5.侵入者
リアンが居なくなって静かになった家に1人でいると…少しだけ寂しかった。
俺は気を紛らすために猪狩りに出かけた。
俺は調味料類は無理に作らず買って揃えることにしたためお金が必要なのだ。
今度は毛皮も牙も肉も魔石も全部回収するぞ。
…しかし時折魔法も使いながら空からも探すが見つからない。
そういえば初めて見つけた時以来遭遇していなかった。
高価なのはその希少性からなのかもしれない。
…半日ほど探した時にようやく1匹見つけた。
「ウインドエッジ」
俺は杖を構え、以前のように首を切断するイメージで魔法を唱えた。
今回は樹上から不意打ちをしなくても両断することができた。
「バインド」
早速宙吊りにして血抜きをする。
血抜きは早ければ早いほどいい。
「ウインドエッジ」
腹を縦に一気に切り裂き臓物を取り出す。
今度は魔石もしっかり回収する。
「ウインドエッジ」
頭と体の毛皮を剥がしていく。
普通、刃物は脂でギトギトになるが魔法だと汚れないし一瞬で終わるし、今の俺にとって最強の魔法かもな。
以前買ったナイフもまだ出番がなかった。
「タンニング」
剥がした毛皮をなめして革にする。
…なめして気づいたが思いのほか手触りがよかった。
俺は体の毛皮は売らずに部屋の敷物にすることに決めた。
「ストレージ」
リアンの魔道具がなければしばらく思いつかなかったかもしれない。
部位ごとに切り分けながら肉を魔法で収納していく。
頬肉と舌もしっかり回収した。
「テレポート」
魔法頼りじゃダメだとは思いつつもやはり便利さには勝てなかった。
メリハリをつけて魔法はうまく使っていこう。
俺はそのままリッシュの街へ行き、以前杖を作ってもらった竜の武器屋で魔石と牙、頭部の革を売り全部で金貨150枚になった。
年に1体狩ればそれだけで生活していけそうだ。
前回買いそびれた調味料や食材を買い揃え俺は帰宅した。
リッシュでは生魚以外の大抵のものが手に入った。
和食も作れそうだが、今日は大皿でキッシュを焼くことにした。
元の世界で俺が好きだった料理の一つだ。
ベーコンとほうれん草、玉ねぎを入れたシンプルなやつ。
1回焼けば俺1人なら3日は持つだろう。
今まで入手できなかった卵、牛乳、バター、チーズ。
これらがなければキッシュは絶対食べられないからな。
連れて行ってくれたリアンには感謝しないといけない。
この国は実は酪農大国らしく、乳製品が安いのも食が発展した要因のひとつだったようだ。
高温の窯で一気に焼いたおかげでキッシュは生地はサックリ、具はふんわりと焼き上がった。
焼きたても冷めても、軽く温めなおしても美味しい。
俺はひとまず一切れ分を焼きたてで食べることにした。
「はぁ、牛の乳が最高すぎる…。チーズにバターにクリームと姿を変えて俺の体を翻弄している…。これは冷めて具がしっとり落ち着いた方も絶品だろうな。」
「それはそんなにうまいのか?」
「それはもう。渾身の出来だよ!」
「我もいただいていいか。」
「え?」
今は家に1人のはずだが…誰と話したんだ俺は。
声のした方を恐る恐る振り向くと、黒いツノが生えた男が立っていた。
「うわあ!誰だよおおお前は!なんで俺の家にいるんだ!?」
「ノックはしたぞ。返事はなかったが鍵が空いていたので歓迎の意があると思い入ってきたのだ。」
そういえば今まで誰も来ないと思って鍵をかけたことなかった…。
「そうか…で、あなたは誰?ここには何用で?」
竜がいるんだからツノが生えた男くらい…とは思うがこの男は服装がすごかった。
レザーパンツのように光沢のある黒いぴっちりした服を着ているのだが、筋肉や下腹部まで形がくっきりと見えてしまっている。
これじゃほぼ裸みたいなもんだ。
「我はオルスだ。近くを通ったところ何やら良い匂いがしたものでな。立ち寄ったのだ。」
「俺はセージ。焼いていたのはキッシュだ。」
オルスは手ぶらのようだが、彼もリアンのように収納の魔道具でも持っているのかもしれない。
まだ熱々のキッシュを切り分けオルスに差し出す。
「セージか。急な訪問にもかかわらず心が広いな。」
「心底驚きはしたけど、俺は今日好物を食べられて最高に機嫌がいいんだ。」
「それがこのキッシュというわけか。」
しばらく手に持って見つめた後、ゆっくりと食べ始めた。
「…。」
他人に食べさせるのは初めてだったから緊張する。
「なるほどこれは確かに美味だな。」
「よかった。やっと材料が手に入って、ここでは今日初めて作ったんだ。」
「料理の才があるようだな。料理人なのか?」
「いいや、あえていうなら農民なのかな。」
「農民なのか、畑はあったようだが髄分小さいな。」
「あえていうなら、だよ。自分が食べる分しか作ってないからあの大きさで十分なんだ。
…ってごめん、初対面なのにこんな話し方で馴れ馴れしかったよね…大丈夫?」
機嫌が良いあまりに柄にもないテンションで、自分が自分じゃない感じがする。
「ああ、問題ない。遥々足を伸ばしてみて我は僥倖を得た。突然邪魔をして悪かったな。また寄ってもよいか。」
「大したもてなしはできないけど、それでもよければ。」
「そうか、では今日のところはこれで失礼する。」
畑の方向に歩いていくプリケツ…じゃなくてオルスを見送った。
…あれ?あっちは荒地の方角だが…リアンみたいに調査してる冒険者なんだろうか。
次の日、俺がクリームシチューを煮込んでいるとオルスがまたやってきた。
気軽に往復できるところに住んでいるんだろうか。
「今日は土産を持ってきた。前回の礼だ。」
黒い腕輪だった。
金属とも違うが硬く光沢のある石のような手触りだ。
「腕輪?」
「ああ。それは魔道具で、詠唱せずとも収納したり出したりすることができるそうだ。昔手に入れたんだが我には不要だからな。」
人に渡すくらい持ってるのかな。
「収納の魔道具って結構高価だって聞いたけど…貰っても大丈夫?」
「もちろんだ。礼なのだから価値があるものの方が嬉しいと思ってな。」
これがあれば堂々と収納の魔法を使えるから正直ありがたい。
「そうか、それじゃありがたく頂くよ。実はこれすごく便利だって聞いたから欲しかったんだ。」
「それはよかった。ところでよければまた何か食わせてくれないか。」
「ちょうどできたばかりのシチューがあるよ。パンは一応あるけどバゲットじゃなくてりんごの自家製パンだからオルスの口には合わないかも…。」
パン酵母は買ったけどせっかく作った自家製酵母のストックが残っていたので消費中だったのだ。
「どちらもいただこう。」
「あ、あと昨日のキッシュもあるよ。昨日とは味も食感も違うから食べてみて。」
「…どれも美味だ。キッシュは本当に昨日と同じものなのか?」
「そうだよ、焼きたては卵やクリームの味が強いけど、時間が経つとぎゅっと詰まって野菜やベーコンの旨味が強くなるんだ。温めなおしても美味しいけど出来立てとはまた違う味になる。」
「時間で変わる食べ物か、興味深いな。それにしても本当にキッシュが好きなんだな。」
「そういえば、オルスは近くに住んでるの?」
「山の向こうだ。」
確かに近くに山は見えるが…。
「結構遠くない?帰って次の日すぐ来れる距離じゃないような気がするけど。」
「魔法があるからな。」
「魔法?瞬間移動とかかな。」
「少し違う。飛ぶ感覚に近いかな、この程度の距離ならひと飛びだ。」
「そっか、すごいんだなオルスは。」
そんな魔法を使える人がいて俺は安心した。
俺の瞬間移動がもし見つかっても不審に思われにくいだろう。
「魔法は得意な方だ。俺は武器の扱いは苦手だから持たない。」
「収納してるわけじゃなかったのか。昨日たまたま近くを通ったって言ってたけど、仕事か何かで来たのか?」
「ああ、そんなところだ。」
「そっか、何か異変調査でもしてるのか。突然火山が噴火したりしないよな。」
「定期的に噴火しているがこの辺りは大丈夫だろう。」
「オルスはこの辺りに詳しいの?」
「どうだろうな、土地の性質とかはわかるが普段交流がない人間の営みには疎い。ここに家があるのも昨日気がついた。」
…まあ、出来たの多分最近だし。
「それでこの家に突然訪問を?」
「単純な興味だったのだ。人間は群れて生活するのを好むはずだが、こんな外れで生活するのはどんな奴かと。」
「なるほど。意外と普通な人間だっただろ?」
「いや、想定以上だった。我の訪問に驚きはしたものの恐怖や拒絶の感情は無かった。しかも快く作りたての大好物を見知らぬ相手に振る舞ったのだ。もはや好意すら感じる。」
「そんなに俺ってわかりやすいのかな…まあ機嫌がよかったのもあるし誰かに食べてもらいたかったのかもしれない。」
「そうかそうか。ならばこれからも我が食べに来よう。」
「すごく高価そうなものも貰ったし、家にいる時ならいつでも。あ、多分1ヶ月後くらいに人が増えるかもしれないけど大丈夫かな。」
「1人ではなかったのか。」
「いや、ずっと1人だったんだけど、最近一緒に住むと言われて…今は王都に帰ってるんだ。」
「なるほど。ではこの方がいいな。」
一瞬オルスが光ったかと思うと、ツノは消え服も普通の旅人並みになっていた。
「すごい!姿を変えられるんだね。」
「認識阻害のようなものだ。触れると元のままだとわかる。」
そう言うとオルスは俺の手を取り自分の股間に押し当てた。
「うわわ!なんて破廉恥な!
…って確かに服の感覚はなくて滑らかなレザーのような手触りだ…。」
少しひんやりして手に吸い付くような感じ…そして弾力のあるモッコリ…。
「はっはっはっ!やはり想定以上だなセージは。嫌がるどころか撫で回し堪能するとは。」
「いやいやこれは不可抗力だよ!って別に撫で回してはないし。…それにしても一瞬で変わるなんてすごい魔法だな。」
「使える者は限られるだろうがな。セージはどちらの姿がいいんだ?」
「今までの方がかっこいいかな。」
「ならば普段は元の姿でいよう。」
「本当にすごいな、変身も解除も一瞬だ。」
真っ黒なツルテカぴっちりが戻ってきた。
「では、そろそろ我は帰るか。馳走になったな。」
「こちらこそ、この腕輪ありがとう。大事にするよ。」
「ああ、また何か役立ちそうなものがあれば持ってこよう。ではな。」
オルスはまた畑の方へ向かって行った。
山がある方向ではなかったが、また調査に向かったのかもしれない。
それにしても…元の世界では人間関係はずっと煩わしかったが、今は全くそういう感じはしない。
人と関われば関わるほど、むしろますます誰かと一緒に居たいと思ってしまうな。
世の中の人は皆こういう感情を持っているんだろうか。
もしかすると俺が今まで避けてきた反動が来ているのかもしれない。
オルスがいなくなった後、1人でご飯を食べながら俺はこの腕輪がどのくらい収納できるんだろうかを考えていた。
そもそも容量ってどうやって量るんだろうか。
大きな籠くらい入るならいいな。
まあ足りなければ誤魔化しながら俺自身の魔法で収納すればいいだけではあるが。
その日の夜、俺はリッシュのマスターがいるお店に居た。
「ガレットとタラのブランダードと鶏のコンフィをお願いします。」
タラは海から離れた場所でも食べられる貴重な魚だ。
塩漬けにして干しているため長期間保存できる。
「今日はセージさんおひとりなんですね。ただ食べにきたというわけではないでしょう?」
「リアンは王都に行っています。実は干しタラを使った料理やコンフィを自分でも作ってみたくて食べてヒントを得ようと…。」
「なるほど、素直にレシピを聞けばよいのに。」
「客として歴も浅いですし、商売道具の料理の作り方ですから聞くわけにも…。」
「ははは、大丈夫ですよ。同じ材料で同じように作っても同じ味にはなりませんし、セージさんはお店を出しているわけでもないでしょう。時間はかかりますがどの家庭でも作り方が知られている料理なんですよ。メニューにある全てがそうです。」
「そうだったんですか、無知を晒してしまいお恥ずかしいです。」
「そんなことはありませんよ。というわけなので、時間さえあればどれだけでもお教えしますよ。
…もしよければしばらくお店で働きますか?一緒に仕込みからすればひと通り作り方は覚えられるでしょう。セージさんや家が大丈夫でしたらいかがですか。」
「家はなんとかするので是非お願いしたいです。」
家や畑の方はテレポートでなんとかなるとして、オルスやリアンと入れ違いになった時用にドアに貼り紙でもしておこう。
「毎日帰るのは大変でしょうから私の家の使ってない部屋をお貸ししますよ。」
「それは助かります。いつからにしましょうか。」
「セージさんの準備もあるでしょうし私も家の掃除もしたいので…明後日からでどうでしょうか。」
「大丈夫です、よろしくお願いします!」
こうしてしばらく俺はマスターの下で働くことになった。