3.罠
処置室には4人の患者が運ばれていた。
4人が4人とも血まみれでどこに傷があるのか分かりにくい。
強烈な鉄の臭いが嗅覚を麻痺させていく。軍服は血を吸って重くなり、体に張り付いている。呼吸も浅く、そして速い。
それぞれ服を切り肌を露出させる。赤く染まった包帯は洞窟メンバーが応急処置した後だろう。その包帯も切り、目をしかめた。
皮下脂肪がえぐれ筋肉が露出している。他の患者も腕や足の損傷があり、神経も傷ついているんじゃないかと思うほどだ。
ドゥム・ゲヘンバルも擦り傷や切り傷が全身にあり、さらには左腕と右足には動物に噛み千切られたかのような酷い傷があった。
例え派閥が違えど、気の合わない相手であろうと、医療は全ての人に平等でなければならない。
後から憎まれ口を叩かれるかもしれないがドーレン医師から指名もされているため処置に当たった。
それからも治療をしては夜間は交替で仮眠をとり、簡易食をパパッと食べてまた治療して、というのを半年ほどしただろうか。物資は相変わらず足りず、節約しながら時々送られてくる物資でなんとかやりくりしていた。
そんな日もようやく終わる。
我が国、ロドス帝国の敗戦という形で。
自国の5倍6倍も広い土地と豊かな資源、人員など圧倒的な差があるクローヌス帝国とまともにやり合おうというのがいけない。初めから負け戦なのはほとんどの者が分かっていた。そもそも事の発端は国境警備隊の数人がふざけてかの地の国境線を超えたことから始まったらしい。酔っていたようだったため、かの国の国境管理隊が注意したら殴る・蹴るなどの集団暴力で全治1ヵ月の怪我を負ったというのだ。全てが終わった後にこの話を聞き、やり場のない感情を抱いた。
敗戦、ということで周りから責められた将軍が責任を取る形で将軍職を降りることになった。しかし、新任の将軍はまだ不慣れなため、しばらくは相談役として残るらしい。
家に帰ると空気が重かった。家主は怒気をはらませ、察した使用人たちは表情を強張らせながらもミスの無いよう、普段通りの仕事をしてくれている。
「くそ、してやられたわ。あの若造ども!負けることなぞ分かりきっていたもんを押し付けよって!挙句次の将軍職は王派のディックナート・ベルトニーニだぞ!?現場経験のない元総務省の人間が騎士団のトップなんぞ務まるか!誰だ、そんな馬鹿げた人選をしたのは!」
「あなた、使用人が怯えてますよ。正式に通達もされたんです、仕方ないじゃないですか。いいかげん落ち着いてくださいな。・・・あら、ナディ、帰っていたの?お帰りなさい。」
「た・・・ただいま・・・。」
父の吠え声に恐れをなし、動けず、声をかけるタイミングを見失っていたら母が気づいてくれた。
『ギンッ』という音が付きそうな勢いで振り向いた父の鋭い眼光に思わず足が一歩下がる。青い瞳が冷徹さを伴って私の精神にダメージが重なる。
「遅かったな。まあ、ククラスもまだ帰ってきていないがな。」
「戦中の治療記録のまとめと来週からの通常勤務の準備をしていましたので。」
ククラスというのは第2騎士団副団長をしている次兄のことだ。最近副団長に上がったためまだ業務に慣れていないのだろう。ちなみに第3騎士団にいる三男のヨハンは役職もなく、みんなより一足先に帰宅しているらしい。らしい、というのも彼はこの家を出て妻と2人で暮らしているからだ。新婚さんにこの半年ほどの別離は辛かっただろう。
そして私は記録もまとめ終わり、週末の2日間の休みをゲットしてきたのだ。が、帰ってきたら真冬のような冷気漂う我が家にウキウキが一瞬で引っ込んだ。
両親から労いの言葉を貰い、そそくさと自室へ戻った。道中、長兄の奥さんであるリリアナに会う。
「まあ、今帰って来たの?お帰りなさい。大変だったでしょう。」
「ただいま帰りました。なんだかもの凄く久しぶりにお会いする気分です。みんなは一緒にいないんですね。」
みんなというのは長兄の子供たちで、3人いる。
「上2人は多分外で遊んでいると思うわ。ユリアナは今お乳を飲んで寝た所なの。だから乳母に任せて外の2人を見に行ってくるわ。」
我が家に乳母はいるが、授乳は自分でしたいというリリアナたっての希望で3人とも自ら母乳で育てている。1歳になる末っ子は寝たばかりならしばらく起きないだろう。
「休んだ後で子供たちに顔を見せてあげてくれる?ずっとまだ帰ってこないのかって言っていたのよ。」
可愛い甥っ子たちの顔を思い浮かべ頬が緩む。
また後で、と自室に戻り入浴した後、はしたないがベッドへダイブした。
その後の記憶がない所を思うにすぐに眠ったんだろう。
扉をノックする音で覚醒する。もうちょっと寝たかったのに!
「ナディエお嬢様、もうすぐ夕飯の支度が整います。そろそろ起きられますか?」
んー、と気のない返事をしたら遠慮なく侍女が入って来た。
「失礼します!お嬢様、お召し物を替えましょう!もう皆さん待っていますよ。さあさあ!」
遠慮なく侍女に身ぐるみ剥がされた私はちゃっちゃと着替えられる。我が家の侍女はどうしてこう・・・なんてぐちぐち思ってたけど気づいたら晩餐室の扉の前だった。
久しぶりに家族みんなで食べた温かく食べなれた味はこの半年で廃れた心をほぐしてくれた。
戦後1月。いつも通りの日常を過ごしていた私はまるで戦争がなかったかのような周囲の状態を見るのにも慣れてきた。
大陸の中で雪の降らない2つの国のうちの1つであるロドス帝国はその分空気が乾燥し冷たい風が吹き抜ける冬をようやく終えようとしていた。
そんなもうすぐ春を迎えるにあたって浮いた心をあっという間に現実に戻した声があった。
「ナディエ・スチュワードだな。騎士団及び医師団から禁忌薬の使用があったと告発があった。大神官もおられる。このまま私に付いて来い。」
「え?禁止薬?・・・何のことですか?そんなもの使ってなんて・・・。」
私の頭の中は?でいっぱいだ。禁止薬なんて今までだって使ったことなんてないし大神官の前に連れていかれることだって意味が分からない。
そうして騎士服を着ている男――恐らく懲罰部隊だろう――に強制的に連れていかれた。
何が何だか分からないうちに私はこの国では禁止されている『魔女の秘薬』を使った咎で国外追放処分を下されることとなった。