海がしょっぱいのは涙のせい
この話はセウォル号沈没事故を参考に書いた話ですが、登場人物や出来事については全てフィクションであるため、現実の事故を批評したものではないことを重々ご理解ください。
【甲板】
涼しい風が甲板を吹き抜ける。
茜色の空が少しずつ薄れ、星が空に降りかかる。
「そろそろ部屋に戻らないと風邪ひくよ、奈帆」
不意に後ろから声が聞こえてきた。
「衣緒!わざわざ来てくれたの?」
衣緒は、高校の入学式で出会ってから、ずっと一緒に過ごしてきた親友だ。
「おちゃらかさんといてよ、心配してたんだからね?」
「ごめんごめん、つい空が綺麗でさ」
「せっかくの修学旅行なんだから体調崩したらダメだよ?」
衣緒はいつも私のことを気にかけてくれてた。ちょっと心配性すぎやしないかとも思うけれど、それも衣緒のいいところではある。
「分かったよ。さ、帰ろ!」
「もう、ほんと自分勝手だなあ」
部屋に向かって歩き出す私に、後ろから衣緒が着いてくる。
「ここ船の上なのにすごいよね!綺麗なホテルみたいで!」
「うん、この高校選んでよかった。こんな綺麗なとこで泊まれるなんてね」
やっぱり外泊っていうのは誰にとっても楽しいものらしい。衣緒の声も数段高くなってるように感じた。
【部屋】
しばらく廊下を歩くと部屋についた。
「やっぱ修学旅行と言えば“恋バナ“だよねぇ!!」
恋バナは修学旅行の恒例行事である。これ常識。
本音を言うとそれに衣緒の好きな人が気になるからなのだが…
「あ、言っとくけど私好きな人いないよ?」
「そんな恥ずかしがらなくっていいからさ、ね?」
「ね?ってなんやねんwほんとにいないってば」
衣緒とはもう何回か恋バナしたことがある。でも毎回はぐらかされてしまうのだ。
くっ…どうすれば口を割るのだろうか…この強情者め!
そんな私を気に求めずに、衣緒は慣れた手つきで林檎を剥いている…これが年の差だというのか!?
因みに私の方が衣緒よりも五日年下である…まあ、差があるのは年下なんだししょうがないよな!
(※しょうがなくありません)
「ってか果物ナイフなんてどこから出てきたんだよ」
「そこの棚」
「ああ、それ私物じゃないのね」
「私物なら銃刀法違反になるじゃん」
「わお、ど正論」
衣緒とはずっと一緒に過ごしているからだろうか、話の波長がぴったりなのだ…そのせいで会話がコントになっちゃうんだけどね
「あれ?今なんか揺れなかった?」
「船だから揺れるのは当たり前でしょ」
「確かに…」
「ってか奈帆、恋バナはどこ行ったんよ」
ちゃっかり指摘するあたり好きな人いないとか言っときながら衣緒もやっぱり興味あったんだろう。
「だってどっちも好きな人いないんじゃつまんないじゃん」
「お前もか、ブ◯ータス」
「出ました、毎度お馴染みカ◯サルの名言!しかし衣緒が言ったから迷言!」
「侮辱罪で訴えるよ?ボソッ(カ◯サルが)」
「そっちかい」
またコントか…いつまで続くんだこれ。まあ楽しいしいっか
そんなこんなでいつの間にか就寝時間を過ぎて夜の11時…
「そろそろ寝た方がいいかな?明日起きれなくなるしさ」
「そだね、んじゃおやすみ」
「寝るの早っ…」
・
・
・
サイレンの音にハッと飛び起きる。
横を見ると衣緒も起きたようだ。
「何このサイレン?」
「分かんないけどやばいよね?どうしよ、部屋から出た方がいいかな?」
「とりま先生の指示待と、勝手に行動したら怒られる」
尋常ではない船の傾きと、鳴り続けるサイレンに自然と体が強張る。
そんな時、スピーカーから放送が鳴り響いた。
『生徒の皆さん、部屋から出ないでください。乗組員の方が向かい、避難指導をします。各自着替えてライフジャケットを着用してください。』
「衣緒、聞こえたよね?事故っぽい」
「らしいね、とりあえずライフジャケット準備しよ。空気入れるタイプっぽいから膨らませないと」
いまだに止まらないサイレンの中、ライフジャケットを準備が終わった。
すでに数十分経ったにもかかわらず、乗組員はこない。
「ねぇ奈帆、なんかおかしくない?なんで誰も来ないの?」
「私もそう思う。一旦廊下出て確認しよ。まずい状況かもしれないしね」
緊迫した雰囲気の中、ドアを開けた私たちを待っていたのは、廊下を埋め尽くす海水だった…。
「何これ!?どういうこと?衣緒どうしよう、水で出入り口の方に進めないじゃん」
「乗組員を待つしかない…こんな状況じゃ私には何もできないよ」
「一旦部屋に戻ろう。廊下よりも部屋の方が船の傾き的に高い位置にある」
ドアを閉めてできるだけ廊下から離れる。いつの間にこんなことになったのか、この船は大丈夫か、行き場のない不安がお腹の奥の方でぐずぐずと回っていた。
恐怖で思考が凍りつく。何も分からない、何も考えられない、
「奈帆っ!!あれ見て、部屋に水が入ってきてる!」
衣緒の言葉で意識がハッとする。ドアの隙間から少しずつ海水が染み出していっているのだ。
「衣緒、とりあえず塞げそうなもので部屋の隙間塞ぐよ!」
「確かテープがあったはず、少しは使えるかな?」
「なんでもいいから早く!」
2人がかりで必死に隙間を埋める。服を詰めたりテープを貼ったり…
当然そんなもので水を止められる訳もなくとうとうふくらはぎのあたりまで水位が上がってきた。
「やっぱダメだ、テープなんかじゃ止められない」
「諦めちゃダメだよ、まだ止めれるかも。生きて帰るんだよ!」
私たちの努力や思いも虚しく海に消え、無情な水がドアの隙間だけでなく換気扇から溢れ出してきた。
そこからはあっという間だった。対策する暇もなく、部屋は水に侵食されていく。
電気も消え、暗い海の闇が部屋を覆った。
水位が上がるにつれて、息のできる範囲はどんどん狭くなる。ついに天井スレスレまで水が上がってきた。
その時、一言も喋っていなかった衣緒が話し始めた
「ねぇ、奈帆。私たちここで死ぬのかな?」
「そんなこと言わないでよ、きっと、きっと誰かが助けに来てくれるから!」
そんな奇跡が起きないこと、知ってる。知ってるけど、諦めるなんてできなかった。
衣緒は私の言葉なんてなかったかのように話し続ける。
「奈帆、よく聞いててね。このライフジャケットには空気が入ってる。これさえあれば、天井まで水でいっぱいになっても少しは持ち堪えられる。」
光が差し込んで来た気がした。助かるかは分からない。でも少しでも長く生きられる方法だ。なんで気づかなかったんだろう!
「衣緒、それ名案!これでまだ救助が待てるね!」
しかし、喜ぶ私に衣緒は冷たい氷のような言葉を投げかけた。
「ってことでさ、奈帆が私のライフジャケットも使ってよ。」
そんなこと、できるわけがない。
「なんで!?そしたら衣緒、息できないじゃん!」
「うん、知ってる。」
やけに冷静な衣緒の声が怖い。今、衣緒はどんな顔をしてるんだろう。暗くて何も見えない。
「一緒に助かるんじゃダメなの!?」
「それが1番いいよね、でもこのライフジャケットを使えば、奈帆が生き延びる確率が上がるでしょう?」
そんなの知らない。衣緒の命よりも私が生き延びる確率のが大事?そんなわけない。
「私、衣緒を犠牲にしてまで生きてたいわけじゃない…」
「それも、知ってる。」
「じゃあなんでっ!?」
「奈帆に死んでほしくないから。奈帆が止めるのも分かるよ、でももう決めたんだ。」
「そんなの嫌だ…」
「奈帆、最後に聞いてくれる?溺死ってすっごい苦しいらしいの。だから、この果物ナイフで、奈帆が殺してくれない?」
「え…?」
私が、衣緒を、殺す?大事な友達を?どうやって?できるわけないよ
「最後のお願いなんだ、せめて楽に死にたい。頼むよ…一思いにグサッと、ね?」
指先に冷たい金属が触れる。きっとナイフの柄なのだろう。そっと差し出されたそれを握る。ナイフ越しに衣緒の鼓動が伝わってくる。
脈打つ鼓動、命の揺らぎ
やっぱり私にはできない…ナイフを離そうとしたその時だった。
不意に衣緒が自分の手で私がナイフを握っている手を握り、自ら喉に突き立てたのだ。
指先から皮膚を突き破る感触が伝わる。生暖かい液体がじんわりと腕に染み付いていった。
力の抜けた衣緒の体が私にもたれかかる。
反射的に抱きしめた私の耳元で衣緒は最後の言葉を絞り出した。
「…好きな人、いないって言ったじゃん?あれ、嘘だよ…」
こぼれ落ちた涙は海水と混じって海の闇に溶けていった。
ついに水が天井まで浸した。ライフジャケットの空気ももう無い。
酸素を失った頭がぐわんぐわんと揺れている。
もう、おしまいか…
ごめん、衣緒。やっぱダメだったみたい。
私も…楽に…
衣緒が使ったナイフをそっと首に当てる。
じんわりと滲み出た赤が混ざり合う。
その瞬間、眩い光が視界を覆った。
薄れゆく意識の中でダイバーが近づいてくるのが見えた気がした。
【病院】
光の中、目を覚ます。
病院のベッドの上
首に巻かれた包帯は、痛々しい記憶を思い出させる。
私も好きだったのに、勝手に死なないでよ…。
読んでいただきありがとうございました。
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