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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
First Blood 邦題:ランボー
38/83

17話 Battlefield Ⅴ




 小型コーヒーミルの小さなハンドルを回すたびにごりごりと豆が挽かれていき、豆は粉になっていく。この段階でも芳醇な薫りが漂うが本番はまだ先だ。

 紙のフィルターをドリッパーにセットし、野戦用の小型ストーブで湧かしたお湯を少量かけて定着させる。冷えた空気の中、お湯から湯気がもうもうと立ち昇る。ここへ挽いた粉を入れて再びお湯を少し注いで三〇秒間蒸らす。懐中時計を片手に正確に時間を計った。

 薫りはさらに強く、花開くように周囲に漂いだす。個人的にはこの瞬間の薫りが一番好きだ。


 さらにここにもう一手間、工夫を凝らす。『浄化』の魔法をフィルターに施すのだ。こうすることで余計な雑味抜け落ちて、豆本来の旨味が出てくる。これは以前に『バー・マグナム』のマスターから教えてもらったテクニックであり、魔法の意外な使い方だ。

 後はドリッパーの中心から『の』の字を描くようにお湯を注ぎ、お湯が落ちきらないように数回に分ける。黒色に近い濃い琥珀色の液体がサーバーに落ちて溜まっていく。

 こうしてサーバーに規定量が溜まったら、すぐにドリッパーを外してしまう。液体を落としすぎるのは味が落ちる原因だ。もったいぶらずにサクサクとするのがドリッパー方式で淹れるポイントになる。

 後はサーバーからマグカップに液を注げば、全ての工程が完了する。


「ん……出来た」


 感無量である。町の雑貨店で用品一式買い揃えた甲斐があったというものだ。

 ホーローのマグカップに注がれ湯気の立つコーヒーに顔を寄せれば、豊かな薫りが鼻をくすぐって気持ちを落ち着かせる。

 ミルクも砂糖も抜きで一口。熱々の淹れたてコーヒーがノドからお腹へと下りていくのが分かる。

 さすがにあのマスターやクリストフの屋敷で出された味には及ばなかったが、舌を刺激する苦み、渋み、酸味が好バランスで成り立ち、冷え込みだした空気の中で至福の味わいを温かさと一緒にもたらしてくれる。

 濃さについては前より薄めに淹れているが、今の自分ではこの位がベストのようだ。


 夜になった空を見上げれば日本では中々見られない数の星が輝いている。大気が澄んでいるのと、町の明かりが少ないのが主な理由だろう。月明かりが星の光を邪魔しているが、それでもこれほどの満天の星空は心を和ませる。

 こんな状況でなければコーヒーを片手に、一晩中天体観測と洒落込んでいたかった。でもそうは問屋が卸さないのが現実の非情さだ。


 金属の床と硬質なものが触れたことで生じる硬い音が耳に入った。

 マグカップを持った左手はそのままにして、右手だけで腰に吊したトカレフを素早く抜き出た。撃鉄はすでに半起し《ハーフコック》から全起し《フルコック》になって何時でも撃てる。

 音のした方向に拳銃と顔を向ければ案の定。地上二〇M以上はあるクレーンの床にランドラプターが一匹、よじ登ってきていた。

 距離は十M以内で充分に射程内。自分の腕なら当てられると確信し、すかさずトカレフのトリガーを引いた。

 手に伝わる衝撃は三回、銃口から吹き出す銃火。空薬莢が床に落ちる時には、銃弾が命中したランドラプターが地上へと落ちていった。


「コーヒーブレイクの時間ぐらいはゆっくりさせて貰いたいな」


 溜め息を一つ吐いて銃の撃鉄を戻しホルスターにしまう。コーヒーをさらに一口。こころなしか最初よりも感動が薄れていた。

 行動を起こす前に一服と思い、バッグに入れいた道具一式を取り出してコーヒーを淹れてみた。疲れた精神が薫りでリラックスできて良い気分だったが、こういう中では休みきれないものだ。もっとも気が緩むのも論外ではあるが。

 金網状の床から下を見下ろせば、夕方よりも動きが活発になっている魔獣が群れている。


 幸いにして大型の魔獣の姿は無い。アーマーアングラー辺りなら体当たりとかでクレーンを倒されてしまうかもしれないが、さっきの戦闘以降は姿を見ていない。下で群れているのは脅威度が低い小型の魔獣が中心だ。

 ただ夜になって活性化しているのか、一部身軽な個体がクレーンをよじ登って来たのは誤算だった。ゲームにはない動きを見せる魔獣達に自分の警戒心は数段跳ね上がっていた。


 しかし夜を迎えて活性化しているのはこちらも同じだ。

 空いた手をグーパーと開け閉めさせれば、不可視の力が手の平に収まったような錯覚がする。冷えるはずの夜の空気が自分の身体を火照らせ、感覚が夜の空気と混じり合ってどこまでも拡がっていく。

 これらは夜になる度に感じる解放感だ。陽の下では出来なかった事が出来るようになる身体からの悦びの声になる。


 加えて――空に昇る円を描く月を見上げる――今夜は満月だ。これまで夜になると感じる解放感よりも強烈な全能感が総身に降りかかり細かく体が震える。これは恐れからではなく、悦びで打ち震えているからだ。

 体の奥から突き上げるように湧いてくる熱。月を見るとその熱が一層激しく湧き上がってきた。苦しくもなければ痛みも無く、熱で体が示す反応は愉悦、快楽、快感と『楽』の感情ばかり。

 熱は下腹部でも感じていた。快楽、快感の類が一番肉感として感じる器官があるためだろう。だがしかし、こんなものは――


「――愉悦も過ぎればただ不愉快なだけか」


 こんなものはコーヒーと一緒に飲み込んでしまうに限る。

 体が勝手に悦んでいる状態は自分としては嫌なものだ。例えは悪いがドラッグをキメて悦楽に堕ちるように思える。冷徹非情な戦地ではどこまでも澄んだ思考が欲しいと自分は思っていた。

 月詠人が月齢によって能力が変移するのはゲームでのこの世界でも同じだ。月が満ちていくと能力が上がり、欠けていくと下がっていく。能力の最高潮は言うまでもなく現在の月齢、満月。

 戦いの中で能力の上方補正が見込めるのは頼もしい話だ。でもこんな衝動もセットで付いて来るとは思ってもみなかった。

 マグカップの中身の大半を一息に飲み干して、込み上げてきた熱を冷ました。コーヒーの苦味が一種の苦痛となって体を律する。こんな強制快楽感覚よりも自分はいっそ苦痛を感じていたい。


「――よしっ」


 気持ちを切り替えるつもりで自分自身に一声かけてクレーンの床から立ち上がった。能力に制限の無くなった夜になったのだ、行動を始めよう。

 コーヒー道具一式をバッグにしまい、まずは着ているものを完全に戦闘用に替えるところから。

 周囲に見ている人間など居ないのだから着ている衣服はその場で脱ぐ。もちろん上がってくる魔獣を警戒して、銃は何時でも手に取れる位置に置いておくのを忘れない。

 ジャケットを脱ぎ、黒いシャツを脱ぎ、黒いホットパンツから足を抜けば白磁の肌が下から現れる。もう完全に自分の体と言う認識だから最初の頃以上に思うことはない。さっさと作業を進めてしまう。


『主、今大丈夫か?』

『ジン? ――ああ、大丈夫。戦闘は終了している。負傷は特になし』

『そうか、それは何よりだ。こちらも無事ホテルに帰還できている。連れているシェリル女史も無事だ』

『シェリル……ああ、そう言えば一緒に避難させたな。忘れていた』

『時々ごく自然にきつい事を口にするのだな、主は。それで報告なのだが』

『ああ。お互いに話そう』


 退避を完了させた使い魔からの通信が着替えの最中にやってきた。

 こういう時音声のみの念会話はありがたいと思う。あられもない姿をさらしても通信先に見えることはないし、思念通信だから周囲の音を拾うこともない。

 下着姿になると夜の冷えた空気が直に肌を撫でる。河口から吹く冷風は火照る体に心地良い。

 ジェケットを残し着ていた服をバッグにしまうと、入れ替えるように取り出した『ルナ』の定番装備を身につけていく。

 着替えを進めながら頭はジンと念会話で報告をし合っている。向こうは戦闘こそ避けたが大変な道中だったらしい。彼には無理をさせてしまったか。申し訳ない気分になってきた。いずれ何らかの形で返しておかないとな。


『では、現在主は篭城中なのか』

『そちらも篭城中だからお互い様だな。でも夜になったから目処が立った。脱出を試みるよ』


 黒のワンピースとニーソックスのセット『呪式戦闘法衣』を着込み、シューティンググローブを手にはめ、コンバットブーツを履いて靴紐を縛り上げる。武装一式をまとめたベルトキットと化したバッグを腰に着けサスペンダーで支持すると、一気に戦闘者の気分になって身がしまる。

 こうして普通の服と着比べて分かったが防具の耐久性はかなりの物で、これまで何度も激しい動きをしても破れやほつれが一切ない。どうやらゲーム時代の品物は尋常なものではないようだ。

 最後に革のジャケット『シユウの革衣』を羽織って、防寒用に黒いマフラーを首に巻けば準備は完了した。――と再び床を叩く軽い音が聞こえる。


「お構いなしだな。本当に」


 今度は左から抜いた銃で上がり込んできた無粋者を撃ち落とす。モーゼル代わりの代用銃なのに早くも手に馴染んできた。

 獣の知性に配慮を求めるのは無意味だ。彼らには粋も無粋もない。そうと分かっていても急かされている気になってしまい、良い気分ではない。

 あるいは本当に何物かに急かされているのかもしれないな。


『じゃあ、今からそっちへ戻る』

『了解した。ご武運を』


 念会話の通信が切れ、魔獣の吠える声が鮮明になる。いよいよ行動開始だ。

 手には柄付手榴弾が一本、ただし通常のものとは少し違う。手榴弾の本体部分を何個か束ねたもので、威力の点では束ねた手榴弾の数だけ上がっているのは言うまでもない。結束手榴弾という柄付手榴弾複数個で作る急造兵器になる。

 ピンを抜いて、クレーンの下へ放り投げる。空中で安全レバーが弾け飛び、重たくなった頭部を下に手榴弾は落ちていく。


 同時にこっちは身構える。何時でも走り出せるように、何時でも戦えるように、そして何時死んでもいいように。生き残りの目標と反するようだが、死なないようにするには死ぬような状況を考えるところから始まる。

 一瞬先の自分の死を夢想しながら必死にそれから逃れる手を下してく。必要なのはいかに怒りや恐怖をコントロールして、集中力を麻痺させないよう持続させるかだ。

 結束手榴弾が下へと落ちていく様子を見つめ、爆発までの数秒間でゆっくりと呼吸を整えた。さあ、恐怖と戯れてみよう。


「Let's play」


 遅延信管が撃発し、結束手榴弾は地面に落ちる前に爆発を起こした。一緒に巻いている手榴弾も誘爆して、本体含めて七つの手榴弾が魔獣の群れの中で爆風を撒き散らす。

 周囲に振りまかれた強烈な爆風は魔獣達を薙ぎ倒し、クレーン上の自分の所まで余波を届かせた。髪と衣服が風であおられる。

 手すりに足をかけて、一歩縁に進む。次の二歩目は飛ぶような跳躍になる。


 こうして手榴弾の爆心地へ向かって飛び降りる。二〇M下の魔獣が囲む場所へと。耳は魔獣の声の代わりに風の鳴き声を聞いた。



 ◆



 ――とたん


 重力のなすまま下へと引っ張られた身体は、舗装された地面に軽やかに舞い降りる。

 重さを感じさせない音でブーツが鳴る。軽く膝を曲げただけで高所から飛び降りた衝撃は全て吸収され、次の行動に素早く移った。

 両手は腰に吊した左右のトカレフのグリップを握り、抜き出し、銃口を周囲の敵に向けた。周囲に味方はいないので気を払う必要はないのがありがたい。一切の遠慮無く銃火を放った。


 左右に広げた腕の先、二挺の拳銃は右と左にいる魔獣へ向かって銃弾を吐き出した。爆風で混乱している魔獣はロクな反応も出来ずに血を吹いて撃ち倒される。まずは二匹。

 すかさず銃口が横へスライドして次の二匹。それが終わったらさらにスライドして二匹と体を回しながら引き金を引き続けていく。爆風を逃れた魔獣達を掃討してまずは『場』を作る。

 あっという間に銃の弾が切れ、スライドがホールドオープンで止まる。ホルスターに戻し次のM14を腰だめに構える。セレクターをフルオートへ切り替えて銃口は滑らかに次なる標的へ向けられた。


 銃口から噴き出す銃火は夜の暗さの中では眩しく映った。今度は『道』を作るように一方向の敵に銃弾を叩きつける。

 敵の姿を銃口でなぞるように動かしていき、交わった瞬間にトリガーを引く。ボルトが激しく動き、空薬莢が次々と弾け飛んでいった。

 拳銃弾とは比較にならないほど威力のあるライフル弾を近距離でまともに受けた獣が血肉を弾けさせて地に伏せる。念を入れてトドメを刺したいが、時間も弾丸も足りない。

 弾切れになったライフルをバッグに押し込んで次を取り出し、同時に出来た『道』へと駆けだした。


 ウィンチェスター散弾銃のレバーをコッキング。ショットシェルを装填しながら走る。

 足の筋肉から熱が噴き出して、ブーツが大地を踏み込んで足を前へと跳躍させて体を前へと吹き飛ばす。一〇〇Mを三秒未満で走り抜けるような人間離れした速力で魔獣の群れの中に出来た『道』を走り抜ける。

 行く手に立ちふさがる敵は散弾銃で撃ち倒してさらに走る。そして――跳ぶ。


 豪っと耳元で風が唸りを上げて、体が一瞬だけ重力から反発した。

 視界の先には港の倉庫の屋根。その上が着地点だ。反発から引き戻し、体は一気に重さに引かれて狙い通りに倉庫の屋根へと降り立つ。

 やはり軽い音と一緒に倉庫の屋根に降り立つと、すぐに次の屋根目がけて走りだした。またも跳躍、飛翔、着地のワンセット。


 屋根から屋根へと飛び移り、魔獣との戦闘を避けつつ一直線に目的地に行くのが狙いだ。

 下を見やり魔獣の様子を窺うと、案の定屋根の上までは簡単に登って来られない。クレーンほどではないが、屋根の上も地上一〇M近くはある。よほど跳躍力があるか、登る手がかりを掴める器用さがないと時間がかかる高さだ。

 登れるだけの器用さが無い軍隊狼や、鈍重な武装熊はまず登って来られない。気にするべき相手は必然絞られる。

 走っている屋根の先、跳躍地点の縁からようようと登ってきた小柄な凶獣がこちらを発見して牙をむく。このランドラプターなら登って来ても対処はしやすい。


 威嚇に取り合わず、散弾銃でさっさと撃ち倒した。弾け飛ぶ血肉に目もくれず、機械的に作業をするように倒す。動揺など今は時間の無駄でしかない。すぐに次の跳躍に入り、とんっと跳んだ。

 可能な限り最短距離で進むお陰で丘の上のホテルはすぐに姿を現わした。非常時にしか使えないが、これは中々に便利な移動方法だ。おまけにアミューズメントパークのアトラクションみたいで不謹慎ながら楽しくなってきた。

 その少し浮かれた気分がいけなかったのだろう。何度目かの跳躍の最中に横合いからいきなり声がかかった。


「ルナっ! 後ろっ! 危ない!」


 誰の声か、と考える前に警告に従って首を後ろに回した。


「っ! しま……」


 目に入った光景は、こちらに向けて跳んで来るランドラプターの姿。最大の攻撃力を発揮する後ろ足の鉤爪を前に突きだし、数秒先にはこっちの体を突き刺す勢いで跳び込んで来ている。

 こちらも跳躍中で空中にいる。足がかりも手がかりもない中で姿勢を変えるのはまず無理。このままでは空中で奴の爪を受けてしまう。

 とっさの判断で爪の前に腕を出して盾にした。腕一本と命を天秤にかけた防御方法で、痛みは飲み込むつもりだ。


 結論を先に言うと、この防御は必要なかった。鉤爪が腕に突き刺さる数瞬前にランドラプターの体に複数の銃弾が当たって横へズレた。爪は空を切って、本体は力なく地面へ落下していった。


「――っとと……エカテリーナさん?」

「先程振りです」


 空中で姿勢を崩したせいで不格好に屋根に着地した自分は、銃弾の発射地点に目を向ける。十数M離れた路地に七つの人影を見つけ、その中に見知った顔があった。

 町の月詠人のまとめ役クリストフの秘書エカテリーナさんだ。他の人もあの屋敷いた黒服のメンバーで、全員武装している。

 手にしているのはカスタムされたAKライフルのようで、彼らの足元に空薬莢が転がっているからさっきの銃弾は彼らによるものだ。

 どうやら危ない場面を彼女達に助けられたみたいだ。



 ◆◆



「危ないところを有難うございます」


 屋根から下りて一行に近付き、お礼の言葉を言いつつ軽く頭を下げた。ぞんざいな所作ともとられるが、ここは曲りなりにも戦場バトルフィールドだ。礼を欠いたとしても大目に見て欲しい。

 幸いエカテリーナは戦場にまで礼儀作法を持ち込むほど四角四面な人物ではなく、手を振っただけで礼を受け取ってくれた。


「いえいえ。クリス様は貴女の事をしばらく放っておけと仰っていますが、やはり目の前で襲われる姿を見てしまっては見逃せませんので。それに貴女を探していた人も居まして、先程の警告も彼女のですよ」

「彼女?」

「あたしの事だよ。あ、悪いけどちょっと通して」


 周囲を警戒するエカテリーナの部下を押しのけ、小柄でずんぐりとした人影が出てきた。

 まるで機動隊の防護装備のように上から下までボディアーマーで固めた出で立ちに、顔を隠すバイザー付きのヘルメットを被っていて咄嗟に誰かは分からない。

 小柄な体で防具に着られているような格好の人物だが、意外にもひょいひょい身軽に動いてこちらにやって来た。

 バイザーを上げて顔を見せて、ようやく人物の名前が口から出てきた。


「クララさん」

「やっほ、危ないところだったね。無事で良かった良かった。でないとせっかく持って来た注文の品が無駄になるよ」

「注文の品……まさか態々こんな危険な中を届けに?」

「そうなるかな。引き篭もっていても良かったんだけど、また注文の品が受け取り手無しになるのは見たくないんだ」


 犬人族のガンスミス、クララさん。彼女は町が魔獣に襲撃されている最中なのに自分に武器を届けに来てくれたらしい。

 なぜそこまでするのか? そんなニュアンスをこめて聞いてみると、引き取り手不在の品物を数多く見てきたと言う言葉と寂しそうな顔が返ってくる。自分には察せられない感情がそこに浮かんでいるように思えた。

 けれどそれも一瞬、すぐに彼女の表情は明るいものになっていた。


「ま、独りで引き篭もっているのも寂しいから、レイのところにお邪魔しようって魂胆が本音なんだけどね」

「はあ、そう」

「そうそう。だからほら、注文のブツをちゃっちゃと受領しちゃって」


 ほとんど勢いに任せて、クララさんは後ろから取り出した小さなアタッシュケースを渡してきた。

 誰が見ても誤魔化しているのは分かるけど、明るくおどけた調子でまくし立てられると押し切られてしまう。押しが弱いと自覚のある自分だとなおさらだ。

 これはもう深くは聞くなというサインだと受け取って、彼女の敷いたレールに乗ることにした。ましてや今は戦闘中、人の事情を聞いている余裕は皆無だ。


 クララさんから小さなアタッシュケースに意識を移した。

 ジュラルミン製らしく、頑丈そうな鈍い銀色の輝きを持っているケースに手をかけて肝心の中身を確認。案に違わない中身が緩衝材のウレタンの上に載っている。

 二挺のモーゼル拳銃が互い違いに向き合ってケースに収まっている姿は一種の美術品じみている。その形状はクララに預けた時から変容していた。

 サイト、グリップなどは途中経過を見ているから問題ない。最大の変化はマガジンの前に取り付けられていた。おかしい、数時間前に見た時はこんな物無かったはずなのに。


「クララさん、これは?」

「ああ、ソレ? 格好いいでしょ」

「……お借りしていたトカレフは返します」

「うん。おお、結構使ったね。こんな状況じゃ無理ないけどさ」


 抗議の意味も込めたつもりだったが、すぐに無駄と悟った。大人しく代替の拳銃を返却して、改造で若干重くなったモーゼルを手に取る。真新しいラバーグリップがしっくりと手に馴染んで前よりも握りやすい。

 銃口の方向に注意しながら照準器も確認すると、前と後ろで三つの白いドットが打たれたサイトは以前の物より使いやすく、狙いやすい。

 オーバーホールもしていると聞くので調子も良くなっているはずで、総じて満足のいく仕事ぶりだ。やはりこの一点を除いて。


 それは女神像である。銃身の下からマガジンの前面にかけてまるで帆船の船首像のように小さな女神像が取り付けられていた。

 二挺とも同じ意匠の女神のようで、元々骨董品のモーゼルがコレのお陰で芸術性まで獲得している。まったく嬉しくない。

 こと銃器に関しては『キチンと狙った場所に当たればそれで良い』というのが大原則だ。凝り過ぎた改造銃や彫金の類もお呼びではない。荒事用なら特にだ。

 銃の反動を抑えるウェイトの役に立つかもしれないが、もっとシンプルにならなかったものか。


「その女神像、双子神の効力は中々のものだよ。各種能力の上昇、魔法行使の際に補助が入るし、撃ち出す弾丸にも神性属性を付与するのさ」

「……はい?」

「こう言うとゲーム的に聞こえるけど、実際に効果はあるよ。あたしが無駄なアクセサリー付けると思った?」

「説明はもう少し早くにお願いします」


 クララさんから遅まきながら出てきた説明にこちらは精神的な疲労を感じる。

 ゲームでも地球にいた時でも射撃に使う銃器には必要最低限のアクセサリーしか付けていなかった。精々がスコープかホロサイトといった光学照準器ぐらいだ。

 だからゲーム内の銃器に付けるアクセサリーには関心が薄くて少し疎かった。まさかこんな代物があるとは思ってもみなかった。

 なるほど、そういう目で見てみると中々すっきり収まっている改造だ。やはりクララさんのガンスミスとしての腕は確かだと改めて認められる。


「ありがとうございます。良い出来です」

「ここはパーフェクトだウォルター、とか言って欲しいかな」

「何ですかそれ?」


 良く分からないことを言っているクララさんを横目にして、周囲の状況を見渡した。

 クレーンから見下ろしていた時よりも、間近で見ている方が被害は深刻に見える。崩れた建物や路地の奥から血の匂いがして、この町の住人のものだと察せられた。

 大した人口もないアストーイアで一体どれだけの人が命を落としたのか。この惨状では、見当のつかない数になっていそうだ。


 焦げ臭く、生臭く、きな臭い。臭いだけでも剣呑な場所だと分かる。ここが戦場だ。

 手に持ったモーゼルのグリップを強く握り締めた。こうやって湧き上がってくる不定形の感情を押さえ込んで、吐息と一緒に諸々の感情を吐き出す。

 当初の目的地へ行かなくては。結構時間が経ってしまったので、向こうにいる一行の様子が気になってきた。

 足を踏み出そうとするその前に、エカテリーナが近付いてきた。彼女の表情は切羽詰った様子に似ている。


「あの、一つ聞きたい事があるのですけど」

「何ですか?」

「屋敷から町に来る時に使ったスクーターはどこに?」

「――あ」


 予想外の質問をされてつい固まってしまい、次いで広場のあった方向に目を向けた。

 アルトリーゼが魔法で暴れ回った爪痕が深々と残り、建物が幾つも破壊されて広場までの視界は通っている。そこは瀟洒な広場から融解した瓦礫が多数転がるガレ場に変貌していた。

 不幸な事に広場の端に停めていたスクーターも見つかった。炎で表面が黒コゲにローストされ、瓦礫が激しくぶつかって形が崩れかかっている。知らなければ瓦礫の一つとみなしていたほどだ。

 どう見ても大破しており、どこのメカニックマンでもレンチを投げ出す修理不能にしか思えない。遠目でこれだ。近くで見れば一層酷い損傷と分かってしまうだろう。

 自分の視線を追ってエカテリーナの目もガレ場に向かい目を見開いて驚き、黒コゲのスクーターが自身の物だと察して崩れ落ちた。この場合、お互い月詠人で夜間の視力が極めて良いことがもう一つの不幸かもしれない。


「何てこと……私のヴェスパがぁ」


 ショックを受けた彼女が立ち上がるまで、まだ少しの時間が必要だった。




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