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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
First Blood 邦題:ランボー
31/83

10話 Hunch




 その獣は餓えていた。空腹に突き動かされるようにして森の中を歩き、獲物を探し求めていた。

 この森がどこにあって、自身が何時から存在しているかなど獣が考えることはない。ただ、いつの間にか意識が存在して何をすればよいのかを本能的に知覚して行動してきた。ただそれだけだ。

 それでも前の食事からどれくらいの時間が経ったかは理解している。夜だけを数えてすでに三日。そのぐらい獲物にありつけていなかった。


 獣が居る森は強者というべき存在が数多く、一応は狩る側の獣でも油断していると狩られてしまう。

 それら強者のテリトリーにはなるべく近付かず、あわよくば強者のおこぼれを貰える位置取りが獣の理想だ。けれどまだ森の強者のテリトリーを把握しきっていない獣にとってはそれは遠い話である。

 そのために森の探索も兼ねて獣は森の中を歩き回っていた。


 針葉樹と落葉樹がほどよく混じった森の中、湿った腐葉土の地面を踏みしめて獣は行く。早朝の昇りきらない太陽の光はまだ森の中には届いていない。暗がりが森にたれ込めていた。

 獣の耳には鳥の鳴き声と何かの遠吠え。森の強者がテリトリーを示す鳴き声だ。距離は遠く、まだ気にする程ではない。

 鼻をひくつかせて周囲の臭いをかいでみると、獣の知覚に引っかかるものがあった。


 複雑な感情は獣にはないが、それでも翻訳するなら獲物にありつける期待と喜びが獣の頭を駆け巡った。

 慎重にその方向へ獣は足を進める。距離は近い。

 そして茂みの中へ身を伏せつつ近寄ると、そこには獣の獲物になりえる生き物――二人の人間がいた。


 人間という単語はもちろん獣は知らないが、これが獲物として非常に美味しい存在だと経験的に知っている。

 まず、身体能力が獣よりも非常に劣っており、組み敷いてしまえば獣を払う事もできない非力さだ。牙も爪もなく、代わりに武器を持っているが獣にとっては脅威ではなかった。

 実際に獣が以前に獲物としたのは、この森を調査しにやって来た街の警官や軍人だった。彼らの武装を持ってしても獣には敵わなかったのだ。


 本能から足を忍ばせ、獣が二人の人間にゆっくりと近付いていく。飛び掛るのに最適な間合いまで距離を詰めていくのだ。

 慎重に人間に近付いていく獣だったが、一方でこんなに慎重にならずとも大丈夫ではないのか? と思考する。何しろ相手は今スキだらけなのだから。

 二人の人間は雄と雌。彼らが普段身に纏っている服を脱ぎ、睦み合っている最中なのだ。

 交尾中の獲物を襲う事に獣は躊躇しない。そんな事に気を利かせる配慮など獣には存在しない。いたずらに慎重になる必要がないと見た獣は茂みから飛び出し、ことの最中だった二人に襲い掛かった。


 ――っ!?


 襲い掛かったハズだった。人間程度なら反応する間もなく牙や爪を突き立てられ、血しぶきを上げて絶命する。後はゆっくりと肉を味わえばいいだけ。獣にとってそんな美味しい獲物のはずだった。

 そんな獣の中で出来かけていた人間観がこの瞬間、強引に変えられた。

 虚空から出現した無数の光の杭が獣の体を空中で刺し貫き縫い止め、不出来な昆虫標本に仕上げる。不思議なことに獣に出血は無く、痛みも感じない。だがその体は一切の行動を封じられていた。


「ビンゴ! やったね、またまた魔獣をゲット。これで10体捕獲達成」

「捕獲は良いのだが、何故こんな事を……」

「え? あたしの体は気持ち良くなかった?」

「いや、良くはあったのだが……わざわざこんな方法で囮にならなくても」

「だって、罠にかかるまで退屈だったし最近欲求不満気味だったし……でもま、良いペースね」


 そこへ獣が襲いかかるはずだった男女の内、女性の方が近付いてきた。男性の方は恐る恐ると遠巻きに様子を見ている。

 獣を興味津々の目で見やる女性。いや、幼い雰囲気が色濃いため少女と呼んでも差し支えないだろう。ピンクブロンドが森の暗闇の中でも映えて見え、交合で汗ばむ白磁の肌を隠すのは白いマント一枚きりだ。幼い体から匂い立つような色香が漂い獣の鼻を突く。

 裸と変わらない姿の少女は、恥ずかしがる様子もなく獣に手を伸ばす。獣は敵意に満ちた目で少女を睨みつけ、動かない体を無理にでも動かそうと唸る。


「はいはい、無闇に動くと怪我するよ。じゃ、お休み」


 伸ばされた少女の手に仄かな妖しい光が灯り、それによって獣の意識は急速に遠のいて視界が暗転した。

 『睡眠』の呪紋による強制催眠の魔法になる。呪紋の組み合わせや術者の能力次第では回復から戦闘補助まで使える有用な魔法で、魔法の使い手としては一流どころの少女にとっては造作もない技になる。

 獣を眠らせた少女『S・A・S』の一員になるアルトリーゼは、後ろを振り向き男性に『檻』の用意をさせる。彼は頷き、服を着ながら『檻』の準備のために茂みの向こうへと消えていった。

 この場で残ったのは眠らされた獣とアルトリーゼだけ。


「次にあんたが目覚める時はきっと楽しいお祭りの最中だよ。みんなと一緒になって盛り上げて欲しいなぁ」


 意識のない獣の毛皮をアルトリーゼは愛おしそうに撫でる。肌に感じる毛の感触が肌に心地よい。

 リーダーのストライフから下された命令を思い浮かべて口に笑みが浮かぶ。彼はどうやら次も面白い事を考えている様子である。面白い事と刺激的なものが大好きなアルトリーゼにとって退屈せずに済む命令は大歓迎であった。

 もふもふとした毛皮の魅力にハマッた彼女は、このまま男性が戻ってくるまで服も着ずに獣を撫で回していた。その時になると森にもようやく日が差し込み、ダンジョン『放浪樹海』にも朝が訪れていた。


 そこはゲアゴジャとアストーイア間の陸路を遮断するように出現したゲーム時代のダンジョン。この世界に転移したプレイヤー達の次の転機はこんな場所から始まろうとしていた。



 ◆



 アストーイアの休日の空は雲のない快晴。絶好のイベント日和になっていた。

 二日目の今日がメインイベントの日のようで下町の広場は昨日よりも活気が増していて、賑やかさ騒がしさは誇張抜きで倍になっている。

 昨日はなかった横断幕や色々な看板があっちこっちに設置されて、イベントの雰囲気を増幅させるのに一役買っている。看板の内容を見ると、この街の成立を記念して行われる恒例の祭みたいで毎年夏至に行われているらしい。転移前とこちらの世界のカレンダーを考えると時差はあまり無いようだ。

 その賑わいの中、自分は黒猫をお供にイベント会場になっている広場を一人歩いていた。


「しかし残念だったな主。愛用の銃がまだ調整中とは」

「仕方ない。クララさんだって忙しいし、そんな中で改造を請け負ってくれただけでも有り難い事」

「確かに。あの量の突撃銃を捌くのは大変そうだったな。どこぞの部隊が丸ごと発注でもしたかの様だった」


 ジンが最近は定位置になろうとしている自分の肩に乗り、さっき見てきたクララさんの工房の様子に呆れ混じりの声を出している。

 昨日は買い物に連行されたせいで行けなかったクララさんの工房。お詫びも兼ねて途中で買った焼き菓子を手土産に訪ねたのだったが、どうやら彼女の仕事は今が佳境だったようでまともに話が出来なかった。

 数多く持ち込まれた改造待ちのAKライフルを相手に忙しく作業をしているクララさんを見かけ、菓子を置いて出直す事に決めた。


 それでも少しは対応してくれて、彼女に預けたモーゼル拳銃の様子を見せてくれた。

 木製のグリップがラバー製に変わって反動が強い三〇口径弾の衝撃を吸収しやすいようになっており、さらに照準器サイトも変更されて古めかしい照尺から現代の三点ドットが付いた狙いやすいものになっていた。

 他にもクララさんの言葉によれば、一度完全分解を行って徹底したオーバーホールをしてくれたという。

 後は照準の細かい調整ぐらいと言っていたから、あの大量のAKが捌けたらすぐにでも手元に戻って来ることだろう。

 切迫した状態ではないし、緊急に愛用の武器が要る案件もない。だから急かすことなくクララさんに礼を言って工房を出てきたのだった。


 工房からの帰り道。広場はちょうどホテルに戻る通り道になっていた。普段の自分だとイベントなどには取り立てて興味は無くただ通り過ぎるだけだったが、興味のあるものなら例外だ。

 看板に行っていた視線を横断幕に移せば、『フェイスオフ・アストーイア戦 本日開催』と大きく書かれている。

 フェイスオフという競技の話はすでに聞いている。賭博が行われている国民的格闘技、そう聞くとタイのムエタイを連想する自分だがこちらのはバーリ・トゥードが近いかもしれない。いや、より過激か。一対一、素手という以外は本当に何でもありなのだから。

 祭に伴いこの格闘技がアストーイアで開催されることになり、広場には特設の野外リングまで作られている。

 この格闘競技にレイモンドが出場することになっているのだ。これはレイモンドの中の人、勝又太一のファンである自分にとって見逃せない。


「本日の第三試合、レイモンド・グレイ対リチャード・アーウェンの受付はまだやっているよ。オッズはアーウェンの優勢。さあ、賭けた賭けた!」

「アーウェンに一〇〇!」

「グレイに五〇だ!」

「こっちもアーウェンに四〇」


 リングの脇にある急造の賭博券売り場では、早くも賭けが始まっていた。声を出す係員に大勢の人が金を片手に賭け券を買おうと群がっている。

 第一試合すら始まるまでまだ時間があるのに三試合目の賭けにこうも人が集まるのは、みんな祭の雰囲気に押されているのかもしれない。

 それはそれとして、自分もレイモンドの試合は無視は出来ない。バッグから実体化した紙幣を抜き出して係員に突きつけた。


「レイモンドに五〇〇」

「剛毅だね、お嬢ちゃん。――ほいよ」


 係員に呆れ半分といった顔をされて賭け券を渡された。肩を見れば、ジンも似た様な雰囲気でこっちを見ているのは気のせいではない。


「賭け事は余り感心しないが」

「確かにそうだけど、レイモンドの試合だから」

「ファンとしての投資、か?」

「そう」


 自分はギャンブルに熱中するような気性ではないと自己分析している。それでも気になる対象の賭けは積極的に参加する方だ。

 賭け券の紙をピラピラと手で弄り、また露店の群れに足を向けた。試合開始まで時間があるのでこのままここで時間を潰すのも良いだろう。

 街の成立記念という堅いイベントのはずだが、こうして見る限りは普通の祭みたいだ。何かの祭典や市長のスピーチがある様子もない。純粋に庶民が楽しめるお祭りといった風情だ。

 賑わう街の広場に集まる人たちも様々になる。地元の人やゲアゴジャからフェイスオフの観戦に来た人、お祭りを楽しみにして目を輝かせている子供がいれば賭博に熱を上げる大人もいる。老若男女問わずこの場には人が集まっていた。


 それら人の集まりを眺めながら観察しながら歩いていく。

 潮の匂いが混じった風が吹きつけ、昨日買ったばかりのカッターシャツが肌を撫でる。こうして袖を通してみたが安物の割に悪くない。この先も愛用していきたいものだ。黒いシャツにアクセントで付けた銀のペンダントも見栄えが良い。

 対してボトムは水鈴さんが半ば押し付けてきた黒いデニム生地のホットパンツを穿いている。どういうものか試しに穿いてみたが、前の自分が幼い頃に穿いていた半ズボンを思い出して少し懐かしい感触だ。脚の稼動域も良好だし、今後も機会があれば穿いていこう。

 買ったばかりの服の着心地に概ね満足しながら、広場に立ち並ぶ露天とそこに立ち寄る人々を見やっていった。


「……少し意外ではあるな」

「なにが?」


 人を観察していると肩のジンから声がかかった。彼と目を合わせると、金色の瞳がこちらを目を覗き込むように見つめてくる。

 彼も自分がやっているようにこちらを観察しているような目をしていた。これも主従は似ると言うのか。


「今までの主の言動から鑑みるに人間が嫌いなのかと思っていたが、こうしてみるとどうも違うらしい」

「ああ。そこか」


 ジンの口から出てきた言葉に自分は軽く息を吐いた。この黒猫は良く人を見てるものだと感心した。

 人から誤解されやすいが自分は人嫌いではない。むしろ好きな分類に入ると自分では思っている。だが人付き合いは苦手で他者との交流は苦痛に感じてしまい、可能なら人と話さず観察しながら暮らしていきたかったのが密かな願望だった。

 人は好きでも個人として付き合っていくのは苦痛。自分がMMORPGをやっていても単独行動が多かったのはこんな理由からだった。

 お陰で『弧月』などという恥ずかしいマスコットネームを頂戴していて、先日クララさんにその名前で呼ばれた時には頭を抱えてしまった。周囲の状況が許せばきっとのた打ち回っていただろう。その位に恥ずかしかった。

 掻い摘んでそんな事をジンに説明してみると、「難儀な性分だな」と感想が返ってきた。


「それでは現在デカブツや水鈴、それにレイモンドと交流を持っているのも主としては苦痛なのかな」

「……うーん……どうだろうか」


 責めるような口調でも問いただす様でもない。ジンは純粋に疑問を問いかけてきた。それだから自分も簡単に答えを言えなかった。

 持っている所感が上手く言語化できない事にもどかしさを感じだして、言葉を探すように周囲に目をさ迷わせる。すると偶然近くの露店の店員と目が合ってしまった。

 店員はにこやかに「ひとつどうだい? 美味いよ」と言ってくる。

 ここでようやく目の合った相手のいる店が食べ物関係の露店だと気付いた。漂う匂いは甘く、店内にある鉄板で薄く引かれた生地が焼かれて店員の手で形を整えられていく。そこにジャムや果物を入れて生地で包み込む。日本でも見たことのあるものだ。


「クレープ?」

「嬢ちゃんの里ではコレをそう呼ぶのかい。でもここじゃガレットって呼ぶのさ」

「ああ、元祖の方か。道理で生地が茶色い」


 地球だとクレープはフランスのガレットという料理から来ている。形状はクレープと大差ないが生地に使うのは小麦ではなくそば粉になり、菓子というより食事の分類に入っていた。

 この世界でもどういう歴史を歩んだか分からないが菓子として存在している料理。興味はあるが自分は進んで甘いものを食べたいとは思わない。嫌いではないし出されたら食べるが、積極的に菓子は食べない手合いなのだ。

 店員の勧める中悪いがここは断ろうと口を開きかけた。そこに鼻から入る甘味の匂いが神経を刺激でもしたのか言葉が出なくなる。


 何故だろう。甘い物を好き好む嗜好は持ち合わせていないはずなのに、今目の前にあるものがとても魅力的なものに思えてきた。

 鉄板で焼かれる薄い生地から漂う匂いが食欲を誘い、常にはない強い欲求が込み上げてくる。甘々に仕上げられたジャムや果物からも目が離せない。

 あんなに甘い代物が魅力あふれる物に思え、開いた口は当初とは反対の言葉を出していた。


「では焼きリンゴとジャムのガレットを一つ」

「あいよ、毎度あり」


 次に正気付いた時には代金と一緒に注文をしていた。欲望に負けた瞬間だった。



 ◆◆



 広場の隅に設置された石造りのベンチに腰かけて早速買ったばかりのガレットに口をつけた。

 ほど良く焼けたそば粉の生地と焼きリンゴにジャムという組み合わせは中々のものだ。通常のクレープとはやはり食感は違う。それでもこれはこれでイケル物だ。

 甘味が食欲を増進させた経験など子供の頃にしかなかった。こうして味覚が変わった体験してみると、確かに身体が変わってしまったのだと何回目かの再認識させられる。


「とはいえ、ガレットに非はない。特にこんな美味しい物には」

「そうか。主が甘党に目覚めた瞬間だと理解は出来たが、先の問いかけには答えて貰えるだろうか」

「ん。ああ、すまない。別に誤魔化したつもりはなかった。ただ、上手い言葉が見つからなくて」


 隣でベンチにちょこなんと座るジンに謝りつつ、どう言ったら良いものかと考えガレットをもう一口。……カラメルソースが入っているな。

 思考を甘味のブーストを得て回す。考える事はマサヨシ君、水鈴さん、レイモンドの三人に対して自分が持っている感想。

 マサヨシ君は仲間一同が悲惨な事になったのに前向きの思考と行動力を持っている強い人物だ。いささか空回りする情熱も噛み合えば強力な原動力になるだろうし、まるで少年漫画に出てくる主人公みたいなところがある。

 水鈴さんは最初こそは静かな雰囲気を持った人かと思っていたが、実際にはそれと同時に場を和ませようと頑張る人らしい。昨日の人を振り回す様な真似も気分を一新する効果を考えてみれば悪くなかった。たぶん自分なんかより遙かに人の気持ちを考えている人だ。

 レイモンドについてもやはり年の功か、人心というものを知っていて人の機微を読み取る人だ。経験を積んだ大人ならではの距離感で人付き合いしていき、尚かつ行動力と情熱を失わない。あの人の精神は結構円熟したものだろう。


 三人ともこの殺伐とした世界を潜ってきた割に心が病んでいない。精神の強い人というのはきっと彼らのような人物を指すのだと思う。

 ではそんな彼らと今後行動を共にして苦痛なのか? と自分自身に問いかけてみれば、その答えはなかなか返ってこない。人付き合いが苦手な自分はもう彼らとは別れて独りで生きていける環境を構築せよと言う。一方で人好きする自分はこのまま彼らと行動を共にしてこの世界に作る土台を彼らと一緒に築いていこうと言ってくる。

 ただ、どちらにせよ――


「今のところは彼らとの付き合いにそれ程苦痛は感じてはいない。今後どうなるか分からないけど」

「そうか、主の気持ちは了解した。どのような選択をしようとこの身は主の影、その気持ちに従おう」


 こちらに来た当初は我慢も限界と思っていた。それがこうして一週間以上も持っているのは、彼らとの付き合いに感じる苦痛が思ったより小さかったからだ。

 この久しぶりに苦痛を感じにくいリアルでの人付き合いで、随分気が楽になっている。それとも身体が変わったせいでこんな気持ちまで変わってしまったのか?

 自分の言葉からこちらの気持ちを察したと思えるジンは、恭しく頭を下げて忠義の言葉を口にした。


 そういえばこれも解決しないといけない事柄だ。

 彼の忠義の向ける相手はゲーム時代の『ルナ』なのか自分なのか、それともルナという存在そのものに向けられているのか。自分の身近にいる相手なだけに、ここまで聞き出せなかった臆病さ加減に自嘲してしまう。

 自分は果たしてジンという一個の個から敬意を払われるに値する人物なのか。


「ジン、聞きたいのだけど――」


 その答えを聞きたくて問いかけの言葉を発したのだが、


「主っ! 警戒を」


 その前にまたも中断を挟む事になってしまった。今度は外部からの接触者という形で。

 唐突に首筋に感じる夜気に似た感触。これは前に感じた覚えがある。ゲアゴジャで出会った賑やかな月詠人のプレイヤーと会った時の感じに似ている。

 気配が指し示される方向は正面。広場の雑踏の中から一人の女性がゆったりと姿を現した。


 ショートヘアのブルネットの髪にノリの利いた女性用スーツを着こなす立ち姿は、仕事の出来るキャリアウーマンそのものだ。ここが港町ではなくビジネス街だったら違和感なく溶け込んでいる。いや、彼女の発する雰囲気からして周囲に溶け込むことはない。

 その雰囲気は一言で無理やり言えば『獣性』か。命を捕食する命としての誇りや自尊心というものが彼女から湧き出て、周囲から浮き上がっていた。

 雑踏の人達も無意識なのか捕食者を避けて、彼女の周囲だけ人のいないスペースが出来ている。

 そして、その紅い瞳と視線が合った。


「ごきげんよう、忌々しい陽気ですね」

「……こんにちは」


 発する雰囲気からは考えられないほど朗らかな声をかけてきた女性。彼女はにこやかな表情でゆっくりとこっちに近付いてくる。それはまるでこちらを警戒させないように思える歩き方だ。

 怜悧な印象がある顔。幾分か顔色が悪いように見えるけれど足取りはしっかりしている。

 何故この美人さんは自分に声をかけてくるのだろうか。不思議に思いながらも一般的と思える挨拶を返すしかない。

 ジンの言葉もあって警戒する気持ちが腰に吊るした二挺のトカレフに向く。相手との距離は直線で数Mもない。


「警戒なさらなくとも結構ですよ。私は貴女様に一切の害意はございません」

「私に何か用でも?」

「ええ、ございます」


 警戒しなくとも良いと言われても、自分をピンポイントで指名してくる見知らぬ人間を相手に無理な話だ。

 ジンも警戒を緩めた様子はない。彼には何か根拠でもあるのか、最初から敵意を見せている。

 丁寧な口調で話すこの女性は、話しながらもさらに緩やかに近付いて来る。後数歩でも近寄ったらジンが飛び掛るか、自分が銃を抜いてしまうような距離で彼女は立ち止まり――


「どうか我が主上クリストフ・フェーヤの招きに応じて頂けませんか。金眼の同胞はらから

「……ぽ?」


 折り目正しくその場で深く一礼をしてきた。誰が見ても最敬礼の一種だと分かるこの姿に自分は間抜けな声しか出ない。

 周囲の人も何事かとこちらを見てきて、注目が集まっていた。手に残っているガレットの感触がやけに鮮明に感じる。食えという何者かのメッセージだと思い、残っていたガレットを口に入れて噛み締めた。

 舌を包む甘い味覚が脳を混乱から救い上げてくれる。


「お話を聞かせて貰えませんか?」


 まずは話を聞こう、全てはそこからだ。

 後は見世物になるつもりは無いので、できれば場所を変えて貰えるとなお良いのだが。




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