第21話:なにわ一水①
また、慌ただしい月曜日が始まった。今週のスケジュールは、いつにも増して過密だった。届いたばかりのガーゼのサンプルを各部署に配布して使い心地を試したり、逼迫する注射針の納入期日を前倒しできないか業者と粘り強く交渉したり……。
追い打ちをかけるように、総務の生命線である大型シュレッダーが轟音を立てて停止した。
「またか……」
僕はスーツの袖を捲り上げ、慣れた手つきで詰まった紙屑を取り除く。その後はビルメンテナンスの担当者と一緒に、老朽化が進む空調設備の点検で屋上から地下まで駆けずり回った。
けれど、どれほど業務に忙殺されても、僕の心は折れなかった。今回は上長に掛け合い、金曜日の有給休暇をもぎ取っていたからだ。
『今回は島根県にしたいと思うけど、どうかな?』
サトミに送ったメッセージに、すぐさま『いいと思うよぉ!』と弾んだ返信が届く。
金曜日の朝。いつもの品川でサトミを拾い、僕はジャガー『F-TYPE』のアクセルを軽く踏み込んだ。品川から羽田空港は目と鼻の先だ。空港の駐車場に愛車を収め、出発ロビーへと向かう。
「ツカサ、飛行機なんて久しぶり!」
巨大なガラス窓の向こうに並ぶ機体を見て、サトミが少女のように瞳を輝かせた。
「サトミ、僕たちはこっちでチェックインだよ」
人だかりの絶えない一般カウンターを通り過ぎ、落ち着いた佇まいの専用エントランスへ向かう僕に、サトミが不思議そうに首を傾げた。
「あれ? あっちの人がいっぱいいるところじゃないの?」
「今回は奮発して、行き帰りともプレミアムシートを取ったんだ。だから、この専用カウンターが使えるんだよ」
「へぇ~、こんな特別な入口があるのね……」
専用保安検査場をスムーズに抜け、僕はそのままエスカレーターを指差した。
「少し時間があるから、ANAラウンジで休んでいこう」
「ラウンジ? クレジットカードのなら私も使ったことあるよ」
「あはは、そっちじゃなくてね。航空会社が運営している専用のラウンジが、この上にあるんだよ」
自動ドアの向こうに広がる、洗練された静寂の空間。
「……すごい。カードのラウンジよりずっと豪華だね」
驚くサトミをソファへ促す。
「運転さえなければここでビールでも飲むんだけど、向こうでレンタカーを借りるからね。今日はジュースで我慢だ」
僕たちは無料のおつまみとお煎餅をつまみながら、出発前のまったりとした時間を楽しんだ。
「よし、そろそろ時間だ。行こうか」
搭乗口に向かうと、ここでも「ステータス」の恩恵が待っていた。
「優先搭乗ができるから、ダイヤモンド会員のすぐ後に乗れるよ」
「優先搭乗なんて、私、初めてかも……」
「本当はね、僕が『スーパーフライヤーズ』のカードを持っているから、家族なら普通席でも優先搭乗できるんだけど、今回はシート自体をアップグレードしたからね」
「えっ!? ツカサ、スーパーフライヤーズだったの? 出張ばかりしてたの?」
サトミが目を丸くする。僕は苦笑いしながら答えた。
「いや、たまに学会の手伝いで飛ばされることもあるけど……あとは趣味で沖縄や北海道に行っていたら、いつの間にかプラチナ会員になっていてね。せっかくだから申請したんだ」
機内に乗り込み、最前列のプレミアムクラスへ。
「サトミ、窓側でいいよ」
「わぁ、一番前! 足元がこんなに広いの?」
にっこりと笑うサトミ。その表情を見ているだけで、仕事の疲れも吹き飛んでいく。
「今回泊まるのは、島根の『なにわ一水』だ。とにかく、僕が昔から大好きな宿なんだ」
(きっとまたすごい宿だし、そこにも『友達』がいるんだろうな……)
サトミは確信に近い予感を抱きながら、僕の隣でシートをリクライニングさせた。
離陸の重力が背中を押し、機体は力強く高度を上げていく。シュレッダーの異音も、山積みの在庫管理表も、すべては雲の下へと消えていった。目指すは、宍道湖のほとり。水辺の静寂と最高級のホスピタリティが待つ珠玉の宿。 雲を突き抜けた先に広がる果てしない青空を見て、僕は隣のサトミに優しく微笑みかけた。




