9.実験
「ナディエ、そっちはどう?」
「大体終わったかな。そっちは?」
「もう終わる。暑っつー。」
日が昇り始め、体を動かしていたこともあり、じんわりと汗をかいている。手が土で汚れているため腕で額から落ちる汗を拭う。
家の裏の広い土地を利用した畑はほぼ自給自足できるように様々な作物が植えられている。
この間はアスパラガスやブロッコリー、ニラなどを収穫した。
今はニンニクやジャガイモ、トマトなどがすくすくと育っている。
広い畑、なんせ手入れが大変だ。野菜のことはプレジールがなぜか育て方を知っているため教えてもらいながら手を加えている。植えている種類が多いのも困りものだ。
当番制で畑仕事をしたり、薬草園の仕事をしたり、はたまた家事をしたり、2人でこれらを行うのは大変だっただろう。
気温が上がり切る前に水やりを行い、洗濯場の水で靴や手の泥を落とす。少し離れた所ではリヒトが薪割をしていた。あれだけは女の力じゃできないと思う。斧が重すぎる。
エスポワールとシェリーが見当たらないがきっと家の中で作業しているのだろう。ひと時の休憩を、と家の前に置かれたいかにも手作りです、という風の木のベンチに2人で腰掛ける。ちょうど影になっていて通り抜ける風が心地よい。
「こうしてるとナディエもすっかり庶民が板についたねー。なかなかいいもんでしょ?こういう生活も。」
「うーん・・・悪くはないけど、庶民の生活も大変だなって。ここで農作業するまで食べ物がああして出来てるなんて知らなかった。プレジールは何でこんなに育て方知ってるの?」
「交渉に直接農家へ出向いてそこで教えてもらったりしてたしね。ここではエスポワールさんが教えてくれるし。自然豊かで水も美味しい。それを使って育てた野菜は美味しいね。これ市場に回してほしいくらいだよ。」
「へえ~、水とか土とか関係あるの?」
「そりゃあるよ。侯爵家に卸しているのはいいものばかりだもの。美味しくないものなんてなかったでしょ。調理も専門の人が作ってるじゃない。ほんと、恵まれてたよねー。」
過去に思いをふけり、んーと背伸びをする。貴族社会の煩わしさや職場の精神的攻撃がないなんて、すがすがしい。ここの生活に慣れたらきっともとには戻れないだろうな、とぼんやりと思う。
「リヒトさーん、ちょっと休憩しませんかー?お茶、置いておきますねー。」
あんなに太陽の下、体を動かしていたら日射病になってしまう。中から冷たい麦茶をプレジールが運んできた。ちなみにこの麦茶、自家製の麦で作られたものだ。ここに来て初めて麦茶を飲んだが、家で飲んでいた紅茶と違ってすごく香ばしい。飲み慣れるまでは少し時間がかかってしまったが。
さーて、家に入ろうか、というところで、中からボンッという音がした。家も地面も少し揺れる。2人で顔を見合わせて家の中へ入っていく。
1つの部屋から綺麗な髪をアフロにさせて、なんならちょっと髪がくすぶっているような状態のエスポワールが出てきた。
ゲホッ、ゲホッとむせ込んでおり、顔も服も煤で汚れている。一体中で何があったんだ。とりあえずタオルを水で濡らしてきて、渡して顔を拭いてもらう。
あっという間にタオルが黒くなってしまった。エスポワールの出てきた部屋からは猫型のシェリーが出て来てブルブルと毛を振るう。元々黒っぽい毛だが、白かったお腹まで煤汚れして黒猫になっていた。
「何があったんですか?」
「ゲホッ、ゲホッ、失敗、ゲホ、した。」
ん?何か実験でもしていたのか?
「大丈夫だ。たまにある。」
後ろからやって来たリヒトが事もなげに言う。え、こんなことしょっちゅうあるの?
「今風呂を沸かしてる。」
「ああ、すまんね。ゲホッ、ちょっと行ってくるよ。」
「シェリー、お前はこっちだ。」
外で洗われるのだろう。抱き上げようとしたらシャーッと威嚇していた。猫又も猫と一緒で水が嫌いなのか。そうか。今日は人語が出ないようだ。爪がリヒトの腕に食い込んでいるが大丈夫だろうか。長袖のシャツをきているがあんなにとがった爪は痛いだろう。
石鹸でわしゃわしゃと洗われた後は思いっきりブルブルして屋根の上へ一目散に逃げていった。今頃日向ぼっこで体を乾かしつつ昼寝しているんだろう。
エスポワールはというと、風呂から上がった後も髪の爆発具合はほとんど変わっていなかった。こうして見ると本当におばちゃん、って感じだ。そんなこと言うと怒られるのが目に見えているので言わないが。
「ああ、あんたたち。ちょっと味見してくれるかい?」
ここに来て学んだこと。ちょっと味見してというのは危険信号だということ。今までにも2回あり、しばらく動けなくなった記憶は今も色あせることなく思い出せる。
2人して顔を強張らせ逃げる算段を考えていると小さなコップに入った薄緑と黄色とオレンジを混ぜたような色合いのものが出される。
うう、見た目がすでに危ない。匂いも草っぽい匂いにほのかに甘い香りが混じり、既に気持ち悪い。
もう後に引けない。深呼吸して目を瞑り、ひと思いに飲んでみる。
「うっ。」
「げっ。うっぷ。」
本日の出来も大変に良好・・・もとい、酷いものだった。
冷たい水を飲み、しばらく横たわっていた私たちは、顔色がまだ少し悪いながらも、もそもそと起き上がる。
「ふむ。今回もだめかえ。」
「いや、私たちを実験にしないでくださいよ。いつか死んじゃいます。」
「そうですよ。不味いの分かってて飲ませてくるのやめてください。」
私たちが涙ながらに訴えるが彼女は歯牙にもかけない。
私たちが来るまではリヒトがこの役を負っていたらしいが、彼はあまり表情が変わらないため分かりにくいと選手交代させられてしまった。
「で、あれは何の薬だったんですか?」
薬草が使われている時点で薬だと分かるが、何の作用の物なのかとあんな不味いものを飲まなければならない病気の人が可哀そうに思えてくる。
「あれか?子供が薬が苦いと言って飲んでくれんと言うんでな。甘味を足してみようと実験してたんじゃ。」
「そこから爆発に至る経緯がものすごく気になります。」
「甘味に何入れたんですか?」
「ちょっと工程を間違えただけよ。はちみつを入れてみたんだがどうじゃった?」
一瞬、無言になる。彼女の思考についていけないぞ?
「草の匂いに薬草の苦さ、そこにはちみつを入れられると、得も言われぬ味になりますね。」
「甘味ならルッコラとかトーリとか、同じ草を入れればまだましになるんじゃないんですか?というか、液体じゃなくて丸薬にしたら・・・。」
「それならもう試したわい。それが上手いこといかんでいっそのことはちみつを入れてみたんじゃ。」
酷い味すぎてもう二度と口にしたくない。
さて、困ったとみんなで頭を突き合わす。ここは薬に味を付けるのを止めた方がいいと思うが。
いいほど時間が経ち、一つの案がひらめく。
「以前、ヒメノザとベレミソウを煮たてたときに膜がはってましたよね。いつも捨ててますけど、あれ、弾力あるし、乾燥したら薬包めませんかね?」
「どうやって包むんだい?これを。」
「このままさらに煮たてて濃くした状態で水分を飛ばして粉にしたり、凝縮させたものをあの膜で包めば飲み込めませんかね?」
「それをして薬の効きがどうなるかはまた実験だね。まあ、試してみる価値はあるかの・・・。」
そんなことを言って、自分の首を絞めるだけだということを後から思い出しながら試薬を飲む(飲まされる)のだった―――。