不法投棄ロックンローラー
「おーし、みんな、さっさと着替えろ。現場行くぞ」
プレハブの出入り口から〝仕切り〟のシゲの声が響く。
俊介はロッカーから厚手のつなぎを取り出し、ズボンとパーカーを脱ぎ、モスグリーンの作業服に着替えた。
冬の曇り空の下、黄色いヘルメットをかぶった男たちがプレハブからゾロゾロと出てきて白いワゴンに乗り込む。
車は十分ほど走って現場に到着した。
ワゴンを降りた俊介は資材の山に向かった。青いビニールシートをめくると、下から鉄パイプや金具、鋼板が現われる。
「うーし、明日は雨の予報だから、今日で一気に終わらせるぞー」
シゲが声を張り上げ、男たちが単管と接合用のクランプを運び出し、骨組みを作りはじめた。
俊介は輪っかの形で束になった太いワイヤーをかついだ。一束30キロの番線がずしりと肩に食い込む。
設営された鋼板が風で飛ばされないよう、パイプの接合部に鉄線を巻いて補強し、硬鋼線専用のカッターで切断する。
冷たく乾いた空気の中、あっという間に額に汗がにじみ、俊介は軍手をはめた手で汗をぬぐった。
彼らがしているのは〝穴屋〟と呼ばれる廃棄物処理の一端を担う仕事だった。
不動産ブローカーから不法投棄に適した場所を手に入れ、穴を掘る(土砂の採取は許可が必要だが、もちろん無届けである)。
穴が外部から見えないよう、亜鉛でメッキされた銀の鋼板で、時には何ヘクタールもの場所を取り囲むのが彼らの役割だった。
以前、シゲが得意げに言っていた。
「ただ、塀を作りゃいいってもんじゃねえんだ。いかにも、ちゃんと許可を得た工事現場ですって感じにするのが腕の見せ所だ。通報されたらおしまいだからな」
現場でつなぎに着替えるのも普通の作業員を装うためだ。「人間は見た目から入るのが大事なんだよ」とシゲは言う。
午前の仕事が終わり、昼休みになった。
シゲの部下が、ワゴンに積んできた弁当と緑茶のペットボトルを作業員たちに配る。
弁当代は飲み物と合わせて500円。日当から天引きされる。カップラーメンで済ませる者もいるが、俊介は弁当にしていた。腹がもたないからだ。
ビニールシートの上にあぐらをかき、箸を割ろうとすると、人が近づいてくる気配がした。
「シュンさん――」
長髪の身体の大きな男が俊介の隣に腰を下ろし、弁当のフタを開ける。
「今日は肉が多くて当たりですね。昨日の八宝菜はいまひとつで……あ、いつものどうぞ」
自分の弁当箱を差し出す。悪いな、と言いながら俊介は卵焼きを箸で挟んだ。卵アレルギーで食べられないらしい。
男の名前は石川隼人。
現場には若い作業員が少なく、自然と話すようになった。きっかけは俊介が着ていたTシャツだ。
「それ、カート・コバーンですよね? ロック好きなんですか?」
プレハブでつなぎの作業服に着替えていると、隣にいた石川が声をかけてきた。シャツの胸一面に煙草を吸う外人の顔がプリントされていた。
東北出身の石川は地元でバンドをやっていたという。俊介もギターを弾けたので、二人はロックの話で意気投合した。
「俺、ここに来る前は福島で〝土屋〟をやってたんです」
不法投棄の用地を確保し、塀で囲むまでが穴屋の仕事で、土砂を採掘して運搬するのが土屋の仕事だった。
「へー、なんで穴屋に職替えしたんだ?」
俊介に訊かれ、石川が頭をかいた。
「穴掘ってたら、他の作業員のミスで埋められそうになったんですよ。もう土を見るのもこりごりです」
幸い命はとりとめたが、それを機に土屋の仕事から足を洗ったという。
「土屋って稼ぎはいいのか?」
「たいして変わりません。だったら怪我や危険がない方がいいですから」
以来、現場が被ると石川と言葉を交わすようになった。話題はロックの話が多かった。弁当を食いながら石川が言った。
「シュンさん、俺とバンドやりませんか?」
前にアパートに遊びに来たとき、俊介がギターの弾き語りをやってみせた。うまい、と絶賛された。
「素人に毛の生えたギターだよ。おまえこそ、もう音楽はやらないのか?」
「妹の香奈が看護師になるために学校に通ってるんです。俺がしっかり稼いで、学費を出してやんないといけないんで」
兄妹は幼い頃に親を亡くし、石川が親代わりに年の離れた妹を育ててきたという。前に写真を見せてもらった。純朴そうなかわいらしい娘だった。
「おい、石川――」
シゲの声がして、ふたりは会話を止めた。
「おまえ、早めに飯食って、下からワイヤー二つ持ってこい」
「……わかりました」
詰め所のプレハブから現場までこう配のある山道で、車でも20分はかかる。それを30キロの番線を二束かつぎ、徒歩で運搬しろと言うのだ。
「大丈夫か?」
「まあ、なんとかなると思います」
元プロボクサーのシゲは古いタイプの体育会系というのか、長髪で、いかにもロッカーという風貌の石川を露骨に嫌っていた。
だが、俊介に助けることはできなかった。この現場を仕切っているのはシゲだ。とばっちりは喰らいたくなかった。
◇
夜、ワゴンの12人掛けのシートはぜんぶ埋まり、俊介は後方の席に座っていた。隣には石川がいたが、さすがに疲れはてて熟睡していた。
暗い窓に自分の顔が写っていた。
(バンドか……)
俊介は高校を卒業後、仲間とプロを目指して上京した。レコード会社にデモ音源を送ったり、ライブハウスで演奏をしたが、結局チャンスはつかめなかった。
就職したり、結婚する仲間が出てきて、バンドは解散。俊介自身も就職したが、勤め先はお定まりのブラック企業、半年ももたずに退職した。
それから職を転々とし、たどり着いたのが振り込み詐欺の掛け子――電話をする役目だった。腕が良く、番頭まで昇進したが、警察に踏み込まれ、その場から逃走した。
野宿や空き家での逃亡生活に疲れ、街を歩いていたとき、仕切りのシゲに声をかけられ、以来、日雇いで働かせてもらっていた。
そんな生活を続けているうちに30歳が目の前に迫っている。こんな生活をいつまでも続けるわけにはいかないのに、不法投棄の仕事から抜けられなかった。
◇
「てめえ、何度言ったらわかるんだ、このウスノロ!」
シゲの怒声が現場に響いた。
相手は石川だった。まだ仕事に慣れていないので、鋼板の固定が甘く、仮囲いが倒れてしまったのだ。
「す、すいません」
石川が真っ青になって謝る。
「クランプの取り付けが甘いんだよ! グラグラじゃねえか」
シゲが仮囲いのパイプを手で揺らし、苛立ちをぶつけるように鋼板を蹴り飛ばした。
「なるべくクランプの数を減らせと言われたので……」
「俺のせいだって言うのか。自分の仕事の甘さを棚に上げて人のせいにしてんじゃねえぞ!」
強烈な鉄拳が石川の顔に飛び、巨体がぐらっと揺れる。
倒れればいいのに、身体のデカい石川は耐えてしまう。元プロボクサーにはそれが気に障ったのか、パンチが激しさを増す。
自分の身を守ろうとした石川の手がシゲの頬をかすった。頬にうっすらと赤い筋が走り、坊主頭の顔が怒りで紅潮する。
「この野郎……」
渾身の右フックがこめかみに入り、巨体がバタンと倒れた。鉄材の角に頭を打った。石川の身体が一瞬、けいれんするように震え、ぐったりとなった。
別の作業員が膝をつき、石川の顔を覗き込む。
「シゲさん、こいつ、泡ふいてますけど……」
「ほっとけ」
「でも……」
「さっさと作業に戻れ! てめえもぶっ殺されてえのか」
作業員たちは自分の持ち場に戻った。介抱したりしたら何を言われるかわからないので、俊介もあえて見て見ぬふりをした。
その日のノルマが終わり、みなが道具の片付けをしていると、作業員の一人が倒れた石川を見て言った。
「……シゲさん、こいつ死んでますよ」
シゲが近づき、膝をついて石川の顔を覗き込み、ちっと舌打ちする。
「ったく、めんどくせー野郎だなー。おい、おまえら、こいつを運べ」
作業員たちが石川の死体を持たされる。俊介も左足を抱えた。身体の大きい石川は重かった。
四人がかりで死体を運び、設営中の仮囲いの隙間をくぐり、敷地の中に入る。
すでに不法投棄用の、深さ5メートほどの巨大な穴が掘られていた。
「ポケットの中のもんをぜんぶ出せ」
ズボンから財布やスマホ、鍵などが出てきた。シゲはスマホを地面に置き、両口の杭打ちハンマーを振り上げ、叩きつけた。黒い筐体が粉々に砕け散る。
財布からお札を抜き、鍵と一緒に穴に放り投げると、シゲが言った。
「穴に落とせ」
俊介たちは穴の縁まで行き、手を離した。大男の身体が急斜面を転がり落ち、五メートルほど下の底で止まった。
「このことは誰にも言うんじゃねえぞ」
坊主頭の顔が作業員たちをじろりとにらみつける。
その後、ワゴンで詰め所のプレハブまで戻り、その日の給金を受け取って山を離れた。
俊介はいつもの後方の席に座っていた。暗い窓に自分の顔が写っていた。
(あいつは運が悪かったんだ……)
俊介自身も含め、不法投棄現場で働くやつはスネに傷を持つ人間が多い。警察に密告したら自分が捕まる。
(だから、シゲも死体の処理を俺たちに手伝わせたんだ……)
仮囲いが終わり、明日から穴にゴミの投棄が始まる。シゲが死体を埋めなかったのは、どうせゴミに埋まると思っていたからだろう。
ロックの話ができる貴重な人間だったが、石川のことはもう忘れよう。俊介は窓の外の暗い情景に目をやった。
◇
それから三日後――
別の現場での仕事を終え、俊介は街に戻ってきた。ワゴンを降り、その場を離れようとしたら不意に声をかけられた。
「あの、新井さんですか――」
18、9歳ぐらいの若い娘が立っていた。
「私、石川隼人の妹です。新井さんのことは兄から聞いていました。兄のことでで少しお訊きしたいことがありまして……」
「……なんですか?」
警戒するように俊介は訊ねた。
「三日ほど前から兄と連絡がとれなくなってるんです。兄のことで何かご存じではありませんか?」
不穏な視線を感じた。ワゴンの前に立っているシゲがこちらをじっと見ている。よけいなことをしゃべるな、そんな無言の圧力を感じた。
ここではまずいと思い、俊介は女を連れて喫茶店に移動した。
彼女の名前は石川梢。今19歳で、看護学校に通っているという。
「両親が早くに亡くなったので、高校を卒業した兄が働いて私に仕送りをしてくれていたんです。いくつも仕事を掛け持ちして、兄は無理をしていました」
毎日送られてきたLINEが三日前から途絶え、スマホに電話をしても出ない。看護学校を休み、上京してきたという。
「兄は新井さんにとても良くしてもらっていると言ってました。それで何かご存じではないかと思いまして……」
俊介は内心で舌打ちをした。よけいなところで名前を出されたものだ。
「……さあ、日雇いでたまに現場が同じになったらしゃべる程度だったので……最近はウチの現場に来ないな、と思ってました」
そうですか、と妹は声を沈ませた。
「明日も連絡がなければ、警察に行こうと思います。今の状況で警察が動いてくれるかはわかりませんが……あの、兄のことで何か思い出したことがあれば教えてください」
連絡先を書いたメモを渡され、梢と別れた。
その日の夜、夢に石川が出てきた。血に染まったカート・コバーンのTシャツを着た大男が立っていた。手にギターを持ち、顔をうつむかせている。
(石川?……)
声を掛けようとした瞬間、石川の手がギターをかき鳴らし、ギギッというエフェクトのかかった強烈なブラッシング音が響いた。
「うわあああ」
俊介は叫び声をあげてアパートの布団で跳ね起きた。背中が汗でびっしょりだった。
のろのろと身体を起こし、冷蔵庫からペットボトルを出し、冷たい水を喉に流し込んだ。
(俺が殺したわけじゃない……俺は何も悪くない……)
殺したのはシゲだ。自分は命じられて死体を処理するのを手伝っただけだ。
だからといって自首などできるわけがない。死体遺棄の幇助は立派な犯罪だ。自分は振り込め詐欺の番頭をやっていた過去があり、今も警察に追われている。
だが翌朝、現場に行くためアパートを出ると、物陰から三人の男たちに出てきてあっという間に囲まれた。
男の一人が令状を見せる。
「新井俊介だな? 遺棄等致死傷容疑で逮捕する」
その場で手錠をかけられ、俊介は車に押し込まれ、警察に連行されていった。
◇
警察署の取調室に俊介はいた。
テーブルの向かいにはくたびれた中年の刑事が座っていた。シゲや死体の処理を手伝った他の作業員も逮捕され、取り調べを受けているという。
「誰が通報したんですか?」
俊介が疲れた声で訊ねた。恐らく現場の作業員の誰かが警察に密告したのだろう。
「石川だよ。あいつは死んでなかったんだよ」
「え?……」
たしかに素人の死亡確認だ。生きてはいたのかもしれない。だが――
「あの穴は……」
深さが5メートル近くあった。瀕死の身体で登るのは不可能だ。翌日からゴミの不法投棄も始まったはずだ。
「不法投棄されたゴミの中にギターとアンプがあったのさ」
「?…………」
「石川はそれを車のバッテリーとつないで、朝から晩までギターを弾き続けたんだ」
山菜採りに来た地元の人間が音に気づいて通報したという。救助された石川が経緯を語り、シゲや自分たちが逮捕されたというわけだ。
俊介ははっと笑いをこぼした。
ゴミ山の中でギターを弾く――いかにもロッカーらしい行動だった。最後まであきらめないロックスピリッツってやつだろうか。
(そうか……だから夢の中でギターの音が……)
あれは石川の魂の演奏だったのだ。
「これ、石川がおまえに渡してくれとさ」
刑事が足元の紙袋からCDを取り出し、机の上に置いた。
裸の赤ちゃんが水の中を泳いでいる特徴的なジャケット――ロックバンド、ニルヴァーナの有名なアルバムだった。
刑務所で聴けとでもいうのか。苦笑いしながら俊介がCDを開けると、小さなメモが入っていて、こう書かれていた。
――シュンさん、出てきたらいっしょにバンドをやりましょう。
「あと、これもな」
刑事がギターのピックを机の上に置き、俊介はそれをじっと見つめた。
振り込め詐欺と遺棄等致死傷罪、何年喰らうかわからないが、出所したらまたロックを演るのも悪くないかもしれない。
刑事さん、と俊介はつぶやくように言った。
「……刑務所ってギター持ってけるんですか?」
(完)