19話 Reload
部屋の中は出撃前の緊迫した空気が充満していた。誰も彼もが口数を減らし、気心が知れた相手が近くにいても口が重くなる雰囲気が立ちこめている。心なしか部屋の照明も暗い。
肌にピリピリした感触があり、錯覚かもしれないけど発散されたアドレナリンが臭うような気さえした。こんな環境下で自分は独り戦闘前の準備を整えているのだった。
手持ちのマガジン全てに弾薬を込めていき、マガジン容量一杯までカートリッジを押し込む。これからの戦闘を考えると消費量が跳ね上がり、一発でも多くの弾薬が欲しくなるのは分かりきっていた。マガジン一杯に弾薬を込めてもスプリングがヘタる前にきっと使い切ってしまう。
バッグから取り出した紙箱の中、整然と列を作る三〇口径拳銃弾から一発を抜き出してまずは軽く点検。弾と薬莢にサビはないか、雷管に傷はないか、といった検査内容ではあるが今のところ不良品は一つもなく綺麗なものだ。
点検を終えるとモーゼルの弾倉に押し入れ、装弾数の十発を込め終えたら次の弾倉に移る。食事を終えてから自分はこんな作業を続けていた。
ホテルのロビーにはこれからの作戦に関係ある人だけが集まっていて、各々自前の武器の手入れに余念がない。
一緒にホテルまでやって来たエカテリーナさんの部下の黒服チームは、AK突撃銃を改造した銃器の弾倉に弾を込めて予備弾倉を数多く作っている。
彼らの手付きや身のこなしから推測するに軍人上がりか、軍事訓練を受けた人々なのだろう。ここまでの質と量になるとクリストフの護衛集団というより私兵組織と言い換えた方が正確だ。
その私兵のリーダー格、スーツ姿のスマートな女性エカテリーナもロビーのソファに腰を下ろして、自身の得物を手入れしているのがここから見えた。
彼女が手にしているシンプルな形状のダガーナイフは表面を艶消しの黒色に染めて、オイルを薄く塗られるとまるで猛獣の爪か牙のようにヌラリと鈍く輝き生々しく見えるようになった。遠目に見ても使い込まれた愛用の品と分かる。
知らず自分は凝視していたらしく、こっちの視線を感じ取ったエカテリーナがナイフの刃から目を上げて視線が合った。
彼女のスクーターを無断拝借して壊してしまった負い目もあって、気まずい気分になって思わず目を逸らした。
あの後、落ち込む暇もない非常時だったため急いでホテルに直行してしまったが、この事態が落ち着いたら何らかの形で弁償をしなくてはいけないだろうな。
いや、この作戦に自分が参加する事がすでに賠償行為になるのかもしれない。危険な作戦に従事して誠意を見せるという訳だ。……いかんな、少し卑しい考えになってしまった。
残り少なくなってきた空弾倉に弾薬を込める作業に集中したが、それでも思考は勝手に回りだす。
頭に浮かぶのは、こんな作戦を始めるまでに至った少し前の過去だ。
◆
「俺らで一丁、この町を助けてみないか?」
レイモンドはそんな言葉を自分達に向けて言ってきた。爬虫類系統の面相のため表情は分かり難いが、それでも機微に疎い自分に分かるほどの『不敵』さが彼の顔に現れていた。
唐突な問いかけのため言われた意味が浸透するまで一拍の時間を要した。そして理解すると自分の胸の中に湧いた感情は『恐怖に近い臆病さ』とそこから派生した慎重な思考だった。
レイモンドは何故こんな提案をしてきたのだろうか。それを聞こうと口を開きかけたが、その前に隣のマサヨシ君が疑問を口に出してくれた。
「オッサン、町を助けるって言ってるけど、それは外の魔獣たちをやっつけるって事なのか?」
「そうだな。そうなる」
「だけどあの数だ、百は軽くいっている。みんなで戦ってもキツクないっすか?」
「ああ、きついな確かに」
マサヨシ君の言う通りだ。あの数を相手取るには自分達の兵力は足りない。エカテリーナさんの部下達やクララさんも参戦して、この上で町にいる他のプレイヤー達が加わっても数は足りないのだ。
数というはそれだけで一種の脅威になる。いくら相手の力がこちらより劣っていても百や二百もの数をぶつけられたら堪らない。
この世界はゲームとは違い、体を動かせば疲れるし傷を負えば動きが鈍ってしまう。さらに性能の良い防具、高い能力を誇っていても急所への一撃は致命的だ。そんな当たり前と言えば当たり前のリアルがこの世界である。一騎当千の無双などは夢物語に近い話である。
町を助けるためにあの数の魔獣を相手取るのは無謀だ。それが『僕』と『自分』、感情と理性の両面から出た結論だった。
それが分かっていたから自分はこの事態に対し、真っ先に脱出策を考えていたのだ。しかし、レイモンドには勝算でもあるかのような口ぶりだ。
「話は変わるが、このルナとボウズはこの世界で『分析』の魔法を使ったことはあるか?」
「オレはそういう魔法の類は全然習得していなかったもので……」
「どういう意図での質問かは知らないけど、使用はまだ無い。魔法の検証はここ数日で始めたばかり」
「そうか。まあ、かく言う俺も魔法はからっきしなんだがな」
「詳しくはあたしが話す?」
「ああ、頼む。俺じゃあ上手く説明できない」
レイモンドに代わってマサヨシ君の向こうに座っていたクララさんが唐突に口を出してきた。手には何故か猫じゃらしを持って教鞭のように振り回している。
レイモンドの言い出した提案にはクララも関係しているようだ。自分がマサヨシ君のところにいた間に二人は何らかのやり取りが交わされた風に見える。
コホンと一つ咳払いをして本格的に教師役を始めた彼女に、自分達生徒役はテーブルの食事を脇に寄せて大人しく拝聴する姿勢をとった。
「そう大した話じゃないけど、こっちでも『分析』の呪紋は使えたの。でもちょっと不親切で――」
彼女の話をかいつまむと、こちらの世界で使う『分析』はゲームの時とは大幅に仕様が変わってしまったらしい。
この魔法は名称の通り、見た対象の情報を視野に映すというものだ。見た対象の名前から各種パラメーター数値、弱点や状態に至るまで情報を得られるプレイヤーとしては基本的な魔法の一つだった。
仕様が変わったというのは、情報の詳細が見れなくなったと言うのだ。
口で説明されるより百聞は一見にしかず、早速『分析』の呪紋を脳裏から呼び出して使ってみる。
外見には何も現象として現れていない。けれども一枚の薄いフィルターが眼にかかって、視界内で焦点が合ったものに表示が出現している。
そう言えば近い未来にメガネ型の携帯端末が現れると電話会社が宣伝していたが、その視界がこんな感じなのかもしれない。
「これは。本当に不親切表示」
「でしょ? どういう風に見えた?」
「数値の無い棒グラフに状態異常は色で示されるらしい」
「へぇ、それでも詳しい方ね。あたしなんかパラメーター全てが色で見えたのよ。店の客の一人なんかは様々な無生物に見えて気持ち悪くなるって言っていたわ」
視界に被さってそれらの表示は現れている。
顔を合わせているクララさんの横にグラフが表示され、何の意味があるのか時間経過ごとの折れ線グラフも表示されている。状態はグリーン。これは異常なしと表示しているのだろうか。
いずれにしろゲーム時代とは大きく違って数値や文字による表記は視覚に現れない。しかも同じ『分析』を使ってもクララさんなどとは見え方が違うようで、個人ごとに異なっているみたいだ。
「こんな不親切でも相手の状態がどういうものかぐらいは見て取れるのよ。例えば外にいる魔獣たちが状態異常になっているとかね」
「状態異常。人為的なのは確定だけど、魔獣たちが暴れている原因が状態異常?」
「ほぼ間違いないわ。種別までは読み取れなかったけど、平然と動けるなら致死性のものじゃないでしょうね」
アルトリーゼの自供を鵜呑みにする訳ではないが、あの状況で嘘をつく理由も無い。そしてこの規模の騒動を起こすなら個人ではなくチームの力が必要で、彼女の所属するチーム『S・A・S』が今回の騒動を引き起こしたのが推測できた。
上位プレイヤーチームの彼らなら、ゲーム時代から持ち越したアイテムや魔法で魔獣達を混乱させるぐらいは可能だろう。その状態が異常として『分析』の魔法で判明したというのがクララの話の要点だ。
何となく、レイモンドの考える勝算というものが分かったような気がしてきた。
「読めてきた。外の魔獣は状態異常で暴走している。それを解除すれば」
「頭の回転が速いな嬢ちゃん。そう状態異常でおかしくなっているなら治せばいい。倒す必要なんてないのさ」
「とすると使用する魔法は確率治療の『浄化』よりも確実治療の『浄火』が望ましいか」
「ああ。確率治療で状態異常が解除されなかったら大きな隙になってしまう」
魔獣も『獣』という名称がついているように生き物の一種だ。本来は臆病なのが普通で、身を守ったりテリトリーを守ったりする時に攻撃を行い、自ら積極的に攻撃するのは珍しいのだ。
ゲーム時代でさえイベントか『暴走』行為をしないと魔獣は積極的に打って出るものではなかった。それを何らかの手段で煽り、町へ攻撃するようにされたのならその異常を取り除けば良い。
正気に戻った魔獣達は散り散りになって町から出て行くか、そうならなくても仕留めやすい的になり排除は楽になる。上手くいけば真っ正直に魔獣と戦うよりリスクと消耗は低くなる。
レイモンドの言い出したこのプランは一見良いように思えた。問題点があるとしら魔法の効果範囲だ。
「効果範囲については? 私は『浄火』は習得しているが範囲までは把握していない。まさか魔獣一匹一匹にかけて回る?」
「そこについては解決策があります。まず貴女が『浄火』を修めていたのは実に好都合。そうでないと少々煩雑な段取りが必要でした。手間が省けるのは良い事ですね」
レイモンドの隣で静観していたエカテリーナさんがここで初めて口を開いた。
彼女が先程までレイモンドと何かを話し合っていた様子から鑑みるに、レイモンドがクララさんの助言を得て、次にエカテリーナの後押しを受けてこの提案をしてきたのだと思われる。
エカテリーナはこの町の有力者の秘書だ。あの少年権力者からしてみるとお膝元の町が破壊されるのは業腹ものだろうし、手段を選ばず解決をしたいに違いない。秘書も同じ考えなら魔獣を追い出そうと考えるレイモンドに同調しそうだ。
食事を中心だった場の空気が一気に魔獣退治の作戦会議になってきている。気のせいではなく数分前よりも空気が重い。
「その言い方だと、私に関係のある何かが魔法効果の問題を解決すると?」
「ええ。というより、お分かりになりませんか? 我々月詠人の固有能力のはずですけど」
固有能力。エカテリーナの口から出てきたこの言葉が分かるのに十秒以上の時間を要した。
「――――………………そう言えばあったね、そんなのが。かなり久し振りで忘れていた」
「忘れていたって、ルナさんボケ過ぎっす。オレでさえすぐに分かったのに」
「使う機会がほとんど無かった」
「そ、そうですか。それはまた」
自分の正直な告白に場の空気が変な方向に緩んでしまった。
横を見れば呆れ顔のマサヨシ君とクララさん、前を見れば視線を逸らすレイモンドと愛想笑いに似た笑顔のエカテリーナ。他の人達もこの話を聞いているのか部屋の中は静かになっていた。
固有能力――正式には種族固有能力と呼び、名前の通りプレイヤーが習得するスキルとは別にその種族固有の能力をゲーム時代ではそう呼んでいた。こちらの世界でもそれは存在しているらしい。
大抵の能力はちょっとした補正みたいなもので、クララさんの犬人族なら肉体面での若干の強化と職能の補正、リザードマンのレイモンドなら身体能力の向上などが挙げられる。
月詠人の固有能力は確か、
「『月蝕』、だったけ」
「はい。月の恩恵を受ける我らにとって馴染みの深い力ですが」
「うん、かなり使っていませんでした」
そうそんな名の力だった。馴染み深いと言っているエカテリーナには申し訳ないが、『ルナ』というキャラクターを作成して初期の頃を除けば数えるほどしかこの力を使った覚えが無い。
というのも、この『月蝕』という固有能力は言ってみればブーストの一種なのだ。短時間だけ各能力を跳ね上げて短期決戦を仕掛けるのに都合の良い能力だった。
もともと昼間の間は大幅に能力が落ちる月詠人に対する救済措置の一つだったように思えたが、ソロで動く自分にとって短期決戦を仕掛ける機会はほぼ無かった。安全マージンを取りつつ慎重策を立てるのが自分の戦法だったため、この手のブーストを使う機会は少なかった。
こういった自分の背景を知っているはずは無いのだが、エカテリーナは丁寧に説明を続けてくれる。
「短時間だけの能力拡大が『月蝕』ですが、これは魔法の効力拡大にも適用されます。高所から町全体へ『浄火』を使えば一度に町全体の化け物を効果範囲に入れることが出来るでしょう」
「なるほど」
「さらに今夜は満月。月詠人の能力が最大になる夜ですし、貴女は金眼です。高位の力を持ってすれば『浄火』はより確実でしょう」
「……なるほど」
後半は変に熱の入った言葉になっていた。金眼だ高位だと言われても、ゲームで育てたに過ぎないこの身体に過剰な期待を寄せられても困ってしまう。
ここでようやくレイモンドの提案の肝が自分だと理解した。理解した途端、頭が重くなり胃が締め付けられる感触を味わう。これは緊張? いや、例えて言うなら無理な残業を押し付けられた会社員の気分だろうか。学生なら居残りを教師から命じられた瞬間といえば分かるかもしれない。
要約すると面倒臭い気分になっている。このまま何もかも放り投げて気楽にいきたい想いが湧き上がっていた。
「……ふぅ」
テーブルの上に出されていたコーヒーをここで一口飲んで、情報と気持ちを整理してみた。吐く息が思った以上に重く、舌に感じたコーヒーの渋みは強く苦い。
改めて周囲を見渡して見ると、レイモンド、エカテリーナ、マサヨシ君、クララさん、その他この場にいる人が自分の反応を待っているのが分かってしまった。
引き受けるのを期待されている。避難して来た人達に食事を配るために水鈴さんはここにいないが、仮に居たら彼女もきっと同様の期待を持って自分を見るだろう。
ここでも選択肢だ。自分の慎重さに重きを置いて脱出するか、彼らとの仲間意識を重視して果敢に困難に立ち向かうかの二択である。
思考を放棄するにはまだ早すぎる。もう一口コーヒーを飲んでそれぞれのメリット、デメリットを考慮してみよう。
「あー、ルナさん? どうしたんすか」
「マサヨシ君静かに。彼女は悩んでいる最中なんだから」
「え? 悩んでいるって、何に?」
「そうね、今後の身の振りを含めてどうするか、ってとこかな」
クララさんはかなり察しが良い人だ。自分が考えている事を大まかにでも捉えている。
仮に引き受けたとして、その後にあるのは色々なしがらみだ。クリストフらの月詠人達の干渉、このデナリ首長国の干渉、小規模なところでは町からの干渉もありえそうだ。それ以前にこのプランは成功率自体が不明な危険なものでもある。
次にそれら全てを無視して脱出したとしよう。確かにしがらみに囚われず自由にハイマート大陸を闊歩できるかもしれない。ところが自由と不自由は両立できるもので、根無し草の不自由さは今後の生存確保に困難さをもたらしてしまう。
自分が苦手な人付き合いのしがらみで生きるか、自由な不自由さの中で明日をもしれない生き方をするか。煎じ詰めてしまえばそういう選択が目の前に置かれていた。
少し前だったら躊躇無く脱出を選んで根無し草になるところだ。それを悩む状態にしているのは他ならない周囲の皆の存在だった。
彼らとはまだ見知って一ヶ月も経っていないのに、自分の中で大きくなっていた存在のためにここで戦う選択をしようとしている。
クリストフの屋敷でも言ったではないか、今のパーティが円満に解散されるまでは同行しようと。そうだ、まだ時は来ていないのだ。ならもう悩むなルナ・ルクス。
不意に下からの視線を感じてテーブルの下を見ると、ジンがこちらを見据えている姿があった。
小さな状態でも力強い彼の姿と力強い視線。そして一つ頷く。これは主がどんな選択をしても従うという力強い頷きなのかもしれない。
勝手ながらそう解釈して、勝手に背中を押された気分になってきた。
大丈夫だ。もう胸の内は決まった。
「分かりました。私もその作戦に参加します」
果たして今日だけで幾つ自分自身に枷をはめたのやら。自縄自縛。そんな考えが浮かび、自嘲の笑みをこらえるのに少し労力が必要だった。
◆◆
手持ちの全ての弾倉に弾薬を込め終えてようやく一息がつける。銃の分解清掃はすでにやったので、後はナイフの点検ぐらいで武器の戦闘前準備は終わりだ。
一段落がついたので一服入れたい気分になってくる。昔のようにタバコは吸えない体になっているので、ここはコーヒーが欲しい。でもわざわざレギュラーコーヒーを淹れるのも面倒な話だ。この世界にインスタント以外でもっと手軽な物はないのか。
「ルナ嬢、お疲れ様っす。こいつで一息いれてくだせぇ」
「ん? あ……あ、ありがとう?」
「へいっ!」
こちらの考えを読んだのか、唐突に声をかけてきた謎の生き物が缶コーヒーのロング缶を手渡してきた。
いきなりの事に戸惑いながらもお礼を言えば、やけに威勢の良い返事をしてロビーの向こうへと走って姿を消した。
手渡された缶コーヒーは熱々の温度を手に伝えていて、これが夢や幻ではないと知る。
「キツネ?」
あれに一番近い生き物はそれだろう。アニメなどで見られるような直立してデフォルメされた姿形をしていて、未来の猫型ロボットのように指もないのに缶コーヒーを掴んでいたのを無視すればだが。
一体あれは何だったのか。過去の回想から戻ってきたばかりの頭が余勢を駆って回りだそうとした時、再びそのキツネ姿がロビーに現れた。
それも三匹に数を増やし、後ろには水鈴さんの姿もあった。
彼女は話し合いの時間中、避難してきた人達にホテルが用意した食事を今のように配って回っていた。「こっちの方が私の性には合っている」とは彼女の弁だ。
「みなさん、作戦前に緊張しておられるでしょうが一息入れませんか? ホテルの方が缶コーヒーをくださいました」
「それは良いですね。みんな、手を休めて小休止。ガースキー、お嬢さんから受け取ってみんなに配給」
「大丈夫ですよエカテリーナさん、手は足りてますから。三人ともお願い」
「合点承知です。姐さん」
水鈴さんの言葉に三匹のキツネらしき生き物は、ロビーにいる作戦メンバーに缶コーヒーを配って回り始めた。
一匹が缶コーヒーの入った箱を持ち歩き、一匹が箱から缶を取り出しつつ指示を出し、最後の一匹が指示に従って配給するというチームワークを見せながらロビーをちょこちょこ移動していく。
直立しても身長は五、六〇㎝のキツネ似の生き物が「うんせうんせ」と言いながら動く姿は非常に愛らしい。
はて、いつから自分はディ○ニーやらピ○サーなどの世界に迷い込んだのだろうか。
キツネ似の何かから手渡された缶コーヒーに目を落とす。どう見ても缶コーヒーのロング缶だ。最近はショート缶の方が主流なので見かける機会の少なくなったものではある。とはいえ何の変哲も無いホット缶でしかない。
欧米では日本ほどに缶コーヒーは普及していないはずだったが、ここの世界では違うのだろうか。そもそもこれはどこのメーカーなのか? そんな思考がグルグルと頭の中を巡る。
考えすぎてせっかく手渡されたものが冷めても悪いし、もう飲もう。プルタブを開けると、開栓の音と一緒に中身の匂いが鼻を刺激した。レギュラーコーヒーにはない甘い香りとミルクの匂い。口をつけてから舌に感じるのもその二つが強くてコーヒーを飲んでいる感じは薄かった。
「インスタントを飲まないのは聞いているけど、缶コーヒーは飲むんだね」
「うん。これは『缶コーヒー』という飲み物だと私は捉えているから。――水鈴さんもこの作戦に参加?」
「ええ。ジアトーでは何も出来なかったけど、私も出来ることは出来るところからやってみたい。せっかく魔法という力があるんだし、やらないと損って感じ」
ロビーの片隅にいた自分のところへ水鈴さんが来た。缶コーヒー配りはあの三匹に任せてしまったようだ。
彼女の服装はここ数日で見かけるようになったカジュアルな街着ではなく、出会った当初から来ていた巫女装束に似た姿だ。手には狐の尾が巻きついた古木の杖が握られて、腰には巾着型のバッグに短刀と戦闘の準備は出来ていた。
自分の質問への答えは自らの格好が何よりも語っている、という訳だ。
それにしても――
「『魔法』か。現実でこんな力を振るえるのに違和感を感じないのが大きな違和感だ」
いくらフォースやらマナやらとサブカルチャーで形を変えて頻発する『魔法』であっても、現実にそれを使える人間はいなかった。なのにこちらの世界に来た途端、すんなりと『魔法』という法則を受け入れている。
異能の力、異なる世界の法則、それらはこうして行動を助けてくれているが、何時か何処かで大きな揺り戻しが起こりそうな気が今更ながらしてきた。
「ルナは、不安?」
「ああ、不安。ゲームでしか見た事のない訳の分からない力が私の中に保有されていて、それがこの作戦の要になっている。不安というならとても不安だ」
水鈴がこちらの顔を覗き込むように窺ってきたので素直に答えた。
今も満月による肉体の疼きが体の芯から湧き出ている。抑えていなければ水鈴に襲いかかる恐れすらあった。元々の自分自身がリアルな性欲や欲求に薄いのが幸いして苦労せず抑えられているけど、空腹を我慢しているみたいに気分が悪くなってきている。
これが『月蝕』でブーストされるとどんな事になるのか、少し想像ができない。だから不安なのだ。
それを要約して聞き手に話してみたのだが、向こうの返答は即答だった。
「だいじょーぶっ! この私が付いている限りルナは大丈夫!」
「即答」
胸を叩いて力強く請け負う狐耳の巫女さん。これは呆れればいいのか、感心すればいいのか、どっちだろうか。
第一どんな根拠があって「大丈夫」と言うのか。そして何故そこまで力一杯に言葉にするのか。
「ルナがおかしくなっても頭叩いて正気に戻すし、それがダメでも拘束系の魔法かアイテムで縛ってみせる。どう?」
「私の頭は昔の機械式のテレビ? でも、対処はそういう方向か」
水鈴さんが言っている対応は現実的ですぐできる方法だ。おかしな兆候があったら即拘束ぐらいが望ましい。
でもその兆候を見つけて即座に拘束をするためには作戦中ずっと傍にいなくてはいけない。ストッパー役とはそういう存在と思っている。
となると、彼女の行動が大きく制限されてしまう。魔法使いの火力を期待しているだけに、自分の事に構って火力が疎かになってしまわないか不安要素が頭をよぎった。
「加えて言うなら、主の行動に変調があればすぐにこの身が動く。安心してことに臨めよう」
「ジン」
「そうそ、使い魔のネコもいるんだよ。あなたはもっと周りを頼る事を覚えた方がいいんじゃない」
いつの間にか影のように静かに現れていたジンが横から言葉を付け足し、水鈴さんはそれに同調して自分の不備な部分を言ってくれる。
周りを頼る。独りの時が常態だった身には耳に痛い言葉だ。誰も必要とせず、誰も必要と思わない。誰も支配せず、支配されない。そんな個として生きるのが一時期理想だった。だから頼るという考えは希薄なのだ。
手が足りなかったり非常時などでやむなくお願いはする。部隊にいた時は命令もしたし、された。でもごく自然に頼り頼られる関係は生まれてこの方無かった様に思えた。正直に言って頼り方が分からない。
「そう、だね。今後の課題にさせて貰います」
結局はお茶を濁した回答で済ませてしまった。ついでに誤魔化しも含めて聞きたかった別の話題を口にして煙に巻く。
「話は変わってしまうけど、アレ何?」
「アレって? ああ、アレね」
「ん? 姐さんお呼びでしょうか」
「ううん、何でもない。あ、コーヒー配り終わったら上に戻ってね」
「へい」
キツネ型の不思議生物は水鈴さんの言葉に頭を下げて、「失礼しやす」と断ってホテルの上階へと姿を消した。
さて、アレは一体何なのだろうか? 順当に考えれば水鈴さんの使い魔かもしれないけど、なら今までどこに姿を消していたのか、それに一人一体が使い魔なのに三匹もいるのはどうした事か。
実はこうやって話している間もあの三匹をチラ見していて、とても気になっていた。
「あの子達は避難して来た人を手当てする時に手が足りなくて、これのスキルを思い出したから使ってみたの」
「ブーツ……ああ、フレイヤのブーツか。とするとアレは使役獣なのか」
「うん。まさかあんな喋り方をするとは思っても見なかったよ」
水鈴さんの履いている純白のブーツによる能力だと理解して納得した。彼女が履いているブーツは、踵を鳴らせば一時的なヘルパーを召喚できる機能が備わっていたと記憶している。そのヘルパーがあの三匹になるようだ。
理解も納得もしたが、やはり『魔法』には釈然としない。そういうものだと受け入れてしまえばどんなに楽になれるのやら。不器用だと自覚がある自分の感性に苦笑しか出てこない。
すっかり冷めてしまった缶コーヒーの残りを飲み干して、甘い液体をノドの奥へと押しこんだ。やはり缶コーヒーに苦味は期待できない。
準備はもう済んでいる。後はその時を待つだけだ。壁に立てかけたタイプ14ライフルのストックを手にすると、しっくりと馴染む感触が返ってきた。手入れも弾薬も充分、何時でもいける。
湧き上がる疼きを堪えながら戦意を高めていく。夜はさらに深まり、月は西へ傾き、戦いはもうすぐ佳境に入る。
いい加減この夜を誰かが終わらせるべきで、今回はその任を任されてしまったのだ。今夜の『僕』はこれで納得するとした。
「みんな、それとお嬢さん方、戦いの時間だよ」
エカテリーナの一声が場を変える。戦いに臨む戦闘者の空気が部屋に静かに満ちた。
心の中で戦意の弾薬は心の薬室に装填、後は引き金を引くだけだ。
この作戦は町を見渡せる高い場所で自分が『月蝕』でブーストした『浄火』の呪紋を使う必要がある。ここにいる全員の武装は移動のため外へ出向くための備えだ。
そこはこのホテルよりも高い丘の上にある町創立の塔、『コラム』と呼ばれていた。