夢みたものは(3)
真っ黒なロングコートとハット、肩幅が広く、熊を彷彿とさせるような大男だ。
いかにもな不審者。もちろん常連ではない。
「い、いらっしゃいませ」
バクの挨拶が聞こえていないかのように返事がない。だが、体はこちらへ向きを変えてカウンターへ向かってきた。目深に被ったハットのせいで目元は見えないが、首が左右に動いているのを見ると、店内をしきりに見渡しているようだ。
大きな壁が迫ってきたかのように、バクは一歩後ずさった。
「ホットコーヒー、ブラック」
地鳴りのような声だ。凄みと威圧感がある。年齢は五十代から六十代くらいと言ったところだろうか。見上げるように大男の顔を覗くが、照明で陰になってしまいよく見えない。
「かしこまりました。豆の種類は何に致しましょうか」
「何でもいい」
そう言って、男は椅子に座るなり黙ってしまった。仕方なしに、店で一番推している豆を使うことにする。
適量に取ったコーヒー豆をコーヒーミルで挽き、専用のろ紙に入れたあと、ゆっくりとお湯を注いでいく。そうと時間のかからない内に、香ばしさの中に絶妙な酸味が効いた香りが店内を包容する。
普段であれば、この光景を子どもたちが物珍しそうに見るのだが、今は大男がカウンターに座っているせいで、誰も近づこうとしない。
店内を冷たい空気が流れていた。可愛らしい小動物がいるちいさな森に、捕食者がやって来たかのように、誰もが息の音さえも抑えている。
「お待たせ致しました」
男の前にカップを置くと、冷ます素振りも見せずに飲み始めた。
少しずつ、少しずつ、味の感想を言うでもなく、読書や勉強をするのでもなく、ただ一点を見つめ、時折飲む動作を繰り返していた。
コーヒーを飲みきれば、男はすぐに帰るだろう。バクはそう踏んでいた。見たところ無駄に時間を潰す人のようには思えないし、申し訳ないが、待ち合わせをする友達もいなさそうだ。
「俺に何かついてるか」
「え、あ、いや、その...」
目も合っていないのに、こちらの視線には気付いていたらしい。カップの底が見えてくるのを今か今かと急かしている内に、視線を男に向け続けていたのかもしれない。
「よろしければ、ケーキもいかがでしょう。当店はケーキにも力を入れていて、いちから手作りなんです。」
「そんなものいらん」
───知ってた。
そんな表情などおくびにも出さず、引き攣ってはいるものの、渾身の営業スマイルを保つ。
そもそも来店から一度も目が合っていないが、ほかに目があってもおかしくない。
「だがな」
男が続ける。
「注文したいもんならある」
「お伺い致します」
男は手に持っているカップをしばらく弄んでいたが、やがて顔をあげた。視線が交差する。
鷹だ。咄嗟に思う。先ほど男が入ってきたときは熊のようだと思ったが、瞳は鷹のように鋭く、こちらを逃さない。
まるで拘束具がつけられたかのように、その場から動けなくなった。視線が離せず、体も言うことをきかない。
鷹の目を爛々とさせながら、男が言う。
「噂があったんだよ。ここら辺で、客が見せてほしいって頼んだ夢を叶えてくれる不思議な喫茶店があるってな。俺からしたら不思議というより、怪しいと思うが...。まあとりあえず、その喫茶店ってここだろ?」
声を絞り出すこともできない。鷹の足が首にかけられ、今にも爪が食い込んできそうだ。
「その噂が本当なら俺もひとつ夢を頼みたい。問題はないよな?」
バクの沈黙を肯定とみた男は話を進める。
単なる不審者かと思っていたが違う。この男のオーラからそう判断する。自分の為にも、今この瞬間も息を殺し続けているお客様の為にも、この男には早々に帰ってもらうのが良さそうだ。
「た、大変申し訳ございません。現在ベッドが埋まっておりまして、夢見のご提供は承ることができない状況となっております」
無論はったりである。だが、やってみる価値はあると一縷の望みを懸けたのだ。
「そうか、なるほどな」
男は立ったままバクを見下ろす。バクも負けじと視線を外さない。
「なら来週の今日、同じ時間にまた来る。予約が埋まってるだなんて同じような嘘、二度とは許さねえぞ。」
どくん、心臓が分かりやすく跳ねる。
「うっ、は、はい、大丈夫です」
ばれていた。しかもいいように泳がされてしまったせいで、主導権があっけなく相手に渡ってしまった。
背中に伝う汗を感じながら、バクは考える。
そもそも、この男は見目や挙動こそ明らかに不審だったが、決定的な危害を加えられた訳ではない。もしかしたら、噂好きだが、人付き合いの苦手な方かもしれないし、もしかしたら、見た目に反して、すごく可愛らしい夢を希望するかもしれない。
(そうだ、きっとそうだ)
バクは自らに強く言い聞かせる。すべては自分の浅はかな思い込み。こちらのお客様には何の否もないのである。気を取り直して尋ねる。
「それでは、お客様のご希望をお伺い致します」
「そうだな」
男は椅子に座り直すと、手でこちらに近づくよう合図をする。カウンターから少し身を乗り出して男に寄る。
男が、地に響く声で言う。
「人が死ぬ夢を見たい」