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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Once Upon a Time in the West 邦題:ウエスタン
14/83

13話 潜伏




 壊れた扉をくぐって中を覗いてみれば、そこは質量すら感じられる血の匂いが立ちこめた死体置き場になっていた。


「むぅ」


 ノドの奥からは、まだ耳慣れない自分の声がこぼれ出てくる。

 室内の様子はとても酷く、動物の血や内臓を見慣れた自分でも厳しいものがある。


「うぅ……これが、チームのみんななのか」

「そうみたいだ。雪さんは大丈夫?」

「うん、なんとか。街中を偵察していて酷い場面とかは見てきたから。でも、ここまで酷いのはあまりなかったわ」


 すぐ横ではマサヨシ君が室内の様子を見て気分を悪くしており、その後ろでは雪さんが手で鼻と口を押えて臭いに耐えている。きっと今の自分も眉をしかめているだろう。そのくらい中の様子は酷い。

 銀月同盟の拠点一階、エントランスから入って奥まった場所にある集会所。ここに同盟のメンバー達が立て籠もって襲撃してきた暴徒に抵抗していたようで、爆撃や銃撃などで建物の損壊に比例して彼らの亡骸もこの場所に集中していた。

 集中している分、死体の損壊具合はかなりのものだ。襲撃があってから二日ほどが経過して、早くもハエが集りだしている。


「うぅぅぅぅ……覚悟はしてたけど、これは、うぷっ」

「吐いてくれば?」

「わりぃ」


 雪さんの気を利かせた言葉に頷いて、近場のトイレに駆け込んでいったマサヨシ君。

 しまったな、こんな事なら朝食前に探索をするのだった。貧乏くさい話だけど、次にいつ食料が確保できるか分からない以上は吐くような真似も躊躇われる。けれど、彼にそれを強制するのも酷な話だから何も言わないでおこう。

 マサヨシ君を見送ると、雪さんがこちらに視線を向けてきた。人の機微に疎くてもこれは分かる。どうしようか? である。


「現状はこのままか。荼毘に付すにしても潜伏中だし、目立つ行為は出来ない。悪臭が建物に立ちこめる前に外の連中がいなくなれば良いのだけど」

「だび? ……ああ、火葬の事だったけ。そうね。でも、布くらいは掛けてあげよ。女の子もいるし、彼女達にしても自分の死体を晒したくないだろうし」

「分かった。クロスとかカーテン、毛布を調達しよう」


 雪さんの提案に乗って、近くの部屋から遺体に掛けるのに適当な布を調達することにした。

 昨夜の一件があるまではここに居着くつもりはなかった。翌日の夜を待ってここを出立する予定だったが、予定は未定になってしまった。


 暴徒に追われていた雪さんと水鈴さんの二人をマサヨシ君が助けてから最初の朝が来ている。

 水鈴さんはここに運び込まれてからずっと目が覚めず、今もマサヨシ君の部屋で眠っている。雪さんから軽く事情を聞くと、精神的ショックを受けて気絶したらしいとか。

 そう言う場合だと、自分達が出来ることは少ない。水鈴さんの衣服に付いた血を落とし、着替えさせ、楽な姿勢で寝かしつけるぐらいだ。


 外では仲間を殺された暴徒達が辺りを嗅ぎ回っているようだ。

 探索慣れしていないせいか、もしくは怒りで鈍くなっているためか彼らの動きは無駄が多くて、ここを探り当てられる可能性は低いだろう。しかし、だからと言って油断はしていられない。うかつに外に出れば絡まれること必至だ。例え仲間殺しに無関係でも昔の不良のように因縁を付けられる。

 水鈴さんの事もあって簡単に移動はできない。ジンを屋上に配して外を見張ってもらい、この拠点に立て籠もるのが今できるベターな考えだ。これを朝食時に二人に提案してみたら反対はなく、受け入れられた。


 差し当たって出来る事としてこの拠点の探索となったが、最初からこういう場面に当たってしまうとは思いもしなかった。夜中に来た時、妙に血の匂いがすると思えばこれである。

 窓からカーテンを剥がしていく中、ため息が出てくる。果たしてこれは何に対するため息か、色々ありすぎで自分でも分からない。


「分からない、分からない、か。こんなのばっかりだ」


 この先の見通しすら分からない。正直に言ってうんざりしている。

 でも――後悔はしていなかった。それが少しばかり気を楽にさせていた。



 ◆



 リアルでスプラッタな空間を見てしまったオレは、そのまま二十分はトイレの住人になっていた。

 胃の中が空っぽになってもまだ吐き気が止まらなくて、胃液も吐き出して便器に貼り付いていた。今は吐きすぎて腹筋が痛くて胸がむかついている。

 朝食で食べたバターピーナッツ付きのクラッカーに、缶入りのソーセージが胃袋から出て行くのを見ていると、気持ち悪いというよりもったいないと思う。

 こんな訳の分からない中で、何時までまともな物を食べていけるか分からないのだ。もしかしたら、この出て行ったメシがオレの最後の食事なんてのもあり得てしまう。

 ふと、オレはメシの事を先に心配する自分を発見して、自分が嫌になった。そうだった、オレが再会を願っていたチームのみんなは、メシの心配をする事すら出来なくなっているのに。


 集会所に戻ると、中ではルナさんと雪の二人が遺体に布を掛けて回っている。遺体を『浄化』の呪紋で清め、一枚一枚丁寧に布を掛けていく。

 二人の手から出る浄化の仄かな光が一瞬だけ遺体を包み、光が消えれば汚れが消えている。そこに布を掛けていく作業だ。


 この『浄化』の呪紋、ゲームでは状態異常を治す初等レベルの治癒系魔法で、アイテム作製でも素材を洗浄する時に使うスキル扱いだった。それがここでは、体や衣服に付いた汚れまでも落とせる便利魔法に化けている。

 オレの服に付いていた血や汚れ、水鈴という狐娘に付いていた返り血などもこの魔法一発で落ちていた。臭いも落ちているので、洗濯いらずだ。

 あんなに便利ならオレも覚えておけばよかった。戦闘偏重のスキル内容が、今となってはとても悔やまれる。


 室内に足を踏み入れると一層臭いの濃度が濃くなった。鎧越しでも空気の淀んだ感じが肌で分かる。多分これが死臭ってヤツなんだろう。


「気分は大丈夫?」

「ええ、なんとか。手伝うから、布下さい」

「ん、そこに積んでいる。足りなければ自分で調達」


 声をかけてくれたルナさんの言葉に頷き、集会所の隅に積まれた布の山から一枚ずつ抜き出して遺体に掛けていく。この作業は本来なら、銀月同盟のメンバーであるオレの義務なのかもしれない。手伝うというより、こちらが主体になってやるべきことだと思いもしてくる。

 でも遺体を見ていると、そんなにわか義務感など吹き飛ぶ。

 刃物で切られた遺体、火で焼かれた遺体、爆発して体の一部が粉々になった遺体が多い。手足が欠けているのは序の口で、原型が分からないくらいズタズタになって肉の塊になっている人もいた。誰が誰だか分からない。こんなのは、まともな人の死に方じゃあない。

 小学生の頃、田舎のばあちゃんの死に立ち会ったことがあるけど、それはもっと尊厳っていうものがあった。少なくとも、こんな風にさくさくと人が死んでしまう今とは正反対のことだった。

 作業をしていく内、死体に対する嫌悪感よりもやるせなさが胸にこみ上げてきた。


 幸い布が足りて、補充することなく一通りの遺体に布を掛け終わった。

 気休めでしかないのだが、スプラッタ空間を晒したまま拠点の探索を続ける気分にはなれない。それと同じく、彼らが身に付けていた装備を回収するつもりもなかった。大半は襲撃者が持っていって遺体のほとんどは半裸だったし、そんな連中と同列になりたくない。

 それでも、剥ぎ取りはしないが今後を考えると、拠点からアイテムを拝借していくのは仕方ないだろうな。そんな風に考えていると、雪がこの場にいない事に気が付いた。


「あれ? 雪はどこに」

「雪さんならあっちの部屋。あっちにも結構な数の遺体があった」

「じゃあ、オレも」

「待った」


 集会所と続き部屋になっている隣の部屋で、作業しているという雪を手伝うために踏み出した足をルナさんが止めた。彼女の顔は平常通りに変化が少ないけど、何かを真剣に話そうとしているのは何となく伝わってくる。

 だから彼女の金色の目と視線を合わせて、発言を待つ。言葉を探して宙をさまよったその目は、すぐに焦点を結んだ。


「あの部屋で見つけた遺体は全て女性のものだった。こう言えば、分かる?」

「えっと……あ、まさか。そのまさかっすか?」


 オレの言葉に彼女は無言で頷くだけだ。顔に浮かんだ表情には、見知らぬ誰かを軽蔑するような感情があるように思えた。

 なんとも……男としては居心地が悪くなる。女性を無理矢理犯す馬鹿野郎に対して軽蔑する気持ちが浮かぶと同時に、自分もそんな男の一員であることに一種の恥ずかしさを感じる。ルナさんのような女子が傍にいるから特にだ。

 そりゃオレだって健全な男だし、可愛い女の子とうっふんな事やあっはんな事をしたいに決まっている。だからと言って、無理矢理な上に殺してしまうのは余りにあんまりだ。


「雪さんは彼女達を清めてあげたいって言ってたから、時間がかかる。だから外で待っていよう」

「う、うっす」


 今さっき顔に浮かべた軽蔑らしい感情はすでになく、ルナさんは外に出ようと言ってきた。

 切り替えの早い人だ。夜のオレとの対立の時だって、感情が尾を引いているように見えなかったし、今もスイッチのように感情を切り替えて後を引くことがない。

 人によっては、彼女は冷淡な人に見えるのかもしれない。ルナさんの対人スキルが低そうなのも、この辺りが原因のようにも思えてくる。


 我ながら余計なお世話みたいな事をつらつらと考えて、ルナさんの後を追えば拠点の屋上に辿り着いていた。身体能力が上がったせいで、六階分の階段を意識しなくても余裕で上れてしまう。

 屋上だと気付かせたのは外の強烈な日差し。暗い屋内に慣れた目に、上から降ってくる太陽光線は一種の暴力だ。思わず鎧で覆われた手で目を塞いでしまう。

 街の周囲が荒野のためか日中の太陽は遠慮なく気温を上げて、暑さでそのうち鎧を脱ぎたくなるだろう。


 日光がまんべんなく照りつける屋上に、ポツンと一つの小さな影がある。ルナさんの使い魔、ジンだ。今は猫バージョンの大きさをしている。


「ジン、外の様子はどう?」

「先程の報告の時と変わらず、と言ったところだ。ああ、それと朝食はおいしく頂いた。馳走になった」

「ソーセージとツナの缶詰でそんな大層な台詞はいらないよ。皿は下げるよ」


 ジンの足元に置かれた空のアルミ皿がルナさんの手で下げられる。寝ずの番をしてくれた使い魔に、彼女は朝食の盛りの多さで応えたそうな。皿は『浄化』で汚れを落とされ、腰のバッグに収められる。やっぱり便利な魔法だ、今からでも覚えられないだろうか。


 一階の衝撃的場面の後もあって、ぼんやりとルナさんを見たままになっているオレ。視界の中で彼女はバッグからスコープを取り出して、周囲を見渡している。背の低さからして船長ごっこをしている子供のようにも見える。子供との違いは、スコープをのぞく目がとても鋭く、少し悪い目つきが凶悪な目つきに変わっている点か。

 しばらくそのままの姿勢で周辺を見ていた彼女は、満足したのか「君も見て」とスコープをこっちに差し出してきた。

 スコープを受け取りのぞき込むと、十字型の照準が遠くの光景と一緒に目に映る。スナイパーの視界ってこんな感じなのか、などと軽く感動しながら、ルナさんがさっきまで見ていた方向にスコープを向けた。


 周囲の建物は基本的に低くて、四、五階以上の建物は少ない。だから五階建ての拠点の屋上からは、かなり遠くまで見渡せる。割と近くにある海とか、あちこちから煙が立っている瓦礫の街並みとかが一望できる。

 近くでガラスの割れる音がしてそこに目を向けてみると、数人の若い男女が通りのショーウィンドを割って、中の商品を盗み出している。身に付けている装備からすると、初心者を抜け出した辺りのプレイヤーだと思う。

 彼らの他にも数人、通りで周囲を窺っている人達もいる。十中八九、オレが昨夜に戦った連中のお仲間だ。


「あいつらが問題の連中か。数は十人ぐらいっすか」

「チームとしては小規模。でも、動けない私達の現状を考えると脅威だよ。ただ、仲間の命を奪われた割には動きが鈍い。いや、奪われたからか」

「……」


 そうだった。ルナさんはまたも人を殺していたのだ。

 オレ達の姿を見たあいつらを生かしておくのは不利になる。だからオレが戦った連中はルナさんの狙撃で一人残らず撃ち殺されたのだ。仮眠から起きて、朝食を用意する場面でさらっと告白された。

 顔が固まったオレに対し、雪は割と平然としていた。「緊急避難や自己防衛みたいなものでしょ」とか言って理解と納得をしていた。オレはというと、必要な処置だからと理解はできるが、人の生き死にに関わるから納得はしにくい。

 納得は難しくても、今回も助けて貰った立場からオレは受け入れるしかなかった。彼女達の割り切りの早さは男女差に因るものだろうか。


 偵察じみた真似を終えて、スコープをルナさんに返す。ヒマな時間が出来たオレ達は、外から見つからないように屋上の階段室の裏に身を潜めて休憩をとった。

 探索の再開、水鈴の様子見、昼食の用意、今後の方策、考える事柄は沢山あるけど、小休止は欲しい。階段室の壁に背中を預けて、ぼんやりと床に座り込めば、隣でもルナさんが同じように座って空を見上げていた。休みを入れたいと考えているのは一緒みたいだ。


 彼女の視線を追って、オレも空を見上げる。

 雲の少ない青い空が何処までも広がっている。ここでの季節は分からないが夏の空に似ていて、地上の混乱とは無関係に晴れ渡っていた。

 まるっきり別の世界を見ている気分だ。

 

 ふと、隣からポツリと声が聞こえた。


「昨夜はすまない、マサヨシ君。君に銃を向けたりして。とっさに止める方法が思いつかず、不快な思いをさせてしまった」


 視線を戻すと、彼女はその場で姿勢を正して床に手をついて土下座をしていた。頭を下げているから分からないが、きっと表情は真剣なものだろう。雰囲気がそういっている。

 オレはというと、しばらく何が起こったか分からず動きを止めてしまい、理解が追いついて言葉が出てくるのに数秒は必要だった。


「――え? あ、うん。いやいや、別に良いっすけど、こっちもスミマセン。って言うか、土下座しなくていいっすよ。止めて下さい」

「ん、分かった」


 突然に夜の事で土下座付きで謝罪されてしまい、キョドりながら言葉を返してしまう。実感がないのもあるが、オレとしてはもう気にしていない過去の事となっているので、こうも改まってしまうと反応に困る。

 それにしても、後で話をするって言っていたけど今がその『後』なのか。ルナさんはかなりマイペースな人だ。

 オレの言葉に従い土下座を止めた彼女の様子は、目を空に向けて言葉を探しているみたいだ。どうも続く台詞が思い浮かばない、そんな風に見える。

 なのでこちらから水を向けてみる。


「その、ルナさんがした行動だって良かれと思ってですよね?」

「そう。私達が確実に生き残る方策と思って」

「じゃあ、ルナさんは悪くないっす。謝る必要はないですよ。でも、オレは助けられるかもしれない人が目の前にいたら助けたいっす。偽善ってヤツかもしれないけど、よく言うじゃないですか『成さぬ善より、成す偽善』って。偽物でもいいから、正しいって思える事をしたいんすよ、オレ」


 うわ、我ながらクサイ事を言ってしまった。ルナさんも黙り込んじゃったし、どうするよ?

 水を向けるつもりが、自分の事を語るハメになるとは思いもしなかった。なんだよ『正しいと思える事をしたい』って、どこの聖職者ですか。

 返ってくる言葉が少ないせいで、オレの言葉は自然と多くなってしまう。聞かれた事はキチンと答えるが、それ以上に話を膨らまさないのが彼女の悪い部分に思える。ルナさんはリアル無口クールな人だ。

 次にどんな言葉をかけたものやらと考えていたら、沈黙を破ってまたもポツリとルナさんの口が開いた。


「マサヨシ君の考えは分かった。今度からは何か行動するときに相談しようか。互いが不理解じゃ、ここでは生きていけないと思うから」

「相談っすか。そうですね、それが良いと思う」


 相談して互いに理解を深める。うん、チームプレイでは基本だな。今回のことで考えの違いが分かったし、収穫はあったと思うべきだ。

 ここまでの出来事で思うに、ルナさんはかなりハードな思想の持ち主だ。人の生死に厳格な一線を引いているように見え、敵と認識したものには冷酷になれるみたいだ。

 でも、冷たいばかりの人じゃないのは、感じ取れる。夜の時だって結局は助けてくれたし、雪達を保護すると決めたら具体的な行動をすぐにとってきたのも彼女だ。

 要するに、敵に容赦なく味方に優しい人ってことでいいのかな。


 そんな考えを向けられている当人は、革ジャケットのポケットから何かを取り出していた。

 緑に赤の丸印があるパッケージから細い紙の棒を口にくわえて、四角い金属の小物を取り出した。あまりにも手慣れた様子だったから、この段階になるまで何をしているのかオレには分からなかった。で、気付いた時には驚いた。


「それってタバコ!?」

「マサヨシ君、声が大きい。抑えて」

「う、うっす。でも、タバコって……」

「部屋を探索して見つけたものだよ。元の持ち主には悪いと思ったけど頂く事にした。どうにも、下で嗅いだ血の匂いが気になってね」

「ああ、なるほど。確かにあそこはキツかったからなぁ」

「マサヨシ君はタバコダメな人かな。だったら止めるけど」

「いえ、いえいえ、どうぞ」

「ありがとう」


 たしか、ゲームでもアクセサリ扱いでタバコはあった。ステータス変化は少なくて、基本的にキャラを格好良く見せる外装アイテムみたいなものだった記憶がある。

 銀月同盟では何人かが、タバコ吸いだった。ルナさんが見つけたのもその内の一つだろう。

 でも……見た目一〇代の女の子がタバコをくわえている様子はいかがなものか。背伸びしたがりな女子が悪ぶってタバコを吸う、って感じに見えてしまう。なのに本人はごく自然に振る舞っており、彼女の実年齢が急に気になってきた。

 幾つなんだろう? ルナさんのことだ聞くのは簡単だろうが、答えを知ってしまうと、オレの中で作られている何かが崩壊しそうで聞くに聞けない。

 オレの思いを余所にルナさんは、手にしたジッポ似のライターで火を点けて、当たり前のようにタバコを吸う。いや、吸おうとしたら横から切迫したジンの声がかかった。


「主っ、待ってくれ。吸うなっ」

「ジン? ……んぐぅぅ!?」

「ルナさんっ」


 ジンが声をかけた直後、ルナさんの体が横倒しになって床に転がった。何があったんだ?


「き、気持ち悪い」

「しっかりしろ、今『浄化』の呪紋をかける」


 顔に手をやってぐったりしたルナさんに、ジンは肉球ハンドを主の額に当てて『浄化』を発動させる。浄化の仄かな光がルナさんを包み、それが消えれば幾分か調子を戻した様子になる。でも、まだ喋れる様子になってない。困惑顔のまま苦しそうにしているルナさんに代わって、オレが聞いてみた。


「これ、どういう事だ? なんで急にルナさんが倒れるんだよ」

「主の肉体は強靱であると同時に、鋭敏であるが故さ。タバコのような毒物は体が受け付けないから拒否反応が出たのだ。外側からの刺激には強くとも、内側に取り入れるものを選ぶのが主の身体だ。いや、こちらの配慮が足りなかった。主、すまない」

「いや、別にいい。後、浄化ありがとう」


 ここで復活したルナさんが、体を起こして黒生の謝罪を受け入れた。まだ少し気分が悪そうだ。

 手に持ったタバコを名残惜しそうに床でもみ消し、ため息を吐いている。実は結構なヘビースモーカーな人だったりするのか。

 こっちの視線に気付いたルナさんは、手に持ったタバコの箱をこっちに向けてきた。「吸う?」のジェスチャーだ。


「いやいや、オレ未成年っす」

「そう」


 やっぱり言葉少なだけど、残念そうにタバコをポケットにしまった。これを見ていると、オレが悪者に思えてきた。

 もう一度大きくため息を吐いたルナさんだったが、ふと何かに思い至ったのか「あ」と声をあげて、ジンに目を向けた。


「もしかしてだけど、是非違うと言って欲しいけど、コーヒーもアウトだったりするかな?」

「そうだな。タバコほど激烈な毒物ではないが、控えた方がいいな。飲むのであれば、大量に飲まない事と、出来れば浅煎りで薄めにする事だ」

「うっく。アメリカンなんて趣味じゃない……残酷だよこの世界」


 ガックリと崩れ落ちた。彼女の顔は今までで一番表情が変わっている。本当に悲しそうな顔をして、気のせいか目尻には涙まで浮かべているほどだ。

 人の生死にもクールに対応するルナさんが、コーヒーが飲めないことに涙目になっている。


 何事にもそつが無いように思えた人にも弱点はある。彼女にもそれが例外なく当てはまっていた。けれども、その弱点がその人をぐっと身近に感じるきっかけになるのも良くある話だ。オレの場合もそれが言えた。

 タバコとコーヒーを禁じられて崩れ落ちる彼女を見て、気の毒に思ったが同時に可愛いと思ってしまったオレは変だろうか。



 ◆◆



 タバコの影響か、いまだにムカムカする胸に手を当てる。この感じは昔、タバコを吸い始めた時の気分の悪さよりも酷い。ジンが『浄化』の呪紋をかけてくれなければ、マサヨシ君に続いて朝食を戻していただろう。

 自分はヘビースモーカーではないが、一週間で一箱空ける位には吸う習慣があった。吸えない日が続いても余り気にならない方だが、いざ全面禁煙を宣告されると寂しいものがある。

 さらに致命的なのはコーヒーの制限だ。凝る時には豆から淹れていたし、豆の選別やオリジナルブレンドだって作っていた。ここ数日飲めない日が続いて、今日の探索が終わったらコーヒーでも飲みたいな、と考えていたところに死刑宣告を受けたようなものだ。

 これはあれか? 緩やかに死ねという神の思し召しか。


『コーヒーがない人生なんて、バニラがないアイスクリームより酷いと思う。ライアさんはどう思う?』

『いや、私は紅茶派なんだけど。それにアイスもバニラより抹茶が好きだし』

『そう。そう言えば貴女の嗜好はそうだった』


 あと、他者に求めた意見の返答がお寒いものだと、悲しくなってくる。通信相手のライアさんは残念ながら同好の士ではなかった。

 今は太陽が西の海に沈みかかる夕暮れ時。明かりが制限される中で建物の探索を打ち切った自分達は日がある内に食事を終わらせており、今はマサヨシ君の部屋で幻獣楽団の団長、ライアさんに連絡を取っていた。


 雪さんから詳しく説明されたが、ゲームでのチャットが変化したこの念会話も万能ではなかった。

 遠距離の通信には向かず、さらにこちらの世界でお互いに顔見知りでないと通信できない。だからこちらに来てからゲーム仲間に発信した念会話に意味はなく、返信がないのも当然だった。

 その一方で、便利な機能も発見されている。念会話している相手の体に接触して、相手の同意を得ればその会話に割り込むことが可能になり、多人数の会話が出来るようになるのだ。この時、割り込む人間が通信先の顔を知っている必要はない。

 こうしてライアさんと念会話が出来ているのも、雪さんの念会話に割り込ませて貰っているからだ。


 遅くなった報告にライアさんが気を揉んでいたと言い、雪さんは申し訳なさそうにしていた。

 二人の話を横で聞かせてもらったが、雪さん達が深夜の街に出ていた原因は水鈴さんが親友を捜しに飛び出したことが始まりになる。

 後を追いかけた雪さんが彼女を発見した時には全部終わった後で、詳しい経緯は分からないそうだ。その後は気絶した水鈴さんを担ぎ、拠点に戻る途中で暴徒連中に絡まれて逃げ回り、今に至っている。

 自分も話の補足や、お互い掴んだ情報を交換しつつ彼女達の会話を聞いていく。


 先に出た言葉は、話題が重くなる一方の中で和ませようと思っての戯れ言だった。今はとても後悔している。自分にはピエロ役はこなせそうにないとハッキリと分かった。


『んー、でも種族の違いでこれまでの生活様式を変えなきゃいけないのは理解できたわ。こっちでもチョコのカカオの匂いに当てられた子がいたわね。あと、冷凍イカを食べてお腹を壊した子もいたし。獣人系が中心だからかな』

『じゃあ、タマネギもダメな人もいるのかしら。今までそんな話チームのみんなから聞いた事ないけど』

『感覚が強化されているからでは? そのカカオにしてもイカにしても、元々苦手だったものが獣人になることでより強化されたとか思うけど』

『あ、それはあるかも。冴えているねー、ルナ』

『いえ、ただの推測』


 滑った戯れ言をフォローしてくれるライアさんに心の中で感謝する。でも、そうするとコーヒーにしても、今の自分の体ならアメリカンが普通のコーヒーに感じられる位になっているのかもしれない。うん、だったら妥協できるか。


 一通りの報告が終わり、雑談も終えるとライアさんと念会話で交した話をまとめにかかる。

 雪さんと水鈴さんについては、外の暴徒が静かになるまでここで一緒に潜伏すると話がついた。もしいつまで経っても連中がこの辺りを離れず、自分達がここに釘付けにされた場合は、ライアさんのチームが陽動をかけてくれるそうだ。しかし、他の危険人物も招くため最後の手段になる。

 暴徒達に発見された場合でも楽団がバックアップしてくれるそうだ。逃亡の際の援護や保護を請け負ってくれるとか。もちろんこれも最悪の展開で、なるべくなら何事もなく暴徒達が去ってくれるのが好ましい事に変わりはない。

 それでもこんな状況下で後ろ盾があるのはありがたい話だ。ここは素直にお礼を言うべきだろう。


『ありがとうございます、ライアさん』

『いいのいいの、こっちは水鈴と雪を助けられている訳だし、感謝するのはこっち。ベルが死んだらしいのは残念だけど、二人が無事なのは喜ばなきゃね』


 伝わってくる言葉の調子から、ライアさんは努めて明るく振る舞っていると思われる。自分にも分かるレベルだ、雪さんだと無理している事がバレバレだろう。

 こちらが何と言葉を返したらと考えていたら、すぐに次の話をライアさんがしてきた。


『話は変わるけど、ルナはこの先はどうする。もし良かったらだけど、ウチのチームに入らない?』

『え、私が幻獣楽団に? いや、ライアさんは私の事情を知ってるはず。それでも?』

『今は歴とした女の子でしょ、問題ないわ。それにマサヨシ君だっけ? 今後は男手も欲しいところね……』


 ライアさんは自分が女性キャラ使い(ネカマとは違う)であった事情を知っている。その上で女性限定のチームに入らないかと誘ってきた。それもマサヨシ君込みで。

 この非常時下で、少しでも味方が欲しいのかもしれない。チームメンバーも集まることで身の安全が図れるとあれば願ったりだ。

 振り返って自分の事を考えてみる。どこのチームにも所属せず、ソロプレイが主体だった自分には帰属する場所はない。ゲームとは違い、危険と死のあるこの世界ではソロを貫くのは難しいように思える。だが、それでも――


『すいません。私は集団に馴染めない口みたいだ。せっかくのお誘いだけど、ゴメンなさい』

『あら、半分がた予想はしていたけどやっぱり? この世界に来てもそのスタイル貫くなんて、もう筋金入りってやつかしら』

『そう、ですね。あ、でも私がいなくてもマサヨシ君だけは受け入れて貰えないか? 先も報告で言ったように彼はチームが壊滅して行くあてがない。一時的にでも保護してやって欲しい』

『ええ良いわよ。それもマサヨシ君本人が望めばすぐに出来るわ』

『ありがとう』


 それでもやはり自分は独りでいる事を望んだ。ライアさんも半ば予想していた、と言葉にしていたようにそれ以上勧誘の言葉は出さない。後は雪さんとの簡単なやり取りを終えて、念会話の不可視の回線は切れた。




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