1.変わり者の令嬢
我ら智恵と技術の神、ロメティスから創造されし者――
ロドスの国に生きとし生けるもの全て神の御許にあり――
智恵を用い技術でもって栄しロドスの民よ――
神に跪き裏切ることなかれ――
神を信じぬものは加護もなく闇に葬られる――
「先生ー。俺も見てくださいよ。ほら、ここ血出てるんですよ。」
私の職場ではいつも男たちの声が響いている。
「なんだ、ただのかすり傷ですよ。大袈裟です。」
「そんなつれないこと言わないでさ。ほら俺も手当してくださいよ。」
「アンジュ、消毒液でもかけておいてくれる?」
「分かりました。」
近くにいる看護婦に声をかける。返事ののちに男の唸り声が聞こえた。
「うおー滲みるっ。なあ、俺にだけ刺激の強い薬ぶっかけてきてない?」
「気のせいです。」
表情一つ変えずこの一連の作業を終えた若い看護婦は別の作業に戻っていった。
私はこの国、ロドス帝国の侯爵家の1つ、スチュワード家の末の娘。ナディエ・スチュワード。家は騎士の家系で父も兄たちもこの国の騎士として働いている。姉たちはそれぞれ国内の貴族の元へ嫁いで久しい。そんななか末っ子の私は騎士団の医師として働いている。貴族の女性が働くことは少ないこの国で結婚もせずに働いていて、更には男所帯の騎士団で男ばかりの医者という世界に女がいるというのは目立つもので、周りは私のことを『変わり者のナディエ』とよんでいる。
なぜそうまでして医者になったか?それは生傷の絶えない父や兄たち、そして侯爵家にいる騎士団の面々がやれ訓練だ、やれ実戦だってのでボロボロになっているのを目の当たりにしてきたから、これは治療できる人が側にいねば!と思ったわけである。
初めは家族も渋っていたし、いざ納得してくれて医師育成学校へ入ってもそこで女だからとなんやかんやあったが、(今もないことはないが)なんとかやれている。まあ、私自身としてはこれで良かったと思っている。
そんな私は王宮の一角で今日も訓練での怪我人を見ている。中には持病を持つものも稀にいて、定期的に診察・薬師に薬の配合の指示を出している。初めは侯爵家の騎士団たち専属の医師になろうと思ったが、どうせならいろんな患者を診て勉強してきなさい、と父に言われてそれもそうか、と考え直して今に至る。ここで勤務をはじめてから2年程度経っただろうか。でも先輩たちに言わせるとまだまだひよっこだと。自分でもそれは自覚しているから、一人前の医師と認めてもらえるようになるまでの道のりは遠いな、と遠くを見やる。
さて、話を少し戻そう。さっきの怪我人の場面だ。あの男はセルディウス。帝国騎士団の練習場での訓練の後に騎士団用の救護室までやって来たやつだ。私は心の中であいつのことを『チャラ男』と呼んでいる。時々わざと傷を作っては治療に来るという厄介者。女たらしで可愛い子・綺麗な人にはすぐに口説きに行っている。それで何人の女性が泣いていたやら・・・。そう、女の敵だ。みんなは気を付けて欲しい。
いつもと変わり映えもなく訓練中の怪我の処置をして、今日も一日が終わる。
夕刻、そろそろ帰る準備を、と思っていたところで銅鑼太鼓の音が響き渡った。
「敵襲ー!!」
どこかで誰かが叫んでいる。辺りは夕刻の穏やかな空気から一転騒然となる。小高い丘に建っている城から西南西の方角に狼煙が上がっていた。それは間違いなく敵襲があった際の合図であった。
「本当に行くの?怪我で済む話じゃないのよ。ねえ、代わりに行ってくれる人なんて・・・。」
「お母様。上から指名されては拒否できません。それにこれも経験の内だと思って行って参ります。お父様やお兄様も行かれるんでしょう?」
「ええ。それはそうだけど・・・。」
一旦帰宅し、出征することを伝え準備をした後、行ってきます、と母と長兄と使用人たちに見送られて城へ戻っていった。
― 一刻前 ―
「スチュワード君、君も騎士団と共に戦場に向かってくれ。」
「わ、私ですか?」
「何か?経験を積むいいチャンスじゃないか。他にも何人か派遣する。君1人じゃないんだ。大丈夫だろう?」
顎髭を撫でながら下目に言ってくる王宮医師団のトップに言われては拒否はできない。口元がにやりとしているためわざと選抜したのは確かだ。
仕方ない。そもそも彼は皇帝派。我が家は貴族派。派閥同士の摩擦が出てくるのはさもありなん、といったところか。
了承の意を伝え準備のため一旦帰宅させてもらった。
王宮入り口前広場には既に大勢の騎士が集まっていた。医師は・・・5人!?いやいや出発までもう少し時間がある。まだ来るはずだ。と気にしないことにした。
「私の倅も行くんだ。よろしく頼むよ。」
出発直前に前からやって来た例の医師団トップから言われ、右肩を叩かれる。
「おい、さっき医師総長になんて言われたんだ?」
「ご子息も今回参加するそうです。」
「まじかー。お前気を付けろよ?女、っていうだけで気に食わないと思っているやつも多いんだ。」
「ええ。ご忠告ありがとうございます。」
同僚であり私の指導役でもあるシュティレはきっと表情がこわばっていたであろう私を見かねて声をかけてくれたのだろう。彼の家は中立。彼も出会ったころは戸惑いや女性が医師になることにあまりいい印象を抱いていないようだったが、すぐに打ち解けた。今では数少ない女医を認めてくれる人の内の1人だ。
そろそろ出発となって周りを確認するが医師は私含め6人。看護婦は20人程度か。騎士が3000はいようかという中でこの人数しか配置されないのはかなり過酷である。後で追加で援軍を送るとしても王宮に19人も医師が残るのはおかしくないか?これは経験という名の元、あわよくばを考えているんじゃないかと頭の片隅が警鐘を鳴らす。
「場所はここから西南西に進んだクローヌス帝国との境の山だ!今は国境警備隊が抑えているが限界だろう。夜のうちに近くまで進む!行くぞ!!」
「「おう!!」」
私の父でもある騎士団トップの将軍が号令をかけ先頭切って馬で駆けて行き、後ろを第2騎士団、第3騎士団と続く。どうやら第1騎士団は王宮警護で全員が残ったようだ。
私たちは列の後ろを歩兵と共に足早に行く。
日が明ければ戦闘開始だ。このまま夜が明けないことをこれほどに切に願ったのは初めてだった。
今作品では時代背景からあえて看護婦表記をしています。
よく間違えている人がいますが、ここで声を大にして言いたい。
看護『士』じゃなくて『師』です!