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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
First Blood 邦題:ランボー
42/83

21話 Blood




 結果だけを先に言うなら白旗を上げての交渉は失敗だった。

 最初はこの国の軍隊が自分達を敵と誤認したのかと思っていた。誤解なら話をして解けば良い。最悪でも白旗を上げているので、殺されはしないだろうと計算していた。それがとんでもなく甘い考えだった。

 何しろあのチハ車に酷似した戦車を操縦しているのは、人間ではなかった。そもそもが話が通じる相手ですらない、とそういう罠だった。


「うわっち、なんだアレは。何かタコ足みたいな触手が生えているぞ」

「アームド・スライム、か。こっちの兵器も乗っ取れるのか」

「金眼の嬢ちゃん、アレ知ってるのか?」

「まあ、一応は」

「じゃあ聞かせてくれよ、あれは一体――って、うおっ」


 隣までやって来たデールの頭上を弾丸が通過して、さらに周囲に弾丸がばら撒かれて爆ぜた地面が土煙を上げ、一定の割合で混ぜられている曳光弾トレーサーが光の尾を引いて弾丸の軌跡を描く。戦車の副武装の機関銃が火を吹いたのだ。

 地面に伏せた自分達の横合いを至近弾が通り過ぎていき、擦過音が耳に残る。中身がスライムの割に制圧射撃が上手くて頭を上げられない。幸いにして死傷者は出ていないみたいだけど、この場に釘付けにされてしまった。

 さらにこうして撃ってきているチハ似の戦車だが、やはり似ているだけで若干仕様が異なるようだった。


「銃声からして7.7㎜JP弾ではなく7.62㎜のNATO弾。連射速度も速いし、そもそも使っている機関銃が違うのか。デールさん、あれのスペックとか分かりますか?」

「おいおい、一私兵が軍隊の戦車の性能なんて分かるわけ無いだろ」

「ですか」


 現代地球の軍隊と違って、保有している兵器の諸元は機密情報として一般公開はされていないのだろう。使っているディーゼルエンジンも音からして水冷式のエンジンだと分かる。チハは空冷だ。やはり似ているだけで別物と考える方が良さそうだ。

 そして今は魔獣が乗っ取っているので性能面ではより不明の敵だ。思い込みと偏見はこの際捨てよう。そう自身に言い聞かせ、顔を上げて改めて敵性とした存在に目を向けた。

 本格的な動きを見せたせいなのか、チハ車そっくりだった外見は大きく変容している。


 砲塔上面にある車長用ハッチや、車体上面の搭乗口が開かれて中から黒いゲル状の塊があふれ出ていた。ゲル状のそれは一定の形をとることなく、触手になったり砲塔にべったり貼り付いていたりと忙しなく形を変えている。

 アームド・スライム――ゲーム『エバーエーアデ』に出てきた魔獣の一種だ。名前の通りにスライムの一種で、プレイヤーから武器を奪ってそれで武装する知恵をもっていた。しかも柔らかい体のせいで物理攻撃は効きにくい厄介な相手だった。

 その上今回は戦車を乗っ取っているため、厄介さに拍車がかかっている。スライムの弱点になるコア部分は戦車の装甲に守られていて、機関銃と戦車砲という強力な武装を持っているのだ。

 ゲームではモブエネミーの一種だったが、こうなってしまうと下手なネームドよりも危険な敵だ。


 デールとは反対の隣にいる水鈴さんに目を向けた。飛んでくる銃弾に彼女の表情は固くなっているため感情は窺えない。けれども頭の上にある狐耳は怯えているように伏せられていて震えていた。

 さらに周囲に目を向けてジンにマサヨシ君、レイモンドの安否も確認すると、離れた場所で身を伏せて飛んでくる銃弾をしのいでいた。

 レイモンドの視線がこちらを向いて自分と目が合った。


『そっちは無事か、嬢ちゃん』

『問題なし。そちらは?』

『こっちもだ。ボウズが嬢ちゃんの使い魔に引き倒された事に気分を悪くしている以外は特に問題無い』


 彼の後ろにいるマサヨシ君に目を移すと、ジンの触腕に頭を抑えられて確かに不機嫌そうだ。けれど迂闊に頭を上げて銃弾を受けるよりは何倍もマシなので、ジンには引き続き彼を抑えてもらおうか。


『で、あれをどうにかしないと塔には登れないようだが、どうする?』

『そうですね……手持ちの武器から手段を考えるに、足を止めるところからでしょうか』


 念会話に応えながら手に結束手榴弾を持つ。いくら爆発力が通常の手榴弾よりもあるといっても、これだけでは戦車を撃破することはできない。本物のチハであっても歩兵が持っている小銃は通用しないし、手榴弾も投げつけるだけでは効果は薄い。陸戦の王者は伊達ではないということだ。

 部隊にいた頃なら対戦車ロケット弾や対戦車ミサイルといった対戦車兵器の出番だろうが、手元にそんな便利なものはない。となれば残る手段は肉薄攻撃だ。

 不幸中の幸いなことは、肉薄攻撃を防ぐ随伴歩兵がいないので接近に問題はない。後は戦車のウィークポイントに狙いをつけて攻撃をしかければ良い。


『とは言え、言うは易く行うは難し』

『何がだ?』

『いえ何でもありません』


 独り言を言ったつもりだったけど念会話になっていた。これは自覚しない内に緊張していたのかもしれない。

 いくら接近するのが簡単とはいっても、相手は曲がりなりにも戦車だ。あの鋼鉄の塊に肉薄し、取り付くのにどれだけ度胸が必要になるのやら。

 でも、だからといってこのまま地べたを張っていても時間は過ぎていって、夜が明けてしまう。向こうも長期戦の構えで、主砲と機関銃は沈黙している。弾薬を温存しているのだろう。躊躇う時間も惜しい。

 自分は今回の作戦の要として守られる立場ではあるが、安穏と構えているつもりはないし、危機が通り過ぎてくれないのなら自らの手で積極的に打開する手を打っていくべきだ。

 軽く息を吸って、吐く。気持ちを入れ替えるつもりで整息の真似事をしてスイッチ。


「水鈴さん、派手めの魔法で煙とかホコリとか上げて」

「……う、うん、分かった。爆炎系とかかな? 山火事に注意だけど」

「別に当てなくても構わない。相手の目を封じたい」

「分かった。任せて、派手にやってみせるから」


 水鈴さんに声をかけて煙幕役をお願いする。魔法だけで戦車の撃破も可能だろうか? と考えたが、不確実なことはしたくない。

 自分自身、あまり魔法に信頼を置いていないのだろう。形のないものより威力や脅威が目に見えるものが安心できる。あれほどに助けられていながら、我ながらまだまだ頭が固いことだ。

 声をかけられた水鈴さんは、表情を固くしたまま要請に従い杖を構えてくれる。伏せた姿勢のままなので少し不格好だけど、ここで格好を気にしていたら機関銃のいい的だ。


『今から水鈴さんが魔法を撃つので、私は合わせて肉薄して履帯、キャタピラを破壊します』

『……分かった。ボウズや近くにいる黒服連中にも伝えておく』

『頼みます』


 レイモンドに念会話で通達をして、ついですぐ傍にいるデールに手榴弾を示してジェスチャーで伝える。


「死ぬなよ。でないと怒られてしまう」


 彼は軽い調子で答えて、自分は頷くだけだ。よし、やろう。

 まずは抱えていたライフルはバッグに収める。素早い動きをするには長物は邪魔になるだけだ。

 水鈴さんに「いつでもどうぞ」と短く伝えて、彼女はそれに行動で応えた。構えた杖の先に炎が灯り、ロウソクの火ぐらいのものが一秒でスイカ大の火球になる。

 火という格好の目標が現れて戦車でも動きがあった。砲塔が動き、主砲がこっちを指向しようとしている。

 砲口がこちらを向く前に杖は振られた。


「ていっ」


 どこか軽く感じるかけ声と一緒に杖から火球が打ち出されると同時、自分は地面から起き上がって結束手榴弾を手に駆けだした。

 戦車までの距離は二〇m強、『ルナ』の身体なら秒にも満たない時間で駆け抜けられる距離が今は引き延ばされたように遠く遅く感じる。前を飛ぶ大きな火の球が夜の林には眩しいくらいに燃えて尾を引いていく。

 主砲が間に合わないと悟ったのか、車体前面の機関銃が動いてこちらに狙いをつけた。撃ってくる、そう直感する前に先行した火球が直撃した。

 火の球が戦車に当たったと思った次の瞬間には視界が真っ白に漂白されて、大きな音の洪水が体を物理的に後ろへと押し戻した。


「――がっ!」


 これが爆風だと気付いた時には不格好なバク転をして地面に倒れて土を噛んでいた。威力が強すぎる。加減が利いていない。

 強く打った顔や胸が痛む。痛むがこれは無視できるレベルだ。水鈴さんに何か言う前に顔を上げて戦車の様子を確認、そういうのは全部終わった後。

 装甲が黒くコゲて、周囲の草木に火が燃え移っている。戦車自体はまだ健在、中身のスライムの様子は不明。さらに自分が近付くには好都合だ。

 口に入った土を吐き出し素早く起き上がる。戦車までの残りの距離をサクサクと縮めていき、戦車の側面に回り込んだ。発生した煙や舞い上がる土埃に体を突っ込み、戦車から姿を隠しつつさらに肉薄する。鋼鉄の塊がもうすぐそこにあった。


 土埃で目が痛む。鼻から細かなホコリが入りこんで咳き込みそうだ。口の中が今度は砂でざらつく。

 そんな難儀を乗り越えて、戦車の側面、履帯部分に取り付く。構造としては現代地球のものとの違いはない。狙い目としては履帯とそれを回している転輪だ。

 手早く結束手榴弾のピンを抜いて、転輪と履帯の間に挟み込むように差し込む。後は後ろから撃たれないよう気をつけながら戻るだけだ。

 手榴弾が起爆する前に逃れようと踵を返した時、横から大きな影が煙の向こうから跳んできた。味方……ではない。

 敵と思って右のホルスターからモーゼル拳銃を抜こうとしたが、向こうの方が早かった。


 大きく開いた口とそこに生え揃った鋭い牙の列を認めた。その距離は息がかかるほどに近い。

 避けるのは間に合わない。応戦も遅い。できるのは左腕を差し出してのとっさの防御だけだ。口が閉じて、牙が差し出した腕に食い込む。熱いのと痛いのと酷い圧迫感が腕を襲った。この時になってようやく自分を襲った敵の姿を見ることができた。

 犬の頭が腕に噛みついている。こいつは軍隊狼か。戦闘のどさくさに紛れてこっちを襲ってきたようだ。普通の獣だったら爆音の響く戦場から逃げ出すものだけど、魔獣となると違うらしい。

 軍隊狼は自分の腕に噛みついたまま唸り、睨みつけている。噛みつかれている腕はぎしぎしと悲鳴をあげて痛い。痛いのだけど騒ぐ暇があれば対処しなくては。


 まずは左腕を噛ませたまま後ろを向く。こいつのせいで逃げる時間を失ったので、爆風から身を守る盾になってもらう。

 手榴弾を差し込んだ履帯との距離は目測で五m、まだ危険域の内側だ。そして起爆までは一秒もない。

 腕に感じる痛みと、顔に触れる軍隊狼の体温と毛皮の感触が生々しい。濃い獣臭が鼻をついて少し嫌な気分だ、と奇妙に余裕のある思考が頭をかすめた。


 そして爆発、体重の軽いこの身体は二度目の回転を強いられた。同時に意識も暗がりへと転がり落ちて――



 ◆



「ルナさん!?」

「おいバカ! 落ち着け、嬢ちゃんなら大丈夫だ」

「落ち着いている場合かよ!」

「こういう時こそ落ち着け、ボウズ」


 爆発に巻き込まれ地面を転がっていくルナの姿を見たボウズが騒ぎ出したので、俺は彼の襟首を掴んで強引に落ち着かせた。

 身長はお互い差はないが、こいつはいつも血気盛んで落ち着きが足りない。元気が良くて明るく前向きなヤツだが、少し考えが足りなかったり落ち着きが足りなかったりする辺り若いものだ。

 俺も昔はボウズ以上にヤンチャだったな、などと思わず感慨に耽っていたが、俺達の周囲に不穏な空気が流れ込んできた。何やら獣臭い。


「ボウズ、周りを見ろ」

「え? うあ、魔獣が集まって来ている? あの戦車の中身、アームド・スライムだから誘因フェロモンのスキルか?」


 さっきまで周囲には小型の魔獣が数匹しかいなかったのに、今は俺達を囲むように十匹ほどの数が集まってきていた。町から上がって来ているようで、放っておけばこの数は増えていく。

 こういう現象を起こした原因はボウズが言った通りなんだろう。目を戻せば、キャタピラーが千切れた戦車から黒い触手の塊が出てきて、花のように触手を広げている姿が見えた。表面は粘液でぬめりうねっていて、ゲームのモニター越しでは感じられない生々しさがあった。

 微かに甘い菓子のような匂いがしてくる。花の真似事をして魔獣を引き寄せているのか。余計に時間がとれなくなり、厄介さが増していくな。

 両の拳を固め、ファイティングポーズで何時でも戦えるように身構える。不意に横から飛び出て、戦車へと向っていく黒い影があった。


「すまないが主の救援に出る」

「ああ、分かった。行ってこい」

「感謝する」


 少ない言葉を置いてジンが自らの主を助けようと駆けていった。黒ヒョウサイズに巨大化した体で魔獣の横をすり抜ける動きは見る人に液体を思わせる。ここは彼に任せた方が良いだろう。

 他にも、近くにいた黒服二人と女リーダーの姿が見あたらないと思えば、戦車近くの茂みから飛び出てきた。彼ら三人の手には手榴弾と火の点いた火炎瓶らしいものを持っている。


「狙いは車体の上っ! ハッチが開いているから放り込め」

「了解。無理ならエンジングリルにでも放ります」


 戦車の足が無くなったのを幸いにと畳みかけようとしている。手に持った手榴弾や火炎瓶を車体の上へと放り上げて、二個の手榴弾がドアの開いたところから中へと入った。彼らが飛び出して五秒足らずの早業で、スライムには反応する暇がなかったらしい。機関銃や大砲が動く前に彼らはその場を引いて安全圏に逃げていた。

 爆発。映画や漫画のように派手に爆発しないが効果はあったらしく、大きな爆発と一緒に外に出ていたスライムの体が千切れて木っ端微塵。さらに投げられた火炎瓶が引火して戦車全体が火に包まれた。

 赤々と燃える炎が夜を焼いて、大昔にやった文化祭を思い出した。考えてみれば大きな炎を見たのはその文化祭以来だ。

 随分派手にやっているけど、臭いの元が断たれたのでこれで魔獣が誘われて来ることはないだろう。後は、こっちはこっちで頑張らないといかんか。


「よし、ここが力の入れどころか」


 『コラム』前の広場と林の間をリングにして、拳を構えた。俺の準備を待っていた訳じゃないだろうが、向こうもタイミング良く襲いかかって来る。ここで抑えないと後ろがガラ空きだ。

 気持ちの上でギアを一段上げて、リズムを刻んでいく。相手は軍隊狼の群れ、数匹がまとめて飛びかかるようだ。地面を低姿勢で高速に走り、いつでも飛び跳ねられる体勢をしていた。

 まとめてやって来た軍隊狼は、俺にまとめて跳びかかって牙をむいてきた。前に左右、後は上からもだ。しめて四匹、鋭い牙が四方向から迫ってきた。


 こういう場合、ボウズなら盾や鎧で防ぐ。ルナなら避ける。俺の場合では『遮る』だ。


 前から来る一匹に軽く一発のジャブを見舞い、機先を制する。口の中は武器になる牙があっても、すぐ上には痛みを感じる鼻がある。狙わない手はない。

 これで前からの攻撃が数秒は止まる。その間に左右から来る敵に対処する。俺の戦い方では一対一が身上だ。だから一瞬一瞬を一対一に持ち込み、己の土俵に上げていく戦い方は必須になる。

 右から来る狼のアゴに右のショートアッパーを打ち込んで強制的に口を閉ざし、この稼いだ時間で振り向き様に左の狼を仕留めにかかる。

 フックとアッパーの中間位置から繰り出すスマッシュブロー。振り向くときの回転の力、相手の向ってくる力が合わさり、その一撃の威力を増幅させる。

 拳に伝わるのは細かな幾つもの牙が折れ、衝撃で狼の首が折れる手応え。戦果を確認する間はない残るは一匹、上から降ってくる馬鹿野郎だ。

 奇襲のつもりだろうが、気付かれてしまっては意味はない。半歩横にズレて上から降ってくる狼の体を避け、空中で身動きが取れず無防備になったボディに空手の正拳突きの要領で引き絞った一撃を放つ。肋骨が折れ、肺や心臓が潰れる感触とともに狼が地べたに落ちた。


 機先を制して相手の攻撃の出鼻をくじいて遮る。これが俺の戦い方だ。今の身体に馴染んできたお陰で、ようやく動きがものになってきたようだ。

 仕留めた数は二匹。残りは動きを鈍らせた程度。敵の増援もやって来ている。


「いかんな。このままバラけているのはマズイか」


 一匹一匹は落ち着いて対処すればそれほど脅威ではない。だが目の前にいるのは獣の集団だ。時間が経てば経つほど数の暴力は酷くなっていく。向こうも魔獣数匹が取り囲み、乱戦になろうとしていた。

 取りあえず戦車は動かなくなったから『コラム』へ行く道を遮るのは魔獣だけ。後はルナを起こして、いや、誰かが抱き上げて運んでしまう方が早いか。

 黒服連中は魔獣と戦うのに忙しそうだし、水鈴の嬢ちゃんに頼むのも男として気が引ける。ここは一番身軽な俺が行くのが最良かもしれない。

 俺がルナの所まで行って彼女を抱え上げて魔獣の囲みを突破、あの塔の上まで運ぶ。こんな簡単な考えが出てこないとは、俺も『殺し合い』の場の空気に当てられているのかもしれない。

 軽く頭をかいて、溜め息を吐いた。手には慣れ親しんだ髪の感触ではなく、硬い鱗の手触りが返ってきた。


「ボウズ、向こうと合流して固まろう。その方が安全みたいだ」

「あ、ああ。分かったよ」

「何呆けた顔している。俺がどうかしたのか?」

「いや、オッサンって凄いんだなって。拳で魔獣殴り倒しているし」

「逆だ。殴るしか能がないんだ。さ、嬢ちゃんをピックアップして行くぞ」


 後ろで呆けていたボウズに一声かけ、向こうの連中と合流しようと走り出した。まずは倒れているルナを拾い上げてからだ。ジンが対応しているだろうが、助っ人は多いに越したことはない。

 周りを囲み始めた魔獣をすり抜けてはね除ける。武装熊の一撃を拳で弾いてパーリング、軍隊狼の下への攻撃は足捌きで回避、頭を狙ったランドラプターの飛びかかり攻撃には頭を沈めてダッキングと群がる魔獣の爪や牙をかいくぐっていく。

 すぐ後ろをボウズがついて来るのを視界の端に捉えた。こっちとは対照的に全身鎧の防御力にものを言わせ、一直線に突進ブルドーザーみたく障害をラッセルしていく。避ける動作が無いお陰で進む早さはボウズが上だ。すぐに横を追い越されてしまった。


「うぉぉぉぉぉぉぉ……」


 ドップラー効果を利かせた叫び声を響かせて、鋼鉄の人型が斧の付いた長柄の武器を振り回して走り抜けていく。

 さっきまで呆けた顔をしていたのに、親しい仲間が危機にあると力を発揮するタイプらしい。なんか少年誌に出てくる王道的主人公みたいなヤツだな。あいつの厳つい顔だと劇画調の漫画になるだろうが。叶わない願いだがふいに北○の拳を全巻読んでみたくなった。

 ともあれ、ボウズの爆発力には助けられた。魔獣の囲みが彼に食い破られて、目の前には一本の道が出来上がっている。俺はこの道がふさがる前に走破、開いた道の先にルナの姿を認めた。

 先行していたジンが触腕で彼女を抱き上げており、すぐにでも移動できる体勢になっている。情けないことにまごついている間に後手となってしまった。少しバツが悪い気分になってくる。一方のボウズはお構いなしでそこへ急いでいた。

 こいつはゴタゴタ考えている場合じゃないな、など考えて走る足に力を込めた。横から音が聞こえたのはちょうどその時だ。


 俺の横にあったもの、それはルナと黒服連中の攻撃でボウボウと火を上げている戦車だ。よこを通り過ぎようとしたら、炎の中から物音がした。

 中身がスライムといっても爆弾と火炎瓶でやられているはずだ。なのに物音は続く。思わず立ち止まって、ローストされている戦車を睨む。炎が燃え盛る音に混じって金属同士を擦りつけるような音が、ざりざりザリザリと車体、砲塔とせり上がっている。

 戦闘と間近にある炎とは違う理由で背中を伝う冷たい汗を感じた。嫌な汗だ、こういう感じがする時は決まって厄ネタだ。


「おい、ボウズ、ジン気をつけろっ。コイツにまだ何か――くそっ! もうかっ?」


 タイミングを計っていたとしか思えない。砲塔のハッチから黒い軟体物質が湧き出て、絡めていた物の筒先をルナの方向に向けた。練りワサビがチューブ容器から飛び出た様子に似ている。けれどこっちのはロケットランチャーなんて物騒なもので武装しているし、そもそも食えたものじゃない。

 スライムが戦車の中に隠し持っていたランチャーをこの危機に引っ張り出してきた。詳しい名前は分からないが、ランボーが持っていた物に似ている。威力は知らないが、映画に出てくるものと同程度だったら極めてマズイ。


「逃げろっ!」


 俺が叫ぶまでもなく、ボウズとジンは察知していた。でもわずかに遅く、スライムはランチャーの引き金を引いていた。

 ランチャーの先端に取り付けられたロケット弾に火が点り、火は爆発になり、俺の目に見える一杯に白煙が噴き出して何も見えなくなる。

 衝撃が頭を揺さぶって意識が途切れそうだ。その時間はほんの数秒だろうが、この危機の中では明暗を分けてしまう。だからそんな瞬間の最中で数秒だけでも動けなくなりそうなのは、本当に情けない。

 白く塗りつぶされていく視界が染まりきる一瞬前、俺の思うことはそんな悔しさだった。



 ◆◆



 ――転がり落ちた意識は再び起きた衝撃で引き戻された。

 何を置いてもまず視界を確保という気持ちが働き目をこじ開け、まずは自分の状態を知ろうと体を見下ろした。

 噛みつかれた腕にはもう狼はいない。衝撃などで吹き飛ばされたのだろう。牙を立てられたのに着ているジャケットに穴はなく、噛まれた痛みや出血も無し。ジャケットの防御能力は大した物のようだ。他に目立つ怪我や痛みもなく、ほぼ無傷と言っていい。

 次に周囲に映る光景に目を移す。炎に包まれた戦車から黒いゲル状のものが出てくるところと、エカテリーナの一行がこちらに向って来るところ、それと自分の前に守るように立っているデールの姿だ。


「よお、無事だよな?」


 軽薄な調子でこちらの様子を聞いてくる彼の状態こそ無事ではなかった。

 着ていたダークスーツはボロ布になり、シャツは血に染まって赤い。右腕は千切れかけて皮で繋がっているだけで、だらりと肩口から垂れ下がっている。彼の正面こそ無事な箇所が見えるが、傷の度合いからすると背中は無残なことになているのは容易に分かってしまう。

 正しく満身創痍、余命数分、生きているのが不思議な状態になっているデールに自分は息をのんだ。彼が自分を庇ったのか?


「……そんな顔をしているってことは、今のおれはよっぽど酷い有様らしいな。格好良くお姫様の救出といきたかったが……ヘマった」


 崩れ落ちるデールの体をとっさに受け止めようと体を起こして腕を伸ばした。体格の良い彼の体はずっしりと重く、起きかけた自分の体は座り込む形になって、ちょうどデールを膝枕しているような形で受け止めた。

 太ももにべっちゃりと生暖かい感触がした。濃い匂いが漂い、受け止めた手は鮮やかな赤い液体にまみれた。大量の血がデールから流れ出て、彼の命を縮めている。動きを止めていられた時間は数秒となく、数秒しか許されない。


「デールさん、今すぐ治療を」


 どうするべきかと思考を高速で回す。呆然とする時間など許されない。そんな暇があるなら対処する時間に割くべきだ。

 手段を考え、今一番早く採れる方法をすぐさま考えついた。回復呪紋で内部の損傷を治し止血、傷口を塞ぐのだ。魔法には今一つ信用を置いていないが、これがいまできるベストのはずだ。

 まず周囲を見渡して魔獣の影が無いことを確認する。戦車が燃えている異様な光景を別にすれば、『コラム』の前からは魔獣の姿は無くなっていた。死骸はそこそこの数があるところから、自分が気絶している間に戦闘はあったらしい。

 周囲に脅威となるものが無いと瞬時に判断すると、脳裏に最速で術式を呼び出して血まみれの手を癒しの光で覆う。それをデールの背中へと付けた。体組織が崩れて潰れる手応えが返ってくる。けどそれも治療ができれば気にはならない。


「ぐ……」

「効かない? なぜ」

「それは治療可能の領分を超えているからですよ」

「エカテリーナさん」


 傷は確かに塞がる。でも内部の深刻な損傷が治っている手応えは感じられず、デールの顔に浮かぶ死相は濃くなっていくだけだ。

 何故と思う言葉に答えたのは、こちらに駆けつけたエカテリーナさんだ。後ろにはAK小銃を手に周囲を警戒している黒服二人を従えている。

 彼女はどういう訳か腕に小さくなっているジンを抱えている。そのジンはぐったりとしていて、動く気配がない。それはまるで死体のように。


「ジンもか」

「ええ、気を失っていたから分からなかったでしょうけど、貴女は二人に守られたのです」


 彼女の簡単な説明では、あの戦車は撃破しても中のスライムは生き残っていて、中からロケットランチャーを抱えて出てきた。そのランチャーの筒先を自分に向けて撃ったのだが、ジンと飛び出てきたデールが身を挺して守ったという。

 普通だったらロケット弾のような高威力の兵器を前にして、人間の体一つでは盾にもならない。そこをデールは全身の魔力、生命を使い切って盾となったのだ。


「……血の盾」

「ええ、デールはそれが特技でしたから。こちらの使い魔もそういった技能を有していたようですね」


 『血の盾』――味方のダメージを一手に引き受けてパーティの壁になるゲームでのスキルだった。それがこの世界でも存在しており、デールはそれが得意な技能者だという。ジンにもその技能を習得させて狩りの際の壁役をやらせていた記憶もあり、すぐにこの事に思い至った。

 普通防げるのは銃弾や中位の魔法まで。それ以上は貫通してしまうのがゲームの話だった。それがここでは命をかければ防ぎきれるらしい。そうなると『血の盾』どころか命の盾となってしまう。

 なぜにこんな『僕』なんかのために命を躊躇無く張れるのだろうか。

 二人の身を挺した行為で自分は守られた。それを認識するとともに胸の内が重くなりだした。


「よお、リーダー。無事だよな」

「ええ、貴方のお陰でね。何か言い残すこととかあるかしら?」

「ああ、ひとつな」


 デールとエカテリーナの会話は淡々としたものだ。それはお互いこういう時がいつかは来ると心に決めた者同士の話だ。悲しみは無く、顔には「とうとう時がきてしまったか」と諦めの表情を浮かべている。


「なあ、金眼の嬢ちゃん。おれのお願い聞いてくれないか」

「聞くだけは」


 この世界に来てから人が死ぬ光景は頻繁に見てきた。だから凪いだ気持ちで彼の掠れていく声を聞いた。

 背後からはいつの間にか水鈴さんやマサヨシ君が近付いて来た。二人とも血色の現場に顔色が悪く、足がすくんでいるようだ。


「おれの血を飲んでくれ。おれの命の代価はみんな嬢ちゃんにやる。安い命だが、使ってくれ」

「血を?」

「デール、そんな大切なことを彼女に頼んで大丈夫なの?」

「なに、元々親や子供、親族なんていない気楽な身の上だからな。誰にやっても良かったのさ。今回はたまたま嬢ちゃんがいただけさ」


 エカテリーナが諦めの顔から真剣な顔に切り替えて、デールに確認するように問う。が、それ以上に自分は戸惑っていた。

 血を飲んで欲しいと言われて、なにかの隠喩だろうかと思う。でもこの場を考えると比喩とか冗談の類ではないと知れる。まさか本当に彼の首筋に牙を立てて血を吸えと言うのか。

 膝の上からこちらを見上げる彼の表情は真剣だ。もう息は荒く、回復呪紋も効果無し。どう見ても死に体。言葉も少なくなってきて、口が利けるだけ上等だ。


「その、様子だと……初めての吸血か。ふ、くくっ、悪いな、初めてがこんなムサイおっさんで、よ。でも、頼む」


 言葉が途切れがちになって、口の端から血もこぼれて内臓がやられていると分かる。

 エカテリーナを見やると、彼女は小さく頷いて「頼みます」とだけ口にして場を譲る。唐突に理解した。これは月詠人なりの葬送の儀式なのだと。

 重くなりだした胸の内は、さらに沈み込むように過重量がかかりそうだ。なぜにこうも『想い』を乗せてくるのだか。

 以前の『僕』ならこんな環境でもNOと言うだろう。だけど身体が変われば心境も変わるのか、不思議と是と言う心が自分の中にあった。


「分かった」

「ルナ、本気なの!?」

「ルナさん」


 後ろで二人が制止の意味がこもっていそうな声を出しても、後に引くつもりはない。膝に頭を置いた彼にそっと顔を近づける。


「ま、なんだな……良い女の膝の上で、最期を迎えるっていうのは男として、良いもんだな。欲を、言えば、もちっと色気が、欲しいが」

「本当に短いダンスパートナーでした」

「……ああ。じゃあ、リーダー、さよならだ」

「ええ、さようならデール」


 血を吸うという行為に合わせて、口の中に一種のうずきが生まれた。閉じた唇から牙が伸びて顔を覗かせたらしい。もちろんこんなのは人生初の体験だ。後に引くつもりは無くとも戸惑いは消えない。でも、嫌悪感は微塵もなかった。

 戸惑いはあっても体は動き、虫の息になったデールを引き寄せて首筋に唇を近づけて、牙をむいた。

 ――つぷり

 軽く皮膚が破れる音がして、すぐ後に温かな液体が口に入る。舌に感じる味は、濃く苦く、淡く酸味、なにより悲しくなってしまいそうな位に甘かった。


 喉を流れる赤い液体に背筋が戦慄く。ここまでカラカラ乾ききった渇きにようやく訪れた潤いに癒しを覚え、安堵を覚える。そうして自覚無く押さえ込まれ続けてきた感情に自分はようやく気付き、そのフタを開けた。




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