19話 群狼
踏み固められた土と車両が残すわだちだけの道が続き、一本の線のように地平の向こうへと伸びていく。
空の太陽は中天に差しかかり、空気はカラカラに乾いて暑さを主張していた。大地に生える草木は乾燥に強い種類ばかりで、日本で見る植生からはかけ離れている。ウェスタン映画に出てくる荒野そのものといった風景が目の前に広がっていた。
その雄大な自然の中をジープで走るのは実に爽快な事で、吹き込む風と疾走感が何とも言えない充足をもたらす。幌がないから吹きさらしになっている車上は乾いた大地の匂いに満たされて、長くなった自分の髪をなびかせる風は心地よいものだ。
ただ一点、こうなるまでに至る状況が心地よさの全てを台無しにしているが。
「……」
「……」
「……」
「……」
ジープには三人の人間と一匹の言葉を話す使い魔が乗っているはずなのに、誰も何も言おうとしない。
ジアトーを脱出してすでに三〇分が経とうとしているが、幻獣楽団への報告以外では誰も何かをしようとしない。車内は重い沈黙に満たされているようである。
自分は静かな環境を好むし、騒がしいのは大嫌いだ。でも静かといってもこういう重苦しい沈黙環境は苦手で、ジープの運転に集中することで気を紛らわせるしかない。こういう時、何かみんなの気を和ませる真似が出来れば良いのだろうが、生憎とそんなスキルとは生涯通じて縁がないし、これからもそうだろう。
でも、ゲアゴジャまでの四〇〇㎞を黙りっぱなしというのはありえない。
「マサヨシ君。ダッシュボードから地図を取って」
「え? あ……うっす。どうぞ」
「ありがとう」
突然に声をかけられて反応が遅れた彼だったが、きちんと言葉は聞き取れたようだ。助手席の前に設置されたダッシュボードを開いて小冊子型の地図を渡してくれる。
潜伏中にジープの点検をしている際に発見したもので、使われている表記は日本の地図に準拠している。ゲーム『エバーエーアデ』が日本限定のゲームだからだろうか? いや、何時までもゲームの事を引きずっているのも悪い。これはこういうものだと受け止めるべきだ。
パラパラと地図をめくって、ジアトー周辺のページを広げる。この地図の内容は、デナリ首長国の北部のみが描かれている。限定的なものだが、その分自前で持っていた大陸地図よりも精度は高く、正確だ。
再び舞い降りた沈黙の中で、ジアトー~ゲアゴジャ間の道を確認する。
距離はおよそ四〇〇㎞で間違いはなく、その間の道のりは今走っている五号道路を南下するだけの一本道だ。迷いようがない。交通法規も右側通行という点に気をつければ、日本の道路交通と変わりはないようだ。交通標識も日本のもので、表記された文字も日本語である。
異世界転移の話で見かける、文字の読み書きに四苦八苦することがないのは朗報だ。よかった探しはしてみるものだ。
ただ不安があるとすれば、この五号道路にはほとんど何もないことだ。
「タコマやオリンピア、ロングヴュー、ヴァンクーヴァーがない」
ハイマート大陸の都市の位置と、北米大陸の都市の位置はほとんど同じだ。ジアトーに当たるのはシアトルでゲアゴジャに当たるのがポートランドになるのだが、その二つの都市の間には先に言った幾つかの衛星都市になるような街が存在する。しかしこの大陸ではそれが存在しない。もしジープが不調で立ち往生したら、ゲアゴジャまでの長距離を歩く羽目になりそうだ。
早くも準備不足で出発したツケを払うことになってしまった。今はまだ懸念材料で済んでいるが、補給が心配になってきた。
予定通りに事が運んでいれば、幻獣楽団のメンバーとともにこの辺りのことを含めて協議できたはずだった。もうそれも叶わない話だが。
「で、でも無事に脱出できて良かったすよね。ケガらしいケガもないし、終わってみれば結果オーライって感じで」
とうとう沈黙に耐えかねたのか、マサヨシ君が話を切り出してきた。この辺りの勇気はとても感心できる。自分では逆立ちしたって真似できない。
その勇気に敬意を表して、話に乗る事にした。ひとまず、幻獣楽団の事でも話題に出してみよう。
「確かに、軍隊に攻め込まれてケガ人がないのは幸運だった。雪さんも無事に拠点に辿り着けたと話していたし、ライアさんも大丈夫だったそうだよね?」
「う、うん。途切れ途切れだったけど、無事だって」
強引に水鈴さんまで話に巻き込んだが、車上の空気を一新するには協力願いたい。
街の脱出後に雪さんと連絡を取ったが、長距離通信出来ないという念会話の限界を身をもって知った。街からそれほど離れていないのに昔の国際電話のように電話が遠くなっていた。聞き取りに難儀しながらも無事だと確認できたところで通信が切れてしまい、水鈴さんも似たようなものだった。
能力的に見れば、念会話は程度の良いトランシーバーぐらいだろうか。電波と違って建物や地形の影響を受けない分、性能は上だろうが。
何にしろ、向こうが無事だと気が軽くなる。いつの間にかハンドルを握り締めていた左手が緩くなるのを感じる。思っていたより肩に力が入っていたようだ。
「で、これから行くゲアゴジャまでどの位で着くんすか? 四〇〇㎞ってことは、夜辺りにでも到着か」
「いや、もっと時間はかかる。最低でも一泊は野宿だと思う」
「野宿って、うわぁ。アリっすか」
「アリ」
マサヨシ君は夜にも到着すると思っていたようだ。だが、この世界を鑑みるとそれは甘い認識かもしれない。
ゲームでは移動にかかる時間は短縮されて、この二つの都市間でも移動時間は長くても三〇分で済んだ。マサヨシ君も流石に四〇〇㎞の移動がそんな短時間で終わるとは考えなかったが、彼が言ったのは整備された高速道路での認識である。
今走っているような未舗装の道路になるとぐっと速度は落ちて時間がかかる。途中に街がない以上は一泊ぐらいは野宿を覚悟した方が良い。
「野宿って、出来るかな」と頭を抱えるマサヨシ君に、その様子を見て軽く微笑む水鈴さん。どうやら車内の空気はうまい具合に一新されたようだ。マサヨシ君のこういう能力には頭が下がる。
重苦しい空気から開放されたところで、改めてジープの運転に専念しよう。まずは今まで見る余裕のなかった各種計器類に目を向けて、車の状態をチェック。
速度計は時速六〇㎞前後で安定している。昨今の車からすると遅い分類だろうが、未舗装な上に旧車のジープではこんなものだ。他の計器も概ね問題なし。潜伏中に点検して各系統に異常がなかったのは確認済みだ。これならゲアゴジャまでは保つだろう。さっきまで不安になっていたのが嘘のようだ。
そう軽く思っていたのが悪かったのか、戒めのように悪い知らせ《バッドニュース》がすぐに来た。
計器を一通り見たが、一個気になるメーターが目に止まった。これは……燃料のメーター。残量は……ほとんど無い!?
炎天下に関わらず、急速に寒くなる背筋。パニックに陥りそうな頭を落ち着かせ、過去の自分の行動を振り返る。潜伏中にジープを点検したが、燃料の残量を確かめただろうか? いや、していない。ラジエーター、バッテリー、タイヤ、エンジンオイル、エアフィルター、プラグといったものは確かめていながら、何で肝心の燃料を確かめなかったのだ自分は。
……あ、そうか。自分はまだゲームの思考から抜け出ていなかった。ゲームでは燃料の事を考える必要はなく、戦車でどこまでも走っていく真似さえできた。だが、こちらは様相が違っても現実。燃料が無ければ車両は走らない。
「主、どうした? 何やら気分が悪そうだが」
「ジン」
後部座席で水鈴さんと並んで座っていたジンがこちらの変化を察して声をかけてきた。この察しの良さは流石使い魔なんだろう。
こちらの身を案じるのが声だけでも分かるジンに背中を押されて、二人に向かって口を開いた。どの道、隠したところで良いことなど何一つ無い。
「みんな、悪い知らせだ。車の燃料がもう無い」
「はい?」
「無いって、燃料が?」
「そう」
振り返って考えてみれば、このジープは銀月同盟のリーダーが保存用にしていた物になる。状態が良いのはともかくとして、街を脱出できるだけの燃料があっただけ運が良いのだ。
この悪い知らせに真っ先に反応したのはやはりマサヨシ君だった。水鈴さんは何やら考え込みだして、アゴに手をやっている。
「どうするんすか!? 燃料無いって、もうすぐガス欠で止まるんすか」
「そうなってしまうね。水鈴さん、後ろにあるジェリ缶に燃料はある?」
ジープに限らず、軍用車両は予備燃料を別に装備している。ポリタンク似のジェリ缶がその容器で、予備タイヤと一緒に後部にマウントされている。
それに燃料があれば、と思って後ろの席に座った水鈴さんに声をかけてみた。
「ジェリカンって、このポリタンクみたいなの?」
「そう」
「ダメね。中身は空よ、軽い。振っても水音がしないわ」
「分かった。ありがとう」
さて、いよいよ事態は深刻になってきた。後悔したり、謝罪したりは後にして今は打開策を考えなくては。
このまま進むのは無理。すると、一度ジアトーに戻って燃料か、燃料満タンの車を調達してから改めて出発するのが一番現実的な方法だろう。
問題は軍が進出している街に侵入して、燃料や車を掠め取ってくる事が可能なのか。けれどそれは街に着いて帝国軍の様子を探ってから考えることだ。
とりあえずUターンして、燃料が許す限り街まで戻って、途中でガス欠になれば歩きだろうな。
「街に戻って、燃料か車を調達しよう。すまなかった私の手抜かりだ」
「いいっすよ、ルナさんが謝ることないっす。こうして無事なのはルナさんのお陰なんだし」
「気に病むなら、すぐに次の策を打つことだ主。それがなによりの誠意の表し方だ」
「…………あ、ありがとう?」
強引に脱出を提案しておいてコレだ。責められても文句は言えない。しかし、こう慰められると、こそばゆいやらむず痒いやらで変な気分になってくる。嬉しいとはまた少し違うが、悪くはない。
妙な気分になりながらも、ハンドルを切ってUターンしようとする。でもその前に水鈴さんが声をあげて制止してきた。
「待ってっ! あれ、ガソリンスタンドじゃないの」
彼女の示す先を目で追ってみる。ゲアゴジャへ向かう荒野の一本道。基本的には平坦な道だが、丘を越えたり林を抜けたりと起伏はある。彼女が指した場所は、道の先にある丘の稜線だ。
そこに看板らしいものが立っており、建物が見える。遠目だけど、確かにスタンドに似ている。あそこまでは目算にして約一㎞の距離か。
「こんな辺鄙な場所にスタンドなんてあるか?」
「この道を行く車が相手の商売、とは思えるがな。主、どうする?」
ジンの問いかけに対して自分の決断は早かった。切ろうとしたハンドルを戻して、スタンドらしい建物にジープの進路を向けた。
今からUターンしても、あの場所でUターンしても大差はない。であれば、せめて希望を見出したいのが自分の考えだ。
「行ってみよう。手元にあるお金は使えるんだったよね?」
「ええ、それは暴動が起きる前にチームのみんなが確認した。物価はゲームの時より安いかな」
「そういや、そうだったな。チョコバーがやたら安かった記憶がある」
「クッ。チョコバーか」
「何だよ、文句あんのかよ黒生物」
「別段。ただ、この期に及んでも食い意地が張っているように聞こえてな」
「てめぇ……」
車の前と後ろで賑やかな事になっている。けれど、これはこれで良い傾向と思うので止めることはしない。重苦しい空気より、騒がしくとも心が軽くなる雰囲気が望ましい。
ガス欠寸前のジープを引っ張り、スタンドと思わしい建物へ。出発当初の重い空気は排気ガスと一緒にどこかへ行ったようだ。
けれども、やっぱり騒がしいのは好きじゃないな。
◆
目的の建物は希望通りのものだった。コンクリートの頑丈な建材で建てられた白い外壁のガソリンスタンドが、近づくにつれてハッキリと姿を現した。
給油するのに最適な位置にジープを横付けしたところで、エンジンが勝手に停止した。どうやらガス欠で止まったようだ。相当にギリギリだったと思い知らされる。このスタンドが無かったら、歩いてジアトーまで戻る破目になっただろう。
今後は燃料も含めて消耗品はよく確認しようと内心誓いを立てた。補給を疎かにして上手くいった事など古今東西ありはしないのだから。
「店員とか出てきませんね」
「たぶんセルフ。事務所にいってお金を払うんだ」
「ああ、なるほど」
マサヨシ君が物珍しそうにスタンドを見渡している。水鈴さんは若干疲れた様子で顔を俯かせていて、眠いのかもしれない。ジンもマサヨシ君みたく周囲の様子を見ているが、こちらは索敵だろう。
このスタンドはそれなりに年季が入ったもので、白い塗装が所々剥げ落ちて、荒野の土埃で全体的に薄汚れ、あちこちにヒビが入っている。でもスタンドの機能としては問題なく、閉店している様子も無い。店員が出てこないのはセルフ式で、客が事務所に入るのを待っているからだろう。
「じゃあ、事務所に行ってくる。雑貨屋も兼業しているみたいだけど、何か買ってこようか?」
「あ、オレも行っていいっすか?」
「ええ。水鈴さんは?」
「私はいい。でも、何か飲み物が欲しいかな」
「分かった。ジン、ここをお願い」
「承知した」
ジンと水鈴さんに留守を頼んで事務所に向かい、鎧姿のマサヨシ君がすぐ後ろにつく。
あー……今更だけど、全身甲冑の人が店に入るのは大丈夫なのか考えてしまった。モデル元のアメリカ合衆国でもアウトと思う。でもここはハイマート大陸、習慣だって違うはずだ。問題があったらその場で対処していこう。
自分だってショットガンは車に残したけど、腰のモーゼルは着けたままじゃないか。外からでも見える銃の携行、オープンキャリーはアメリカでも否定的な場所がある。ここではどうか分からない以上、その場で対応していくしかない。願わくば官憲の類に目を付けられないように。
雑貨屋を兼業する事務所のドアに手をかける。荒野の砂埃で汚れきったガラス扉は軋んだ音をたてて開いた。
その途端、濃厚な匂いが鼻を衝く。鉄臭く、どこか甘露な匂い。この数日で嗅ぎ慣れた匂いだ。
間違いない。血の匂いだ。それも濃度からすると、かなり大量な血が流れている。そんな事態があるのは医療現場か鉄火場の中ぐらいだ。
右手が素早くモーゼルのグリップを握り、抜き出すと同時にハンマーを起こす。薬室にはもう弾が入っている。後は引き金を引くだけでモーゼルは火を噴く。
「る、ルナさんっ、何なんすか!? いきなり銃を抜いて――むぐっ!」
『静かに。君も武器を構えて。血の匂いがする』
驚きで声を出したマサヨシ君の口を左手で塞ぎ、念会話で状況を教える。すでに事が終わった後かもしれないけど、安全が確認されるまでお喋りは禁物だ。
彼の方でも理解が及んだらしく、持っていた盾から斧を抜き出して周囲を見渡す。自分も彼にならい、周囲に警戒の目を向けた。
『街の暴徒連中、ここまでやって来たんすかね?』
『分からない』
ジアトーの街からここまでは車で三〇分以上の距離だ。周囲には何もなく、このスタンド兼雑貨屋の建物がポツンと建っているだけ。こんな場所まで暴徒が来るだろうか?
店内は正面のカウンター、左に三列の陳列棚が置かれて商品が並んでいる。ドライバー相手の商売らしく、カー用品と食品が目立つ。ちょうど補給に不安を覚えたところだ、安全が確認されればここで何か買い足すのも良いだろう。
ふと、吹き込む風の音に混じって水の音が耳に入る。生々しい何かを噛み砕くような音。そう、思い切り下品に食事をすればこんな音が出るかもしれない。
音源はカウンターの裏側から。両手でモーゼルを保持して、銃口を向けつつ裏に回りこんでみる。
『ルナさんっ』
『分かっている。気をつける。援護を頼む』
心配から声をかけただろうマサヨシ君に背後の安全を頼み、音源に近づいた。
「――っ。これは」
視界に捉えたカウンターの裏側。そこにはこのスタンドの従業員だったものと、それを組み敷いて従業員を『食べている』獣がいた。
大まかな形状は犬か狼。大きさは大型犬ほど。灰色の体毛のあちこちに返り血と思える赤い斑点があった。
その獣は従業員だった肉塊に頭を突っ込んで夢中になって食事をしていたが、間近で聞こえた自分の声に動きを止めてこちらを向いた。
狼の面相を血で真っ赤に染めた獣。開いた口から零れ落ちたのは従業員の腸だった。ぼちゃりと血の海に腸が落ちる。音に背中を押された自分の行動は早かったように思う。
迷わず獣に銃口を向け、二発。引き金を引いた。火薬が爆ぜ、手に軽い反動。至近距離にいる獣の体から血が吹き出す。
獣のダメージはまだ確認しない。そんな暇があるならさらに弾丸を叩き込む。獣に向けて一気に近づき、獣の体に足を踏みおろす。同時に頭めがけてさらに三発の弾丸を撃ち込んだ。
空薬莢が床に転がる金属音、火薬の焼ける臭いが店内の沈黙を埋める。
体感としては一〇秒、足蹴にした獣を見下ろしたが動く様子はない。さすがに死んだと思って問題ない。
そう結論を下して、気を抜こうとしたらマサヨシ君から肉声が飛んできた。
「ルナさん! 後ろ!」
声と同時に自分に近づく何かを察知。考える余裕はない、行動は反射の支配に任された。
モーゼルから左手を外し、左のホルスターに飛ぶ。グリップ、ハンマー、サイティング。一秒に満たない時間で全てを終わらせ、振り向き様に迫る何かに向けて弾丸を撃ち放つ。
三発、撃ちこんだ。目の前に倒れこんだ獣がその成果だ。これも今踏みつけているものと同種のようだ。動く様子はなく、充分に致命傷を与えられたみたいだ。
「何なんすか、コレ」
「さあ……見覚えはあるような。あ、あとこっちに来ない方がいい。従業員の人が亡くなっている」
「うえ。暴徒、軍隊の次はバイオハザードっすか。気が滅入ってきそうだ」
左右二挺のモーゼルでそれぞれの獣を警戒しつつ、カウンターから離れる。自分も好き好んでスプラッタ死体と一緒に居たくはない。
それよりもマサヨシ君に言ったように、自分はこの獣に見覚えがある。そうだ、ここが『エバーエーアデ』の世界観と酷似した世界ならば答えは導かれる。
犬型の魔獣の一種にコレと同じものがあった。
「軍隊狼に似ている」
「ソルジャーウルフって、低レベル小型魔獣のアレ? ワラワラしている」
「そう」
「言われみると、確かに。いや、まんまじゃないっすか」
モニター画面で見たものと、こうして肉眼で見ているものとで違いはある。でも、特徴からして問題の魔獣と目の前の獣は良く似ているのだ。
軍隊狼は、ゲーム『エバーエーアデ』においてはザコ敵、いわゆるモブエネミーと呼ばれる位置付けにあった。ゲームを始めたばかりの初心者が最初に当たる難敵でもあり、一体の能力は低いものの、仲間を呼び寄せて連携してくる。一挙に蹴散らさないと次々と仲間を呼ばれて泥沼にはまるのだ。マサヨシ君が「ワラワラしている」と言ったのは、この部分の特徴を捉えた言葉だろう。
しかし、いくらゲームと似た世界であってもモブエネミーまで出現するとは。この分では、大型魔獣や神獣の類まで存在していそうだ。
少し考えに沈んでいたのが悪かったのかもしれない。自分達が動きを止めたのを隙と見て、マサヨシ君の横合いからさらに一匹飛び出てきた。
「マサヨシ君、9時方向! 左だ」
「え!? うおっ」
飛びかかって来たのは、やはりソルジャーウルフ。マサヨシ君の首元目掛けての跳躍だったが、彼がとっさに構えた盾で阻まれる。重量物が当たったことで、全身鎧の体はたたらを踏む。
援護射撃は角度的に厳しい。下手したらマサヨシ君に弾が当たってしまう。そうしない方法は『ルナ』がやっていたが、ぶっつけ本番でやるようなものではない。
射角を変えようと、素早く移動する。でもその前にマサヨシ君が決着をつけた。
「このおぉっ」
振り上げた戦斧が唸りを上げて、敵に叩き込まれる。盾にぶつかった事で動きが止まっていたソルジャーウルフは、よける事もままならず頭に斧の一撃を受けて絶命した。
重量級の斧とマサヨシ君の能力が生み出した一撃は、狼の頭をかち割るだけに止まらず床にまで突き刺さって、敵を昆虫標本のように縫い止めてしまった。
斧が引き抜かれた後には、頭部がミンチになったソルジャーウルフが床に這いつくばっている光景が残される。重戦士系の攻撃力はゲームのデーターとしては知っていたが、こうして現実に目の当たりにすると恐るべきものだ。
「はあ、はぁ、はあ……」
マサヨシ君の息が荒い。一瞬の命のやり取りは彼の心を強烈に圧迫したようだ。血の滴る斧を見下ろして動きを止めている。
こんな彼に何か気の利いた言葉の一つでも言えたら良いのだろう。でも、それが出来たら今の自分はこうなってはいない。かける言葉に迷っていたが、状況は待ってくれない。
『主、急いで来てくれっ! 外に軍隊狼の群れが来ている』
『外もか。分かった』
ジンの切迫した念会話が来たことで、次の行動は決まった。
考えてみれば、店内だけに敵が居るのは不自然だ。外にも相応の数が揃っていることだろう。
固まっているマサヨシ君に声をかけようと、口を開き、次の瞬間閉じてしまった。外から響いた爆音が周辺の空間を圧迫し、店のガラスにヒビを入れた。至近距離で打ち上げ花火が炸裂したかのようだ。
「な、な、今度はナニ!?」
『外だ! 水鈴さんのところにも敵が来ている!』
爆音で耳が少し遠くなったせいで、念会話で話す状況になってしまう。けれど爆音のお陰でマサヨシ君の硬直が解けたようだ。こういうのも怪我の功名だろう。
『ジンから念会話が来た。切迫している様子だ。助けに行きたい』
『……うっすっ! 行きましょうルナさん!』
自身を鼓舞するように力強く頷くマサヨシ君。無理をしているのは察しの悪い自分でも分かる。その無理に頼らなくてはいけない現状に心苦しさを感じ、気が重くなる。こんな風に気を遣ったり、遣われたりが嫌だから独りになったのに、人である以上は逃れられないのか。
軽く憂鬱になったけど、状況はやっぱり待ってくれない。爆音に釣られたのか、店内のあちこちの物陰からソルジャーウルフが顔を出してきた。
『うわぁ、ゲームの時と同じだ。マジワラワラ出てきた』
『相手をしている暇はない。すぐに出よう』
幸い出入り口はすぐそこ、相手をしなければ脱出は簡単なものだ。
マサヨシ君を先に行かせ、背中を見せないように二挺のモーゼルで牽制しつつガラス扉を潜る。飛びかかって来た二匹ほどを射殺し、スタンドのコートに戻る。
すでにそこでは戦闘が始まっていた。
◆◆
外に出て真っ先に目に入った光景は、ジープを何重にも囲んでいる軍隊狼の群れだった。
概算して三十は下らないだろう数の獣が一台の車を囲む光景はエサに群がるアリを思わせ、実際のところも似たようなものだ。
中心に居て囲まれる状況に置かれた水鈴さんとジンは、懸命に応戦している。
体を戦闘体型にして黒ヒョウの体躯で狼達と相対するジン。彼は両肩の触腕をしならせ、次々と相手を打ち据える。そうかと思えば、素早く接近してその爪と牙で切り裂く。静から動、動から静へと緩急をつけて駆動する彼の動きに狼達はついていけない様子だ。
水鈴さんの戦闘も様になっている。手に白木造りの短刀を持ち、それで狼達の攻撃を捌きつつ攻撃魔法を撃ちこんでいる。外から見た効果として圧縮空気を用いた打撃と斬撃。狼達は吹き飛ばされ、切りつけられる。間合いが近いこともあって詠唱が必要な魔法は使わず、一挙動で出せるものに絞っている。彼女の魔法選択の判断力は高いようだ。
「てぇぇい!」
走る勢いを緩めることなく、群狼にマサヨシ君が突貫する。構えた盾を衝角にして狼達を撥ね飛ばし、ジープまでの道を強引に作り上げた。見事な突進だ。
彼の後をついていく自分もただ観客に甘んじるつもりはない。モーゼルの残弾全てを使ってマサヨシ君が作った道を広げる。
ジープに辿りつけば、すぐシートの脇に置いたウィンチェスター散弾銃を手に取った。素早く用心鉄を兼ねたレバーを前後に動かし、金属のすれる音とともに弾薬が装填される。
装填されたのは鹿撃ち用のバック弾。散弾に慎重な狙いは無用だ。いかに早く標的を捉え、いかに早く撃つかが重要。銃を構えた自分は、一切の迷いなく狼目がけて引き金を引いた。
野太く短い銃声。モーゼルよりも強烈だが、やっぱり軽く感じる反動。しかし12番ゲージの威力は確かで、狼が一匹仕止められ、近くにいたもう一匹にも手傷を負わせた。
レバーを操作して排莢、装填。撃ちガラとなった空の弾薬が地に落ちる。横を見れば、すぐそばにジンが来ていた。
「主、水鈴に何か言ってくれないか。こんな可燃物がある中で爆炎呪紋を使ったんだぞ」
「悪かったわ、反省しているじゃない。注意受けてから、こうやって火を使わない魔法を選んでるし」
「雷撃もダメだからな」
「知ってるって」
なるほど。あの爆音の正体は水鈴さんの魔法だったのか。少し周囲に目を移せば、黒コゲになっている狼が何体か倒れている。
恐らくは死んでいるのだろうが、こうしたエネミーも死んで消える事はないようだ。改めてゲームとこの世界との違いを確認させられる。
それにしてもこんな状況で、こんなやり取りが出来るとは余裕があるな。自分は割りと一杯一杯な気分なのだが。不用意に近づいてきた軍隊狼に散弾を見舞いつつ、精神的に逞しい水鈴さんに感心してしまう。
こんな彼女に贈れる言葉は少ない。
「とりあえず、今の調子で撃退していこう」
「うん、ルナは話が早い」
「撃退っすか! 逃げるんじゃなくてやっつけるんすか」
「そう」
前面に出て狼達の攻勢を防いでいるマサヨシ君の言葉に頷く。
ジープは燃料が切れ、徒歩では荒野の中に逃げたところで追いつかれる。ここは狼達が撤退するまで粘るか、でなければ滅ぼすしか道はない。
もう一匹、不用意に間合いを詰めてきた狼に弾を撃ち込み、レバーを操作。空薬莢が飛び出す散弾銃を両手に構え、残る狼達を見据える。
獣性の中にある明確な敵意。元の世界の獣でも見かけたことがない程の敵愾心が自分達に向けられている。なるほど、これが『魔獣』というものなのか。明確に人に敵意を持ち、本能として人と敵対する獣。相対すれば、殺し合いしか手段が存在しない。そんな相手だ。
「戦うしか手段はない、そういう事みたいだ」
生き残ることが自分の目的である以上、殺されないために銃を取る。戦うと決めたら、迷いはしない。
自分の口から出た言葉に二人も何か思う部分があるのか、自身の得物を構え直し、気を引き締めた様子を見せる。
周囲をざっと見渡す。狼の残りは二十ほど。その全てを相手にすると仮定――大丈夫、今の自分達なら勝てる。
「うっし! いくぜコラぁぁ!」
吶喊と突貫。ときの声を上げて狼達に踏み出すマサヨシ君を皮切りにして、戦いは加速した。