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7 面倒で愛しい

 約束の日がやって来た。


 コーウェン公爵がいらっしゃった日からどうにも落ち着かない気分だったけれど、さすがにこの日が最高潮だった。

 相手はセディよと自嘲しつつ、普段着ではなくちょっといい外出用のドレスを纏ってしまったのは乙女心だ。


 ちなみに、私を訪ねて来たコーウェン公爵とあんな話をしたことは、ニコラスとエマしか知らない。

 まだアルバート様との婚約破棄が認められておらず、セディから正式に求婚されたわけでもないので、万が一の場合を考えてお父様やヘンリーを糠喜びさせたくなかったのだ。


 あの日、セディに「あなたの気持ちが変わらなかったら」と言ったのは、お家で反対されたりしてセディが私のもとに求婚に来れなくなっても恨んだりしない、という意味で口にしたことだった。セディの気持ちが変わるはずはないと、私は信じている。

 だけど、今になってちょっぴり不安になってしまった。セディは果たして来てくれるのかしら? そもそも、セディが私に伝えようとしていたのは本当に求婚だったのだろうか?

 いやいや、そうでなければお忙しそうなコーウェン公爵がわざわざ私のところにいらっしゃったりするはずがない。


 さらに、別の心配事もあった。

 陛下からアルバート様との婚約解消の許可が下りていないことだ。正式に認められたらお父様が宮廷から知らせてくださることになっているのだけど、まだそれが届かなかった。

 セディも宮廷でお仕事のはずだから、来るのは夕方以降だろう。セディのことだから、週末までお預けなんてことはしないと思う。

 婚約破棄の許可のほうが遅くて、セディをさらに待たせるのは申し訳ない気がする。約束を1日遅くすれば良かったかしら。


「いらっしゃいましたよ」


 ニコラスからそう告げられたのは、昼食をとってしばらくした頃だった。


 私は逸る気持ちを抑えて、淑女らしく玄関ホールへと向かった。


「クレア姉様」


 久しぶりにギュウギュウと抱きしめられて、セディの腕の力強さを心地良く感じてしまった。


「会いたかった、クレア姉様。この1週間も、その前も。もうクレア姉様に会えないのは嫌だ。早く結婚しよう」


 一息に捲し立てられた求婚に雰囲気も趣きもあったもんじゃないけれど、私はセディにそれ以上の冷や水を浴びせなければならなかった。


「セディ、申し訳ないのだけど、まだ婚約破棄が認められていないのよ。だから……」


 途端にセディがパッと私から離れた。


「あ、ごめんなさい。こっちが先だった」


 そう言ってセディが上着の内ポケットから取り出し、私の前に広げて見せたもの。それは、アルバート様と私の婚約解消を認めるという書状だった。もちろん、陛下の署名がされている。


「どうしてセディが?」


「陛下にこれをクレア姉様の父上に届けるよう言われて、クレア姉様の父上のところに持っていったらクレア姉様に届けるよう頼まれたんだよ。あ、同じものがあの人のところにも届くって」


 どうしてお父様がセディに頼んだのか、いまいち納得できないけど、とりあえず置いておこう。

 この書状に関してはセディは陛下のお遣いということで、私は恭しく受け取った。


「どうもありがとうございます」


「もういいよね? クレア姉様、僕と結婚しよ?」


 セディは再び私を腕の中に捕えた。さっきよりは力が緩いので、セディの顔を見上げるだけの余裕があった。セディも、期待に満ちた表情で私を見下ろしていた。

 私は返事をしようと口を開きかけたが、それより先にセディが声をあげた。


「あ、母上から紳士らしい求婚を教わったんだった。そっちのほうが良かった?」


「……せっかくだから見たいわ」


 私がそう言うと、セディはまたパッと私から離れ、その場に跪いた。


「クレア・バートン嬢、どうか私と結婚してください」


 セディが私の右手を取って指に口づけた。

 ゆっくりと私を見上げたセディは今までになく真摯な表情をしていた。こんな綺麗な顔に紳士らしく求婚されて、断れる人がいるのかしら。


「セドリック・コーウェン様、あなたの求婚をお受けいたします。どうぞよろしくお願いいたします」


 セディの顔がフニャリと崩れた。私の可愛い天使のとびきりの笑顔。

 だけど、それを堪能する時間はほとんど与えられず、セディはまたもや私をギュウと抱きしめた。


「クレア姉様」


 仕方ないので、私もセディをギュッと抱きしめ返した。


「セディ、私も会いたかったわ」


 さらに、片手を伸ばしてセディの髪を撫で、そのフワフワな感触を楽しんだ。6年間、そして再会してから我慢していた分を取り戻すべく思う存分触ってやろうと考えていたのだが、ふと気づいた。


「セディ、今日はお仕事はどうしたの?」


 セディは今日も宮廷服を着ている。それに、さっきの口ぶりからして、宮廷でお仕事をしていたのだろう。


「大事な用事で早退」


「大事な用事って?」


「クレア姉様に求婚することだよ」


「そんな理由、駄目でしょう」


「秘書官室の室長も先輩たちも、頑張って来いって言ってくれたよ」


 私は目を瞬いた。宮廷のお仕事ってそんな感じでいいの? それとも、セディが陛下の甥だから甘やかされてるの?


「あ、これもあったんだ」


 セディが再度、内ポケットから取り出した書類を私の前に広げた。さらに、ペンも出して私に握らせた。


「クレア姉様、署名して」


 私は目を瞠った。

 今度のそれは、陛下に婚約の許可を求めるためのものだったのだ。しかも、必要な署名のうち、4つまでがすでに埋まっていた。セディ、コーウェン公爵、お父様、そして陛下。あとは私が署名すれは完成って……。


「ちょっと、何よこれ? いつの間にこんなもの用意したの?」


 お父様、いつの間に了解済みだったのかしら。

 だけど、普通は陛下が最後でしょう。


「もちろん、陛下が婚約破棄を認めてからだから安心して。ほらほら、早く早く」


 セディに促されるまま、私は玄関ホールの飾り棚の上で署名をしてしまった。

 陛下の署名が入っているものをこんなぞんざいな感じに扱って良いのかと心配になるが、セディは私の署名を確認すると、無造作にその書類を内ポケットへと戻した。


「これは明日、僕が責任を持って陛下にお渡しするから。じゃあ、次行こう」


 そう言うと、セディは私の手を掴んで、玄関の外へと出た。


「行くってどこに?」


「僕の家だよ。母上がドレスの仕立て屋を呼んでくれてるはずだから、採寸してもらって。あ、ウェディングドレスのデザインはもう決めてあるからね」


 何だか、展開の早さについて行けない。とりあえず、外出用のドレスを着ていて良かったわ。


 セディと私がコーウェン家の馬車に乗り込むと、間もなく馬車は走り出した。

 いつもセディと一緒に乗っていたはずの侍従は、私たちに気を使ったのか御者台のようだ。隣に座ったセディにギュウとされていることを考えると、彼が向かいにいないのはありがたい。


「ねえ、セディ」


 私の頭に頬ずりしているセディに呼びかけた。


「何?」


「婚約しても呼び方は変えないの?」


 セディが私を見下ろして目を瞬いた。


「あ、もしかして、これからは他の人がいる場所で『バートン嬢』なんて呼ばなくてもいいの?」


「いいわよ。でも、婚約者なのに『姉様』もおかしいと思うの。ふたりきりの時なら構わないけど」


 セディがコテッと首を傾げた。


「何て呼べばいいの?」


「それは、あなたの好きに呼べばいいわ」


 セディが逆側に首を倒した。


「じゃあ、クレア?」


 セディは甘えるように私の顔を覗き込んだ。


「なあに、セディ?」


「口づけしてもいい?」


「……え?」


「あの時はもうしないって言ったけど、婚約したんだし、クレアと口づけしたい。今すぐしたい。たくさんしたい」


 本来なら、結婚まで待てと言うべきところだけど、瞳をキラキラさせているセディには言い難い。

 何にせよ、今日も私はすでにセディの腕の中。セディがその気になれば逃げられないし、もうセディから逃げたくない。


「……書類がセディの内ポケットにあるのだから、正式には私たちはまだ婚約者じゃないわよ」


「それなら、予定を変更して今から陛下のところに行こうか? 陛下もクレア姉様に会いたがってたし」


「口づけのためにそこまでする必要はないでしょう」


「クレア姉様、やっぱりまだ怒ってるの? 僕と口づけするの嫌?」


 そんなわけないじゃない。セディとの口づけは全然嫌じゃなかったわ。正直に言えば、あの時のことを思い出すたびにドキドキソワソワしていたし。

 でも、それをはっきり言葉にするのが私は恥ずかしいのよ。


「クレア姉様のけち」


 セディが拗ねた顔でそっぽを向いてしまった。それでも私を放すつもりはないようだけど。

 ああ、もう。可愛いけど面倒くさい。 でも愛しいから仕方ない。


「セディ」


 私がいつもより低めの声で名前を呼ぶと、セディは恐る恐るといった感じで私のほうを向いた。私はすかさずセディの唇に自分の唇を重ねた。

 すぐに離れようとすると、セディの手が私の後頭部に置かれて、さらに深く口づけられた。やっぱり嫌じゃない。むしろ好きかも。


 だけど、馬車がコーウェン家のお屋敷に到着するまで放してもらえないなんて思ってもみなかったわよ。

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