第18話:ANAクラウンプラザホテル成田③
「サトミは何にする?」
タブレットのメニューを眺めながら僕が聞くと、サトミは少し迷ってから「うーん、パスタにしようかな」と答えた。
「僕もパスタにするよ。……飲み物は、紅茶を淹れるね」
僕はティファールのケトルに水を入れ、スイッチを押した。シュンシュンと小気味よい音がリビングに響き始める。
部屋の電話からルームサービスを注文する。
「パスタを二つ。ええ、時間は大丈夫です。お願いします」
「ツカサ、お湯沸いたよ!」
サトミの声に呼ばれ、二つのカップにティーバッグをセットして琥珀色の紅茶を注ぐ。
湯気が立ち上るテーブルで、僕たちは向かい合って座った。
「今まで泊まった中では、一番広いお部屋かもしれない……」
サトミが改めて部屋を見渡し、ポツリと呟く。
「スイートだからね。二人で過ごすには十分すぎる広さだ」
紅茶を一口啜り、サトミが僕の目を見た。
「ツカサってさ、ホテルにたくさん友達がいるよね。地方にもいるの?」
「うーん……まあ、そうだね」
僕は言葉を濁しながら、心に留めていたことを切り出した。
「サトミ、一つ聞いてもいいかな。これから先、もっと遠くまで行っても大丈夫だろうか」
「遠くって?」
「例えば、飛行機や新幹線を使うような場所だ。サトミが疲れちゃうんじゃないかと思って、今まではなるべく近くを選んでいたんだけど……」
僕の言葉に、サトミは不思議そうに首を傾げた。
「えっ? 全然いいよ! もしかして、気を遣って近場にしてくれてたの?」
「ああ……。うん」
「言ってくれたらいいのに。ツカサって、大事なことをあんまり話さないよね」
サトミの少し尖った声に、僕は思わず「……ごめん」と謝った。
「あ、怒ってるわけじゃないの。いつも素敵な場所に連れて行ってもらって、文句なんて一つもないんだけど……でも、一緒に行く場所を相談して決めるのも、いいんじゃないかなって」
サトミの真っ直ぐな想いが、胸に突き刺さる。僕が答える間を置かず、リビングに「ピンポーン」とチャイムが鳴り響いた。ドアの外から「ルームサービスでございます」というスタッフの声。
「「あ、ルームサービスきた」」
二人の声が重なり、気まずさと気恥ずかしさが混ざったような顔で見つめ合う。 少しだけ縮まった心の距離を、運ばれてきたパスタの香ばしい匂いが優しく包み込もうとしていた。
「じゃあさ、例えばサトミはどこに行ってみたい?」
運ばれてきたパスタをフォークで器用に巻きながら、僕は問いかけた。
「うーん、そうだなあ……。北海道とか行ってみたいし、朝ドラの舞台になってた島根にも興味があるかな」
「北海道に島根、どちらもいいね。魚介が最高に美味しい場所だ」
「ツカサは? 行ってみたいところ、あるの?」
「そうだね……。宮城の仙台とか、新潟の湯沢とか。あとは、沖縄なんかもいいかな」
「あ、沖縄いい! 行きたい!」
目を輝かせるサトミを見て、僕はふと思った。
(……なるほど。こうして二人で話し合って決めるのも、意外と楽しいものなんだな)
食事を終え、満たされた心地でソファに深く腰を下ろす。僕は鞄から池波正太郎の『剣客商売』を取り出し、ページをめくり始めた。
「本当に、ツカサって池波正太郎が好きすぎるくらい好きよね」
「結構、読み応えがあって面白いんだよ」
「じゃあ……好きな映画は? やっぱり渋いの?」
「伊丹十三監督の『タンポポ』かな。あとは『マルサの女』とか」
僕が答えると、サトミは「えっ?」と顔をしかめた。
「知らないなあ……。その頃、私たちまだ生まれてないよね?」
「……そうかもしれないね」
ジェネレーションギャップに苦笑いしながらも、この温度差がどこか心地よかった。
「あ、見て! 外の景色……飛行機が飛んでるよ!」
サトミが窓の外を指さした。夜の闇を切り裂き、翼の灯りが宝石のように連なって、ゆっくりと大空へ吸い込まれていく。
「わあ、本当に綺麗……」
幻想的な光景を眺めているうちに、心地よい疲労感が波のように押し寄せてきた。
「なんだか、食べたら眠くなってきちゃったな……」
「私も……。なんだか、急に眠気がきたかも」
スイートルームの静寂の中、僕たちはどちらともなくまどろみの中に沈んでいった。 窓の外では、まだ見ぬ旅先へと向かう飛行機が、絶え間なく夜空を彩り続けていた。




