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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
First Blood 邦題:ランボー
27/83

6話 Back to the Midnight Time




 ルナ達が朝の目覚めの時間を過ごす、その八時間前。場所は彼女達が脱出した街ジアトー。アードラーライヒ帝国軍が侵攻して一日が過ぎて間もなく二日目に突入しようというこの街は、暴動が起こった時と比べて幾分か秩序が取り戻されていた。

 暴動の原因だった転移者の多くは軍隊の統制された武力の前に敗れ去り、壊滅した警察機構に代わって帝国軍が街の秩序を守ることで深刻な混乱は防がれるようになった。

 たとえこれが帝国軍による占領であっても、夜の街は墓地の静寂から、人の営みが息づく静けさへと変わることができたのだ。


『こちらライア。各員状況を知らせ』

『こちらミリ、現在目標地点に向かって移動中。到着までは後五分』

『エクセズだ。ウチの班は経路の確保に成功、このままミリを待っている』

『珠里だけど、集積所の内部に入ることに成功。班で持てるだけ持ち出すつもりだからよろしく』


 シン、と静まりかえる夜の街に音声として出ない信号が行き交う。音波も電波も介さない思念の伝達は虫の鳴き声すら乱すことなく、夜気の中を密やかに交される。

 思念の発信源は全員が女性だ。彼女らはこの世界に望まずやって来た異邦人、転移者になる。

 転移が起こる前にこの世界と酷似したMMORPG『エバーエーアデ』で結成されたチーム『幻獣楽団』のメンバーが彼女らであった。

 チーム加入の条件が女性獣人キャラで女性プレイヤー限定のため、当然リーダーのライアも女性になる。


 ライアは犬人族ドワーフの外見をした女性だ。犬人族の特徴としてある低い身長を感じさせない威風を持ち、それでいて気さくで気楽、チームメイトの面倒見も良く、一言で言えば姉御肌な人物だ。

 彼女はジアトー郊外に建つビルの屋上に陣取り、そこから双眼鏡を持って陣頭指揮をしていた。夜の冷風が吹きぬけるビルの屋上。そこから見下ろす先には、アードラーライヒ帝国陸軍が臨時で設営した物資集積所があった。

 リーダー・ライアの指揮の下、これから幻獣楽団が行うのは軍の物資を強奪することだった。


『こちら珠里、警備の兵が多い。排除するけど、リーダーそっちでも手伝って』

『了解。でも、できるだけ人死には無しの方向でお願い』

『分かった。スタン系の攻撃で気絶させる』


 集積所に侵入した仲間の要請に応え、ライアは隣でスタンバイしている狙撃手に声をかけた。


「トージョー、ウチに来て早々だけどよろしく」

「了解了解。ボクは可愛い女の子の命令なら大概聞いちゃうよ」

「可愛いはともかく、珠里の進路上で邪魔になる兵の排除を」


 トージョーと呼ばれたこの軽い調子の狙撃手は、これまでの幻獣楽団メンバーとしては異例な事に男性で、非獣人だ。

 彼は今回の転移と暴動、軍隊の侵攻で右往左往していたフリーのプレイヤーの一人だった。帝国軍の侵攻で街中を逃げ回っていた最中にライア達と出会い、つい昨日になりチームに拾って貰った経緯がある。

 何かと人手と戦力を欲していた幻獣楽団と、混乱する環境で寄る辺が欲しかったトージョー。両者の利害は一致して、彼はチームに入った。

 彼以外でも新しく楽団に入った人はいて、ライアは昨日の段階から男女の区別なく即戦力になりそうな人材をチームに引き入れ始めていた。


 狙撃戦を得意とするトージョーは、侵入組の支援役と周辺の監視役として今回の作戦に同行していた。

 ライアの命令が下り、ビルの床に伏せていたトージョーが手にしたライフルを操作する。『L42A1』がゲーム時代から彼の愛用する銃だ。

 木と鉄で出来たそのライフルは、現代の銃から見ると古色蒼然とした骨董品だ。それもそのはず、この銃のモデルとなったのは英国の同名のライフルだが、元々のベースとなったのが第二次大戦期の同国の歩兵銃リーエンフィールドになり、クラシカルに見えるのも当然だった。

 銃の中でも取り立てて優れている訳ではなく、むしろ欠点などが挙げられている銃だったが、彼は好んでコレを使っている。


 トージョーの手でボルトが操作され、弾が装填される。金属の擦れ合う音が屋上に鳴った。


「まずはどのコを射止めちゃおうか」

「ゲートにある守衛詰め所にいる二人から」

「あのムッサイ野郎達からね。OK、おねんねしな」


 軽い口調と一緒に弾丸が撃ち出された。すぐさまトージョーの手が閃き、ボルトを操作して次弾を装填、さらに発射。二発の弾丸は三〇〇M離れた守衛二人に命中し、ダウンさせた。

 余りにも早い手際のため銃声は連なり、一発の銃声に聞こえるような錯覚を傍にいるライアは感じた。

 双眼鏡を覗くライアの目でも崩れ落ちる二つの人影が確認できる。軽い口調と巫山戯る態度が気になるが、トージョーの腕は確かなものだ。暴徒として自分達の敵にならずに本当に良かったと思える。


 二人の守衛がいる詰め所に血は見えない。精神的なショックがあるため、人死を嫌うチームの意向で使われたのは、着弾した相手を眠らせる非致死性の弾丸だった。

 現代地球の技術では製造が難しく、各国で日々研究が行われているこういった非致死性の弾丸がゲームでは容易に作ることができ、こちらの世界でも割と簡単に作ることが可能だった。楽団では作製した弾丸の在庫もあるため、今回の作戦には充分な弾数がメンバーに行き渡っていた。


『珠里、詰め所の排除は済んだよ』

『うん、了解。それにしても、本当に音が聞こえなかったよ』

『遮音結界の効果だね。上手いこと出来ているわ』

『うん、全く。じゃ、もうすぐだから』


 ライアが覗く双眼鏡の視界の中で、詰め所の前を複数の人影が駆け抜けていくのが見えた。侵入役で、物資の運び出し役の珠里達の班だ。

 “ここまでは極めて順調。問題は脱出時、予想が当たれば派手になりそうね”

 双眼鏡から目を離して目をこすりながら、この先を予想するライアだった。長時間眼を使うと疲れてくるのは人間でも犬人族でも変わりはないようだ。


 帝国軍が占領するジアトーの街で、楽団は潜伏を選んだ。

 そもそも幻獣楽団というチームが大所帯であり、全員が移動すると何かと不都合が多かった。だからと言って、未知の環境に少人数で飛び込むのも危険な真似になる。ルナ達のように街の外に脱出をした転移者は意外と少数派だったのだ。

 多くの街の市民や、転移者は帝国軍の占領を隠れてやり過ごそうと思ったらしく、瓦礫と化した街のあちこちに彼らは潜んでいた。

 それを許さない帝国軍は、隠れている人々を見つけ出していき、あぶり出していく。

 一日以上の時間が過ぎて、すでに何件かの隠れ家が暴かれて多数の犠牲者が出ていた。そこに転移者とか市民といった区別はない。兵隊達はゴミを処分するように、あるいは害虫を駆除するように人を淡々と処理していった。


 幸いにして幻獣楽団の拠点は地下にあり、最初から発見が難しい構造をしている場所に加えて、チームメンバーの工夫により偽装が施されて一層発見のし難さを増していた。隠れる分には理想的な拠点と言えるだろう。

 だが、ここに深刻な問題があった。食料を始めとした物資の将来的な不足である。

 暴動で街が荒れていた時は瓦礫から物資を掘り出せば良かったが、今度は軍隊が来ている。彼らから隠れながらの物資発掘は難しい。加えて帝国軍も一部の物資を現地調達していた。そうなると人手の多い彼らに軍配が上がってしまう。備蓄があるため多少の期間無補給でも大丈夫だが、これは必ず表に出てくる深刻な問題だった。


 そうした中で提案されたのが今回の無茶な作戦だった。モノが不足するなら、在るところ《帝国軍》から奪ってしまおう。

 桁外れな能力があるとはいえ元は戦闘の素人。それが一国の正規軍の拠点を襲撃しようというのだから無謀な話があったものだ。だけどここは無理をしなくてはいけない場面であると楽団の面々は理解していた。

 これから先どんな行動を取っても物は必要になる。廃墟から掘り起こせなくなっているなら、他から調達するしか道はなかった。

 そうして提案は承諾され、詳細を詰め、情報を集め、作戦を練っていく。事態の深刻さがニトロになったのか、異様に早く作戦は現実のものになる。


 この街を占領して間もなく、腰がまだ落ち着いていない帝国軍を襲撃、物資を強奪していく。実に明瞭な作戦目的だった。

 彼女ら楽団はこうした経緯を経て、ジアトー郊外にある鉄道沿線上にある帝国軍の拠点に対し、夜陰に乗じた夜襲を仕掛けることになった。


「リーダー、最近お疲れじゃないか。これが終わったら一休みいれたらどうだい?」

「これが無事に済めばね。軍隊相手にケンカふっかけるんだ、ここも安全じゃない。下手すればあのドデカイ大砲で建物ごと吹き飛ばされるかも」


 スコープから眼を離して弾薬を込めるトージョーは軽い口調のまま、チームリーダーを気遣う言葉を口にした。

 二〇代前半のアジア系好青年に見えるトージョーの言葉は優しい響きに聞こえた。それでもライアは、不安で彼の軽口に付き合える程の余裕はなかった。

 軍隊という国家の保有する戦力を相手に自分達程度に何ができるのか? ついそんな事を考えてしまう。

 双眼鏡を向ける先には、暗闇の中でも小山のように見える列車砲の姿がある。力の象徴としては申し分無いほどに威圧的な形をしていて、その重圧感を持って街を睥睨していた。


「いやいや、列車砲は簡単に運用できる代物じゃないよ。初弾の発射まで持っていく前にボクらはとっくに事を終わらせてるって」

「だといいけど。――ん、そろそろ開始時間か。みんなも配置についた……」


 腕時計を覗き込めば作戦予定時間に差し掛かっている。参加メンバーも全員配置に付いた。

 後はリーダーのライアの一声で襲撃作戦が本格的に始まってしまう。

 大きな決断をする場面、彼女は無意識に呼吸が乱れていたのを自覚した。頭では分かっていても、現実にこうして直面するまで心が理解していなかったようだ。


「ふぅ……」


 身近に決断力を要する要職に就いている人物が彼女には居たが、その人物の気持ちが少し分かったような気がする。

 昔からその人物を嫌っていたが、こんな重圧に何時も耐えていたのなら賞賛するべきかもしれない。

 自分の出した決断一つで変わる何か。乱れる呼吸とその他全てを飲み込んで、勢いをつけてライアは強く念じた。


『総員――行動、開始っ!』


 ライアの念会話が発せられてすぐ、夜空に爆炎の花が咲いた。一輪だけでは終わらない。一つ二つと火の花が夜空に向かって咲き誇り、黒煙を巻き上げて暗い夜空を焼く。


『こちらエクセズ。陽動と足止めに連中の車庫に魔法を叩き込んだ。結構大きな花火になったもんだ』

『威力大き過ぎ! 弾薬庫に引火したらどうするの』

『ゴメンゴメン、でもまあ景気付けになったでしょ?』

『花火大会じゃないんだから、抑えて。それと帝国兵が出てきた、接敵注意』

『ホントだ。うわっ撃ってきた。これより交戦に入る、以上』


 脳内に入る念会話は、すぐに交戦地域の無線通信のように忙しなく言葉が行き交うようになり、ライアの犬型の耳には爆音と銃声が連続して聞こえてくる。

 ここでのライアの役割は一種の管制官だ。全体を見渡せる場所に陣取り、チームメイトに情報と連絡を密にさせて連携を強めているのだ。

 燃える炎に照らされて人影は浮かび上がり、機関銃の曳光弾が夜空に線を引く。時折、悲鳴と一緒に人間が夜空に舞い上がっていく冗談のようなもの見えたが、あれは魔法の一種だろう。

 ここでようやく集積所の中から非常事態を知らせるサイレンが鳴り渡り、周囲に建つ監視塔からサーチライトが灯された。


「トージョー、ライトを破壊」

「合点承知!」


 ライアの命に心得たとばかりにトージョーのライフルが吠える。

 十秒間に一弾倉、十発を撃ち切って灯されたサーチライト全てを破壊した。素早く動く手がボルトを駆動させ、その度にポロポロと排莢口から出てくる空薬莢が炎の照り返しを受けて鈍く輝く。

 撃ち切るとすぐに予備のマガジンを取り出し、これも素早く交換。まるで出来の良いロボットアームの仕事のように淀みが無い。


『こちらミリ。正面から突っ込むよ』

『ゲート突破したら打ち合わせどおりに。向こうの班はもう物資をバッグに詰め込んだと言っている』

『りょ~かいっと!』


 物資の運搬と脱出時の足役になっている少女の念が勢いよく響き、同時に集積所のゲートが一台の装甲車に突破された。

 ひっしゃげる金属製のゲートが不快な音をたてて抗議している。それを装甲車は完全無視してタイヤで踏み越える。

 幻獣楽団保有の八輪式装甲歩兵輸送車が彼女達の帰りの足だ。

 装甲車は、重厚な装甲でバリケードをものともせず弾き飛ばし、あり余る馬力でフェンスをなぎ倒して帝国軍の拠点内部へ突き進んでいく。その車体は都市迷彩なのかOD色ではなく灰色一色で、後部のハッチは何の意図があってか花の絵が描かれていた。


「ド派手だねぇ。誰だい、装甲車で突入しようなんて言い出した猪突猛進なレディは」

「悪かったね、猪突猛進で。安全にみんなを脱出させるならあの位は用意したかったの」


 我ながら少し頭の悪いやり方だったか、と隣からの声に内心反省するも素直に言えない。加えてあの装甲車はライア個人の物だ。ここまでやって置いて弱音は吐きたくない。

 程なく火災で立ち昇る煙を割り、中から装甲車が戻って来た。悠々と出てくる姿から撤収を無事に終えてきた様子だ。


『リーダー、作戦成功です。負傷者はいるものの重傷者はなし、全員収容で損害は実質ゼロです』

『分かった。すぐにその場所から撤収して。速さが重要だから迅速にね』

『了解です』


 無事な公算は高いと踏んで作戦に踏み切ったが、やはりこうして全員無事の報告を聞くまでライアの胸に不安はあった。

 ようやく気持ちに余裕が出てきたライアは、帝国軍からまんまと逃げおおせる仲間の様子を見て満足そうな表情になった。みんなが持ち帰る物資で楽団の命脈を保つことが出来るのだ。

 重圧から少し解放された気分になり、息を吐く。こんな危険な真似をしているのに、恐怖よりも充実感がライアの胸を満たしていく。この世界に転移する前の日常では味わう事のなかった『生きている』という実感、それが今は凄く愛おしい。

 装甲車がゲートを出て、街中に走り去るまで彼女は見届ける。途中で兵士に銃撃を受けたが装甲を貫くものはなく、灰色の車体は悠然と、しかし素早く街中へと消えていった。


「こちらも撤収だね。尾行に注意しつつ拠点に戻ろうか」

「了解だ、リーダー。――んむ? ゲート前に変わった人影が」

「人影?」


 チームメイトの撤収を見届け終えて、ビル屋上から撤収しようとするが、スコープを覗いていたトージョーが何か気になるものを見つけたようだ。

 トージョーの言葉を拾って、ライアは装甲車が突破して破壊された集積所のゲートに双眼鏡を向けた。

 炎系統の呪紋により火災が発生し、燃え上がる集積所の倉庫群。それを背景に一人の男性が立っていた。

 金髪をオールバックに撫でつけ、紺色のツナギじみた衣服に黒いプロテクターを随所に付け、それらを纏う長身はブレなく直立している。何より目を引くのは背中に背負っている巨大な剣だろう。余計な飾りが一切ない両刃の大剣は在るだけで無骨さを醸し出している。

 こんな格好をしている帝国兵は居ない。居るとしたら元プレイヤーの転移者ぐらいだが、彼は何故か帝国軍の集積所の中から出てきた。

 そして炎に照らされて見える彼の顔、ライアには覚えのある人物だった。


「帝国兵には見えないな。だが帝国軍の施設から出てきたことだし、一応撃っとく?」

「…………」

「リーダー? どうした」

「――っ。なんでもない。今は撤収が優先だから余計な弾を撃っているヒマはないよ」

「うぃーす。じゃあ、ちゃっちゃと帰りますか」


 L42を大事そうにライフルケースに入れて立ち上がるトージョー。彼を横目にしているライアの胸の内はさっきまでの充実感から一転、暗雲が立ちこめていた。

 ゲート前に立つ人物をライアはよく知っている。彼の名前はストライフ、ゲーム『エバーエーアデ』では知られた名前だ。だが、それ以上に彼女は彼の事を知っている。

 なにしろ、血を分けた弟なのだから。


「宏明、あんたまで来ているんだ……」

「何か言いましたか?」

「ううん、何でも。撤収しようか」


 ビルの屋上から立ち去り、拠点へと戻る二人。帝国軍の集積所で発生した火災は、翌朝になるまで鎮火することはなかった。

 この一件により、帝国軍は街に潜む抵抗勢力の掃討に血眼になっていき、同時に街の住民達は占領している帝国軍への反感を強めていった。

 対立の構図がクッキリと浮かび上がるまでそう時間のかかる話ではない。対立関係に火が点き、爆発するまでジアトーの夜はまだしばらく静かだった。



 ◆



 場所は南に移り、河を挟む都市ゲアゴジャに戻る。

 ジアトーからは四〇〇㎞以上の距離はあるものの、時差を生むほどではない。そのためライア達が帝国軍の拠点を襲撃している時、ゲアゴジャには静かな夜が過ぎていた。

 近代に見られる都市の夜にしては静かなもので、時折警察車両がサイレンを鳴らしつつ現場に急ぐ場面や、銃声が鳴っている以外は概ね静かだ。

 けれども、それが穏やかな時間ではないのは明らかだ。急速に悪化する街の治安、当然のように起こる犯罪に巻き込まれるのを恐れ、人々は家の中で息を潜めている。この街の静けさはそういう類のものだった。


 エカテリーナは人が怯える夜を軽やかな足取りで闊歩していた。月詠人である彼女にとって夜は親愛なる時間だ。暗闇も夜気も、夜を構成する全てが味方であり、恐れる要素はどこにもない。

 人気の少ないダウンタウンの一画にある商店街に足を踏み入れ、遠目に一台のジープを確認した。大多数の人が行き交う都市の中で、一人の人物の気配を探し出す無茶なオーダーの割りには意外なほどあっさりと発見できてしまった。

 無人のジープに近付き、気配が最も濃い運転席に手を置いてみる。


「すごい。時間が経っているはずなのに気配がまだこんなに濃い。相当力のある御方なんだ」


 これほどの人物ならば、なるほどエカテリーナの主上である人物が気に掛けているのも頷ける。

 月詠人がいう気配というのは、通常の人が定義する気配とはまた少し異なる。彼らは人間より鋭い感覚と感性を持ち、人がその場に放出する空気を敏感に感じ取る。人間でも周囲の雰囲気を感じ取って、空気が和やかだとか悪いとか言う事があるがそれを何倍も鋭敏化し、明確な感覚としたものが『気配』だ。

 月詠人はその独自の感覚をもって別の月詠人の存在を感じ取る。昼間にルナが夜架月の接近を察知したのもこの感覚によるものだが、不慣れな感覚について行けない彼女は不思議に思うだけだった。


 彼ら月詠人の気配は力が強いものほど濃く、エカテリーナがこうしてあっさり探し人を見つけられた要因であった。

 あるいは派遣した主上もそれを見越した上で彼女に命を下したのかもしれない。

 ちなみに同じ月詠人の夜架月の気配もジープに残っているはずだが、ルナの濃い気配の前にかき消されてしまいエカテリーナには察知できなかったりする。


 このまま気配を辿り商店街を歩き、数分してすぐ気配の主の居場所に行き当たる。

 この街では取り立てて高い建物ではないが、そこそこの大きさをもつビジネスホテルがその居場所だった。


「ここにクリス様が探している御方が」


 自身が慕っている主上が命を下して探している人物。随分な安宿に泊まっているものだとは思うが、そこは気にしない方向で。

 さっそく接触をして、主上に報告をしよう。エカテリーナは即断即決の頭でそう決め、ホテルへと足を向けた。

 その足が不意に止った。その深紅の瞳は暗闇の向こうを見通し、暗がりに隠れていた人影を明確に捉える。


「そこの人達、わたしに何か御用ですか?」

「うげっ、バレた」

「ちっ、しゃーねぇな。作戦変更だ」

「無理矢理かぁ、それも飽きてきたな」


 エカテリーナに声をかけられ、三人の男が姿を現わす。人間、エルフ、犬人それぞれ一人ずつ。種族こそ違うものの、性別と目に宿っている獣性は共通していた。それは人を喰いものにする者の目だ。

 服装は各所にプロテクターを付けた兵士風、手にも銃や手槍を持って武装している。それらは彼らの纏う獣性と相まって、一種の凄みを臭わせていた。

 どうやら、この街の急速な治安悪化の一端を担う手合いらしい。彼女はすぐさまそれを察し、すぐさま興味が失せてしまった。

 感じる力は確かに大きく、普通ならエカテリーナは敵わない相手だ。しかし、この街に巣くっている連中の多くは大きな力に振り回されている手合いばかりで、精神と肉体がまるで釣り合っていない。

 強力な武器を手にして浮かれているチンピラ以下、新しい玩具を買ってもらいはしゃぐ子供の反応みたいに幼稚だ。


 彼女の前に現れたこの三人組にしてもそうだ。一方的に人から略取するのが当たり前と思う思考が透けている。

 エカテリーナはこの様に程度の低い連中に負ける気は一切なかった。夜間の月詠人は人型の猛獣そのもの。よって略取するのは彼らではなく、彼女。

 程度の低い獲物が自らやって来たとあっては、興ざめなのも当たり前だった。


「質は落ちるけど昼間に活動してちょうどノドが渇いているし、それに一応は自己防衛も成立するわね。だったら遠慮はいらないか」

「何をブツブツ言っているんだコイツ?」

「しらね、恐怖でおかしくなったとか」

「ワロス、それワロ――」


 標的を前にして隙だらけで喋っている三人の男達に、エカテリーナが付き合う道理はどこにもない。獲物を前にしたのなら効率的に狩り取るのがハンターとしての作法だ。狩猟者としてどこまでも程度の低い男達を哀れみつつも、彼女は迅速に行動を起こした。

 三人の内の一人に接近して無造作に頭を掴み取り、果実を樹からもぐようにして首から引っこ抜く。水っぽい何かを潰した音が街路に響いた。

 すぐに血が勢いよく噴き出して周囲を血色に染めるも、その時には彼女は血の範囲から出ていて着ているスーツには一滴も血が着いてない。

 ここまで僅か一秒間。残る二人の男が仲間の様子に気が付き、慌てて振り向けば、そこに仲間の生首を片手で鷲掴みにしているうら若い女性の姿があった。


 暗闇に沈む街路にエカテリーナの立ち姿は、舞台に立つ女優のような優雅さと真の猛獣が持つ秘めた凶暴さが同居していた。

 手に持った生首の首筋に口付けするように牙を立てるが、すぐさま「まずい」と言って口を離してしまう。本当に不味いらしく、形の良い眉が不機嫌な角度に曲がる。

 一瞬で起こった出来事に二人の男は訳が分からず立ち尽くし、首が無くなった男の体はようやく死んだことを思い出したように崩れ落ちた。


「誠に申し訳ありませんけど、貴方達には強制的に献血の協力を願います。拒否権はありません」


 ここにきて狩る側がどちらか、男達はようやく思い知らされた。しかし全てが遅い。

 この後は反応する時間も与えない一方的な狩猟が始まる。きっとすぐに血痕と身体を片付けられ、朝には何事もなかった風景があることだろう。だが今は、この場限りの狩猟者が男達の前に死神となって現れていた。

 唐突に獲物にされて身動きできない男達の蒙昧さ、エカテリーナはそれに何の感慨もなく一歩を踏み込んだ。



 ◆◆



 ――狩猟の時間は五分と経たずに終わった。エカテリーナを獲物にしようとして、逆に贄とされた男三人はすでに死体も残していない。彼女が綺麗さっぱり片付けてしまったからだ。

 月詠人は血を嗜好品として好むが、同時に存在そのものを喰らう事すら好む。それは単純に肉を食べる行為ではなく、身体を構成する『要素』を喰らう事を指す。喰われた相手は死体も残さず、少量の灰となって散ってしまうのだ。

 だから死体の始末には非常に好都合なのだが、さすがに三人は『食べ過ぎ』だった。


「……うっぷ。はしたない真似をしちゃったか。やっぱり程度が低いと、血や要素の程度まで低い。大食いはもうしたくないな」


 まるでマズイ食事で腹を満たしてしまったような表情をするエカテリーナ。お腹に手をあてて、込み上げてくるものを押さえる仕草をしている。

 もうここには彼女が『食事』をしたという痕跡はほとんど見当たらない。男達の持っていた衣服や武器は近場のダストボックスに放り込んだし、灰は風で吹き飛ばされている。後は壁と路面にある血痕を消せば証拠隠滅完了だ。


 月詠人は社会に溶け込むために法を守り、掟を作って自らを律している。けれど、それらはあくまでも対外的なものだ。自己防衛の結果や完全に証拠を消せるというならその限りではない。

 社会に発覚しない場所では、月詠人がこうして人知れず蠢いていることがあった。

 乾いて黒くなった血痕に手を近付け、『浄化』の呪紋を発動させる。白い繊手から仄かに光が出て、血痕を消し去る。

 これで完了、と彼女が息を吐いたタイミングで新たな『気配』を背後に感じた。


「っ! 新手!?」

「おわっち!?」


 素早く振り返って体勢を立て直すエカテリーナだが、向こうは素っ頓狂な声を上げたきりで動きが無い。

 相手を視界に入れて軽く観察。二十歳前後の若い男性で、銀髪が特徴的なえらく麗しい顔をした美青年だ。その美貌も、驚きで奇妙な表情とポーズをしていれば滑稽に見えてしまう。

 もとより仕える主人以外には慕うつもりがないエカテリーナは、青年の美貌に眉一つ動かさず冷徹に思考する。


 もしかして、見られた? 一応は防衛行動から来る吸血行為は合法だけど、変に騒がれるのも問題だ。警察に拘留されては主人に迷惑がかかってしまう。いっその事、消してしまおうか?

 などと物騒な事に考えが及んでいた。

 そうしている間に驚きから回復した美青年は、軽く髪を撫でつつ話しかけてきた。気障なポーズを取っているが、ここまでの美貌なら許容範囲だろう。


「いやぁ、失礼した美しいお嬢さん。日課の散歩をしていたら妙な感じがしてね、ここまで来てしまったよ。それにしても君は一人かな? この辺は物騒だし、君さえ良ければこの夜架月刹羅がエスコートしよう。いあいや、これは下心ではなくて純粋に心配から来るものでね――」


 気障なポーズのまま夜架月なる青年がペラペラ喋りだした。彼は昼間にルナ達と出会った青年、夜架月だ。ルナと出会った時よりも口が回っているが、それは夜間で血が騒ぎ口上が長くなっているからだ。

 エカテリーナは出会った事の無いタイプの出現にしばらく戸惑っていた。けれども、青年から感じる同族の気配に緩んでいた気持ちが締め付けられる。


「あなた、どこの血盟の人?」

「ほぇ? けつめい?」


 なんじゃらほい、と口上を切って不思議そうな顔をする夜架月。血盟を知らないとははぐれ者だろうか? それとも、もしかして……


「あなた金の瞳をした月詠の者を知っている?」

「――あ」

「知っているのね」


 明らかに知っているという表情を見せた夜架月に、彼女は一歩近付く。

 金眼の人物の情報を得る機会が目の前にある。接触する前に事前情報が欲しかったエカテリーナにとって、夜架月はカモがネギを背負ってきたようなものだ。

 夜架月の赤と緑のヘテロクロミアな目が大きく見開かれ、状況の不味さを悟ったようだ。

 虹彩異色症の月詠人とは珍しい。彼の左右で異なる色彩に彼女はそんな事を思うが、それだけだ。動きには淀みはない。足に履いたパンプスを軽く鳴らし、さらに一歩相手に近付いた。


「……ど」

「ど?」


 危機を感じていきなり追い詰められた夜架月は、うめく様に声を漏らす。エカテリーナもつい釣られて一音だけ追従した。

 でも、何も問題ない。この青年の力量は先程の三人よりも低く、エカテリーナなら難なく押さえ込める。無論同族を殺す気は全く無い。ただし、場合によっては少し痛い目に遭うかもしれないが。

 軽く尋問方法について考えていると、その僅かな隙を夜架月は見逃さなかった。


「どぼるざぁぁぁくっ!」

「……はい?」


 チェコの著名な音楽家の名前だが、彼女にとっては意味不明な言葉。それを叫んだ青年は、叫び声すら置き去りにしてすでに逃走していた。驚愕するべき逃げ足の速さだ。

 日々治安の悪化するゲアゴジャに居ながら、夜架月刹羅がどうして無傷でいられるか。その理由がコレだ。

 危機を嗅ぎ付ける鼻の良さ、危機に遭っても逃走の機を見逃さない勘の良さ、そして超一流の逃げ足の速さである。


 ゲーム時代において、低レベルだった彼の基本的戦闘方法は一撃離脱に徹することだった。一撃を当てるタイミングを見計らい、素早く間合いの外へと離脱。そのタイミングの計り方が夜架月は異様に上手かった。

 この世界に転移してからもその能力は如何なく発揮されて、危機を上手い事避けてきたのだ。

 知り合いになるレイモンドやクララを推して「冗談みたいな逃げ足」と言わしめるそれは、エカテリーナの反応を許さない程に凄まじい逃げ足だった。


 余談だが、この逃走方法を夜架月は『神速疾走ゴッドスピード・ライナー』と名付けているが、当然ながらその名前を使うのは本人だけである。


 あっという間に見えない場所へと消えてしまった夜架月。エカテリーナはこの出来事に数秒間呆然としてしまった。

 そして、ようやく再起動。


「……何の冗談よ、アレ」


 動体視力に優れる月詠人の目を持ってしてもコマ落としにしか見えない奇跡の逃げ足。まさに「逃げるが勝ち」を体現した夜架月に、彼女は得も言えない頭痛と一緒に敗北感を覚えた。

 盛り上がっていた気分に水を差された気分にもなり、とてもではないが今夜は対象に接触する気になれない。

 一度だけ対象の泊まっているホテルを見上げたエカテリーナは、すぐに視線を戻すとその場を立ち去る。その背中にはコケにされた怒りと、自身の不甲斐なさを嘆く空気がのしかかっていた。


 エカテリーナが去ったことで今度こそ誰もいなくなった様に見える商店街の通り。

 離れた所でこの場を見詰めていた一対の金眼が揺れて、せり上がるように黒い猫の影が現れたがそれを見ていた者はいなかった。




 2012年6月17日 加筆修正

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