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終末世界の創世記  作者: 言乃葉
Once Upon a Time in the West 邦題:ウエスタン
12/83

11話 後悔


 昨日今日とハードな場面に出くわしまくり、精神は一杯いっぱい。時間としては短いのに、もう十年は経っている気分だ。

 それほどに張り詰めていたオレの前に、急激な緩やかさがやって来ている。


「こんな感じでどうかな。初めてだから正直言って勝手が分からない。不満があるなら忌憚なく言って欲しい」

「いやいや不満などないさ、素晴らしい手付きをしている。これが初めてとは恐れ入った、気持ちよすぎて眠ってしまわないか心配になってくる」

「なら、仮眠を取る? 短い時間でも眠っておかないと、長丁場に耐えられない」

「言葉の綾だ、主。使い魔は眠らずとも生きていけるよう出来ている。だが、その心はありがたく頂いておこう」

「そう」


 オレの前でルナさんと、黒いねこねこしい生物ナマモノが主従の絆を深め合っている。

 床に敷いたマットの上に膝を折って座っているルナさんが、膝の上に生物を乗せてブラシで毛を梳いている。傍で見ているオレでも分かるほどたどたどしい手付きをしていても、黒いのは気持ちよさそうに目を細めてノドを鳴らしていやがる。

 これだけを見れば、猫を愛でる女の子として大変和む光景だし、羨ましい。オレの中で張り詰め続けていた精神の糸が緩む。


 シャワーを浴び終えた湯上りのルナさんの肌は朱が差し、ほんのりと石けんの薫りを漂わせている。その日焼けとは縁遠そうな白い肌に赤みが散っているのは、とても色っぽく見える。

 何時だったか、タカの奴が湯上り美人が好きだったと言っていたのを思い出した。その時は大して気に留めていなかったが、今なら激しく同意できる。

 元から年上の気配がするルナさんだったが、色艶は薄い方と思っていた。けれども、ここにきていきなり艶っぽいところを見せられると、身の置き場がなくなってしまう。

 別の意味で緊張してきた。今夜はこのまま彼女と同じ部屋で寝るんだぞ、大丈夫か? オレ。


「マサヨシ君、今夜はジンが見張りに付いてくれるから、気兼ねなく眠れるそうだ」

「……」

「むん? マサヨシ君、どうかしたのか」

「あ? ――っ、いえいえ大丈夫ですよ。ルナさんは毛布とか足りています? 窓ガラスが割れているから寒くなるっすよ」

「ああ、毛布は十分足りている。寒くなるといっても冬の北海道ほどじゃないだろうし、問題ない」

「そ、そっすか」


 危なかった、おかしな方向に考えが飛んでいたときに話しかけられるとは。

 もう少し飛んでいたら、話しかけられた時にアホなことを口走っていたかもしれない。それでルナさんに軽蔑の眼を向けられたら、精神的にも実際にも生きていけない。

 今まで女子と付き合ったことがなく、学校のクラスメイト相手でも二言三言しか会話をした事がないオレに、クール系美少女な年上お姉さんと一晩同じ部屋に泊れとは、ハードルが高すぎる試練だと思う。


「デカブツよ、主に不埒なマネをしようとしたら朝日は拝めんぞ」

「や、やるかよ、こんな非常時に」

「人は非常時にこそ種を保存しようとする本能が働くそうだ。それを踏まえて貴様の言葉をどこまで信じれば良いのやら」

「お前に信じてもらっても嬉しくねえよ」


 ルナさんの膝の上から黒生モノが嫌らしくオレの胸の内を突いてきやがった。くそ、見た目がネコでしかないのに渋い声が似合うのも気に入らない。

 こんな釘を刺されて馬鹿な真似が出来るほどオレはがっついてはいない。そうだ、これは男として美女を前にした生理現象みたいなものだ。YES美少女、NOタッチだ。今こそオレの理性が試される時である。


「うぁぁ」


 自己嫌悪のうめき声が口から洩れ出てくる。

 色々と厳しい展開が続いたせいか、反動でおバカな方向にゲージが振れているのかもしれない。

 寝よう。寝て起きればいつものマサヨシに戻れる。いっそ元の世界に戻れれば最高なんだが、そこまで高望みはするまい。銀月同盟で何時もの狩りに出る時みたいなテンションになれればベストだ。

 ベッドの上で毛布を手繰り寄せて体にかける。部屋の灯りのスイッチはすぐ手元、手を伸ばせば届く。


「じゃ、消しますね」

「ああ。おやすみ、マサヨシ君」

「では、こちらは屋上で見張りに行ってくる。異常があれば念会話で知らせよう」

「ありがとう、ジン。お願いする」

「頼まれた」


 黒生モノが部屋から出ていき、ルナさんが床で毛布に包まり、オレが電灯を消せば、もうやる事もなく寝る体勢だ。

 二重のカーテンが掛けられているから窓から外の明かりが差さず、部屋は真っ暗闇になる。あれほどうるさかった街は、耳鳴りがしそうなくらい静まり返っている。時折、暗闇の向こうでルナさんが身じろぐ音があるのは救いになっているけど、かえって緊張のかさを増やすことになる。

 オレ、今夜は眠れるだろうか?


 悶々とした気持ちを抱えて横になったオレ。

 この状態から解放されるのにそれほど時間はかからなかった。でも、それは新しい試練の始まりでもあった。



 ◆



 ベッドに入って布団をかぶり、目を閉じてしばらくすると心地よい眠気がやってきた。

 ルナさんの存在に緊張していても疲れがあったためなのか、目蓋が重くなっていきすぐにでも眠りに落ちることが出来そうだ。このまま眠りの世界に旅立つ……直前になって頭の中に声が響いた。


『二人とも起きろ、異常事態だ!』

「うぇっ! いじょう?」


 頭の中に直接聞こえるせいか、下手に大声で起こされるよりも目覚ましとしては効く。寝しなだったからオレの口から間抜けな声が出てきてしまった。

 身体をベッドから起こして部屋を見渡すと、すでにルナさんが寝床から立ち上がって、脱いでいたジャケットを羽織って銃を手にしているのが暗闇の中でも分かった。


「ルナさん、異常って?」

「悪いけど静かに。今ジンから報告を聞いている」

「う、うっす」


 話しかけると彼女は、片手を上げて静かにするジェスチャーをしてきた。人差し指を立てて海外風の仕種だ。

 黒生モノからの念会話はルナさんだけに向けたものらしく、最初の目覚まし以外はオレには聞こえてこない。暗闇に慣れた目にはルナさんが時折頷く姿が見える。

 少し手持無沙汰な気分になって、部屋の明かりを点けようとスイッチに手を伸ばす。けどその前に止められた。


「待った。マサヨシ君、明かりは点けないで。今こっちに暴徒が来ているらしい。カーテンがあっても念は入れておきたい」

「っと、そいつらここに向かっているんすか?」

「結果としてそうなっているみたいだ。人を追ってこの付近に来たらしい」

「人を追っている? どういう事っすか?」

「実際に見てみるのが早い。ここの窓から見えるはずだ」


 様子を窺う事を提案したルナさんが、二重にしたカーテンをのけて、ガラスの割れた窓を開ける。そこはベランダになっており、柵は集合住宅風にコンクリート壁なので隠れる分には良さそうだ。

 身体を屈めて壁に隠れるようにベランダに出たルナさんに続いて、オレも後に続く。マッチョな体だと隠れる行動をすると窮屈に感じる。元々のオレの体は小柄だったからこの違いは激しい。戸惑っているオレを見かねたのか、ルナさんが場所を空けてくれた。

 ベランダのコンクリート壁には装飾と明かり取りを兼ねて大きな丸い穴が設けられている。そこから外の様子を窺う訳だが、ルナさんが言う暴徒はどこから来るのかまだ分からない。

 銃声や怒鳴り声とかは聞こえない。下に見える通りに現れるらしいのは分かるけど、今のところは人影は見当たらない。

 ルナさんがそっと、指を通りの方向に伸ばして小声で囁いてきた。


「ジンの報告だと、あっちから追われている人に続いて暴徒が来る。それと、これから会話は念会話に切り替えよう」

『分かった。けど、さっきから言っている追われている人って何すか?』

『私も報告しか聞いていないから断定はできないけど、五、六人の暴徒に追われている女性が二人、こちらの方向に向かって来ている。その内一人は負傷しているのか、もう一人に背負われている』

『た、大変じゃないすか!』

『そうだな、その人達にとっては大変な事だ』


 話を聞いてみると、オレが暴走族もどきから助けられた時と同じようなシチュエーションだ。

 そんな光景がこの近くで起きているのか。オレはルナさんが指さした方向に顔を向ける。ヒビが入り、穴の開いた道路しか見えない通りだけど、すぐ近くにオレみたいになっている奴がいると思うと気が逸る。

 対して、結構大変な状態なのにルナさんは静かに外の様子を窺っている。手に持っていた拳銃はホルスターに収められて、眼差しは観察するような雰囲気だ。物言いもどこか他人事みたく聞こえる。


『ルナさん、その二人はどうやって助けますか?』

『うん? 別に助けるつもりはない』

『はい?』


 思わず英語で『パードゥン?』なんて言いそうになった。我が耳を疑うとはこんなシチュなのか。いや、念会話だからこの場合は頭か。

 オレの質問にルナさんは、ごくあっさりと当り前のように助けないと言った。暴徒から追われている人を見捨てるというのか。


『どういう事です? 人を助けないなんて』

『私は暴徒の動きを観察するために出てきている。連中の動きを知り、情報が一つでも欲しいから。マサヨシ君の言うような救助のためじゃない』

『何で助けないんすか、オレの時は人を撃ってでも助けてくれましたよね?』


 冷たい事を言っているルナさんの表情は今まで見てきた顔と変わらない。静かな夜の海だ。でも、表情は変わらないのに置かれている場が変わるだけで別人のみたいに感じる。

 それでもオレは、オレを助けてくれたルナさんも知っている。

 縋るような思いでオレを助けてくれた時を引き合いに出してみたが、彼女からの言葉はバッサリしたものだ。


『あの時とは状況が異なる。あの時は郊外の荒野、今は廃墟になってはいても街中。人一人を殺害して遺体を始末するにもかかる労力が違う。ここでは警察に追われる可能性は少ないが、代わりに殺害した相手のチームに追われる。

 それに追われる者も追手も数が違う。私は不意を打てば二、三人はいける自信はある。でも、相手は見える限りで六人ほど。四人目辺りからは正面切っての戦闘になってしまう。ここで馬鹿をやっている以上はそれなりに腕に覚えがあるだろうし、何より殺人に忌避感がない相手は怖い。おまけに『エバーエーアデ』のスキルや装備も反映されている。まともな戦闘をすると経験の違いで向こうが上だ。

 よって、私は救助は無理と判断して観察にまわる事にした。君の質問に対する答えはこんなところだ』

「……そう、か」


 念会話を忘れて力なく呟いていた。

 ルナさんの言葉はまるっきり、学校で生徒の質問に答える教師みたいだった。平滑に問われた事を返している。

 オレは単純にルナさんの事を対人スキルが低い人なんだな、と思っていた。でも、こんな場合でも変化がないのにはショックを感じてしまう。これは、単純なヒッキーという人じゃない。

 なんだか、無性に腹が立ってきた。平気な顔をして人を見捨てるとか、そんな事を言った人が可愛い女の子だという事とか、とにかく色々なことに腹が立ってくる。


 ――っ

 ――っ!


「来たか」


 ルナさんの指さした方向から人の声が聞こえてきた。内容は聞き取れないけど切羽詰まっているのは分かった。それを聞いているルナさんの反応は変わらず、静かにポツリとしたものだ。

 この声が引き金で腹立ちがマックスだ。


「ぐぅっ!」

「マサヨシ君?」


 身体を起こして勢いよく立ち上がり、部屋の中に戻った。これでルナさんが男なら一発ぶん殴っているところだけど、女の子の上、命の恩人だからその辺は耐えた。

 室内に入り、ロッカーを開けて中に戻した甲冑へ手を伸ばす。教わった通りに着たいという意思を伝えると、鎧はバラけ、一瞬で体を包み込む。今度は驚かないし、驚く余裕もない。全身を包む冷たさと重みが今はひたすらに頼もしい。

 すぐに甲冑の横に置かれた盾と戦斧を手に持ち、バックの中身を軽く点検して腰に着け、のっしのっしと玄関に向かう。


『マサヨシ君、待て。今動けばこちらの存在が暴露する。危険が及ぶのは君なんだぞ』


 後ろからルナさんの念会話がかけられるが、構う事はしない。このままドアノブに手をかける。


『……マサヨシ君、止まれ。止まらなければ君を撃つ』

「なん!?」


 かけられた言葉の意味を理解して、振り返って見ると、ベランダにいるルナさんが屈んだ姿勢のままこちらに拳銃を向けている。マジかよ。

 一瞬沸騰した頭が急速に冷却される感触を味わった。本物の銃で狙われている、その銃を持っているのが命の恩人のルナさん。こんなガンアクション映画の一場面みたいな時でもこの人の表情に激しさはない。

 今のルナさんは外から差し込む弱い月明かりもあって、ルナさんの姿は黒い影だ。影に灯る二つの金色の眼には嘘はない。感性に乏しいオレでも非現実的な絵画を見ている気分にさせ、その光景が冷却した頭を再加熱させた。


「保身ですか? 我が身可愛さで人を見捨てる。そのためなら直接人を手にも掛ける。酷いっすね」

『程度の差こそあれ、人は自分自身を優先するのが正常なものだけど。それに、語弊を恐れずに言えばこれは君のためでもある』

「オレのためにオレを撃ち殺すって矛盾してないか?」

『殺すつもりはない。手足を撃って動きを止める。この距離なら君の装甲の隙間を狙うのも難しくない芸当だ。ここでは回復呪紋もある。それに君のため、と言うのはここで君が出ていったところで何が出来るという話だ』


 またルナさんの言葉に頭を冷やされる。

 敵は複数人、この街を混乱させた馬鹿野郎な連中だけど、ルナさんが言っているように場慣れはしているはずだ。

 人を殺すことに慣れているだろう連中に比べてオレは、間違いなくここ数日のキングオブチキン。街中を逃げ回り、ルナさんに助けてもらった立場で人を助けるヒーローになれるのか?

 ノコノコと出ていった挙句、袋叩きで済めば御の字、嬲り殺しぐらいはデフォルトかもしれない。


『確かに目の前で助ける事が出来るかも知れない人を見捨てるのは良心が咎めるだろう。しかし、ここはゲームに似た世界だけどゲームじゃない。もう一つの現実だ。アメコミのヒーローが活躍する世界みたく優しくはない』


 心なしか、ルナさんの念会話に平坦さにムラを感じた。声の響きに自虐的なものが混ざっている。

 なんだ、この人も顔に出ないだけで激しい何かがあるんだ。そう直感が頭に囁くと熱は再び戻る。今度は揺れない。

 ノブを回し、扉を開ける。外から聞こえる声はまだ不鮮明だけど、近くなっている。早く行かなくちゃマズイ。


『マサヨシ君、待て』

「撃ちたきゃ、撃てよ。けどオレは行くぞ。確かに何もできないかも知れない。でも、何かが出来るかも知れない。オレは何も出来ないと最初から諦めて後悔したくない」


 後ろから撃たれることも覚悟して扉を潜って廊下に出た。

 けれど手足のどこにも痛みはなく、ルナさんは最後まで撃たなかったようだった。この数分で彼女について思うところが山ほど出来てしまった。それについて話がしたくなったが、今は人助けだ。

 廊下にも聞こえるようになった怒声に急かされて、オレは甲冑を鳴らして廊下を走った。

 オレはもう後悔したくなかった。



 ◆◆



 結局、撃つとまで脅しておいて自分は撃てなかった。

 彼は自分が撃たないと確信があって行ってしまったのか? いいや、それはないな。自分達の付き合いは極めて浅い。確証を得るだけの交流は二人の間にはまだない。つまり、撃たれても構わない。あのマサヨシ君はそういう考えだったのだ。

 非合理的、かつ直情径行。直感に任せ、感性に生きるのが彼の一面だ。理屈をこねる自分とは反対と言える。自分も感性を信じる部分はあるにはあるけど、あそこまではにはなれない。


「ふぅぅ……」


 右手に持ったモーゼルのハンマーを戻してホルスターに入れた瞬間、自分でも驚くぐらいに重い溜息が出てきた。

 人に銃口を向けたストレスなのか、二度目なのにえらくツライ。銃器の取扱いを習う際、絶対人に銃を向けるなと口を酸っぱくして言われてきた反動もあるかもしれない。


『行ったな、あの単細胞は。主の配慮を無にするとは、考えなしの阿呆だ』

『だろうね。私も配慮が足りなかった。ここはマサヨシ君と一緒に部屋に篭っているのが正しかったかもしれない。あと、彼の性格を考えて置くべきだった。ああいった感性に生きる人には、感情面に訴えるものが必要なのに、私は理屈を優先した』


 ジンの念会話に言葉を返しつつ、自省してみる。ああいう風に人と口論じみた事をしたのはいつ以来だろう。もう思い出せないくらい昔か、違う、そもそもやった事がなかった。

 なるほど、溜息が重くもなるわけだ。今までやった事のない人と人の衝突を経験すれば精神的に疲れもする。

 人が二人いればケンカは起こり、三人いれば派閥もできる。そんな人間関係のうっとうしさから逃れたいがために、人との接触を避ける世捨て人みたいな生活をしてきた。だからか、マサヨシ君の生々しい感情には正直に言って押されてしまった。それも疲れの一因だろう。


「眩しいな」


 ジンの言うように、彼の行動は考えなしの無謀なものだ。人を一人殺すのも助けるのにも相応に労力がかかる。どちらも望むべくは、最小の労力で最大の成果。無理をして自身の命を危機に陥れるならいっそ見捨てるのも一つの手。マサヨシ君はこんな自分の考えとは真っ向から反することをやろうとしている。

 過去を振り返っても、自分にはないものを持っているマサヨシ君。選択肢を切り捨てていく自分と、必死に拾う彼。

 年齢からくる考えの違い、とは思いたくない。自分はまだ若いつもりだ。


「時間がないな。物思いに耽るのはこのくらいにしておこう」


 今やる事は、結局助けるのか助けないのかという二択に過ぎない。次に論ずるはその手段手法になる。

 指出しのグローブを手にはめる。腰のバックからスプリングフィールドを取り出して、各部を軽く点検して不備がないことを確認し、次にもう一度バックに手を突っ込んで細長い筒をライフルの銃口に取り付けていく。

 心は作業を進めていくにつれて研がれていく。心という薬室に決断という弾薬を装填する。


 銃口に取り付けているものはサウンド・サプレッサーである。減音器とも訳されるコレは、俗に言うサイレンサーの事だ。しかし、各メディアにあるようにコレを銃口につけても銃声が完璧に消える訳ではない。特に強力な火力のライフル弾では消音効果など望むべくもない。

 ではなぜ着けるか? これに期待する効果としては減音と消炎の二つになる。銃声は思いの外響くもので、射手や近くにいる人の耳に影響を与えてしまう。耳からの情報が必要な時に鼓膜が麻痺しては危険だ。さらに暗闇の中では銃口から出る発砲炎は遠くからでも発見される。それは居場所の暴露に繋がる。それらを防ぐのがサプレッサーだ。

 ゲーム内ではゲームらしくかなり高度な消音効果を発揮したコレだが、ここではどこまで通用するか不明。それでも最悪消炎効果は期待できる。割と簡単なアタッチメントで減音器はライフルに付いた。


『助けるのだな、主』

『ジンには悪いとは思っている。自分から危険に近づく阿呆なマネを二度もしている。ただ、彼の言い分にも一理あったと思った。何もしないで後悔はしたくない。そう私も感じた』

『ふむ、阿呆は阿呆なりに魂を持っているか。承知した。他ならない主の決めたこと、その心にこの身は従おう』

『我まま言って済まない、ありがとう。一応手筈は考えている。ジンはマサヨシ君の後を追って退路を確保して。細かいことは追って伝える』

『承知』


 ジンとの念会話が切れたと同時に上から黒い物影が下へと降った。黒ヒョウ状態のジンだ。彼は階段を使う時間を惜しんで、直接屋上から飛び降りる乱暴な方法に訴えたのだ。

 建物六階分の高さから落ちたのにジンは何事もなく華麗な一回転を加えた着地を決めて、振り返る。目が合った。


『では、行ってくる。連中の位置は現在、教えた方向に直線距離で約一㎞の地点だ。追われている方の足の速さもあるから、ここに来るのに数分とない』

『了解した。移動中に詳細を説明する』


 すでにマサヨシ君は建物を出て教えた方向へ走っている。重量級の全身甲冑を着こんでいるはずなのに陸上ランナーみたいに速い。

 ジンも彼を追って駆けだした。道の向こう、建物が影になって見通せないが声で近付いているのが分かる。主に男性の怒声で、内容も聞き取れてしまうが罵詈雑言の類なので聞くに値しない。

 部屋の中から枕を拝借して、ベランダの塀に乗せてライフルを預ける。土嚢が理想的なのだが、ない物は仕方がない。夜間の自分にスコープは不要、このまま遮音結界をベランダに範囲指定し展開する。


「結界呪紋・遮音――展開」


 こうしたいという思考が脳に術式を呼び込む。あとは力を込めれば式は成る。

 魔法は文字通り魔的に便利な技法だ。現代のガンスミスでも四苦八苦する銃のサイレンサー化をこうも簡単に実現させる。

 結界が展開されると、防音の良いカラオケルームに入った感触が肌を伝う。音の遮蔽効果は自分の拠点で実感しており、それなりに期待できる。

 ベルトのポーチから出した弾倉をスプリングフィールドにはめ込んで、ハンドルを引いて初弾を装填。アイアンサイトの向こうには道を駆けるマサヨシ君とジンの影が見える。

 こうした射撃準備をしながら、思考はジンへ作戦の説明をしている。


『――と、いう方法が手筈』

『随分と賭けの要素が多いな。なるほど、だから主はやらなかったと』

『そう。急場で考えた作戦とも言えないものだ。何か意見は?』

『主の所在が発見された場合の撤退場所は?』

『自分の拠点』

『分かった。撤退した場合には連絡を』

『了解』


 実際これはジンから状況の報告を受けた時にざっと考えた程度のもので、作戦とは呼べない。

 それにこれは成功しても失敗しても自分達は危険にさらされる。安全第一でいくべき中では採るべきではない方法であり、だからこそ後味の悪さがあっても見捨てる選択をした。このまま見捨てても見知らぬ他人の事で終わり、時間が忘れさせる。人と関係で一喜一憂するのに億劫さを感じている自分らしい解決方法だった。

 でも、自分の思惑はすでにマサヨシ君によって打ち砕かれた。彼の持っている真っ直ぐさは赤の他人であっても見捨てる事を良しとしなかったのだ。

 数時間前に自分自身を『チキン』と言って自嘲していた人物とは同一に思えない行動力だ。マサヨシ君の中で何かが劇的に変わったのか、それとも単なる激情に駆られただけか。対人経験が絶対的に不足している自分には区別が付きそうにない。


「マサヨシ君、ここで死んでしまっては私が困る。そういうのは私が見ていないところで頼む」


 視線の先にいる甲冑姿のマサヨシ君に、語りかけるように口が開いた。せっかく助かった命なのだ軽々しく捨てて欲しくない気持ちが自分にはある。捨てるにしても、せめて自分は見ていない場所にして欲しい。

 だから、ここは何があってもマサヨシ君を守る。人助けはついでだ。


 ライフルをベランダの壁に預けて、立射姿勢をとった。両腕で包み持った銃床がひんやりと頬に冷気を感じさせる。吐く息が今更のように外の冷たさを知らせる。

 元の自分の射撃能力は把握している。けれどそれはあくまで狩りでの話、戦場ではどこまで通用するかは不明。おまけに自分の肉体は『ルナ・ルクス』の身体。当然の事だが、ゲームのようにボタン一つでエイミング、敵を捕捉してくれるような機能はない。

 どこまでの事が出来るか把握しきれていない中で二回目の実戦投入。最初の時にはなかった不安がじんわりとこみ上げてきた。


「そう、二度目だ。初陣は済ませたんだからしっかりしろ、ルナ・ルクス」


 不安がこみ上げる心を叱りつけて、ライフルを構えた。




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