1.異世界へ
30歳まで純潔を守り続けると魔法使いになれる。
そんな迷信を本気で信じていた俺、誠司はこれまでさまざまな誘惑に耐え続けてきた。
もうすぐ俺は30歳の誕生日を迎える。
カチ、カチ、カチ…
時計を見つめ秒針が0に来る瞬間を待つ。
日付が変わった瞬間、俺は魔法を唱えてみた。
「ファイアーボール!」
…何も起きない。
まあ想定の範囲内だ。
チャンスはまだある。
次は俺が生まれた時間だ。
母子手帳で時間はすでに確認済みで午前1時23分だ。
秒数は分からないので念のため24分まで待ってみる。
カチ、カチ、カチ…
あと1分。
カチ、カチ、カチ…
時間になった!
体に変化はないようだ。
再度俺は魔法を唱えてみた。
「ファイアーボール!」
すると、部屋の中に大きな火球が現れた。
「やばいやばい、家が燃える!!」
これは想定外だった。
何とかしないとと考えていたら急に世界が真っ暗になった。
「なんだこれ!爆発して死んだか?!」
視界だけじゃなく体の感覚もない。
「まさか本当に魔法が使えるとは思わなかったしなぁ、どうせなら透視とか透明化とかでアレコレしてみたかった…。」
ー申し訳ございません
「…ん?なんか今声がしたか?」
ー申し訳ございません
「うわ!声がしないのに聞こえる??」
ー申し訳ございません
「誰?!」
ー世界を管理する概念で実体も名もない存在です
「そ、そうか…さっきの申し訳ございませんって何…でしょうか?」
ー本来あなたの世界で魔法は禁忌ですが手違いで魔法が使えるようになってしまいました
「あ、やっぱり普通は使えないんですね。実はみんな使えてて隠してる、とかじゃなくてよかったです。それで俺って今どういう状況なんでしょうか?」
ー禁忌を犯したとして消される前に魂だけ救い出しました
「魔法を使えなくするとか、記憶を消すとか、元に戻すことはできないんですか?」
ー染まった者は無垢に戻ることはないのです
「そうですか。俺はこれからどうなるんでしょう。」
ーあなたに瑕疵はないので新たな世界に送ります
「こちらから希望を伝えてもよろしいですか。」
ー送り先の世界は選べませんが希望の内容によっては応えられます
「ちなみに赤ちゃんからの転生か元の身のまま転移はどっちなんでしょう?」
ー元の体ごと回収しているためどちらも可能です
「それなら転移の方がいいです。少し若い方がいいかもしれないけど。できれば人があまり来ないような僻地で、自給自足の生活をするに困らない程度の力というか環境が欲しいんですが…。」
ー王や勇者を望まないのですか
「実は人からの好意を避けるうちに、人間関係すら億劫になってしまって…。だからひとまず1人で悠々と生活できたいいなと。」
ーあなたの元の世界とは違い科学ではなく魔法が発展しています
「それは楽しみです。」
ーそのおかげで大抵のことはできるはずですが私の加護を授けておきましょう
「加護?」
ー加護があれば世界の精霊が手助けしてくれます
「魔法があって精霊もいるファンタジー世界か、ますます楽しみになりました。」
ー以上でよろしいですか
「はい、何か困った時は精霊さんに聞いてみることにします。」
ーそれではいってらっしゃい
真っ暗だった世界が急に真っ白の光に変わった。
いつのまにか閉じる瞼もあるし体の感覚があることに気がついた。
眩しさが落ち着きゆっくりと目を開けると…俺は部屋の中にいた。
とりあえず現状を把握しよう。
異世界の定番といえば…
「ステータス!」
何も起こらなかった。
ゲームじゃないんだし、そりゃそうか。
とりあえず家の中と周囲を調べよう。
家は木造2階建てのログハウスで、家具や食器類は元の世界と同じだった。
風呂やトイレもあるが水はどこから来ているのか、どこに流れているのかは分からなかった。
全部魔法で何とかしているのかもしれない。
冷蔵庫はあったが、洗濯機やテレビといった家電製品は無かった。
手洗いはさすがに限度があるだろうし、なにか魔法があるんだろう。
家の周囲は草原が広がっており見晴らしは良かった。
少し歩いたところには森があり、遠目には山も見える。
それなりに肥沃な土地のようでよかった。
しかし、周辺を見た限りでは食用になりそうなものは見当たらなかった。
まだ空腹感はないがこのままでは餓死してしまう。
次に俺が確認すべきは魔法と精霊さんだ。
先に精霊さんから探してみるか。
草原には虫すら見当たらなかったので森に行ってみるとしよう。
そもそも見えるのか、どこにでもいるものなのかは分からないが。
「精霊さん、いますかー?」
ーはいはい
「うわ!またこのパターンかよびっくりした。」
ーどうしましたか
「あなたが精霊さんですか?」
ーはいそう呼ばれています
「あの、世界を管理するという存在から精霊さん達が手助けしてくれると聞いたのですが。」
ー何かお困りですか
「はい。この世界に来たばかりで…近くに食べ物になりそうなものとか、栽培できそうなものがあれば知りたいんです。」
ーなるほどではこれを
すると目の前に大きな麻袋が現れた。
中には様々な果実類が入っていた。
ーこれでしばらくは問題ないでしょう
「ありがとうございます!」
中に種があったらそれを植えてみよう。
「精霊さんはどこにでもいるんですか」
ー概念のようなものでどこにでもいるしどこにもいないとも言えます
「そうなんですね、ちなみに魔法を使うコツはありますか?」
ー明確なイメージです
「イメージ?」
ーそうすると実現の手助けが容易になります
「手助け?」
ー火や水など各元素そのものの簡易体現を除き精霊と呼ばれる私達が手助けしています
「なるほど、例えば常温の水は簡単に出せるけど沸騰した水であれば精霊さんの力が必要になるということですか?」
ーその認識で問題ありません
「ありがとうございます。ある程度把握できました。」
イメージさえできればいいのか。
魔法で大抵のことが出来るというのはそういうことか。
「ウインド」
心なしか風が強くなった気がする。
次はもう少し強めのイメージで。
「ウインド!」
おお、台風を思い出すような強風だ。
そもそも呪文はいるのかな?
「…。」
さっきと同じようにイメージすると風は吹いたが、反応がイマイチだな。
発動の合図や俺のイメージ的にも何か言った方がよさそうだ。
「ウインドエッジ!」
草原の根元から鎌で切るイメージで唱えてみたら直線上に草が薙ぎ払われた。
「トルネード!」
1メートルほど地面ごと抉るイメージで唱えると土が完全に攪拌され掘り返すことができた。
畑作りはトルネードだけでよさそうだ。
次は風で俺を浮かせるイメージで…。
「フロート!」
ゆっくりと体が浮き上がっていき5メートルほどの高さで止まった。
しばらくしてゆっくりと降下する。
見渡してみたが草原や森、山しかなかった。
周囲10キロ程度は人里どころか川や海もなさそうだ。
人があまり来ない僻地という希望は通ったということだ。
…一旦部屋に戻って畑のことを考えよう。
テーブルに麻袋の中身を全て並べてみた。
中には葉物野菜はなかったが根菜、果実類、何かの種が入っていた。
元の世界のものと違いはなさそうに見えた。
同じ形ごとに分けて種と根菜の半分は畑に植えてみることにした。
残りは冷蔵庫に入れて果実類は食べながら随時植えてみる。
今植えていいものか…そもそもこの世界に季節の概念があるかも分からないしな。
畑にしたい範囲の草を刈り丸ごと掘り返し、踏み固めながら畝を作って手当たり次第に植えていった。
「レイン」
水の魔法も問題はなさそうだった。
俺の食糧事情を安定させるためにも早く立派に育って欲しいものだ。
気づいたら全身土塗れで汚かった。
…帰って風呂に入ろう。
そういえば服の着替えとか洗濯とかどうしたらいいのかな。
今着ている服も元の世界とは違うから予備がクローゼットにあるといいけど。
ひとまず俺は玄関で身包み全て脱ぎ風呂に入った。
石鹸や洗剤類も無かったが入れるだけありがたい。
まだこの世界初日だけど久しぶりに湯に浸かった気分で生き返る気がした。
風呂から出るとタオル類もないことに気がついた。
このまま全裸で自然乾燥だと風邪引きそうだ。
「ウインド」
ドライヤーのイメージで温風を出して解決した。
解決すべき問題が多いと頭を抱えたが、寝室のクローゼットには衣類の替えがあったし、洗面台の収納棚にはタオル類やホテル並みのアメニティグッズが揃っていた。
家出る前に全部確認しておけばよかったな…。
俺は全身新しい服に着替えると果物を食べながら汚れた服をどうしようか考えていた。
「精霊さん、いますか?」
ーはい
「洗濯は皆さんどんな魔法を使っているのですか?」
ーただ綺麗になるイメージでいいですよ
「そんな簡単なものですか。」
ーはい大事なのはイメージです
「わかりました。」
洗濯だから水魔法とか考えていたけど、そもそもそういう枠で考えなくてもいいのか?
「クリーン」
汚れが全部綺麗になった。
これは元の世界より快適に過ごせるかもしれない。
次の日、畑を見に行くとその有様に驚いた。
畑の真ん中に木が1本と、その周りに野菜達が立派に育っていたからだ。
種から育ったキャベツやほうれん草、大豆、小麦、米とそのほか見慣れない植物も一斉に収穫できる状態になっていた。
じゃがいもやさつまいももきっと地中に出来上がっているんだろう。
にんじんや大根、ごぼうといった根菜類は種が収穫できる状態だった。
大きな木の正体は昨日俺が食べたりんごだった。
「精霊さん、いますか?」
ーはい
「昨日植えた物が今日収穫できるくらい育ったんだですが、これって元々そういう種類ですか?」
ーいいえ早く立派に育つようにと魔法を使った結果です
「確かにそう願ってはいたけど…それって何か悪い影響とかないんでしょうか。」
ー何度も繰り返すと土地が痩せてしまいますが、しばらく時間を空ければ問題ありません
「それなら極力無心で水撒きするようにします…。」
不測の事態を除いてそんな魔法は使わないようにしよう。
とりあえず今回の分は収穫してしまおう。
りんごや見慣れない植物の一部は多年草のようだったので実だけ収穫した。
最低限の食材は揃ったので次にすることは肉探しだ。
罠は作り方を知らず武器も扱えないので魔法で攻撃して仕留めたい。
俺は獲物を求めて森に入って行った。
風魔法で一気に首を切り落とすのが理想だが、狙うのが難しいかもしれない。
30分ほど進むと木々の間から俺の背丈くらいある猪のような生き物見つけた。
魔法で木の上まで飛び、猪近くの木の枝に降りた。
降りた瞬間木が大きく揺れたが樹上の俺には気づかなかった。
俺は鋭い刃が首を切り落とす明確なイメージで魔法を唱えた。
「ウインドエッジ!」
無事に首だけ落とすことができた。
すぐに血抜きをしないとな。
「バインド」
地中から蔓が出てきて身体を縛り上げたと思ったらそのまま逆さ吊りにしてくれた。
俺は内臓を食べないから首と一緒にこのままここに置いていこう。
頬や舌もきっと美味しいだろうが、顔の解体は今の俺にはまだ抵抗感がある。
身体の方はウインドエッジで尻から喉にかけて一気に切り開くと中身が溢れ落ちてきた。
身体につながったままの部分を丁寧に狙い身だけにしていく。
骨や皮は帰ってからゆっくり取ろう。
帰りは俺と猪もろともフロートで浮いて帰った。
さて、持って帰ったはいいものの、また色々と問題が出てきた。
調味料類だ。
肉を小分けにするにしてもビニール袋がない。
そうなるとまとめて調理して保存する必要があるのだが、調味料がないとただ煮た、焼いた、干しただけの肉でしかない。
今唯一あるのは唐辛子だけだ。
「精霊さん、いますか?」
ーはい
「あの、塩や砂糖、胡椒といった調味料を入手する方法はありますか?」
ー胡椒は既にあります塩は地中から砂糖は今は難しいでしょう
「胡椒はある…?」
ー緑と赤の粒が胡椒です
「なるほど…、砂糖はこの世界では手に入らないのでしょうか。」
ーいいえ渡した袋に入っていなかっただけです
すると今度は目の前に小袋が現れた。
ーこれで大丈夫です
「助かります、いつもありがとうございます。」
胡椒と塩があるなら今のところは大丈夫か。
胡椒は見た目が全然違うがとりあえず乾燥させたら知っている色に変わるか?
思い悩んでいると黒胡椒と白胡椒が出来上がっていた。
知らぬ間に魔法を使っていたらしい。
塩は土中から塩を除去し皿に集めるイメージでやってみよう。
「リムーブ」
皿に山盛りの塩が集まった。
有害な塩が混じってないことを祈ろう。
とりあえず脂身の多い肉の一塊は鍋に野菜や果物、調味料と一緒に煮込むことにした。
今砂糖がないのは仕方がないので赤身の大半は塩と胡椒だけで干し肉にする。
残りは冷蔵庫と冷凍庫に分けて入れた。
砂糖用の種と、そのほか乾燥して保存できる野菜、とっておいた根菜の種を植え、封印しようと思っていた魔法を早く立派に育つよう願い、使った。
「レイン」
しかしこれで保存用も含め十分に採れるはずだから次が育つ数ヶ月は大丈夫なはずだ。
備蓄食料が揃ったらきちんとスローライフを目指そう。