3話 Encounter
ゲームの画面上で見たゲアゴジャとこうして肉眼で見るリアルとの差は凄まじいばかりだ。当たり前と言えば当たり前だが、臨場感が半端なく迫ってくるように圧倒的。
ジープの助手席から外に目をやれば、日本とは違う外国の街並みが視界の中を流れていく。建物はジアトーでも見たレンガや石造りの物が多く、他にもコンクリートや鉄骨が使われている建物も見えて、木造の建物はほとんどない。
低い建物が中心だったジアトーとは違って、こちらは十階、二十階建ての高めのビルが数多く立ち並んで都会的な印象がある。それでも日本の都市部に比べるとやっぱりのどかに見える。
ジープが通っているこの道も、街に入るとアスファルトで舗装されたものに変わっていた。オレが昨日までいた荒野と違い、ここには文明が確かに存在していた。
こうして街を見ていくと、あの混乱が起こったジアトーとは違って騒動が起こった様子はない。すこし寂れている感じだけど、平和そうだ。
「良かった。暴動とか起こっている様子はないし、平和みたいっすね」
「――そう見える?」
「はい?」
運転席からボソリと聞こえた声に横を見てみると、ジープのハンドルを握っているルナさんの雰囲気が険しいものになっていた。彼女は基本的に表情の変化が少ないけど、その感情は出会って数日しか経っていないオレでも何となく察しがついてしまい、意外と感情が表に出る人だったりする。
その察するところによると、ルナさんは周囲に油断無く視線を巡らして警戒している。ここまでで何度となく見てきた、戦いを前にした時に見せる表情だ。その右手が何気なく下に伸びて、シフトレバーではなくその脇に置いているショットガンに触れている。何時でも手に取れるように場所を確かめているのか。
これほどにルナさんが警戒している。つまり、ここもヤバイ場所なのか?
「違うんすか? ここってヤバイ場所って気はしないんだけど」
「ジアトーに比べたら危険じゃないけど、ここも落ち着ける街じゃないと私は思う」
「でも、ゲームだと物騒な街じゃないんだけど」
思い返せば『エバーエーアデ』でゲアゴジャの立ち位置は、初心者を抜け出したプレイヤーの受け皿的な場所だった。
タイトルが発表されて十年が経った今でも新規のプレイヤーは数多く、中堅どころと合わせて賑わっていたゲアゴジャ。同じ首長国のサンフランやロスといった都会と比べると田舎といった規模だったが、その分穏やかな印象が画面越しでも感じられた。
その印象が強かったせいか、ルナさんに物騒とか言われてもピンとこない。
「ゲームの先入観は捨てて。ここはもう現実」
「……分かっちゃいるんすけどね。ゲームの知識がまんま通用するんで性質悪いっすよ」
ルナさんの忠告に頷きはするけど、こうも半端にゲーム時代の感覚が残ると引きずってしまうも仕方ないじゃないか。
確かに視点が変わり、自キャラを画面で三人称的に見るものからFPSみたいになっている。体の感触も元のオレのものと全く違うし、違和感がバリバリにあって当然だ。しかし、何故かこの新しいマサヨシの身体は俺にしっくりとくる。
例えばこうして全身甲冑を着込んでも、体にかかる重さは意識しないと普通の服みたいに違和感が無い。これと同じでゲーム『エバーエーアデ』とこの世界の境界線も、オレにとっては意識しないと曖昧なものだ。
これは本当に性質の悪い感触だ。オレが『マサヨシ』と『正義』で混ざられている気分になってくる。
「なあ、水鈴。そっちもゲームとこの世界がごっちゃになるって事ないか?」
街に入ってから静かな水鈴に話題を振ってみた。昨日の夕方に張った幌はそのままにしているから、振り返る後ろの席は薄暗い。
そこで彼女は何をしているかと思えば、ジンを膝の上に乗せて背中を撫でたりノドを触ったりしている。しかもジンの奴もまんざらではないって感じだ。オレには皮肉たっぷりなのに、女子限定で優しいのか? エロネコめ。
何が楽しいのか水鈴の表情は緩んでいるし、銀色の尻尾もゆらゆら揺れてわんこじみている。ジンを弄るのに夢中で、こっちの声が全く聞こえていなかったみたいだ。
「なあ、水鈴」
「――え? ああ、うん。なに?」
「いや、ゲームとこの世界でごっちゃになる事はないかなーって、そう思ってさ」
聞いた途端、彼女の表情が一瞬で強張り、次に沈んだものに変わってしまう。それは水鈴と初めて顔を合わせた時と同じ表情だ。
「ないわ。人が死んでいるんだから、これは現実でしょ」
――しまった、地雷った。そんな素振りを見せないから忘れかけていたが、彼女は大切な人を亡くしたんだった。オレの馬鹿、こういう話の振り方はまずいのに。
「悪りぃ、変なこと聞いた。すまん」
「ううん、いいの。私も気にし過ぎているし」
同意が欲しくて話題を振ってしまったが、振り方に注意しないとこうなってしまう。それに水鈴は気にし過ぎってことはない。まだ数日と経っていないのだ。その事を言おうと思ったが、やめた。今のオレはさらに地雷を踏む抜きそうな気がしてしまう。
気まずい空気が車内に漂って、静かになってしまった。聞こえるのはエンジンの音と時折ルナさんが操作するシフトレバーの音。後は外から流れてくる街の雑多な音だけだ。
ジアトーでの出来事は、オレ達にこうして大なり小なり影を落としている。オレだってまだ実感が薄いけど、タカやココットさんが目の前で死んだのを見てきた。
なぜ平然としているかと考えれば、単純に気持ちの整理が追いつかない怒涛の展開に心が麻痺しているからだろう。
そうして短くない時間静かになってしまった車内。オレはその間に新しい話題を探して頭を回していたけど、自分が気まずい空気の原因と思ったのか水鈴が明るい調子で声をあげてきた。
「ねえ、ルナ。ジアトーからずっと運転しているけど大丈夫? 取りたてだけど、私運転免許あるし交替しようか」
「大丈夫だよ。昨日は睡眠を充分とったし、問題ない。このまま手近なところで昼食にしよう」
長時間ドライブなのに、疲れた様子のないルナさんはそう返した。
ああ、気まずくなって忘れていたけど昼食を食べられるところを探しているんだったな、そういえば。空腹に改めて気がついて、腹に手を当てる。うん、かなり腹ペコだ。雪が作ってくれた食事以降、まともなものを食べた気がしない。早くメシにありつきたいもんだ。
流れる風景の中から食堂を探していると、ジープが不意に止まる。どうしたのかと思ったが、何てことは無く単なる信号停止だ。
こっちの世界でも赤信号は止まれ。十字路の中心に据えられた信号機を見て、そんな当たり前に妙な新鮮味を感じた。
信号停止の間、特に考えることもなくゲアゴジャの街並みをボケーと眺める。ジアトーで怒涛の展開があったから、空腹と合わせて反動で気が抜けているんだろうなコレ。
後ろからパタパタと硬い路面を叩く足音が聞こえてきた。人が近づいてくる。数は二つ、二人。
ちゃんとした歩道もあるのに何で車道を走っているんだ。危なくないのか、と思うがボケーっとしているオレは深く考えることはなかった。
だから、オレ達の方にこそ危険が迫っている事に気づけなかった。
「動くなっ!」
「おら、ぶっ刺されたくなければ金を出しな」
後ろから近づいてきた足音の主は二人組の男女でジープを挟み、運転席のルナさんと助手席にいるオレに銃とナイフを突きつけてきた。何ぞコレ?
オレにナイフを突きつけている男はこちらが甲冑を着込んでいる事を理解しているのか、首の装甲の隙間に刃を差し込んでいる。チクリとした感触がオレの混乱した頭を強引に冷却させる。
強盗、なんだよなコレって。日本ではまずお目にかかれない強引で後先考えないやり方だけど、この二人は妙にこなれている気がした。
「主っ!」
「ルナ!?」
「後ろにもいたの。……まあいいわ、この子が撃たれたくなければ大人しくあたし達の言うことを聞きない。いいわね」
後ろに居た水鈴達に強盗は大した驚くことなく、女の方が手に持った拳銃をルナさんに付けつける。あれは映画で良く見るガバメントか。アメリカ人の大好きな銃で、ハリウッド映画にもかなり登場しているからオレにとって見慣れたものだ。
それにしても男女の強盗カップルって、ボニーとクライドかよ。コイツらもラストに警官隊に撃たれるのか? って、まだ頭が混乱しているようだ。
銃を突きつけられているルナさんに目を移すと、落ち着いた表情で強盗二人を見据えている。それは『観察』って言葉が相応しいくらいに落ち着いている視線だ。毎度思うけど、彼女のこういう時の度胸は半端無いな。
『マサヨシ君。合図したらナイフから逃げるように思い切り体を後ろに反らして』
やっぱり落ち着いた調子で念会話がとんで来た。ついでにオレもあまり驚かなくなっていた。彼女の事だから何かやるのだろう、そう信じられるまでになってきている。
とりあえず、ルナさんの方を向いて軽く頷いて念会話が通じた事を示した。体を後ろに反らすって事は、リクライニングでシートを倒せばいいか。強盗に気付かれないようにシート脇のレバーに手をやる。
「何固まってんだ。さっさと金をよこせ! そうすりゃこっちは金、お前たちは身の安全が貰えてお互いハッピーだろ」
ハッピーな訳あるか。オレにナイフを突きつけている男の言葉に思わずツッコミそうだ。強盗二人は少し焦れている。
時間がないから殺してしまおう、なんて考えない内にどうにかしたい。オレも焦り始めたところでルナさんが動いた。
『マサヨシ君、今』
念会話がとんで来てすぐに動いた。ナイフから逃げるように頭を思い切り後ろに反らして、座席と一緒に思い切り上半身を後ろに倒した。
後ろに倒れこむ視界の中で強盗の驚く顔が見える。ざま見ろと、思う間もなく車全体がガクンと揺れた。地震と違い、一瞬で通り過ぎた強い揺れだ。
終わった時にはルナさんはシートに座ったまま、手品の様に現れた二挺の銃を強盗達へ向けていた。腕を交差させて左の銃は右の男に、右の銃は左の女にそれぞれの銃口が睨みを利かせる。狭い車内のことを考えたやり方なんだろうけど、やたら劇的なポーズに見えて、オレにはガンアクション映画のワンカットみたいだ。ハトが飛んだりしないよな?
「立ち去れ。金はやらない」
「ちょっと、あたしも銃を持っているのよ。ケガしたくないでしょ」
銃を向けられた強盗は二人一緒に驚いている。でも女の方がすぐに復帰した。
ナイフの男は銃口で動きを止められたが、拳銃を持った女は諦めていない。ルナさんに銃を向けたままだ。香港映画じゃあるまいに、こんな事をしても相討ちだ。
だけど彼女はやっぱり落ち着いていた。女の持っているガバメントに目をやり、忠告じみた事を口にする。
「コルトの45オート。それはシングルアクションの銃で、弾が装填されていてもハンマーが起きてないと撃発できない」
「なによ、ハンマー?」
「それだと撃てない」
「……」
オレも良く分からないけど、女の方も銃に関して素人らしい。自分が持っている銃が撃てないと言われて目をパチクリさせている。
「う、嘘言うんじゃないよ! そんなハッタリに乗るもんか」
「じゃあ、どうぞ。撃てないから。私はハンマーを起こす時間をあげるつもりはない」
「……ちくしょう」
「おい、逃げるぞ」
分が悪いと見た男に促されて女も舌打ちしながらジープから身を引き、来た道を二人揃って逃げていった。奴らの顔が悔しさで歪んでいたのが印象に残る。
残ったルナさんは大きく息を吐いて、二挺拳銃をホルスターに戻してジープのエンジンをかけ直した。そういえばいつの間にかエンジンが止まっている。
信号はすでに青、周囲は強盗事件があったといのに何事もなかったかのようだ。ジープの後ろに止っていた車は関わるのを嫌がるように追い越していく。
「水鈴さん、ジン、ケガはない?」
「うん、大丈夫」
「ああ、こちらは何事もない。主こそ大事はないな?」
「問題ない。念を入れてトリックも混ぜたけど、必要なかったかな」
「あのエンストか。そうだな、目くらましの意味ではこのデカブツの行動と合わせて効力が出たところか」
「そう、無駄じゃないなら良い」
オレがシートを元の位置に戻している最中、ルナさんは後ろの水鈴を気遣って声をかける。
ジンがまた何か皮肉げな事を言っているけど、それより気になる単語が出てきたので無視だ。
「ルナさん、エンストって? あの時なにかしたんすか?」
「ああ、アレか」
聞けば、銃を抜くタイミングを作るためにジープのクラッチを強引につなぎ、わざとエンストを起こして車体を揺らして見せたという。
あの揺れにそんな意味があったのか。感心すると同時に悔しく思う。ルナさんはあの非常時でも冷静に行動したのに、オレは頭を冷やすのが精一杯だった。
なぜ彼女はこうまで冷静にものを考えて行動できるのか。一体その冷静さはどこからくるのか、不思議に思えるのと同時に少し羨ましく感じる。
あれ? そう言えば――
「誰もオレを心配してないような気がする」
「気のせいだろう」
「気のせいね」
黒猫と水鈴に上手く誤魔化されているような。
それにしても、街に来て早々強盗に遭うとはルナさんの言葉通りゲアゴジャは物騒な街に変わっている。この街もジアトーみたいに落ち着ける街じゃあないらしい。そう思うと、異国風の街並みが急に色褪せて見えだした。
話が一段落したとみたルナさんがジープを発進させて、街並みは再び流れ出した。
◆
信号待ちをしている間に強盗に遭うとは、この街の治安はかなり悪いと言えよう。さっきの一幕で中南米の治安の悪い国を思い出した。かの国ではさっきみたいに路上強盗に遭いやすいから車は赤信号でも停まらないのだとか。
そのエピソードを思い出した自分はさっそく実践してみた。さっき停まった信号機からしばらく進んで、また交差点の信号機。信号の色は赤だけど今度は無視して通過していく。
横から来る車に気をつけながら少し速度を緩めて、それでも停まらず交差点の赤信号を無視していく。見れば後続の車も同じように信号無視をしていた。
「ルナさん信号っ、信号無視している!」
「また強盗に遭いたくないから」
「いや、でも」
信号無視にマサヨシ君が騒いでいるけど、強盗の一言に口を濁させた。命と法律、どちらが大事など聞くまでもない質問だ。ついさっき強盗に遭ったならなおさら。法律が守るのは社会であって、個人ではない。命を危険にさらしてまで交通法規を守るつもりはない。
さっきの強盗を相手にした時も運が良かっただけだ。人数が多かったり、武器の扱いを心得ているなら最悪あそこで命を落としていた。相手がボニーとクライド気取りの素人で本当に助かった。願わくば他人を巻き込まないところで蜂の巣になって欲しい。
そんな物騒なことを思いながら、二個目の赤信号を無視してジープをゲアゴジャの中心地へと向かわせる。
この街は中心に大きな河が流れる自然豊かな地方都市だ。河を使った水運に首長国の北から南を結ぶ道も通り、人の流れ物の流れが豊かでもあった。気候も穏やかで過ごしやすく、暮らしやすい街として気候なんて関係のなかったプレイヤー達でも人気の街、それがゲアゴジャだった。
これらのほとんどは過去形で表さなければいけない。それが現在の街の有様だ。
マサヨシ君は細かい部分に気が向いてなかったが、治安が悪いサインはそこかしこに見受けられる。大通りなのにデカデカとスプレーのラクガキ、ガラスの割れた窓が目立つ、道に転がるゴミも多いし、脇道に目を向ければ浮浪者らしい人影もあった。確かにプレイヤーの暴走と軍隊の侵攻があったジアトーに比べると穏やかなものだけど、元の世界のロサンゼルスやニューヨーク位には物騒に見える。あれらの街は治安が良いところはあるが、物騒なところは本当に危険な場所だった。
ランチをとる場所としては、比較的治安が良いと考えられる街の市庁舎近くにしたい。
不安要素はやはりプレイヤー達の存在だ。この街では暴走するまで至っていないが、馬鹿なことは仕出かしていそうだ。そう言えば、さっきの二人組もプレイヤーだったような気がする。彼らに今後どんなドラマが待っているかは予測できないが、あの調子では本当に蜂の巣エンドだろう。
そんな事に思考のリソースを回すより昼食をどこでとるか考えた方がより実りがある。あの二人組のことはスッパリ忘れよう。
ジープのハンドルを握り道の両方に点在している店に目をやっていると、後ろから水鈴さんの声がかけられた。
「ルナ、あれ『パラス』じゃない? ほら、ゲームの時にもこの街にあった店!」
「え、『パラス』ってゲームに出てきた飯が美味いって設定の?」
「うんうん。あの看板見てよ、間違いないよ」
「あ~、本当だ。リアル『パラス』だ」
水鈴に続いてマサヨシ君もはしゃいだ様な声を上げて、進行方向の一点を指差した。
目を向ければ、広い道の右側に一軒の店があった。特徴的な白い壁の建物に、女神のレリーフを飾った看板。『エバーエーアデ』に出てきた店が現実の物として目の前に現れていたのだ。
二人の様子はテレビドラマのロケ地に行って、ドラマに出てきた建物を発見した観光客に似ている。
楽しそうにしている二人を横目に、自分はジープの速度を落としながら『パラス』についてゲーム時の情報を思い返してみた。
パラスはプレイヤーにとって集会所の一つだった。チーム、個人を問わずに交流してクエスト参加人員の募集や、情報の交換などをするのだ。古いゲーマー風に言うならルイー○の酒場だろうか。
もちろんゲームに過ぎない以上は飲み食いすることに意味は薄く、せいぜいステータスが少し変化する程度のものだった。マサヨシ君の言葉でも出てきたが、ゲームでの『パラス』は食事が美味しい設定は、食事によるパラメーター上昇率が高かったところから由来していた。
自分も過去に何度か通った覚えがある『パラス』が現実のものとして目の前にある。二人のようにはしゃぐ気はないが、少し胸の奥が浮つく感じがした。これでは人の事をとやかく言えないな。
「あそこで昼食にする?」
二人に聞いた自分の声もどこか弾んでいる。耳に聞こえるハスキー気味な声には楽しさのエッセンスが数滴、というところか。
これに対して、二人の返事は素早く素直だ。
「ええ、お願い」
「おう! 美味い飯は大歓迎だ」
「ん、了解」
二人の声に応えて店の前にあるパーキングメーターの前にジープを停めて、数時間ぶりに地面に降り立つ。長距離ドライブで少し体が固まっていたらしく、少し体が重い。
体を伸ばしつつ、メーターに料金を入れようとした。使われているメーターはアメリカとかで見る伝統的な硬貨投入口とダイヤルで構成されたアナクロなものだ。ただし良く見ると、メーターが壊されて中のお金が盗まれている。
治安の悪い証拠がこんなところにも見受けられて、ため息が出そうだ。とりあえず無賃駐車させてもらうとして、キップを切られたらその時考えよう。
「ルナさん、そっち良いっすか?」
「ああ、良いよ。行こうか」
とっくの昔にジープから降りて店の前で自分を待っているマサヨシ君の姿は、まるでおあずけをされている大きな犬みたいだ。さらに水鈴さんは気の早いことにすでに店に入っている。
メーター料金泥棒という小悪党の仕業を頭の隅に追いやり、ジンを伴って店の中へ。入り口の上に掛けられた看板は瀟洒な飾り文字で店名が書かれている。ここまで近づいて分かったが、看板のあちこちに小さな穴が開いているのも見える。銃による弾痕だ。
「……嫌な予感がする」
この弾痕で浮ついた気分が一気に覚めて、思った事が口をついてポロリと漏れた。悪い予感の具体例としては、マカロニウェスタンにおける酒場でのイベントだろうか。あれは映画だからこそ面白いものであって、当事者だったら迷惑千万な話だ。
そうならない様にと神にでも祈り、店のスウィングドアを押し開いて店内に足を踏み入れた。
結果から最初に言うと、神は人に試練を与えるのが大好物だった。
「なんだぁ、あいつら」
「へぇ……毛色の違う女二人連れている兄ちゃんかぁ」
「くひひ、くひひ……」
このような声が店のあちこちから漏れ聞こえてくる。鼻を刺激するのはアルコールとヤニの濃い臭い。周囲から向けられる視線に遠慮は一切無く、むき出しの好奇と昏い感情が混ぜ込まれていた。
自分が一番嫌いな環境に自ら踏みいってしまった。もっとも、まともな神経を持った人間ならこんな環境誰だって嫌がる。
ゲームの時の面影が全くない店内には何人もの客がいて、日中から酒を飲んでいた。あちこちでタバコが吹かされ、周囲の空気は悪く煙い。わずかに化粧品の匂いがしてそちらに目を向けると、一目で風俗嬢と分かる女性が品定めをする目でこっちを見返している。
淀んだ空気が固形化したような錯覚になり、足を止めさせる。ここは無法者の溜まり場。まるでそんな題名の絵画を見せられた気分になってしまった。
「これって、アリなの?」
「うわぁ」
先に入った二人は店の有様に顔を引きつらせていた。ここまでステレオタイプな光景は自分も見たことがないから、気持ちは分からないでもない。でも、こうして店の出入り口に立ちっぱなしなのも、ここで店を出て行くのも悪目立ちしそうだ。さっさと食事を済ませてすぐに出て行こう。
自分は立ちすくむ二人の前に立って、店のカウンターへと歩いて行く。ジンは一言もなく足元をついてきて、軽く振り返れば二人も引っ張られるようについて来てくれた。
周囲の視線を無視して足を進め、さっさとカウンターに着く。視界に入った男性の表情は鈍い自分でも分かるぐらい露骨だ。隠しもしない好色めいた顔、男が脳内で女を裸にしている目である。自分の今の性別について関心は薄いが、これほどに露骨だと女性の身体を強制されているみたいで気分が良くない。
スツールのない立ち飲みのカウンターに着けば、面倒臭そうなぶっきらぼうな声がかかってきた。
「なんにする? 嬢ちゃんだと酒は出せねぇぞ」
「何か軽く食べられるものを三人分」
「ふん。待ってろ」
声をかけてきたのはスキンヘッドのヒゲ面の男だ。店の人間なのだろうが、接客業をしているとは思えない顔と態度だ。彼は好色な顔はしていないけど、何か疲れたような表情をしている。
注文をしたところで二人もようやくカウンターに着く。脱いだ兜を片手にマサヨシ君は居心地悪そうにしているし、水鈴さんは向けられる視線に嫌そうな顔をしていた。これは本当に手早く食事を済ませて出て行った方が得策か。
「ルナ、私ここに居たくないんだけど。こんなに酷いところ初めて見た」
「賛成。食事とったらすぐに出て行こう」
「すぐに出ないの?」
「それだと目立つ」
「それでなくても目立たないかな?」
「店に入った時点でそう変わらない」
「じゃあ、今すぐ出て行っても変わらないんじゃ」
水鈴さんはすぐにでも店を出て行きたいみたいだ。落ち着き無く周りに目をやって、柳眉をひそめている。確かに彼女の言葉に従ってすぐに出て行くのもいいけど、気になる事がひとつあった。
好奇の目を向けてくる周囲の人達に逆に観察の目を向ける。彼らが身に付けている服、防具、腰に吊している銃や剣は特に。それらゲームで見たことのある武器だ。どうやら彼らはプレイヤーみたいだ。
ここにいる多くはプレイヤーだった人達らしい。彼らがこの世界に投げ出された時、ゲーム時代にも出ていたこの店に寄る辺を求めて集まっている。……憶測に過ぎないけど、そう外れた考えではないはずだ。そんなプレイヤー達の様子が気になって、自分は店に留まる選択をしたのだ。
とは言え、水鈴さんとマサヨシ君まで付き合わせるのも酷か。適当なところでジープに戻してあげなくては。
つらつらと考えを進めていたその時――声はこちらの思考を縫うように、突然かけられた。
「やあっ! 君達見ない顔だけどどこから来たんだい?」
ヤニと酒臭で空気が悪い店内で、まったく空気を読まない場違いに明るい声が観察していた客達の中から出てきた。
声の主は朗らかな笑顔で近付いてきた美貌の青年だ。マサヨシ君ほどの身長だが痩せている体を黒一色の服装で固め、銀髪で左右の瞳の色が赤と緑に違う虹彩異色症と実に特徴的な外見をしている。
けれど自分が彼を一目見て気になったのは、外見よりも纏っている雰囲気の方だった。
彼が視界に入る前にこちらはその存在を察した。人の気配とはまた違う何かが感覚に引っかかった感じがしたのだ。まるでセンサーが彼の接近に反応したみたいに。その雰囲気が自分は気になった。
こっちの訝しむ反応に構うことなく、美貌の青年は自身のペースで話をしていく。
「こんな掃き溜めみたいな場所に君達みたいに美しいお嬢さん達が居ちゃいけない。どうだろう、ここはひとつ僕にランチを奢らせて欲しい。良い店を知っているんだ。――ああ、名乗りが遅れたね。僕は紅き月の夜架月刹羅さ。よろしく」
名乗りながら銀髪を手でかき上げ、軽くポーズなんか決めている紅き月の某氏。外見が決まっている分、こんなワザとらしいポーズをしても様にはなる。なるのだが、なぜだろう彼が喋れば喋った分だけ魅力が落ちていくように見えるのは。
……さて、こういうのを何と言うのだったか。
「うわ、リアル厨二病患者かよ。それも重度の」
そうそう、そんなスラングだったね。マサヨシ君みたいに若い人の間で良く使われているらしい言葉だ。
その若い人代表のマサヨシ君は、紅い月の某を痛々しいものを見るような目で見ている。水鈴さんはどう反応したらいいのか決めかねているようにも、呆れて声が出ないようにも見える。頭の上にある狐の耳は下がっているし、どちらにしても好ましく思っていないみたいだ。
この中で自分はどうしたものか。向こうは名乗ったので名乗りを返して礼をとるのが一般的だが、周囲の環境からして好ましくない中で相手方に情報を一個でも与えたくない心情も働く。水鈴さんの提案に乗って、悪目立ちを承知で店を出てしまうのも手だろうか。
「あ、あれ? そんなに僕の存在は驚きだったのかい?」
自分達三人が揃って黙ってしまい、さすがのマイペースな紅い月の某氏も訝しむ表情になった。
横でマサヨシ君が「そりゃ、ここまでのリアル厨二は驚きの存在だよ」と小さく呟いているが、彼にしてもまだ反応に困っている様子だ。水鈴さんも似たようなもので、アゴに手をやって何か考えている風で動きを止めている。
そろそろ何か言う必要がある。だけどこういうのを相手に何を言えば良いのか分からない。どうしよう。
こんな具合に目の前に現れた奇矯な人物の対処に困っていると、また別の声がかかってきた。
「おい山田。その妙な自己紹介はやめたらどうだ。クララも言っていたが、お前は口を開いた分ダメに見える」
「失礼な! 僕はこのお嬢さん方に無用な警戒をさせないようにソフトに接しているんだぞ。それと僕は山田ではない、夜架月刹羅だ」
「だが前にクララから聞いたが、本名は山田次郎だよな」
「シャラップだ、レイモンド。山田次郎など僕の偽りの名。夜架月刹羅こそ我が魂に刻まれし真名だ。今後は間違えないで欲しい」
「はいはい。覚えていたらな」
現れるなり厨二病氏の青年と漫才めいた真似をしだした人物は、程よいところで会話を切り上げてこちらに目を移してきた。
男性、なんだろう。スーツに薄手のコートを纏った紳士然とした格好と口から出てきた男声で判断したが、間違っていないだろう。何故こんな推測が必要なのかと言えば、相手は直立歩行しているトカゲであり外見から判断できる要素が少ないのだ。
ゲーム開始時にプレイヤーが選択できる種族の一種、リザードマンだ。肌を覆うのは毛の代わりにウロコ、人間よりもタフで肉体的な素養に恵まれる種族だったと記憶している。
レイモンドと呼ばれた暗緑色のウロコをしたリザードマン。見た目はかなり厳めしいが落ち着いた物腰をしており、こちらを見る視線にも下卑たものはなく配慮をしようという雰囲気が窺える。それは色々と人の機微を読むのが苦手な自分でも察せられるぐらいに優しく強い瞳の光だった。
「確かに山田が言ったようにこの街じゃあ見たことがない顔だ。どうだろう、良ければだが俺達に話を聞かせてくれないか? もちろん河岸を変えてだ」
やや乱暴な言葉使いでも伝わる穏やかな口調で彼は自分達に誘いの言葉を口にする。青年の言葉と変わらないはずなのに、彼の声は聞く者の警戒心を解くような低く質の良いバリトン楽器みたいだ。
人と人の出会いに自分はかなり淡泊な方だ。運命の出会いとか、宿命の邂逅とかは一切信じない。それらは所詮『後から思えば』というものだ。でも、人との出会いで人の何かが変わるのは信じている。
『僕』もこのリザードマンとの出会いで何かが変わってしまうんだろうな。彼の言葉を聞いた時、思考の隅でそんな事を思っていた。おかしな事に、ジンやマサヨシ君、水鈴さんと出会った時でもこんな風にハッキリと思考に浮かんだことはなかった。
それが妙と言えば妙な事で軽く自嘲してしまい、レイモンドに不思議そうな顔をされたのだった。
2012年4月27日 改訂