2.野戦病院
――ジャリッ、ジャリッ。
月明りと所々の家から漏れるわずかな光を頼りに砂利道を歩く。
周辺の国よりもはるかに小さい国といえど王都から辺境の地まで徒歩というのはなかなかに辛いものがある。軍の練習をしているわけではないので当然と言えば当然だが物資を運びながら長距離を歩くのはそろそろ限界に近い。まあ、テントなど大きいものは馬にくくりつけて真ん中あたりの人が運んでくれてるからありがたいけど。歩兵になるべく後れを取らないよう皆必死だった。
「この辺りは・・・あそこ程ではないけど、酷いものですね。」
つぶやきともとれるほどの小さな声で隣を歩く男に声をかける。
「あそこ?・・・もしかしてリーダのことか?」
リーダとは数年前にあったロドス帝国と隣接するアルメリア王国の境にある町の名だ。
隣の男・・・シュティレも周囲を気にしながら返事をしつつ私の次の言葉を待つ。
「戦火にあったあの町は何も復旧していないじゃないですか。行き場のない生き残った町民が路上で寝ているし、あのままでは残った人達も死に絶えてしまう。ここはそこまではいってないですが腐臭のような匂いがきついしスラムとなりつつあります。」
「郊外を出るとどこもこんなもんだ。王都だってパッと見は戦前の賑やかな頃に戻ったように見えているが果たして本当に戻ったと言える状態なのかは何とも言えないな。――っと。夜だから昼間より声が通りやすい。これ以上話を続けるのはまずいな。」
それきり会話も止んでしまう。
「よし、全員到着したな。ここで陣を敷く。テントを張り、それぞれ準備だけしておくんだ。終わったら見張りを残して仮眠しておけ。5時半に全員集合だ。いいな。」
私たちが到着したころには既にいくつかテントが張られていた。救護用テントも張ってくれてあった。助かる。将軍の合図とともに持参した物をテント内に運び込みすぐにでも使える準備をする。
終わった頃には月も西へ傾きかけていた。集合時間までとなると2時間ちょっとか。通常業務後の徒歩は疲労感が強く、広いテントの中横になり、あっという間に夢の中の住人となった。
「良かった。やっと起きましたか。よくこんな中で眠れますね。」
「すみません。もしかして時間過ぎてましたか?」
「いいえ。もう少しです。そろそろ集合場所に行きましょうか。」
一緒に来ていた40代の医師に促されテントを出る。看護婦たちは既にきびきびと動いていた。いつ起きたんだろう?気付かなかった。どうやら私の神経は図太いらしい。
空はようやく白み始めた所で視界良好とはいえない。山の麓ということもあり、薄っすらと霧がかかっている。
将軍から今からの予定を聞き、騎士たちは出発する。山の中には軍関係者しか知らない洞窟があり、一部の医師と看護婦はそちらへ向かう。私はここで待機だ。
どれほど時間が経ったか。長かったようにも短かったようにも感じた時間の後に空をつんざく様な音が響き渡った。絶え間なく響く音・声、そして地鳴り。姿は見えないが硝煙の臭いがここまで届いてきた。
「始まったな。」
誰かが呟いた声は空に響く音に搔き消される。
騎士団が出発してすぐ、それまでここを守っていた国境警備隊の負傷者が運ばれてきた。
切り傷、裂創――。国境警備隊にも医務室はあるため最低限の処置は済んでいるようだが、それでは不十分だった。
特に今処置中の銃創のある騎士は私たちが到着するまで痛み止めや止血剤で何とか凌いでいたという。先輩医師の補佐をしていたが、ようやく銃弾が取り出せた、というところ。周囲の組織の損傷が激しく、これまでの出血量と手術が始まってからの出血量を足せばきっとかなり失血しているだろう。正直、この環境下で手術することも感染症という命に直結するもののリスクが上がるため、この人が再び騎士として働けるかと聞かれると何とも言えない。命が助かれば儲かりものだ、というレベルだろう。
閉創後の片づけや患者の観察は看護婦に任せる。
普段の、薬品の臭いがしながらも綺麗で明るい救護室とは正反対で、ギャップに戸惑いこれが続いていくのかと思うと気が遠くなりそうだ。
ベッド、なんて良い物はなく、布団とも言い難い薄っぺらいものに怪我を負った騎士、こと患者たちが寝ており、巡回に回る。
呻き声や助けを呼ぶ声がする。――その中でことさら幻覚の酷い患者に目をやる。
――やめてくれ!殺さないでくれ!待てっ、俺は何もしてない、何もしないから!――と怯えるように叫び、人が近づけば暴れて手が付けられない、精神に異常をきたしている者がいた。
「あの人にリストロゾル1ml静脈注射しといてくれる?1時間経っても変わらなかったら呼んで。」
「分かりました。」
抗精神病薬の投与を指示して次へ向かう。
「痛み止めとかもっと使ってあげれたらいいのに。」
ぽつりと呟いたはずだが通りがかった看護婦に仕方ないですよ、と慰められる。
「これからさらに患者が増えていくのに後援物資も満足に届かないんですから。でも、私たちは私たちでできることをやります。」
よろしくね、と後ろ髪を引かれつつ離れる。遠くからここの責任者ことクルナド・ドーレンが私を呼んでいることに気づいたからだ。
「はい、何でしょうか。」
「すまんね。これから騎士団の怪我人が運ばれてくると無線で連絡が入った。ここに来るのは重傷者だ。着たらすぐ対応できるよう準備しておくように。」
「了解しました。では、失礼します。」
「ああ、君の上司のシュティレ医師は今別件で対応してもらってる。もし手術などもう1人医師の手がいるならハバナス君に言ってくれ。こっちからもハバナス君には伝えておくから。」
「了解しました。」
思い出したような物言いに了承の意を伝え会釈をして立ち去る。
看護婦に準備を指示し、自分もすぐに物が使えるよう確認していく。ふと視線を感じ目を向けるとそこにはトルード・ハバナスがいたため挨拶をする。向こうからはぎこちなく会釈が返って来ただけだった。
無線が入ったと伝えられた時より半刻もせずに重傷者が運ばれて治療室という名の一角はいっぱいになった。
その重傷者の中には医師総長の息子、ドゥム・ゲヘンバルも含まれていた。
こんなに暗い話になるはずではなかったんですが・・・すみません。
今作品に出てくる薬は全て偽名です。