちらの方は?」

「初めまして。私は幻獣楽団のライアと申します。貴方がたと同じプレイヤーです」

「これはご丁寧に。俺はレイモンド・グレイ、ここのホテルに逗留している者だ。で、こっちが――」

「マサヨシっす。ルナさんからそちらの話だけは聞いたことはあります。よろしく」

「ええ、よろしく。もしよければお二人もご一緒します?」


 物腰柔らかにおじきして自己紹介してきた女性にオレはどこか落ち着かない気分で自己紹介を返した。オッサンの様子も良く見ると照れている気がする。

 小柄な体に小作りな顔はいかにも女性らしさが前に出ているし、華奢に見える体から見える犬耳と尻尾も、この女性に付いていると一種のアクセサリーになって彼女を飾る。後は……ダメだ、ボキャブラリーが豊富じゃないオレにとってはこれ以上の言葉は出てこない。とにかく目の前の女性が美人だとオレは言いたいのだ。

 この美人がルナさんの知り合いなのか。水鈴の所属しているチーム、幻獣楽団のリーダーで現在はジアトーにいるはずの女性ライア。有名チームのリーダーをやっている人とこんな形で知り合うとは、正直思ってもみない出来事だ。なんでこんな場所にいるんだろうか。

 不貞寝の予定をどっか遠くにうっちゃり、オレはライアさんに勧められるままにソファに座った。オッサンも予定変更、オレの隣に座って彼女と話をする方を選んだ。


「ルナさんは用事があって居ないっす。けど、町中に居るし呼びますか?」

「いえ、いいわ。あの子は自分のペースやスペースが乱されるのが大嫌いなのよ。表面上は平気でも、内心は結構根に持っているほうだし。マサヨシ君も知っておいた方がいいわよ」

「……うっす」


 この話が本当ならオレは自身の想像以上に彼女に迷惑をかけている。やばいなぁ、割と手遅れっぽい。確かにルナさんって人に馴れない猫って印象があるし、これからは少し気をつけて接しないとダメだろうなぁ。

 反省しながらソファに深く腰掛けていると、鼻にコーヒーの匂い、耳には軽い足音が近付いて来た。


「ライアさん、コーヒーです。二人分追加だって念会話で聞きましたけど……あら?」


 お茶代わりにコーヒーが出されるようだ。しかも持って来てくれた人の声からして途中参加のオレ達の分までライアさんは追加注文してくれたみたいだ。

 ライアさんの細かい気配りに妙な感心をしながら、コーヒーを持って来てくれた人に目を向けようと首を回し、そこで固まった。

 なんで彼女がここにいる? それ以前になぜ生きているんだ?


「こ、ココットさん?」

「あ~……久しぶり、マサくん元気だった?」

「は、い。ええ、大きな怪我もなく、息災でしゅ」

「そう、それは何よりだね。あはは」

「あははは……」


 混乱しているせいか、かみかみの台詞を吐いてもの凄くアホなやり取りとしている。でも、こうなってしまうのも無理はない。死んだはずの人間が目の前で給仕しているんだから。

 猫人族のココットさん。オレがこの世界に来た初日にジアトーで暴徒化したプレイヤーに撃たれて死んだはずの彼女は、今はなぜかこんな場所でコーヒーカップを乗せたトレイを手に給仕役をしていた。

 無理に場を和まそうとしたせいで乾いた笑い声しか出てこない。いや、まてまてここは和む場面じゃない気がするぞ。


「いや、いやいやいや、そんな事を聞きたいんじゃなかった。ココットさん、生きてたんすかっ!」


 思わず立ち上がってココットさんの手を取った。彼女がトレイを持っているのも忘れて。

 後はどうなるかなんて言うまでもない。熱々のコーヒーが入っているカップが五人分、まとめてひっくり返ってオレに襲いかかってきた。


「あっ、ぢぃーーーーーっ!!」



 ◆◆◆



 太陽が沈み、アストーイアに夜が来た。魔獣襲撃の日には満月だった月も今は大きく欠け、半月を夜空に現わしている。町の灯りの多くが襲撃で失われているためか、月明かりは半分でも煌々と明るい。

 その月明かりの下、路上に影を落としている人物が二人寄り添って歩いている。それは一組の男女、ブリットとペトラだった。


「ちょっと、遅くなっちゃったかな? ごめんね、選ぶのに時間がかかって」

「いや、大丈夫さ。むしろペトラにはこっちの物まで選んで貰ったんだし、謝るようなものじゃないよ」


 二人の手には紙袋があった。その中身は二人の服で、さっきまで町の古着屋で選んでいたものになる。今後の生活を考えて、必要な衣服を買い込んでいたのだ。

 夕暮れ時まで河川敷のシューティングレンジでルナの射撃レッスン、その後で古着屋で服選び。そんな具合に時間を過ごしていたため、町の空気はすっかり夜のものになってしまった。

 暗くなった夜道を二人並んで急ぐ。二人が住まいを置いているのは町外れのアパートの一室だ。

 『エバーエーアデ』を始めたのは、ゲーム好きのブリットに誘われてペトラが始めた形だった。転移した当初からこのアストーイアに拠点を置いており、そこは初心者向けの集合住宅めいたものになる。複数人で住むにはやや手狭だったが、二人にとっては苦にならない。


 ゲームでは初心者のペトラにブリットが合わせる具合でやっていたが、転移してからは二人で様々な課題に取り組む必要があった。

 ただクエストをこなせば良いゲームと違い、日々の生活における家事も付いて回る。家事を分担し、生活の資金を調達する方法を探し、身を守る術を手に入れる。それらをここまで二人で一個一個こなしてきていた。


 そうして一ヶ月以上の時間が経って、二人は親密さをより感じるようになっている。

 ゲーム外でも恋人として付き合っていた二人だが、同棲といってもいい共同生活とこれまでの時間が地球にいた頃よりも二人を親密にさせていた。

 ブリットとペトラの手は自然と繋がっている。二人の間から出てくる言葉は少ない。それでも沈黙はとても柔らかなものだった。


「……ふふっ」

「どうした?」

「うん、こんな時に言うのは不謹慎かもしれないけど、なんかちょっと幸せなのかもなぁって」

「幸せって、魔獣が襲ってきたり、ドンパチが身近にあるような世界でもか?」

「うん、どんなに危険でもブリット……誠が傍にいるし。恋人と一緒に居られる事に幸せを感じるのは変?」

「……照れること言うなよ」

「ふふっ」


 笑って照れて、ブリットとペトラは家路につく。

 確かに危ない目にあったり、辛い目にあったりする事が転移してからは良くあった。日本に居たときよりも自分達ははるかに危険な土地にいるのも分かっている。でも、この世界の方が二人でいる暖かさをより感じられた。ペトラが言っている幸せはきっとそれなのだろう。ブリットはそう思い、ペトラの手を握る力を少しだけ強くした。するとペトラも握り返してくる。

 このまま、二人で微笑み合って家路につく――


「死ねっ! 化け物!」


 家路につこうとした直後だった。横の路地から唐突に現れた一人の男が手に持った拳銃を撃った。その標的はブリット。

 銃声と銃火、その直後にブリットは腹に熱いものを感じて手を当てて見下ろした。当てた手からは真っ赤な液体、血が零れ出て服を染め始めていた。


「あ……ぐぅ!」

「ブリット! あ、うぐっ」


 血を見たことで怪我を負ったと認識した体は急激な痛みを訴えて、ブリットは地面に膝をついた。

 それを見たペトラはブリットを助けようと動くも、これまた横合いから伸びた複数の手がペトラの体を掴み、二人を引き離した。

 見れば十人近くの男達が二人を囲んでおり、痛みにうずくまるブリットと掴み上げられたペトラを表通りから路地裏へと連れ込んだ。


「へぇ、化け物でも血はちゃんと赤いし、痛みもあるんだな」

「って事はちゃんと殺せるんだよな……」

「なあ、それよりこっちの女、犯っちまっても良いだろ。こんな上玉、そうお目にかかれないぜ」

「だな、男は殺して吊せ、女も犯ることやったらな」


 ブリットの耳にそんな陰惨極まる会話が聞こえたかと思ったら、すぐ近くからペトラの悲鳴がして、布を破く音もした。

 恋人の危機に彼は痛みを無視して立ち上がろうとする。腰のナイフを抜いて周りを囲む男達を何人か斬りつけて、ペトラの手を取ってそのまま脱出、後は自宅まで逃げ切ろう。そこまでの思考がブリットの最期の思考だった。


「死にな色男」


 立ち上がろうとしたブリットの首筋に短剣が刺された。男達の一人、狩猟を得意とする人物が自前の狩猟ナイフで彼に止めを刺したのだ。

 脳幹に突き刺さるナイフ。ブリットはロクに痛みを感じる間もなく即死となった。身体能力の高いプレイヤーであっても、人体の急所は変わらない。ここはヒットポイントや耐久能力だけでダメージを計れるゲーム世界ではないのだから。

 動かなくなったブリットの体。そこへ何人もの男達が手に刃物を持ち、何回も彼の体に刃を突き入れて追い打ちをかける。恐れと憎しみの混ざったそれは、すぐに滅多刺しへと変わった。この光景を見たペトラの悲鳴はさらに悲痛なものに変わる。


「いやぁぁ! ブリット、誠、いや、いやぁぁ!」

「うるせぇな、この化け物! 町をこんなにした連中と同類のクセして一人前に悲鳴なんて上げてんじゃねえよ」

「うぐっ!」

「さて、オレが一番で、手前が二番ってことでいいな」

「ああ、後は全員で順番にまわすか」

「だな」


 ペトラの悲鳴は口に詰め物をされて塞がれ、衣服は無理矢理脱がされるか破かれる。脇の下のホルスターに収まっていた拳銃も役立つ場面もなく奪い取られた。ルナの講習を役立てる暇すらなくペトラは強制的に一糸纏わない体にされる。

 服の下から現れるエルフの肢体は彼女を囲む男達には充分以上に魅力的らしい。押し殺した声で算段を立てると、遠慮や容赦も無くペトラの体に次々と手を伸ばしていった。

 悲痛なペトラの声がその裏路地から消えるのは、それからしばらく経ってから。


 こうして小さな幸せを確かめた一組の恋人達は、その直後にこの世界の非情さを思い知るのだった。

 この凶行を見ていた第三者は無く、ただ夜空の半月だけが冷たく輝いていた。




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