18話 脱出
銃火の下で脱出は始まってしまった。それも自分やマサヨシ君、水鈴さんはもちろんの事、この場にいない雪さんやライアさんも予想にしなかった形で。
『じゃあ、あたしはこのまま拠点に向かった方が良いのかな?』
『外にいる方が今は危険だ。ライアさんは何と?』
『脱出の用意が出来ていない以上は篭るって。一応水と食料の備蓄はあるし、出来る限り篭城して隙を見るみたい』
『分かった。こちらは食料はともかく水と電力が厳しいから脱出を試みる。成功したら連絡する』
『うん、そう伝える。じゃあ』
『ああ』
念会話で先発していた雪さんと必要な連絡を交わしながら、拠点の廊下を進んでいく。警戒は怠らず、先頭にジンを配してポイントマン役。次にマサヨシ君、水鈴さんを挟み、最後尾の殿役に自分が就いた。
前を行く二人の顔色は悪い。さっきから耳に入る連続した銃声と爆発音が否応もなく緊張を強いて、マサヨシ君などは手に持った盾を強く握りしめているのがここからでも分かる。
すぐ前の水鈴さんに目を移すと、振り返って紅色の目を合わせてきた。彼女も自身の拠点と連絡を取っていたようだ。
「ルナ、リーダーと連絡とったのだけど、私も一緒に脱出して良いかしら」
「ここでバラけて移動するよりは安全策だね。その提案、ライアさんから?」
「ええ。水鈴をよろしくお願い、だって」
「マサヨシ君、こういう状況下で聞くのは卑怯と思うが、君は彼女と一緒に街を出るのに賛成?」
「う、うっす。問題ないっすよ、そのぐらい。さあ、行きましょ」
「焦るな戯け。主、外の警戒を抜かりないように」
「ああ」
急に決まってしまった脱出行に二人が乗ってくれたのは嬉しい。軍隊が侵攻している街に居続ける理由がない以上、速やかに脱出にかかった方が良い。
大所帯で身動きが取れない幻獣楽団を見捨てるような真似をしてしまったが、向こうも承知してくれているなら気が楽になる。せめて任された水鈴さんの面倒を見るのが彼女達に対する誠意の表し方だろう。
気を取り直して歩を進め、即席の隊列は階段を下りて一階のエントランスへと向かう。
先日の混乱で廃墟と化した街並みが、より酷く凄惨な風景へと変わっていく。
さっきの列車砲による砲撃で街にあった幾つもの建築物が倒壊して、さらに侵攻してきた歩兵部隊によって街の傷口は広げられていく。銃声の種類からして彼らの武装は小銃にサブマシンガンと機関銃、時折聞こえる爆音は手榴弾だろうか。兵隊としては第二次世界大戦の時を思わせる。小さな砲声も聞こえるから野戦砲か歩兵砲もあるようだ。
軍隊の侵攻に対して、ジアトーの暴徒達の抵抗は無力に近い。確かに個人としての戦闘能力はプレイヤーである彼らが俄然高い。しかし、組織としての能力は軍隊の方が高く、いくら能力が高くても所詮個人の集まりでしかない暴徒は数に潰されていく。
階段を下へ下へと降りつつ、自分の頭は復習としてゲーム『エバーエーアデ』の事を思い返していた。
ゲーム中では、ハイマート大陸は概ね三つの大国によって治められていた。大陸の西一帯を治める『デナリ首長国』、大陸の東一帯の『プレーリーブリティカ連合王国』、北方の『アードラーライヒ帝国』の三ヶ国だ。後はポツポツと有力な都市国家が存在するが、概ねこの三ヶ国が大陸の覇権を競うメインプレイヤーと考えて問題ない。
プレイヤーはチームの所属とは別に所属する国家というものがあり、大規模な『戦争イベント』に参加したり、逆に国家を超えて交流を楽しんだりしていた。自分はこの中でデナリ首長国を選び、大陸西海岸のジアトーに活動の拠点を置いていた。
ゲーム内でのイベント進行上、それぞれの国の軍隊と戦闘する場面もあった。NPCでありモブの敵キャラ扱いだった彼らは、ほとんどの場合は数が多いだけでプレイヤーに脅威足りえなかった。
それが、ここでは勝手がまるで異なっている。
侵攻してくる兵隊の装備、軍服のデザインはドイツの旧軍と酷似している。ゲームでの知識がそのまま正しければ、進行してくる軍勢はアードラーライヒ帝国だ。
彼らは多数のトラックで街中に乗り込み、機関銃の援護で効率良く抵抗する者を排除していく。手榴弾を放り込み、サブマシンガンで掃討し、小銃で狙い撃っていく。驚異的な能力を持ったプレイヤーが現れれば、戦車や砲撃を要請し制圧。誰もプレイヤーの土俵で戦う事はしない。
この街で行われていることは、殺し合いなどではなくただ一方的な『殺し』だ。上位者の命令の下に効率良く敵を無力化していく組織、ゲームでは存在しなかった正真正銘の軍隊である。
仮に彼ら帝国の軍勢との戦闘を想定してみた。深く考えるまでもなく、短時間で戦死だ。やはり逃げるか、隠れるかするのが個人で出来る精一杯になってしまう。
「ちいっ、マズイな。帝国軍が来たぞ」
ジンの舌打ち混じりの声で思考していた頭は、急速に現実に立ち返る。
部隊の展開が早い。せめてジープに乗り込むまで待って欲しかったが、彼らが待ってくれる道理などあるわけがない。
階段の柵越しに下の路上を見やれば、後輪が履帯になっているハーフトラックが一台、横道から現れてこちらに向かってきている。乗っている兵員は一〇人ほど、一個分隊規模だ。
「急いで降りよう。まだトラック一台だけど増援を呼ばれる」
「うっす。あ、気づかれたっぽい」
「え? ――きゃっ」
マサヨシ君の声と同時に、プンっと空気を切り裂き一発の弾丸が飛んできた。
金属音を響かせて、柵に弾丸が当たる。ハーフトッラクからの銃撃だ。距離は三〇〇mほどで、スコープなしだとしたらかなりの腕前だ。もう見つかるとは、目も良いな。
「怪我はない?」
「う、うん」
「じゃあ急ごう。連中はすぐに来る」
警戒した歩きから、急ぎ足へと足が速まる。階段を数段飛ばしで駆け下りて一気に下を目指していく。視界の端では、ハーフトラックが速度を上げてこっちに迫って来ていた。
荷台にいる兵士が小銃を構え、据え付けている機関銃の銃口が上がって、火を噴いた。
すぐに結果は現れる。自分達を中心に弾丸が跳ね回り、壁や柵の塗装をそぎ落とす。コンクリートの壁面に穴があき、銃弾が近くを飛ぶ音は恐怖を煽る。剥げた塗装は身にかかり、茶色のジャケットが灰色がかる。
連続して響く音は聞かされる側の足を止めようと唸る猟犬のようだ。
「うぉぉ」
「ひゃぁぁ……」
「全員止まるな。駆け抜けろっ」
前の二人が銃弾で混乱しかかっているお陰か、自分はあまり動揺しないでいれた。前から聞こえるジンの叱咤に引っ張られるように足が進む。周囲が混乱すると冷静になれる時があるが、今の自分がそのようだ。
階段を降りきれば、次にエントランスを横切り地下駐車場への扉を潜ればいい。幸いさっきの銃撃では誰も怪我をしなかったが、これは十中八九、威嚇射撃であり足止めが目的だろう。現にそれは成功している。
階段を降りた時には、すでに玄関先にハーフトラックが横付けされて出入り口を塞いでいた。さらに荷台から兵士が次々と降り、こちらに銃口を向けている。その動きは水際立ったもので、戦闘訓練された兵士だと一目で分かる。
実に行動が早い。
「出て来い! 今出てくれば、不当な扱いはしないと約束する」
サブマシンガンを持った指揮官らしき男がこちらに投降を促している。その周囲でもボルトアクション式の小銃とサブマシンガンを持った兵士が四人。ハーフトラックには後詰の兵員が五人。車載機関銃の銃口もこっちを向いている。あっという間に不利な状況に置かれた。
「……間に合わなかったか」
連中の様子を階段の物陰で窺いつつ、ため息を吐いた。彼らが来る前にジープに行き着けばと思っていたが、甘い見通しだった。
今居る物陰から駐車場への扉までは一〇m。その間に無防備になっていれば蜂の巣になってしまう。
振り返って二人と一匹の様子を窺う。ジンは落ち着いた様子でこちらを見つめており、自分の命令を待っている。彼はまず大丈夫だ。次に水鈴さんは、顔は緊張で強張って目が潤みかけているけど動けると思う。最後のマサヨシ君は、銃撃の最中に兜の面体が降りてしまい、そのせいで顔が見えない。辛うじて見えるのは瞳ぐらいだけど、そこに感情を見出せるほど自分の対人スキルは高くない。
「どうする? 主」
「そうだね……」
ジンに問われるまでもなく、すで頭は打開策を打ち出そうと幾つかの案を捻り出している。幾つもの案が泡のように出ては却下されて、数個の案が保留。現状でまともに使える戦法が出てくるだけマシだ。
そうだ。何か意見はないか聞いてみよう。自分では思いつかない方法もあるかもしれない。
「何か考えある?」
「オレは何も。もう訳分かんないっす」
「ねえ。いっそ投降する、というのは?」
マサヨシ君はさっきの銃撃がよほど精神にきたのか、疲れた感じで呟いている。一方で意外としっかりしている水鈴さんは、彼らに投降する提案をしてきた。それも普通ではまともな考えになるだろうけど、『エバーエーアデ』を思い返せばその選択は厳しい気がする。
「水鈴、帝国は人種以外は浄化と称して殺してしまう国だ。妖狐族の君や月詠人の主が投降しても未来は明るいとは言えないな」
「そんな。それ、まともじゃないよ」
「まともじゃないのさ、彼らはな」
ジンが言ったように、帝国では人間種族以外の他種族を排斥し、純血を保つことを国是としていた。ゲームではそういう設定だったのだ。『エバーエーアデ』では人種以外で帝国に居を構えるのは難しく、色々と制限があったと覚えている。その設定がそのままこちらに持ち込まれたのなら、月詠人の自分と妖狐族の水鈴さんは投降してもまともな扱いを受けるとは考えにくい。
街を侵攻する帝国軍の様子を見ても、一般市民に対する配慮は見受けられない。現代のまともな思慮を持つ軍人が見れば失神ものだ。
こうして投降勧告するだけマシと思えるが、何時攻撃してくるか分かったものではない。
玄関先の兵隊達の様子を見ながら、改めて取るべき策で頭を捻っていると、マサヨシ君が面体を上げてこちらを見ている。何か言いたいのか、口が開いている。
「ルナさん」
「何?」
「ルナさんって、月詠人だったんすね。知りませんでした」
「言ってなかった?」
「ええ、初耳っす」
「そう」
そういえば、種族に関して言った覚えはなかった。月詠人の外見は、エルフよりも人と見分けが難しい。せいぜいが月詠人専用の瞳の色が存在するぐらいで、それだってあまり知られていない。これはこの種族のなり手が少ないせいで情報が不足しているからだ。
あ、この切羽詰った状況で思考が脇道に逸れてしまった。これも現実逃避の一種だな。
一応策は組みあがったけど、危険な作戦だ。それでも成功の見込みは考えた中では一番高い。話の切り出しとして、彼が話しかけてきたのはちょうどよかった。沈黙を破るにはそれなりの精神的労力が必要とされるものだ。
「マサヨシ君、他のみんなも聞いて欲しいのだけど」
「なんすか」
「ここを突破しようと思おう。方策は考えた。質問意見が欲しい」
「マジっすか」
「マジだよ」
投降も射殺されるわけにもいかないなら、突破しか道はない。
向こうの指揮官がいつまでも悠長に待ってくれるとは思えないから、みんなには手早く端的に話をしてしまう。話を手短にするのは割と得意だ。
話をした後、二人の反応は二色に分かれた。銃火を潜る恐怖と自分を心配する表情だ。この手を打つと一番危険な目に遭うのは、他ならない自分なのだ。
「ルナ、大丈夫なの? 貴女一番危険じゃない」
「押し問答している時間はない。代案や質問がなければこれで行きたい。それに勝算は十分にある」
心配そうな声を上げる水鈴さんに言葉を返し、エントランスに侵入してきた兵隊達の顔を物陰から盗み見る。
欧州系の彫りの深い顔立ちだが、ゲームで見るような画一的な顔をしている者は誰一人としていない。彼らの表情も一様ではなく、ある者は緊張で顔を強張らせて、またある者は戦闘行為に気分を昂ぶらせている。NPCでは決して出来ない生の人間の表情が見て取れる。彼らもこの世界に生きる意思ある個人なんだと強く感じた。
こちらも人間、相手も人間。だとすれば、付け入る隙は必ず存在する。打つ手はまだある。兵士達の顔を見た自分はそこに勝算を見た。
◆
アードラーライヒ帝国陸軍第二方面軍第三師団。それが現在ジアトーの街に侵攻している軍勢の名称である。彼らの目標はこのジアトーを占領下に置き、大陸西海岸を平定する橋頭堡に仕立てる事にあった。この作戦は、すでに迂回路で首長国の首都へ進軍している機甲師団の補給路確保も兼ねている。
大陸にある三大大国の一角から大陸の覇者へ。これは帝国の積年の悲願であり、実のところ他種族への排斥運動は侵攻の名分を得る方便だ。
それでもその名分で侵攻している以上、人間種以外の種族を多く抱え込んでいる首長国の街への攻撃に容赦はなかった。
列車砲からの威圧目的の砲撃の後、歩兵部隊での市街地侵攻。航空部隊は首長国の各地へ出払っているために援護はなく、かなりゴリ押しな作戦行動だったが、要塞化も武装化もされていない街を相手にするならば十分だと上層部では判断されて、実際に順調に侵攻は進んでいた。
時折驚異的な力を持った住人の攻撃を受けて被害が続出しているが、それでも『個人』に過ぎない彼らは『組織』である帝国軍を止めることは出来ない。戦闘訓練を積んだ組織を相手にすれば、個人でやれることは余りにも少なかった。
被害を出しつつも、順調に侵攻を進める帝国軍。ルナ達の前に現れたその分隊も順調に行程を消化してやって来ていた。
分隊が所属する大隊はすでに割り当てられていたジアトーの一区画の占領を済ませ、今は抵抗する勢力や個人をじっくりと潰しにかかっている。
この分隊が命じられたのは占領区画の外縁部の巡察、パトロールになる。幾つもの分隊が小回りの利くパトロール部隊になり、市街地にいる抵抗勢力をあぶり出す。それが彼らの任務であった。
ルナ達を発見した彼らは、威嚇射撃で足止めしつつ接近。速やかにトラックから降りて散開、周囲に気を配りつつもルナ達に銃口を向けた。隊員達は隊長を除けば全員初の実戦になるけれど、それでも彼らは訓練通りに動けていた。
分隊長の軍曹は、建物内にいる住人に投降勧告を出しつつ、目だけ動かして自身の分隊の様子を窺った。
全員初実戦とあって緊張の色が隠せていない。特に最年少の一等兵なんかはガチガチで何かの弾みで銃を乱射しそうだ。銃口が向こうにいっているだけ救いはあるが、後ろに立って欲しくないタイプの新人だ。他の隊員たちも彼ほどではないが、顔を強張らせている。
分隊が所属する大隊で、何人かが街の住人の攻撃を受けて死傷した場面を見たからだろう。
軍曹は思い返す。手から炎を火炎放射器のように噴きつけてくる青年、馬鹿でかい銃器を片手で振り回して乱射してくる男、目にも止まらない動きで撹乱し切り裂く女、などなど人間の範疇に納まらない尋常ではない怪物がこの街にいる。
彼らは軍隊という組織によって圧殺されていったが、兵士個人としてはあんな化け物じみた連中とは戦いたいと思わない。
今投降を促している相手は、遠目に見た時は少女が一人、獣人が一人、鎧野郎が一人の三人におまけのデカイ猫が一匹。彼らも化け物みたいな能力をもっているとしたら、ここにいるルーキー達では制圧は難しいように思えた。増援を呼ぶ用意はさせたが、油断できない。
侵入した建物は分隊が来た当初から破壊された状態だった。いや、この建物に限らず街全体がすでに戦場跡のように破壊されていた。軍曹は与り知らない事だが、暴動でもあったのだろうと推測するできる。
分隊がいるエントランスも前は豪華な装飾がされたお洒落なマンションだったことを窺わせるが、今は無残な廃墟でしかない。投降を呼びかけている対象はエントランスの隅にある階段の物陰に固まって隠れているのは分かった。
手榴弾でも放り込んで簡潔に済ませる方法もあるが、この軍曹は無駄に死人を出す気はなかった。それに化け物であった場合は、突入も躊躇われる。だからこんな消極策をとってしまった。
彼らのその諸事情を知ってか知らずか、ルナはその怯みを隙と察して突いてきた。
階段の物陰からひょっこりと半分だけ顔を見せた少女がいる。分隊の視線と銃口は自然そちらへ向いた。目つきの鋭いブルネットの幼い少女。その瞳の色は満月を写しとったように金色だ。
軍曹はその瞳の色に引っかかりを覚えて一瞬気を緩ませ、分隊の隊員達も銃口を向けた相手が幼く見える少女と知って一瞬だけ動きが緩慢となった。プロの軍人とはいえ、一般市民に見える人間を相手に銃を向けるのは精神的な苦痛だからだ。訓練と教育によってその苦痛を少なくしているが、やはり一瞬のタイムラグはできていた。
次の一瞬には、彼ら分隊全員の視界が白く漂白されていた。それはそのタイムラグを計ったような悪辣な一撃、ルナによる閃光呪紋だった。
「ぐっ! 撃て、狙わなくてもいい! 撃ちまくれ!」
瞬時にこれが目潰しと理解した分隊長は、部下たちに射撃を命じた。分隊が無防備になるのは避けなくてはならない、たとえ無駄弾を撃っても牽制、制圧しなくては。
自身もサブマシンガンを持ち、腰だめに対象がいた辺りに銃弾をばら撒き、周囲の兵士達も次々と射撃していく。銃声のけたたましい音、空薬莢が床に落ちる音、目を潰されて恐怖に落とされた兵士の叫び声、それらに混じって酷く澄んだ金属音が向こうから聞こえる。
出来の良い鋼材同士を打ち合わせた音に似ている。実家が鉄工所を営んでいる軍曹はそんな思いにとらわれた。
光の暴力はそう長く続かなかった。時間にして数秒、サブマシンガンの弾倉から弾が消える頃には視界が戻っていた。
「全員、無事か?」
いまだに眩む視界の中で弾帯から新しい弾倉を取り出してマガジン交換しつつ、分隊長は全員の安否を確認する。文字通りのめくら撃ちだ、相手からの攻撃がなくても同士撃ちはありえる。
返ってきた返答は全員無事。分隊長は一瞬だけ安堵の息を吐き、すぐに気を引き締めた。こんな目潰し攻撃をしかけてきたのだ、向こうは何かしている。攻撃をしてこないなら、逃走が考えられる。
そこまで考えた軍曹は、サブマシンガンを構えたまま油断なく周囲の様子を観察する。硝煙が濃厚に漂うエントランスは銃痕が増えて無残さが増してしまったが、そんな事を気にする者はこの場にいない。
さらにさっきまでとの違いとして、近くにあった閉じていたはずの鉄扉が開いている。ここに逃げ込んだか。軍曹はそう判断して、部下にバックアップしてもらいつつ中の様子を窺う。
「階段? 地下室か」
扉の向こうは地下へ通じる階段だった。こんな袋小路に逃げ込んで篭城でもする気か、と思ったがすぐに違うと理解させられる。
コンクリートの壁に反響し、下から聞こえる音はガソリンエンジンの始動音。さらに路面とタイヤがすれるスキート音も聞こえた。地下駐車場! ここにいた何者かは車両で逃走する気だ。
今から駆け下りたところで追いつけない。なら出入り口を押さえなくては。
「駐車場の出口は分かるか!?」
部下達の返答はネガティブ。それが分かっていたら最初から押さえている。どうも出入り口は秘匿されている様子。今更ジタバタしても先に動かれてしまっては手の打ちようがない。
「大隊本部に増援を要請してくれ、この周辺で不審車両を洗う。この建物も索敵にかけよう。とにかく人員が必要だ」
次善の手で部下に指示を出しつつも、どちらも空振りに終わるだろうな、と奇妙に確信じみた予感が軍曹にはあった。それでも所定の任務を全うするべく、分隊長は職務に邁進する。それが帝国軍人としての当然の勤めだと信じて。
帝国軍の侵攻により、ジアトーの街が占領下に置かれるまでもう間もなくであった。
◆◆
胸を打つ鼓動は早まり、アドレナリンは意識を加速させる。昂ぶる胸の内とは裏腹に、表の顔はどこまでも凪いでいる。
銀月同盟の元拠点から街外れまではおよそ一〇km。徒歩では一時間弱の距離だったが、快調に動く四輪駆動車の走りでは一〇分ほどで駆け抜ける距離だった。
市街地では信号や交通制限もあったが全て非常時として無視。とにかく最短距離で街を脱出する道を爆走していった。パワステやABSといった電子的な運転補助装置が一切存在しないジープを振り回し、帝国軍と鉢合わせしないことを願いつつアクセルを踏み込んでいく。拍車をかけられた軍馬は主人の命に従い、ますます足を速めた。
自分達の他に走っている車は帝国軍のもの以外はなく、道は空いている。けれど暴動で壊れた物が路上に放置されていて、気を抜くとあっという間に事故を起こしそうだ。ハンドルを忙しなく右に左に動かして障害物を避け、速度を維持するのは神経を使う。それでも加速する意識は障害物を的確に捉え、パワステのない重いハンドルをやすやすと御していく。
市街地を爆走して、左右に揺れていたジープが落ち着きを取り戻したのは街を出てしばらくのことだった。
舗装された市街地の路面がむき出しの土のものに変わって、タイヤで巻き上げられた土砂が後ろに土煙を作る。
空気から血と硝煙の臭いは薄れ、乾いた大地の匂いが鼻をくすぐった。バックミラーを見ても追っ手の影はなく、どうやらようやく一息つける状態になれたと理解した。
「二人とも、もう大丈夫みたいだ」
「そうっすか。はぁぁぁぁ、しんど。マジしんどかった」
「ちょっと酔いそう」
助手席と後部座席で体を丸めて耐えていたマサヨシ君と水鈴さんは、ノロノロといった緩慢な動きで体を戻してシートに身を預けた。シートベルトを着ける暇もなく出発して、左右に激しく揺すられたとあっては生きた心地はしなかっただろう。
乱暴な運転をしてしまった事には申し訳なさを感じるが、こうしなければ帝国軍の占領スピードから抜け出ることは出来なかったはずだ。
地下駐車場から地上、郊外へと抜けるまでの道に帝国軍の手は及んでなかったのは不幸中の幸いだった。
「ルナ、貴女は無事? 今更かもしれないけど、いっぱい撃たれていたじゃない」
「そういや、そうだ。大丈夫なんすか?」
「うん。こうして車を運転できる以上は問題ないみたいだ。目論見は図に当たったかな」
「ならいいけど。何かあったら言って欲しい。何が出来るか分からないけど、何かしたいし」
「ああ、ありがとう」
二人が自分を心配する声をかけてくれることに感謝の言葉を返して、旧車でよくある細いステアリングを握りこむ。
あの時自分がとった戦法は、早い話が自分を盾にするものだった。
閃光呪紋で兵隊の目を眩ませ、その間に駐車場へ行く方法はすぐ考えついた。けれど、相手が乱射してくる事は大いに考えられる。そこで盾役が必要になる。ショットガンの散弾を防ぐ鎧を纏ったマサヨシ君が防御役に適っているけど、良い大人が年下と思える人間を盾にするのは気が引けた。水鈴さんもこれと同様。
では何か使えないか? 『ルナ・ルクス』の能力を思い返せば、防御系の魔法を習得していた事を思い出した。回避優先の戦闘スタイルだったから忘れていたが、ある程度の攻撃を無効化できるシールドを展開できるはずだった。
シールドを意識すれば、その呪紋も脳裏に浮かび術式が何時でも使える事を示していた。やれるはずだ。
そうして実行してみたが、シールドの能力は予想以上だった。
突き出した手の平から展開されるアクリルのような質感をもった一枚の板。それが自分達と兵隊との間を隔て、降り注いできた銃火を防いで見せた。
拳銃弾を使用するサブマシンガンを防いでくれれば御の字のつもりだったが、まさか小銃のライフル弾まで防げるとは思わなかった。効果時間は数秒に過ぎなかったが、その効果はてきめんだ。げに恐るべきは魔なる法、『魔法』ということか。
ますます人間離れしていく自分に薄ら寒さを覚える。なまじ銃器の威力というものを知っているだけに、今も動悸が治まらない。軽く胸に手を当ててみると、常より早い鼓動が手に返ってきた。我ながら良く足が動いたものだ。
「では主、行き先は当初の予定通りか?」
「……そうだね。Go the South《南へ》だ」
小さな形態で後ろの席に収まったジンの問いかけに、自分は少し気取った答え方をしてみせた。映画や小説の登場人物がなぜああいった言い回しをするか、少し分かった気がする。彼らとて怖いのだ。その恐怖を笑い飛ばしたいがためにおどけてみせるし、ふざけてみせる。あるいは、自身を励ますために。
主人の様子を察しているのかジンは必要以上の事は口にせず、静かな佇まいでそこにいる。どうもジンは心配する相手には静かに寄り添うタイプであるみたいだ。自分にとってそういう気遣いの方がありがたい。
バックミラーで後ろを見れば、煙を上げて燃えるジアトーの街があった。マサヨシ君も水鈴さんもジンも、後ろへと遠くなっていく街を静かに見ていた。振り返って換算してみると、わずか五日間の滞在だった。それでも、濃厚な時間を過ごした場所に思い入れはある。
遠ざかっていくジアトーを後ろに見て、自分達はしばらく言葉が出なかった。