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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
First Blood 邦題:ランボー
44/83

挿話

 この話は二章8話と9話の間にあった出来事として描いた外伝です。

 海外ドラマの『デクスター』を見ていたら、こんな話が出来上がりました。



 アルフレッド・ジンデル――通称アルフは殺人鬼である。


 彼はデナリ首長国は南部にある首都、そこで下級官吏をしている父親と医師の母親の間に生まれた。両親の職業もあって物質的には不自由のなく、精神的には両親の共働きで孤独な環境で彼は育ってきた。

 特筆するほど目立った才覚に恵まれていた訳ではないし、少々運動が得意という以外はごく一般的な首長国国民の一人であった。

 変化は突然だった。きっかけは進路で両親と揉めた事からになる。より良い学校を薦める親と夢のためにランクが落ちる学校を選ぶ子。子供のある家庭なら一度はありえる光景だ。ジンデル家もその例に漏れなかった。

 その結果で起こった悲劇により、彼の最初の獲物は両親となった。


 この世界でも警察組織は存在している。現代日本ほどではないにしてもキチンと機能していて、となれば普通はここでアルフは警察に捕まり、然るべき法の裁きを受けるはずだった。

 だが、今まで自覚していなかった才能が彼にはあった。それは隠匿の才能だ。死体と痕跡の隠滅時間はわずかに三時間、才覚が開花した瞬間だった。

 そしてもう一つ、彼は人を殺害して切り刻むことに快楽を覚えるようになったのだ。

 隠匿を全て済ませた彼は、親の金を根こそぎ持ち出して家を飛び出て放浪を始めた。これが彼が十五の時の話だった。


 以降五年間、アルフはハイマート大陸を西へ東へと放浪して行く先々で犯行を重ねていった。

 放浪の行く先で獲物を仕留め、その糧で日々を生きる。アルフのそういった在り方はまるで捕食者みたいで、彼自身も自分を獣と思うようになっていた。

 そんな彼は現在アストーイアの町に居を置いていた。


 アルフがアストーイアに来た深い理由はない。あえて言えば気分転換や目先を変えるためだ。

 アストーイアに来る以前はゲアゴジャで数人の人間を殺害してきた彼だったが、警察の目を潜り抜けるのも難しくなってきていた。そろそろ次の街へ移ろうかと考えていた。折しも帝国が侵攻してきて、戦争が巻き起こって拠点を移すには好都合な情勢となっていた。

 そして居を移るときにアストーイアの存在を知り、賑やかな都市部で殺人鬼として活動してきた彼は、目先を変えて静かな港町に魅力を感じてアストーイア行きの船に乗った。

 どこに行こうとも彼の殺人嗜好は止まらない。ナイフを服の下に忍ばせて今夜も町をフラリと出歩いた。



 ◆



 アストーイアの町に来てから三日が過ぎようとしていた。ジアトーからここに来るまでの一週間が異様に長く感じられたのとは対照的に、ここ数日は時間の流れが早いように思えた。この町に来たのがつい昨日の出来事のように思えるのだ。

 とはいえ、三日も時間が過ぎればそれなりに落ち着くものだ。一緒にここまで行動を共にしたマサヨシ君や水鈴さんも町の空気に慣れてきて、表情が明るいものになっている。ようやく辿り着いた安全な土地に二人とも気が楽になっているのだろう。

 自分はと言えば落ち着かないのが本音だった。元の『ルナ・ルクス』の拠点から離れたのもそうだし、長い時間人と接し続けているのも負担だった。

 そんな気が晴れない数日を過ごしてきた自分だったが、しばらく振りにある習慣を始めてみた。


 逗留しているホテルの部屋を静かに抜け出して裏口から外へと出る。扉を開けると入り込んでくる夜の空気は程良く冷涼で、同じ初夏でも日本のものとは大違いだ。

 上を見上げると都会にはない広い空と降るような数多くの星。人口が少ない上に、今の時刻が真夜中なので活動している人間が少ないから出来る星空だ。

 今度は下を見ると、ホテルのある丘から町を見下ろせた。人口の少なさと時刻の関係で明かりに乏しいが港の明かりは消える様子はないし、堤防の先にある灯台が光を海へと放っている様子は自分の心の琴線に触れる。

 今から町へ真夜中の散歩に出かけるのだ。踏み出した足は日中よりも軽く感じて、かなり心地よい。潮気も少し感じる夜の空気を胸一杯に吸いこんで気分良く散歩を始めた。


 真夜中の散歩。これが中学時代から続いている習慣だ。

 夜の街は昼とは全く異なる表情をしている。当時住んでいた土地は地方都市であって、都心の繁華街のように夜中でも賑やかではなく、田舎のように夜には閑散としているわけでもなかった。賑やかな歓楽街の一本裏手は驚くほど静かな通りがあり、夜が更けると車が一台も通らなくなって道に寝転がってみたこともあった。

 散歩の度に昼とは違う顔を見せる街に魅せられ、折を見ては夜中の散歩をするようになっていた。自衛隊にいた時も、傭兵として中央アジアにいた時も、夜の空気は自分を引き付けてやまなかった。

 悪く言ってしまえば、中二病を今だ引きずっている部分があるのだと自己分析している。

 ここ最近は夜中に『エバーエーアデ』を初めとしたゲームをするのに忙しく、散歩をする暇がなかった。今回の異変は自分にとって大きな転機だ。沈んだ気分を解消するため、自分は異界の夜の空気に触れようと思い立った。


 いつもは決まった歩幅、決まったペースを心がける歩行も夜中の散歩は例外だ。

 歩き方は気まぐれで、ペースはノリで決める。興じればステップやターンもあり。思い切り羽目を外すのが自分なりの楽しみ方になる。周囲の迷惑にならない程度なら軽く鼻歌も混じったりする。

 客観的に見ると凄く奇矯な真似をしているのだろうけど、ここで素に戻る気はない。帰るまで浮かれた気分を大切にする。

 小さな港町を軽く一周する予定なので、ここまで身に着けてきた装備はない。腰回りは軽く、肩に担ぐスリングもないため足取りは一層軽くなっている。


 町歩きにライフルやショットガンは無用の長物で、モーゼル拳銃のような大型拳銃も散歩に持ち歩くのは不向きだ。どちらも部屋に置いてきている。

 しかし、丸腰で夜道を歩く愚は知っているつもりだ。路上犯罪の被害者になりたくなければ護身の得物や術を身につけておくべきで、自分の場合はジャケットの裏にしまっている小型リボルバーとナイフが身の安全を保証する。

 アメリカのS&W M49をモデルにした『S&W ボディガード』。これもゲーム内に出てきた一挺だ。衣服の引っかかりを防ぐために撃鉄の両側がフレームに挟まれて、肩をいからせたように見える外見が特徴的。

 紛争地帯では心許ないが、アメリカの都市部ならこれ一挺と用心深さがあれば治安の悪い地域も歩ける。町歩きにはこの位が自分にとってちょうど良い。


 ホップステップの足取りで丘を降りきって町中に入ると、人の気配が薄くなった無人の町並みが道の両側に広がっている。

 人影は道から消えて、数少ない街灯が道を照らす。こうも明かりが少ないと普通は懐中電灯の出番になるはずだけど、『ルナ』の目は暗さをものともしない。スターライトスコープのように少ない光量を増幅し、夜になっても鮮明な視界のままだ。

 お陰で夜道に足を取られるのはなくなったが、暗さの中で散歩する風情もなくなった。あの影絵の中を歩いているような雰囲気は、今の肉体では感じられそうにない。それが少し残念だった。


 舗装された道に足を下ろすたびにブーツが鳴って、町の建物にこだまする。周囲に大きな音を発するものが無いせいで足音のような音でさえ響く。

 足は軽いまま港に向い、下町に差し掛かると潮の匂いが強くなる。遠くの曲がり角から車のヘッドライトが現れて、ガタピシとした音を立てて横を通り過ぎて行く。相当年季の入ったトラックだったようだ。黒煙が後に残って、思わず顔をしかめてしまった。

 ポケットからハンカチを出して鼻と口元を覆って、車の出す黒煙の臭いが鼻から消えるまで待つ。そして改めて散歩を再開しようとしたけど、今度は別の匂いにあれほど軽かった足取りが止まった。


 とても濃い血の匂いだ。ほとんど反射的に発生源へと顔が向く。

 建物と建物の間にある細い裏路地、町に一つはあるだろう死角となる場所だ。夜目が利く自分でも薄暗く見えるそこは、魔獣の口のように開かれていた。

 血の匂いがする裏路地、普段だったらまず近寄らない。ただ、現在の自分は普段の自分ではない。久々の夜の散歩に気分が浮かれて、血の芳醇な薫りが誘っているように匂いを出している。

 気が緩んでいる時に不意打ちで心を揺すられたようなものだった。

 どうなったかというと、深く考えずにフラフラと路地に足を踏み入れてしまったのだ。


 路地に一歩入ると血の匂いはより濃くなった。

 建物の間にある路地の幅は二Mも無く、行き止まりになっていて奥行きも一〇Mほど。ここを使う人間は建物の関係者ぐらい。右の建物が外食関係の店なのか、大型の換気扇が壁から突き出て、黒く変色した食品油で周囲を汚している。後は生ゴミから出たすえた臭いもしている。

 けれど何といっても濃く匂うのが血だ。発生源は路地の地面一杯に広がっていた。


「これは殺人事件?」


 血の出所を辿れば、路上に肉塊が転がっていた。

 遺体に対して失礼な物言いになってしまうが、人としての原型を留めないものはそうとしか言いようがない。服と髪の毛が見えるから人間だったと分かるのであって、それらがなければ水気の多い生ゴミになってしまう。

 明らかに犯罪が起こった直後の現場、陽が昇ったらいくら静かなアストーイアの町でも大騒ぎになる事件の発生だった。

 血はまだ乾いていないから起きてすぐだ。犯人もまだこの近くに?


「……血の雫?」


 ようやく警戒心が出て、ジャケット裏にあるナイフと銃に手を触れて周囲を見渡した。

 すると血溜まりに赤い血液の雫が滴り落ちているのが見えた。肉塊の一部が上に吊されているのだろうか。雫の元を辿って視線を上げる。


「っ」


 視線の先、壁と壁の間に足を突っ張ってクモの真似事をしている人間と目があった。街中で見かけるカジュアルな服装の男性。血の雫は手に持っているナイフから滴り落ちていた。犯人は近くに居ると考えたが、こんな近くにいるとは流石に思ってもみなかった。呆気にとられる。

 こちらのそんな様子をスキと見たらしく、犯人はナイフを手に上から飛び降りてきた。


「――ジャッ」


 鋭い呼気と一緒に突き出されるナイフの刃先。乾ききっていない血がべっとりと付いている様子まで細かく見て取れる距離、普通だったら必殺の圏内。為す術もなく体に刃を埋められて終わる。

 思考を飛ばし、ほとんど反射行動に近い動きでジャケットからナイフを抜き出して間に合わせる。手にした鉤爪型のリング付のナイフ、『カランビットナイフ』の刃で相手の刃を迎え撃ち、弾いて逸らす。顔に向っていた刃は肩の横数センチに大きく外れた。

 相手の顔が間近にある。二十歳前後の若い男、欧州系の彫りが深くクッキリした顔立ち、その顔は悦びに満ちていた。


 次の行動。普通ならここで間合いを取って保有する最大の火力、拳銃を抜き出すところだ。けれどそれで相手の動きを止められる予感はしなかった。

 距離を取らない、むしろ詰める。空いた手でまだ空中にいる相手の腕を掴み、強引に引き倒した。さらに腕を捻り上げ、足で相手の背中を踏みつけた。

 悲鳴のような声が聞こえたがもちろん無視、踏みつけた足に力を込めて襲撃者を路面に押し付けた。

 襲撃を受けてから制圧まで五秒未満。とりあえず格闘技の教官からは文句は言われないレベルだろう。


「ぐ、ぐむぅ……やるねぇ、アンタ」


 向こうの第一声はまさかの賞賛の声だった。押さえつけられて男の顔には笑みが浮かんだままで、無邪気なものだ。まるで子供が「スゲー」と感心の声を出すのと変わりがない。


「いやいや、凄い。アンタ軍人? それともプロの殺し屋さん? やっぱ何人バラしてもアマチュアはアマチュアってことか。訓練された人には敵いませんわ」

「……」

「およ、黙り? お喋りは嫌いな方とか。仕事の最中は余計な事は言わないとか? ますますプロっぽいね。あちゃー、仕掛けたのはマズったよな、俺」

「……なあ」

「なになにやっぱり聞きたい事があるとか? 質問大歓迎。さすらいの殺人鬼アルフさんが可愛い君の質問に何だって答えてあげよう。あ、でもデートしてくれとかはお勧めしない。うっかり殺したくなるから」

「……」


 もの凄く饒舌になった。軽いノリと滑らかに回る舌で矢継ぎ早に言葉を繰り出してくる男に自分は戸惑いっぱなしだ。

 ここが繁華街の街角ならナンパなのだろうが、裏路地の殺人現場でこんな事を言ってくる相手をどうしたら良いのだろうか。

 とりあえず、黙らせる意味を込めて踏みつけている足にさらに負荷をかけた。


「おうっ、おうっ! 美少女に踏まれるのは滅多に無い経験だけど、変な性癖に目覚めそうだぜ。そのうち『ご褒美』って言い出しそうで怖いわぁ。だから勘弁して」

「ならもう少し静かに」

「了解、了解。アルフさんは静かさに定評のある男ですよ。具体的には殺しの時に獲物を仕留める瞬間とかさ。こうサクッてヤル前は静かにしないと集中切れちゃうよな」

「……」

「おうっ、おうっ! 無言で圧迫係数上昇! 美少女に踏み殺された世界初の男になれそうだぜ。でもそんな称号はいらないので勘弁して」

「だから黙って」


 調子が狂いそうな男だ。抵抗してくるなら拳銃で撃つことも躊躇い無くできるが、今の彼は暴れる様子がない。

 取りあえず最初にすることは敵の武装を解除するところからだ。後はこの町の警官に任せて身柄を渡してしまおう。男のマシンガントークに惑わされた頭がようやくまともに働く。もしかしたらこれも男の作戦かもしれない。油断無くいこう。

 捻り上げた腕からナイフを取り上げ、他にも隠し持った武器はないか探る。ボディチェックの経験は浅いがやらないよりはマシだ。


「美少女にお触りされるとは、結構気分がいいもんだ。俺に触るとヤケドするぜ、主に性的な方向で。……って、ゴメン下ネタ言って。だからそんな冷たい目で見ないで。繊細なハートがブロークンですよ?」

「……次に余計な事を言うともぎ取る」

「ナニが? というのは分かるので言いませーん。了解了解、おっかない子だというのがよーく分かりました。あと、そのナイフはお気に入りなので大切に扱ってくれることを希望」


 隠し持っている武器は無い。次に男が大切にしろと言うナイフにも何か仕込みはないか確認する。

 全長二〇センチ程のハンティングナイフ。肉厚で頑丈、木製グリップはフルタングでヒルトは高い。実戦的で扱いやすく、特殊な形状のナイフしかない自分が欲しい代物だ。それと、仕込みや仕掛けは無い。

 一瞬このまま持っておこうかと思ったが、指紋が付いて警察に痛くもない腹を探られる可能性があるでやめた。第一血まみれのナイフを持ち歩く趣味はない。


「ねえねえ、殺し合いは済ませからお茶でもしばかないかい? いやいや、可愛い見た目に凶暴な感じがそそられてさー、すごく好みだわ」

「……」


 襲いかかられた直後に口説かれた。その上殺人現場でその犯人と思わしき相手にだ。訳が分からない。

 夜の散歩に出てみれば遭遇したのは殺人犯。押さえ込んでみれば口説かれた。軽薄そうな雰囲気でにこやかに言ってくる男に、自分はどう反応して良いか分からなくてナイフを持った手で頭を抑えてしまう。

 実に厄介で奇妙な事になってしまった。――どうしよう。



 ◆◆



 男はアルフレッドと名乗った。「気軽にアルフって呼んで」とか言われてしまったが、個人的には猫を食べる異星人を思い出すのでアルフレッドで通す。あの異星人の軽妙なトークには好感が持てるのだが、猫を食う点がネコ派の自分には気に入らなかった。

 ともかく、アルフレッドに口説かれてしまったせいなのか、気勢を削がれてしまった自分にはこれ以上彼をどうこうする気が湧いてこなかった。すでに彼を拘束するものは無い。処置に困ったナイフも返している。

 これが作戦だったとしたら本当に大したものだ。今も彼の様子を窺うに、意図的な感じはしないが。


「深夜だからお茶をしばこうにも店がないわぁ。これだから田舎町は。ゲアゴジャだったら一件ぐらいは深夜営業の茶店はあったんだけどなぁ。ごめんなぁ、ルナちゃん。貧相な茶になってしまった」

「別段気にしてない。深夜営業の雑貨店があるだけでも御の字」


 彼は港近くにある深夜営業のこぢんまりとした雑貨店を見つけて、缶入りの紅茶を買ってきて謝罪してきた。日本で良く見たコーヒーのショート缶に似ているが表示は紅茶、しかもホットだ。

 現代日本ならともかく、このハイマート大陸の文化水準から考えると深夜営業のコンビニめいた店がある方が軽い驚きになる。店名も『Night Owl』、夜のフクロウ、これは深夜営業のコンビニを指す言葉だ。


「ああ、店。多分月詠人向けじゃないかな? ここって連中の居る割合が結構多かったりするし。噂じゃこの辺の土地をまとめているボスみたいな人が住んでいるとかなんとか」

「ふむ。まあ、いただきます」

「どぞどぞ、遠慮無くぐっとやっちゃって」

「毒、とか?」

「まっさか! 毒殺なんて俺の美学に反するよぉ。やっぱ殺しはナイフでさっくしヤラないと。殺した感じが手に伝わるのがイイんじゃない。後血飛沫ブシャーもお気に入り。美少女のだと射精ものです」

「……買ってもらってなんだけど、いらない」

「オーノウ。余計なこと言ってドン引きされた。大丈夫だって、もう今夜は殺しはしないから。だってこんな可愛い娘とお近づきになれた訳だし? 殺人鬼も紳士になる時があるのですよ」


 相変わらず口数が多い。月詠人について気になる言葉が出てきたが、まるで昔のチャットのように言葉の向こうへと流れていってしまう。

 対人スキルが極めて低いと自己評価している自分にとってしんどい相手だ。言葉を交すだけでもそれなりの労力が必要になる。

 ひとまず缶紅茶を飲むのは保留にして、カイロ代わりに手の中を転がす。もう彼を押さえつけているものはない。けれど彼はこちらの何を気に入ったのか、しきりに口説き文句を会話に入れつつ話しかけながら付きまといだした。


「さっきから聞いているが、可愛いだの美少女だのと、私の事か?」

「あったりまえさ! 君のような娘が美少女でないなら俺の目は腐っているね、ホント。もしくは世の男どもが不能のフニャチン野郎ばかりとか。その黒ずくめの姿もクールでビビッとくるし、切れ長の金色の瞳は最高にイカス。夜の王女様っていうのか? とにかくバラしたい位に最高さ」

「バラしたいのか」

「オーノウ。また引かれた。だから俺なりの褒め言葉だよ。殺人鬼だって誰彼構わずって訳じゃないんだよ? 特に女性はそそられないとナイフが走らないんだ。こう堪らない感じがこないと……分かんないかな?」

「要約すると性的に興奮しないとダメと」

「身も蓋もなく要約された! 確かにそうだけどさ、それだけだと俺がまるでレイプ魔みたいじゃん。性犯罪者と殺人鬼を一緒くたにされたくないわぁ。とにかく俺が言いたいのは、ルナちゃんが最高に可愛くて、俺はそんな美少女な君とお近づきになりたいと、ユーシー?」

「アイシー。まあ、男性心理は分かる」


 現実の女性のことは何とも思わないけれど、一般的な男性の反応は頭では理解できている。『ルナ・ルクス』の容貌は確かに可愛い。そう見えるよう自分が作り込んだキャラクターであり、自分の審美眼は一般的な感性からは外れていないつもりだ。だから必然、ゲーム時代のものが反映されたこの世界でも他人が見ても美少女に見える『ルナ』となった。

 だけど、その賛辞を自分が受け取る側になると反応に困ってしまう。こんな変異に巻き込まれ、ロクに指針も定まらない中で必死に今日まで生き延びている。男女の間にあるあれこれに意識を回すだけの余裕がなかったのだ。

 ようやく一安心できる環境が整って、思考に余裕が出てきた辺りでこんな事を言われては困惑するしかない。

 戸惑っている様子を誤魔化すため、手の中で転がしていた缶紅茶のプルタブを開けて口をつけた。コーヒーと違って紅茶の良し悪しはよく分からないが、まあ飲める代物だ。ついでに言えば毒も入ってはいなかった。


 夜中の散歩は殺人鬼の同行者を加えて奇妙ななりゆきになってきた。

 自分とアルフレッドはプラプラと河口沿いの道を歩き、とりとめの無い話をしながら時間が経つのに任せていた。もっとも会話のほとんどを彼の饒舌さが占めていて、こちらは相づちと感想を付けるぐらいだった。

 国を賑わせている戦争の話、どこそこの町の名物の話、特にナイフ選びの話は盛り上がった。自分もハンティング用に複数のナイフを持っていたから話が合ったのだ。もっとも彼は人体を解体するのが目的で、自分のは狩猟の獲物を解体するのが目的という違いはあったが。


 潮の香りと水の流れる音がして、暗い中でも港町の雰囲気を形作っている。護岸によって築かれたコンクリートの堤防の上をアルフレッドは軽い足取りで歩き、その下の歩道を自分が歩いて彼を見上げていた。

 奇妙なもので、自分はこちらを殺しに来た殺人鬼を相手に世間話をしながら散歩している。通常の時だったら冷静に処置をしているはずなのに、今は浮つく心で状況に流されてしまう。そしてそんな自分も悪くないと思っているのが驚きだった。

 今夜の『僕』は本当にどうかしているのだろう。どういう訳か冷徹になり切れない。


「しっかし、聞きたいんだけどさー。なんで俺を殺さないの? いやぁ、ルナちゃんって俺のここまでの見立てだと敵と見たら容赦ないっぽいし、最初に取り押さえた段階でさくっとヤラれててもおかしくなかったんだよなぁ。で、なんで?」

「そちらと違って無闇に人を殺して楽しむ趣味はないだけ」

「えー、人を殺して楽しむのは合っているけど、無闇って事はないですよ? ちゃんと人は選んでいるって。殺して楽しくない相手は殺ってないよ。むしろ、ルナちゃんこそ敵と見たら見境無いんじゃない?」

「敵は選り好みするものじゃない」

「ふははっ! そっか、じゃあ俺達はプロとアマの違いはあっても近しい者同士じゃないかな?」

「……なぜ、そうなる」


 とりとめの無いアルフレッドの話は、いつしか殺しの話になった。彼はこちらを近しい存在と思っているようで、共感を持っているみたいだ。

 でも自分の考えは違っている。少なくともアルフレッドのように楽しんで殺しはしていない。この世界に来る前も、来た後でもそこに変わりはなかった。雇い主の命令だったり、仕事仲間や自分の身を守るためだったりだ。それ以外の理由で殺しはしていない。

 進んで殺しをする彼と、身を守るために結果として殺しになる自分。だから違うと思っている。

 その事をアルフレッドに言ってみたが、返ってきた反応は手を振って「いやいや、分かっちゃいない」と否定だ。


「どっちにしろ殺している事に変わりはないっしょ? 人を狩っている時の高揚感は知っているでしょうに、良い子ぶる気かぁ?」

「……そんなつもりはない。そちらを殺さなかったのも警察に届けるつもりだから」

「わお、クソポリスに突き出されるの俺? いやだよ、お断り、死んだり檻の中に入ったりするのは怖くないけど、大好きな殺しができなくなるのは嫌だぜ」


 堤防の上で「おーヤダヤダ」と巫山戯ているアルフレッドを横目に、自分は言われた言葉を思い返していた。

 人を殺す時の高揚感は否定できない。狩猟をしているときの感覚に近く、命と命の応酬が狩りの時なら、せめぎ合いが戦闘だ。脳内物質の発現で高揚もするし、ハイになった経験もある。だけどそれが楽しかった覚えはない。やはりこの男と自分は違う。

 第一、仮に同類だったとして彼はどうしたいのだろうか? お近づきになりたいと言っていたが、性別意識が薄めとはいえ精神的に男性である自分は彼とどうこうしたい気持ちは起こらない。それとも単純に孤独ではないと思いたいだけなのか……そんな風には見えないが。

 深めに思考していたらしく、少し周囲の状況が見えていなかった。空の色が明け方に向けて青みを帯びるようになっており、堤防の上で戯けていたアルフレッドが動いたのはその時だった。


「もうそろそろ夜も明けてきたし……ルナちゃん、もう一回殺してみていいかなぁ」



 ◆◆◆



「――くぅ」


 堤防の上からナイフが降ってきた。アルフレッドがナイフを手に斬りかかってきた。上からの襲撃はまるでさっきの焼き直し、違うところは短時間でもお互いの意思を交している点か。反射的にこちらも抜き出したナイフで防いだが、さっきのように手が出なかったのはそのせいだ。

 金属と金属が強く擦れる。一瞬だけの火花が目を焼いた。


「さっきは、今夜の殺しはしない、って言っていなかった?」

「ああ、それはナシで。ルナちゃんが魅力的過ぎて殺したくなってきたわぁ。だもんで、再戦!」

「なんて、馬鹿らしさ」


 最初の一撃が離れた次の瞬間にはナイフの斬撃が次々と繰り出されくる。ナイフ好きと言うだけあって、その扱いや熟練度は一端のナイフ使いそのものだ。こちらは防ぐので精一杯になる。

 周囲にあるのは町外れにある缶詰工場だけ、人通りは朝になるまで無い。この場所で刃物を打ち合っていても気付く人はまずいない。

 その上、アルフレッドにナイフを返していたのも不味い。いくら取り上げたナイフの処置が面倒だったと言っても敵に返却するとは本当に馬鹿としか言い様がない。今夜の自分は本当にどうかしている。

 敵のナイフとこちらのカランビット。リーチは向こうが上のため、グリップではなくリング部分を握りこんでリーチを稼ぐ。懐のボディガードを抜いているスキをどうにか作らないと。


 刺突、切り上げ、蹴りと繰り出される攻撃を凌ぎ、大きく後ろへ跳ぶ。対して敵は距離を詰めて来る――ここだ。

 握ったナイフをサイドスローで投げつけた。スナップも利いてか、鉤爪型のカランビットは手裏剣のように回転して敵に向って飛んでいく。


「ハッ、コケおどしぃ!」


 敵の反応は良い上に目も良いらしく、暗闇の中で見えにくいはずのナイフは敵のナイフで弾かれた。

 でも構わない。当たろうが弾かれようが関係なく、次の自分の攻撃を当てるための布石に過ぎない。この時にはもう体は宙にあった。

 ナイフを追いかけるように走って跳躍、体を空中に運んだ足をそのまま攻撃用に変えての跳び蹴り。敵が気付いた時にはもう遅い。


「え? ――ぶぅっ!」


 金属板入りのブーツの底がアルフレッドの顔面にめり込んだ。すぐに首と上半身が仰け反って後ろへと蹴り飛ばされる。マサヨシ君ではないが、香港映画だったらスロー再生が入るだろう一瞬だった。

 路面を転がる敵の体を見ながら自分は難なく足から着地して、次の武器、小型リボルバーのボディガードを手にして銃口を標的に向ける。

 シリンダーの中にはワンラウンド五発の三十八口径弾。この忠実な猟犬に号令を与えるために撃鉄を起こした。


「あてて……いや、やられたよぉ。二戦目も負けか。その上、そんなものまで用意してたとは驚き。まじプロには敵いませんわ、ホント。やーやー、もう仕掛ける気ないから見逃してくれると嬉しいとか? ダメ?」

「……」

「うわ、その眼は知っているよ。マジでヤル眼だぜ。参ったな、ここで何を言っても死ぬ目しか見えてこないわ」


 敵はこんな状態でもすぐに復帰して人を喰ったような言葉を口にする。演技とかではなく、これはもう彼の性質と見るべきだろう。

 路面を転がり、堤防を背にしたアルフレッドとの距離は約五M、拳銃を使ってもまず外さない間合いだ。問答無用に引き金を引いて、脳幹から背骨にかけての正中線のどこかに当てれば敵は無力化できる。

 けれどナイフを失い、無様に路面に転がるアルフレッドに対して不思議と引き金は引けない。


「一つ聞いて良い?」

「どうぞ、お嬢さん」


 代わりに質問が自分の口から出てきた。こちらの気持ちでも察したのか、対する彼の言葉もハイテンションから一転して静かになった。


「アルフレッドは何で人を殺すの? 純粋に理由が知りたい」

「およ、警察の取り調べみたいだね。犯行の動機、とか知りたいのか? 割とそういうのって不毛と思うんだけどなぁ、俺。だって、理由なんてソイツだけのものなんだし、共感とか共有とかするもんじゃないと思わんか? 特に殺しだと」

「もっともだけど、参考程度に」


 確かに善悪関係なく、事を為す理由なんて余人の知るところではない。文章化できたとしても、その時にその人物が感じている感情はその人だけのものだ。真実の共感や共有はあり得ない。

 でも、自分とはベクトルの違う殺人者に意見を聞いてみたくなっていた。もう彼に銃口は向けていない。起こした撃鉄も戻していた。


「参考ね。オケオケ、アマの俺がプロっぽい君に意見を求められるのも面白いからいいや。そうだね、一口に言うと楽しいからになるんだけど、それだけだとダメだよね、やっぱ。あー……ほら殺すってことは相手が死ぬって事じゃん、するとさぁ、俺の方は生きているって実感がすっげー湧いてくんだよ。ビンビンに」


 語りながら体を起こして立ち上がるアルフレッド。こちらを警戒させないためか落としたナイフから離れて、またさっきのように歩き始めた。

 鼻から出てきた鼻血を手でぬぐい取り、「うげぇ、鼻血出てるぅ」とか戯けた調子のまま言葉を続けた。


「ほら、良く聞くだろ。平和を知るには混乱や戦争を知れ、非暴力を知るには暴力を知る。そして生きるのを知るには死を知らなきゃ。俺はね、精神的な生に満たされるために死をばらまいているんだ。言ってみれば一種の食事な」

「精神の食事か。それが貴方の信仰」

「信仰というほど大層なもんじゃないけどさ」


 やはり、彼と自分は違った。ここまでベクトルが異なると同じ殺人者でも別物になる。何故に彼は同族意識を持つのか不思議な位だ。

 参考程度に聞いた話も、理屈は分かっても理解には及ばない。それも当たり前、先にあったように真の共感は人の間にはあり得ないからだ。心の距離は近いか遠いかで、重なることはない。

 でも、殺人現場を見た後としては極めて不謹慎だが、この殺人鬼と出会って何かを得た気にはなれた。

 一度ならず殺しにきた敵にここまで許せるのは初めての経験だ。自分はもうアルフレッドを殺す気が失せていた。拳銃をしまい、近くに転がっていたカランビットを拾い上げて手を振った。


「質問に答えてくれてありがとう。だからもう行って良い、今夜限りの事なら警察にも言わない」

「おおー、ルナちゃん太っ腹。まじ天使、まじ聖女様。祈って良い? 白衣の天使ならぬ黒衣の天使様降臨とか言ってさ。お慈悲を願った甲斐があったもんだ。何事も言ってみるもんだねぇ。俺の言葉で何か響くものでもあったからかな、やっぱ。俺って言葉で人を感動させる才能もあったり? ポエマー目指そうか、殺人鬼ポエマー・アルフレッド、とか肩書きつけてみたり」

「……」

「オーノウ、そんな冷たい眼で見ちゃいやん。分かりました、さっさと退散しろですね? 分かります。分かりますからその射貫くような眼はやめて。俺のハートが別の意味で射貫かれそうで怖い。惚れる方向で」

「……」

「うぇいうぇい、さっさと町から居なくなりますんで、じゃあね。どっかでまた会おう! あ、後そのナイフは記念に進呈。大切に使ってくれること希望。しーゆー」


 最後まで巫山戯た調子で喋っていたアルフレッドは、後ろ手をひらつかせて走り去って行った。一般的には端正な顔を鼻血に染めて走る彼の姿は、どこかユーモラスであった。

 殺人鬼という間違いのない悪人の彼。しかも自分にも刃を向けてきて、殺しにきたのも間違いはない。そんな彼を自分は二回も見逃した。普段だったらあり得ないと言い切れる。それだけ戦闘に関しては容赦を捨てているつもりだった。


「鈍ったのかな、この十年で。元々好きで入った部隊じゃなかったし、忘れようと思っていたら戦闘勘から忘れたのかも」


 自己分析を小さく呟く。分析が出たところで不毛だ。この手のは時間をかけるしか解決の方法がない。

 少し俯いていた顔を上げて、アルフレッドが去っていった方向を見た。足が速いらしくもう背中も見えない。どこかの物陰に消えてしまったようだ。

 どのくらいの時間を歩いていたのか、周囲は太陽の出る前の蒼暗い風景になっている。もう一時間もせずに太陽が顔を出すだろう。そんな夜と朝の間にある時間帯となっていた。

 横合いからカラスの鳴き声がしたかと思えば、水鳥に混じって黒い姿を堤防の上に現している。彼らは早くも活動時間のようだ。反対に自分は体が重く感じるようになってきて、月詠人として朝の訪れに反応しているのだろう。


 戻ろう。情緒は充分楽しめたし、突然の出来事にも遭って精神的にも疲れた。ホテルに戻って充分な睡眠をとりたくなった。

 ホテルへ向けて踵を返そうとする中、ついさっきまで傍にいた殺人鬼の事を考え、進呈、いや押し付けられたナイフを手にした。握りやすく、使いやすそうな感触がして好評価が下せる。殺人道具にしておくのがもったいない代物だ。

 けれど、自分は大切にする気はなかった。


「または無い、アルフレッド」


 河口に向けて思い切り投げ飛ばしてやった。放物線を描いてナイフは堤防を越えてかなりの距離を飛び、最後に灯台の明かりを一瞬だけ反射して水の中へ。彼との再会はあり得ないと思うためにやってやった。こんな奇妙な気持ちは今夜一夜限りだ。二度目はないと思いたい。


「どうかしていたな、僕は」


 自嘲と自戒とその他諸々を込めて自分自身に今夜の感想を言ってから歩き出した。彼の言葉から得られた、まだ言葉にならない思念を抱えて。

 異なる世界での久しぶりの夜の散歩は、血生臭くも奇妙な出来事に巻き込まれて終わった。名残だったナイフも河に捨てたせいで、今夜の出来事の現実感は早くも薄いものになった気がした。

 ただ少し、わずかに彼から匂った血の香りが残っている。だから自分はその場を立ち去るのだった。


 日の出直前の蒼い明かりに浮かぶ港町。ここで自分は殺人鬼に出会った。不思議なことに現実感はなくとも記憶は薄れなかった。

 不本意だが、これが彼との一度目の記憶だった。




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