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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
First Blood 邦題:ランボー
30/83

9話 One day




 アストーイアは坂の多い小さな街だが変化に富む街でもあった。河岸から小高い丘へと登っていくにつれて周囲の風景が変化していく特徴がその最たるものだ。

 漁港と貿易港を兼ねる港町の表玄関としての顔から、小さいながらも歴史を感じさせる古い街並みへ。活気のある通りは、閑静な通りへと様相を変えていくのだ。

 街を一望する丘の周辺一帯は一種の高級住宅地となって、街の有力者の住居や周辺の街に住まう富裕層の人々が歴史ある街に惹かれて別荘を建てている。

 その高級住宅地一帯の中でさらに一画。そこは街の人々からは特別な場所として認識されている。みだりに近付くべからず、手を出すべからず、犯すべからず。一種の聖域として近寄りがたい場所であった。

 そこの住人達は人間とは異なる特異な人々、月と共に生き夜を謳歌する月詠人なのだ。


「えーと……報告は以上になります」


 月詠人の住まう地区に建つ一軒の小さいながらも瀟洒な家の中、一人の女性エカテリーナが電話をかけていた。相手は彼女の主人だ。

 この家は彼女の自宅。室内は女性らしい色合いと調度でまとめられており、通話に使っている電話機もアンティーク調の気品ある一品だ。不快にならない程度に香が焚かれた室内に日が差し込むことはない。

 朝の早い時間は夜を越した彼女にとっては遅い時間になり、通話先の主人にとっても遅い時間帯だ。でも向こうの相手は気にした風もなく、報告を静かに聞いている。


「――」

「はい、接触はまだ控えています。ですが写真は撮っていますし、レポートも作成しています。後ほどそちらに送りますね」

「――」

「あ、私のクラウエですか? 無事に直りました。あのクララというナイフスミスは見込まれた通りに良い腕をしてますよ」


 彼女が視線を移動させて電話機と一緒にテーブルに置かれた一本のナイフを視界に入れた。一切の装飾を排した真っ直ぐな刀身のダガーナイフは、瀟洒な雰囲気のある部屋の中で浮いていた。

 エカテリーナがクラウエと名付けて愛用しているそれは、先日までは魔獣との戦いでボロボロになっていた。それを主人の紹介で知り合った職人に修理してもらいこうして鈍い輝きを取り戻している。

 ゲアゴジャでは愛用のナイフがなくてどこか落ち着かなかったが、これで何時も通りの自分になれる。そういう確信がエカテリーナにはあった。


 彼女の視線はさらに横に移動して、同じテーブルに載せられている数枚の写真に移る。

 モノクロ写真ではあるものの、そこに写っているのはアストーイアの街路を歩くルナであった。隣に水鈴の姿もあるが、ピントはルナに合っていて被写体がコレだと雄弁に語っている。

 主人の命でゲアゴジャに居る時はすぐにでも接触しようとしていたエカテリーナだったが、ここに来て事情が少し変わったらしい。今はルナの周囲から様子を窺って探偵じみた真似をしていた。

 なぜ方針が変わってしまったのか? エカテリーナにはまだ察しはついていないが、主人の命とあれば従うのが従者である。敬愛する相手の命に否やはなかった。


「――」

「え? 近日中に本邸に招待ですか。はい、承知しました。はい、ではお休みなさいませ」


 程なく通話が終了し、受話器が装飾の凝ったフックに戻される。

 軽く息を吐いて物思いに耽る美女。その視線の先、写真に写るルナに対して仄かにではあるが嫉妬の火が灯っていた。どうして主人はこの娘をここまで気に掛けるのか不可解でならないのだ。

 確かに金の瞳の月詠人は特別な存在だ。しかし、エカテリーナの知る主人はそれだけで動くような人物ではない。何かがこの娘にはある。

 彼女の紅い目はテーブルからさらに視線を移動させて、分厚い遮光カーテンがかけられた窓にいく。現在の時刻は午前七時。カーテンを開ければ朝日が溢れるアストーイアの街並みが見えることだろう。

 もちろん陽の光を嫌う彼女はそんなことはしない。けれど気になった事が頭をかすめて、口に出ていた。


「あの子、今日も太陽の下を歩くのかしら」


 月と共にある月詠人。真性の夜の住人。だというのに、ルナという少女は昼に生きている。

 陽の光が嫌いなのは金眼でも変わりはない。太陽の下にある月詠人の能力は何ランクも落ち込み、まるで拘束衣を着せられているような窮屈さを味わう。

 それがどんなつもりなのか、写真の中では平然と外を出歩いていた。


「どんなつもりなのかしらね」


 顔を合せる時に聞いてみよう。そう考えながら彼女は寝室に足を向けた。

 日中は月詠人の眠りの時間だ。朝日の中で活気を出してくる街とは反対に、月詠人の住居地区はひっそりと静かになる。彼らにとって今は一日の終わりであった。

 エカテリーナもベッドに入って眠りに就く。その間際に敬愛する主人の面影を思い浮かべ、寝顔はとても穏やかなものだった。



 ◆



 この河口の港町に逗留し始めて早くも一週間が過ぎようとしていた。先週が異様に長く感じられたのに対し、時間の流れがとても早かったように思える今週一週間だった。

 ゲーム時代から持ち越せた資金の貯えは充分のため焦りはない。けれども、ここの所どうにも落ち着かない日々を自分は過ごしている。

 腰の座りの悪さ、居心地の悪さの原因は幾つか考えられる。この世界が完全な異郷の地であること、元の拠点だった街が軍隊の侵攻を受けていること、そして自分の近くに常に人が居る事だろうか。

 前の二つは時間の経過による慣れや、対処のしようが無いというので諦められる。だけど、最後の一つぐらいは何とかならないものか。


「ねえルナっ! 買い物に行こうよ」


 水鈴さんのこの一言が今日の予定を全て強制イベントへと変えてしまった。

 レイモンドの影響を受け、朝のトレーニングを逗留しているホテルの屋上で行っている時の事だった。

 拳銃の抜き打ちのトレーニングで銃の感覚に慣れるための一環だ。やることは簡単。単純に銃をホルスターから抜き出し、構える。発砲は当然しない。そしてまた銃を戻して、抜く。この繰り返しを延々とやっていくだけの訓練だ。

 けれどこれをやることによって、銃を抜き、構えるまでの動きがスムーズになる。拳銃など至近距離での火器は構えるまでの一秒の差が明暗を分けるため、こういう動きを最適化させる訓練は重要なものだと自分は考えている。

 今後もこの世界で生きていくなら戦う術は磨いておきたい。そう思い人気の無い屋上で朝も早くからやっていたが、後ろから人が近付く感覚がして振り向いてみればコレだ。彼女の挨拶抜きの第一声は、自分の思考を数秒止めてくれた。意図してやったとしたら大成功だ。


「――――――おはよう、水鈴さん」

「うん、おはようルナっ」


 脳を再起動させて挨拶をすると、とびきりの笑顔が返ってきた。頭の上にある狐耳もピンと立ち、元気の良さをアピールしているようだ。

 この街に来てから水鈴さんの精神は急速に持ち直したみたいだ。あくまでも外から見た限りの情報なので彼女の真意は分からないが、ジアトーの街を脱出した直後よりも陰は薄くなって活力があるのは確かだ。仲間の調子が良いことは、自分にとっても行動の制限が減るので良いことだと思っている。素直に嬉しい事だろう。

 ただ、人を振り回すような行動は止めて欲しい。


「じゃあ、続きが残っているから」

「待って。ルナ、買い物行こう」

「……今日の私の予定は言っていたはず。クララさんに預けた銃の様子を聞きに行く予定だけど」

「様子見に行くだけだよね。大した時間かからないと思うのだけど」

「その後で河川敷のレンジで銃の実射訓練がしたい」


 先日、水鈴さんとレイモンドの紹介でクララさんと顔を合わせることが出来た。

 思った通りにバイタリティの高そうな人物で、初対面の際は請けている大量注文を捌くので忙しそうにしていた。それでも自分との応対を疎かにせず、あまつさえ自分のモーゼル拳銃の強化改造さえ請け負ってくれたのは有難い出来事だった。


 そのような理由で今の自分の手にあるのは愛用の銃ではなく、クララから渡された代用になる。トカレフTT-33をモデルにした『トカレフ・タイプ33』が今の自分の銃だ。

 モーゼル拳銃に使っていた弾薬に合わせた結果がこれになる。旧共産圏らしい質実剛健さと安全装置マニュアルセイフティさえ廃する割り切りの塊みたいな銃だが、軍用拳銃としての長所は確かなため大事に使わせてもらっている。

 使ってみた感想だが、拳銃としての能力は充分に満たしているので不満は特に無い。大型拳銃サイズのモーゼルから中型サイズのトカレフに変わったせいで、構えてた時の違和感が残るのが難点といえば難点か。


 そのモーゼル拳銃も昨夜一応の作業が終わったので様子を見に来て、と知らせを受けたので今日にでも様子を見に行くつもりだった。

 それがなぜ買い物をしなくてはいけないのか。顔にそんな感情が浮き出ていたのか、水鈴さんはこちらの気持ちを読み取ったみたいだ。

 ビシッと指で自分を、いや正確には自分の着ている服を指した。


「ルナ、その服何日着たきりスズメになっている?」

「こちらに転移以降だから、二週間以上。だけど『浄化』の呪紋で清潔さは保たれている」

「そうじゃない。そこも重要だけど、私が言いたいのはそこじゃないの」


 手を顔の前で振って、おおげさに首を振ってみせる様子に芝居がかったものを感じる。けれど、気にはなるので無言で先を促してみた。

 すると水鈴さんは自身の着ている巫女風の服をつまんで示す。長い袖が屋上の風に翻り、刺繍されている太極図が波打つ。


「貴女のその服やジャケット、私のこの服もゲームの時の装備そのままよね?」

「ああ。耐性や防御力がどうなっているかは不明だけど」

「言ってしまえば、これは戦闘服と思うのだけど」

「うん。確かにそうだね」

「私はこの先ずっと戦闘服で生活していく気はない。贅沢は言わないけど、私服で綺麗な服を何着か欲しい。そう思っているの」

「ああ、なるほど。替えの服か」


 確かにこの先もここでやっていくのなら何着か服が必要になる。水鈴さんの話は出だしが突飛だけどもっともな事だ。

 うんうん、と彼女の言葉に頷いた。後から思えばこれがいけなかったのかもしれない。


「うんっ、ルナも賛成してくれるなんて嬉しいよ」

「ああ、今後を考えると確かに替えの服は必要だ」

「よーしっ! じゃあ善は急げ、さっそく行きましょう。実は今日の朝から街で露天のバザーがあるの。目を付けてたのよ」

「――はい?」


 自分の手を両手で包むように握り、ぐいっと引っ張る水鈴さん。まさか決断即実行とは思わなかったため、虚を突かれた自分はなすがままに引っ張られていく。

 対人関係において所謂『コミュ障』一歩手前にまで能力が落ち込んでいる自分には、強引に事を進める水鈴さんを止めるだけの交渉能力は持ち合わせていない。強化された身体能力で強引に逃げることも頭に浮かんだが、今の対人関係を考えると余り賢い選択ではない。ならば他に方策は?

 考えている内にも自分は水鈴さんによって漫画のように引っ張られて、あっという間にホテルの屋上からロビーへと移動していた。


「もう荷物持ちは確保しているから、沢山買っても大丈夫よ」

「荷物持ち? あ、もしかしてマサヨシ君か」

「正解。あんなにマッチョなんだし、一〇㎏や二〇㎏は問題ないよね」

「そんなに買う予定が」

「女子の買い物って時々凄いって聞いたこと無い?」

都市伝説フォークロアの類と思っている。もしくはドラマの見過ぎ」


 何にせよ、彼も気の毒なことだ。ロビーを見渡すと、革張りの高級ソファに居心地悪そうに座っているマサヨシ君の姿があった。

 大きな体を丸めて気落ちしているような彼の姿は、見ているだけで哀愁を漂わせている。いくら自分がコミュ能力に問題を抱えていても、あれには流石に同情心が湧いてくる。

 しかし、自分も同情される立場になることをこの後に思い知った。


「じゃあ、行こ」


 今度は強引さがなく、優しく手を引かれた。顔に浮かぶ笑顔は力強いものになっている。心なしか尻尾にも勢いが見られる。

 これを見てしまっては諦めよう、と思う気持ちが強くなった。どうも勝てる目が見えない。そして自分は勝ち目の無い勝負に博打を打てるほど酔狂ではないつもりだ。

 いつの間にか肺はため息の吐息をついていた。


 こうしてマサヨシ君と自分は水鈴さんの突飛な発案によるショッピングに付き合うこととなった。

 一番不思議なのは、強制されているのに心底嫌いになれない自分の胸の内だ。どうしてか分からない事だが、自分はどうやら今の状態が気に入り出しているみたいだった。



 ◆◆



「……そう思っていた時期が私にもあった、と言う場面か」

「どうしたの、回想でもしていたとか?」

「正解。君の察しの良さに脱帽」

「あっ、折角つけたのに」


 そう言いながら、頭の上に載せられた小さなシルクハット型の髪飾りを取る。文字通りの脱帽だ。ギャグとしては笑えない。

 さらに試着で着ている服を脱いで元の黒のワンピースと革ジャケットに戻る。着てみたブラウスとジャンパースカートという女子学生みたいな格好は嫌いではないが、自分が身に着けるとなるとやはり抵抗を感じた。

 水鈴さんに勧められたが、どうにも趣味に合わないので脱いだ一式を元に戻して更衣室を出る。店主に試着の礼を言って移動。店を出ればすぐに露店が密集している場所なので、三歩も歩けば次の店だ。

 ここはアストーイアの港近くにある下町の商店街にある広場。今日は街で年に二回のイベントがあるらしく、この広場ではゲアゴジャから来た人達による露店のバザーが朝から行われていて、商店街の他の店も祭りのために朝早くから開店していた。


 元々が水産業に携わる人が多い街だけにあって、バザーを聞きつけてやって来る来場者は朝から多かった。会場の雰囲気としては、日本の露店市場にどこか似ている。

 ただし、扱っているものは市場とは違って食品に限定していない。衣類、薬品、銃器、生活用品と実に雑多だ。人伝で聞くところによれば、人口が少なく小さな街のアストーイアでは品揃えが悪く手に入らない色々な物がこのバザーでは取り揃えているらしい。

 そういう面で見るなら、これは客のいる集落に商品を売りに行く移動販売として捉える事ができるだろう。


 そのバザーに自分達三人は来ていた。事後連絡になるが念会話でレイモンドとジンには連絡をとり、心配されないようにしている。

 ジンは部屋で留守番、レイモンドは所用があって出かけるとすでに返事が返ってきており、今日も平穏な時間が過ぎてくれるようなので安心して買い物に出ていられる。


「もう、あの格好似合っていたのに。ルナってお洒落に関して反応悪いわね。まあ、マサヨシよりはずっと良いけど」

「彼は彼で今の状況は精神的に辛いだろうな」


 二人で振り返った先、トボトボとした足取りでついて来る巨漢が一人。手にはすでに水鈴さんが買った物が持たされて、すでに立派な荷物持ちの姿となっていた。

 荷物持ちをすることに不満は無いようだが、女性の買い物に付き合う状況が彼の精神を削っているらしい。

 無理も無い。ここまでの数件の衣料品やアクセサリーを扱う店であれこれと品物を選んでいく水鈴さんに辛抱強く付き合い、感想を求めてくる彼女に律儀に感想を出したりしている。

 その上、朝食も満足に食べずに昼まで我慢すればああもなってしまう。


「なあ二人とも。腹減らないか? 朝飯がカロリーバーだけっていうのも酷い話だぜ。オレは休憩を要求する」


 そんな彼もいよいよ耐えかねたらしく、近くに来るなり「飯クレ」コールを出してきた。

 これには自分も賛成。こっちもロクに朝食を食べずにホテルを出ているので、胃のあたりが縮む感覚だ。要するに空腹。

 ここに来る途中で口にしたカロリーメ○トとうり二つの固形栄養食だけでは食事とは言えない。もう充分に買い物はした事だろうし、水鈴さんに休憩を提案してみた。


「もういい時間と思う。どこか適当な場所で食事というのは?」

「うん、分かった。強引に連れて来ちゃったお詫びに私が奢るわ」

「お、マジか?」

「マジよ。そこの屋台で」

「屋台かよ!」


 水鈴さんが指したのは広場に何件かある屋台の一つだった。売られているのは、コッペパンらしいものに揚げ物とキャベツを挟んだ惣菜パンみたいなものだ。揚げ物の匂いと油が爆ぜる音が距離のあるここまできていた。

 マサヨシ君は屋台メニューが食事な事に不満そうな顔だが、あれはなかなかに美味しそうだ。


「ではアレで」

「良いんすか、ルナさん」

「問題ない」


 むしろアレが良い。見たところ注文を受けてから揚げている。時間はかかるだろうが、熱々の美味しいものが口に出来るな。

 これは期待値が上がる。

 さっそく屋台に近付き、店員をしている初老の男性に三人前を注文。宣言通りに代金は水鈴さんが持った。

 程なく熱々のサンドがやって来た。包装が新聞紙とは豪快だが、匂い立つ香りは食欲を直撃してつばきを誘う。こういうものは変に気取らず大口を開けてかぶり付くのが作法。ぱくっといってみた。


 口に広がる味は期待通り。揚げ物のカリッとした食感とキャベツ、それを覆うパンの調和がうまい具合にマッチしている。

 揚げ物の正体は白身魚のフライだった。これも漁港らしいメニューなんだろう。店員曰く、今日の早くに獲れた魚を使っているそうだ。

 店員の商品自慢を横に、自分達三人はしばらく無言で白身魚のフライサンドにかぶりついていた。美味しいものは時として人を黙らせる効果があるみたいだった。


「ふぅ。堪能したわ。良い匂いさせていたからコレはいけると思っていたけど、口にするとまた格別ね。美味しかった」

「ああ。全く」

「うめぇ、マジうめぇ、ヤベェぐらいうめぇ」

「あれ? マサヨシ、今度は自分で買って食べてる?」

「おう、一個じゃ足りなかった」

「食べるわね、その体」


 食後、油にまみれた手をハンカチで拭きつつ、口に残る余韻を楽しむ。酸味強めのコーヒーが一杯欲しいところだ。

 まだ食べ足りないマサヨシ君は、自身のお金でさらに二個フライサンドを頬ばっている。最初は不満そうだったのに、今は自分よりも気に入っている様子だ。

 マサヨシ君が食べ終わるのを待つ間は手持ち無沙汰。取り合えずマサヨシ君が持っていた荷物の中から自分が買った物を手にして、改めてみることにした。

 と言っても、大した量はない。露天に吊るし売りされていた黒いカッターシャツと同色のスラックスだけだ。これを上下三組ほど。絵柄やフリル、レースの類は一切無し、ワンポイントさえない無地の黒い上下が自分の購入物になる。


「それだけで良いの? 確かに似合うけど、質素過ぎるよ」

「あくまで予備の用意だから問題ないと思う。それに派手に着飾る趣味はない」


 飾り気の無さが気になったのか横で見ていた水鈴さんが「うぅ~」などと不満そうな唸り声を出して、自身の荷物から大小色々なアクセサリーを取り出して差し出してきた。

 付けてみて、という意思表示らしい。

 繰り返すが、勝ち目のない勝負には自分は挑まないタイプだと思っている。意外と押しの強い水鈴さんに自分は勝てないのかもしれない。

 物は試しと、差し出されたアクセサリーの中から銀色の輝きを持ったネックレスを取り上げてみた。銀色のコイン型のチャーム。重さ、感触からするとメッキではなく本物のシルバーだろう。他のアクセサリーに比べればシンプルな形状で、色の合わせも黒と銀で合う。これにしてみるか。

 チェーンを解いて、首へ。胸元の程良い位置にチャーム部分がくる。うん、悪くない。


「似合っているじゃない。じゃあそれはルナのね」

「うむん? いいのか、銀製だから結構高価なはず」

「いいのいいの。この通り結構買ったし」

「……そう。あ~、と」


 こういう場合に言う言葉が咄嗟に出てこない。面と向かって人に言うのはかなり久しぶりの言葉だ。


「あ、ありがとう」

「うんっ」


 感謝の言葉。言い慣れていないせいで、どもった上に素っ気ない口調になってしまう。それでも彼女は元気よく頷いてくれた。


「よーし! 次はルナに合うアクセと、商店街に戻って下着とかも買い揃えよう」

「待て、まだ買うのか? 予算に余裕はあるつもりだけど、節約はしておいた方が」

「まだ序盤じゃない。スキンケア用品でも乳液ぐらいは欲しいし、あの雑貨屋から持ってきた下着はデザインがイマイチだったから代わりは欲しいし……」

「うぇ、女って大変なんだな」

「……そのようだね」


 まだまだ買い物意欲がある水鈴さん。これを機会に日常で使うものを一気にまとめ買いするつもりらしい。

 荷物持ちのマサヨシ君は食事していた手を止めてゲンナリとした顔をして、自分も何時になくテンションが高い狐娘には心情的に一歩身を引いていた。今の自分も体は女性になるが、水鈴さんがなぜ買い物でああも気分が盛り上がるのか理解はし難い。

 彼女のような姿勢は世の女性として普通なのか違うのか。人付き合いの少なかった自分には分からない。今後女性としてやっていくには見習う手本が欲しいと考えるようになっていたが、彼女を基準に考えて大丈夫か不安になってきた。


 しかし、と不意に周囲を見回して思う。平穏であると。

 確かに他国の侵攻を受けている国にいるし、あちこちに不穏な空気が漂っている。それでも銃弾は飛んでこない、武器を手に襲いかかって来る人もいない。間近に争いがないのは良いことだ。

 日本という治安の良い国にいたためか、平穏さの有り難みが痛切に分かる。願わくばこのまま平穏な日々を過ごしていきたいと考えている。


 ただ、この願いの先には困難なことが待っているような気が現在の段階からでもうっすらと感じた。腰に吊した二挺の拳銃もその重さで存在をアピールしている気がする。

 胸元の銀のネックレスを指で軽く弾く。昼の陽光を反射して光るそれは、一瞬だけ表面に自分の金色の瞳を映し出した。

 前の自分とは似ても似つかない今の自分。この体とも今後とも向き合っていかなくてはならない。これも今後の生活に立ちふさがる困難な事のひとつか。差し当たって出来ることは水鈴さんの買い物に付き合って、女性というものの一面を学ぶところからだろう。


「じゃあ、時間も惜しいしドンドン行こう」

「おいおい、オレはまだ食っている途中なんだけど」

「あっちの露店で良い感じのアクセを見つけたんだけど、私よりルナに似合いそうだったのよ」

「おーい、無視か。無視なのか」


 またも自分の手を取って引いてくる水鈴さんの手。以前なら凄まじく嫌な気分になるのに、何故かされるがままになっている。

 後ろに置いて行かれたマサヨシ君の声を聞きつつ、自分は手を引かれて露店の集まりに入っていく。手を引く水鈴さんの顔は嬉しそうな表情で一杯だ。多分それにつられたのだろう。自分の顔も知らない内に笑顔と呼ぶようなものに変わっている。

 ずいぶん久しぶりに笑う事が出来た。これだけでも今日一日の価値はある。そう思えてきていた。



 ◆◆◆



 帝国陸軍によって占領されたジアトーの市庁舎の一室。そこではジアトーの街の新しい支配者が手に持った書類とにらめっこして渋い顔をしていた。

 陸軍少将という将官の地位にいる彼は、いつぞやS・A・Sのストライフと密談していた人物と同一人物だ。そして今回の帝国の首長国侵攻の実務的な部分を取り仕切っている司令官でもあった。

 歴史的にアードラーライヒ帝国は何度となく南への侵攻を企ててきた。それが帝国繁栄に繋がるという考えがあったからで、この少将もそんな思想をもった一人だった。


 以前より帝国軍内部で何度目かの南への侵攻計画が持ち上がる中、少将は接触してきたストライフのお膳立てに乗って軍を動かした。目標は帝国の人種思想と相容れない首長国。計画は迅速に素早く行われた。

 元から侵攻の準備だけは行われていただけに用意は早く、号令がかかってからの侵攻もまた速かった。手薄だった国境は無いも同然、混乱に陥った街は割合と簡単に帝国によって占領された。

 この事に帝国本国では独断専行に走った愚行だと責める声と、素晴らしい奇襲を仕掛けて見事な戦果を挙げたと喜ぶ声とで半々になっている。少将としては祖国を想ってのことだからもう少し賞賛の声があっても良いだろうにと思っていた。


 評価はともかく、純粋に作戦の進行度でみるならそこそこ順調である。このまま進出部隊の機甲部隊と連携して一気に首長国の首都を攻め落とし、中枢を失って混乱する首長国を降伏へともっていくのがこの計画の目的だ。

 もちろん、計画や予定というのは思い通りに行かないのが世の常だ。首都は陥落したが臨時政府が南へと逃げてしまい、追撃に入らないといけない。さらにこのジアトーでも街の住人らしい人々がゲリラ化して、不定期に軍に襲撃をかけてきて被害も馬鹿にならなくなっていた。

 少将の手にある書類はそういった被害を受けた部署からの損害報告書になる。間近で部隊が良いように攻撃を受け、計画した進行が思うように進まないとくれば彼の顔に苦渋の色が浮かぶのも当たり前だった。


「……ストライフ君、君の率いるメンバーには対象を守ろうという思考は備わっているのかね? どうにも暴れたい盛りの子供みたいな連中が多いように思えてならないのだが」


 だからだろう、つい同じ部屋にいる共犯者にストレスをぶつけてしまう。でもその共犯者、ストライフは嫌みを言われているのに全く堪えた様子がなく、部屋に置かれたソファにゆったりと腰掛けて足を伸ばしてくつろいでいる。

 帝国に協力することになったストライフのチーム『Mr So・and・So』略してS・A・Sは、傭兵という形でこの戦場にいる。だが、元々は軍事とは縁の遠い一般市民の多い転移者たちに戦場のモラルを求めるのは難しい。

 被害報告書にも彼らのことが記載されて、市民や建築物に対する過剰な破壊行動が問題とされた。

 少将が渋顔で言う苦言には、嫌味以外にも何割か「やめてくれ」という懇願が含まれている。ストライフはその懇願にも気が付いているが、やはり意に介さなかった。


「申し訳ないです少将。ウチの連中は攻める事は大得意なんですが、守備兵向きではないんですよ」

「侵攻専門の傭兵など聞いたこともないが。それにこの街で起こるイザコザは君らの担当だったという契約じゃないか」

「ええ、ですから怪しい場所を丸ごとボンっと」

「……一度見たが、憂いをまるごと吹き飛ばす豪快な方法だったな。もちろん悪い意味で言っているのだが」

「後腐れ無くて良いじゃありませんか」

「……」


 怒りやら呆れやらで強張る壮年男性の顔を見て、流石のストライフも少しからかい過ぎたかと反省する。

 帝国の占領下でS・A・Sは街の監視を任されていたが、先も述べたようにチームのメンバーは戦場な倫理を外れた人間が多いために正規軍の反感を買いやすく、総じて受けが悪かった。

 ストライフの願う野望を達成するには今しばらく帝国の後ろ盾が必要になる。ここは少し機嫌をとっておこうと彼は判断した。


「それに、侵攻やら攪乱やらは少将が仰るようにこちらの得意分野です。先の会議で議題に出ていたゲアゴジャへの後方攪乱や威力偵察ですが、我々に任せて下さいませんか?」

「確かにこのジアトーを落とした実績が君らにはある。その上、危険の高い任務はやりたがる人間はこちらにはない……だから君らには頼らなくてはいけないか。しかし、やれるのかね?」

「もちろんです」

「分かった。次の会議では君らに任せる旨を部下に伝えておく。では、所用があるので失礼させてもらう」


 危険な任務の肩代わりで機嫌をとって、今しばらくの関係に延命措置をとる。ストライフの構想する計画が本格的に動けば帝国とも事を構える。それまでの関係だったが、それでもぞんざい扱う気はなかった。

 むっつりとした顔で市長室を出て行く帝国陸軍少将を彼は見送り、空いた市長席に腰を下ろした。高級椅子がしっかりと彼の重みを支え、背筋を伸ばせば背もたれも一緒に倒れる。

 何気な無く室内に目をやるストライフ。この部屋は街中で暴動が起こった時に市長と秘書の血をたっぷりと吸っている。今となってはそれを全く思わせないほど清められているが、息を吸い込めば微かに血の香りが感じられそうだった。

 深々と呼吸をし終えて、市長席に座り直したところで不意にあらぬところから声がかかった。


「お疲れ様です、リーダー」

「リーか。まったく、意外に疲れるものなんだな策謀というのも」

「そうですね。ですが、色々と仕掛けを施す時間が楽しめると面白いものですよ」


 部屋の背景からにじみ出るように一人の男性が音もなく姿を現わす。

 赤毛以外は目立つ特徴のない男性――S・A・Sのサブリーダーのリーは、細い眼をさらに細めて笑みを浮かべながらストライフの着いている席に近付く。彼は少将が居た時からこの部屋に佇んでいたが、少将は終始彼の存在に気付くことはなかった。

 仕掛けの時間が楽しいと言うリーは、机に一つの小瓶を置いて指先でこねるように回してみせた。


「今度の作戦もこの『ベルセルク・ミスト』が役に立つでしょう」

「確か、今回の分でチームの在庫は無くなるんだったか?」

「ええ、ですけど元々それほど有用なアイテムではなかったですし、無くなったところで不自由はしません」


 リーの指先で弄ばれる栄養ドリンクサイズの小瓶の中身、無色透明な液体が揺れている。

 ゲーム時代の各種アイテムはこの世界においても常識外の能力を保有している。リーが手にしている『ベルセルク・ミスト』もその効力を存分に振るった。

 名前にある通り、開栓されると中の液体が一気に霧状になって周囲に散布されて、吸引した相手の精神に効果をもたらすものになる。

 ゲーム時代であったのなら『攻撃力上昇・防御力低下・精神変調』という効果だったが、こちらで使用すると少し様相が変わる。吸引した相手には外から分かる変化は無い。しかし攻撃性が高くなり、思考が鈍くなってしまうのだ。

 早い話が、人を暴力に出やすい馬鹿に変えてしまう。そんな精神変調を引き起こす薬品をリーの提案の下、チーム総出でジアトーの暴動の前後に街中に散布していた。

 その結果はすでに目の前にある。焚きつけられたプレイヤー達はあっさりと暴徒になり、一度は街を崩壊させたのだ。


 ゲーム時代では他に有効で効率的な補助魔法や補助アイテムが数多くあったために忘れられる事が多かった『ベルセルク・ミスト』、それはチームに与えられた次の仕事にも使用が予定されていた。

 帝国は首都の陥落に成功はしたが、首長国の臨時政府は脱出してしまい追撃が必要になった。そうなると補給路も当然延びる。ジアトーは帝国の前線補給基地とされて、そこから鉄道や道路で物資を前線へと運んでいる。補給路が延びるならさらに前線に近い場所に補給基地を作らなくてはならない。

 そこで出てきた作戦がさらなる南下、ゲアゴジャ周辺地域への侵攻作戦だった。


「都合の良いことにゲアゴジャとアストーイア間の陸路にはダンジョンが形成されています。調達は簡単でしょう」

「順調だな。怖いくらいだ」


 高級椅子に深く座り、満足げに皮肉げに笑みを浮かべるストライフは順調に過程が踏まれていく現状に大きく息を吐いた。

 もうすでに彼の野望は走り始めている。あとは達成されるか破滅するまでは止らないし止めるつもりもない。


「さぁて、暴力の時間だ」


 椅子を回して窓の外に広がる昼下がりのジアトーの街を見下ろし、彼は誰に言うでもなく呟いた。




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