第16話:ANAクラウンプラザホテル成田①
月曜日。目覚まし時計が鳴り響いたとき、僕は自分の目を疑った。
(うわ、嘘だろ……。完璧に寝坊だ……!)
いつもなら「電車」に揺られて穏やかに職場へ向かうところだが、今日の時間にそんな余裕は一分たりともない。僕はクローゼットからスーツを引っ張り出して素早く袖を通すと、ガレージに眠るもう一台の相棒――真っ赤な『CBR1000R』のエンジンを叩き起こした。
静寂を切り裂くような、鋭く官能的なエキゾーストノート。フルフェイスのヘルメットを被り、シールドを下ろす。視界が絞られ、僕の意識は一気に仕事モードへと切り替わった。
「……行くぞ」
クラッチを繋いだ瞬間、赤い車体は弾かれたように病院に向けて走り出した。
駐輪場に滑り込み、ヘルメットを脱いだ瞬間だった。
「あれ? あなた、総務の事務員さんでしょ?」
鈴を転がすような声に振り向くと、そこには皮膚科の常勤医である女性医師が、白衣をなびかせて微笑んでいた。
「あっ、先生。おはようございます!」
僕は乱れた髪を整え、精一杯爽やかに挨拶を返す。スーツ姿にヘルメットを抱えた僕を見て、彼女は眩しそうに目を細めた。
「おはよう! 何かすごいバイクに乗ってるのね……。真っ赤で、なんだか戦隊ヒーローみたいで格好いいわよ」
「あはは、ありがとうございます。……ただ、今日はちょっと寝坊しまして」
「ふふ、あなた、もう遅刻ギリギリね。急がないと」
「――あーっ! そうだった! では先生、また失礼します!」
僕は彼女に軽く手を振ると、吸い込まれるように病院の玄関へと駆け込んだ。
(朝からあの先生と話せるなんてラッキーだな……なんて、サトミにバレたら間違いなくどやされるだろうな)
背中に冷や汗を感じながらも、どこか浮き足立つような月曜の朝。
消毒液の匂いが漂う廊下を駆け抜けながら、僕は大きく息を吸い込んだ。
「さて、今週も頑張りますか!」
嵐のような一週間が、今、幕を開けた。
今週は、珍しく穏やかな一週間だった。在庫品の棚卸しで連日遅くまで残業はしたものの、突発的なトラブルや理不尽な要求に振り回されることもなく、淡々と業務をこなすことができた。
さて、待ちに待った金曜日。
今回の目的地は『ANAクラウンプラザホテル成田』だ。飛行機に乗るわけではないが、あの独特の旅情とホスピタリティが僕は大好きだ。
サトミとは前回と同じ品川で待ち合わせた。勝手知ったるコインパーキングに車を停め、駅の改札へと向かう。
「おーい、サトミ!」
「ツカサ! 待った?」
駆け寄ってくるサトミを連れて駐車場に戻ると、彼女は目の前の車を見て足を止めた。
「ツカサ……!? なんか今日の車、前に乗ってきたのと違くない?」
「ああ。今日はこっちの気分だったんだ」
「ぽ、ぽる……しぇ? ポルシェ!? ツカサ、ポルシェなの!?」
サトミが信じられないといった様子で声を上げる。
「そんなに高いやつじゃないよ。718ケイマン。……『クレヨン』って色なんだ」
「だって、前はジャガーだったよね……? 二台持ってるの……?」
「まあね。そんなことより、立ち話もなんだから。サトミ、乗って乗って」
呆然とする彼女を促し、助手席へエスコートする。ポルシェ特有のタイトなコックピットに、サトミは不思議そうに、けれど少し緊張した面持ちで腰を下ろした。
「今日はさ、飛行機には乗らないんだけど……成田の方面に行くよ」
「成田空港の方?」
「そうそう。あっちの方は空が広くて、夜景もまた違う良さがあるんだ」
フラット4の心臓が目を覚まし、乾いた咆哮が住宅街に響く。ジャガーの優雅さとは違う、研ぎ澄まされたポルシェの加速感。湾岸線から東関東自動車道へ――。流れる夜景を追い越しながら、クレヨン色のポルシェは夜の成田へと滑り出した。




