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5 決断は後悔の中で

 数日後、一緒に侯爵家の夜会に出席するために、アルバート様が私を迎えに来られた。

 婚約して以来、アルバート様と社交の場に行くのは月に1度くらいの頻度だった。半月のうちに2度なんて記憶する限り初めてだ。


 そのうえ、普段なら馬車に乗ると向かいに座るアルバート様が、私の隣に腰を下ろした。何とも落ち着かない。

 さらに、アルバート様はこんなことまで言い出した。


「クレア、そろそろ具体的に結婚の話を進めていこうか」


「ええ、そうですわね」


 他に答えようがなく、私は頷いた。


「クレアのことを慕っているあの公爵子息には申し訳ないが」


 アルバート様はそう言うと、フッと笑った。セディを馬鹿にされているようで腹が立ったが、表には出さないよう堪えて微笑んでみせた。


「あの方はただの幼馴染ですわ」


 セディの存在をずいぶん気にしているようだ。ずっと私のことなんて蔑ろにしていたくせに。


 そんなことを考えていると、ふいにアルバート様に頬を撫でられて、私の全身に鳥肌が立ってしまった。彼に気づかれていないといいのだけど。


「婚約してからずいぶん待たされたが、ようやくだな」


 その間、好きなだけ遊んでいて、よく言えたものだ。


 もともとウィリス家は、私が学園を卒業してすぐの結婚を望んでいた。それを延ばしてもらったのは、私が亡くなったお母様の代わりに我が家の女主人の役割を務めていたため。最初は純粋にそれだけが理由だった。

 だが、やがてアルバート様の噂を知り、彼がそれを裏づけるような行動をとっていると気づいてしまった。私はアルバート様にそれを問い質すことをしないまま、ただズルズルと結婚を引き延ばしてきた。

 しかし、ヘンリーが我が家の新しい女主人となるエマを妻に迎え、レイラは学園を卒業するより先に侯爵家の嫡男に嫁いでしまった。もはや結婚を待ってもらう理由がない。


 女性が婚約を破棄することは大変だ。たとえ原因が男性側にあったとしても、婚約破棄した女性はどうしたって白い目で見られることになる。20歳過ぎの私など、新しい婚約者を見つけるのはおそらく無理だ。

 それでも、私がアルバート様と結婚したくないと言えば、父はきっと受け入れてくれるだろう。だからこそ、私は父や弟夫婦に心配も迷惑もかけたくなかった。


 セディに再会したのはそんな時だったのだけど、今さらどうにもなるはずはなかった。

 私はアルバート様と結婚するしかないのだ。ちょっと触れられることさえ、嫌で嫌で堪らない相手だとしても。


 やがて、馬車は侯爵家のお屋敷に到着した。


 アルバート様のエスコートで会場の大広間に入り、ファーストダンスを踊るのはやはり普段どおり。しかしその後、アルバート様はなかなか私から離れていかなかった。

 まさか、前回のように最後まで貼り付いているつもりなのだろうか。警戒しすぎでしょう。


 私はアルバート様がそばにいることに早くもうんざりしてしまった。だけど、この方はもうすぐ夫になるのだから、我慢しないと。


 しかし、しばらくすると、アルバート様は「知り合いに挨拶してくる」といういつもの言葉を残して去っていった。

 私はやっと呼吸ができるような気分になった。


 いつもならヘンリーとエマが同じ夜会に出てくれるのだが、この夜の夜会は2日前に突然アルバート様から誘われたので、ヘンリーの都合がつかなかった。それでも必ず後から行くと言ってくれたのだが遠慮した。

 私は弟夫婦が優しいからと甘えすぎていたのだ。割に大きな夜会だし、知り合いあるいは気の合いそうな方が見つかるだろう。


 そう考えながら会場を見渡すと、遠くのほうで見覚えのあるフワフワの髪の毛が揺れたように見えた。そちらにジッと目を凝らすが、やはり気のせいだったようだ。

 まあ、セディがいるならそのうち私のところに来てくれるはず。違う、それはあの日までのことだった。今のセディは私に気づいても避けるかもしれない。


 何だか落ち込んでしまい、アルバート様の急すぎる誘いなんて断ればよかったと思いながら、壁際に立ってぼんやりと会場を眺めていた。

 それほど長い時間ではなかったはず。


「あ、見つけた」


 どこかで聞いたような台詞に視線を向けると、先ほど気のせいかと思ったフワフワがすぐ目の前で揺れていた。

 私が驚いているうちに、セディは私の手をしっかり取った。


「早く、こっちこっち」


 わけのわからぬまま、私はセディに手を引かれて早足で歩き出した。わけがわからないのに、自分の手を掴んでいるのがセディだというだけで、私は涙が出そうなくらい安堵していた。


「どこに行くんですか?」


 セディが私をダンスに誘ったのでないことは間違いなさそうだった。セディはダンスの輪を迂回している。


「すぐにわかるよ」


 セディは大広間を出た。向かったのは屋敷の外ではなくて奥、おそらくは休憩用の客室が用意されているほうだった。

 私は嫌な予感を感じた。足を止めようとしたけれど、私の手を握るセディの手の力が強くなり、できなかった。


 廊下の角に、あの侍従が立っていた。彼は無表情でセディに頷いてみせた。セディも頷き返した。

 セディはすぐ近くにあった扉のノブを握ると、迷わずそれを回して大きく扉を開け放った。


 部屋の中は、灯りが煌々と点されていた。

 その灯りに照らされて、ソファの上にいる1組の男女の姿がはっきりと見えた。男性はアルバート様。女性のほうは、確か某子爵家の未亡人だ。

 ふたりは夜会用の正装をすっかり乱して絡み合ったまま、呆然とした顔でこちらを見つめていた。


「ほら、ただの噂じゃなかったでしょ?」


 セディがやや興奮した様子で言った。


 私もまた、呆然としていた。

 まさか、セディが私にこんな光景を見せるなんて。いや、セディにこんな光景を見せてしまうことになるなんて。

 ふつふつと湧き上がる怒りは誰に対して向けるべきなのだろうか。


「これでもう、あの人とは婚約破棄するしかないよね?」


 セディが笑みを浮かべて私を見つめた。この時ばかりは作り物ではない、本物の悪い笑みに見えた。それでも綺麗なものはやっぱり綺麗だ。


 いつの間にか、私たちの周囲に人が集まっていた。このあたりにそれほど人がいたのだろうか。

 セディの言うとおり、これだけ目撃者がいればもう言い逃れはできない。アルバート様も、私も。


 だから、私が急いで考えなければならないのは、この場で自分がすべきことの優先順位だった。


「そしたら僕と……」


 迷っている暇はなかった。人目のある場所でセディにその先を言わせるわけにはいかない。

 私は手を振り上げて、セディの頬を思いきり引っ叩いた。大好きな天使の顔を。


 セディは何が起こったか理解できていない顔で固まった。


「婚約破棄をするかどうかは私とアルバート様の問題であり、決めるのは私の父です。コーウェン公爵子息はまったく無関係なのですから、これ以上口を出すことはおやめくださいませ」


「ク……」


 セディが私の名前を呼ぼうとしたので、私はそれも急いで遮った。


「どうぞ、今すぐにお引き取りを」


 泣きそうな顔でしばらく私を見つめてから、セディはクルリと私に背を向けて駆けていった。侍従がすぐにその後を追う。


「そうだよな。これは俺とおまえの問題だ。あいつには関係ない」


 いつの間にか服を整えて、アルバート様が私のすぐ近くに歩いてきた。未亡人のほうはソファの上で身を縮めているから、意外とまともな感覚の持ち主なのだろうか。

 やはり私がこの怒りをぶつけるべき相手は、ニヤリと嫌らしく笑う婚約者のようだ。


「今さらおまえが婚約破棄なんかできるわけがない、だろ? それとも、俺と別れたらあいつと婚約できるなんて勘違いしてるのか? おまえなんかが公爵家に嫁げるもんか」


 本当にこの人は紳士のふりが上手だったようだ。「俺」、「おまえ」、「あいつ」。どれも今まで私の前で口にしたことはなかった。後ろにいる彼女の前では違ったのだろうか。

 もっとも、それはお互い様だし、今となってはどうでもいいことだ。セディのお膳立てしてくれた機会を、無駄にするつもりはない。


「ええ、私もそう思いますわ。ですから、あなたなんかと結婚するくらいなら生涯独身でいることを選びます、と言わせていただきます」


 アルバート様が目を瞠った。


「な……」


「帰宅したらすぐ父にこのことを報告し、あなたとの婚約の破棄をお願いするつもりです」


「後悔しても知らないからな」


「あなたとこのまま結婚すれば、間違いなく後悔しますわ」


 アルバート様は私をギリギリと睨みつけていたが、やがて私の真横を通り抜けて去っていった。未亡人が後を追った。


 私も嘆息し、周囲の方々に「お騒がせして申し訳ありませんでした」と深く頭を下げてから、歩き出した。


 あんな人に言われるまでもなく、後悔なんてとっくにしていた。

 家族や世間の目を理由にして決断を避けたりしなければよかった。そうすれば、セディを傷つけずに済んだだろうに。

 セディを身勝手に突き放したのに、彼は変わらず私のことを想ってくれていたのだ。だけど今度はあの顔を叩いてしまうなんて。手のひらがジンジンと痛むけど、もっと痛いのは心だった。

 せめてセディに謝りたい。セディはその機会を私に与えてくれるだろうか。


 私は大広間へと戻った。当然、セディの姿もアルバート様や未亡人の姿も見あたらない。

 ついさっき奥で起こった騒動もまだ伝わっていないようで、そこは相変わらず華やかな夜会の真っ最中だった。

 今の私にはあまりに場違いに感じられて、さっさと帰ろうと決めてから気づいた。帰宅しようにも足がない。

 我が家の近所にお屋敷のある方を見つけて、馬車に同乗させていただけるかしら。それとも今夜の主催者である侯爵にお願いして家に知らせていただくほうが早いかしら。


 しかし、それからすぐに私の前にヘンリーが現れたので、どちらも必要なかった。やはり私のことを心配して来てくれたようだ。


「わざわざ来てくれたのに悪いんだけど、もう帰ろうと思っていたの。馬車を使ってもいい?」


「それなら俺も帰るよ」


「せっかくだから楽しんだら?」


「いや、いい。それよりも、さっきセディとすれ違ったんだけど……」


 ああ、ヘンリーはもう知っていたのか。でもセディもすべてを見てはいないわけだし。


「お父様にも聞いていただきたいから、家に帰ってから話すわ」


 そうして、私はヘンリーとともに帰宅すると、お父様とヘンリー、エマに夜会で見たものを話した。

 セディのことは偶然そこに居合わせた目撃者のひとりだと説明した。ヘンリーはそれに納得していない表情だったけど、詳しく尋ねてはこなかった。


 私がアルバート様との婚約を破棄してほしいと頼むと、お父様はすぐにペンを取って、陛下に婚約解消の許可を得るための書類を整えてくださった。


「明日の朝一番に出すから、安心しなさい」


「本当に申し訳ありません」


 私がお父様に頭を下げると、お父様は苦しそうに顔を歪めた。


「クレアが謝ることはない。あんな男を婚約者に選んでしまって、すまなかった」


 私は首を振った。


「結婚など無理にする必要はない」


「そうそう。姉上はいつまでも家にいれば良いんだ」


 お父様とヘンリーがそう言うと、エマも大きく頷いた。

 私の家族は皆優しい。だからこそ、心苦しかった。

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