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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
First Blood 邦題:ランボー
32/83

11話 Disaster




 わずかに潮気が混じった風が丘の上に吹き上がり、彼女のピンクブロンドの髪を手荒く揺らす。風は強く、纏っているマントや服をはためかせていた。

 ベンチに腰掛けて彼女は曲を奏でる。音源は腕に抱えられている深紅のギターから。形状はどう見てもエレキギターで、詳しい人ならフェンダー・ジャガーの左利きレフティそれもそれなりの改造が加えられたものだと見抜くだろう。

 エレキギターには必須のアンプやエフェクター類は見あたらない。なのに彼女が弦をピックで弾く度に伸びやかな音が奏でられていく。

 目にも鮮やかな深紅に染め上げられたエレキギターから流れるサウンドは強い風に打ち消されることなく響き、まるでメロディが風に乗って眼下のアストーイアの街へ流れていくようだった。


 街を見下ろす小高い丘。その頂上には一本の塔が建っている。街の開拓を記念した記念碑としての存在で、街ではそれなりに知られたスポットになる。

 コラムと呼ばれるこの塔の周辺は緑地公園として整備されており、すぐ下に広がる高級住宅地もあって閑静な名所となっていた。

 そんな場所で彼女、アルトリーゼはギターの演奏会をやっていたのだ。


 ネックを握る右手はスムーズにコードを押え、時折ビブラートを利かせて曲を楽しく弄ぶ。楽曲は奏者の性格をそのまま現わしているように自由闊達で奔放だ。

 その腕前は素人にはとても思えない。玄人裸足の腕前をアルトリーゼは誇っていた。

 楽譜に従うだけではなく、その中でどれだけ我が儘に振る舞えるのか試しているような彼女の演奏。それはこの場所に来ていた人達の耳目を集めていた。


 元から閑静な場所だったため人はそれ程集まって来ないが、それでも十人近い人々がアルトリーゼの近くで耳を傾けていた。

 聴衆達はこんな人気の少ない場所で行われるストリートパフォーマンスに不思議そうな顔をしている。けれども曲そのものに対する不快感を表した者はいなかった。奔放で伸びやか気まぐれでいて飽きさせないメロディは、興味本位で聞きに来た人達の心を捕らえて放さない魔力を持っていた。

 当の演奏者であるアルトリーゼは曲に集中するためか目を閉じて、周囲にいる聴衆達にはまるで関心が無い。流れ出るサウンドに没入するようにギターを操っていた。


「そこっ! 何をやっている」

「あ、やべポリ公だ」

「逃げろ」


 アルトリーゼの演奏会でにわかに集まっていた人達が、巡回でやって来た二人の制服警官の一声により一斉に散り散りになった。

 閑静で美観を売りにしている公園によくあるルールだが、犬の散歩やパフォーマンスがこの公園では規制されていた。近くには高級住宅地もあるため、治安や騒音に関しては特にうるさく路上ライブなどもっての他である。

 巡回に来ていたこの警官もアルトリーゼの演奏が耳に入ったからこうして来ているのだ。


 警官の声で散り散りになった聴衆。でもアルトリーゼはそれでも演奏を止めていなかった。最初からそうであるかのように弦をつま弾き続けている。

 一声かけても演奏を止めない彼女の態度にやや気分を害した警官は、それでも己の職務を全うするべく動く。

 逃げていった聴衆達も遠巻きにその様子を見ていた。


「ここでは楽器の演奏などのパフォーマンスは禁止だ。すぐに演奏を止めろ」

「……」

「君はこの街の人間には見えないが何処から来たんだ? 身分証明書とか持っているのか」

「……」

「もしかして耳が聞こえないのか?」

「……」


 二人の警官がそれぞれ質問を投げかけてもアルトリーゼの反応は完全な無視。聴衆がいた時と変わらずギターを弾いているだけだ。

 それが人をコケにしている様に見えたのか、二人の内一人が激高して「おいっ! 何とか言ったらどうなんだ」と乱暴に彼女の肩を掴もうとした。

 その前に閉じていた彼女の目が開かれ、目蓋の中に封じられていた瞳が魔性の輝きをもって警官を睨み据えた。


「うるさい。折角ノッてきたのに雑音をまき散らさないで」

「――ガッ……げぇ!?」

「先輩っ」


 肩を掴もうとした警官はアルトリーゼの瞳に見られた瞬間に苦しみだし、公園の芝の上に倒れ込んで転がり始めた。両手を首に持っていき、まるで誰かに首を絞められているようなポーズをとってのたうち回る。

 残ったもう一人の警官はこの突然の出来事に驚き、職場の先輩に起こった異変の原因に目を向ける。手段は分からないが、間違いなくこの少女が先輩を苦しめていると警官は確信した。

 後の判断は常人としてはかなり早かった。腰のホルスターに手を伸ばし、そこに収めているリボルバー拳銃を抜こうとしたが果たせない。


 新しく刻まれたギターのコードに導かれ、呪紋は組み合わされ術式は発現する。

 発現した魔法は膨大な熱量を一定の座標に発生させるごくシンプルなもの。そして、発現場所は拳銃を抜こうとした警官の頭部であった。


「――――っ!!!」


 ギターが一音を鳴らした途端、一瞬で着火して燃え上がった警官の頭。制帽や髪の毛、皮膚や肉が焼ける臭いを周囲にまきながら彼は悲鳴すら燃え上がらせて大地に倒れる。

 炎はすぐに消えてたが、余りの熱量に警官の頭部は殆ど炭化して黒こげになっていた。最初に倒れた先輩警官も首を圧迫する謎の圧力に耐えきれずにすでに事切れていた。

 それを一瞥だけ確認するとアルトリーゼは何事もなかったように演奏を再開した。そこに警官二人を殺害した良心の呵責といったものはない。

 遠巻きに見ていた聴衆達はこの惨劇に今度こそ散り散りになって逃げ出した。「化け物」という声も聞こえ、逃げ出す人達の殆どに悲鳴の声が混じっている。

 彼らの声は彼女の耳にも届いていた。それでもやはり無感動にギターを繰るだけ。


 やがてアルトリーゼが曲を一つ終わらせた辺りで、彼女に近付く人物がやって来た。待ち人来たる、であった。


「やあ、待たせてしまったねアルト」

「遅いよ軍師。何度帰ろうと思ったか教えてあげようか」

「いやいや、本当にすまない。ウチのメンバーは全員我の強い奴らばかりだから連携の確認に手間取った」

「それって、貶してる?」

「普通に事実を言っているだけだよ。それとも違うとでも?」

「違いないね」


 やって来たのは特徴の薄い赤毛の青年、アルトリーゼのチームメイトのリーである。チーム内では参謀役をこなしているため彼女は軍師と呼んでいた。

 すぐ横で警官の遺体が転がっているのだが、二人はお構いなしで話を始めた。もうコラムの周囲には彼ら二人以外に人影は存在しない。

 丘の上を風が通り抜けて、昼下がりの澄み切った青空へと昇っていく。日本とは違う乾燥した気候は、湿気の多い蒸し蒸しした暑さとは縁遠い。カラリと乾いた程良い爽やかな空気が流れていく。

 リーは眼下に見えるアストーイアの小さな街並みを見やる。彼の表情はこれから起こる惨禍を想像して、細い眼をさらに細めて楽しげだ。


「じゃあ、お願いするよ。こっちに持ってきた『檻』を全部解放して中身を街に嗾けて」

「りょーかい。中のガス化した『ベルセルク・ミスト』が出てくるから少し離れてて」

「うん、分った」


 リーは軽い調子でアルトリーゼに状況開始の合図を送り、受ける彼女も軽い調子で事を起こした。

 手にしたギターをピックで弾きワンフレーズを奏でる。音程に導かれ、アルトリーゼの周囲数十Mの範囲に次々と姿を現わす物体。

 見た目は白く、細いの糸を編み込んでグルグル巻きにしている巨大な繭。これが『檻』だ。


 ゲーム時代では『シルクケージ』と呼ばれる魔獣捕獲用アイテムになる。使用前はビー玉サイズの球体の物体だが、これを魔獣に投げつけると空中で玉が分解して網が形成されて捕まった魔獣は網から繭へと変化してく檻に包まれて捕獲される仕組みになっている。

 捕獲した魔獣の使い道はプレイヤーによって様々だ。捕獲しないと入手できないアイテムと引き替えるのが一般的で、他にも仲間ならぬ仲魔にして戦闘の補助に使うものや使い魔の素体にする者もいた。

 アルトリーゼがこれからするのは、大量に捕まえた魔獣をアストーイアに解き放つ暴挙だ。使い魔や仲魔のように制御や支配をする気はなく、ただ街へと嗾けるだけ。

 ゲーム時代にも同じ手法を対人戦に使う事があり、いつの間にやら『暴走スタンピード』という名前がついた禁じ手だ。


 繭が破れて中から捕まえた魔獣達が次々顔を出してくる。出来た穴からは白いガスが噴き出して、中が密封されていた事を示す。このガスはアイテムの『ベルセルク・ミスト』が使用されている状態で、檻に閉じ込められた魔獣達は興奮剤を与えられたようなものだった。

 大きな虎に似た獣に細いシルエットのトカゲ、多数の群れる狼、歪んだ多椀の人型、奇形の陸生魚、繭の数だけ魔獣が顔を出してきた。

 顔を出してすぐに彼らは街へと向かっていく。アルトリーゼの弦の音色に操られているみたいに脇目もふらず、それぞれが出せる最高速度でアストーイアの市街地目指して丘を駆け下りて行った。


「さあ、これがあたし達の用意するお祭りのハイライト。存分に楽しんでよ」


 アルトリーゼが魔獣達の咆吼に合せてギターをかき鳴らす。

 聴く者の心をかき乱すディストーションサウンド。狂的な響きを鮮血色のエレキギター型術式発動体『クレイジー・ストリングス』は奏でる。応えるように咆吼を繰り返して街へ駆け下りる魔獣達。

 何かが狂ったこの光景にリーは何かの開幕を感じた。これが惨劇か悲劇かもしくは喜劇かはまだ誰にも分からない。


「ともあれ、これからのイベント進行はもっと駆け足になりそうですね。忙しくなりそうだ」


 自身だけに聞こえる声で呟いたリーは演奏に夢中になっているアルトリーゼを横目に街をもう一度見下ろす。

 襲撃された家屋の一つが早くも煙を出したことに気付き、彼は口元を三日月のように歪ませた。



 ◆



 祭の会場になっているアストーイアの下町は、今が最高潮と言わんばかりに盛り上がっていた。

 沢山の人が行き交い、色々な屋台が建ち並び、売り子が威勢の良い声をだし、屋台料理の匂いが鼻を刺激する。日本のお祭りとはちょっと感じが違うが、やって来た人の盛り上がる雰囲気は世界が違っても変わらない。

 帝国の攻撃を受けて、もうほとんど戦争状態のはずなのに街の人達の顔は明るい。これは戦争に負けない人の強さって言うよりは、まだ実感が湧いていない風だとオレには思えた。

 そんな祭会場の広場を歩き、オレはルナさんを探している。


 祭二日目に開催されるフェイスオフとかいう格闘技にレイモンドのオッサンが出場すると知ったルナさんは、何も言わずホテルを出ていた。

 一応書き置きを残していたが、見知った顔が突然に居なくなったのは不安になる。彼女が以前に言っていた『お別れ』が今なのかと思ってしまうのだ。

 我ながらとてつもなく情けなくて女々しい。でも気になって仕方のないオレはこうして会場に来ている。


「いないな。書き置きだとオッサンの試合を見たいからここに来るって書いてあったんだけど」

「……こんなに人がいるんだし、そう簡単に見つかるものじゃないと思うよ。念会話も通じていないみたいだし」

「だよな。でよ、何でお前はそんなに離れているんだよ」

「気にしないで、私は気にしない」


 オレの右隣から数M離れて水鈴が歩いている。彼女もルナに用があったらしく、目的が同じだから一緒に行動しているのだが何故かこうして距離を取られていた。

 以前のように男が苦手だから、と思うのだけど、それはここ最近を振り返ると違うような気がする。メシ時に一緒のテーブルでも問題はないし、話しかければ普通に答えてくれる。だから今になって距離を取られる理由が分からなかった。

 ……あれ? でも今までと今日の違いを脳内で比べて検討してみると、まさかと思い当たる事があった。


「まさかルナさんがいないから、男と一緒にいるのが苦手って言うんじゃないよな」

「――っ!」

「図星かよっ」


 オレの出した推測に狐耳をピコンと立てて反応する水鈴。うわ、分かりやすい。獣耳保有者は隠し事に向かないな。

 なるほど、納得できた。水鈴はいかにも男らしい感じの人物は苦手みたいだ。今のオレは背の高いガッシリしたマッチョな男だし、鎧こそ着ていないが革ジャンとパンツだけでも威圧的に見えるのかもしれない。

 思い返せば昨日荷物係に任命された時もほとんど念会話だけで、ルナさんが来るまで顔を合わせていなかった。


「悪い? ずっと女子校で、他の人のように男性と付き合った経験なんて無かったもの。最近は慣れてきたけど、やっぱり苦手なものは苦手みたい」

「つまり最初から男に免疫がなかったのか」


 耳と尻尾を垂れて落ち込む様子を見せる水鈴にオレは碌な言葉が出てこない。

 ここまでで見てきた彼女の強気な部分のほとんどは強がりで、本当の水鈴は同性の人が居なければ異性とマトモに接することも出来ない純粋培養なお嬢さんってところか。

 顔を伏せて距離を取っている水鈴は、昨日オレを振り回してくれた奴と同一人物とは思えないほど意気消沈している。


「そこまで落ち込むことないじゃんかっ。オレも彼女いない暦=《イコール》年齢だぜ。こうなる前は女子とマトモに話せる機会なんてなかった。ほら、似たもの同士」

「……なんか、マサヨシと一緒にされると、イヤ」

「ひでぇっ! こっちは励まそうと思っているんだぜ。それをイヤとか」

「マッチョな人と同類って気がして……」

「ますますヒドイ」


 落ち込んでいるクセに毒を吐いてくれる奴だ。そして相変わらず距離を取っている。オレ達の間をもう何人もの人が通り過ぎている。

 その人の流れがある方向へと急激になっていく。そして大きな歓声が人の流れていく方向から聞こえてきた。

 この祭りのメインイベントのフェイスオフが始まったみたいだ。顔をそちらへ向けるとリングのある場所には人だかりが出来ている。


「とりあえずはだ、オッサンの様子を見てこようか?」

「賛成。ルナも来ているかもしれないし、行くわ」


 もう湿った話をする空気じゃなくなった。オレ達は人の流れに乗ってリングのある方向へと歩いていった。



 ◆◆



 人の密度は数Mも歩かない内に上がり、元から離れているオレと水鈴はさらに離れる。リング傍に辿り着く時には水鈴の姿は見えなくなっていた。

 男が苦手と言う彼女がこの人ごみの中にいて平気なのかと考えるが、平気でなければ行くとか言い出さないだろうし大丈夫だろうな。いざとなれば念会話で連絡がつくし問題ないか。


 手に入れた恵まれた体格を武器に人ごみに分け入って、ロープが張られた特設のリングのすぐ傍まで近付く。

 リングの中では二人の男が持てる力をせめぎ合わせていた。

 今のオレと同じくらいの体格をした奴と、そいつより二回りは小柄な奴が拳、脚、肘、膝、その他人体で凶器に使える部分を駆使して相手を打ちのめそうとしている。

 大男のリーチの長いパンチを避けた小柄な男。避けつつ懐に飛び込み、相手の頭を挟むように両方の平手で耳を痛打する。鼓膜をやられて大きくグラつく大男。すかさず追撃する小男。

 ノドを打ち、鳩尾を打ち上げ、トドメにアゴを蹴り上げてフィニッシュ。大男がロープにもたれ、ずり落ちてマットに沈んだ。

 勝利のポーズで拳を振り上げる小男に、周囲の観客は歓声を上げた。


「えぐいな……マジで何でもありじゃねぇか」


 地球の格闘技では絶対に反則をとられる技が数多く見られた。何でもありと言われるバーリ・トゥードだってキチンとルールは存在するのに、ここでは一対一で素手であること以外は本当になんでもあり。オッサンに聞いた話では、死者が出るのだって珍しくないそうだ。

 こんな危険な格闘大会にレイモンドのオッサンが出場する。リングに上がってきた進行役のアナウンスでは今の試合は第一試合、オッサンが出場するのは第三試合でまだ時間がある。リング周辺を見回していると、あの特徴的なリザードマンの姿が見つかった。


「オッサンっ!」

「おお、坊主か。何だ、俺の応援に来たんだったら嬉しいが」


 リング脇で準備しているオッサンに声をかけながら近寄る。誰かに止められる様子もないし、こうして選手と話をするのも自由なんだろう。

 パーカーやスーツではなく、上半身裸で下にジャージを穿いたボクサーに近い格好をオッサンはしている。手にはボクサーがやるような布を巻いている最中で、いかにも試合前って空気をしていた。

 なのにオッサン本人は気負っている感じはないし、どこか気楽に見える。マンガで見るボクサーのようにピリピリしたものは感じ取れない。

 だからかオレも普通に話をすることが出来た。


「いや、オッサンの応援は二の次で、ルナさんを探しているんだけど」

「何だよ、俺の応援より女を追いかけるのが優先か。でもこっちはルナを見かけていないぞ」

「え、書き置きだと銃の様子を見てからオッサンの様子を見に行くってあったけど」

「じゃあ、まだクララのところで捕まっているのか」

「いや、そっちはここに来る前に念会話でクララさんに確認したっス。もう出た後」

「そうか。で、直接本人に念会話はしたよな」

「もちろんした。でも応答がないんすよ」

「どういうことだ、それは」

「ケータイでいうところの着信拒否、いや圏外? 電源が切れているって感じで通話が出来ないんす」


 オッサンがオレの話に戸惑ったような顔をして、すぐに深刻そうな顔つきになる。

 オレと水鈴はここに来る前にルナさんに念会話で話をしようとした。だけど一向に繋がる感触がしなかった。これは彼女が念会話の圏外に出てしまったのか、それとも通話できないような状態にあるのか。これがオレの気になっている事の一つだった。

 単に圏外に出ているなら良し、もし深刻な状態で通話ができないのなら早く見つけなくてはと思っている。とにかくルナさんの姿を見たかった。

 オッサンもオレの言おうとしていることを理解したのか、難しい顔をしている。


「分かった。俺はこれから試合だから動く事は出来ないが、終わり次第こっちも捜索を手伝おう」

「試合、大丈夫っすか? ちらっと見たけど、かなり激しい戦いっすよ」

「なに、最近この身体にも慣れたところだ。全力でかかればどうにかなる」


 暗緑色の鱗に覆われた胸を軽く叩き、自信ありげに応えるリザードマン。さっきのようなエグイ攻撃なんかモノの数ではないと態度で言っている。

 そこにリング横から彼に声がかかった。


「ヘイ、レイモンド出番だぞっ」

「分かった! じゃあ坊主、行ってくる」

「あ、うっす」


 さっき第一試合が終わったばかりのはずなのに、オッサンの出る第三試合がもう始まる。リングを見やれば担架で運ばれていく人がいた。いつの間にか第二試合が始まっていて、もう決着が着いてしまったらしい。

 布を拳に巻き終わったオッサンは軽くパンチを繰り出しつつリングへと歩いて行く。

 リングの上では司会者がレイモンドの名前をコールする。リングを囲む観客からの声にオッサンは拳を上げて応え、リングのロープを飛び越える。対戦者がリングに上がってくるのも一緒だ。ロープを潜り、マットに上がるなりバック転をしてアピール。オッサンよりもかけられる歓声は大きい。


「おいっ、そこのデカイの! そんなところで突っ立ているなよ、見えねぇぞ」

「うえっ」


 後ろにいた人にヤジを飛ばされて思わずしゃがみ込んでしまう。デカイ身体も善し悪しだよなぁ。

 しゃがみ込んだままリングに視線を送れば、早くも対戦が始まろうとしている。二人の男がリングのコーナーに位置取り、向かい合って睨み合っている。

 後はゴングが鳴ればあの激しい戦いが始まる。周りにいる観客達も今にも始まろうとしている試合に一瞬だけ歓声を止めた。

 ゴングが鳴るまでの数秒、周囲の騒がしさが止んだ。そして――


「うわぁぁぁーーっ! 逃げろ、化け物だ、化け物が出たぁ」


 観客の囲みの外から悲鳴がして、沈黙が破れた。

 悲鳴が上がった方向からはさらに悲鳴と怒号が耳に入り、地響きが街を揺らす。

 リング近くにいる人達は何事かと戸惑い顔。もちろんオレも何が起こったのか訳が分からない。だからどうして良いか分からずしゃがみ込んだままだ。

 オッサンも対戦者から目を離して騒ぎのある方向に目をやっている。何か見えるかと、ジェスチャーで尋ねても首を横に振るだけだ。

 遠くから聞こえる悲鳴と怒号、地響きに不安になってくる。それはもうこの場にいる人達の共通したものだ。みんなさっきまでの興奮した雰囲気が一気に冷めて、次の行動に迷っていた。


 次の行動を起こさせる要因はすぐにやって来た。いや、空から降ってきた。


 無意識に上空に何かあると察知したのか、なんとなく見上げた青空に黒い点があった。

 それがみるみる大きくなっていき、それが落ちてくる何かの物体だと分かった時には遅かった。

 以前のジアトーを砲撃された時を思い出すような爆音が至近距離で聞こえ、巻き起こった風が重いはずのオレの体を転がす。

 まったくの不意打ち。準備も覚悟もさせず撃ち込まれた砲弾じみた何かは、観客の囲みに落ちて周囲の人達を押し潰した。


「に、逃げろっ!」

「帝国軍の攻撃か!?」


 ここでようやく行動を起こした観客達が一斉に逃げ始め、混乱は大きくなっていく。


「わぁ、化け物」

「化け物が落ちてきたのか」


 転がった体を起こそうとしているとそんな声がして、そちらに目を向けると落ちてきた何かが動いていた。

 それは体長五Mはある巨大で奇形な陸生の魚。体の半分は頭部に見え、大きな頭に見合う大きな口には鋭い牙が生え揃っている。発達した胸びれがまるで足のように地面を踏みしめて体を支えている。N○Kのドキュメント番組で見た深海魚をディフォルメすればこうなるかもしれない。

 その異形の生き物をオレは知っている。いや、この世界に転移してきたプレイヤーだったら大抵知っているはずだ。


「アーマー・アングラー……」


 ゲームだと名前通りに硬い装甲に覆われた陸上を歩き回る魚型の大型魔獣だった。

 それが目の前で確かな存在感を持って存在する。異形の姿に前の軍隊狼の時よりも非現実の感触がする。


「おい坊主、ぼっとしているヒマはないぞ。来ているのはアレだけじゃない」

「……オッサン」


 リングから下りてきたオッサンがオレの隣に来ていて、立ち上がるのに手を貸してくれた。

 そうだった、ここのところ平穏な日が続いていたが元々この世界は甘いものじゃなかった。気が緩んでいたんだ。

 もう祭どころではない。下町の広場は現れた魔獣でめちゃめちゃになっている。オッサンの示す方向を見れば、街の郊外にある丘から下へと降りてくる土煙と黒点が見える。あれが全部魔獣ってことだろう。


「坊主、お前の武装は?」

「あ、マズ。ホテルに置いてきた」

「分かった、取りに行こう」

「でも水鈴もここに来ているし、ルナさんも」

「まずは身の安全を確保してからだろ。それに水鈴なら念会話が通じないか」

「あ、そうだ」


 気の緩んだツケが回ってきた。ホテルに武装を置きっぱなしで、手元にあるのは予備用のナイフ一本。それを腰に差しているだけだ。

 でも無いよりはマシなので腰から抜き出し、軽く握りを確かめる。ランボーが振り回していそうな大きなナイフだが、ここでは酷く心許ない。

 それと水鈴に連絡。ルナさんのように不通にならないよう祈りつつコールを飛ばした。


『水鈴、水鈴。応えろ、水鈴』

『聞こえている。置いていくなんて酷いじゃない。さっきのお返し?』

『違うっつーの。それより一度ホテルに戻ろう。武装を置きっぱなしにしているし、体勢を立て直したい』

「分かった! 行こ」

「あん?」


 返ってきた言葉が頭に響くものから耳に聞こえるものになっていた。振り返ってみると、真後ろに見慣れた巫女風の出で立ちをした水鈴の姿があった。見慣れない長い杖を手にしているがいちいち聞く時間はない。

 彼女は手にした杖を軽く振り、杖の先端に現れた赤い光をこっちに振りかける。


増強呪紋ブーストスペル。脚力の増幅に絞ったから走る速さが上がったと思う」

「バフか。助かる」


 補助系の魔法を使ってくれたらしい。脚が適温のお湯に浸かったようにポカポカしてきた。これが増強の効果か。

 流石に非常時だと水鈴も男が苦手とか言っていられないらしく、ルナさん不在でもオレ達の近くにやって来た。顔色は良くないけど、我慢しているんだな。

 準備も出来て周囲を見れば、もう会場は次々とやって来る魔獣の群れで踏み荒らされていた。逃げる人達が魔獣に容赦なく襲われて食われる。あるいは戯れのように引き裂かれ、弄ばれてズタズタにされる。


「祭は祭でも血祭りになりやがった」

「上手いこと言ったつもり? 笑えないよ」

「全くだ。さあ、逃げるぞ」


 オレの発言に容赦ないコメントを返して二人はホテル目指して走り出した。別にボケたつもりは無い。そう思われても仕方ないだろうが、ここまで切って捨てられると納得いかない。

 二人に遅れないようにこっちも走り出す。熱が感じられる脚はすぐに体をトップスピードへと持っていき、地面を蹴りつけた。

 祭の会場を襲う魔獣をかいくぐり、オレ達はホテルへと走り抜けていく。この街を襲う災厄はまだ始まったばかりだ。




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