12話 Fire and Sword
――その少し前、自分は町の郊外の丘に建つ瀟洒な邸宅に招かれていた。
「では、主がいらっしゃるまでこちらでお待ち下さい」
そう言われて邸宅の一室に自分は通された。非常に丁寧な物腰でここまで案内してくれたこの女性はエカテリーナ・フェーヤと名乗り、自分と同じ月詠人だと言い同胞という言葉を使ってきた。
彼女が仕えている主人が自分に強い関心を向けていて、是非とも屋敷に迎えたいのが自分に声をかけてきた用件だった。
この要請に自分は割とすんなり応じ、用意されたリンカーン似の高級車に乗せられてここに来ていた。
「凄い邸宅。さっきの高級車と外にいた護衛もそうだけど、主という方は相当偉い御仁?」
「ゲアゴジャとアストーイア一帯の月詠人を取りまとめるのが主のお役目になります。それでは、私は下がらせて頂きます。ご用命があればそこのベルを鳴らして下さい、メイドの者が対応いたします」
「分かった。ありがとう」
「失礼します」
部屋に案内して自身の役目はここまで、と一礼して部屋を辞すエカテリーナ。その姿はパリッと着こなしたスーツもあって、大物社長に付く凄腕秘書そのものだった。
その秘書が扉の向こうに消えたのを見て、自分は遠慮無く案内された部屋を見渡す。
通されたのは応接間らしく、向かい合わせのソファとテーブルがセットで部屋の中心に陣取っている。それ以外の調度は壁に掛けられた絵画ぐらいで酷くシンプルな部屋になっている。
ただ、猫脚に統一されたソファやテーブル、床に敷かれた敷物、壁紙に至るまで贅が尽くされている点は凄まじい。門外漢だから詳しくは不明だがソファは本革、テーブルは職人の手によるオーダーメイド、敷物は何かの動物の毛皮、壁紙は素人でも分かる高級品だ。絵画はもっと素人だから分からないが、きっと名のある画家の手による物だろう。
この屋敷の外観も両翼のないホワイトハウスといった見た目をしており、邸宅の内部もその外見に見合う豪邸だ。キラキラと輝く派手さはないが、その分積み重ねた歴史と威厳で形成された芯の通った価値を感じるものばかり。
こんな邸宅に住んでいて、エカテリーナのような従者を従えているとくればタダ者じゃないのは確定的。持っている資産も凄いが、それ以上に権力もかなり持っている人物だろう。
「相手は権力者か。ちょっと早まったかな」
「大いに早まったな。告げる間もなかったが、あのエカテリーナという女性は我々がゲアゴジャに来てからしばらく周囲をウロついていたぞ」
「事前調査だろうか。興信所か探偵みたいなことをしてたんだ、あの人」
こちらの自問に近い言葉に答えるジンは、すでに肩から降りてソファの背もたれの上に乗っていた。黒ヒョウじみたジンの姿はソファによってさらに美術品めいた魅力を感じさせる。このまま動かずにいれば、猫の形をした高級置物として通りそうだ。
「害がなかったので様子を見るだけだった。その上、最近は周囲に現れなかったから油断していたな。すまない、これは告げるべきだった」
「いや、いいよ。こっちの事を思ってなら文句は言えない」
報告が遅れたことを詫びる黒猫に自分は気にしていないと手を振った。こちらの精神状態を考慮に入れて黙っていたのならジンを悪く言えない。ゲアゴジャに来た早々に監視者がいるのは余りにも気分が悪くなる話だったろうしな。
それに今は考えることが別にある。そう、この邸宅の主が何を思って自分を呼び寄せたのかだ。
色々と雑念が湧く頭をリセットして、邸宅の主について思索を始めようという時、部屋の扉を叩く音がした。
「お客様、お茶をお持ちしました」
「……ありがとう。どうぞ」
「失礼します」
すわ、いよいよ登場かと身構えていた体が空回った。
重厚な扉を開いて部屋に入ってきたのは一人のメイド。手にはティーセットを載せたお盆を持っている。来客相手のお茶を淹れに来たらしい。
彼女は入室するなりテーブルにティーセットを置いて慣れた手際でお茶を用意する。その姿は電気街で見かけるなんちゃってメイドではなく、極めて正調で正統派なメイドさんだ。
あいにくと三次元のメイドには関心がないため何とも思わないが、メイド好きな知人ならコレを見れば絶叫する事だろうな。彼女には月詠人に感じたあの感覚は感じない。瞳の色もこげ茶色。どうやら普通の人らしい。
お茶を淹れる手付きは慣れたものだが、時々手を止めて手元に目を寄せている。目が悪いのか? いや、違う。
「カーテンが閉まったままだったね。暗いから開ける」
この部屋の窓には光を通さない分厚いカーテンがかけられており、日中だというのに薄暗い。さらにこの部屋ばかりではなく、邸宅の外観をざっと見た時全ての部屋がカーテンか鎧戸で閉ざされていた。
ここに住む住人が陽の光を嫌う月詠人だと思えばこれは当然の処置。そして薄暗くても自分を含めて夜目が利くため不自由はない。
けれどメイドの女性は人間らしく、この暗さでお茶を淹れるのは大変だろう。
そこで親切心を出してカーテンに手をかけようとしたが、メイドの方は大慌てだ。
「いえいえいえいえいえ、とんでもございませんっ! お気遣いは無用です。わたくしの修行不足でお客様が陽の光に身をさらす必要は一切ございません。どうかそのままで」
「そ、そう。分かった」
「ありがとうございます。お茶はすぐに出来ます」
気圧された。
月詠人に仕えているメイドだけあってか、彼女は陽の光がいかにマズイものか心得ている。招かれたお客様が陽の光に当たらないように気を遣っているのだ。
でもどんな事を言い含められたのか、メイドの表情には自分でも分かる怯えの成分が配合されている。
程なくお茶が出来上がり、豊かな香りを湯気と一緒に応接間に振りまいていた。メイドはお茶を淹れ終わると「何かあればお呼びを」と言い残し一礼して退出した。
「私は誰かに恐れられるような人物だったか?」
「あるいはこの屋敷の人物を恐れていたのかもな」
部屋を出て行くメイドの姿を見て、自分の今の姿を脳内に思い浮かべてみた。一〇代半ばの小柄な少女に人を恐れさせる要素は見あたらない。
だったらジンの言うようにこの屋敷にいる人物からの叱責を恐れているのか。今はささいな事でも情報が欲しい場面だ。
それにこのまま肉声でやりとりしているのも都合が悪い。念会話に切り替えようとするが、あの念会話独特の頭の中がどこかに繋がるような感触がしない。
「ジン、念会話を飛ばしてみたんだけど、受信出来なかった?」
「ああ。どうやらここの敷地に結界が展開している。結界内の魔法や異能の類を封じるものだろう。これも用心の一つか」
「何かあっても救援は要請できないか」
ジンの言っている結界という単語で、自分が感じている極小だけど気にかかる閉塞感の正体を知った。邸宅のある敷地全体が誰かの張った結界に囲まれており、室内にいる以上の閉塞感をわずかだが覚えていた。
しかも結界の効果がよろしくない。異能を封じるフィールド作用系らしい。ゲームでは敵味方問わず魔法とスキルの使用禁止だったが、ここでは念会話も技能扱いみたいだ。招待した人が意図したかは分からないが、これで外と連絡は取れなくなった。
もし危機に陥っても独力で切り抜けなくてはならない状況。何気なく腰に手をやったが、そこに金属の重みはない。
屋敷に入る際、門の両脇に控えていたダークスーツとサングラスという『いかにも』な格好をした二人組の男に武器一式を預ける羽目になっていたのだ。もちろん強制的。
警備や護衛の仕事を考えると当たり前の措置だ。だが、転移からこっち武器を手放した事がなかった腰元は軽くて心許ない気分になってしまう。
下ろした手が触れるのは拳銃を収めたホルスターではなく、ホットパンツから出る太もも。ニーソックスとの間に出来た素肌は思ったより冷たかった。
この冷たさで気付かされたが、今の自分の格好はこの場に相応しいとは言えない。黒いカッターシャツに黒いデニムのホットパンツという出で立ちは下町でこそ普通だろうが、こういった高級住宅地の中では逆に浮き上がる。まして、こういった屋敷を訪問する際の格好ではない。
武装の不安に続いて服装について不安が持ち上がってきた。
「事前に知っていれば正装ぐらいはしたんだろうが、この格好で人に会うのはやはり失礼かな」
「いえ、中々にお似合いですよ。シンプルながら貴女の活発な魅力を引き立てる良い服装です」
「いうっ!?」
突然あらぬ方向からあらぬ声がかけられて、口から変な声が出た。
慌てて声のした方向に目を向けると、さっきまでは無人だったはずのソファに一人の人物が深々と腰を下ろしてこちらを見詰めている。物音を一切させず唐突に現れたその人物は、その唐突さに反して放つ雰囲気は余りにも自然だ。この屋敷のどこに居ても当然という空気を持っていた。
最初の第一印象は小さい。目の前の人物の見た目は小さく幼い。十歳前後に見える少年がそこに忽然と姿を現わしていた。
第二次性徴に差し掛かる華奢な体を仕立ての良いダークスーツで包み、彼の白皙の美貌を際立たせている。金糸を集めたような髪、紫色の瞳と性別を超えたところにある美しさはどこか現実離れしたものだ。
そして彼からひしひしと感じる『気配』。山田やエカテリーナといった月詠人が近くにいると感じる身体からの信号と同じものだ。
つまりこの少年も月詠人。そしてこの状況で現れる人物を考えると、まさかと思う答えが頭から出てくる。
「貴方がここの?」
「そうだよ。ボクの名前はクリストフ・フェーヤ、この屋敷の主さ。クリスで良いよ。ほら、ボクだけが座っているのは良くない座って座って」
「ああ。知っているとは思うけど、私はルナ・ルクス。今日はそちらの招待に応じた」
「うん。応じてくれてありがとう」
無垢そうな少年のニコニコ顔で席を勧められ、自分は毒気を抜かれた気分で彼の向かいにあるソファに座った。
月詠人のまとめ役という事から老齢な人物と勝手に思い込んでいた自分の考えを大きく裏切り、この立派な邸宅の主は見目麗しい美少年だ。
ジンは紹介から意図的に漏らした。伏せ札になるか分からないが手は打てるだけ打っておきたい。自分の座るソファの背もたれに座ったままで万が一の用心に備えてもらう。
さて、どんな話が聞けるだろうか。危機感と期待が交じり合った混沌とした気持ちが胸の内をザラリと撫でた。
◆
手元にある淹れられて間もない紅茶を一口。コーヒーと違いこちらは詳しくない。でも良い葉を使っているのは分かった。分かるのだが、やっぱりコーヒーの方が自分の嗜好には合っていそうだ。折角淹れて貰ったのだし、義理で一杯空ける程度にしておこう。
こんな紅茶に対するささいな感想が内心に湧いたのはほんの数秒だった。なのに目の前の少年は目ざとく見透かしてきた。
「紅茶は嫌い?」
「いえ、嫌いというほどでは」
「そうなんだ。でも好きってほどじゃないね。リクエストがあるなら遠慮無く言って欲しいな」
にこやかに微笑む少年。そこに言い知れない圧力があるように思えるのは自分の勘違いだろうか。
ここは元いた世界とは訳が違うことは今までウンザリするくらい感じてきた。けれどまだまだ自分の認識が甘かったらしい。この貴公子然とした外見の月詠人は、見た目以上に年を重ねているのは間違いない。それも自分より年上。
そう認識すると、向かいのソファに深々を座るクリストフと名乗る人物はもう少年とは思えない。少年の姿をした年上の人物、そう自分の中では捉え始めるようになっていた。
まったく、人付き合いが苦手なくせに興味にかられて動くからこうなる。こんな風に予想を超えた存在に出会ってしまうとは。
目ざとい彼を前にして隠しきれないだろうが、ほんの少し小さくため息を吐いた。
こちらの反応を知ってか知らずか、余裕のある表情のままクリストフがテーブルに置かれた小さなハンドベルを鳴らした。間を置かず扉が開いてさっき紅茶を淹れに来たメイドが戸口に現れる。
「お呼びでしょうか」
「うん。ボクにいつもの飲み物をお願い。それとお客様にはコーヒーを」
「かしこまりました」
注文を受けて下がるメイドを見送った紫色の瞳がこちらを向いた。顔には少し自慢げな表情がある。
「紅茶よりコーヒーが好きみたいだね。コーヒーの匂いが色濃く残っているよ」
「匂い……」
「ボク達月詠人ならそれぐらい濃い匂いなら風邪でもひかない限りは嗅ぎ取るよ」
言われて袖口を鼻に近づけた。仄かにするコーヒーの匂いが彼の言葉を裏付けている。これを『濃い』匂いと言えるのだから嗅覚はかなり鋭い人だ。それとも自分だけ取り分け鈍いのだろうか。
飲み物の到着は思ったよりも早かった。五分とせずにお盆に載せられてやって来る。この間自分と彼との間には会話らしい会話はなく、お互いを観察しあうような時間になっていた。時間が経つごとに緊張した空気が部屋に充填されていくようだ。
戻ってきたメイドの手で湯気の立つコーヒーカップが目の前に置かれて、「どうぞ」という勧める声に礼を言って口をつけた。警戒する気持ちは不思議と湧かなかった。
「――おいしい」
「ありとうございます。クリストフ様、どうぞ」
「うん」
「……」
口当たりが良く薫り豊かなコーヒーに気を取られていると、向かいではクリストフがワイングラスに注がれた赤い液体を口にしていた。
ワインには見えないし、トマトジュースにも見えない。それらよりもなお赤く鮮やか、ここまで匂う香りは転移して以来嗅ぎ慣れている。『ルナ』の肉体になってからはソレを見るたび胸の中がざわつく。
自分の顔色に気付いた彼は、グラスを片手に興味深そうに覗き込んできた。
「へぇ、月詠人なのに血は苦手?」
彼の口元は笑みの形になって唇の隙間から牙がちらりと覗いており、それが酷く艶めいて見える。月詠人の性は血を吸う者。そう頭では分っていても心では納得できず、彼にその本性を正面から問いただされた。
今の自分にとって血は魔性を秘めた麻薬だ。鼻が捉える嗅覚では『臭い』ではなく『匂い』になって、芳しさを覚える。口にすればきっと今まで味わったことのない甘露を楽しめるだろう。でもそれをしてしまったら、元の世界の自分が終わってしまうような気がする。
――告白しよう。僕は血を吸うのがとても恐ろしく怖い。クリストフの浮かべる笑みは、そんな自分の弱さと甘さを笑っているようにも思えた。
「苦手と言うより、飲んだことがないので」
「ふぅん。やっぱり」
「やっぱり?」
「君が新生したばかりの月詠人だと思っていたよ。……ここ一ヶ月でこの大陸は大きく変容してしまった。君のような人物もあちこちで見かける。強い肉体とはアンバランスな普通の精神、強力な武器、驚異的な技術を持っているのに扱いは無造作。他にも――」
グラスに注がれた血液を高級ワインのように味わいながら、彼は話の内容を深めていく。
クリストフという美少年の姿をしたこの人物は、この辺り一帯の同族を取り纏めている仕事故か色々なところに居る同族から情報が寄せられてくる。普段は他種族組織との連絡、同族内の賞罰などといった情報が回される町内会の回覧板程度の内容が中心だった。
それが変わったのが一ヶ月ほど前。街の周辺部、街道、町の郊外や裏路地といった場所から現れる見たことがない化け物達が人を襲うようになりだした。時期を同じくして、他の人よりも身体能力がずば抜けて、強力な武装に身を包んだ集団が現れるようにもなった。
本来、魔法の技術は『魔』との親和性が高いエルフや妖狐族、月詠人といった限られた種族しか扱えないものだった。それがこの『超人』達は全くお構いなしで扱ってみせ、それどころか見た事もない高度な術式を操って見せた。彼らは皆一様に擦れた感じはせず、まるで子供のようにはしゃいでいる時もあったという。
事情を聞く機会はあった。しかし、ゲームがどうたら『エバーエーアデ』がなんたらと、良く分からない単語を連発して良く分からないままに話は終わってしまった。
「ただ僕達が分かるのは、君達は本来この大陸、ううんこの世界の住人ではないという事かな。――メグ、おかわり」
「はい、かしこまりました」
彼は傍に控えていたメイドに新しい血を注いでもらい、話をしていて渇いたノドを潤す。応接間に広がる血の匂いはさらに濃くなった。
「僕達月詠人にとって月に通じる金色の瞳は特別な存在だ。力の位階が上がるごとに赤から紫、紫から金と瞳の色は変色するけど、ここ数世代で金が現れたという話は聞いたことがない。君は言わば貴種な訳だけど、自覚はないよね」
「ええ、全く」
そんな事を聞かれても自分は端的に答えるしかできない。
ゲーム『エバーエーアデ』では、月詠人の目の色が種族としてのランクを上げるごとに色が変わっていくギミックがあるのは知っていた。その段階もクリストフが話している通りだ。中にはあの山田みたく虹彩異色症に仕上げる人もいる事はいたが大抵は両目の色を揃えている。
第一、瞳の色が変わったところでステータスに変化はないし、大した気に留めていなかった。それがこちらでいきなり特別な色だ、貴種だと言われても戸惑うしかない。
こちらの戸惑いを感じ取った彼はひとつ大きく頷いて、グラスを置いてすっくと立ち上がった。それが何か重大な話を口にする前振りで、自分がここに招待された本題だと何となく察した。
「どうだろうか。君さえ良ければ僕らの血盟に入って欲しいな。僕は君に王の座を用意してあげよう」
男性のものとは思えない白い繊手をこちらに伸ばし、招き入れるように微笑む顔には真実歓迎の意図がある。外見十歳前後の少年がこんな事を言ってこんなポーズを決めれば笑い話になってしまうのが普通なのに、クリストフのそれは真に迫った語りかける姿だ。
大抵ならこの少年の招きに応じてしまいそうな魅力もあるのだろう。並みの人間なら一も二もなく首を縦に振ってしまいそうだ。
世の人はこういうものをカリスマや人徳と言っているのかもしれない。これが常人だったら惹き込まれるのだろう。
ただ自分でいうのもなんだけど、その並や常人といった枠組みに自分は含まれていなかった。
「申し訳ありませんが、集団とか組織とかに属するのは私の性分に合いそうにないと思うのです。貴方が言う王というのにも興味はないですし、誰かの上に立つのはもっと性に合いません。私はただ、静かに生きていければそれで良いんです」
「――そうなんだ。案外欲が無いね……フンフン……そっか」
クリストフは大きな瞳をさらに見開いて驚いた顔をしばらくしていた。自分が断ったのが余程意外だったらしい。
やがてさっきまでの微笑を浮かべた顔に戻るとソファには座らず、厚いカーテンの引かれた窓際に移動しながら自分の話を思い返して吟味しているように目を閉じて小さく頷いていた。
人付き合いが致命的にダメな自分が集団や組織に所属するのは上手くない。今のマサヨシ君達ぐらいの人数が限界だろう。そんな自分が人の上に立てる訳も無く、彼の提案は最初から受けられない申し出だった。断ることに躊躇いや後悔などは無い。
「気にかけているのは一緒に行動している仲間のこととか? それとも他の何か?」
「それもあります。貴方が受け入れるのは私だけですよね。マサヨシ君や水鈴さん、レイモンドを受け入れるとは言っていない」
「そうだね。残念ながら血盟は月詠人のための組織、他種族はお呼びじゃないな」
「彼らとは何時まで一緒に行動するか分からない。けど、パーティ離散は全員が安住できる場所を確保してからと思っています」
我ながらここ一、二週間は近年で一番喋っている。ノドの奥が粘つく感触をコーヒーで潤して相手の出方を待ってみた。
今の急造パーティについての自分なりの結論が今の言葉だった。問題の先送りと言われても反論できないけど、今考えられる結論としてはベターではないかと思っている。
だから今ここで自分だけが抜けるのは良くない。離散するならみんな居場所を決めて、円満に解散したいと思っている。
「そっか、君の考えは分かった。こっちもいきなりだったしね」
こちらの考えをどこまで汲み取ったのかは分からないが、クリストフは納得するような仕草をしてカーテンに手をかける。
「でもさ、仲間と一緒に今後もやっていくなら急いだ方が良いよ。――ほら」
手にかけられたカーテンが引かれて外の強い日差しが応接間を照らす。急激な光量の増加に眩んだ目が回復し、やがて見えたものに自分は言葉を失った。
窓の外は丘の斜面に面した場所で、周囲の住宅街を見渡せる位置にある。その住宅街がおびただしい数の魔獣の群れによって現在進行形で蹂躙されていた。
不思議な事に本来聞こえるはずの轟音や振動は一切感じない。邸宅の敷地を囲む塀の向こうで次々と家が破壊されているのに音だけがスッポリと抜け落ちて、今見せられているのは大型のテレビジョンによる画像ではないかと思ってしまうほどだ。
すぐにこの不思議な現象の原因に思い至る。なにしろ自分も使った事があるものだ。
「遮音結界」
「そうだよ。屋敷の塀に遮音と遮光、あとは空間的に外との行き来を制限する遮蔽が張られている。結界作りは僕の趣味でね、なかなか良い出来でしょう」
とっておきの玩具を自慢するようにクリストフは結界の出来を語る。
屋敷の塀に張り巡らされた結界は正規の出入り口以外からの侵入を拒み、門すら閉じた今となっては堅牢な要塞と化しているのだという。
実際に魔獣の群れは一匹も屋敷の敷地内入っておらず、河の中洲のような安全地帯になっていた。
屋敷の庭ではスーツを着込んだ護衛が何人もいて、見張り番をしている。彼らは全員武装しており、手にはマシンガンやライフル、腕に自信があるのかポールウェポンで武装している者もいた。
「僕はね、他の同胞よりも感知する範囲が広いんだ。君という強大な存在を見つけたのものそうだし、コレもそう。数時間位前から嫌な気配が丘の頂上で大きくなってね。まずいなあ、って思ったから付近にいる同胞を屋敷に呼んで部屋に押し込んだんだ。ぶうぶう文句を言ってきているけど、コレを見たら黙るよね」
彼が事のあらましを話しているのを横で聞きながら、自分の目はさっきから窓の外に釘付けだ。
丘の斜面を駆け下りて、行く手を遮るあらゆる物を打ち倒して行く魔獣の群れ。その数は一目見ただけでは数え切れない。少なくとも十や二十は越えているのは間違いない。
呆然としていただろう自分の横、クリストフの端整な美貌がいつの間にか近くにある。
「どうする、ルナ。身の安全を図るなら僕は丁重にもてなす用意をしている。戦いに赴くというなら預かっている武器はちゃんと返却する。選択は二つ。安寧のためにここにいるか、仲間のために戦場に行くかだよ。どうする?」
見上げてくる彼の紫色の瞳は、真っ直ぐにこちらの目を見据えて真っ直ぐに問いかけを投げてきた。どちらを選ぶのかと。
窓の外にはゲームで見たことのあるエネミー魔獣が群れとなっている恐ろしい光景。反対に屋敷の中は平穏で静かなままだ。内と外とが完璧に隔てられた場所の窓際で、外か内かと訊かれている。
出会って一ヶ月も経っていない急造パーティのために命をかけるか、それとも自分の安全を最優先にしてここに引き篭もらせてもらうのか……自分の心はどこを向いているか、それがようやくハッキリした。
「何てことはない。色々とグダグダ考えすぎていたのか」
街が危機的な状況なのに笑いが込み上げてくる。こんな風に切羽詰まるまで煮え切らない自分に自嘲してしまう。
解散するまでは彼らは仲間だ。それはMMORPGに限らず、部隊の時でもアラスカでガイドの案内を受けていた時でも他のゲームの時でだって原則は変わらない。
確かに自分が生き残るのは重要な前提だ。しかし一度仲間と見なした相手は見捨てたくない、見捨てられない。僕が自身に科しているルールだ。
「クリス、私の武器を返して欲しい。それと武器弾薬も可能なら売って」
自分が決め、自分に科したルールに従い行動を起こす。きっと後悔するだろう、きっと嘆くだろう。けれどそれは全てが終わった後の話だ。
「ジン」
「うん」
「出るよ」
「承知」
声に応じて背もたれから液体のような動きで床に下りたジンは、サイズを変えながら自分の横に着いて戦闘体形へと変じていた。
久しぶりに見るジンの黒ヒョウ姿に頼もしさを感じつつ、窓の外で暴れ回っている魔獣の群れを見据えた。
当然のことだがゲームより遥かに感じるリアルさは、魔獣の強さ猛々しさを強調して余りある。ゲームではモブエネミーであっても、ここでは街を襲う恐怖の化け物なのだ。牙は骨まで噛み砕くし、爪は体を切り裂いてくる。油断など出来ない。
窓からクリストフに目を移す。彼は自分の感じている恐怖、決意、覚悟その他諸々の感情すら読み取っているような澄んだ表情を顔に浮かべていた。
「ああ……それでこそだ」
彼はまるで自分の発露する感情全てが愛おしいと言わんばかりに笑顔になった。無垢な少年のようなその顔は、薄暗い部屋の中で真昼の月のように花咲いた。




