夢みたものは(4)
店にやってきた大男は、やはりただ者ではないようだ。
「人が死ぬ夢」──その要求にはどのような思惑が潜んでいるのだろうか…。そして明かされる、バクの正体とその幼少期。
⚠嘔吐表現注意
こんにちは、小梅です。
個人的には、バクの幼少期を書いているシーンが一番楽しかったです。この物語の中心を占める設定が盛り込まれているから!
小梅の手元では、すでに「夢みたものは」は完結しています。ですので、これから少しずつ小出しにしていこうと考えています。そして新たな物語も…!鋭意制作中です。構想段階ですが(´▽`)
※誤字脱字等がございましたら、報告お願いいたします。
※この作品は、「pixiv」サイトとの、重複投稿になっております。
参考文献:受験脳の作り方 脳科学で考える効率的学習法/池谷 祐二 (新潮社)
(Webサイト)Sleep Styles™
「は?」
開いた口が塞がらなかった。なぜよりにもよって、そのようなものを…?
初めてこの男に会った瞬間に感じた違和感は、どうやら間違っていなかったようだ。
しかし、時既に遅しというもの。それが確信に変わった現状は、もう取り返しが利かない。
「この店の客がお前に見せてもらった夢は前向きなもんばかりだ。ほしいものが手に入る夢、会いたい人に会える夢、といった具合だな」
そんなこと当たり前だろう。誰が好き好んで、怖い夢を見ようと思うのだろうか。そんな人、この男かその他狂人くらいである。
「ですがお客様、悪夢をご覧になることは、私自身お勧めできません。体調を崩されるかもしれません」
「客の注文が聞けないってか」
「い、いえ、そんなことは…」
「いいか、俺だって悪ふざけでここまでしねえ。ちっと確認したいことがあんだよ」
「は、はい」
もはや止める術はなさそうだ。すっかり怯えたバクを尻目に、男はコーヒーの代金をカウンターに置いて店を出てしまった。
緊張の糸が解けると、バクの膝は体重を支える能力を失ってしまった。平常を取り戻そうと、冷たくなった手を温めていくと、少しずつ硬直していた心が落ち着いていくのが分かった。がしかし、苦いコーヒーの底に沈んだ砂糖の甘みは、後味としてはやってこなかった。張り詰めた緊迫から逃れたバクの鼻先には、逃げ場のない恐怖のにおいが漂う。
堪らず自分の腕をすがるように抱いた。立てた自分の指が、肌にシャツ越しで食い込んでいく。
──どうして。どうして。
今までうまくやってきたのに、暴かれた事なんてなかったのに。
──あの男は、知っていたのだろうか。
自分が何者かを、夢見の対価は何かを。
──嗤っているのだろうか。
気休め程度の幻で、善人ぶり、欺瞞に陥った僕自身を。
ゆるゆると力が入っていき、バクは顔をしかめた。今考えていても仕方がない。正体を見破られているかもしれないという事実は変わらないのだから。ならば、あらゆる障害をかき分けてでも、元あった生活を取り戻すまでだ。
一週間後、男はまた店にやってくる。それまでに夢幻香を準備し、夢見をすればいいのだ。過程は火のごとく明瞭である。
しばらくして立ち上がったバクには、店内中の視線が集まった。お騒がせしてしまったことに謝辞を述べると、あらゆる方向からバクを案ずる声が飛んできた。先の懸念がやまないバクの胸に、その温かさは染み込み、やがて体全体に広がっていった。
「おなかすいてない」
そう母に言ったのは、バクが六歳の頃だった。よく晴れた平日の朝、食卓に並べられたハムエッグサンドを前にした時。
「あら、でも食べないと、今日一日元気が出ないよ」
「やだ、いらない」
顔もそっぽを向いて、体全体で拒否の姿勢をとる。いつもは静かで利口なバクも、この時は頑として食べ物を口にしようとしなかった。
そんな調子が三日続いた。
最低限の水分しか摂っていないのに、衰弱していくどころか、以前より活発になっていくバクを見て、母は思い立ってバクに訊ねた。
「ねえ、おなかすいてる?」
「すいてない」
「今、おなかいっぱい?」
「いっぱいじゃない」
「何か食べたいって思う?」
「……思わない」
肉体面で言えば、多少の空腹は感じていた。腹に物がたまっている満腹感は感じないし、食べるものを見れば、食べられそうだとも思う。
だがそれ以前に、心はとても満たされていた。それこそ好物を気のすむまで頬張った後のように、どこまでも晴れやかな気分なのだ。日常のあらゆる些事も、幸せという一言だけで片付けられそうな気さえする。
バクの返答を聞いて、心配そうに眉をひそめていた母の顔がほころんだ。
「そう、そうなの。あなた、パパに似たのね」
母は大事そうに、けれど強くバクを抱きしめた。当時のバクはあまり状況が呑み込めなかったが、安心したように息をつく母を感じては、されるがままにしておいた。
「いい?六歳のあなたにはちょっと難しいかもしれないけれど、おかあさん、がんばって説明してみるね!」
バクの両腕を温かい手でさすりながら、母は教えてくれた。バクの正体を。
「あなたは〝獏〟なのよ」
獏とは、人の悪夢を食べる空想上の動物とされている。しかし、実際は空想上でもないし、悪夢を食べるというわけでもない。現に、バクの父親も獏であるが、人の形をして、社会に紛れて普通に働いている。
また、獏は専ら悪夢を食べるというわけではなく〝夢〟という創造物であれば、いかなるものも食せるという。
かつその〝夢〟は、喜び、幸福、感動などの正の夢ほど、獏自身を癒す甘美なものとなる。それに対し、怒り、悲しみ、絶望などの負の夢ほど、獏の体を苦しめる、毒のような要素をはらんでいる。
ではなぜ、「悪夢を食べてくれる」という伝説が流布するようになったのか?
「生きていくためよ」
母は、慈しみのこもった瞳を落とした。
仮に獏たちが彼らのほしいままに、正の夢ばかりを食べるとしたらどうだろう。正の夢は食われ、相対的に負の夢ばかりが現れるようになったら、人間は獏を悪夢から救ってくれるありがたい霊獣ではなく、悪夢を引き寄せる恐ろしい幽鬼として扱ったに違いない。
その上、それらが実体として地上に存在しているのであれば、むろん放っておくことなどしないだろう。
そんな最悪の事態を避けるために、彼らは隠した。あくまで人々を悪夢から救い出す霊獣として、その身を置いたのだ。
「だからあなたもいい夢はあまり食べてはだめ。できるだけわるい夢を食べるようにしなさい」
母が人差し指を立てて、幼かったバクに言い聞かせた。途中の内容はつかめなかったものの、「楽しい夢はダメ。怖い夢は大丈夫」という結論だけははっきりと伝わった。
「つらいかもしれないけれど、お母さん、しっかりあなたのこと支えるからね」
何が辛いのか、翌朝、バクは身をもって知ることになった。
初めに襲ったのは激しい頭痛だった。浅い眠りから覚め、意識が水面に上がってきたと同時に、頭をハンマーで何度も殴られているような、鈍く、後を引く痛みだった。
ほどなくして、寒気とともに冷や汗が全身を駆け巡り、意識がはっきりする頃には、バクは激しく嘔吐していた。
嘔吐と言っても、水っぽく、量も少ない。連日食事らしいものを摂っていなかったからだ。
胃が裏返る苦しさにバクが苦悶する中、母はバクの汗をぬぐい、嘔吐の波が収まるまで、バクの背中をさすり続けてくれていた。布越しに伝わる母の温もりに、バクは体のすべてを預けていた。
地獄のような朝を迎えたのち、バクは母の腕の中で泣いた。
頭痛も寒気も吐き気も、体中を駆け巡るすべての感覚が不快で仕方がなかった。
そんな感覚の波が穏やかになってくると、その隙間を縫うように、ぽつぽつと不審感が沸いてきた。
どうして自分がこんな目に合わなければいけないのか。なぜ〝獏〟なんぞに生まれてきてしまったのか。答えすら見出せなくて、さらにバクは泣いた。
こんな激烈な経験を、父だけでなく、おそらく今この社会の中で生きている獏たち全員が経験したのだろう。しかし彼らはそれを克服し、現代社会に潜んでいる。大したものとしか言いようがない。
その一方、バクは克服できなかった。
両親の前では努めて辛い風を装いながら、バクは正の夢しか食べないようになってしまった。
もちろん罪悪感がないわけではない。自分のことを支えようと全力な両親を裏切ってしまっているし、夢を食べられた人にとっては、幸せな夢を不当に奪われてしまっているのだから。それでも、眠りから覚めた後に襲うあの苦痛を思うと、正しい判断などできなかった。
転機が訪れたのは、そんな良心の呵責に追い立てられながら、バクが大人になってからだ。ちょうど今経営しているカフェの準備を進めていた。
バクは〝夢幻香〟を作り出すことに成功したのだ。夢幻香は〝どこかのだれか〟が見た夢を香木の中に閉じ込めておくことができる。そして、それを焚いて眠らせた者の夢の中で、そこに閉じ込められた夢をもう一度だけ、再生することができるのだ。
この仕組みを作り出すことに成功したとき、バクは有頂天になった。今まで罪に追いかけ回されているような心地だったのに、夢幻香という道具を手に入れたことによって、その罪が〝償い〟によって相殺できるような気がしたからだ。
獏にとっての食事であっても、夢幻香へ閉じ込めることによって、正の夢を奪ってしまうような形になったとしても、その夢を別の誰か──今必要としている誰かに渡してしまえば、もう自分を責めなくてもいいのではないか、と。
それから喫茶店「バク」をオープンしてからは、ほとんどのことがとんとん拍子で進んでいった。世の中には意外と、現在の科学技術では説明できない、不思議なことが多くはびこっていて、バクのいわゆる〝夢を見せる〟という商売も、その不思議なことの範疇に加えられていった。
多くの人に受け入れられ、やりたかったことを、なりたかった自分ですることができる。その環境に、バクは慣れきってしまっていた。